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懐かしい風景


 あの頃は良かった。でも、何もかも、うつろいゆくからこそ、すべては美しい思い出になるのでしょう。花は枯れても、また鮮やかな色づく季節が巡り来ます。流れ去る時間のなかで、ふと立ち止まった瞬間、あなたの心にどの時の風景が蘇りますか?遠ざかったその風景は色褪せない・・・・


校地上空写真


CEO 昭和54年4月1日(日)赤城、榛名連山が手にとるように眺め見る広大な田園が広がる大地に、深谷中学校と大寄中学校が統合した、『新生深谷中学校』が誕生!当時“県内随一” “自他ともに誇れる施設”を誇る深谷中学校と自慢するだけに、 いたり尽くせりの施設。 敷地面積44,035平方メートル、鉄筋コンクリート造り4階建て、教室40室、理科・家庭科室他特別教室12室。給食室292平方メートル、体育館1,183平方メートル、総事業費14億3121万円。 4月9日(月)35クラス、生徒総数1,493名、教職員67名を迎えてスタートしました。
(昭和55年3月18日撮影)


CEO
今ではきれいに整備された中学校も、当時は校庭も凸凹が多く、授業の傍ら 急ピッチで整備工事が行われていて、何もかもが始めて使用される校舎は、真新しい建物と設備の何とも言えない香りが漂い、深谷中学校の創設期と いう古き良き時代に、新設中学校第1回生として過ごした数々の風景が走馬燈のように脳裏を駆けめぐります。 (昭和55年3月18日撮影)





校舎・・・・・テニスコートからの写真


CEO












  田園が広がり、春の草花が色どりをそえ、変わりゆく四季の変化を直接学びとれる環境に恵まれた地に、福川に面して正門と2階建ての管理室と 教室、棟続きの後ろに4階建て校舎が、春の陽にくっきり浮き出され、目にまぶしい。多感な思春期の、あの日、あの時、あの場所で同じ大空と大地のなかで先生と同級生が学び、遊び、笑い、泣いた懐かしい校舎。


体育館・・・校庭からの写真


CEO  屋根は長尺鋼板を使用、風雪に耐えるものを造り上げ、内部施設はバドミントンコート4面、バレーコート2面、低鉄棒等を設置され、天気の良い時には屋内外のコートがふんだんに使え、1,500人が収容出来る広々とした体育館で、朝会、部活、体育、行事セレモニー等、 多くの思い出が詰まっています。
  私たちが在籍した頃は、まだ緞帳がありませんでした。覚えていますか?





プール・・・教室からの写真


CEO 当時の学校のプールと言えば、大体がコンクリート造りでしたが、深谷中学校は技術を先取りしたアルミ製を採用した第1号でした。コンクリート造りと違い、ヒビ割れもなく清掃するにも簡単なうえ経費も安く、おまけに腐食しないという大きなメリットがあるとのこと。25メートル8コースのプールで心身ともに強固な人間づくりを目指していた学校の想いが伝わります。
  プールの下に部室がありました。覚えていますか?




バナースペース

昭和56年度卒業 深谷中学校同窓会


e-mail:fukachu56@seven-j.co.jp

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