ペーター・ルーカス・グラーフ

 スイスの生んだ今世紀最大のフルーティスト、ペーター・ルーカス・グラーフは、一九二九年一月五日チューリッヒ近郊に生まれました。
 ニコレと同じく、チューリッヒ音楽院で名教師ジョネに師事した後、パリに留学しフルートの神様と言われるモイーズやロジェ・コルテに師事。一九五三年のミュンヘン国際音楽コンクールで優勝したところまで、かのオーレル・ニコレにそっくりのキャリアであります。
 コンクール優勝に前後して、チューリッヒの近郊のヴィンタートゥーアの市立管弦楽団の首席奏者として一九五一年から一九五七年の間、活躍しています。
 ヘルマン・シェルヘェンが常任をつとめ、フルトヴェングラーが時折客演で来ていたこのオーケストラで、グラーフが受け取ったものは、計り知れないものがあったのではないでしょうか?
 このオーケストラの後、ルツェルン祝祭管弦楽団の首席奏者などを経て、ソリストへの道を進んでいったようです。
 しかし、音楽院で指揮法をアンドレーエから学んだ(と思われる)グラーフは、ただのフルーティストに飽きたらず、指揮者としても活動を始めています。

 一九六〇年代の始め頃には、ルツェルンの市立劇場で指揮者としても活躍していたようですが、チューリッヒやローザンヌなどに度々客演を重ね、スイスのレコード会社のクラヴェースに、フルート・ソロの演奏の他に、オーケストラを指揮しての演奏もいくつか録音しています。
 中でも、モーツァルトのフルートとハープの為の協奏曲を彼自身のフルート、ウルスラ・ホリガー(ホリガー夫人で名ハープ奏者)とローザンヌ室内管弦楽団と共に一九六九年に録音した演奏は、この曲の代表盤として、長く伝えられるべき、歴史的名演であると思われます。

 同じくウルスラ・ホリガーらと組んだ「ハープの為のフランス音楽」なるCDはトゥーンの町の城から少し降ってきたところの見晴らしの良いヨハネ教会で一九七一年の演奏は、この教会の美しいアコースティックな響きと共に、ラヴェル、ドビュッシー、キャプレ等のフランス近代の音楽が、実に深い気品と柔和な表情の中に、厳しい世界を隠し持った、見事な演奏を聞かせてくれます。
 彼らの作品でここまで、深淵をえぐり出したのは、グラーフの手腕による所が大きいと思われます。
 チューリッヒ室内合奏団(チューリッヒ、バーゼルのオケの首席、大学教授で編成)のメンバーの演奏が、あと一歩の出来で、大変惜しいのですが、グラーフとホリガーの音楽を聞く為にはいいCDだと思われます。

 また、とても興味深いCDはオーボエのホリガーとボヘミアのウィーン古典派の時期の作曲家、クロンマーのオーボエ協奏曲のバックを振り、自身もフルートを吹きながらフルートとオーボエの為の協奏曲を指揮し、更に、フルート協奏曲では、ホリガーが伴奏の指揮をするという、スイスの生んだ天才二人の、楽しいCDもクラヴェースにはあります。

 ほかにも色々あるのですが、グラーフの代表盤として忘れてはならないのは、バッハのフルート・ソナタ全集であります。ニコレのものと並んで、この作品の最も素晴らしい名演として、長く記憶されるべき演奏であります。
 この美しい演奏も、スイス、ベルナーオーバーラント地方のお城のある町トゥーン、ブラームスが愛し、何度も滞在し、多くの名曲を生んだこの町の、ヨハネ教会で録音されています。

 音楽之友社刊の音楽辞典(人名編)ではグラーフは取り上げられていません。なんたることでしょう!!
また、同出版社の「クラシック不滅の巨匠達」及び「続クラシック不滅の巨匠達」でもランバル、ニコレ、ガッツェローニ、ニコレ、モイーズは取り上げられているのに、グラーフは忘れられています。実に残念なことです。
 グラーフがスイスのレーベルと契約したため(メジャー・レーベルで無かったため)過小評価され過ぎているように思われます。残念です。彼こそ、単なるフルート奏者ではなどではおさまらない、音楽家として大変大きな存在であるというのに。

 現在は、教育活動に専念しているのか(バーゼル音楽アカデミーの教授)、新録音からは遠ざかっていますが(もう七〇才ですからねぇ)スイスの生んだ音楽家として、彼を決して忘れてはならないと思います。