オーレル・ニコレとヌーシャテル

 現代、最高のフルーティストのひとりオーレル・ニコレは、スイス西部、フランス語圏の美しい湖畔の町、ヌーシャテルで一九二六年一月二十二日に生まれました。
 小さな時からフルートを始めたとありますから、随分珍しいことではないでしょうか?よくヴァイオリンやピアノというのはありそうですがね。フルートというのはどうなんでしょう。
まっ、ともかく十二才の時には初ステージに立ったと言いますから、随分早熟なフルート奏者だったんですね。昔も、天才少年少女ブームっていうのはあったみたいですからね。

 チューリッヒ音楽院で学んだ後、パリに行ってフルートの神様、マルセル・モイーズにも習っています。
 バッハの無伴奏フルート・ソナタのそれは見事な演奏で、強く印象に残っているニコレは、ドイツ語圏のチューリッヒとフランスのパリ音楽院の両方の伝統を引き継いだことから、こういった幅広いレパートリーと、その高い完成度を誇る芸術が育っていったのだと思います。
 ドイツのフルートにしては、明るく澄んだ音を持ち、フランスの音楽にしては、柔らかく包容力のある音を持っている素晴らしいバランス感のあるフルーティストだと考えます。
 この点、ベーター・ルーカス・グラーフと良く似ていますが、やはりドイツ語圏のチューリッヒ生まれとフランス語圏のニコレの個性の違いが、微妙にあるように思えます。そういえば、グラーフもモイーズに習ってましたっけ。

 話を元に戻して、ニコレは一九四七年にパリ音楽院を卒業し、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団で吹いていた彼は、復帰したフルトヴェングラーに見いだされます。
 一九四八年、ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝した彼は、ヴィンタートゥーア市立管弦楽団でヘルマン・シェルヘンやヘンリー・スウォボダの下でも主席フルート奏者として吹いていましたが、客演で来たフルトヴェングラーの熱心な誘いを受けて、一九五〇年よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の主席フルート奏者に就任します。

 フルトヴェングラーの最晩年のベルリン・フィルの録音の多くに彼のフルートの音は聞かれますし、カラヤンの時代となった最初の数年の録音にもニコレは参加しているようです。
 しかし一九五九年その職を辞し、ソリストとして活動を開始、スイスのみならずグラーフやランバル、ゴールウェイらと共に現代最高のフルーティストとして尊敬を集めているのです。

 ヌーシャテルの町は、ヌーシャテル湖の湖畔に広がる坂道の町です。古いお城と教会が高台にあり、一帯のよく保存された旧市街が、ドイツ語圏の木組みの様式でないのは当たり前としても、イタリア語圏のあの軽さというか軽快さとはまた違った柔らかさと華やぎを感じる町であります。
 アレクサンドル・デュマの「バターをくりぬいたよう」という表現は言い得て妙であり、よくガイド・ブックにも載っていますが、それは船に乗って、湖から振り返って見てみると一層実感するところでしょうが、町の中を歩いているだけで、その華やかさは、ドイツ語圏のものやイタリア語圏のものとの決定的な違いを感じます。

 この町から、ニコレが生まれたのです。歩いていると、それが必然のような気がしてなりませんでした。