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 映画 日記              池田 博明 


これまでの映画日記で扱った作品データベース  映画日記 前月の分  


2010年1月18日以降に見た 外 国 映 画 (洋画)

見た日と場所 作  品        感    想     (池田博明)
2010年3月9日


DVD
ケンタッキー・フライド・ムービー



USA
1977年
83分
 ジョン・ランディス監督が『アニマル・ハウス』の前に撮った作品。22編のパロディ短篇のオムニバス。製作はロバート・K・ワイス
 CMのパロディとして8編。にきびから油を取るアルゴン石油会社の「Argon」・車のセイフティ・システム「His new car」・頭痛薬「Nyte?P.M. 」・頭痛の診療室「Headache Clinic」・芳香剤「Household odors」・ウィスキー「Willer Beer」・すごろくゲームだがテーマが大統領暗殺の「Scott Free」・オイル「Nesson Oil」.
 教育映画のパロディとして、生活用品に身近な酸化亜鉛の用途を知らせる「Zinc Oxide」。
 報道番組のパロディとして4篇。ニュース番組でゴリラが大暴れする「A.M.Today」・インタビュー番組 「High adventure」・ニュース番組「Eyewitness News」・黒人のなかで「ニガー」と叫ぶドキュメント番組「Dangers Seekers 危険を求める男」。
 映画の予告編のパロディとして3篇。ポルノ映画「Catholic high school girls in trouble カトリック女子高生の災難」・ディザースター映画「That's Armagedon」・タフな黒人女性ヒロインのアクション映画クレオパトラもののパロディ「Cleopatra Schwarts」。 
 ドラゴン映画のパロディ「A Fistful of Yen」(結構長い作品)。客席の助手が映画にあわせて客をくすぐったりして感じさせる「Feel-A-Round 感じる映画」、セックス指南のレコードに従って事を進めるものの早漏で終った男の代わりにムキムキマンまでおマケに出現する「Sex record」、死者の権利を守る会「United appeal fo the Dead」、追突事故の大法廷の審理が意外な方向に進んでしまう「Courtroom」。
2010年3月8日


ビデオ
アメリカン・パロディ・シアター

USA
(ユニヴァーサル)
CIC
1987年
85分
 ジョン・ランディスやジョー・ダンテが『ケンタッキー・フライド・ムービー』の続編を目論んだ短篇オムニバス。製作が『ケンタッキー・・・・』と同じロバート・K・ワイス。製作総指揮はランディス。原題は「Amazon Women on the Moon」(月世界のアマゾネス)で、ワイス監督の物語が短編の合間に切れ切れに挿入される。月世界に男性を見たことがないアマゾネスがいて、三人の宇宙飛行士が誘った美女を地球帰還へのロケットに乗せ出発すると、月はこなごなに爆発。飛行士それぞれは美女と・・・。
 ジョン・ランディス監督は5篇。黒人ビジネスマンがオフィスで洗面しようとすると流しに捕えられたり、家電にいたぶられたり災難つづきの「Mondo Condo」、出産した夫婦と赤ん坊を廊下に置き忘れる変な医師の「Hospital」、ソウルでないヒットソングをB.B.キングが歌う「Blacks without soul」「Don't no soul' Simons」、自分の名前のレンタル・ビデオを見ると美女がTVから誘惑してくれるが、途中から別の恋人が出現してという「Video date」。
 ジョー・ダンテ監督は5篇。養毛剤のCMのパロディ「Hair looming」、切り裂きジャックはネス湖の怪獣だったという過去の歴史上の重大事件の再現番組「Bullshit or not」、TVの前の視聴者の一人の男をコメンテーターがTVのなかからケナすと、男は心臓発作で死亡してしまう「Criticks corner」、死んだ男の葬式ショーがまたまたコメンテータでにぎわう「Roast your loved one」、田舎出の美人が性病にかかって医師の診察を受けるという性病撲滅キャンペーン映画のパロディ「Reckless」(「ドクター・モローの島」のパロディ?)。
 カール・ゴットリーブ監督は2篇。オールヌードのプレイメイトのPRビデオの「Pethouse video」、透明人間になる薬を発明した子孫が透明になったはずだと裸で街に出没するが、実は消えていないという「Son of the invisble man」。
 ワイス監督は5篇。老夫婦の夫がTVの画面の世界に入ってしまい、脱出できないでウロウロする「Murrey in videoland」(最後のクレジットでも脱出できない)、月面で宇宙飛行士がアマゾネスに出会う「Amazon women on the moon」、パテのCMのパロディ「Silly pate」(ダニエル・カールが主演)、大統領夫人の情事「First lady of the evening」、車で待つ恋人とのデートのためにドラッグ・ストアでやっとの思いでタイタン印のコンドームを買ったところ、十億人目の購買者になってしまい、キャンペーンに利用されてしまう少年の「Titan man」。
 ピーター・ホートン監督は1篇。デート相手の免許証やIDカードを入力すると、恋愛経験や言った台詞までプリントアウトしてくれる情報通信機器を女性が持つようになる「Two I.D's」 。
    映画川柳「死を笑い 性を笑うと ネタつきず」 飛蜘 
2010年2月18日



DVD
アニマル・ハウス


ユニバーサル
USA
1978年
109分
 ジョン・ランディス監督の『ケンタッキー・フライド・ムービー』に次ぐ長篇第3作で傑作です。原題は『ナショナル・ランプーンのアニマル・ハウス』。洋画系の小田原日活劇場の閉館記念上映で見て、仰天した記憶があります。再見して、やはり傑作だと確信しました。ランディス監督は同世代なので、下品・叛乱・混乱を是とする感覚に共通のものを感じます。ダグラス・ケニー(ストーク役で出演)の脚本『レーザー・乱交・ガールズ』をクリス・ミラー(端役で出演)が大学時代の学生友愛会の体験をネタに書き直し、ハロルド・ラミスも加わり3分の1ずつ書いて、みんなで直したそうです。アイヴァン・ライトマン(マッティ・シモンズと共同製作)が『明日に向って撃て!』の脚本を渡して、三人に脚本はこんな風に書くんだと教えました。オークションで若い俳優を集めたほか、ベルーシとサザーランドの出演が決って製作の目途が立ちました。音楽はなんと巨匠エルマー・バーンスタイン。キャスティングはマイケル・チンチ、撮影チャールズ・コレル。
 ときは1962年、フェイバー大学(撮影はオレゴン大学)の学生会に入会しようとする“チビ”のラリー(『アマデウス』でモーツァルトを演じたトーマス・ハルス)と“デブ”のケント(スティーヴン・ファースト)が狂言回しとなります。
 最初、新入生の二人は学生友愛会オメガに行きますが、お高くとまった学生の集団に居心地の悪さを感じます。ケヴィン・ベーコンもオメガの会員チップ役で出演。グレッグ(ジェームズ・ドートン)のガールフレンドのマンディ(メアリー・ルイーズ・ウェラー)やバブス(「プレイ・メイト」のマーサ・スミス)が女性会員。二人が次に訪れたのが評判も最悪・最低の学生友愛会デルタ。最初から、いたぶられ放しの二人でしたが、無軌道さと放縦さに感激して入会してしまいます。ブルートからラリーはpinto(まだら馬)、ケントはflounder(ヒラメ)というあだ名を貰います。会長はフーバー(ジェイムス・ウィドーズ)、会員はオッター(ティム・マティソン)、ケィティ(カレン・アレン)から早目の脱退を勧告されているブーン(ピーター・リガート)などなど。
 ウォーマー学長(ジョン・ヴァーノン。キャラクターのモデルはニクソン大統領)は鼻つまみのデルタをつぶそうとオメガのリーダー、グレッグとダグラス・ニーダーマイヤー(マーク・メトカーフ)に取り潰し作戦を命じます。ナチスの軍人然としたニーダーマイヤーは予備役訓練でケントの服装の欠陥をつき、厩舎清掃を命じます。デルタのオッターとブーンは離れた場所からゴルフボールを打ち込んでニーダーマイヤーの馬を暴走させ、本人をも落馬させて鞭打ちに処します。
 ラリーやブーン、ケィティたちは、ミルトンの『失楽園』を講義しながらも「ミルトンは退屈だ。仕事で仕方ないから講義している」と言う教授ジェニングス(ドナルド・サザーランド)の家でマリファナを体験。気分がハイになった学生は1963年の大ヒット曲、『ヘイ・ポーラ』を歌います。
 ケントに智恵をつけて馬を学長室に引き込み、復讐させるブルート(ジョン・ベルーシ)とディ・デイ(ブルース・マックギル)。ケントに渡したのは空砲だったのに、銃の音で馬は心臓麻痺で死亡。三人は逃げ出します。
 ブルートはランディス監督によれば、マルクス兄弟のハーポとクッキー・モンスターを合体したキャラクター。食堂で食べ物を怪食するベルーシ。アペリ・ティフの食物を一口で食べるわ、マッシュポテトを含んでこぶしで叩きだすわ、オメガ対デルタの大騒動になります。
 夜の駐車場の運転席でグレッグの“もの”を必死に揉むマンディ。グレッグは婚前交渉が禁じられている。
 帰宅したマンディら女性寮の部屋をハシゴをかけてのぞくブルート。マンディの裸にのぼせてハシゴごと倒れてしまいます。
 ゴミ捨て場で、ニセの試験問題の原紙をつかまされてデルタ生は全員心理学が0点。学長に最後通告をつきつけられ、トーガ・パーティ(ローマ式の浴衣を着て参加するパーティ)を開くことにします。ラリーはスーパーの女店員をナンパ、これがデパスト市長(チェザーレ・ダノーバ)の娘クロレット(サラ・ホルコム)。オッターがキュウリを手にとって誘った相手はなんと学長夫人(ヴェルナ・ブルーム)。
 トーガ・パーティは歌と踊り、そしてお気にいりの相手とのセックスで盛り上がります。ラリーは途中で酔いつぶれて寝てしまったクロレットを前に善悪ニ神の声に迷い、結局買物カゴに乗せて自宅へ送り届けます。市長から学長への激しい抗議の電話。
 学内の懲罰委員会が開かれます。学生が判事、原告、被告、弁護役に分かれてディベート。フーバーは告発を受けて演説を始めますが、判事役グレッグの中止命令と傍聴人のデルタの咳払い攻撃に言葉を失ったところで、オッターが立ち上がり、我々はアメリカのソサイエテイそのものだ、我々を否定することはアメリカを否定することだと演説、デルタの面々は国歌を歌いながら退席。デルタは解散を命じられ、部室は撤去されます。
 デルタの面々はケントが兄から借りた車に乗り込み、エミリー・ディキンソン大学というお嬢様大学にナンパに出かけます。オッターが新聞に死亡記事が出ていた女子大生フォン・リボヴィッツの婚約者と偽り、同居人の同情をかって、他のみんなのデート相手も釣り上げるという手段(脚本のミラーの友人の実話を基にしている挿話)。途中までは順調に進んだのですが、みんなで立ち寄ったバーが黒人専用、トーガ・パーティのゲスト、オーティス・ディ(ドウェイン・ジェシー)が『シャマラマ、ディン・ドン』を歌っていますが、険悪な雰囲気。途中でデートを中止し、逃げ帰ります。
 兄から借りた車が凸凹になり嘆くケント。ブルートが額で缶をつぶしたり、ビンを割ったりして慰めますが効果なし(実際の撮影ではケント役のファーストが笑ってしまいNGを連発)。オッターはもっと壊して保険で新車を買えと提案します。
 オッターはマンディからデートの誘いを受けますが待ち伏せていたオメガの連中に殴られます。一方、試験の出来の悪さで、ついに学長から退学処分を宣告される会員の面々。さすがに気落ちする会員たち。7年も留年しているブルートは意気軒昂に復讐を宣言、殴られたオッターも同調して、みんなで復讐計画が練られます。夜、クロレットを誘うラリー。「初めて」だと告白するラリーに、クロレットも「実は13歳なの」と告げる。
 学園祭のパレードに、ケーキ型山車で突っ込んで、撹乱しようというデルタの計画は見事に図に当り、パレード(エキストラ800人!撮影に9日間)は大混乱。最後にメンバー各自のその後がクレジットされます。ラリーはランプーンの脚本家、フーバーは弁護士、オッターは産婦人科医、ニーダーマイヤーはベトナム戦争で味方に撃たれたなどなど。ブルートはなんと上院議員!
 社長試写でタネン会長は「面白くない」と酷評するも、一般試写で観客は大爆笑。公開後ベルーシ人気はさらに高まり、バラエティ誌の評価は1位でした。本作は、アメリカの「永久保存映画」に指定されたそうです。
 DVD特典の「デルタ会員たちのその後」も卒業生の現在をランディス監督が取材というドキュメンタリーを装った作品で、つまり、冗談です。“現在”では、ブルートが大統領になっている由。

    映画川柳「マネキンが 足元に落ち 歓迎に」 飛蜘
2010年2月5日


DVD
勝利の朝


Radio Pictures
USA
1933年
74分
 キャサリン・ヘップバーンが最初のアカデミー主演女優賞を受賞した作品。とはいえ、映画的な作品ではありません。限定された場、セリフの多さからもとは舞台劇ではないかと推測します。監督ローウェル・シャーマンも舞台演出の大立者だそうですし。原題はMorning Glory。原作ゾー・エイキンズ、脚本ハワード・J・グリーン、撮影バート・グレノン。『女優志願』はこの作品のリメイク。
 田舎から出て来た若い女性エバ(キャサリン・ヘップバーン)は女優志願。プロデューサーの中年イーストン(アドルフ・マンジュー)の事務所に乗り込んで来たが、突然、舞台の役がもらえるはずもない。脇役候補で呼ばれていた老ロバート・ヘッジス(C・オーブリー・スミス)のイギリス英語に聞きほれ、個人教授で特訓して欲しいと頼む。お金がないから出世払いでと。端役からいまやスターになりかけているリタ(メアリー・ダンカン)や酒癖の悪い女優ホールが役を貰うが、駆け出しのエバは注目されない。どうにか若手の脚本家シェリダン(ダグラス・フェアバンクスJr)が彼女の積極性に注目して端役に使ってくれることになる。
 リタ主演の「ブルー・スカイ」は順調に公開された。しかし、エバは雨のレストランでコーヒーを飲んでいる。端役で失敗してしまったようだ。ロバートがリタのレセプションに彼女を誘う。有名人が集まるレセプションで奢られたシャンペンにすっかり酔ってしまい、エバは私は世界一の女優と、『ハムレット』の「生か死か」の独白や『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーンを独演する。酔いつぶれて寝てしまったエバをイーストンが別室へ連れて行ってくれた。
 翌日、イーストンがシェリダンに昨夜、女と間違いを犯してしまった、自分は仕事に出るから別れの手紙を渡してくれと依頼、その相手がエバと聞いてシェリダンはショックを受ける。彼女に惚れていたからだ。部屋から出て来たエバは半分夢見心地だ。シェリダンは手紙を渡しそこなう。大役など貰えず、場末のヴォードヴィルの端役をつとめているエバ。
 リタ主演の『金の枝』の幕開きが近い。エバは急にイーストンに成功報酬を要求、それが聞き入れられなければ役を降りると言い始める。怒ったイーストンはシェリダンの示す代役に賭けることにする。代役は『金の枝』のドイツ語の原作『ミステル』を読んでいたエバ。端役の予定だったエバにその場で台本を渡す。舞台場面は無く(これが驚きだが)、成功して拍手喝采を受けるエバのカーテン・コール。
 控え室でプロデューサのイーストンへの想いを口にするエバ。しかし、イーストンは自分は女優と結婚する立場ではないと断る。脚本家のシェリダンが彼女への愛情を告白する。しかし、今度は彼女のほうで愛の言葉を拒否した。
 エバは栄光は夜明けの花のようなもの、すぐにしぼんでしまうのが常だとロバートに忠告される。現に彼女の付き人をしている中年女性がかつて栄光に輝いたネリーだ、と。
 それでも、エバはネリーに宣言する。「たとえ夜明けの輝きで終ってもいい」、この女優という仕事に賭けるわと。
 ヘップバーンのセリフが異様に多い。ほとんど独演である。

    映画川柳「住所はと 聞かれて引越した ばかりだと」 飛蜘
2010年1月26日


DVD


2014年6月2日


NHK/BSプレミアム
21:00〜
THIS IS IT


USA
コロンビア
2009年
111分
 マイケル・ジャクソンが2009年7月に予定していたロンドン公演のためのリハーサルを記録した作品。リハーサルとはいえ本番さながらの演奏をするので、かえって興味深く見ることができます。
 このドキュメント映画は、日本の劇場では昨年11月に公開されており、400万人余が見たそうです。佐々木昭一郎さんもお薦めの映画。DVDは1月26日0時に発売されたばかり。監督ケニー・オルテガ、振付トラヴィス・ペイン、音楽監督マイケル・ベアデン、撮影ケヴィン・メイザー、美術マイケル・コットン。
 ロンドン公演は80万枚のチケットが完売していましたが、マイケルの死によって消えた幻のステージです。1月27日23:00〜「SONGS」(30分)は、『THIS IS IT』のコマーシャル・フィルムのような番組でした。「生活ほっと・もーにんぐ“マイケル・ジャクソン ブームの秘密に迫る”」(1月28日)では、鈴木松美(日本音響研究所)の分析で、マイケルの声には「ゆらぎ」があり(ビブラートのことである)、ひと声に七色の音があるとされていました。マイケルの死後、「ヒール・ザ・ワールド(世界に癒しを)」のメッセージや、リハーサルで女性ギタリストに「ここは君がいちばん輝くところだ」と声をかけるマイケルに感動したという ファンの声が紹介されていました。子供や弱い生き物に対する愛と優しさを訴えるシンプルなメッセージは、ジョン・レノンとも共通するものです。
 マイケルが自分の声をイアホン・モニターで聞くと、バックの音が聞えないので音が取れない、小さいときから自分の耳で聞くように訓練されていたからと言うのが、面白い。そこで彼はモニターからの音を小さくしてもらうのでした。
 最初の『スリラー』の演出を手がけたのはジョン・ランディスで、1951年生まれ。日本での評価は低いが、私が押井守さんとともに同世代感覚を感じる監督です。

    映画川柳「幼時から 舞台の音は 耳で聞く」 飛蜘
2010年1月20日


DVD
ディープ・ブルー


BBC
2003年
91分
 海の生物の生態をほとんど解説なしに描くドキュメンタリー。BBCのスタッフの根気強い撮影が見どころですが、見せ場は編集にかなり依存していました。その分、作り物感が強くなってしまいます。ディープ・ブルーといっても深海の話ではありません。海を取り巻く生き物の世界を深く研究してみるとという意味のディープです。
 シャチがコクジラの子を襲撃して仕留めた後で、下顎と舌しか食べないというのは、驚きでした。あんなに何時間も追跡と攻撃にかけたのに。
 『崖の上のポニョ』の最初に、海中のクラゲやプランクトンの豊穣さが描かれるところがありましたが、それが実際に撮影されているのが印象に残ります。

    映画川柳「猛吹雪 じっとこらえる ペンギンら」 飛蜘  
2010年1月19日


DVD
ゼロ時間の謎



2007年
108分
 原作はアガサ・クリスティーの『ゼロ時間へ』。脚本のフランソワ・カヴィグリオリ、監督のパスカル・トマ、音楽のラインハルト・ワグナーは『アガサ・クリスティーの奥さまは名探偵』のスタッフ。ちなみに『奥さまは名探偵』の原作は『親指のうずき』で、英国のマクイーワンのマープル・シリーズでは、グレタ・スカッキがタペンスを演じた『親指のうずき』は、私には大傑作でした。
 冒頭、ウソの証言で苦しんだ男(エルベ・ピエール)が断崖から身を投げるが、崖の陰で抱き合っていたアベックが気が付いて助けてしまう。看護士は男に「生きていれば誰かの役には立っているのよ」と諭す。この男が、最後に重要な証言をする。
 一方、警察官バタイユ(フランソワ・モレル)の娘シルヴィアは寄宿制の学校で起こった盗難事件で教師に疑われていると感じて、自分の犯行ですと無実の罪を告白してしまう。父親は娘を慰めようとバカンスに誘う。この父親が殺人事件を捜査することになる警視。
 海辺の豪華な邸宅に住む叔母(ダニエル・ダリュー)は甥のギョーム(メルヴィル・プポー)を招くが、ギョームは後妻キャロライン(ローラ・スメット)だけでなく、前妻オード(キアラ・マストロヤンニ)も招待する。叔母の介護士マリー(アレッサンドラ・マルティネス)の友人トマ(トーマス・ランダウ)も招かれる。叔母の友人で、もと判事(ジャック・セレィズ)が心臓発作を装って殺害され、叔母も殴られて殺害される。いったい犯人は誰だろうか。バカンスに来たバタイユ警視は甥のレカ(ヴァニア・プレミアニコフ)と一緒にこの殺人事件の捜査を進める。
 後妻の蓮っぱなキャロラインの行動が演技過剰な点や、その愛人フレッド(ザビエル・シアム)が添え物に過ぎない点、マリーの傷ついた過去が思わせぶりなだけで、はっきりしない点には、納得がいきませんが、ミステリー映画としてはまずまずといえましょう。

       映画川柳「不審なり 多すぎるのだ 証拠品」 飛蜘

【参考書】クリスティー『ゼロ時間へ』(早川文庫)を読むと、ほとんど原作どおりの脚色でした。原作に無いのは執事と女中の性的関係、マリーの不可思議な過去くらい。原作ではオードと証言者は結婚します。フランスのスタッフが、名探偵のキャスティングに観客の関心が行ってしまうポアロやマープルものに手を出さなかったのは賢明だと思います。
 マックイーワンのグラナダTVの『ミス・マープル』では『ゼロ時間へ』がTV化されていて、BS2で3月に放送されます。





2010年1月18日以降に見た 日 本 映 画 (邦画)

見た日と場所 作  品        感    想     (池田博明)
2010年2月20日


CS
ジェネラル・ルージュの凱旋


TBS
東宝
2009年
123分
  『チーム・バチスタの栄光』に次ぐ、不定愁訴外来の田口医師と厚生労働省の白鳥技官コンビの医療サスペンス第二弾。原作は医師の海堂尊、監督・脚本は中村義洋(共同脚本は斎藤ひろし)。
 田口医師(竹内結子)はバチスタ事件の功績により、倫理委員会の委員長に祭り上げられているものの、自分でもその任にあらずと思っていて居心地が悪い。ある日、田口のもとに「救急救命センターの速水晃一は医療メーカーのメディカルアートと癒着している。心臓カテーテルの使用頻度を調べればわかる。花房看護師長は共犯だ」という手書きの告発文が送られてくる。調査が成功に終ったら委員長を辞めるという約束で高階院長(國村隼)の調査依頼を受ける田口だったが、何をしていいのやら分からない。救命室を見学にいって若い看護士(貫地谷しほり)から教わる有様だ。副センター長の佐藤医師(山本太郎)は速水に批判的。速水(堺雅人)がメデイカル・アートの営業マン磯部(正名僕蔵)から何かを渡される場面も目撃する。(後で渡されたものが明らかになります)
 中庭で磯部が田口にも品物を渡そうとするので遠慮する田口。しかし、渡されたのはソフトボールの試合のスナップ写真を収録したCDだった。その直後、磯部は屋上のヘリポートから落下して死亡しているのが発見された。自殺か他殺か、はっきりしない。最期に会っていた田口は警察に取り調べられ、病院職員は田口の噂でもちきりになる。しかし、犯罪などあるわけがなく、すぐに帰されて噂も消える。
 極秘調査だが、速水にも聞くほかはない。不定愁訴外来を訪れる速水、話を聞く田口に悪寒が走った。白鳥(阿部寛)がなんと救急救命センターに運ばれて来たのである。途中でバイクのひき逃げ事故に遭ったという。白鳥のもとにもワープロの告発文が送られており、調査に来る途中のこと、これは調査を妨害する罠だと意気巻いている(後でまったくの勘違いと分かるが)。白鳥は田口医師の調査に協力するものの、田口を無能と判断しているため、独自の聞き込み。たちまち極秘なはずの捜査は表に出てしまい、倫理委員会の副委員長で精神科部長・沼田(高嶋政伸)は公聴会の開催を決定する。田口医師は委員長だが剣幕に押されて押しきられる。
 告発文の筆跡の逡巡痕から白鳥は手書きの告発文を書いたのは花房看護師長(羽田美智子)と推理。外来受付の藤原(野際陽子)も既に同じ結論だった。藤原は花房に経緯を聞く。白鳥と田口も途中から参加。ふと、田口はコンピュータに入れっぱなしだった磯部のCDに隠された情報に気付く。
 公聴会は速水を糾弾する沼田のペースで進む。金食い虫の救命救急を快く思わない三船事務長(尾美としのり)やウィーンから帰ったばかりの(『女心の歌』を口ずさみながら登場する)第一外科の森崎部長(平泉成)らも同調する。速水は、メディカル・アートからの個人的な饗応はいっさい受けていない、救急救命センター部長に就任したときの約束が果たされておらず、医師も不足、金も無い、そのためセンターの救命措置に必要な消耗品に当てていると主張。証拠が無いだろうとつめよられたとき、花房看護師長が領収書ファイルを提示する。速水は常に携えていた退職願を提出、佐藤医師が退職したからといって措置免除はおかしいと発言、沼田や三船が速水と花房の懲戒解雇を通知。そのとき白鳥が、沼田さん、三船さん、あなたにそんなことを言う資格は無いと断定。その証拠を突きつける。それは白鳥に送られた告発文と磯部のCDに収録されていた音だった。謎解きはここには書きません。
 さらに物語は大きく展開する。会議の最中に近くの工場で爆発事故があり、ショッピングセンターが巻き添えをくって火災、多くの犠牲者が病院に運びこまれることになったのだ。
 速水は断らずに患者を受け入れろと厳命、佐藤医師に患者仕分けの全権を委任する。白鳥が手配したドクター・ヘリもやって来た。戦場と化す病院。誰も彼もが必死に患者の救命に当る。ジェネラル・ルージュの由来も明らかになる。
 数日後、辞職するという速水に高階院長と田口医師が話をしている。田口は速水に個人的な利益は受けていないと主張するが、と伝票を示し、「チュッパチャップス 720円」は個人的饗応に当ると指摘。三年間で二万なにがしかの飴代、その背任の責任分として三年間は北海道の病院のセンター長として勤務して欲しいと告げる。笑う速水。
 病院を去り、新任地に赴く速水は花房も辞めることに気付く。「寒いところは嫌いなんだ」と花房の手を取って一緒に来てくれと頼むのだった。ドクター・ヘリも利用できることになった。最初のヘリで運ばれて来たのは、登山中に軽傷を負った白鳥だった。田口に悪寒が走った。

    映画川柳「悪寒あり 噂の役人 やって来た」 飛蜘

 いつも自信なさそうな竹内結子がとてもいい。救急救命医療の不備を告発する内容にもなっています。『トリック』風の自信たっぷりの捜査官・阿部寛も可笑しい。堺雅人は『クライマーズ・ハイ』『アフタースクール』で2008年度キネマ旬報助演男優賞受賞、『南極料理人』『クヒオ大佐』で2009年度ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞。自己主張が強くて自分の節を曲げないために、病院じゅうから嫌われているが、腕は確かで自分の利益はいっさい考えていないという医師を演じている。本作はキネマ旬報のベストテンでは金澤誠しか投票していないが読者の映画評では17位と健闘、一般の映画評では好評。
2010年2月18日


ビデオ
座頭市と用心棒


大映
1972年
115分

(ビデオは東宝配給)
 勝プロダクション製作、三船プロと提携して撮った大型時代劇。撮影・宮川一夫、監督は東宝の岡本喜八。脚本も岡本喜八が書いています(吉田哲郎と共同)。大映のスタッフと東宝のスタッフは、かなりギクシャクした関係だったといいます。

 どしゃぶりの雨で始まり、強風で終ります。
 死体から金品を剥ぎ取るような時代、市はかつての梅の匂い・せせらぎ・そよかぜの里へやって来ます。しかし、むかしの面影は無く、里は変わっていました。小仏の政五郎(米倉斉加年)が采配を取っています。湯屋で出会った按摩(砂塚秀夫)との帰り道、市は襲撃され、市の百両首を狙うと公言する用心棒(三船敏郎)に酒を誘われて、居酒屋で自分の手を引いてくれた娘・梅乃(若尾文子)に再会します。
 按摩殺しの疑いをかけられた市は目明し(草野大悟)に捕えられ、牢では小仏の手下、ヨゴ(寺田農)に出会います。差し入れられた毒飯に当ったふりをして脱獄しようとしますが、既に市には釈放命令が出ていました。村一番の大商人・生糸問屋の烏帽子屋(滝沢修)が手を回したのでした。市は烏帽子屋に礼を言います。小仏の政五郎は実は烏帽子屋の十年前に勘当した息子でした。烏帽子屋にはもう一人、江戸で金座の婿養子になった三右衛門(細川俊之)がいました。政五郎は父親に金の延べ棒の隠し場所を尋ねるものの、烏帽子屋はそんなものはないと突っぱねます。
 昔、村のたばねだった兵六(嵐寛寿郎)は今は石の地蔵を彫っていました。兵六は市を懐かしみ、三年前の旱魃による飢饉で食糧難になり比較的豊かなこの里に人々が押し寄せて来たため、やくざを入れたのが間違いの元、百三十人もの村人が犠牲になったと話します。
 梅乃は烏帽子屋への200両の借金があり、身体を売るようになっていましたが、酔いどれの用心棒は梅乃に惚れて酒屋へ通っていました。政五郎に雇われているのですが、座頭市と意気統合してしまいます。
 江戸の三右衛門が飛び道具を使う九頭竜(岸田森)という殺し屋を送ってきました。九頭竜が里に着いたころ、烏帽子屋が火事になります。幕府に追われて三右衛門が里へ逃げて来ます。ちょうど到着した八州見廻り(神山繁)は烏帽子屋と共謀して金を誤魔化していました。八州たちは村を出しなに九頭竜に殺されます。用心棒は座頭市と組んで金を探します。用心棒と九頭竜は共に公儀隠密。市は『用心棒』同様、やくざ同士の喧嘩で両方とも滅んでしまえばいいと思っています。

    映画川柳「徳利を 落として高さを 測る市」 飛蜘

 エンターティンメントとして評価が高いのですが、三船敏郎の酒ばかり飲んでいる酔いどれ演技がやくざの用心棒らしくないし、火事だの斬りあいだのと活劇場面も豊富に盛り込まれていますが、クライマックスが多すぎて逆に盛り上がりを欠きます。其の他大勢の人々がただ右往左往するのも見苦しい。せっかくの若尾文子もあまりにもしっかりしすぎていて、感情の変化に乏しい。用心棒の市への対応や性格づけも不可解で、散漫なストーリーでした。『用心棒』を先に見てから、見れば納得できるのでしょうが、それでは作品として自律していないことになるでしょうし。「座頭市」で「用心棒」に出会えて嬉しいという観客心理も分かりますが、三船敏郎や仲代達矢のオーバーな演技にあまり感心しない私にはツライものがあります。もっとも、そんなことでは「時代劇なんか見るな」と言われそうです。
 橋本忍が書いた脚本を岡本が一蹴。きちんと絵コンテを作る岡本にキャメラマンの発想を大事にする宮川が反発。岡本が激怒して勝が仲裁に入ります。結局、宮川が折れて岡本のコンテ通りに撮ることになる。録音技師の林土太郎は三船と勝が共演する場面の音採りに苦労します。『天才 勝新太郎』には三船はロレツの回らない状態と書いてあるものの、林の書いた本には本番では非常に良い滑舌とあり、違いがあります。いずれにせよ、三船の声に合わせて同時録音して勝のセリフはアフレコで入れました。 
2010年2月17日 藤田まこと 2月17日、藤田まこと逝去、76歳。大動脈からの出血による。「てなもんや三度笠」以来のファンだったのに、残念です。勝プロ製作の「夫婦旅日記」も見せます。
2010年2月20日


DVD
呪怨


東映
1999年
70分
 ビデオオリジナル版、脚本・監督は清水崇、撮影は木次信仁。
 「俊雄」の章。小学校の教師・小林俊介(柳ユーレイ)は臨月の妻・真奈美(優恵)と一緒に暮らしていた。登校して来ない子供、俊雄の家に家庭訪問に行く。俊雄は風呂場にいた。虐待されたらしく、手足にすり傷がある。母親は不在だった。小林は少し待ってみることにする。
 「由紀」の章。中学生の柑奈(三輪明日美)の勉強を見ている大学生の由紀(三輪ひとみ)。買物に出た母(吉行由美)、兎の飼育当番のことを思い出して出かける柑菜、何時の間にか出かけた兄・強志(安藤一志)、一人、由紀は家に残された。奇妙な音を耳にして二階の押し入れから屋根裏部屋をのぞくと、なにものかによって部屋に引き込まれてしまう。
 「瑞穂」の章。強志のガールフレンド・瑞穂(栗山千明)は、自転車を置いたまま強志が学校からいなくなったので探している。下校時刻を過ぎていたので、女教師(洞口依子)に注意され、職員室で待たされている間、照明が消えたり、なにかに腕をつかまれたりする。俊雄に会って・・・・暗転。
 「柑菜」の章。鑑識医と刑事たち(でんでん、諏訪太郎、芹沢礼多)の前のバラバラ死体(柑菜と一緒のうさぎ飼育当番の少女らしい)と別の人間の顎。村上家では母親が帰宅し、次いで娘が帰宅したようだ。血まみれで帰ってきた娘が母親の方を振り返ると、娘には顎が無い!母親は驚愕(この後、殺されたらしい)。
 「伽椰子」の章。小林先生は俊雄が描くネコの絵を見る(俊雄が可愛がっていたネコらしい)。小林は伽椰子の部屋で、伽椰子の日記を見つけて読む。そこには大学時代の同級生・川又伽椰子の小林に対する一方的な想いの気持が綴られていた。その後、小林は天井裏で伽椰子の死体を発見。あわてて俊雄を抱えて家から出ようとしたとき、電話が鳴る。佐伯剛雄(松山鷹志)からだった。佐伯は俊雄は小林の子だと思い込んでいる様子で、小林の赤ん坊は女の子だったと話す。驚く小林は腰を抜かす。電話ボックスの佐伯は血まみれだ。そして、小林の目の前に二階からはいずって来る伽椰子(藤貴子)が見える。彼女も血まみれだ。そして伽椰子は小林に噛みついたのか?!
 「響子」の章。不動産業の兄(芦川誠)から依頼されて家を見に行った響子(大家由祐子)は「村上」の表札のある家の二階で前任者だけが死んでいるのではない。もっと強い死の力を感じる。清酒を兄に渡して、購買意欲を示した客に飲ませて異味を感じるような客には売るなと厳命したにもかかわらず、ほどなく家は売れたという。心配になった響子が家を見ると、若い夫婦ものが住んでいた。家のなかの女を見て響子はギョッとなる。続篇に続くってことのようです。劇場版1の方が怖かった。もっともビデオ版のほうが先ですが。
 
   映画川柳「呪いびと 想いは文字に あふれ出て」 飛蜘
2010年2月17日



CS
東映チャンネル
呪怨2


オズ
「呪怨2」製作委員会
2003年
91分
 同じ清水崇脚本・監督なのに、どうしてこれほど1作目と違うのかと思えるほど、凡庸な出来でした。もったいぶった描写と展開の遅さ、切れの悪いカメラワークと編集、伏線があっけなく分かってしまう展開、『リング』の二番せんじのゾンビの出現など、興味をそぐばかり。
 走る車のなか、運転する将志(斎藤歩)と女優の京子(酒井法子)。ネコを轢いた直後にハンドルを俊雄(尾関優哉)にとられて、事故を起こしてしまう。
 「京子」の章。事故で流産してしまった京子と意識不明の将志。京子の母(水木薫)、将志の妹・薫(結城しのぶ)、父親(影山英俊。日活ロマンポルノで活躍。懐かしい)が病室に駈けつけた。薫は京子の赤児の喪失を悲しむ。
 京子はホラー・クィーンとして仕事をしていた。殺人事件のあった呪いの家を取材する心霊特番が企画され、その取材だった。医師は流産したはずの胎児が順調に育っていると告げる。コタツで眠っていた京子の母は、いつのまにか死んでいた。
 「朋香」の章。レポーターの朋香は特番のロケが終った夜、自室で典孝(堀江慶)が首を吊っているのを発見。自分も髪の毛に吊り上げられてしまった。
 「恵」の章。心霊特番でメイク担当の恵(山本恵美)。特番の取材中に変な音が京子のマイクに入った。惠は休憩時に京子も安産のお守りを上げる。惠は深夜のスタジオのメイク室のシミから出現した加椰子を目にする。恵は失踪する。
 「圭介」の章。特番のディレクター・圭介(葛山信吾)は京子にスタッフの失踪や変死を伝える。実家の門前で家に入る惠を目撃。惠の霊は伽椰子の日記を置いていった。
 「千春」の章。悪夢を見る女子高生の千春(市川由衣 )。友人の宏美(黒石えりか)に誘われ、映画のエキストラに出演。京子の腹をさする俊雄を見て、叫び声を上げてしまう。急に家に閉じこめられ、宏美に助けを求める。公園で意識を失う千春を見る千春がいた。
 「伽椰子」の章。圭介は呪いの家で逃げる宏美を目撃。家の中で倒れている京子を発見。京子は産気づいていた。分娩に立ち会った医者や看護士達が倒れている。赤ん坊のパワーあり過ぎで笑止千番でした。圭介は京子から産まれた伽椰子を見る。京子は泣き声をたてる赤子を抱いた。
 数年後、歩道橋の上で少年(松川尚瑠輝)は少女の手を引く京子を見る。少女は京子を突き落とした。死んでいく京子を見捨てて去る少女。

    映画川柳「転生を 賭けて赤児の エイリアン」 飛蜘

 ハリウッドで清水監督でリメイクしたというが、これでは・・・・リメイク版を見る気が失せた。
2010年2月17日



CS
東映チャンネル
呪怨

オズ
「呪怨」製作委員会
2003年
92分
 Vシネマで1999年にリリースされ話題になった映画の劇場版。家に憑いた呪いが関係者を死に至らしめる。清水崇脚本・監督、撮影は喜久村徳章。監修は高橋洋と黒沢清。
 『リング』と同様に、かなり怖い。呪いにとり憑かれると、初めに行方不明の子供が見え、やがて惨殺された女が見えてくるという設定である。
 「理佳」の章。福祉事務所でアルバイトの理佳(奥菜惠)は臨時に徳永家のヘルパーを頼まれる。訪ねてみると老婆・幸枝(磯村千花子)が寝たきりだった。二階で猫や俊雄(尾関優哉)という男児を見て、理佳は気を失う。
 「勝也」の章。幸惠と同居していたのは勝也(津田寛治)と和恵(松田珠里)の夫婦だったが、ある日、和恵は二階で何かを見て恐怖で失神、帰宅した勝也は男児を見て混乱、恐怖で息を引き取る妻に茫然自失、訪ねて来た妹の仁美(伊藤美咲)を追い返す。
 「仁美」の章。勝也の妹・仁美は会社の女子トイレで何かに出会い、警備員その影に飲み込まれてしまう。自宅マンションに来たはずの勝也が居ない。そしてベッドの中に子供が・・・
 「遠山」の章。福祉事務所職員が徳永家に来て気を失った理佳を発見。警察(井上博一、本田大輔)が天井裏で勝也夫妻の死体を発見する。佐伯剛雄(松山鷹志)が妻・伽椰子(藤貴子)を殺害し自分も死んだ心中事件以後、この家では変死する人が相次いでいるという。刑事は佐伯事件を担当後、辞職した遠山(田中要次)に概要を聞こうとするが遠山はあまり話さず行方不明になってしまう。
 「いづみ」の章。ついさっき少女だった遠山の娘・いづみ(上原美佐)は高校生になっている。友達三人とお化け屋敷に潜入したいずみは一人先に帰っていた。彼女は帰るとき玄関近くでなぜか父親を見かけた。父親の遠山は灯油を部屋にまいて火をつけようとしていたのだ。二階の部屋から三人の女子高校生の嬌声が聞えて・・・・。
 修学旅行の写真が廊下に貼ってある。希望者は注文するのだ。いづみの写真が一枚も無いと、友達の千春(市川由衣)やみゆきは先生に抗議する。先生はネガを調べて焼いてくれることを約束。いづみは帰宅して部屋に閉じこもってしまう。写真を自宅に届けようとした千春たちは、いずみにお化け屋敷のことを聞かされる。千春がいづみに渡しそこなった写真を見ると行方不明になった三人といずみの写真の目はみな黒ずんでいた。写真を放り投げて逃げる千春。居間では友人三人の霊に追われ、逃げたいずみが仏壇に引き込まれていた。
 「伽椰子」の章。理佳を案じる妹の真理子(栗田かよこ)が、家庭訪問先の登校拒否児童の家から電話してくる。ただならぬ気配を感じた理佳はあの家だと直感する。一方、真理子は急に俊雄の姿が消えたのを不審に思っていた。理佳が駆けつけ、屋根裏部屋に上ると、真理子の断末魔の声。階段下で座り込んでしまう理佳の前に、這い降りてきたのはイモ虫のような体に変身した伽椰子だった。暗転。
 早朝の住宅街。どこか荒涼とした風景に見える。

    映画川柳「ゆきずりを 襲うだれかれ かまわずに」 飛蜘

 霊の目的は屋敷のなかで暮らすことで、自分の正体を知られたくない、そこで、正体を見たり感づいたりしたものは呪い殺してしまうということでしょうか。
2010年2月17日


DVD
燃えつきた地図



大映
1968年
115分
(公式には、118分だが、115分しかない)
 勅使河原宏監督、安部公房原作・脚本、撮影は大映の上原明。勝新が勅使河原の演出を見てその方法を学んだという記念すべき作品。DVDの特典には、東京12チャンネルが製作した『われらの主役・勝新太郎』(勅使河原監督のドキュメンタリー。1976)が収録されており、このなかで勝新は演出について語っています。職人的な監督のようには撮れないが、テシさんのようなやり方なら俺にも撮れると思った、と。このとき、勝新はちょうどフジテレビ製作『新・座頭市/雪の別れ路』(ゲストは吉永小百合)を撮影中。脚本がほとんど無く、即興で芝居をつけていったそうです(春日太一『天才 勝新太郎』文春新書による)。
 さて、『燃えつきた地図』ですが、タイトルの日本語版のフィルムが残っておらず、英語タイトルでは「THE MAN WITHOUT A MAP」、つまり地図を持たない男。失踪者を探す興信所員が椿(勝新)ですが、途中で殺人事件に巻き込まれてクビになってしまい、道を失ったまま、捜索を続けます。地図を持たない男は失踪者や勝新だけではありません。失踪者の会社の社員・田代(渥美清)も、弟のやくざの組員(大川修)もいわばこれといった軸を持たずに、現代社会を漂流しています。 
 港湾労働者の騒擾事件に巻き込まれて組員の弟は死に、田代も自殺してしまいます。相手の喜ぶようなネタをつい作ってしまい、虚言癖一歩手前の社員を渥美清が演じていて、これは適役でした。
 失敗作という評価が多いのですが、もともと原作が不条理な物語だし、映画でも説明ショットが少ないため、話がわかりにくくなっているからでしょう。しかし、決して難解ではありません。
 この物語は失踪者を中心とするミステリーでは、ないのです。興信所の探偵を勝新が演じるという設定から、つい勝新探偵のミステリーを期待してしまった観客の予想を裏切ることで成立している作品だったのです。
 描かれるのは失踪者ではなく、その妻や義弟、会社の同僚、喫茶店の店主といった周囲の人々の裏の真の生活であり、それぞれがなんのつながりもなく暮らしている現代社会の孤立感覚だったのです。
 既に解雇されてしまった探偵は道路でひきつぶされてペシャンコになった犬(ネコ?)の死体に声をかけます。「名前なんてない。とうとう聞かずにしまったな。そのうち考えてやるさ。二度と忘れない、いい名前をな」と。この犬(ネコ?)は死んで行った人々や失踪した人々の象徴です。名前も知られずに消えた人々の。

    映画川柳「大都会 名前も姿も  他人ごと」 飛蜘

【参考資料】大江健三郎が新潮社の純文学書下ろし特別作品『燃えつきた地図』に寄せた推薦文より、
 “文化人類学者が、南太平洋に、人間とはなにか、社会とはなにか、を探りに行くように、安部公房の新しいヒーローは、今日の大都市の砂漠で、野外調査(フィールドワーク)する男である。砂漠での駱駝さながら、都市の砂漠では、自動車を頼りにして、行方不明者をもとめつつ、男はついに、かれ自身もうひとりの行方不明者たらざるをえないが、その瞬間からかれを充たす、新しい相貌の内なる「新生」の感覚は深く感動的である”
 安部公房『燃えつきた地図』(新潮文庫、単行本は1967年)と比べると、映画の物語はほぼ原作通りである。
 安部公房の劇『友達』をNHKテレビで見たのは高校生のとき。とても面白く、冒頭の歌もすぐ覚えてしまいました。確かこんな歌・・・

   夜の都会は   糸のちぎれた首飾り  
   あちらこちらにとびちって  迷いっ子  迷いっ子

 アパートの一室、男の家に見知らぬ人々が友達だと言ってやって来る。いつのまにか、友達に男の部屋も生活も乗っ取られてしまう。都会に住む男の孤独を逆手に取った物語。孤立を恐れず連帯を模索する志が感じられました。『燃えつきた地図』の底にも同じ感情が流れていると思います。高校の現代国語の教科書には『赤い繭』が載っていました。いまの教科書には安部公房の短篇は載っているのでしょうか。
2010年2月12日


日本映画専門チャンネル
14:00
幽霊列車


テレビ朝日
1977年
72分
 岡本喜八監督作品のテレビ朝日放送の土曜ワイド劇場の一篇。1978年1月14日初放送。赤川次郎の出世作をテレビドラマ化。放送当時も見ました。脚本は長野洋・岡本喜八。
 岡本監督はコンテをきちんと作る人だったので、映画『座頭市と用心棒』では監督の意図を汲み取って自分なりに撮影をする習慣のカメラマン、宮川一夫とトラブルを起こしている。『幽霊列車』の撮影者は木村大作。
 『幽霊列車』はキャスティングが勝負。探偵役の警部・田中邦衛と夕子・浅茅陽子よりも、事件の舞台となる小さな温泉村の人々が重要だった。駐在の巡査が今福正雄。駅長に信欣三、宿屋の主人に桑山正一、女中に大井小町、村長に内田朝雄、もと校長に天本英世、消防団長に山本麟一、村会議長に殿山泰司、弟の旅館主に小川真司、といった面々はまさにこのファンタジー的な犯罪を描くのにピッタリの人選だった。なにせ画面に出てきただけで、可笑しいのだから。俳句の会で犯罪を読みこんだ句を、夕子の前で披露したり競ったりしてしまうところも爆笑もの。

    映画川柳「死体遺棄 50円未満の科料に処す」 飛蜘

 その後、田中=浅茅の「幽霊」コンビは、森崎東監督でも赤川次郎『凍りついた太陽』をドラマ化した『幽霊海岸』(1978年10月21日放送)を撮っています。

【参考書】赤川次郎『幽霊列車』(文春文庫、1981)より第1話
 原作では消えた人数は八人、真相を宇野警部に話そうとした女中は殺されてしまう。俳句の会の面々のおかしな会話や刑法を見て罪状を確認する挿話は、脚本のお蔭。駐在さんの子供を活躍させたのも脚本の工夫だった。
2010年2月10日


ビデオ
怪盗ジゴマ 音楽篇

ワダフィルム
1987年
23分
 和田誠が作曲・絵・監督をした短篇アニメーション。脚本・作詞は寺山修司、動画を堀口忠彦、音楽を八木正生。歌は由紀さおり。

 娘さん、何を盗まれたの?
   歌を盗まれました。
   たったひとつ、素敵な歌を盗まれました。
 怪盗ジゴマは盗んだ歌の扱いに困ってしまっています。トランクの中に入れておくのですが、開くと歌が流れ出してしまうのです。ちょっと不気味な「心の歌」。

♪  呼ばないで 流れ行く雲を  
   呼ばないで さすらいの街を  
   ああ 呼ばないで あたしの名前を
   呼ばないで 悲しい酒場を
   呼ばないで 古いピアノを  
   ああ 呼ばないで あたしの名前を  
   呼ばないで 悲しい酒場を
   呼ばないで 古いピアノを   
   ああ 呼ばないで あたしの名前を
   いくら呼んでも振り向かない  
   あたしの心は 闇だから 闇だから ♪ 

 ジゴマは困って、歌の入ったトランクを捨てていきました。
 歌はまた娘さんのもとへ帰ってきました。

 和田誠の絵は名作『殺人(マーダー)』を連想させるもの。

【参考書】和田誠が報知新聞の日曜版に歌手の似顔絵と歌謡曲に関するエッセィをまとめた『日曜日は歌謡日』(講談社文庫、1986。もとの本は1976年発行)に「『恋文』と由紀さおり」という一文があって、この由紀さおりと本作の少女は、どこか似ているのであった。
 「Mystery映画館」というウェブ(作者不明)に詳しい紹介があった。一分を抜粋すると、
 “寺山修司が、,1963年、まだ天井桟敷を主宰する以前にほんの数回だけ舞台にかけたことのある戯曲を(そのときの作曲も和田誠だった)、広島国際アニメーション大会の特別上映作品として改めて自主制作、映像化したもの。
 コンペティション作品として参加する予定だったが動画・堀口忠彦の作業が大幅に遅れ、結局は間に合わなかった。
 音楽、セリフは全て先取りで、あとで映像を当てはめる、オールスポッティング、プレスコ方式。自主制作では完成度が低く、1年後に『快盗ルビイ』の併映作品として、一般公開もされることになったのを機に、作画は全面的に手直しされ、音もドルビー化が図られた。これによって本作は「完璧版」として流布することになった
 堀口忠彦は虫プロ出身で、『みんなのうた』を数多く手がけている。「ひげなしゴゲジャバル」(1974)、「へのへのもへじ」(1976)、「虫歯のこどもの誕生日」「ホロスコープ〜あなたの星座〜」(1978)、「展覧会で逢った女の子」(1980)、「コンピューターおばあちゃん」(1981)、「こだぬきポンポ」(1983)、「しあわせのうた」(1984)、「ふたりは80才」(1986)、「転校生は宇宙人」(1988)、「そわそわカレンダー」(1992)、「ぼくら まちボウズ!」(1998)、「むかしトイレがこわかった!」(2000)など。『まんが日本昔ばなし』に代表される。”
2010年2月10日


ビデオ
御用牙
鬼の半蔵やわ肌小判

東宝
勝プロ
1974年
84分
 脚本・増村保造、監督・井上芳夫。撮影・牧浦地志、美術・下石坂成典、音楽は桜井英雄、色彩設計・渡辺貢。シリーズ3作目にして最終作。3作中、この作品がもっともテンポよく、スピードのある演出です。
 鬼火(草野大吾)とムサシ(蟹江敬三)が、お堀端で夜釣り。そこへ、女の幽霊が現れ、二人は逃げ出します。話を聞いた半蔵(勝新太郎)は巨根の鍛錬中。鍛錬を終えてお堀端へ捜査に出かけます。半蔵が釣りを装うとさっそく現れた女幽霊。半蔵が捕らえようとすると、お堀に飛び込んで逃げる幽霊。それを追って半蔵もお堀に飛び込み、女を捕まえ、お堀の底に突き刺さった竹筒を発見します。
 半蔵の番屋に戻った一行。竹筒には鋳造したばかりの小判がギッシリ。幕府の御金蔵の小判を、何者かが持ち出すために竹筒に入れて外へ投げ出し、回収を妨げられないよう、女を幽霊にしたてていたと見破った半蔵。女(中島葵)を取り調べます。網つりにして下から巨根で突く責めに、たまらず自供を始める女。犯人は自分の亭主で、御金蔵の見張り役人であること。
 突然ぐったりする女。首に手裏剣が刺さっていました。女の亭主・加藤(戸浦六宏)とその一味が跡をつけて襲撃に来たのでした。しかし、半蔵の家には忍者屋敷のようなからくりが仕込んであります。たちまち盗賊一味は壊滅。役人たちは貧乏暮らしにあえいで横領を働いたのでした。御金蔵見張り役から半蔵は黒幕の名を聞き出そうとするのですが、突然現れた武士が役人を斬って姿を消します。その男の刀の鞘が赤いのが目に止まります。
 掘田備中守(名和宏)に呼び出された半蔵は褒美の金子50両を断ります。金に困った武士を斬った自分は武士の情けを知らぬ男、褒美を貰う資格など無いと。老中は最近の武士は贅沢が過ぎるのだ、金がなければ暮らしを切り詰めればよいと言い捨てて去ります。金子を老中に返すと表向きは言う大西に半蔵は自分が一両だけ取り、後は大西にやると言います。大喜びで懐に小判をしまう大西。
 外に出た老中の前にもと老中の侍医だった玄庵(高橋悦史)が飛び出し、西洋の技術を学ぶように薦める意見書を差し出しますが、相手にされません。召し取りを命じられた半蔵は玄庵から余命一月であること、西洋の大砲が優れたものであることを聞きます。材料を都合すると約束して半蔵は玄庵を匿い、大砲を設計させます。
 玄庵に途中で逃げられたと言い張る半蔵は、老中に詰問されて、「ひと月後に必ず玄庵を捕えます」と約束します。老中の駕籠の通る道そばには無職の侍が並んで、なんとか職にありつこうと名乗りを上げるのが日課です。備前兼光を差し出した侍には仕事が与えられます。半蔵の友人・武井平助は家宝の青江長門の槍を所望されますが、断わりました。ちょうど屋敷から出るところで、平助に声をかけた石山検校(小池朝雄)の用心棒・戸波万作(成田三樹夫)の赤鞘に、半蔵は目をとめます。
 貧乏な平助の家で酒をふるまわれた半蔵は平助が検校から借りたという小判が例の御金蔵から横流しされた物であることに気がつきます。
 鬼火たちが検校の勢力を調査。半蔵が検校屋敷に忍び込んでみると、検校は琴の稽古にやって来た女たちを若い僧に抱かせて性の饗宴を開く一方、高利貸しをして儲けていました。半蔵は老中・掘田の奥方・お由美(緑魔子)はじめ女たちの胸に梅模様の針印を押し、亭主にバラすと脅して自分への強力を約束させます。
 一方、その夜、平助のもとには金を返せと座頭の一味が取り立てに押し寄せていました。返す金がないなら槍を出せと言われて、怒った平助の前に、用心棒の戸波が現れます。腕に自信のない平助は戸波に斬られて、槍を奪われました。半蔵は捜査(改め)で平助の家の槍が無いのに気づきます。
 お由美(緑魔子)の寝所に忍び込んだ半蔵。検校が琴を奏でている最中に抱かれた彼女が嗚咽をもらすと、検校は曲のせいと勘違いして琴をかき鳴らします。
 そこへ帰宅した堀田と検校の会話を奥方の蒲団に潜んで聞いた半蔵は、全てを理解。検校は青江長門の槍を堀田に貢上、賄賂の謝礼として御金蔵の金を横流ししてもらい、貧乏武士に貸し出して大もうけする算段でした。
 その夜、半蔵は検校のもとへ竹槍を運び込み、用心棒たちを斬り捨てた後、検校に侍の借金証文の焼き捨てを約束させ、屋根の銅瓦を持ち去ります。
 玄庵に銅瓦を見せて、その後、全員で銅を溶かし、何日もかかって大砲を鋳造。
 ちょうど一ケ月、大西は掘田に半蔵は夜逃げしたようですと報告。不審顔の掘田の駕籠行列の前に待ち伏せていたのは玄庵と大砲でした。玄庵は大砲を撃ち、掘田のお供の者はその威力に怯えて逃げ去ります。半蔵は覚悟を決めた玄庵を一刀のもとに斬り、砲撃でやつれた掘田に報告するのでした。青江長門の槍を褒美にくれと取り返した半蔵。玄庵の死体と大砲を爆破します。
 名槍を旧友の墓前にささげる半蔵。そこへ歩み寄って来た検校の用心棒だった戸波、半蔵は得意の武器・鎖十手で応戦するも、武器を弾き飛ばされて絶体絶命。半蔵は、槍を手にとって反撃、突き返します。途中で斬られた槍を墓に投げ入れ、「平助、お前の槍が仇を取ったぞ」と土をかける半蔵。まるで『顔役』のラストシーン。
 夕陽が照るなか、橋上を街へ帰る半蔵がまぶしい。

    映画川柳「武士であれ 貧しき日々に 耐えられず」 飛蜘  
2010年2月10日


ビデオ
御用牙


東宝
勝プロ
1972年
90分
 脚本を原作者の小池一雄が書き、三隅研次が監督した「御用牙」シリーズ第1作。三つのエピソードをつないでいく脚本。撮影・牧浦地志、美術・太田誠一など大映の強力スタッフが結集している。ファンキーな音楽は『顔役』(1971)の村井邦彦でラストには、ザ・モッズの歌う「御用牙」の主題歌も流れます。この主題歌は音楽担当が冨田勲に代わっていることもあり、続く作品には使われなかった。
 北町奉行所で奉行・矢部(小林昭二)の前で与力や同心たちが不正はしないという誓詞血判を押している。しかし、隠密廻り同心板見半蔵(勝新太郎)は血判を押そうとせず、理由を問われて、誓詞はタテマエの空文で、支配を超えて捜査しませんなどという約束は出来ないと答える。
 半蔵は自分の番屋で石積みの拷問試しをしている。手下の二人、鬼火(草野大悟)とムサシ(蟹江敬三)の二人は島送りになった罪人だが半蔵が救って手下に使っているのだ。拷問の最中に筆頭与力の大西孫兵衛(西村晃)が来てあきれ返る。
 捕り方に追われていた盗人の三次(石橋蓮司)を鎖十手で捕えた半蔵は三次が情報を持っていると言うので鼻をつぶして気絶させ死んだことにして連れ返る。
 半蔵は常々、巨根を棒でたたき、米俵に抜き差しして鍛えている。
 三次は島流しになった人斬り竿兵衛(かんべえ。田村高廣)を市中で見かけ、あそこに毛の無い女と交情していたという。大西を張っていた鬼火は、大西がお美乃(朝丘雪路)という女を囲っていることを知る。厠に隠れていた鬼火が見ると女は毛が無かった。其の他の出演者に地六(松山照夫)と秀(山本一郎)。
 半蔵はお美乃の家で手下にひと芝居させ、拉致して、船で座禅ころがしで責める。快感でお美乃は全てを告白。半蔵は自室の風呂場でお美乃の告白を聞く。風呂場には敵の侵入に備えていろんな仕掛けがしてある。お美乃は竿兵衛の愛人だったが、何者かが竿兵衛を助けるために、お美乃の体と金子50両を大西に与えて買収したのだという。大西は竿兵衛の身代わりをしたてて島に送り、本物の竿兵衛を逃がしたのだった。
 半蔵の仕掛けた罠にかかり竿兵衛が出てくる。橋の上で切り結ぶ両者。竿兵衛の連続攻撃に圧倒されじりじりとあとずさる半蔵だったが、竿兵衛が攻撃を止めた一瞬の隙をついて、逆襲し倒す。こうして半蔵は大西の弱みを握った。
 黒幕はいったい誰か。半蔵は大奥に目をつける。大奥勤めの友人・山脇(山内明)によると、大奥の最高権力者、お市の方が可愛がっている医者の娘の護衛を竿兵衛がしていたらしい。
 半蔵は医師・稲村玄伯(嵯峨善兵 )の娘おゆら(渥美マリ)を拉致し、取り調べる。裸にして網で吊るし、下から巨根で突くのである。おゆらは気持ち良さに絶え切れず、全てを白状する。風呂に入ったおゆらの体には白粉彫りで文字が浮き上がる。「市之丞様参る」と。お市の方は気にいりの役者との連絡におゆらの体を使っていたのだった。半蔵は大奥最高権力者の弱みまで握ってしまう。父親が奉行を連れて半蔵の番屋へ抗議に来るものの、半蔵の巨根に惚れたおゆらは「この家にいます」と答え、半蔵の罪は無くなる。
 半蔵がそば屋台(親父役が藤原釜足)で蕎麦を食っていると、幼い姉弟が屋台にやって来る。姉が酒を一気飲みし、引き返して行く。不審に思った半蔵が姉弟の後をつける。長屋では病気に苦しむ父親を姉が安楽死させようとしていた。親殺しはどんな理由があっても磔・獄門だ。半蔵は医師の玄伯を呼び、「あと一月の命」と診断させた後、姉弟を外に出し、父親を自殺にみせかけて死なせる。
 江戸市中を背景に今日も半蔵が見回る。

    映画川柳「肉体の快楽 すべてに優先し」 飛蜘  
2010年2月9日


ビデオ
御用牙
かみそり半蔵地獄責め

東宝
勝プロ
1973年
89分
 勘定奉行の前に飛び出した百姓がきっかけで奉行の護衛の侍と同心・半蔵(勝新太郎)の小競り合いとなる。勘定奉行・大久保山城守(小松方正)の護衛(岸田森)は用心棒・御子柴十内(黒沢年男)と果し合いを申し出る。互角の勝負と見て奉行が止めに入った。奉行の言うことさえ聞かない半蔵に後ほどの沙汰を告げてその場は過ぎた。行列の前を通った百姓は女物の着物を持っていた。泥棒ではなく水車小屋で死んでいた女から剥ぎ取ったものだという。女は堕胎手術の後、死んでいた。近くで女神主が中絶手術をしていることを探った半蔵は寺社は管轄外だが、現場に踏み込む。岸田森は冒頭にしか登場しない。
 増村保造脚本・監督、シリーズ第2作。前年の若山富三郎主演の『子連れ狼』のヒットで劇画の映画化に飛びついた勝プロの小池一雄原作の劇画『御用牙』。旧大映の強力スタッフ(撮影・宮川一夫、音楽・富田勲、美術・太田誠一、照明・中岡源権、編集・谷口登司夫、録音・大谷巖、助監督 ・市古聖智が結集。巨根をもつ半蔵の性的な拷問が馬鹿馬鹿しく見えた1作め(三隅研次監督、1972年)に引き続き、その手の見せ場が用意されている。一匹狼的な同心・半蔵のキャラクターは勝新らしいものだが、その立場を相対化するキャラクターが無いため、独善に陥ってしまうのだ。
 女神主・大酔女(およいめ。宗田政美)は死んだ女・駿河屋のお町(榊陽子)は生きて神社を出たと言う。氷漬けのお町を駿河屋に届けた半蔵はお町が尼寺・海山寺に茶や花を習いに通っていたことを知る。駿河屋六左衛門は稲葉義男、その妻は近江輝子。
 桶に潜んで社内に入った半蔵は如海尼(相川圭子)が弟子の女を豪商の夜伽にせりを行っている現場に踏み込む。せり落とした丹波屋(高木均)は女をムチで打って喜んでいた。覗き窓から客がそれを見て楽しむ趣向だった。錦地の覆面男が逃げ、十内が半蔵の前に立ちふさがった。
 半蔵の拷問部屋で女海尼を石抱き・突き責めにして黒幕が大久保山城守と判明。乱入した刺客を仕掛けで殲滅した半蔵は北町奉行の矢部常陸守(大森義夫)から呼び出しを受けた。
 奉行は盗賊・浜島庄兵衛(佐藤慶)を捕えるように命した。庄兵衛が幕府の金座・後藤家に現われるとにらんだ半蔵は、若後家の陸(稲野和子)を犯し、身を隠した。
 半蔵が押し入れに隠れた部屋で大久保が陸に小判の金の含量を誤魔化せと命ずる。見回りの賄賂を要求する筆頭与力・大西孫兵衛(西村晃)を脅かして笛の合図で捕り方に家を囲ませる算段をつけた半蔵は、そのまま家に潜んだ。
 火付け・盗賊改め藤吾郎と称して庄兵衛が来た。夜中に着替えて夜盗に変わった一味を捕り方が囲んだ。庄兵衛は女中を人質に半蔵の身柄を要求する。鬼火(草野大悟)とマムシ(蟹江敬三)が樽棺桶を運んで来る。棺桶を背負って刀を捨てる半蔵。庄兵衛は女中を返す前に犯すと言う。その隙を狙って棺桶の蓋の裏から武器を取り、盗賊を倒す半蔵。庄兵衛も捕えた。
 怪盗捕縛に喜ぶ大久保は半蔵に望みのものを取らせると約束する。半蔵は大久保の首を頂きたいと言う。悪事の生き証人は如海尼と陸である。北町奉行が取り調べる約束をする。
 数日後、浪人となった十内が橋の上で半蔵を待ち伏せていた。十内を半蔵が斬った。十内は自分の刀で切腹する。半蔵は去っていく。
 他の出演者は勘八(北野拓也)、小三郎(宮下有三)、巫女(小柳圭子)、三河屋お静(速見かをり)
    映画川柳「氷詰め 娘の死体に 泣く間なく」 飛蜘  

 ウェブ「時代劇映画感想文集」の作者は“半蔵のキャラクターは、一言で言うと「骨太」。常に叫ぶように台詞を吐き、誰にも屈しない。頭が切れ、強引で、剣が強くて、セックスはさらに強いというヒーロー像は、今ではとてもアナクロな感じがするのだけれど、当時はそういうのがハヤリだった。1作め、3作目よりこれを見て欲しい”と評価。私は3作目がいちばん良いと思いますが。
2010年2月8日


DVD
二十四の瞳


日本テレビ
松竹

2005年
120分
 もとNHKディレクターだった大原誠監督が黒木瞳主演で撮ったテレビ版『二十四の瞳』。終戦60周年特別製作として反戦メッセージを前面に押し出した企画です。なんとこれも松竹作品。
 唱歌がBGMのように使われることは、ほとんどありません。ドラマのなかで登場人物が歌う歌として使われていきます。音楽は池辺晋一郎。
 子供たちが授業や遊びで歌うのは「春が来た」「ひらいた ひらいた」「汽車ぽっぽ」「浜辺の歌」「千引きの岩」「七つの子」「金毘羅舟舟」「仰げば尊し」。中心になる歌は「浜辺の歌」です。

 意外にも冒頭が出征する男子を送る場面です。先生は思い出の写真を渡して、子供たちに「生きて帰って来て」と伝える。ときどき、最前線の場面が出て、その写真をいつも肌身離さず持っている岡田磯吉(小栗旬)と散華の思想にとらわれている兵士・曽根が対比されて描かれます。最終的に曽根は「生還せよ」という先生のメッセージに共感しつつも怪我をした自らを自爆させる、岡田は爆撃で目を負傷するが生還する。磯吉は、「こんな体で自分だけが生き返ってきた」ことに罪の意識を感じているが、大石先生歓迎会の席上で、人生半ばにして亡くなった仲間の無念の想いを考えたら、そんな言葉は間違っていると諭されます。
 本作(脚本は寺田敏雄)に特徴的な場面(原作にも木下脚本にも無かった場面)は、大石先生の母親(八千草薫)が辞職を支持すること。夫(渡辺篤郎)が民間の輸送船には乗ることはあっても兵隊には召集されないだろうと予想を語るのに、赤紙が来てしまうこと。肺病のコトエ(蒼井優)に大吉が育てたカボチャを煮て持っていくこと。大阪へ行く松江との船での別れに松枝の希望で先生が「浜辺の歌」を歌うこと。修学旅行で会った松枝に届けと祈りをこめて、みんなに「浜辺の歌」を歌わせること。父親が骨になって帰って来たとき、長男が鬼畜米英を討つと意気まくのに対し、先生は自分は「靖国の妻にも母にもなりたくはない。人がどう思おうとかまうもんか。泣きなさい」と子供たちに教えること、娘のヤツが青柿を食べて腸カタルで死んだとき、包丁をまな板に突き立てて悔しさを表すこと、戦争が終ったとき大吉に「もう戦争で人は死なんな。よかったなあ」と言わせること、磯吉が傷病兵として入院しているところへ早苗(星野真里)が訪ねていくが、早苗は以前に草鞋の鼻緒が切れたとき磯吉が自分の草鞋をくれたことを覚えていたこと等。
 冒頭のナレーションで5年生まで分教場で過ごすと説明されますが、先生が本校に行った後の説明では「5年生になったら本校へ行く」と説明されていて、矛盾しています。分教場で大石先生が紹介される場面では、運動場に生徒が5列並んでいますから、最初は5年生までと原作と違う設定をして撮影したのを、途中で忘れてしまったのではないでしょうか。

    映画川柳「大根の 葉をきざむなり 出刃包丁」 飛蜘  
2010年2月7日


ビデオ
二十四の瞳



松竹
1987年
129分
 朝間義隆監督、田中裕子主演の『二十四の瞳』。木下恵介の脚本を朝間が多少潤色してカラー映画化。使われている唱歌は木下作品とは重ならないように変えてある(音楽は三枝成章)。中心になる歌も木下作品では「七つの子」だったが、本作では「烏の手紙」(西條八十作詞、本居長世作曲)。

     山のからすが 持ってきた  赤い小さな 状袋
     あけてみたらば 
     「月の夜に 山が焼け候 こわく候」
     返事かこうと 目がさめりゃ なんの
     もみじの葉が ひとつ

 これは壷井栄の原作通りである(原作では「山のカラス」と呼んでいる)。「烏の手紙」は西條八十の童謡(『赤い鳥』大正9年3月号)に本居長世が曲をつけたもの(『とんぼ』大正10年7月)で、大正末頃広く歌われたという。木下恵介・木下忠司は「烏の手紙」は「あけてみたらば」で転調があったりして難しいという理由で、同じ本居長世作曲の「七つの子」に変えたのであった。金田一春彦はCD『本居長世全集』(日本コロムビア)の解説に映画『二十四の瞳』で「『七つの子』に振り替えられたたため、戦後流行しそこなった」と書いている。楽譜は『本居長世童謡選集 七つの子』(如月社、1987)に出ていた(金田一春彦の解説は同じもの)。この詩には近衛秀麿や成田為三も作曲している。
 他に本作で使用されているのは「汽車ぽっぽ」「われは海の子」「兎のダンス」「赤とんぼ」「紅葉」。「埴生の宿」「荒城の月」「金毘羅舟舟」「仰げば尊し」など。軍歌は「日本陸軍」「露営の歌」「戦友」。流行歌で「リンゴの唄」。
 朝間監督の演出は間が伸びていて、ひどくテンポが遅い。森崎東監督が心がけているという「間をつめる」演出が皆無である。さらに編集が拙劣としか思えない。思わせぶりな絵葉書画面が多いということである。
 田中裕子のセリフも弱弱しく、やる気がないような倦怠感が漂っていて、いかに監督に演出力が無いかがわかる無惨な出来である。こんなに演出のひどい映画も珍しい。渥美清のナレーションは素晴らしいが、ほんの少ししかない。
 最初から、子供たちがただ突っ立っているだけで、何も動いていない画面が続く。上級生が「大石、小石」とはやす場面で、子供たちがかたまっていて動かないのを横からロングで撮っているのだから、画面に躍動感が無い。大石先生が自転車で走るのも、木下作品では「颯爽と」しており、いかにもモダンガールといわれても仕方が無い程の印象だったのに、本作ではただペダルをこいでいるだけで、なんともスピード感が無いのだ。この作品の自転車はもっとも重要なアイテムだが、木下恵介作品以外は自転車の「まぶしさ」を捉え損なっている。例えばワンカットでも車輪の回転のきらめきが表現されていればいいのだが、そんな積極的な表現は無い。当時の自転車がどれほど高価なものだったかが、たぶん作り手に分かっていないのだ。脚本にも原作にも「五ヶ月の月賦で買った」と書いてあるのに。
 子供が重要な映画で子供に動きが無いのは致命的である。例えば、先生の家に行こうとする直前、子供たちが教室掃除をしている場面では、12人全員がフレーム内に入って掃除をしているのである。そんな狭い範囲を拭いたり机を運んだりを全員でするなんて、あり得ないでしょ。黒板を男の子二人で拭いているなんて異様だ。それも、もう書かれた内容が消されて何も書いていない黒板ですよ。カットを割って廊下から教室に入って来る子とか、窓から顔を出す子とか、先生のところに行こうという子供たちの気持の盛り上がりを画面に表すべきでしょうが。固定カメラで子供を全員入れてセリフを言わせるのでは、学芸会の実況中継でしょう。監督以外のスタッフも何をやっていたんだか、これでは無能集団と言われても仕方が無い。
 潤色された点で原作といちばん異なるのは、大石先生が「草の実」を直接購読しているというところ。原作では学校に送られてきたことになっている。また、木下脚本では取り上げていなかった、同僚が警察で聞き込みされた後の授業で、生徒に「資本家」という言葉を知っている人等と質問する場面は生かされている。

    映画川柳「綴り方 直接送って もらってる」 飛蜘
2010年2月4日


DVD
二十四の瞳


松竹
1954年
166分
 木下恵介脚本・監督作品。白黒スタンダード版。ワイド版は23分ほどカットされており143分になっている。音楽の木下忠司の証言によると、木下恵介は音楽はすべて「唱歌でいく」と提案、そして外国版では外国民謡由来の曲をすべて今様など日本風の曲に替えていると言います。全体があたかも小学唱歌事典のような映画になっています。
 使われている唱歌は、『仰げば尊し』、『アニー・ローリー』、『村の鍛冶屋』、『電車ごっこ(「蝶々」の替え歌)』、『七つの子』、『ひらいたひらいた』、『あわて床屋』、『千引の岩』、『ちんちん千鳥』(これは流行歌)、『故郷』、『朧月夜』、『春の小川』、『荒城の月』、『星の界』、『金毘羅船々』、『浜辺の歌』、『みなと』、『埴生の宿』、『蛍の光』。中心になっているのは『七つの子』です。出征のときの人々の歌う軍歌は『日本陸軍(天に代わりて不義を討つ)』『露営の歌(手柄立てずに)』『暁に祈る(ああ あの顔で)』『予科練の歌(若い血潮の予科練は)』。
 大石先生(高峰秀子)は強くあれという時代の思想に違和感を感じています。彼女にとっては、弱虫であることが、いわば抵抗の姿勢です。大石、小石とはやされて岬の分教場に就任直後に早速「小石」先生というあだ名を貰った先生は、18年後、再び勤務することになった分教場では、昔教え子だった子供の妹や娘に出会って泣いてしまい、子供たちから「泣きみそ」先生というあだ名を貰います。
 また、教え子の富士子(尾津豊子)が没落した家の事情を嘆くと、大石先生は「泣きたいときはいつでも先生のところへいらっしゃい。一緒に泣いてあげる」と慰めます。将来は兵隊さんになるという少年たちに反対して少年からは「先生、弱虫なんだ」と言われてしまいますが、そうすると、「そう、先生、弱虫・・・・」と答えます。靖国の母になんかなりたくないと言って、次男からは「意気地なしだ」と評価されます。原作にも同じ言葉があります。
 泣き虫、弱虫、意気地なしという言葉は、敗戦後の1954年(昭和29年)であっても、マイナスの評価だったに違いありません。強く正しくあれという意識が主流の時代だったはずです。そんな時代のまっただなかに、弱虫でいいんだという思想はかなり過激だったと思います。
 4年生までしかいない岬の分教場に赴任するのは師範学校を出たての新任の女性教師と定年間際のベテランの男性教師。女性教師、おなご先生は一年間だけ、ここで勤めて翌年からは本校へ移るという慣例になっています。おとこ先生(笠智衆。役名も男先生で名前が設定されていません)はときどき授業をサポート。原作によると男先生は3・4年生担当、おなご先生は1・2年生担当、唱歌は全学年一緒、他に裁縫の授業は4年女子だけとなっています。
 おなご先生が生徒が掘った落とし穴に落ちて足を怪我して休職している間は、唱歌の授業で昔ながらの「ひいふうみい」という数え方で音階を教えて生徒の不興を買ってしまっています。休職し、怪我で通えないため本校に移ることになった大石先生が分教場で教えた期間は短かかったのですが、生徒たちは本校に移って再び大石先生に教わることになります。そして戦争が激化して、教え子たちを戦争に送り出す仕事に疲れた大石先生は辞職。時代が激しく動くなかにあって、翻弄される弱い庶民の姿が描かれます。この作品では兵隊や憲兵、警察官といったいわゆる強者の姿はまったく描かれることがありません。それらは徹底的に排除されています。したがって、弱者を翻弄する重い“空気”のようなものが感じられます。
 昭和8年に自転車に乗って颯爽と登場した大石先生は、昭和26年、教え子たちが贈ってくれた自転車に乗って、最後に島を駈け抜けます。一瞬、「自転車」が時代を切り開く道具のように見えます。

    映画川柳「月賦でも なかなか買えぬ 自転車を」 飛蜘

【参考書】川本三郎『今ひとたびの戦後日本映画』(岩波書店、1994)より、
 “いま戦後日本映画を振返ると、女優たちが輝いていたことがわかる。・・・(中略)・・・彼女たちが、彼女たちだけが“生きていてよかった”という喜びと、“死んだ人たちに申訳ない”という悲しみを、かろうじて重ね合わせることができたために思えてならない。戦後日本映画は、そしておそらくは戦後社会は、その基底で彼女たちによって支えられてきたのである。思想やイデオロギーの底にある日々の暮らしは、彼女たちによって支えられていたのである。”
 田中裕子主演のリメイクや黒木瞳主演のテレビ作品もありますから、これらも見てみたくなりました。

 壷井栄の原作を書店の文庫棚で探したら・・・・無い。近所のBOOK OFFでも壷井栄の本は一冊も無い。青い鳥文庫など児童書でも出ていたはずだが、やはり無い。戦争関連の本は店頭から無くなっているのだろうか。青空文庫にも入っていないし、簡単に読む手立てが無いのだった。Amazonで中古品を1円で購入する。 
 原作はたいへん描写のしっかりした、音読にふさわしい作品だった。脚本は原作をそのまま生かして作られていた。唱歌は映画ほどには多くない。

 『高峰秀子』(キネマ旬報社、2010年3月)の高峰秀子自作解説によれば、夫の松山善三は高峰は自転車に乗れなかったので、走り始めたら止まれないから、僕ら助監督が待ち構えていて、そこへ突っ込んできて止まるわけと話しているものの、高峰自身は「乗れたのよ。でも私はすごい近眼だから、石ころなんか見えないのよ。道も悪かったしね」と言う。
 子供が演技をしないので木下は叱り飛ばして大変だったようだ。琴江が泣くシーンは結核の身が辛いんじゃなくて、木下さんが怖くて泣いてたのだそうである。
2010年2月3日



ビデオ
人斬り


フジテレビ
勝プロ
1969年
140分
 司馬遼太郎の『人斬り以蔵』を原作に橋本忍が脚本を書き、旧大映のスタッフが結集して五社英雄が監督した大作。勝プロ製作なので大映の技術陣(撮影・森田富士郎、美術・西岡善信、照明・美間博、録音・大角正夫、音楽・佐藤勝)が全面的に協力。撮影の森田富士郎は当時まだ一本立ちしたばかりで大きな実績が無かったが、勝新は森田を抜擢した(春日太一『天才勝新太郎』文春新書)。
 マキャベリスト武市半平太(仲代達矢)の操る殺人マシーンとなった岡田以蔵(勝新太郎)中心に描かれる。原作にいわく、京に出て覚えた剣と酒色のために以蔵の天誅は稼業になった。そのあたりも映画には描かれている。仲代達矢の芝居臭いセリフ回しも現代劇ではないし、武市を謀略家として描く分には気にならなかった。
 田中新兵衛役の三島由紀夫が突然、姉小路卿暗殺の現場に落ちていたという自分の刀を腹に突きたてて切腹するというセンセーショナルな場面もあり、キワモノとして取り扱い注意作品になってしまったようなところがある。橋本忍作品としても、あまりきちんと論じられていないが、学が無い以蔵が理論ではなく人を信じて裏切られていく物語は、学生運動が内紛で泥沼化していく時代に対する異議申し立てだと思われる。
 土佐勤皇党の武市と松田(下元勉)は、下横目付け井上佐一郎扼殺の後、勤皇派の姉小路の過度の暗殺に対する懸念を考慮して、近江の石部の宿での大天誅を以蔵には知らせなかった。しかし、以蔵に心酔する皆川(山本圭)に暗殺隊の出発を聞いた以蔵は、11里以上の道のりを走って天誅場面に間に合う。暗殺現場で、「土佐の岡田以蔵だ」と名前を名乗り、隊士の顰蹙を買う。映画では功名心から連呼したことになっているが、原作では服装が不十分で味方に斬られそうになり、仕方なく名乗ったことになっている。土佐藩の以蔵と薩摩藩の田中の活躍で土佐と薩摩の名は上がる。長州が次の暗殺対象を物色し始めた。
 龍馬の依頼で勝海舟の護衛をした以蔵は襲撃してきた長州藩の藩士を二人斬り、武市の不興を買う。「命じられたことだけをしろ」と武市に言われた以蔵は武市と訣別する。だが、武市とことを構えたくない他藩では以蔵を雇おうとしない。嘆いた以蔵は、武市に詫びを入れ、再び武市のために働くことを申し出た。
 そこで、最初に以蔵に命じられた仕事は姉小路卿の暗殺だった。勤皇派の看板である姉小路卿をどうして殺すのか、以蔵には分からなかったが、武市はお前は考えなくて良いと言う。納得のいかないままに姉小路卿を斬った以蔵は手当てを取りに行くこともせず、女のもとに入り浸っていた。姉小路卿暗殺は死体の傍に落とされていた田中新兵衛の刀を証拠に所司代は新兵衛を捕らえた。新兵衛はその刀で突然、切腹した。薩摩藩の禁足は解けたが、勢力は弱まった。
 女のもとで不貞寝をしていた以蔵は京都見廻り組(伊達三郎ら)の浪人狩りに捕われてしまう。牢内には牢名主ら(コント55号)がいたが、土佐の岡田以蔵と聞いて彼らはあわてて牢名主を譲った。
 岡田以蔵を改めに来た武市は「名を騙るニセモノだ」と言い切る。捕えられた岡田の口から陰謀が暴かれるのを恐れたからである。信じていた武市に見捨てられた以蔵は、「無宿者の虎蔵」として8ケ月の牢生活を送る。牢から出た以蔵は田舎に隠遁する。一方、以蔵が入牢中に山内容堂らの詮議が武市や松田に及んでいた。
 以蔵の元に若い皆川が差し入れの酒を持参して尋ねて来る。以蔵は武市の差し入れを警戒して皆川に毒味をさせる。大丈夫のようだ。以蔵も酒を飲み、土佐を出て九州で龍馬の護衛をするつもりだと話す。以蔵の思いに感動した皆川は、実は酒には天ショウ丸という毒が入っていたと明かす。しかし、症状が出ない。毒は入っていなかったんだ、自分の背水の覚悟を武市は試したんだと喜ぶ皆川。以蔵は武市がそんな人間的な配慮をするはずがないと言う。次の瞬間、皆川は苦しみ出し、以蔵も倒れる。以蔵が斬った人々のイメージが思い返される。しばらくして、気が付くと、以蔵は死んでいなかった。皆川は冷たくなっていた。
 以蔵は番所へ申し出て、武市の罪状を話す。おみのの借金30両を報償金にしてすべてを話した以蔵は磔・獄門となる。磔になった以蔵は、武市と違う処刑(武市は政治犯なので切腹)に満足する、あの世で武市と一緒でないことを喜ぶ。 
 殺陣は以蔵の剣法が邪剣だったように凄惨である。以蔵が目撃だけして、「俺ならもっとうまく斬れる」とつぶやいた吉田東洋暗殺、越後浪人・本間精一郎の路地での暗殺、石部の宿の斬りあい等。

    映画川柳「処刑法 武士と無頼では 違いあり」 飛蜘

【参考書】司馬遼太郎『人斬り以蔵』(新潮文庫、1969)
 原作には書かれていない挿話や、趣向の違う場面も多く、橋本忍の脚本の書き込みが大きい。映画では、武市と以蔵の出会いは省略されている。映画で龍馬が以蔵に話す喩え話「猟師と犬」も原作には無い。
 仲代達矢の武市半兵太、石原裕次郎の坂本竜馬、勝新の岡田以蔵という配役は年齢が高過ぎる。
 以蔵は武市にいわば破門されたような形になって嘆き悲しむが、泣いて悩み、女郎おみの(倍賞美津子)に慰められる役柄は勝新には似合わず、違和感がある。
 また、佐藤勝のテーマ音楽には陽気な響きがあって、場面の悲痛さや切迫さ、陰惨さとまったく合っていない。わざと雰囲気の異なる音楽を付けたのだろうか。場面と反対情緒の音楽をつけることをカウンタープンクトというが(悲しい場面に悲しい音楽をつけるのはインタープンクトと言う)、そうだとしても奇妙な音楽の付け方になっている。
 最後のほうで武市の差し入れの酒を持って来る皆川(山本圭)が「ボクの生家は造り酒屋で」と言うが、自分のことを「ボク」と言う言い方はこの時代には無かったはずで(一人称を「僕」、二人称を「君」と統一されるのは海援隊以降のこと)、奇ッ怪に響いた。もっとも、セリフを時代考証したら時代劇は成り立ちませんが。

 黒鉄ヒロシ『坂本龍馬』(PHP文庫、2001)より、武市の評価、吉田東洋暗殺、田中新兵衛の切腹、以蔵が勝海舟を護衛するコマを引用。

 山口猛編『映画美術とは何か』(平凡社、2000)は、美術監督の西岡善信 から話を聞いている、西岡氏は、どしゃぶりの中の吉田東洋(辰巳柳太郎)暗殺を、本物の石を敷き、周囲にも石を積み上げて舞台を作った、初めて大映京都で撮影した五社英雄監督は感激していたと話しています。五社監督は殺陣がリアルだった(殺陣師は五社が連れて来た岩佐謙太郎)と西岡氏はふり返っています。なお、西岡氏は「以蔵が東洋を暗殺するシーン」と回想していますが、東洋暗殺には以蔵は見学だけで参加していません。本の写真の説明でも以蔵(勝新)と説明しているのですが、以蔵(勝新)ではありません。
  
【追記】2012年12月中旬に日本映画専門チャンネルの「日本映画の100本」で『御用金』に次いで放映。フジテレビが大作映画に進出した第2作である。
2010年2月3日



ビデオ
座頭市ドキュメント


BMGビクター
1989年
70分
 勝新脚本・監督『座頭市』の製作発表から完成までのドキュメント。副題に「勝新太郎を斬る!」とある。演出場面の後に完成作品での場面がモンタージュされていて、演出結果が作品にどう反映しているかが分かるという貴重品。16年ぶりの映画版「座頭市」だった。
 準備期間120日、1988年9月18日製作発表から1989年1月19日クランクアップまで製作・撮影日136日間、出演者1800人、スタッフ140人、フィルム15万フィート、10億円の経費がかかった。
 勝新の監督ぶりが分かる。映画は、ほとんど順撮りされていた。それはそうだろう。なにしろ型にはまった台本が無いし、現場で練り直しを繰り返す。
 監督がOKを出さないと現場が進まない。スタッフも出演者も待たされてしまう。時間も経費もかかる。途中では出演者に役名もないし、次に何が起こるのかも分からない。
 台本というものは自分がどこで生まれ、どういう育ち方をし、いまどういう状態かが書いてあるだけだ、本の通りやったって客は喜ばないよ、現場で俳優その人の個性と気持が出て来る、現場の雰囲気と個性によって本は変えられていく、それが大事だと勝新は言う。それでも、汐路章は「何日、待とうと平気です。勝さんの演出はそういうものだ。いいものができればいい」と話していた。
 しかし、勝新はいわゆる即興での演技を撮っているわけではなかった。八州(陣内孝則)の殺人を目撃しておびえる少女おうめ(草野とよ実)の仕草に細かく動作の指示を与える演技指導は見もの。また、息子である奥村雄大への演技のつけかた、手の動かし方やセリフの間合いまで、大変にきびしい。そのフリのつけかたは徹頭徹尾、具体的で曖昧なところが無かった。つまり、彼にとってある状況に置かれた人間の感情はこういう風に体の動きに出るはずだという明確なイメージがあったのだ。だから偶然を期待しているわけではないのである。
 
     映画川柳「一同を 呑んでしまえと 芝居をつけ」 飛蜘

【参考書】春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)
 スタッフに聞き書きをして書かれた監督、そして映像作家・勝新太郎を論じた初めての本。春日氏はテレビ版座頭市の勝新監督作品に衝撃を受けたのがきっかけだと書く。この本はこれまでの勝新関連本を凌駕する傑作。
2010年2月1日


DVD
新座頭市 破れ!唐人剣


ダイニチ映配
勝プロ
1971年
94分
 大映倒産寸前の「座頭市」は、座頭市の相手に《用心棒=三船敏郎》(1970年)、《唐人剣士=王羽》(1971年)と最強の人物を当てる。監督は『座頭市と用心棒』は岡本喜八、『唐人剣』は安田公義だ。本作の撮影は牧浦地志、音楽は冨田勲。
 座頭市は刺客を斬るが、二人は逃走する。一方、将軍への献上物・あわびを運んでいた南部藩の行列の前に凧を追って飛び出した少年・小栄。侍は少年をかばった母親を斬ってしまい、その父親や友人の片腕の剣士(王羽=ワン・ユー、ジミー・ウォン)に先ぶれの侍が斬られる。唐人が逃げた後、侍たちは目撃者の百姓をすべて斬って責任を唐人になすりつける。
 市は瀕死の父と少年に会い、父親から託された少年と一緒に旅をするが、途中で王剛(王羽)に少年を取られる。村は唐人探索でごった返していた。少年と王剛に再び出会った市は福竜寺へ道案内の途中、農家に立ち寄る。与作(花沢徳衛)とお米(およね。寺田路惠)は行列事件の目撃者だった。宿を借りた翌日、市は酒を買いに村へ出る。留守の間に市を追跡していたやくざから話を聞いた藤兵衛(安部徹)一家が農家を襲撃、一家を殺し、お米を連れ去っていた。王剛と少年は逃げた。お米や王剛は市が賞金稼ぎに唐人の隠れ場所を密告したと誤解する。市は中国語が判らず、王は来日したばかりで日本語が判らない。少年が通訳代わりをするが不十分だった。
 市は藤兵衛からお米を救うが、お米は市を誤解したまま、市の差し出す金も受け取らずに、去ってしまう。帰宅したお米は両親が埋葬されているのに驚く。王剛と少年が線香をあげていた。三人は福竜寺に身を潜める。
 市は福竜寺に行き、寺の坊主・覚全(南部宏治)に三人の無事を聞くが、覚全は王剛の情報を南部藩に売る。市は夜鷹のお仙(浜木綿子)の助けを得て、南部藩に誘拐された少年の消息を知り、護送途中で取り返す。お米はお仙と市の助けで誤解を解く。一方、少年を囮に呼び出された王剛の誤解は晴らすこができなかった。藤兵衛一家を斬った市と、南部藩の侍を斬り、覚全を空手で倒した王の間で最後の斬り合いが始まる。
 互角の勝負を最後に市が制するが、「言葉さえ通じれば斬らなくて済んだものを」と市は残念がる。
 浜木綿子の出演作品はテレビ版座頭市でも「二人座頭市」(勝新監督)や「鴉カアーと鳴いて市が来た」(太田昭和監督)と傑作であったが、本作でもその魅力は遺憾なく発揮されていた。牧浦地志のカメラワークは絶品。台湾公開作品では、最後に片腕の剣士・王が勝つことになっているという。そのフィルムはすべて台湾側に渡され、日本には残っていない。台湾では『ドラゴン危機一髪』と同時公開されて大ヒットした。

     映画川柳「シェシェは 水を意味する シャアシャアと」 飛蜘    
2010年1月31日

テレビ朝日
21:00
母べえ


松竹
2009年
120分
 野上照代の“小説”が原作(事実ではない)、脚本は山田洋次と助監督の平松恵美子、監督・山田洋次。治安維持法違反で夫が投獄された家族の「銃後の生活」が描かれます。撮影は長沼六男、美術は出川三男。
 昭和15年2月5日夜、特高が自宅に上がり込んで来て、父べえ・滋(坂東三津五郎)を連行していった。残された母べえ・加代(吉永小百合)と娘二人、姉の初べえ(志田未来)と妹の照べえ(佐藤未来)の家族に、献身的に家族を助ける滋の教え子・山崎ことヤマちゃん(浅野忠信)や、滋の妹で、絵の専門学校へ行っている久子ことチャコちゃん(壇れい)、無頼の奈良の叔父さん(笑福亭鶴瓶)が関わります。無頼の叔父さんを嫌う初べえの演技が秀逸。
 特高が土足で汚した畳を拭く音、割烹着の白さ、差し入れの本の書き込みを消す作業、熱冷ましに使う氷など、ささいな生活感覚が印象的。「ぜいたくは敵だ」(昭和15年以降、精勤本部による)という標語を「ぜいたくは素敵だ」と言い換えるような銃後の生活は、これまできちんと映画化されてはいなかったのではないでしょうか。
 中耳炎の後遺症で左耳が遠いうえにド近眼の山田のような丙種合格者も昭和16年11月から徴兵されるようになったのは、兵隊が払底してきたからで、『兵隊やくざ』でも初年兵に制裁をくわえるときに、半人前の兵隊でも兵隊は兵隊というセリフがありました。また山田は山形連隊から満州に送られた後、昭和20年夏に南方へ送られ、護送船が魚雷によって沈められて生命を落しますが、この満州から南方へという兵隊の移動も『兵隊やくざ』に描かれていました。
 感情を抑制し、時代のウソを仕方なく受け入れて生きる母べえが感情を抑制しなかった場面が重要です。父親から夫の改心を勝手に報じたと告げられて改心など願ったことはないと言い切り勘当されてしまう場面、久子から山崎の想いの人は“ねえさん”と聞いてうろたえる場面、山崎の出征を玄関先で見送る場面で彼の後を一足だけ追う場面、最期の言葉で「お世話になったね、ありがとう、さようなら」と言った後、「天国で父べえやヤマちゃん、チャコちゃんに会えるね」と言われて、聞えない声で「死んでみんなと会えるなんてちっともうれしくない。生きている父べえに会いたかった」と答える場面。
 実際にかなり泳ぎの達者な吉永小百合が海で溺れかけたヤマちゃんを助けようと着衣のまま泳ぐ場面は驚き。最近のメイキャップ技術のせいか、ちゃんと若若しく見える吉永小百合にも驚きました。

     映画川柳「丙種でも 徴兵になり 満州へ」 飛蜘

 小学生が「富士の山」を歌う場面がありますが、昭和16年の「ウタノホン」教科書になってしまうと、この唱歌は掲載されていなかったので、昭和15年ならこの歌は時代的に正しい。
2010年1月30日


テレビ朝日
21:00
凍える牙


テレビ朝日
2010年
約100分
 土曜ワイド劇場で、乃南アサの直木賞受賞作品をテレビ化。脚本・佐伯俊道、監督・藤田明二。
 レストランで客のひとりが突然燃え上がり、焼死する。ベルトに付けた発火装置が原因だった。男の太股には犬に噛まれた傷痕もあった。警視庁の交通課から所轄に応援に出た音道(木村佳乃)は女嫌いの滝沢刑事(橋爪功)と組まされ、捜査に当ることになる。第二、第三の狼犬による殺人事件が起こり、容疑者として退職した警察犬訓練士がマークされる。
 原作は未読だが、推理はすんなりと単純すぎる、大規模な捜査本部なのに実質的な捜査が主人公の周囲だけに限定されていて不自然、犬の能力が過大、容疑者に監視も付けないため自宅に放火されてしまう失態、意味なく長いオートバイによる犬の追跡、治療中の娘の「しゃぼん玉」のフラッシュバックの思わせぶりカットなど、不満の残る作品だった。木村佳乃と橋爪功の相手を認めながらも、それを口には出さないコンビのおかげで、なんとか最後まで見ることができましたが。

     映画川柳「覚醒剤 心をむしばむ 11年」 飛蜘
2010年1月29日


LD
うる星やつら


フジテレビ
1981年
各12分×2
 『うる星やつら』TVアニメ版は1981年10月14日から放映が始まった。1回に2話が放送される形は翌1982年3月まで続く。チーフ・ディレクターは押井守。原作をもとにかなり自由に脚色されていた。うる星ファンによって、アニメと原作の対応表まできちんと作成されている。
 私は放映当時はTVアニメを見ていなくて、大井武蔵館で押井監督特集でTV版が上映されたときに、初めて「みじめ!愛とさすらいの母」を見て衝撃を受けた。TV版の傑作数編を藤田真男氏からビデオ録画したものを見せていただいた。TV版のレーザーディスク全集やDVD全集は高価で手が届かなかったが、なんとレーザーディスク版が超安値でオークションに出ていて落札でき、次いでレーザーディスク・プレーヤーも安値で中古品を落札できた。
 TVアニメ版は、原作では後の方で出て来るテンを第3話、つまり放映開始の翌週「宇宙ゆうびんテンちゃん到着」に登場させていた。また、巫女サクラを登場(第9話「謎のお色気美女サクラ」)の次の第10話「悩めるウィルス」にはもう友引高校の保健室の先生として勤務させている。自衛隊や戦闘機などのメカがすぐに出動するのは第1話「うわさのラムちゃんだっちゃ!」からで、押井さん好み。なお、第1回めから『宇宙戦艦ヤマト』のパロディだった。
 ラストでも収拾がつかないままのオープン・エンドな終わり方も第2週の第4話「つばめさんとペンギンさん」から既にあった(この第4話の脚本は金子修介)。
 押井演出の第19/20話「ときめきの聖夜」では、あたるとラムの仲を割こうと策を労するメガネの活躍が初めて描かれる。
 押井演出はほぼ最初の一年間に時々ある。

     映画川柳「永遠に 男と女の 鬼ゴッコ」 飛蜘
2010年1月27日


ビデオ
影を斬る



大映
1963年
82分
 小国英雄のオリジナル・シナリオを、池広一夫が監督。撮影は武田千吉郎。 コメディ・タッチで描かれます。2010年10月にはDVDで発売されました。
 奥州伊達藩、青葉城。侍たちには朝礼の日課が課されているが、若い者には退屈な行事。家老の伊達将監(稲葉義男)は若い者の不甲斐なさを怒っていた。家柄は立派だが、貧乏な若侍・井伊直人(市川雷蔵)は剣術指南役だが、天守閣で昼寝をきめこんでいて、叱られる。女遊びにうつつをぬかしている年齢でもなかろうと家老の娘・定(嵯峨三智子)との望まぬ縁談がひょんなことから噂が先行して進んでしまう。定は仙台小町と噂される美女だった。
 主君・伊達忠宗(色街では、忠さんと呼ばれている。成田純一郎)は将軍の娘・和子(坪内ミキ子)を奥方にしていて、妻に頭が上がらない。初夜に定は直人に手合わせを所望。抱こうとする直人を巴投げで投げ飛ばした。忠宗以下、客たちの見守る中、直は定に負け、剣術修業に江戸へ出される。用人の左内(藤原釜足)を連れていった。
 江戸では色の修行ばかり、半年で帰国したが、再び定にやられて江戸に逆もどり。
 一夜、江戸留守居役のお伴で料亭に遊んだ直人は、芸者の君竜(嵯峨三智子)が定と瓜二つなので驚く。直人は許に戻って道場でナギナタを振る定を確認。
 ある日、君竜と料理屋からの帰途、数人の浪人者に襲われた。刺客を放った者の五倍の報奨金を餌に襲撃を止めさせ、油断させたうえに斬り払う。帯刀(小林勝彦)に助けられた君竜は、直人の不甲斐なさに愛想を尽かしていた。君竜に叱責された直人は歩み去った。
 それから数年後、青葉城では帰って来た直人と定の御前試合が行われる運びとなた。直人は定を破った。一番喜んだのは城主・忠宗だった。その夜初めて夫婦の誓いをかわした直人は、君竜が定であったことを知った。すべては、直人の素行を改めさせんとした親娘の仕組んだことだった。
 一方、忠宗の寝室でも和子は、自分の行状に反省し、何事も夫に仕えることを誓っていた。
 その他の出演者は、小野伊織(松本錦四郎)、お広(真城千都世)、お吉(井上明子)、お文(高森チズ子)、〆香(毛利郁子)、川上平馬(大辻司郎)、上軍十郎(千葉敏郎)、伊達安房(荒木忍))、多田頼母(山路義人)。
 鐘が鳴るとともに現代の出勤風景のように大勢の侍がお城へ上がってくる様子や、ふと直人が家を見回すと貧乏で荒れた間の様子が明らかになるなど、カットと編集のセンスの巧みさが見られます。
 井伊直人(1587‐?)は実在の江戸時代前期の剣術家。天正(てんしょう)15年生まれ。伊達政宗の家臣。慶長5年(1600)陸奥(むつ)松川(福島県)の戦いで剣術師範の父をうしない、14歳で家をつぐ。妻とした薙刀(なぎなた)の名手の貞にはげまされて6年間修行し、柳生(やぎゅう)新陰流の道場を再興したという。

     映画川柳「美人妻 耳の後ろに ホクロあり」 飛蜘
2010年1月26日


DVD
座頭市あばれ凧

大映
1964年
82分
 座頭市映画シリーズ第七作。脚本は犬塚稔・浅井昭三郎、監督は池広一夫。
 俯瞰で旅の宿の一室に寝ている市を捉える。ハエを居合斬りする市。清六(江田島隆)は銃を撃ち、市を仕留めたという。川に落ちた市は川下で津向(つむぎ)一家のお国(久保菜穂子)に助けられていた。お礼に立ち寄った市は津向一家に厄介になる。カジカ沢の渡しの権利をめぐって津向一家は、竹屋の安五郎通称ドモ安(遠藤辰雄)の嫌がらせを受けていた。ドモリの安は妹を代官の情婦にし代官を味方につけ、喧嘩をきっかけに津向一家をつぶそうと画策していたのだった。
 津向の息子が清六。勘当同然だった清六は放蕩から帰宅するが、早速単身、竹屋へ因縁をつけに出かけて捕われてしまう。竹屋は清六が竹屋の命を狙ったという作り話をするが、文吉(香川良介)はその手には乗らない。市が清六を救出。竹屋は賞金稼ぎ(五味龍太郎ら)の助言で、凶状持ちの市を追い出させる。市が草鞋をはいて津向一家を出たところへ、竹屋は喧嘩出入に入り、津向一家を殲滅させる。一方、事情を察した市は戻って来て、津向一家の仇を討つ。津向の娘・お志津に渚まゆみ。

     映画川柳「十発め 江戸でも見られぬ 彩花火」 飛蜘
2010年1月25日



ビデオ
VHS
新座頭市物語
折れた杖



ダイニチ
1972年
110分 
 天才監督・勝新が『顔役』(1971)に次いで監督した座頭市シリーズの1本。
 脚本の犬塚稔は完成前には、「私の脚本はスタイルも内容も旧態依然としたオーソドックスなものだが、勝演出がこれをどう料理するか、私が彼の話から想像するところでは、 どうやら相当異質なものが出来るに違いないということである。 私の妄想の中に浮んで来るものは、私の脚本を泥ンこの中へ叩き込んで、くちゃくちゃに踏ンづけて 「よし、これで行こう」という彼の姿である。然し、私はそうした彼の既往の演出家にない、定規を外した情熱に、 妙に期待が湧くのである。八方破れの勝新太郎が果してどんな座頭市を見せてくれるか、 私も手前の脚本を忘れて刮目したいと思っている。」という奇妙な期待をしていたが、完成作品を見て、「あまりにも幼稚な演出手法に私は無性に腹立たしかった」と、手きびしく批評していた(犬塚,2002)。
 無理もない。脚本の後半はまったく無視して作られている。原脚本には犬塚も認めている通りの、人物造型の不足や結構の弱さがあったが、改作によってそういった欠点は尚更、膨らみ、物語は散漫になってしまった。
 勝監督ともっともたくさん組んだ撮影の森田富士郎は、「勝さんには構成力がありませんでしたね」という評価をしている。つまり、ディテールにこだわりすぎて、全体が見えなくなってしまうのだ。
 このような演出の特徴は『新座頭市物語 折れた杖』のシナリオを掲載していた月刊『シナリオ』1972年10月号で、品田雄吉がその勝監督評で的確に指摘していた。“ディテールヘの執着がつよすぎて、ディテールとディ テールのつながりが希薄な作品にもなっていた“と。
 田中徳三監督は“そのシーン、そのシーンは実に面白いんですよ。ところがつないでみるとね、どのシーンも勝新太郎のアイデアみたいのが出てきてね、映画ってのは山あり谷ありでしょ。そして最後にクライマックスがある、勝ちゃんの場合は、全部がクライマックスやから、逆にフラットになっちゃう。”と表現していた。この言葉も当っていると思う。
 しかし、だからこそ、監督勝新作品には、魅力があるのだった。全体の構成を無視した画面作りのエネルギーの強さが。正座して画面を見つづけなければならないような強制力が。枠をはみ出してしまう不断の運動が。

     映画川柳「海に入れ あね弟の きらめきを」 飛蜘

【参考書】犬塚稔『映画は陽炎の如く』(草思社、2002)
 監督・勝新の『新座頭市物語 折れた杖』脚本と完成作品の異同を作成したほか、ビデオもDVDも出ていない勝新監督『顔役』脚本の分析採録も行なった。
2010年1月24日・2月21日

NHK総合

20:00
龍馬伝
第4回・第8回
NHK

2010年
各45分
 第4回「江戸の鬼小町」。江戸に着いた龍馬(福山雅治)は、北辰一刀流の名門・千葉道場に入門。道場主・千葉定吉(里見浩太朗)の娘・佐那(貫地谷しほり)の竹刀さばきに圧倒された。土佐では弥太郎(香川照之)が学問塾を構える。弥太郎の塾に加尾(広末涼子)がやって来て、入塾を請う。
 一方、江戸では、定吉は佐那に父が斬れるか、龍馬が斬れるかと謎をかける。黒船来航の日だった。
 第8回「弥太郎の涙」。弥太郎の父が水を横取りした庄屋に抗議、殴られて半死半生となる。居合わせた龍馬が止める。江戸で学問中だった弥太郎は走って土佐に戻って来る。龍馬は吉田東洋に訴えでればと提案、庄屋が賄賂を送る安芸奉行の不正を訴え出るが・・・・東洋の「わしは天才じゃ、天才は何をしても許される。お前たちは何を持っているのか」と恫喝される。奉行所門に告発を刻んだ弥太郎は収監され、龍馬は再び江戸へ派遣される。

【参考書】 黒鉄ヒロシ『坂本龍馬』(PHP文庫、2001) 
2010年1月21日


LD
Dr.スランプアラレちゃん
(劇場版)

東映
1993年
41分
31分
 「Dr.スランプアラレちゃん」劇場版の1993年春休み東映まんがまつり公開の「んちゃ!ペンギン村はハレのち晴れ」(41分)と夏休み東映まんがまつり公開の「んちゃ!ペンギン村より愛をこめて」(31分)を見る。レーザーディスクプレーヤーを持っていなかったとき、平成15年10月に、どういうわけか安価で購入してしまったもの。中古プレーヤーを最近、安値で入手したので、見られることになった。
 脚本・松井亜弥、監督・貝澤幸男(春)と橋本光夫(夏)。
 アラレちゃんの破壊のエネルギーのすさまじいこと!すべてを遊びと笑いに転化してしまう。 今見ても唖然とするほどのエネルギーなのだった。
 「ハレのち晴れ」では子供の怪獣ドドンガドンが力を誇示するため、ペンギン村に現れるが、 アラレちゃんは一緒に遊んでしまう。子供怪獣は母親怪獣ママンガドンに助けを求める。母親怪獣の威力は半端でない。 しかし、アラレちゃんは力比べも遊びにしてしまう。最初の方にテレビ版第1話からのエピソードが挿入されている。 ちなみに、「怪獣ドドンガドン」の初登場は原作の41話・42話の「ペンギン村SOSの巻」。
 「愛をこめて」では生まれてから一度も笑ったことのないヤパイヤ国のプルア姫を笑わせようと、 千兵衛さんは「ナイショで」笑いロボットの依頼を受ける。しかし、内緒のはずの話は村じゅうに広まり、 Dr.マシリトもダジャレ・ロボットを製作して対抗、村じゅうが見守るなか、ロボット対決となる。その間も、 アラレちゃんは無邪気に笑い、転げ廻る。アラレちゃんの「うんち」をきっかけに笑い始めたプルア姫の笑いは止まらなくなり、 笑い声で国中が破壊されてしまう。さらにアラレの「んちゃ砲」も加わって大混乱。 子供だけに見せておくのは勿体ないほどの凄まじいスラップスティックのパワーだった。

   映画川柳「アラレちゃん 惜しげもなしに
    全開パワー」 飛蜘


 テレビ放映は1981年4月8日「アラレちゃん誕生の巻/オーッス!友だちの巻」 (脚本は辻真先だがギャグも構図も原作とほとんど同じである。演出は岡崎稔、作画監督は西山里枝)から 1986年2月19日まで243話。いま第1話はShow timeで無料で見ることができる。 
 アラレちゃんの年齢設定は13歳なので中学1年生。ちなみに、「Dr.スランプ」とは、則巻千兵衛さんのこと。
 アラレ語(キーン、んちゃ、ばいちゃ等)も可笑しい。
 テレビ第1話については、原作の「アラレ誕生の巻」は、ほとんど同じ、「オーッス!の巻」では 千兵衛さんが葵さんと映画に行く場面がカットされていた。
2010年1月20日

DVD
座頭市喧嘩旅


大映
1963
88分
 座頭市シリーズ第4作は安田公義監督が初演出。脚本は犬塚稔、撮影・本多省三、美術・西岡善信、照明・美間博、音楽・伊福部昭。
 壷振りの音でイカサマを見破る市が居合でロウソクを切り落す。闇になったら盲目(めくら)の方が強い。タイトル。
 茶店で市は喜助に食事を奢られている。堂山一家の彦三親分が市を雇おうというのだ。茶店には対立する下妻一家の代貸・陣五郎(島田隆三)も顔を見せ、三人の浪人者を雇い、市の殺害を依頼する。浪人の女房・お久(藤原礼子)は、座頭よりも低賃金で雇われる夫が不甲斐ないと感じている。途中で、侍たちは市を襲うが、一瞬で斬られてしまう。喜助は殺られた。市はお久に気付く。
 侍の集団が若い女を捜している。瀕死の老人を助け起こした市は、「お美津を」と頼まれる。掘っ立て小屋に隠れていたお美津(藤村志保)は江戸の鳴海屋の娘だが、侍に手篭めにされかかり、男を拒否したために成敗されようとしているのだった。市は追っ手を斬り、お美津を守る。しかし、投宿した旅館で、お久と陣五郎に出会ってしまう。陣五郎が市にもみ療治をしてもらっている間に、お久は市の正体を教え、お美津を連れ出してしまう。鳴海屋に届けてひと儲けを企んだ。ところが、お久は、カゴかきの留五郎(吉田義夫)に娘を取り上げられて、たたき出されてしまう。市は留五郎の家へ乗り込み、留五郎を居合で脅してお美津を取り返す。
 旅館に帰った市は、お美津が自分を信用せずに、お久の讒言を信じたことを嘆き、怒る。この場面が本作の白眉。市は珍しくお美津を突き飛ばして、怒る。お美津は「裏切って悪うございました」と謝る。二人は旅館を出て夜通し歩くことにする。翌日、河原でにぎりめしを食べる二人。頬についた飯粒を取ろうとお美津が伸ばした手を市は押さえて、突然斬りかかって来た侍三人を一瞬で倒す。三人のなかには「主命が下らない」と言っていた侍もいたが。
 市は二人一緒の旅は危険だと江戸までの駕籠を頼んでお美津を乗せ、自分は堂山の彦三のところに草鞋を脱ぐ。彦三のもとには既に留五郎が先に助っ人に来ていた。市は礼金10両での手助けを断る。助っ人料は通常2両程度だ。市は命を的にするんだ、30両は当然だと言うが、20両で手を打つ。市は市の世話に当った組の若者・松から留五郎が意趣返しを企んでいることを聞く。一方、下妻の藤兵衛(沢村宗之助)は陣五郎の案でお美津を誘拐し、お美津を囮に市を懐柔しようと画策する。
 いよいよ出入りの日。藤兵衛はお美津を囮に市を自分の味方に誘う。謝金も倍額出すという。市は下妻方に鞍替えすることを承知する。しかし、争いの最中に、彦三、留五郎、藤兵衛を斬り捨てる。陣五郎も斬る。お美津はお久が助けていた。市は松に渡し賃を渡して、お美津を江戸まで送り届けてくれるように頼む。去っていく市の懐にはお美津が残した手鏡入れ(?)があった。

     映画川柳「囮にと 堅気の娘を 利用とは」 飛蜘  
2010年1月20日

BS2
(1月16日21:00)
MASTER TAPE


NHK
2010年
54分
 副題は“荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る”。荒井由実の最初のLP『ひこうき雲』(1973年11月20日リリース)のマスター・テープを聴きなおして、誕生の経緯を振り返ります(吉沢典夫レコーディング・エディター)。
 荒井由実はブリティッシュ・ロック好きの作曲家志望の少女でした。それが、アメリカン・ポップス命のキャラメル・ママ(細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫ら)のバックで歌うことになりました。16チャンネルのテープで、ボーカルの収録には約1年がかかったそうです。レコーディング・ディレクターの有賀恒夫さんが、ユーミンに「ノンビブラート唱法」を徹底させました。『ひこうき雲』以前には、「返事はいらない」がユーミンのデビューレコードでしたが、300枚しか売れなかったそうです。「ひこうき雲」は村井邦彦の推薦で雪村いづみが歌っていたそうです。
 LP収録曲で、特に“イギリス色が強い”(細野の言葉)のは「ベルベット・イースター」。
 私にとって、当時の荒井由実のLPでもっとも印象的だったのは、ライナー・ノーツに書かれた「誕生日」という詩でした。その詩は「今日は今日のわたしがいちばん好き 明日は明日のわたしがきっといちばん好きになるだろう」と結ばれていました。この言葉は自己嫌悪に悩む高校生をカウンセリングするときにもよく使わせてもらいました。ユーミンの曲もポジティブなものが多く、この番組でも、スティールギターを弾いた駒沢裕己が、そのポジティブさがよかったと証言していました。

     映画川柳「紙ヒコーキ 屋根にのぼると 空が近い」 飛蜘
2010年1月19日


NHK総合テレビ
22:00〜
プロフェッショナル
加藤友朗



NHK総合
2010
50分
 加藤友朗氏は、コロンビア大学附属病院の教授で移植外科医。15年前に渡米して、いまや移植外科医としては世界一の技術を誇ります。臓器を摘出して、腫瘍など異常部を切除した後、体内に戻して縫合するといった難手術を成功させていました。血管や出血個所の丁寧な縫合など、時間をかけて行い、術後の患者の早い回復を実現できるようになったそうです。
 2009年秋の膵臓ガン患者の手術は31時間に及ぶ大手術でした。加藤医師は不眠不休でやり遂げました。手術には、強靭な精神力と体力が必要とされます。
 ディレクターは宮川慎也・細田美智子、撮影は板倉達也。

     映画川柳「血管の つぎめにゆるみを もたせては」 飛蜘
2010年1月19日



ブルーレイ
傷だらけの天使


日本テレビ
50分
1974年
 ショーケンのオサムと水谷豊のアキラのコンビが可笑しい連続テレビドラマ。撮影は木村大作。深作さんの手持ちカメラの躍動感をそのままテレビに持ち込んだ。ショーケンの次に何をするかわからないキャラクターを最大限に生かしたアクション・ドラマ。映画監督が積極的にテレビ作品の演出に関わったことでも、当時話題を呼んだ。特に深作さん演出の第3話は見事。

 第1話「宝石泥棒に子守唄を」(脚本・柴英三郎、監督・深作欣二)。30万円で宝石泥棒を請け負った修は、逃走途中で突き飛ばした少年が足を折ったことを知り、見舞いに行く。上司に肉体関係を迫られる母親(真屋順子)を救ったりと思わぬ事件に遭遇するが、相次ぐ宝石泥棒の組織をあぶりだすことが依頼人(岸田今日子)の目的だったことが、最後に判明する・・・。

 第2話『悪女にトラック一杯分の幸せを』(脚本・永原秀一と峯尾基三、監督・恩地日出夫)では恵子(緑魔子)の偽の恋人兼ドディガードを依頼されたはずが、関税逃れの銀食器をさばくことになってしまったオサム。輸入元の中興商事が関わりを恐れて無視を決め込み、完全に品物が浮いてしまう。そうこうするうちに、突然に出現した男は恵子の兄だった。最初から絵が描かれていたのか。アキラが中学退学であることが判明する回。

 第3話『ヌードダンサーに愛の炎を』(脚本・市川森一、監督・深作欣二)、財閥の娘なのにストリップ小屋の喘息持ちの中年男・忠(室田日出男)に尽くしているマリ(中山麻里)。その女の新しいヒモになれと指示されたオサムだったが・・・・。潰れた組の遺恨を晴らすために矢崎との落とし前をつけに行く忠。アキラから包丁を奪って助っ人気取りのアキラだったが、まったく手を出せないうちに決着が着いてしまう。黒姫興行が恐喝のネタにと望んだマリの調査資料を渡そうとした辰巳(岸田森)を邪魔するのがオサムなりの反抗だった。・・・・
 萩原健一の『ショーケン』には、こんな記述がある。
 “深作さんのセリフがいい。「こいつはよお、高倉健や菅原文太になり損ねた男なんだ。要領が悪いからさ」
 その要領が悪いせいなのか、サクさんは室田さんに何度もNGを出す。おれや豊ちゃんの芝居には、いつも大笑いして「OK!」とやるのに。
 (厳しいなあ。あれが、サクさんなりの“愛のムチ”なのかねえ・・・・・)
 ところが、何度もそんなことが続くうち、室田さんがおれにヤキモチ焼いちゃってさ。 
 「冗談じゃねえよ。深作さんてなあ、おれの師匠なのによお、おまえらばっかり好き勝手にやって、おれにはいちいち手取り足取り芝居つけやがって。頭にきたぜ」
 おれ、ポカーンとしてたら、室田さん、目ぇ剥いて、
 「おまえ、何様のつもりだ!」 
 (そんなことでおれに当られたっちょお・・・・)
 でも、このときのことが妙に印象に残って、室田さんとはその後、『前略おふくろ様』『祭ばやしが聞こえる』とおつきあいいただくことになるのです。”

 第4話『港町に男涙のブルースを』(脚本・大野靖子、監督・神代辰巳)、若い女(潤ますみ)を抱いているオサム。女の亭主という男が乱入して来て命からがらオサムは逃げる。千葉の鴨川だ。酒場で出会った侠客風の酔漢・梶(池部良)はヌードモデルを経営していた。モデルのあけみ(荒砂ゆき)は梶と愛人関係のようだが、オサムの誘いにも乗ってくる。オサムは冷凍エビに麻薬を隠しての密輸の証拠をつかもうとしていた。中興水産の柳田が元ニューギニア戦線で部下を見捨てて自分だけ戦線を離脱した柳田中尉であることが判り、梶は生き残りの従軍カメラマンだったことが判って。池部良の出演場面やロケ場面の長回しや、「赤城の子守唄」を口すざみながら砂浜で棒高飛びするオサムのイメージショット、真相が明らかになる前に流れる「戦友」や「同期の桜」など、神代さんらしい特徴が満載の一篇。

 第5話『殺人者に怒りの雷光を』(脚本・市川森一、監督・工藤栄一)、綾部事務所の下請け調査員の若者が次々と殺される。いったい誰が?過去の事件ファイルから怪しいものを探す貴子ら。暴力団組員ではなかった。自分のスキャンダルを探してくれと依頼してきた看護婦が怪しい。事務所はオサムを急病人に仕立てて病院へ送り込む。脚本では雷光に打たれてしまう犯人。完成作品では翌日の自動車事故で死亡。

 第6話『草原に黒い十字架を』(脚本・山本邦彦、監督・神代辰巳)、美術館に展示された肖像画をニセモノにすり替えようとしたオサムたち。既に絵は盗まれていた。ひとりぼっちの少女ナツメが盗んだ絵を取り戻そうとする組織からナツメと絵を守ろうとするオサムたち。ありえない設定で一種のファンタジー。神代演出は徹底的に野外ロケなのに、リアルな物語から離れていく。

 第7話『自動車泥棒にラブソングを』(脚本・市川森一、監督・恩地日出夫)、最初に撮影された作品。自動車盗難事件を探るオサムは、黒幕の組織の社長(高橋昌也)の情婦が綾部貴子(岸田今日子)宛てに運んで来た1億円を女ごとさらう。女・徳子(川口晶)と意気投合した三人の逃避行を組織が許すはずもなかった・・・・。組織の組員に蟹江敬三、駐在所の警官に奥村公述。

 第8話『偽札造りに愛のメロディーを』(脚本・柴英三郎、監督・工藤栄一)、冒頭、オサムは一枚買ったLPレコードで浪花節をかけている。この浪花節が今回の物語全体の批評になっている。音楽大学生(田辺節子)に夢を託した元印刷工・中川(有島一郎)は組織(近藤宏)のためにニセ札を作っていた。ニセ札造りからの引退を決意する中川だったが、組織が秘密を知られて黙っているはずがなかった・・・・。

 第9話『ピエロに結婚行進曲を』(脚本・市川森一、監督・児玉進)、珍しくも殺人コメディ。脚本の原題は「道化師にたまらん節を」。アキラが持ち込んだ話に乗ったオサムだったが依頼主の依頼は、なんと自分の妻の殺人だった。オサムは飲んだくれて決行しなかったjのに誰かが殺人を遂行していた。磯崎(滝田裕介)はさらに女子大生の愛人を消すように依頼してくる。この絵描きは綾部貴子と結婚しようと画策しているらしい。愛人を拉致したアキラは彼女に抱かれて・・・・。

     映画川柳「宝石を ラグビーボールに 押し込んで」 飛蜘

 真屋順子さんは40代で脳出血で倒れ、現在は68歳。リハビリに取り組んでいますが、左半身不随です。

【参考書】萩原健一『ショーケン』(講談社、2008)より、
 “最初、『傷だらけの天使』は、好きなようにやっていい、という前提で始まりました。日本テレビに回されたワクは土曜夜の十時台で、何をやってもいい、視聴率が取れなくても構わない、と言われています。・・・・・キャラクターと設定は、脚本家の市川森一さん、日テレのプロデューサーのシミキンさんこと、清水欣也さんと一緒に三人で考えた。・・・・・1974年の7月、深作欣二さんの『ヌードダンサーに愛の炎を』、恩地日出夫さんの『自動車泥棒にラブソングを』の二話が同時にクランクインして、撮影は始まりました。この出足からいきなり、予算も日程も大幅にオーバーしたのです。放送開始が10月だから、それまでに何本かストックしておく予定だったのに、どうにかできたのは結局、深作さんと恩地さんの二本だけ。両監督が映画出身でじっくり撮る上、お互いに張りあっちゃったものだから、ギリギリまで完成しなかったわけさ。・・・・撮影が進むにつれて、金は出て行く、日程は詰まる。市川の森ちゃんも追い込まれて、ホンが上がってこなくなる。やっと届いたと思ったら、シナリオでなくレジュメで、箱書きしか書いてない。あとでセリフがくっつけられると、こんどはストーリーに矛盾が生じることもある。・・・・待っていられないときには、ぼくが自分でセリフを書いた。・・・・みんなの知恵を合わせて、つくっていくわけだ。・・・・常に時間に追われているから、二話を同時に撮影して行かなきゃなりません。こういうやり方を「二話持ち」といって、一話につき一週間かける。・・・それにしても、『傷だらけの天使』の撮影は最後の最後まで、シッチャカメッチャカだった。”

 市川森一『傷だらけの天使』(大和書房、1983)、シナリオ集
2010年1月18日


DVD
張り込み

松竹
1958年
116分
 松本清張傑作映画ベスト10第4巻。野村芳太郎監督、橋本忍脚本。
 二人の男(宮口精二、大木実)が横浜駅から列車に飛び乗る。混んだ車内では坐るところも無い。大阪から西は蒸気機関車になって、座席も空く。二人は九州の佐賀までやって来る。佐賀市内で旅館に投宿した二人は、旅館に面した家の人妻を見張る。どうやらこの二人は刑事のようだ。
 ときどき過去の場面がフラッシュバックされ、事件の様子や捜査の進展、若い刑事の恋人(高千穂ひづる)や家庭の事情などが理解される仕掛けになっている。質屋で強盗殺人をはたらいた犯人(内田良平ら)のうち、ひとり(田村高廣)が拳銃を持って逃走、病状が悪いため、昔の女(高峰秀子)を訪ねるのではないかとの予測から張り込みを続けているのだ。しかし、女には怪しいそぶりはない。きわめて平凡な毎日であった。
 張り込みが一週間も続いて今日が最後という日に動きがある。女の大胆さに刑事は驚く。無感動だった生活がウソだったように、女には生気が蘇ってくる。しかし、山奥の温泉場で刑事は犯人を捕らえなくてはならない。
 名作の誉れ高い一篇ですが、最後の大木実だけで二人を追うあたりから単調になってしまい、最後まで持ち直すことができなかったと思えた。

     映画川柳「《東京で》 6畳に 5人家族で ひしめき合い」 飛蜘
2010年1月18日


DVD
続・悪名



大映
1961年
93分

 第1作が好評で、すぐに続編が撮影された。脚本・依田義賢、監督・田中徳三。撮影。宮川一夫、照明・中岡源権、録音・大谷巌、美術・内藤昭、音楽・鏑木創。カラー作品。
 満州事変のころ。朝吉(勝新)は女房・お絹(中村玉緒)を連れて河内へ帰って来た。父親から農作業で嫁の手に豆ができたら祝言だと許されたのはいいが、内心二人は閉口する。そこへ、モートルの貞が朝吉を親分と慕って訪ねて来る。田んぼで行方を尋ねた相手が朝吉の父、父はやくざものの弟分に怒り、二人をたたき出す。貞は恐縮するが、二人は安堵。前作で吉岡(山茶花究)を半殺しの目に合わせた松島長五郎()に遺恨を返しに行く。吉岡から頼まれた貞の弟分の河太郎(南都雄二)の女房・チェリー(長谷川季子)も松島のシマうちの沖縄の源八(上田吉二郎、妻役は毛利郁子)から取りかえす。長五郎の家に二人は乗り込んで、長五郎を狭い路地で殴る。女房は泣き崩れる。
 朝吉は松島の縄張り内の酒屋で休憩する。驚く貞に「必ずやつらは仕返しに来る。そこで闘って、それで一件落着や。そしたら、やくざから足を洗うんや」と話す。案の定、松島の子分たち(須賀不二男ら)が来るが、様子がおかしい。松島の元締め(中村鴈治郎。中村玉緒の実父)が呼び出し、長五郎のシマと子分を任されてしまう。家に帰宅した貞は、恋女房のお照(藤原礼子)と思って抱きつくと、これがなんと貞に岡惚れしてしまったチェリー。折悪しくお照が帰ってきて争いになる。一方、お絹も琴糸の写真を見つけて朝吉と言い争いになる。しかし、話し合いの結果、仲直り。ひとりハズレて嘆くチェリーも一緒に酒盛りとなる。
 組の経営はなかなかおもわしくない。多すぎる子分たちも居場所が狭く、松島の遊郭の一室につめこまれている。源八から果たし状が届けられ、子分たちは色めきたつが、朝吉は「無視しろ」と命ずる。源八たちが決闘場に行っても誰もいないので、彼らは遊郭に押しかけチェリーをさらって行く。朝吉は子分たちを引き連れて行き、源八を脅すと、おじけづいた源八は縄張りと子分を朝吉に譲ってしまう。元締めが部屋を見学に来て、金を貸してやろうと提案するが、朝吉は断る。義理のある金はもらいたくないのだ。
 琴糸(水谷良恵)が、朝吉に会いに来る。道頓堀の牡蠣船で二人は会う。琴糸は東京から北海道、横浜と移り、本牧で因島から遊びに来た麻生の会社員と会って意気投合、結婚するつもりだと話す。朝吉と琴糸は因島へ行き、女親分の麻生イト(浪花千栄子)に会う。琴糸は朝吉が自分のために折檻を受けたことを初めて知る。会社員と一緒に浜を歩く琴糸を見送る、イトは朝吉に「本牧と会ったというのはウソだ。あんさんを思い切るためや」と教える。
 因島の女郎(浦路洋子)から朝吉は、女郎の足抜き手伝うとった人が親分さんになってはるんですねと言われて、急に大阪へ帰る。田中徳三と依田義賢が相談して作った、物語の転換点として重要な場面である。元締めからテラ銭の催促を受ける朝吉。
 再び源八がチェリーを足抜きしたという話が入り、チェリーを取り返すものの、裏に新世界のカポネ(藤山浩二)がいる。元締めはカポネに朝吉を始末してもかまわへんと話す。朝吉は元締めに助っ人を頼むが、元締めは金の貸し借りを断ったら親でも子でもない、ひとりでやりなはれと助っ人を出すのを断る。
 そこへ突然、朝吉に召集令状が来る。出征の前夜に、朝吉と貞が話す。組を解散してもいいという朝吉に、貞は「戦争ってのは国の縄張り争いでっしゃろ。負けにいきゃしませんやろ、きっと凱旋して生きて帰って来てくんなはれ」と頼む。
 朝吉の出征行進はやくざの邪魔が入るが、なんとか朝吉は脱出。
 身重のお照と貞は買物に行こうと家を出て、雨の日、舗装の道に出たところで、貞はやくざに刺されてあっけなく死んでしまう。最初は雑踏で知らぬ間に刺されて倒れる予定だったが、封切り日に間に合わない恐れがあって、俯瞰シーンになった。
 戦地で、朝吉は「あかん。こんなごっつい出入りは初めてや」、いまごろ、貞は三途の川を渡っているやろな、俺ももうすぐ行くで・・・とつぶやく。田中徳三監督は、「悪名」はこれで終わりというつもりだった。

     映画川柳「盆栽の 伸びた側枝を 切り落とす」 飛蜘

【参考書】田中徳三『映画が幸福だった頃』(JDC、1996)より、
 “(最後に残ったシーンは)田宮二郎演ずる「モートルの貞」なるやくざ者が、雨の中、身重の女房と出産の用意のため買物にゆく途中、市場の人混みの中でやくざに刺される、ドラマの中でもっとも大事なシーンである。私の思いは、女房も、すれ違う通行人も気がつかないで、気がついた時には、モートルの貞は倒れていたというプランであった。・・・・製作部から午前十一時迄に撮影したフィルムを現像所に放りこまないと間に合わないと言ってきた。・・・・ロケに行く時間がなければ撮影所のどこかで撮影する以外はない。・・・・私は、人物の空をバックにしたアフリのショットと、俯瞰で舗道と人物だけのショットで撮ることを考え、宮川さんに相談した。宮川さんの意見とアドバイスを聞き撮影コンテを作成した。
 所内の経理部の前にある幅十米位の通路に、照明部の十五米位あるライトを取りつける俯瞰台を設置、ホースで雨を降らして撮影は始まった。
 約一時間で撮影は終った。どうにか封切日に間に合うように終った。
 完成した『続・悪名』のそのシーンは大好評であった。それは演出よりキャメラの素晴らしさである。監督の意図とテーマを確実に捉えた映像であった。私は助けられた思いであった。
 「キャメラも芝居をするんや」
 これは宮川さんの言葉である。”

 田中徳三のコメンタリーより、
 “南都雄二の演技は地ですね、ほとんど。田宮は京都出身で、関西弁が板についていた。勝ちゃんも28歳で、若く勢いのある良さがあった。後年になっては朝吉は親分になってしまい、こんな感じは出なかったろう。出征前夜の勝と田宮の対話は二人ともいい顔をしている。とてもいいシーンになり、監督冥利につきる。また、中村鴈治郎さんは、この役が気に入ったと言っていた。
 早坂文雄の弟子、佐藤勝さんに音楽を依頼しようと思っていたが、都合がつかず、鏑木創さんを薦めるひとがいた。鏑木さんは「三味線でいきます」と言う。素晴らしい音楽で、その後もずっと一緒に組んだ作品が多い。
 「酔うた機嫌」というくらい、依田さんは酒癖が悪かったが、溝口監督とはサイレント時代から付き合いで、お互いにボロクソに言い合う。溝口作品では、脚本の直しが必要だと依田さんが急遽呼ばれたもの。
 私と組んだのはこの「悪名」が初めて。二人で相談しながら映画を作っていった。”


シェイクスピア作品の映画化やその関連の映画は除く。
それらは別ファイルになっている。→ 『シェイクスピアの劇と映画


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