■FR−003■
太平洋  大阪→高知航路・甲浦→大阪航路  室戸岬めぐり
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写真 昼前に足摺岬を出港した<むろと>は午後15時過ぎ頃には甲浦港沖合に姿を見せる

1999年 正月 往きも帰りもベタ凪の太平洋、高知から室戸岬を巡り甲浦から帰路に

●航海 往路・太平洋 復路・紀伊水道
@★★★☆☆ 往路 大阪→高知 夜行便 大阪高知特急フェリー<ニューかつら>一等特別室
 総トン数:6,772.00 旅客定員:1,000名 航海速力:19.7ノット 就航:1981年4月
A復路 甲浦→大阪 昼行便
 高知シーライン<むろと>一等特別室
 総トン数:6,472.00 旅客定員:867名 航海速力:21.0ノット 就航:1987年7月

★★★★☆ 旅程 船中一泊 一泊二日
第一日目 京都→大阪南港21:20→
第二日目 →06:30高知港→高知→室戸岬→甲浦港17:20→22:20大阪南港入→京都

 

 大阪南港を夜に出発、翌日早朝高知フェリーターミナルへ到着。早朝のはりやま橋を散策後JR高知駅で朝食。さらに駅前の高知ホテルのゆったり豪華なラウンジでコーヒーブレイク後、路線バスの急行で室戸岬へ。室戸岬で鰹のたたき定食の昼食。再び路線バスで太平洋を眺める美しい海岸線を通り甲浦(かんのうら)へ。まるで春のようなうららかな陽差しに恵まれて冬の旅であることを暫し忘れる。
 甲浦への到着後ちょっと町中? の散歩。美味しい炭焼き焼き肉で腹ごしらえをして<むろと>に乗船。夕焼けの太平洋も美しく日暮れを迎えた。一眠りするうちに紀伊水道を抜けた<むろと>は関空沖を通過して大阪湾にさしかかった。ほぼ定刻大阪南港フェリーターミナルに入港。帰路につく。

 

【第一日目】

往路 大阪→高知航路 大阪高知特急フェリー<ニューかつら>
 大阪南港フェリーターミナルへは八時頃に到着した。年始の二日だか下り便のためなのか、混雑もなくむしろ拍子抜けの感じが否めない。乗船客はおよそ数十名程度かと見渡す。窓口には行列もなく乗船名簿用紙に必要事項を書き込んで提出し予約番号を告げると、待つこともなくコンピューターからはじき出された乗船券が渡された。この船は最上級船室が一等特別室。乗船開始は一時間前とのことで、二階の待合室で煙草を一服吸って連絡通路を進むと、要所要所には行き先表示がされている。その表示に従って岸壁に降りると左前方に接岸した<ニューかつら>の雄姿、結構大きく感じられる。船腹に繋がるタラップの登り口には既に二十名ほどの乗客が集まっていた。間もなく乗船が始まり行列は進む。この程度の乗客数だと非常にスムーズに流れる。(^^) 殆ど待つこともなく出港一時間前には乗船した。
 インフォメーションで乗船券を差し出すと部屋番号を教えてくれるが、どうしたことか鍵は渡されない。心配になり尋ねると鍵は部屋にあると言うこと。指定された部屋は左舷側の部屋。ドアノブを回せば鍵はかけられて居らず、怪訝に思いながらも部屋にはいると、テーブルの上に確かに鍵は置かれていた。部屋にはいると右手に浴室があり、その奥にちょと狭い感じがしないでもないスペースに、シングルベッドがふたつ、間にナイトテーブルを挟んで配されている。何とも不思議なことにナイトテーブルの上にはヘアドライヤーが置かれていた。左側の壁際にはこじんまりとした椅子とテーブルの三点セットがあり、突き当たりの窓際には小型のテレビが置かれていた。一等にしてはまぁ良しとしよう。
 ちょっと気がかりはベッドの上の毛布。特別室と称するのならふんわりとした掛け布団かと思いきや、オレンジ色の毛布。少々侘びしい気もする。出港までまだ小一時間ある。一通り部屋の中を見回してから椅子に腰を下ろす。テーブルの上にはポットと湯飲みが置かれていて、このような場合には決まって用意されていても良さそうなお茶のパックが見あたらない。これまたちょっと解しがたいとは思いながら、持参のインスタントコーヒーの粉を湯飲みに入れてポットの湯を注ぐ。
 あれっ、ちょっと変だな湯の色が・・・。そう思いながらもさっと解けたコーヒーをグイッと一口飲む。一瞬口内に渋みが漂うことしきり、お茶の味が、間違いなくお茶の味がする。もう一つの湯飲みにポットから少々注いで飲んでみるとなんと間違いなくお茶ではないか。お茶のパックが無い疑問は瞬時にして解けたものの後の祭り。渋みと苦みが入り混じった何とも筆舌に尽くしがたいコーヒー茶を賞味することなった次第である。そんな歓迎?にめげずとりあえず室内の写真を撮る。
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写真 三枚とも:<ニューかつら>一等特別室船室
 定刻21:10出港。ゆっくりと岸壁を離れた<ニューかつら>は微速で前進を始めた。部屋を出て船内の探索に出掛ける。甲板へも少し出てみる。この時期にしては寒さも穏やかな夜で、潮風に吹かれながらも行き交う船の眺めをしばし楽しみ、一巡して部屋に戻る頃には港の灯りが徐々に遠のき、港の出入り口の標識灯の間を通り抜けると、ゆっくりとスピードを上げながら港を後にした。
 今夜は満月の夜、海面は穏やかに凪いでいて静かに揺れることもなく進んだ。月明かりに照らし出された海面にはくっきりと航跡が記されていく。ゆかたに着替え、窓から堺辺りの夜景を遠望しながらぼんやりと過ごすひととき船旅のくつろぎが訪れる。
 船内探索の折りに買い求めた土佐の竹輪と鰹のステックに舌鼓を打ちながら静寂の海を見つめること暫し、やがて前方に関西空港であろうオレンジ色に空を染める明かりが見え始める。ゆっくりと航行して関西空港沖の辺りを通り過ぎるとやがて紀伊水道にさしかかる。ちょっと部屋を出てラウンジへ。上級船室専用のラウンジは操舵室の真下にあって正面に面している。夜間航行のためカーテンが閉ざされており、そのカーテン丁寧にも縫い合わされているのだが、これを潜ればカーテンと全面ガラス窓の間に立って前方を心おきなく眺めることが出来る。左手に見える灯台の明かりは淡路島の由良辺りなのだろうか・・・。一頻り前方に広がる月明かりに照らし出された夜景を眺めカーテンから抜け出すと誰もいないラウンジで煙草を一服。何ともこんな時の煙草は実に美味いものである。
 部屋に戻り一風呂浴びてのんびりとちょっと横たわり、また起きあがっては明るく照らし出された満月の夜の海を見入る。何時しか夜も更けて行く。やがて心地よい眠気に誘われ夢の中。少し眠ると目が覚めた。既に紀伊水道を抜けて太平洋を西進しているようである。あくまで広く、そして今夜はあくまで穏やかな太平洋。まるで静かな湖を行くような穏やかな航海、頭上に上がった満月はますます輝きをまして海面をきらきらと美しく輝かせている。太平洋を巡る航路に乗るという瞬間に抱いた大海原とはかけ離れた、こんなに美しく穏やかな太平洋の夜なんて想像すら出来なかったが、何とも素晴らしい光景は鮮烈な印象となって脳裏に焼き付いていった。思いの外、印象的であった静かな太平洋の光景に魅了され満喫して再び眠りにつく。

 

【第二日目】

高知港入港、室戸岬経由、甲浦へ・・・
 間もなく高知港定刻入港を告げる船内放送に目覚めると既に湾内にさしかかっているようで窓の外には近くに陸上の町並みの明かりが流れて行く。定刻06:30<かつら>は高知港に接岸。タラップを降りると間際に連絡バスが待ち受けていた。
 まだ夜明け前、東の空が心なしか赤みを帯び始めている。バスに揺られること十分余り、高知市街にさしかかり、次の停留所は「はりまやばし」。急ぐ旅でもないので降りない手はないと下車。夜明け前のはりまやばし界隈を散歩。空が白み始め夜明けを告げている。はりまやばしのバス停から大通りの突き当たりに見えていたJR高知駅をひとまず目指す。途中脇道に目を見やれば、何やら露店を店開きする準備に勤しむ人々、そうだ朝市だ。これまた見逃す手はないと歩を向ける。とれたての海産物、農産物。どれもこれも美味そう。大根は太く肥えていて青々とした葉っぱを付け元気そのもの。もぎたてのぽんかんやきんかん、ぼんたんなと柑橘類が目立つ。小魚の干物も新鮮そうで美味しそうだ。白菜とカブラの漬け物をビニール袋に入れて小分けして売っているおばさんは一生懸命に試食を勧めてくれる。一切れ頂戴すると、うん、確かに美味い。
 適度な塩加減が絶妙、小さなのを一袋買い求める。
 「ありがとう。100円だよ。」
 「えっ・・・。」
 何と一袋100円・・・、感激。すっかり夜が明けた爽やかな歩道を高知駅に向かった。キヨスクで四国の地図を買い求めバスの案内所を覗く、まだ開いていない。駅のベーカリーショップで朝食。ホットドックかサンドイッチとバイキングのサラダ、それにたてたてのコーヒーのモーニングがこれまたなんと420円。ゆっくり朝食を終えて再びバスの案内所へ、今度は開いていて室戸岬経由で甲浦へ行くバスの時刻などを尋ねる。やさしそうな昔のお姉さまが親切に教えてくれ、時刻表を頂戴した。バスの出発時刻まで一時間ほどある。今度は駅前の高知ホテルのロビーでコーヒーブレイク。ゆったりとしたラウンジで金華山張りのソファは極めて座り心地がいい。コーヒーは泡立ちのエスプレッソ、これまた350円と、何とも物価の落差に驚きの連続。
 バスは甲浦(かんのうら)行きの急行バス。直行すれば午後二時頃に着いてしまい早すぎるので、室戸岬を見ることにしてひとまず乗車。穏やかな日差しが車内に満ちて、暖房していないのに暖かで爽やか。乗客は数人しか居ないくて快適な車内であった。途中室戸岬で下車。岬を巡り太平洋の海水に触れる。昼食は岬の食堂で鰹の叩き定食1,200円。ちなみにバス停の案内所へ荷物を預けたら預かり料は50円とやっぱり観光地だなと内心笑えた。
 13:37甲浦行きバスに乗車、午後三時前には甲浦岸壁へ到着。とりあえず待合所で乗船手続きをする。発券を受けてまだまだ時間はたっぷりあるので、荷物預けを事務所の人に尋ねるとこちらは室戸岬とは大違いで事務所で預かってくれると言う。なんと無料!
 それからちょっと町中へもどり、こざっぱりしたホテルの売店で室戸のミネラルウォーター「深層水」を買い求め、岸壁を戻る途中に見つけた炭焼き焼き肉の「力ちゃん」で早めの夕食これがまた何とも素晴らしく美味い。色々と感激しきりの連続。岸壁に戻り土産物店で太刀魚の干物を買い求める。お金の話ばかりで少々気が引けるが、これもたちうお半身の干物が八枚ほど一袋に入っていて420円。帰宅後賞味したが新鮮そのもの感激が蘇る美味しさにまたまた感動。

復路 甲浦→大阪航路 高知シーライン<むろと>
 定刻17:20発の<むろと>は岸壁の先端で入港を待ち受けていると午後四時過ぎに岬の影から突如姿を現した。湾内へ入って来ると大きな「くじら」のイラストを描いた船体をいとも見事に旋回させた<むろと>は後部からスムーズにぴたっと岸壁、定刻一時間前。まず、タラップに付いたリフトで手際よく食材や船内売店の商品らしき荷物を運び込むと、繋船作業員が乗船券もぎり係となって乗船を開始した。乗船口が高いのでタラップは四階分くらいある。四時半頃には船室に落ちついていた。
 船室はこざっぱりとしていて整った感じ。ツインベッドにゆったりとした椅子とテーブルの三点セット、浴室もある。窓はフトントビューとなる前面中央の船室。この船の一等特別室室は部屋番号ではなく各部屋に室名が付けられていた。我が船室は「おおどう」。ベッドにはふっくらとした掛布団、これは毛布と違い心地いい。一等船室とはいうもののちょっとした特等船室よりいい印象を受けた。それにしてもフロントビューの窓は汚れに汚れ、まるで曇りガラス。フロントビューの窓はどの船でも夜間航行中はカーテンを閉じなければならない決まりになっているが、今回は夕方の乗船だから日暮れまでには数時間あって、カーテンを開け美しい太平洋を眺められると大いに期待していたのにこればかりは残念至極。ワイパーでも付けておけばいいのに・・・。
 定刻、汽笛を鳴らしていたのであろうか。記憶が定かでない。静かに港を離れ気が付いたときには港を出て太平洋を東へ向かっていた。折角フロントビューの窓がある部屋で日暮れまで時間もあるというのに、何とも汚らしい窓からは眺めも何もあったものではない。それに引き替え、一等にしては特別室とはいうものの往路の<かつら>とは大違いのゆったりとした落ち着きと寝心地の良さそうなベッドには感激。窓からの眺望を諦めた小生はまるで春の一日のようであった南国高知室戸岬巡りを思い返しながらベッドに潜り込んだ。相変わらず海上は凪で<むろと>は滑るように順調な航海。エンジンの音も気になるほどのこともなく何時しか眠りについていた。
 目覚めたのは既に紀伊水道を通過して関空が前方に遠望できる辺り。
 暮れの瀬戸内海、そして今回の太平洋。こんなことってあるのだろうか。とにかくベタ凪そして快晴、船に乗っていると言うより静かに移動する舞台のように、平穏無事に航海が間もなく終演を迎えようとしている。もうすぐ大阪、このまま港に着けばそのまままたターミナルに出港を待ちかまえている他の夜行の船に乗ってみたい衝動が沸いてくる。
 やがて<むろと>は港の入り口を示す赤と青の標識灯の間を通過した。下船の支度をしている間に大阪南港フェリーターミナルに定刻22:55入港接岸。

 

●余談
 何となくローカル色が色濃く漂う航路。穏やかな海、春を思わせるようなうららかな日差しにまるで別世界を旅した印象でした。大阪で乗船後二十六時間きっかり、大阪南港に帰り着いたときにはゆうに二泊三日は旅した感じで大満足の旅。

 

■後日追記 2001年 秋 10月中旬
 年末年始はどの航路も帰省客などで混雑するのが常ではあるが案外にその最中はエアポケットのように空いていると言うこともあり得る。例によって小生の場合はうんと事前に計画を組んで予約を取るなどは至難の業であるからこの船旅の場合も暮れも押し迫ってから、ひょっとして正月の間に船旅は出来ないだろうかと思い立ったのであった。で、運良く最上級船室、と言っても<かつら>も<むろと>も一等特別室が最上級なのであるが、それをゲットできたから出かけていった訳である。
 さすがに高知は南国、寒さとはどうやら無縁のようでこの日はまるで小春日和のような一日であった。往路のベタ凪の月夜、海面がきらきらと輝き満天に月明かりにもめげずに輝く星星星・・・。太平洋を行く船旅に静寂を見ていた思いが不思議に甦る。
 好天に恵まれ室戸岬にあそび彼方の水平線の向こうを心ゆくまで眺めて後にローカル色いっぱいの路線バスに海岸線を揺られ行き着いた甲浦港ののどかなのどかな趣はいまだに印象深い。狭い湾に差し掛かった<むろと>は船腹に描かれた大きな鯨を近づけてきた。
 その後、荒天の日の入港時<むろと>は岸壁の前方向かい側の浅瀬に座礁する事故に遭遇し暫くの間、航路は休止されていたが今はまた、復帰して活躍を続けている。先日、久々に大阪南港からの夜行便<おれんじ7>乗船時にターミナルビルから入港してくる<むろと>の姿を眺め、出港時に見送ったがなんとも元気そうで嬉しい思いを抱いたモノである。
 いつまでも頑張って欲しい船のひとつである。

■後日追記 2002年 冬 1月初旬
 昨年暮、高知シーライン<むろと>は運行を休止した。航路廃止になるのだろうか。代わりに大阪高知特急フェリーが高知から足摺までの航路を延航したので交通期間としての航路は確保されてはいるが、あのくじらの大きな絵が描かれた何とも微笑ましい姿は見られない。大阪南港フェリーターミナルからの最終出港便でもあったので何時もオレンジフェリー三便に乗船するときは停泊中の船影を見送りながら出港するのがひとつの楽しみであったが、今はオレンジフェリー三便が最終便となってしまった。

■後日追記 2002年 早春 3月下旬
 隔月刊「クルーズ」2002年5月号の記事に<フェリーむろと>の行方について報じられていた。
見出し フェリーむろと香港で第二の人生
本文 運行休止となった高知シーラインのフェリーむろと(6472トン)の売却が決まり、香港で第二の人生を送ることになった。
 同船は1987年、新来島ドッグで竣工し、大阪/甲浦/足摺に就航していた。同社は1隻だけで運行していたが、座礁事故や燃料費の高騰などにより、昨年12月に運行を休止。先ごろ船舶売買の仲介を努める極東海運実業(東京都中央区)に6億6000万円で売船することで契約した。
 同船は2月20日、甲浦港から「FERRY COSMO」に改名し出港。長崎ドッグ(長崎市浪の平町)で改装し、スプリンクラーなど装備した後、パナマ船籍の国際フェリーとして香港に就航するという。
 高知シーラインは負債7億2000万円を抱えている。同船の売却価格が当初、1〜2億円と見込まれていたが、予想を上回る価格で売却でたため負債は数千万円まで圧縮されることになった。

 

@大阪高知特急フェリー  A高知シーライン

 

1998 H10
■FR−001■ ■FR−002■
1999 H11
■FR−003■  next02.gif (38489 バイト)■FR−004■  ■FR−005■  ■FR−006■  ■FR−007■  ■FR−008■  ■FR−009■  ■FR−010■  ■BANGAI-1999■
2000 H12
■FR−011■  ■FR−012■  ■FR−013■  ■FR−014■

思い立っての船旅 前世紀・1998-2000