ベーター・リバールとヴィンタートゥーア

 スイス東部、ヴィンタートゥーアは、スイス有数の文化の町です。クンストミュージアムやレーマーホルツ美術館や、ラインハルト美術館といったものも、ここに住んでいた、オスカー・ラインハルトの、芸術のパトロンとしての成果であります。

 ラインハルト財閥の成果は、美術だけにとどまらず、ヴェルナー・ラインハルト(オスカーの父?)のバックアップにより、スイスの詩人ラミュとの作品、「兵士の物語」が生まれたのです。
 更に、ラインハルトの経済的援助により、ストラヴィンスキーのスイス時代の一連の作品による演奏会が企画されたりしています。

 そう考えると、音楽にとってもヴィンタートゥーアは、随分意義深い土地と言えるのではないかと思います。

 さて、ヴィンタートゥーアには、なかなか優秀なオーケストラがあったことをご存知でしょうか。ヴィンタートゥーア交響楽団です。ペーター・リバールというウィーン生まれの素晴らしく魅力的なヴァイオリニストがコンサート・マスターをしていて、ヘルマン・シェルヘンという名指揮者が戦後、随分長い間指揮台に立っていました。
 ここには、フルトヴェングラーを始め、当代一流の指揮者がどんどん客演に来ています。フルトヴェングラーはその代表格で、彼のコンサート記録を見ていると、毎年ここに客演に来ていることがわかります。

 LP時代の初期に先に書いた、ペーター・リバールのヴァイオリンとヴィンタートゥーア交響楽団、指揮がクレメンス・ダヒンデンというメンバーで入れたヴィオッティのヴァイオリン協奏曲二十二番などは、中古市場で一時大変なプレミアムが付いて売られていましたっけ。
 ダヒンデンはヴィンタートゥーア弦楽四重奏団でリバールと共にヴァイオリンを弾いていた人です。指揮者としては他にどのようなキャリアを持っていらっしゃるのかは知りません。
 ベーター・リバールは一九一三年にウィーンで生まれたヴァイオリニストでカール・フレッシュの門下で、ヴァイオリンのドイツ楽派をブッシュやシュナイダーハンなどと共に代表する逸材ですが、デビューしたてのキャリアの初期においてはストラビンスキーのヴァイオリン協奏曲をパリやプラハでの初演を任されたりするほどのテクニシャンでもありました。
 やがて第二次世界大戦の勃発とともにスイスに逃れ、ヴィンタートゥーア交響楽団のコンサート・マスターに就任し、またヴィンタートゥーア弦楽四重奏団を組織したり、ピアニストの奥さんと共にリサイタルをしたりしています。
 先のスイス音楽紀行でも登場した、エドウィン・フィッシャーとも共演したりと、戦後まもなくの頃が全盛期だったようです。先のプレミア付きで有名なレコードもこの頃、ウェストミンスター・レーベルに録音されました。
 交響楽団の選りすぐりのメンバーによるヴィンタートゥーア・コレギウム・ムジクスの活動も行い、フランス生まれで後にメキシコに帰化した大ヴァイオリニストのヘンリック・シェリングとのバッハの協奏曲集などがフィリップスに録音されたりしています。

 七〇年代は、サヴァリッシュに請われて、スイス・ロマンド管のコンサート・マスターになり一九八〇年までその任にありました。

 スイス・ロマンド管を辞した後は、演奏活動から引退し、ルガーノの近郊カスラーノに住み、若手ヴァイオリニストの指導に当たっています。

 結局は、ドイツ系の人たちは引退すると、ルガーノや、モントルー近辺に住みたがるようですね。最近ピアニストのデムズ氏もスイスに別荘を購入して、そこに引退するという噂を聞いたばかりですし…。

 話を戻してヴィンタートゥーアのオーケストラ、最近、いくつかの録音を手にいれました。
 オトマール・シェックというスイスの作曲家のエレジーというオケ伴の歌曲なのですが、アンドラーシュ・シュミットのバリトンでウェルナー・アルベルトの指揮で、なかなかの名演だと思います。
 このオーケストラについても、いつか本格的に紹介したいと考えています。