思い立っての船旅は、この航海からはじまりました!

■FR−001■
瀬戸内海  神戸←→今治←→松山航路  松山でモーニングセット

写真(提供:sakyo様・転載禁止) <ほわいとさんぽう2>

1998年 お盆 松山で朝のコーヒーブレイク 瀬戸内海ゆったりのんびり行ったり来たり

●航海 往復・瀬戸内海
@★★★★★ 往路 神戸→今治→松山 愛媛阪神フェリー<ほわいとさんぽう2>特別室キング 夜行便
A★★★★★ 復路 松山→今治→神戸 愛媛阪神フェリー<ほわいとさんぽう2>特別室キング 昼行便
 総トン数:10,181.00 旅客定員:1,050名 航海速力:20.0ノット 就航:1981年6月

●旅程 船中一泊 一泊二日
第一日目 京都→大阪→住吉→神戸アイランド→
第二日目 →今治港→松山観光港 束の間の松山市街地 松山観光港→今治港→神戸アイランド→大阪→京都

 

 旅が好きでした。遠い思い出の中に船旅がありました。おぼろげな記憶の中にも数々の船旅がありました。けれども人の常に漏れることなく、小生もまた二十歳代から三十路、四十路代と、この歳、五十路代を迎えるまで多忙な日々を送って来もしました。
 でも、ここら辺りで
 【天上天下唯我独尊】
 我が身を大切に、恵みの時を大切に、そんな思いを抱くようになっていました。そこで、ふと、思い立ちました、思い立っての船旅を・・・。そして今、その思い立っての船旅が始まることになりました。

 

 お盆の帰省時期真っ直中で、一時間余り前に到着した神戸六甲アイランドのフェリーターミナルビルの中は大変な混雑ぶりであった。この便は満席でキャンセル待ちの人さえも溢れていた。一昨日、思い立ってちょっと船旅をと思いながらも、この時期では到底無理であろうとの半ば諦めを抱きながら、あわよくば船室予約もOKかなと電話をしてみれば・・・。
 下り(大阪→松山)は総て満席との返事。唯一
 「特別室なら空いています。」
 との次の言葉に小躍り。もとより第一希望はのんびりゆったりの船旅で、何と言っても特別室に限る。一も二もなく予約を取る。復路上りはそのまま松山から折り返し便となる11:50発の復路を同時に予約。

 

【第一日目】

●往路 神戸アイランドフェリーターミナル→ 愛媛阪神フェリー<ほわいとさんぽ2>
 久しぶりの船旅に心をときめかせ、早めに京都を出て梅田で食糧を買い込み、JRで住吉へ、そして六甲ライナーでアイランドへ。ホテルのラウンジでコーヒーを飲んでから徒歩でフェリーターミナルへ向かった。連絡バスもあるのだがまだ時間にゆとりもある。船室も予約確保できている安堵感もありのんびりと歩いていった。夜風もあって割に爽やかな感じでターミナルビルに着くと建物の外にまで人が溢れている。お盆で四国方面へ帰省する人たちが殺到していたのであろう。家族連れも多い。止むなく混雑する発券窓口での順番をのんびり待つことに覚悟を決めて長蛇の列の最後尾に並んだ。待つこと小一時間。乗船手続きを済ませた時には既に搭乗が始まっていた。久しぶりの船旅である。
 ターミナルビルの混雑から逃れるように乗り込むと、一瞬これが船? と疑いたくなるような落ちついた雰囲気に包まれていた。制服に身を包み愛想よく出迎えるクルーに乗船券を示す。半券を受け取ると案内された階上のインフォーメーションへはゆったりとしたエスカレターが通じていた。まさしく瀬戸内海航路でも名高い海のシティーホテルと評された名だたる<ほわいとさんぽう2>かと妙に感心する。シティーホテルに入ったかと思えるほどにエントランスロビーもゆったりとして、これが海に浮かぶ船の中とはちょっと信じられないような思いを抱かされた。鍵を受け取るとさらに階上に上り、最前部右舷の船室へ向かう。すっかり今し方までの喧噪から解放され船室に落ちついた。窓の外は明るい様々な照明でオレンジ色に輝いていた。
 ほどなく定刻22:30、ドラの音を響かせた<ほわいとさんぽう2>は静かに岸壁を離れ出港した。岸壁が遠ざかると共に視界には夜空を照らし燦然と輝く神戸の夜景が刻々と広がって行く。三年前にあの大震災に見舞われた街とは思えないほどに輝きは光彩を放っていた。
 頑張ったね!
 【神】【戸】 神戸・・・。
 ふと、そんな思いが胸中を巡る。思い立って船旅をとやっては来たものの、お盆の最中と言うだけに、何処へ行っても喧騒の最中ではないかと一抹の不安も抱いていたのだが・・・。そんな不安はもうかけらもなく払拭されていた。暫し船室の窓からの緩やかに流れるきらめく夜景に眺めに見入って居るうちに港は遠ざかっていた。
 神戸から明石までは近い。精々電車でなら二十分前後、開通して間もない明石大橋は夜のライトアップが綺麗だとの噂だ。程なく視界に入るはずだ。そんなことをふと思いながら冷蔵庫に用意されていたサービスドリンクのジュースをグラスに注いでいた。やがて前方に明石の街並みの輝きが見える頃、ひときわ青く輝く明石大橋の橋脚を吊り上げている大きく湾曲したワイヤーに取り付けられて居るイルミネーションの北端が視界に入ってきた。そうだ折角の明石海峡大橋の夜景を見逃すことはない。一旦浴衣に着替えベッドに横たわりリラックスしていた身を起こし、服を着ると甲板へ向かった。真夏の夜の潮風が速度を上げた船足も手伝って激しく吹き抜けていた。甲板には思いを同じくしているような人影があちらこちらに見える。行き交う船も多くさすがに瀬戸内海で最も賑わいを見せる海峡だなと納得。
 甲板から見上げる明石大橋は巨大そのもの。潮風に吹き付けられながら青く輝くイルミネーションに彩られた夜空に浮かぶ幻想的な明石海峡大橋を見送ること暫し。通過からほんの数分の後に、夜空に輝いていたイルミネーションは一瞬にして消えた。消灯時間があるようで何だか我が<ほわいとさんぽう2>と申し合わせたような光景であった。ふと心なしか寂しさを覚えたのはひとり小生ばかりではなかったように思う。
 船尾に描く航跡の向こうに遠ざかる明石海峡大橋を見送りながら船室へ戻る。潮風にあたっていた精か汗が滲む身体をシャワーで洗い流す。

 

【第二日目】

 明石海峡大橋は丁度夜十二時頃に通過した。イルミネーションが消灯される時刻が十二時であるはずだから、時計を見ていたわけではないがそうに違いなかった。我が<ほわいとさんぽう2>は順調に穏やかな瀬戸内海を航行している。まるで滑るように凪いだ海面を進む。やがて眠気に誘われいつしか夢の中。起きていれば見てみようと思っていた瀬戸大橋も越えていた。船内放送の案内に目覚めると程なく今治入港。いくらかの車両、幾人かの人々が下船したに違いないが、ベッドに横たわったままカーテンの隙間から覗き、夏の空を見上げていた小生には定かではない。小一時間停泊の後、今治港を後にした。相変わらず海面は凪いでいて平穏そのもの。見上げる空も一面に青空が広がる快晴の真夏日。
 瀬戸内海はさすがに往来する船舶も多い。しかもこの辺りは本州と四国を結ぶ瀬戸内海を横断する航路も多く、行く手を横切る船の多さにも驚くばかりである。よくもまあこんなに大きな船がスムーズに直進できるものだと不思議な感慨も覚えずには居られなかった。松山までの所要時間は一時間五十分、まだ一時間余りはあるから朝食でも、と思うものの空腹感を感じていたわけでもなく。持参のコーヒーパックにポットの湯を注ぎ、朝のコーヒーブレイクはゆったりとリビングのソファに腰を降ろして芳ばしい香りを楽しんだ。
 やがて船は大きく弧を描くように左へ旋回。まもなく松山入港か・・・、程なく船内放送の案内が松山入港を告げる。定刻08:00松山観光港に接岸。別段の予定のあるわけでないから下船の支度ものんびりとして、大方の人々が下船を終えた後に松山観光港へ降り立った。空は快晴、澄み切って青い!

写真(提供:sakyo様・転載禁止) 松山観光港入港中の<ほわいとさんぽう2>

●松山市内へ
 タラップから岸壁に降り立つと真夏の朝の陽射しを背に受けながら、ひとまず白い<ほわいとさんぽう2>を背にターミナルビルに向かって歩く。手前にバス停があったが通り越して中を覗くこと暫し、人の気配もなさそうなのでバス停に。松山市内への連絡バスはターミナルビルの前に数台が並んでいて、それぞれ最寄りの高浜駅への連絡バス、市内への路線バス、道後温泉への路線バスが下船脚の乗船を待ち構えていたらしい。
 時計を見やりながら復路の出港11:50の三十分前に戻るとしたらと、八時過ぎの短針長針がシンメトリーに笑顔を描く時刻を確かめる。三時間ある・・・。道後で一風呂浴びるのもおつなものだが、それには少々時間不足。かといって何もない真夏の港の辺りをウロウロ三時間も気が進まない。ひとまず路線バスで松山市内へ向かうことにした。結構道は混んでいて予想外に時間を要した。市街地の中心に近い停留所は確か「松山市駅前」。松山城を車窓から眺めて程なく港から一時間余りを要したバスから降りた。お盆休みに入っている店が多いのか、それともまだ朝が早い(といっても既に九時を過ぎているのだが・・・)のか、とにかく佇まいに賑わいはない。
 駅前の地下街へ降りると飲食街は店開きをしていた。UCCの看板を掲げたコーヒーショップの前にモーニングセットのサンプルが出されている。そうだモーニングコーヒーにしよう。迷うことなくその店のドアを開く。店内は結構賑わっていたが幸い奥まった一角のテーブルのお客が立ち上がるところであった。お客が立ち去った後のそのままのテーブルを前にガラス越しに地下街を行く人々を水族館宜しくウオッチングしながらバタートースト、ソーセージエッグ、野菜サラダ、コーヒーのセットを平らげる。正面を見やるとどうやら駅デパートの地下の入り口らしい。幾人かの人々が手持ちぶさたに開店を待っている。あと十分で十時、そうだあそこが開店すれば復路の船中用に食べ物を仕入れて行けば丁度いい、電車で戻れば出港三十分以上前に港へ帰り着く。ふと、そう思いながらガラス越しに地下街の開店を確かめた後、コーヒーショップを後にして開店早々のデパートの食品売場へ入った。選り取りみどり綺麗に並べられた総菜は、どれもこれも食欲をそそるかのように美味そうに見えるのは一体どうしてなのだろうか。普段は朝食とは全く縁のない小生なのだが、どうも旅が性に合っているようで、食欲は自らもが驚くほどに旅の間は盛り上がるのが不思議でならない。
 鰻弁当、鰻の巻き寿司、鶏の唐揚げなどを買い求め地上へ上がる。伊予電鉄の松山市駅は隣接していて迷うことなく乗車券を買い求める。何となくローカルな私鉄のターミナル駅として趣に満ちていた。のどかさのなかに小振りの車両の電車がホームに入線していた。乗り込むと間もなく発車、可愛い車体を震わせながら快走する高浜線、さっきのバスとは大違いで三十分余りで高浜駅に到着。待ち受ける連絡バスに乗って一〜二分(それでもバス賃は確か180円?)で松山観光港のターミナルビルに到着した。ターミナルビルから愛媛阪神フェリーの窓口のあるビルまでは歩かざるを得ない。空が広く太陽が真上近くにさしかかり照りつける日差しは強い。駐車場の向こうに見えるビルまでものの五分も掛かりそうにはないのだが何となくうんざり。

復路 松山→今治→神戸 愛媛阪神フェリー<ほわいとさんぽう2>

 とにかく照り返しの厳しいアスファルトの駐車場を横切って発券窓口へ。昨夜の混雑とは裏腹に待合室には人影もなく、駐車場にも乗船待ちの車も殆ど見あたらない。難なく乗船手続きを終えて待つこと暫し。係員が乗船案内をしてくれる頃でさえほんの数人の人々が居るだけで全く拍子抜け。下りと上りとではどうしてこんなにも落差が激しいのだろう。フェリー会社も大変だなと頼まれもしない心配をしてしまいたくなるほどに閑散としていた。最も乗船する側の我が身にしてみればこれ幸いと微笑んでいたわけだが・・・。
 待つことなく直ぐに乗船。昨夜の賑わいとは大違いで殆ど乗船客が居ない。往路と同じ特別室「キング」、同じ右舷であれば昨夜と反対に景色は四国側を眺められる。が、しかし久しぶりの船旅である。違った部屋を体験して見たいとの思いもあった。
 で、左舷側にある特別室「クィーン」も空いていたようなので案内所で尋ねて見ると
 「ええ、空いていますからいいですよ。」
 と、簡単に変更に応じてくれた。キーを手に「クィーン」に向かいドアを開ける。小ざっぱっりと綺麗な部屋ではありがどうも「キング」よりはかなりせまい様子。後で両方の定員を確認すると「キング」は四名で「クィーン」は二名となっていたから狭いのも道理であったのだがその時には部屋の広さが違う理由が分からなかった。左舷だと往路と同様に窓からの景色は本州側になることもあったので一旦は入室したものの再び案内所へ戻り「キング」に変えて貰った。ちなみに「クィーン」は「キング」のリビングのようなだだっ広い味気なさとは対照的で落ちついているような印象ではあったが・・・。
 定刻11:50、静かに岸壁を離れた<ほわいとさんぽう2>は快晴の瀬戸内海を東へ向かう。多少の試行錯誤を経て落ち着いた特別室「キング」で、ひとまずシャワーを浴び汗を流し、買い求めた鮨と唐揚げで昼食とする。今治へ向かう海域は航路左舷側つまり本州側には島々が多いはずだが船室は右舷四国側なので四国を船窓に眺めながらの航海である。
 食後一時をまどろむうちに、やがて定刻13:40今治港入港、降り立つ人はなく車両もない。乗船する車両も人もまたまばらである。僅か三十分の停泊の後、定刻14:10再び瀬戸内海を航行する。ひととき昼寝・・・。
 やがて黄昏時近く、瀬戸大橋が前方に遠望できる。多度津、丸亀、坂出辺りの工場群や街並みが近くに見える。巨大な瀬戸大橋を潜るとやがて街灯りが輝き始めた、高松沖合辺り。この辺りは小豆島と四国を行き交う船や宇高連絡航路が行く手を垂直に横切り、漁船などの小舟も多い賑やかな海域である。が、昨夜とは大違いのがら空き昼行便でのんびりしすぎたのだろうか。往路と同じ船、同じ船室で安堵感も手伝ってちょっとベッドに横たわるとついウトウト・・・。往路に見損ねた瀬戸大橋も、ふと目覚めて窓を覗けば、もはや遠く後方にかすんでいた。またもや見逃してしまった。ま、それほどに居心地のいい船室、あるいは穏やかな瀬戸の海の恵まれた航海とでも言うべきなのか。
 明石大橋通過は予定より三十分速かったので、気づいたときには視界の後方に・・・。もう暗かったから、明かりがついた。神戸の夜景に近づく<ほわいとさんぽう2>の甲板から町並みの夜景が目にしみる。間もなく神戸六甲アイランド・フェリーターミナルへ定刻21:30入港。そして下船。いい船旅だった。(^^)
 ターミナルビルからは連絡バスで六甲ライナーのアイランド北口駅へ。六甲ライナーでJR住吉駅へ。経由帰路につく。

写真(提供:sakyo様・転載禁止) <ほわいとさんぽう2>

●<ほわいとさんぽう2>の船室
 <ほわいとさんぽう2>の特別室は広くゆったりとした右舷側の特別室と豪華に落ちついた左舷側の二室がある。今回は右舷側のゆったりとした特別室「キング」を利用した。
 ドアを開けると広々としたリビングに三人掛けのソファと向かい合って肘付き椅子が向かい合って二脚。サイドチェストの上には大型テレビが置かれている。冷蔵庫もここに配されていて、中には日本酒、ミネラルウォーター、健康飲料、ジュースなどが入れられており、これはサービスとなっている。奥まって右舷先端の角部分が寝室、ツインベッドルームでゆかたも用意され、ライティングデスクも備えられていた。バストイレはゆったりとして、と言ってもユニットバスのような物だから味気ないのは否めないが、洗面台にはきちんとタオル、歯ブラシ、クシなどが用意されていた。
 それにしてもどの船でも大差はないのだろうが、どうして船の浴室は床が船室より高くなっているのか不思議である。一段上がって浴室へ入るようになっているのだがこれは構造上致し方ないのであろうか。また入り口のドアも下部に数センチの隙間がある。室外が静かなときはいいが廊下を行き交う人々の会話でさえ結構良く聞こえる。当然に船室の会話なども室外へ漏れるのかとちょっと気がかりにもなる。

 

■後日追記 2001年 秋 10月中旬
 この船旅は <思い立っての船旅> 第一段となった旅でした。お盆を前に帰省客で賑わう六甲アイランドのターミナルから乗船し船室に落ち着くと間もなく港の夜景を後にしての出港の情景が鮮明に甦ります。<ほわいとさんぽう2>1981年に建造され就航した船でしたから、当時、既に十七年あまりを経過していてそんなに新しい船ではなかったはずです。
 後になって次々と他の航路に乗船するようになり思い出してみると部屋のソファセットは古びていたなぁ、とか妙なことを思い出してしまいます。でも大型船舶に乗船したのはほぼ十年ぶりのことでしたし、船に乗ること自体を目的として乗船することは長距離航路としては正にこの時が初めての体験でした。文中の初めに記していますように、多少古びてはいたのかも知れませんが、その時は船内の豪華さにはほんとに驚きでした。乗船口から乗り込みエスカレーターで上階へ上がるなんて驚きそのものでした。(^^)
 でも残念ながらこの航路は今はもうありません。海の向こうにあった四国へは瀬戸大橋、鳴門海峡大橋、明石海峡大橋などに続きしまなみ海道大橋と次々に陸路が設けられると、もはや海路の役割は次第にその使命を閉じていかなければならないのも時の流れなのでしょうね。

■後日追記 2002年 冬 1月初旬

 ここに掲載の素晴らしい<ほわいとさんぽう2>の写真は sakyo様 のご厚意により、ご提供いただきました。あの快晴の朝、松山観光港入港中の情景が鮮明に甦ります。(^^)

■後日追記 2002年 春 5月
 その後、この<ほわいとさんぽう2>はフィリピンへ売却され、現在も定期航路のフェリーとして活躍しているらしい。

 

●伝説の鳥、「ほわいとさんぽう」 素敵な「ほわいとさんぽう」の画像が豊富なSakyo様のHP。当HPへ「ほわいとさんぽう2」画像を提供ご協力賜っています。

1998 H10
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1999 H11
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2000 H12
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思い立っての船旅 前世紀・1998-2000