道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆ 狭山・入曽・七曲井戸  ◆◆◆◆◆

金剛院

県道所沢狭山線と川越入間線が交差する入曽の信号の南東に金剛院という寺院があります。真言宗豊山派の寺で、本尊は不動明王です。創立年代については明らかではないようですが、建久年間(1190〜97)とも伝えられているそうです。寺には享保元年(1716)玄慶作の木造不動明王座像をはじめ、室町時代以前の作と推定される木造地蔵菩薩立像など多数の文化財があるそうです。そして以前には寺の裏手に堀兼井跡と称する古井戸があって『新編武蔵風土記稿』にも記されているようです。堀兼井は諸説があり一定していませんが、堀兼の堀兼神社境内にある井戸は良く知られています。

金剛院の四脚門

現在の狭山市入曽付近の県道所沢狭山線は、鎌倉街道上道を拡張舗装した道であるそうです。所沢市内の峰ノ坂から狭山市の西武線狭山市駅前までの鎌倉街道上道は、現在のこの県道が往時の道筋と考えられています。しかし車の往来の激しいこの道路では往時の面影はほとんどありません。唯一、七曲井戸などの史跡が往時を偲ばせてくれています。この付近一帯はかって広漠たる原野で、いわゆる武蔵野の一部を構成していた地域でした。地現では「入間野」と呼び、『吾妻鏡』建久4年(1193)3月に源頼朝が武蔵国入間野に於いて追鳥狩を催した場所とはこの辺だと伝えられています。

県道所沢狭山線入曽の入間野神社前の道

南入曽の入間野神社は、元は国井神社といい、後には御獄大権現とも称していたそうです。ここの神社と金剛院の入曽獅子舞は有名で、宝暦8年(1758)以前から伝わるもので、五穀豊穣・降雨のない時の雨乞いを祈って舞われているそうです。毎年10月14日と15日に行われ、県指定無形民俗文化財になっています。入間野神社の鳥居の横には鎌倉街道上道の案内看板が立っています。
入曽の交差点を東に500メートルほど行った所に、「化け地蔵」と呼ばれる石地蔵が立っています。地蔵の光背には当時の名主だった牛久保牛右衛門忠元と、村全部の戸数と思われる名が刻まれているそうです。化け地蔵と呼ばれるようになった経緯は幾つかの説があるそうです。興味のある方は調べてみてください。

入間野神社前の道を所沢方面を見る

入間野神社の北側には不老川が流れています。不老川の流域の地下は砂利層で、降水量が少ないと水の流れが止まり、水が涸れてしまうそうです。不老川は流れが止まってしまうことから、歳をとらないという縁起をかついで名付けられたそうです。県道の橋を渡るとすぐ左手西に観音堂があり、石塔類が幾つか並んで立っています。その観音堂の裏手には県指定史跡「七曲井戸」があります。また不老川の橋から東にしばらく行くと野々宮神社があり市指定文化財の古代甕が残されています。

県道と七曲井の観音堂

入曽の七曲井

観音堂裏手にある七曲井戸は、直径最大で26メートル、深さ10メートルほどの漏斗状の窪地が口を開けています。削井技術が未発達の時代に、掘りにくい砂礫層地に筒状の井戸を設ける必要からこのような形状に掘られたといい、そのような形状の井戸は「まいまいず井戸」と呼ばれています。昭和45年に実施された発掘調査のさい、松材を井桁に組み周囲を石で突き固めた遺構が確認されました。また平安期のものと見られる須恵器の破片や、文永9年(1272)、元徳3年(1331)銘の板碑等が検出され、この付近が早くから開発を受けていたことを物語る遺物であるとしています。また一説にはこの井戸が都人に知られた堀兼の井戸ではないかともいわれています。

七曲井戸

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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