小馬命婦 こまのみょうぶ 生没年未詳 別称:馬古曽(むまこそ)

父母等は未詳。円融院皇后堀河中宮媓子(947〜979。藤原兼通女)に仕えた女房。天元二年(979)、中宮崩御ののち出家した。元良親王・藤原高遠・紀以文・清原元輔などと贈答がある。拾遺集初出。勅撰入集七首。家集『小馬命婦集』がある。
なお、後拾遺集に歌を載せる「小馬命婦」は上東門院(988〜1074)に仕えた女房と推測され、時代を異にする別人である(2007.6.3追記)。

わづらひける人のかく申し侍りける  読人しらず

ながらへむとしも思はぬ露の身のさすがに消えむことをこそ思へ

【通釈】生き長らえようなどと思わない、露のように果敢ない我が身でありながら、それでもやはり命を惜しく思うのです。

返し

露の身の消えば我こそ先だため(おく)れむものか森の下草(新古1737)

【通釈】あなたが露のように消えるというなら、私の方こそ先に参りましょう。死に後れなどしましょうか、森の下草である我が身が。

【語釈】あなたが露で、消えると言うなら、私は「森の下草」として先立ちましょう、と答えた。森の下草とは、人目に付かない存在であり、また露を受け止めるものでもある。

伊勢にくだり侍りける男の、とふ事は絶え絶えなるを「鈴鹿山音なきにのみ嘆かるるかな」と申し侍りける返しに

数ならぬ身ははしたかの鈴鹿山とはぬに何の音をかはせむ(玉葉1568)

【通釈】数にも入らない我が身は、箸鷹の足につけた鈴のように取るに足りないもの。鈴鹿山を越えるあなたからお便りはないのに、私がどんな音信をするというのでしょうか。

【語釈】◇はしたか 箸鷹。小型の鷹の一種。「鷹の鈴」と続くことから、「はしたかの」で鈴鹿山に掛かる枕詞となる。また「(身は)はした」(取るに足らない身であること)を掛ける。◇鈴鹿山(すずかやま) 滋賀・三重県境の鈴鹿峠とその周辺の山々。関があった。

【補記】伊勢に下った男から「鈴鹿山の鈴ではないが、あなたからの音信のないことが嘆かれる」と言ってきたのに返事した歌。「鈴」と「音」が縁語になる。


更新日:平成16年07月04日
最終更新日:平成19年06月03日