賀茂真淵 かものまぶち 元禄十〜明和六(1697-1769) 号:県主(あがたぬし)

元禄十年(1697)、遠江国敷智郡浜松庄に生まれる。生家は京都賀茂神社の賀茂氏の末流、岡部氏。父は岡部新宮の神官、定信。母は徳川家と関係の深い名家、竹山氏の出。
姉婿政盛の養子に出されたあと、政盛の兄政長の養子となり、政長の娘を妻とする。享保九年(1724)、妻の死によって実家に帰るが、同十年、浜松の脇本陣梅谷家の養子となる。実父の死後、享保十八年、上洛し、国学者荷田春満の門に入る。元文元年(1736)、春満は死去。翌年江戸に移り、春満の弟信名らの助力により歌文を教えるようになる。次第に名声あらわれ、延享三年(1746)、五十歳の時、荷田在満の推挙により田安家和学御用として仕えることになり、八代将軍吉宗の次男田安宗武の庇護を得て、古典研究に専念した。万葉集への傾倒を深め、寛延二年(1749)に『万葉解通釈』、宝暦七年(1757)に『冠辞考』を著す。田安家を辞して隠居した宝暦十年、『万葉考』総論・巻一を完成。「ますらをぶり」を中心とするその万葉論は、近代にまで決定的な影響を与え続けることになる。この間、加藤宇万伎楫取魚彦橘千蔭村田春海をはじめ、多くの門人を抱え、その一派は真淵の屋号県居(あがたい)に基づき県門(けんもん)と称されて、国学および歌壇に大きな位置を占めた。宝暦十三年には大和に遊び、帰途伊勢松坂において本居宣長の入門を許した。明和元年(1764)、『歌意考』完成。同二年には『初学(うひまなび)』『新学(にひまなび)』『国意考』、同五年には『語意考』を完成させ、同年十月三十日、病没。七十三歳。墓は東京品川の東海寺にある。
家集を生前自ら編むことなく、後人の編になる数種の家集が伝わる。村田春海の編になる『賀茂翁(かもおう)家集』(校注国歌大系十五、賀茂真淵全集、日本古典文学大系「近世和歌集」、新編国歌大観九などに所収)、伴直方編『賀茂翁家集拾遺』(賀茂真淵全集に所収)、上田秋成編『あがた居の歌集』(新日本古典文学大系「近世歌文集 下」に所収)などである。

賀茂真淵像
賀茂真淵肖像
縣居神社
縣居神社 静岡県浜松市東伊場。賀茂真淵を祀る。天保十年(1839)、浜松藩主水野忠邦、郷土の国学者らの協力によって勧請された「縣居翁霊社」を起源とする。

以下には『賀茂翁家集』より五十首を抜萃した。

  9首  8首  8首  9首
  1首 哀傷 3首  4首 旋頭歌・長歌ほか 8首 計50首

春の始の歌

をつくばも遠つあしほも霞むなり()こし山こし春や来ぬらん

【通釈】筑波山も、遠くの葦穂山も霞んでいることだ。嶺を越し、山を越し、春が来たのだろうか。

【語釈】◇あしほ 葦穂山。筑波山の北に連なる。万葉集巻十四の東歌に「筑波嶺にそがひに見ゆるあしほ山あしかる咎もさね見えなくに」と詠まれている。

【補記】東国情趣を感じさせる立春歌。但し「嶺こし山こし」は古今集の歌(下記参考歌)から借りた表現である。「調の強く、さわやかなところは萬葉風ともいへる。しかし春は東方より來るといふ心と、その春を擬人してゐるところは平安朝のものである」と、窪田空穂は王朝風と万葉風の折衷と評している(『近世和歌研究』)。文政十二年(1815)に刊行された古学派の歌集『八十浦之玉』の詞書によれば宝暦六年(1756)、作者六十歳の作となるが、寛延三年(1750)作と見る説もある(田林義信『賀茂真淵歌集の研究』)。

【参考歌】「古今集」東歌
甲斐が嶺をねこし山こし吹く風を人にもがもや言づてやらむ

遅日

(すが)の根の長見の浜の春の日にむれたつ(たづ)のゆたに見えけり

【通釈】長見の浜の春の日に、群れをなして飛び立つ鶴がのどかに見えるのだった。

【語釈】◇菅の根の 「長」にかかる枕詞。◇長見の浜 不詳。「長く見る」意が響く。◇ゆたに ゆったりと。のんびりと。

【参考歌】藤原俊光「夫木和歌抄」
すがのねのながみね山の桜花かさなる雲の末ぞはるけき

花の歌とて (二首)

咲きちるは変はらぬ花の春をへてあはれと思ふことぞそひゆく

【通釈】花は咲いては散る――その点は変わらない春を幾年も重ねて来て、その花を愛しく思うことの方は、年々深くなってゆく。

【語釈】◇咲きちるは 咲いて散るということについては。◇あはれ ここでは讃歎の心。◇そひゆく 積み重なり、増えてゆく。

 

うらうらとのどけき春の心よりにほひいでたる山ざくら花

【通釈】やわらかな陽が射してのどかな春の天地――その心が現れたかのように咲き出た、山桜の花よ。

【語釈】◇春の心 天地の春の心。同時に、春を迎える人の心でもあろうか。◇春の心よりにほひいでたる 春の心が(花となって)発現したかのように咲き出た。「にほひ」は、嗅覚のことでなく、色が空間にまで染み出したかのように光に映えることを言う。

【補記】真淵の代表作として名高い一首。宝暦六年(1756)二月、自邸歌会での作。

上野の花ざかりに

かげろふのもゆる春日(はるび)の山桜あるかなきかの風にかをれり

【通釈】陽炎がたちのぼる春の日の山桜は、吹いているのかどうか分らないほどの微風に香っている。

【語釈】◇かをれり ほのぼのと花の香気が漂っている。山桜にはかすかな芳香がある。

【参考歌】よみ人しらず「新古今」
今更に雪ふらめやもかげろふの燃ゆる春日となりにしものを

ふる郷に桜のちるを見るといふこころを

み吉野を我が見にくれば落ちたぎつ滝のみやこに花散りみだる

【通釈】吉野を見にやって来ると、滾り落ちる急流の宮跡に桜の花が散り乱れている。

【語釈】◇滝のみやこ 飛鳥時代に造営された吉野離宮の跡を言う。柿本人麻呂の吉野行幸従駕歌(万葉1-36)には「落ちたぎつ 滝の宮処(みやこ)は 見れど飽かぬかも」とある。

【補記】『あがた居の歌集』では詞書「故郷の桜の散りかかるを人の見る形」、歌「吉野山我が越え来れば落ちたぎつ滝のみやこに花散りかかる」とあり、もとは画に添えた歌であったか。

国原

雲雀あがる春の朝けに見わたせばをちの国原霞棚引(たなび)

【通釈】ひばりが空高く昇ってゆく春の明け方に見渡すと、遠くの平原は霞がたなびいている。

【語釈】◇朝け 朝明け。◇国原 大地・平原。万葉集巻一の舒明天皇御製に見え、「海原」に対する語。

三月のころ浜松のさとに来りてよみける

ふる里の野べ見にくれば昔わが(いも)とすみれの花咲きにけり

【通釈】故郷の野辺を見にやって来ると、昔私が妻と住んだあたりに、今は菫の花が咲いているのだった。

【掛詞】◇すみれ 花の名に「(妹と)住み」を掛ける。

【補記】宝暦十三年(1763)、浜松に帰郷しての作。真淵六十七歳。享保八年(1723)十二月、二十七歳の真淵は妻を娶ったが、翌年九月死に別れた。

【参考歌】肥後「堀河百首」
故郷の浅茅が原におなじくは君とすみれの花を摘まばや

山吹咲きたり見る人あり

故郷は春の暮こそあはれなれ(いも)に似るてふ山吹の花

【通釈】故郷は春の終わりの季節こそ趣が深い。恋しい人に似ていると言われる山吹の花よ。

【本歌】大伴家持「万葉集」巻十九
妹に似る草と見しより我が標めし野辺の山吹誰か手折りし

枝直(えなほ)が家にて、庭樹結葉といふことを

陰ふかむ青葉のさくら若楓夏によりてもあかぬ庭かな

【通釈】陰が深くなってゆく青葉の桜、若楓――。夏に限っても、見飽きることのない庭であるよ。

【語釈】◇枝直 加藤枝直。真淵の門弟にして保護者。◇陰ふかむ 木蔭が深くなる。◇夏によりても 春や秋でなく、夏に限っても。「より」には「立ち寄り」の意が掛かる。

さみだれふるに山下の田ううるかた

さなへ草植うる時とてさみだれの雲も山田におりたちにけり

【通釈】早苗を植える時というので、さみだれを降らす雲も山田に降り立ったのだ。

五月宴菅原氏家時作歌

あしびきの岩ね菅原(すがはら)いくつ夏しげりゆくらむ岩ね菅原

【通釈】山の岩根菅原よ、幾度も、夏が来るたびに繁ってゆくだろう、岩根菅原よ。

【語釈】◇菅原氏家 遠江国磐田社の神主菅原信幸の家。◇あしびきの 本来「山」にかかる枕詞だが、ここでは「山の」の意で用いている。下記本歌に由った言い方。◇岩ね菅原 岩が多く、菅が生えている原。宴の主人の氏名(うじな)を詠み込んでいる。◇しげりゆくらむ 子孫の繁栄を暗喩。

【本歌】大伴家持「万葉集」巻三
あしひきの岩根こごしみ菅の根を引かばかたみとしめのみぞゆふ

晩夏

行く雲もほたるの影もかろげなり来む秋ちかき夕風のそら

【通釈】流れ行く雲も、蛍の光も、見るからに軽い感じである。訪れる秋も近い夕風の吹く空よ。

【参考歌】在原業平「後撰集」
ゆく蛍雲のうへまでいぬべくは秋風ふくと雁につげこせ

夕立をよめる

大比叡(おほびえ)小比叡(をびえ)の雲のめぐり来て夕立すなり粟津野の原

【通釈】大比叡・小比叡にあった雲が巡って来て、いま粟津野の原で夕立が降っていることである。

【語釈】◇粟津野(あはづの)の原 琵琶湖南岸。滋賀県大津市に粟津町の地名が残る。近江八景の一つ「粟津の晴嵐」として知られ、かつては松並木の美しい景勝地であったという。

【補記】琵琶湖を遠望する大景。「夕立すなり」は万葉集に「音すなり」などとあるのを踏まえていると思われる。この「なり」は伝聞推定の助動詞であったが、江戸時代には本来の意味が解らなくなっていた。

【主な派生歌】
ふたご山みねに北行く雲みえて夕立すなり芦の海づら(村田春海)

高殿にすずめるかた

高き屋はすずしかりけりあらがねの土てふものし夏にやあるらん

【通釈】高く聳え立つ建物の上は涼しいことよ。土というものが夏であるのだろうか。

【語釈】◇あらがねの 土にかかる枕詞。

【補記】陰陽五行説では木火土金水のうち火を夏に対応させ、土は各季節の土用にあたるのだが、土こそ夏ではないかと五行説を訝しがる気持を籠めている。

家に歌よみしけるに晩夏といふことを

空高く蛍をさそふ夕風の身にしむまでになれる夏かな

【通釈】空高く蛍を誘う夕風――その涼しさが身に沁みるまでになった夏であるよ。

【参考歌】在原業平「後撰集」
ゆく蛍雲のうへまでいぬべくは秋風ふくと雁につげこせ

おなじ筵に夏日といふことを

わたの原(とよ)さかのぼる朝日子のみかげかしこき六月(みなづき)の空

【通釈】海原を美しく輝きながら昇る朝日の光がありがたく感じられる水無月の空よ。

【語釈】◇おなじ筵に 加藤枝直の家での歌会の席をいう。◇豊さかのぼる 美しく輝きながら昇る。祝詞などに見える表現。◇朝日子 朝の太陽。◇みかげ 光・姿。

【補記】延享四年(1747)、作者五十一歳。

【参考歌】源俊頼「金葉集」「散木奇歌集」
曇りなく豊さかのぼる朝日には君ぞつかへんよろづ代までも

月の歌とて

遠つあふみ浜名の橋の秋風に月すむ浦をむかし見しかな

【通釈】遠江(とおつおうみ)の国の浜名の橋に立ち、秋風に吹かれて、澄んだ月の光が照らす入江の景色を、昔見たことであった。

【語釈】◇浜名の橋 遠江国の歌枕。浜名湖と遠州灘をつなぐ浜名川に架かっていた長大な橋。真淵は浜名の橋に近い土地の出身。

【補記】中世以後、浜名の橋の月を詠んだ歌は少数だが例がある(下記参考歌第二首)。古歌の情趣を呼び起こしながら、結句は「むかし見しかな」と個人的な述懐のように歌い収めて、やや唐突の感があるものの、一首の調べにはこの作者独特の爽やかさが感じられる。

【参考歌】能因法師「能因法師集」「新勅撰集」
さらしなや姨捨山に旅寝してこよひの月をむかし見しかな
  藤原光俊「新勅撰集」
すみわたる光もきよし白妙の浜名の橋の秋の夜の月

十五夜くもりけるに

天の原八重たな雲をふきわくる息吹もがもな月のかげ見む

【通釈】天空の幾重にもたなびく雲を吹き分ける息吹があってほしい。月の光を見よう。

【語釈】◇八重たな雲 幾重にも棚引く雲。大祓詞に「科戸の風の天の八重雲を吹放つことの如く」とあるのに拠るか(岩波大系本補注)。

九月十三夜県居(あがたゐ)にて (五首)

秋の夜のほがらほがらと天の原てる月影に雁なきわたる

【通釈】秋の夜の晴れ晴れと大空に輝く月明かりの中、雁が鳴いて渡る。

【語釈】◇県居 田舎屋敷というほどの意。真淵邸をさす。宝暦十一年秋、日本橋浜町の新居に移り、ここを県居と呼んだ。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞ悲しき

【主な派生歌】
秋の夜のほがらほがらと天の原見つつし居れば月傾きぬ(平賀元義)

 

こほろぎの鳴くや(あがた)の我が宿に月かげ清しとふ人もがも

【通釈】蟋蟀の鳴く田舎の我が家に月の光が清らかである。訪れる人があってほしい。

【語釈】◇県の我が宿 日本橋の真淵邸。「県(あがた)」はもと天皇家の直轄領を言ったが、のち地方・田舎を意味する。◇とふ人もがも 訪れる人がいてほしい。

 

県居(あがたゐ)茅生(ちふ)の露原かき分けて月見に来つる都人かも

【通釈】田舎住いの茅萱(ちがや)が生えた露原を掻き分けて、月見にやって来た都人であるよ。

【語釈】◇茅生の露原 露の置いたチガヤの生える原。

 

こほろぎの待ちよろこべる長月のきよき月夜はふけずもあらなん

【通釈】こおろぎが待ちに待って喜び迎える長月の清らかな月夜――今宵の月夜は更けずにあってほしい。

【本歌】万葉10-2264
こほろぎの待ち喜ぶる秋の夜を寝る験なし枕と我は

 

にほとりの葛飾(かつしか)早稲(わせ)(にひ)しぼり酌みつつをれば月かたぶきぬ

【通釈】葛飾の早稲で釀した新酒を酌んでいると、月はすでに沈みかけていた。

【語釈】◇にほとりの葛飾早稲 万葉集東歌に同句がある。「にほ鳥の葛飾早稲をにへすともその愛しきを外に立てめやも」(14-3386)。◇新しぼり 新醸の酒。

【鑑賞】以上、宝暦十四年、真淵六十八歳の連作五首は、しばしば真淵の残した最高傑作として評価される。
「この五首は実に堂々たるもので、万葉古今などを取つてゐるが、真淵一代の作のうちの傑作であり、万葉調が自然に作者と融合してしまつて、その間に寸分の間隙が無くなつてしまつてゐる」(斎藤茂吉『近世歌人評伝』)。
「…高く直き心の、みやびを含み、雄雄しさを含んだものが、そのままに調(しらべ)となつてあらはれてゐる…。しかし、この一連を移して萬葉集のうちに入れて見ると、萬葉の歌ではない。似てはゐるが、まぎれはしない。やはり彼の臭ひを濃厚に持つた彼の歌である」(窪田空穂『近世短歌研究』)

野分(のわき)せしあしたに

野分してあがたの宿は荒れにけり月見に()よと誰につげまし

【通釈】野分が吹いて、田舎の我が家は荒れてしまった。月を見においでよと、もし告げるとしたら、誰に告げようか。

【語釈】◇あがたの宿 県居に同じ。真淵邸。◇つげまし 「まし」は反実仮想の助動詞。荒れた家を憚りつつ、できるものなら人を呼びたいとの気持。

かみな月の紅葉をよめる

ちちの木のちちぶの山の薄もみぢうすきながらに散れる冬かな

【通釈】秩父の山の薄紅葉は色が薄いままに散っている冬であるよ。

【語釈】◇かみな月 神無月と書くのが普通であるが、本来は「神の月」の意であろうと言う。陰暦十月で、初冬にあたる。◇ちちの木の 秩父を言うための枕詞。「ちちの木」は銀杏。

【主な派生歌】
露をだにもらさぬ松の下もみぢうすきながらに秋をみせけり(村田春海)

時雨をよめる

神無月たちにし日より雲のゐるあふりの山ぞ先づしぐれける

【通釈】神無月が始まった日から、雲が居座る雨降(あふり)の山が真っ先に時雨(しぐ)れたのだった。

【語釈】◇あふりの山 雨降山。相模の国の大山(おおやま)のこと。◇しぐれける 時雨が降っているのだった。時雨は晩秋から初冬にかけて降る断続的な雨。

【補記】宝暦十三年(1763)の詠。真淵六十七歳。

【主な派生歌】
相模嶺のいづれはあれど冬たてば雨降の山ぞ先づしぐれける(村田春海)
神無月立ちにし日よりあしびきの山さへもろき色に見えつつ(*加納諸平)

時雨陰晴といふことを

神な月けふも時雨(しぐれ)の晴れにけり曇りにけりと言ひて暮らしつ

【通釈】神無月となり、今日も時雨が晴れた、曇ったと言い言いして、一日を暮らしてしまった。

【補記】延享元年(1744)、真淵四十八歳の作。第二〜四句「今日もいく度晴れにけりしぐれにけりと」とする本もある。

【参考歌】飛鳥井雅経「新古今集」
雲かかるみ山にふかき槙の戸の明けぬ暮れぬと時雨をぞきく

寒樹

冬枯に里の藁屋のあらはれて群鳥(むらどり)すだく梢さびしも

【通釈】木々が冬枯れして、里の茅屋があらわになり、鳥の群が集まり騒いでいる梢が寂しいことよ。

【語釈】◇藁屋(わらや) 藁葺きの家。粗末な家。

詠雪

はしだての倉梯(くらはし)山に雲()らひ高市国原雪ふりにけり

【通釈】倉梯山にいちめん雲が広がり、高市(たけち)の平原に雪が降っているのだった。

【語釈】◇はしだての 倉梯の枕詞◇倉梯山 奈良県桜井市。◇雲霧らひ いちめん雲がひろがり。◇高市 同県高市郡。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻七
橋立の倉椅山に立てる白雲 見まくほり我がするなへに立てる白雲

題しらず

おもふ人()てふに似たる夕かな初雪なびく篠の小薄(をずすき)

【通釈】思いを寄せる人よ来い、とでも言うかのような夕暮であるよ。初雪に靡いている笹の叢――。

【語釈】◇来てふに似たる 来いというかのような。古今集に「月夜よし夜よしと人に告げやらば来てふに似たり待たずしもあらず」。◇初雪なびく 初雪が笹葉の上に降り落ちて茎がなびく。その様が人を招くように見えるので「来てふに似たる」と言うのであろう。◇篠の小薄 群生している笹。このススキは尾花でなく、群がって生えている草一般をさして言う語。

雪中遊興

野も山も冬はさびしと思ひけり雪に心のうかるるものを

【通釈】野も山も冬は寂しいと思っていたことよ。雪が降れば、このように心は浮かれるというのに。

雪中眺望

雪はるる朝けに見れば不二の嶺のふもとなりけり武蔵野の原

【通釈】雪が降り止んで晴れた明け方に眺めると、富士の麓であったよ、武蔵野の原は。

【補記】寛保二年(1742)の作。作者四十六歳。

【参考歌】藤原隆信「玄玉集」
くまもなく月すむ峰にながむれば千里は山の麓なりけり

新嘗会

たふときやすべらみことは神ながら神をまつらす今日のにひなべ

【通釈】尊いことよ。天皇は神であられるままに神をお祀りになる今日の新嘗。

【語釈】◇にひなべ 新嘗祭。「にいなめ」とも。

片恋

ゆるしなき色とは知れど恋衣濃き紅にひとりそめつつ(賀茂翁家集拾遺)

【通釈】許されない色とは知っていても、恋という衣を濃い紅にひとり秘かに染めているのだ。

【語釈】◇ゆるしなき色 勅許なくしては着用が許されなかった服の色。七色あったが、深緋もそのうちのひとつ。◇恋衣 恋を着物に喩える。万葉集から見られる語。

哀傷

茂松庵といふ寺のもりの陰におくつきあり

茂りあふ松かげに君をおきしより風の音こそかなしかりけれ

【通釈】「茂松庵」という名のとおり、茂り合う松の木陰――そこの奥津城にあなたの亡骸を安置してからというもの、松を吹く風の音が悲しくてならない。

【補記】『賀茂翁家集』の一つ前の歌の詞書に「父のおもひにてありけるころ」すなわち父の喪に服していた頃の作とあり、この歌の「君」は父君を指すのであろう。茂松庵は浜松にあった寺という。

ある夕べ

色かはる萩の下葉をながめつつひとりある身となりにけるかも

【通釈】色が変わる萩の下葉を眺めながら、独り身となってしまったのだとしみじみ思う。

【補記】『賀茂翁家集』の一つ前の歌は「妻の身まかりけるに」の詞書で「我がのちをたのみし人はさきだちてふりにける身をいかにしてまし」。掲出歌は妻の死後のある日の夕方の感慨。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
秋萩の下葉色づく今よりやひとりある人のいねがてにする

横瀬侍従の妻君(めぎみ)の身まかり給ひしをりに、よみてまゐらせける

を鹿なく岡辺の萩にうらぶれていにけむ君をいつとか待たん

【通釈】牡鹿が鳴く岡辺の萩に、憂え萎れて、逝ってしまったというあなたを、いつ帰って来るかと待とう。

【補記】「横瀬侍従」は真淵の門人、源貞隆。その妻が亡くなった時の歌。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十二
曇り夜のたどきも知らぬ山越えています君をばいつとか待たむ
  作者未詳「万葉集」巻十三
ひさかたの都を置きて草枕旅行く君をいつとか待たむ

信濃なるすがの荒野を飛ぶ鷲のつばさもたわに吹く嵐かな

【通釈】信濃の須賀の荒野を飛ぶ鷲の翼もたわむほどに吹き付ける嵐であるよ。

【語釈】◇すが 須賀。長野県松本市の南西。

【本歌】「万葉集」巻十四(東歌)
信濃なる須我の荒野に霍公鳥鳴く声聞けば時過ぎにけり
【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
時わかずふれる雪かと見るまでに垣根もたわに咲ける卯の花

夏日東海道中望富士山作歌一首并短歌(長歌略)

不二の()のふもとを出でて行く雲は足柄(あしがら)山の峰にかかれり

【通釈】富士山の麓から湧き出て流れてゆく雲は、いま足柄山の峰にかかっている。

【語釈】◇足柄山 神奈川県の西辺、足柄・箱根山塊。関東との境をなす関があった。

【補記】長歌「夏日東海道中望富士山歌」の反歌第二首。第一首は「駿河なる富士の高嶺はいかづちの音する雲の上にこそ見れ」。

やんごとなき御まへにまうす

み民われ生けるかひありてさすたけの君がみことを今日聞けるかも

【通釈】臣下の私は、この世に生きている甲斐があって、尊い君のお言葉を今日うけたまわったのです。

【語釈】◇み民われ 「御民」は本来天皇の臣民を意味する語であるが、ここでは主君である田安宗武の家臣であることを言う。◇さすたけの 「君」の枕詞

【補記】「主君宗武にはじめて会った時の感激を歌ったものか」(岩波大系本)。

【本歌】海犬養宿祢岡麻呂「万葉」6-996
御民我生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば

永世が六十の(よはひ)を其の子千国が祝ふ時よめる

みはかしを玉まき田ゐの五百(いほ)しろに千五百(ちいほ)の秋の初風ぞ吹く

【通釈】玉で巻いたような美しい田、五百代もある広大な田に、千年も五百年も巡り来る秋の初風が吹いている。

【語釈】◇永世 真淵の門人、橘永世。◇みはかしを 萬葉集では剣にかかる枕詞として用いるが、ここでは「玉まき」にかけてある。◇玉まき田ゐ 玉でまいたような田。永世所有の美田を讃める。◇五百しろ 五百(いほ)は数の多いことをめでたく言う語。しろは田の広さの単位。◇千五百の秋の 永久に巡り来る秋という収穫の季節を言祝ぐ詞。

【補記】門人橘永世の六十歳の祝いの時に詠んだ賀歌。

長歌

殿の御賀に御杖たてまつる歌

葛城(かづらき)や 一言主(ひとことぬし)の 神のます 森の榊を ()じもの 頚根(うなね)つきぬき 倭文機(しづはた)の (ぬさ)とり向けて 我が君の 御杖にとりき 今日の日の 御賀(みほぎ)の庭の 庭雀(にはすずめ) (うすずま)りゐて 百千(ももち)ぢの (こと)もなにせむ 万代(よろづよ)に いませ我君(わぎみ)と 一言申さも 一言申さも

 

よき言を一言主の大神の(さちは)ひまさむ杖たてまつる

【通釈】[長歌] 葛城の一言主の 神のいます森の榊を、鵜のように首根っこを地につけて拝み、倭文織(しずおり)の幣帛を供え、我が君の御杖のために取って来て、今日の日のお祝いの庭の、庭雀のようにうずくまって、百千の言葉も何だろう、万代まで生きて下さい我が君よと、一言申しましょう、一言申しましょう。
[反歌] 善いことを一言で言われる一言主の大神がその力によって栄えさせてくれるであろう杖を奉ります。

【語釈】[長歌]◇葛城や 一言主 古事記・日本書紀に見える、葛城山の一言主の神。悪事も一言、善事も一言で言いはなつ神とされ、一言の願いなら聞き入れてくれるという。賀茂氏が祀った神であったらしい。

【補記】田安宗武の五十歳の賀の時、杖を奉ったのに添えた歌。

倭文子(しづこ)をかなしめる歌

ちちの実の 父にもあらず ははそばの 母ならなくに なく子なす われをしたひて いつくしみ 思ひつる子は 初秋の 露に匂へる 真萩原 ころもするとや まねくなる 尾花とふとや 鹿子(かこ)じもの ひとり()で立ち うらぶれて 野辺にいにきと 聞きしより 日にけに待てど うつたへに こともきこえず 父ならぬ 我とやとはぬ 母ならぬ 身とてや疎き 恋しきものを

 

萩が花見ればかなしないにし人かへらぬ野べに匂ふとおもへば

【通釈】[長歌] 父でもないのに、母でもないのに、泣く子のように私を慕って、私も大切に思っていた子は、初秋の露に色づいた萩の花を衣を摺り染めにするというのか、手招きする薄を訪ねるというのか、たった一人で出かけ、しょんぼりした様子で野辺に行ってしまったと聞いてから、来る日も来る日も待っていたけれど、一向に何も言って来ず、父でない私なので訪れないのか、母でない我が身なので疎遠にするのか。恋しく思っているのに。
[反歌] 萩の花を見ると悲しいなあ。行ってしまった人が二度と帰らない野辺に咲き匂っていると思えば。

【語釈】[長歌]◇倭文子 門弟の油谷倭文子。宝暦二年(1752)、二十歳で死去。◇ちちの実の 「父」の枕詞◇ははそばの 「母」の枕詞◇鹿子(かこ)じもの 「ひとり」の枕詞

【補記】宝暦二年(1752)七月十八日に亡くなった油谷倭文子哀傷の長反歌。

旋頭歌・雑体

 

とほつあふみ うなび照らして よれる白玉 遠き世に 名を輝かさむと よれる白玉

【通釈】遠つ淡海の海辺を照らして寄って来た真珠よ。遠き世にまで名を輝かせようと、寄って来た真珠よ。

【語釈】◇とほつあふみ 遠江・遠つ淡海。琵琶湖を近江(ちかつあふみ)と呼ぶのに対して、浜名湖をこう言った。◇うなび 海辺。海日(湖を照らす太陽)の意とする説もある。◇白玉(しらたま) 亡き師、森暉昌(てるまさ)の霊を真珠に喩えている。

【補記】旋頭歌。『賀茂翁家集』巻四、「雜文二」に収められている「光海霊神(うなてりのみたま)碑文」より。静岡県浜松市の五社神社・諏訪神社に実在する碑銘に添えた歌である。碑は真淵の師であった森暉昌(もりてるまさ。荷田春満の弟子。宝暦二年没し、諡「光海霊(うなてりのみたま)」を贈られた)を顕彰して建立したもの。真淵七十一歳。

 

さいたまの 里のとねらが 作る木綿(ゆふ) 神のみてぐらを 結ひてけるかも 清きしらゆふ

【通釈】埼玉の里の神主らが作った木綿。神の幣帛を結んだのだなあ、清らかな白木綿を。

【語釈】◇とね 地方神社の神主。◇木綿(ゆふ) 楮(こうぞ)の樹皮をはぎ、その繊維を裂いて糸状にした物。幣(ぬさ)とし、榊の枝などに付けて垂らした。

【補記】「擬神楽催馬楽歌」として纏められた歌の一。次の一首も同じ。

 

武蔵野や としまの(はた)に まとしまの 畑に芋ひく (おきな)はれ その芋たばれ

【通釈】武蔵野の豊島の畑、豊島の畑で芋を引き抜いている翁よ、その芋を下さいな。

【語釈】◇としま 豊島。今の東京都豊島区あたり。「まとしま」は豊島の美称。

美酒(うまざけ)の歌

(うま)らにを ()らふるかねや 一杯(ひとつき)二杯(ふたつき) ゑらゑらに (たなそこ)うちあぐるかねや 三杯(みつき)四杯(よつき) 言直(ことなほ)し こころ直しもよ 五杯(いつつき)六杯(むつき) 天足(あまた)らし 国足らすもよ 七杯(ななつき)八杯(やつき)

【通釈】旨くまあ、飲むことよ、一杯二杯。楽しく笑って、手を打って大きな音を立てることよ、三杯四杯。言葉はまっすぐ、心もまっすぐであるよ、五杯六杯。天を満たし、地をも満たすことよ、七杯八杯。

【補記】「醸める大御酒、うまらにをやらふるかねや、たなそこもやららに拍ち上たまふ」(顕宗紀)を踏まえる。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年05月01日