世田谷区ホームページ削除命令事件の経緯

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 学級ホームページを立ち上げ、世田谷区教委から「個人情報保護条例」違反に問われて1年以上が経った。インターネット教育の幕開けという時代に乗った問題であったばかりでなく、時の文部大臣やニューヨークのミュージシャン坂本龍一氏など有名人の応援をいただいたため、マスコミの注目を浴びるところとなった。実際、日本中いや世界中の多くの方々のご支援のおかげで、ホームページは今でも続いており、この春、子ども達はめでたく卒業を迎える。子ども達の卒業を機に事の経緯を整理してみたい。
 学校教育におけるインターネットの普及は学級の風通しをよくし、授業そのものを大きく変える可能性を持つ。隔離されていた閉鎖的な教室は双方向の情報授受により外部社会との接点を持ち、子供たちは生きた教材とリアルタイムで接することができるようになる。子供たちは課題解決に向けて自ら情報を収集し、疑問や学習成果を発信していく。そして多くの人たちとの交流により、さらに学習を深めていくことになるだろう。
 教師は外部の専門家や保護者と連帯して授業を企画し、多くの人たちが授業に参加することになる。評価も一教師による一方的なものではなく、専門家や保護者などが加わって、「その子らしさ」を認める共感的評価となるだろう。子供も教師もとに学習し、「自分みつけの旅」へといざなわれる。
 そんな夢を描いて、学級ホームページ「5年1組物語」を立ち上げたのは、1996年11月6日であった。それから2週間後に私たちの戦いは始まった。

■11月6日(水)東京都世田谷区立松丘小学校「5年1組物語」ホームページを集合写真と児童の名前入りでアップロード。その後、全国いろいろな方とのメール交換が始まる。
    [関連書類] 保護者への手紙

■11月19日(火)夕方、指導主事2名が来校。ホームページの事実を確認し、個人情報保護条例に違反していて、審議会で問題となるおそれがあるからと言う理由で、削除を迫る。

■11月20日(水)学校長とともに指導室に呼び出される。世田谷区個人情報保護条例と、地方公務員法32条(上司の命令への服務)に違反しているので削除すること、従わないならば前述の関係法令によって校長とともに処分することを説明される。そのときの条例違反の争点は、
(ア)職務上収集した氏名などの個人情報をコンピューターを通してフロッピーディスクに入れた。(電子計算組織による処理の禁止)[パソコンで名簿を作ることも禁止されている。]
(イ)その情報を外部に持ち出した。つまり、家にもって帰った。(適正管理の原則違反)[教師が、テスト用紙や名簿などを学校の外に持ち出すことは禁止されている。]
(ウ)個人情報を外部に公表した(外部提供の禁止違反)
(エ)コンピュータを外部のコンピュータと接続した。(学校を含むいわゆる「実施機関」の電子計算組織の結合の禁止)
 また、区教委は、多聞小学校でインターネットの実験を始めるので、それを先を越して邪魔しないように注意する。結局、話はネゴに入り、指導主事は世田谷区と松丘小の名前及び写真をすべて消して、児童の名前もすべて架空のものとすることを要求。子供一人一人のページまで、教師の指導で名前を隠すようにさせることはできない、と主張。結局、トップページから世田谷区と松丘小の名前を消し、児童名も架空のものとすることで合意。ホームページの存在を他の学校の教師には他言しないことを言い渡され、帰る。

■11月24日(日)区教委との合意に従い、校名を架空の「MGK小学校」としてアップロード。トップページの児童名はすべてニックネーム。一人一人のページで子供達が実名で自己紹介している部分は残す。

■11月28日(学校長の話)午後1時半ごろ指導主事1人が来校、「改訂したホームページを見て検討したが、区教委及び企画部情報処理課の判断では、やはり条例違反という決定が出たので削除を命令する。詳しくは後に、正式に文書で通達する。」と言って帰る。

■同日夜、”HELP US”のメールを友人、知人宛に発信。それが各地のメーリングリスト(会員同士の掲示板のようなもの)に転載され、すぐに全国から支援メールが届き始める。アメリカやイギリスなどからのメールに混じり、坂本龍一氏からも支援メールが届く。

■11月29日(金)夜、朝日新聞より電話が入る。今までの経過を詳しく話す。

■11月30日(土)12時ごろ、学校教育部長が来校。朝日新聞の取材があったことを告げ、削除に応じるよう説得する。

■12月2日(月)区役所での朝日新聞記者と区教委との会見が行われる。

■12月3日(火)朝日新聞に記事が出る。

■同日午後3時30分より、臨時保護者会(校長立ち会いのもとに20名出席)。保護者のホームページ継続の意思が確認される。

■12月4日(水)朝日が特集を組んだ他、読売、毎日、東京新聞に記事が出る。

■12月5日(木)学校教育部長と指導主事2名が来校。午後6時から11時まで校長、教頭を交えて対談。この日、文部大臣から最初のメールが届く。

■12月7日(土)夜7時、担任を抜かした保護者の会合が開かれる(20名出席)。全員の意志で、ホームページ継続が確認され、区教委に手紙を出すことが決まる。

■12月8日(日)会合の決定に沿って、保護者から区教委への手紙が作成され、学級代表が電話連絡網で全員の承認を得る。

■12月9日(月) 学級31名全員のホームページ参加の希望と承認が保護者のサイン付きで確認される。
    [関連資料] 寄せられた親の声

■12月13日(金) クラスの学級代表2名とPTA会長が、区教委指導室を訪れ、「保護者一同」の名でホームページを何とか続けさせてもらいたい趣旨の手紙を担当指導主事に手渡す。その場で区教委は、初めて処理案を提示。内容は
1.いったん中止(削除)する。
2.地域の人が主催して、地域の活動として、ホームページを立ち上げる。
3.私がその活動の顧問となる。
4.学校のパソコンは、放課後に地域に解放してホームページづくりやメールの作成ができるようにする。
 要するに、学級ホームページを学校教育の管理下から社会教育に移行させて、区教委の管轄外に出すことであった。

■12月16日(月)文部大臣から2通目のメールが入る。世田谷区には「事情を聞く」という形で善処を要請するとの内容。

■12月17日(火)文部大臣から続けて3通目のメールが入り、参議院文教委員会で、世田谷区のホームページの事件に関する質問があり、大臣は調整するとの答弁をされたとのこと。子供達の夢を壊すことはしたくないが、一方では(世田谷区に対して)強権発動のようなことはしたくないという内容。

■12月19日(木)夕方、指導主事2名が来校。「社会教育移行案」を再度提案する。

■12月20日(金)午前中、保護者代表3名とPTA会長が再び指導室を訪問。13日に渡した保護者一同の手紙に対しては正式にNOが回答される。

■1月14日(火)保護者会 23名(31名中)出席。保護者代表のこれまでの区教委との交渉についての経過説明の後、担任抜きで質疑応答。区教委の「社会教育移行」案についての受否を、目をつぶって挙手による採決。23対ゼロで受け入れないことを決定。再度、区教委と話し合いを持つことが決まる。

■1月20日(月)保護者代表3名が区教委を訪れ、中村学校教育部長と会談。同部長は、保護者全員に直接、区教委の立場を説明する場を設定することを強く要請する。

■1月22日(水)NHK富山が5年1組のパソコン授業風景を撮影。区教委は当初、パソコンを使った授業風景の撮影に難色を示す。こちらからの発信準備だけではなく、インターネットを通して取得した教材を学校に持ってきて使用することも認めない方針をNHKに伝える。結局、学校長の裁量に任すとし、学校長がNHKに折れたため、パソコン室での授業となる。内容は、学校のパソコンにインストールしたネットスケープ・ナビゲーターを使い、松丘小5年1組の「世界インターネットカルタ大会」への参加作品「世田谷カルタ」の実際の画面を見てできばえをチェックする。ナイロビ日本人学校のホームページ(写真、実名掲載)を見て、学校と国・地方の特色をとらえたあと、ナイロビカルタを見て批評する(批評は日本人学校プロジェクトのメーリングリストで流す)といったもの。

■1月31日(金)夕方、校長とともに指導室に呼び出される。指導室側出席者は、海老沢指導室長、岡田、半澤指導主事。事前に私の学級経営案、4月からの学年便り、週案、校長の学校経営案などの書類の持参を求められ、提出、チェックを受ける。質問者は主に海老沢指導室長。普段の授業計画、ホームページ立ち上げの意図、その際、条例や区教委の方針を知っていたか、などの調書を取られる。そして削除指導に従っていない現在、地方公務員法等に規定されている「上司等の服務命令に従う義務」に違反していることを認めさせようとする。また、都が処分に向けて動き出していることを話し、松丘小がインターネット関係で区教委の研究課題校を引き受ければ、問題が解決すると示唆する。

■2月6日(木)区教委による5年1組保護者を対象とした「区教委の立場と方針」を伝える説明会が、午前10時より本校会議室で開かれる。学校長が2日前に保護者宛の通知を出したこともあり、保護者の出席は8名(うち1名途中退席)、PTA会長、校長同席。区教委側は岡田、半澤指導主事。
 この席で、初めて区教委は「実験学級」(委託研究)の構想を持ち出す。しかし、実現には予算等の関係で時間がかかるため、とりあえず、社会教育へ移行することを再び要請。どのくらいかかるのかという保護者の質問に対して、岡田指導主事は「早くて5月。」と一度答えるが、回答を訂正して「わからない。」とする。また、近く中村学校教育部長が(実験校の枠を増やすことなどを)マスコミ発表するという。同時に都教委による私に対する処分の話が進んでいることを話す。

■4月9日(水)NHK教育テレビが5月3日夜放送予定の「メディアと教育」で、この問題を取り上げるために来校し、私のパソコンの授業風景を撮影。

 以上が事の経緯であるが、その後、区教委は、保護者に対して行った「実験学級」の話など、まるでなかったかのようにだんまりを決め込んでいる。

 国語の表現学習や社会科の地理学習の他、子供達は実践を通して、一つ一つサイバースペースの歩き方とルールを確実に学習しつつある。学校から直接アクセスできれば、もっと効果は大きいだろう。すべての道をコンクリートで固め、危険・有害とおぼしき場所は通行止めにし、行く先々に管理人を置いて、その準備が整うまで一般の子供は歩かせない、それを見守る教師も信用できないというやり方では未来の子供達は育たない。道は皆で歩いて造っていくべきではないか。

 区教委の姿勢として、初めから現在に至るまで一貫して変わらない点は、個人情報保護条例を持ち出し、これに違反しているので削除しなさい、といったものである。これに対して私たちは、子供達が保護者の了解を取って著作物や氏名などを公開することは、自発的な情報発信であり、個人情報保護条例によって保護されるべき情報には当たらない、むしろ子どもの権利条約や憲法で保障されているところの権利であるという主張をしてきている。また一歩譲って、条例の適用を認めたとしても、どの条文にも違反するものではないと判断している。こちらが一貫してお願いしていることは、11月28日の口頭による削除命令の際に「後に文書によって示す」と指導主事が学校長に言った「文書」を出していただくことであり、現在でもそれを待っているのが実情である。文書による正式な通達または指摘がない限り、条例違反の事実は存在しないし、それに対する法的な弁明も行う必要はない。たとえ公務員であろうと、根拠のない服務命令に従う義務があるのだろうか。

 条例自体は必要なものであり、問題ではない。問題なのは条例の目的からはずれた、条例の拡大解釈である。私と同じように、教育委員会の的外れの条例適用による規制に苦しんでいる教師たちのためにも、区教委には、教育現場における自発的な情報発信は、個人情報保護条例の対象外であることをまず、内外にはっきりと示していただく必要があると考えている。その上で、情報発信の教育的効果とリスクとについて議論していくのは意味のあることだと思う。

 実名や写真などホームページに載せる個人情報の範囲については、基本的にホームページ作成者が自己の責任において判断すべきことである。たとえ、管轄下の教育現場に対しても、行政が一律の基準をもって規制するのは筋違いであるといわざるを得ない。それがまかり通るのは、民主主義が未発達か情報操作が行われている一部の専制国家だけである。
 しかし、インターネットを知っている教育関係者たちが連絡を取り合い、お互いのホームページをウォッチしあう体制を作ることは、間違ったリスク判断を避けるためにも、またお互いのホームページの教育的価値を高めるためにも必要なことだと思う。そのような自主的な行動と判断を繰り返すことによってこそ、地域の実情をふまえた社会的なコンセンサスが芽生え、教育の世界にもいわゆる「ネチズン」が育っていくのだと考える。 

 現在、区教委は、小・中各一校をインターネット接続の研究校に指定している。そこで2年間の試験期間を設定して、個人情報の取り扱いやインターネットの教育的利用についての経験を積もうというものだ。その間、研究はこの2校だけで行い、他の学校に対してはインターネット接続を認めない。

 世田谷区では区教委のもとに「情報教育検討委員会」なるものが存在し、そのなかにある「ネットワーク部会」がインターネットに関することを扱っている。ところが、この「ネットワーク部会」は私のホームページ問題が起こるまではほとんど開かれず、研究校の募集やインターネット接続基準の作成にも、現場の教員は関わっていない。こうした区教委のやり方に疑問を感じている教員は少なくない。

 そもそも、インターネットという、幅が広く、奥の深い、しかも変化の速い世界を、小・中各1校だけで研究していこうということ自体、無理な話である。そこには様々な教育実践の形態があってしかるべきであろう。いろいろな研究や実践を取り込んでいって、その中で個人情報公開についての基準を考えたり、できるだけ多くの視点からインターネットの教育利用を研究していくことが必要であると思う。 

 インターネットは教育の一つの道具を越えて、今後の教育全体を変えていく可能性を秘めている。教育委員会や現場の教師も含めて多くの人たちの手により、多方面から幅広く実践的研究をしていく必要があると思う。

 まだまだ先は厳しいが、ネットデイにワイヤーを持って、突然、学校に現れたクリントン大統領とゴア副大統領に見られる積極的、攻撃的な姿勢を日本の行政の方々にも持ってもらいたいものである。

 最後に、この件に関する詳細は下記の弊著に記しましたので、機会がありましたらお読みください。

「インターネット教育で授業が変わる−子どもの情報発信をどうすすめるか−」
(石原一彦、坂本 旬、丹羽 敦、橋本 晃 共著)
[97年4月15日労働旬報社発行]