哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇

【行動記録・オーストリア篇 】

1996年9月18日(水)

自宅→成田空港→ウィーン

5時28分、JRにて上野に向かう。京成のスカイライナーではなく、980円の特急に乗る。7時57分、成田空港着。この間、『地球の歩き方★旅の会話集4ドイツ語/英語』に集中する。10時50分のフライトなので、8時50分の受け付け開始。そう思ってゆったり構えていたら、8時45分過ぎにはもう並んでいる人がいて、受け付けが始まっていた。9時に無事チェックインし、行きの搭乗券と帰りの航空券を確保。格安航空券の場合、当日朝に空港で受け渡しというパターンが多いのだが、いつも一抹の不安がつきまとう。

5万円ずつ、オーストリアシリングとドイツマルクに両替。クレジットカードがどれぐらい使えるかわからないが、とりあえずこんなものだろう。出国カードに自筆サインをしておくのを忘れていて、並んでいるあいだに慌てて書く。

成田空港午前10時50分発オーストリア航空/全日空NH285便、同日午後4時05分ウィーン・シュヴェヒャート空港着予定。

11時16分離陸。到着予定時刻は午後3時30分。時計を11時30分から4時30分に7時間戻す。ほぼ約束通り、3時25分に着陸。小雨。実に小さな空港で、荷物のピックアップのない私はあっという間に外に出てしまった。そこには4時10分発の市内シティ・エア・ターミナル(中央駅)行きのバスが1台止まっていた。少し時間があるのでツーリスト・インフォメーションを探すのだが、見つからない。ウィーンは、西欧と東欧の中間だという感じがする。もっとも、東欧は行ったことないけれど。暗くて、寂しくて、空気が重い。1人旅の最初からエンジンがかからない。

とりあえず、バスで中心部に向かう。ミッテ(中央)駅そばに着いた。すぐに72時間有効切符を自動販売機で買う。めざすペンション・シュタットパークは満室で、不安なままさまようが、偶然にシュテファンプラッツにぶつかり、無事にインフォメーションにて安いペンションを予約してもらう。この時5時20分。ついでに、地図、イベントリスト、ミュージアムリストをもらう。

予約したフュンフハウスは遠く感じた。西駅から歩いて15分なのだが、場末みたいで、しかもすでに薄暗い。着いてみれば最上階(といっても4階、もちろんエレベーターはない)の広いツインルームで、ちゃんとシャワールームもある。しかし、電話もせっけんも(!)なく、もちろんテレビも冷蔵庫もなかった。とにかく、機内ですごい汗をかいていたので、洗濯して、シャワーを浴びた。

絵はがきとBuchplan(市内の詳しい地図)を買い損ねている。まあ、見つかったら買っておこう。トマス・クックの時刻表でウィーンからの移動をチェック。ザルツブルクまで最短で2時間15分。午前8時50分発のEC64がある。これを明日、駅で確認しよう。印刷物より現地情報。ザルツブルクとミュンヘンのホテルの当たりをつける。どちらも駅の近くに集中しているようなので、何とかなるだろうと楽観する。移動とかホテルとか、事前に調べておけって? おっしゃる通り。しかしまあ、今回は大都市だけだし、危険でもないので、出たとこ勝負。

1996年9月19日(木)

ウィーン滞在

昨日インフォメーションでもらった地図を引き裂いてコンパクトにしてポケットに。ネクタイを締めたのは、席が取れればオペラに行こうというつもり。

6時55分、朝食。先客がいて、「Morgen.」と挨拶する。さっさと出発して西駅から地下鉄に乗る。最初の目標はヴァーグナー建築の郵便貯金局。8時にオープン。ガラスとアルミに感激。そこから歩いて南下。寒いので、シュテファン大聖堂の中に入る。それでも寒い。ペスト記念柱を経てオペラ座へ。9時25分、裏手の国立劇場チケット売場に到達。ここはコンピューター発券。本日の「スペードの女王」の2000シリングの席の入手に成功。さらにリンク(環状道路。昔の城壁跡で、この内側が旧市街)をはさんでオペラ座の向かいに全日空の支店を発見。ここで早くも帰りのリコンファームを済ませてしまう。日本語で「いらっしゃいませ」と声をかけられると変な気がする。

9時40分、すぐそこはカールスプラッツ。ここの駅舎もヴァーグナー作。今朝は快調なので、ついでにカールス教会にも寄る。典型的なバロック。つまり、私の趣味ではない。ここからゼツェシオンをめざすが、道に迷う。いったん戻る。ようやくゼツェシオン(分離派館)に到着。黄金の玉葱を頂いた建物だけでも面白いが、この中には、クリムトの傑作《ベートーヴェン・フリーズ》がある。誇張された人体が歌う歓喜の歌。近くのカフェ・ムゼウムでコーヒーを一杯。飛ばし過ぎたのか、ちょっと疲れた。11時、行動再開。造形美術アカデミーに向かう。目当てはボッシュの《最後の審判》。しかし、ここは収蔵品数がものすごく多く、最後は流した。

11時40分、いよいよメインのウィーン美術史博物館。ブリューゲルとフェルメールを味わう。しかし、緊張なのか暖房のせいか、多量の発汗で気持ち悪い。しかも、突然ものすごい空腹感に襲われてしまう。もっといたかったが、ポストカードを買って午後1時30分に外に出た。とりあえず楽友協会方面に路面電車で向かう。手頃な店が見つからず、安易ながらマクドナルドで食事。ビッグマックとメキシカンサラダとコーラ。後先を考えず、ラージサイズのコーラを頼んでしまった。

楽友協会の裏手のチケット売場で明日のウィーン・モーツァルト・オーケストラを予約。ここはコンピューター発券ではなかった。日本のようなチケットシステムは例外的なのかもしれない。今日の予定はこれで終わり。まだ3時前だ。あとは7時からのオペラ座「スペードの女王」を見るだけだ。

またも路面電車でブルク劇場へ。この中のクリムトの壁画を見たいのだが、入れない。曜日と時間を決めて公開しているはずなのだが。とりあえず、一周。案内表示もないので、あっさりあきらめて市庁舎前の公園でひなたぼっこする。子どもたちがサッカーボールで遊んでいた。あまりにひまなので、美術史博物館の向かいの自然史博物館に入る。4時10分。石(鉱石とか宝石の原石とか)やら恐竜の骨格を眺める。ここには、美術の教科書の一番最初に出てくる作品がある。《ヴィレンドルフのヴィーナス》。たぶん、地母神信仰の象徴。

5時15分、オペラ座に出てシュテファンプラッツまで歩く。12弦ギターのデュオがいた。ロースハウスを写真に収める。ラジカセをバックに歌うテノールやら、リコーダーやら、バスーンとアコーディオン(スタンダード・ジャズ)やら。みんなレベルが高くて楽しい。そのまましばらくいる。

6時45分、オペラ座へ。140シリング(高い!)出してプログラムを買う。「スペードの女王」はチャイコフスキー作曲としか知らないので、慌てて予習する。しかし、プログラムの95パーセントはドイツ語なのだった。簡単なストーリーが英仏伊語であったので、あらすじだけ頭に入れる。しかし、オペラは頭ではなくハートで受けとめるものであった。感動で背筋が震えた。

10時10分にオペラ座を出て、地下鉄を乗り継ぐ。33分で宿に着いた。こうしてみると、そんなに不便は感じない。要は慣れである。西駅から路面電車で1駅乗ればもっと早いことに気づく。

1996年9月20日(金)

ウィーン滞在

寒いからか動きすぎたのか、背中が痛む。しかし、朝食をとって7時50分には出かける。カールスプラッツに着いて、南西に歩き始める。しばらくすると、通りの中央にナッシュマルクトが見えた。南北に長い市場だ。早足だからか汗をかいた。でも、寒い。8時40分、マジョリカハウスに到着。ふむふむ。そのまま引き返す。あとから思えば、中に入れるかどうか試せばよかった。エレベーターの装飾を見逃してしまった。5シリングのトイレに入る。無茶苦茶ボロボロ。おじさんに5シリング渡すと、鍵をかけてくれるというシステムだった。

オペラ座まで戻って9時20分、2番の路面電車に乗ってリンクを一周するつもりだったが、これが間違いで、実はJだった。1番で戻ってシュヴェーデンプラッツでMのバスに乗り換え、10時4分にヘッツガッセで降りた(とメモには書いてある。その時は必死だったので複雑な路面電車とバスの体系を理解していたのだろうけれど、今となってはもう覚えていない)。目的は、フンダートヴァッサーハウス。変な建築家のフンダートヴァッサーが設計した公共アパートである。地面がうねって歩きにくい(そういう設計)。

北西に少し歩くと同じくフンダートヴァッサーの手によるクンストハウス・ヴィーンがある。ここでは彼の作品が展示されている。11時17分、Nのバスでシュヴェーデンプラッツに戻り、路面電車1番に乗り換えて、さらにオペラ座で路面電車Dに乗って12時にはベルヴェデーレ上宮へ。エゴン・シーレ、ココシュカ、クリムトなど。有名な《接吻》《ユーディット》がある。ここからは眺めがいい。

またDで戻って、ミュラーバイゼルという居酒屋で食事にする。12時45分。ここはビールでしょう。クネーデル(肉団子。ここではレバークネーデルだった)入りスープとグーラーシュ(ハンガリー風煮込み)にする。スープであったまる。グーラーシュには大量のパテがついてきて食べきれなかった。とにかく、この寒さに対抗する必要がある。生きた心地がしない。

高級ショップの集まったギャラリーでコートを物色。あまりに高くて決心がつかない。疲れたので、いったんペンションに帰る。午後2時24分。シャワーを浴びて体を温める。生き返る。レザージャケットを買おう。狙いをケルントナー通りの百貨店シュテッフェルに絞る。センスはよくないが安いだろう。5時まで寝る。

出かける時に宿から5分の停留所の路面電車58番の行き先を調べる。東に1駅で西駅だが、西へ行く逆方向の電車はやはりシェーンブルン宮殿に向かっていた。よしよし。シュテッフェルに直行し、レザージャケットを2998シリングで購入。ほとんど選択の余地がない品揃えであった。ついでにネクタイを299シリングで買う。買い方がよくわからなかったのだが、何とかなるものである。高級専門店では必ず挨拶し、欲しいものを告げ、条件を吟味して店員と相談するわけだが、こういう百貨店はもっと庶民的で、自分で選んだ商品をレジに持っていって買うか、うろついている店員をつかまえる。間違っても日本のデパートのように親切でもないし、客を神様とも思っていない。あっさり目的を果たしたので、帰ることにする。今晩のコンサートは8時15分からなのだ。途中、西駅でLINIEN PLANという市内交通路線図を買う。これは便利だ。しかし、もうあさってにはウィーンを去るのだが。6時18分、またまた宿のベッドに横になる。

7時15分、路面電車・地下鉄を乗り継いで楽友協会へ向かう。リンクを歩いていたら、ツーリスト・インフォメーションへの道を聞かれたので、教えてあげる。ウィーン・モーツァルト・オーケストラは望外に面白かった。幕間にプログラムを買いに走る。幸せな気持ちになって10時50分にペンションに着いたら、外の鍵が閉まっていた。部屋の鍵で開いたが、門限があるんなら言って欲しいよな、と思う。

1996年9月21日(土)

ウィーン滞在

空腹で目が覚める。まだ6時だった。トマス・クックの時刻表から、ザルツブルク→ミュンヘン→ベルリン→フランクフルトの列車を調べて書き出す。朝食のあと、58番でシェーンブルンに向かうはずだったが、乗り場を間違えて西駅に行ってしまう。改めて58番の正しい方向に乗る。8時5分に着いたのだが、宮殿はツアーで見る方式で、8時45分から。チケットを買って待つ。時間になり、地下鉄の改札のように通り抜けて見て回る。しかし、私は宮廷とか城とかマリア・テレジアとかマリー・アントワネットとかバロックとかロココとかは全然興味が湧かないのだった。ヴェルサイユすら見てないんだから(自慢してどうする)。ただ、宿泊先から1本の電車だったという奇遇が気に入ったのでやって来たのが失敗だったかもしれない。

庭園を登ってグロリエッテ(戦勝門)に向かう。結構な坂で、途中で撮影のフリをして小休止してしまう。30分もかけて着いたが、それだけの甲斐のある眺望だった。ここは、タダである(宮殿は110シリングもする)。カフェもあるのだが、15分うだうだして降りる。10時20分になっていた。

そこから人気のない道を歩くこと35分で、ホーフパヴィリオン・ヒーツィングを見つけた。あまりに閑散としていて、悪い輩に襲われたらどうしようかと思ったが、そういうことはまったくなかった。ここもヴァーグナー建築で、皇帝専用の駅。私以外は誰もいなかった。

U4とDを乗り継いでフュルステンガッセに着いたら11時30分だったので、横浜の実姉に電話した。毎週土日に電話して緊急事態がないことを確認することになっている。OKだった。

12時に近代美術館へ。あんまり期待していなかったが、面白かった。近現代美術は直感的にグッとくるかどうかだと思っているので、あまり神経を使わずにすむ。

わざわざ路面電車Dに乗ってショッテントーア下車。有名らしいロイポルトで昼食にする。ターフェルシュピッツ(牛肉のあっさり煮)と白ワイン。ソース2種とタルタルヴィネガーつき、予想通り山盛りのポテトが付け合わせだった。皿がやってきて「ボナペティ!」と言われると、直訳の「良き食欲を」の実感がある。それだけ一皿でボリュームがある。ゆっくりメモを書き、エスプレッソを飲む。幸せな午後。

午後1時55分、路面電車で南下して48Aのバス乗り場を探す。だが、いくら走り回っても見つからない。旧市街は一方通行だらけなので、わかりにくい。3時までには着きたいので、あせりまくった。2時22分、信号待ちのタクシーを見つけて無理矢理乗り込む。目的地は精神病院なのだが、口で言っても通じなかったので、地図に印をつけてわかってもらった。途中で48Aのバスを2台追い越した。病院は広い敷地でしかも急坂があり、タクシーで楽して正解だったかもしれない。なぜなら、敷地のもっとも高い丘の上にめざすアム・シュタインホーフ教会があったからだ。

近くの建物に見学希望者が集合してから3時に公開という手順と聞いていたが、あっさり40シリングで教会の中に入れた。土曜日だけの公開なので、この機会を逃したくなかった。ヴァーグナー建築の精華。3時から始まった長いスピーチのあと、ポストカードを買って下界に降りていった。満足感が広がる。4時8分、病院を出たところのバス停から48Aのバス、路面電車2番、路面電車71番と乗り換えた。

終点のひとつ手前で降りると、そこは中央墓地の入り口である。すでに5時15分。6時には門が閉まる。老女が声をかけてきた。ドイツ語だが、何となくわかるものだ。音楽家の墓がまとまっている区画32Aにもお参りする。

ウィーン最後の夜。路面電車でシュヴァーゲンプラッツに戻って、リンクを歩くことにする。6時15分。オペラ座、モーツァルト像。市民公園からブルク劇場までは路面電車1番に乗った。私の切符は72時間有効というものなので、最初に使ったのが3日前の午後5時30分だから、とっくに期限を過ぎてキセル状態である。しかし、果敢(無謀)にも路面電車1番でショッテントーア、地下鉄U2でフォルクステアトル、地下鉄U3で西駅、路面電車58番と滑らかに市内交通を駆使してペンションには7時40分に帰った。やっとウィーンに慣れたのに、明日はザルツブルクへ向かう。

1996年9月22日(日)

ウィーン→ザルツブルク

パッキング。パスポートとユーレイルパスを確かめる。現金は1,637 オーストリアシリングあった。もう少しウィーンにいようかとも思ったが、もう見るものは見た(王宮とか楽器博物館とかスペイン乗馬学校とかウィーン少年合唱団とかは見てないけど)し、もう少し居心地の良い宿で休みたかったので、まだザルツブルクの方が条件がいいだろうと予定通り移動することにした。

朝食。さあ、チェックアウト。迂闊にもクレジットカードお断りということを知らず、現金で残金1,410シリングを払う。あっと言う間に財布が寂しくなってしまった。7時40分、いつもの58番の停留所。最後のキセルで路面電車に乗る。西駅で、いよいよユーレイルパスの使い初め。ザルツブルクまでだからと国内の窓口に行ったら、「AUSLAND(外国窓口)」に行けと言われる。あ、そう。並び直して、「今日から使います」と言ってサインしてもらった。本当はパスポートを提示してパスポート番号を記入してもらわないといけないのだが、おじさんは省略してしまった。ついでに、どこで両替できるか聞いたら、なんとここでできるということだったので、1万円の現金を920シリングに替えてもらう。このレートは成田よりもいい。よしよし。パスポート番号は自分で書き入れた。数字はちゃんとヨーロッパ式でね。

8時には6番線でザルツブルク行きを待った。8時28分発が11時50分着、8時50分発が11時55分着と、到着時刻があまり変わらないので、どちらでもよかったのだが、早起きしたことだし、28分発に乗る。列車のドアは自動では開いてくれない。こいつは緑のライトに指を当てると開く方式だった。ユーレイルパスが一等車なので、なんかもったいないから一等車に乗る。コンパートメントに1人だった。

時刻表通り、正確に運行。ウトウトしてしまった。やはり疲れているのかもしれない。11時50分、ザルツブルク。駅から歩いてすぐのバイエリッシャー・ハウプトバーンホフ(というホテル)で「Haben Sie ein Zimmer?(部屋は空いてますか?)」と聞いた。「Ja, Einzelzimmer, Doppelzimmer?(はい、シングル、それともツイン?)」と聞かれたので、「Einzelzimmer, bitte(シングルを)」と答える。さらに、「Zwei Nachts, bitte(2泊お願いします)」と重ねていく。実は、私のドイツ語はここまでで、あとは野となれ山となれ、当たって砕けろなのであった。幸い、オーストリアでもドイツでもホテルではほとんど英語が通じた。

ここでは、1泊しか空いていないということで、近くの別のホテルを紹介してくれた。ホーヘンシュタウフェンというところで、無事に宿を確保。「Who sent you?」と尋ねられたので、バイエリッシャー・ハウプトバーンホフ(ドイツ語の単語は音節が長いので言いにくい)からだ、とつかえつつ答えた。1泊710シリングということだったのだが、部屋のドアの内側にあった規定料金は990/1290シリング(オフシーズン/ハイシーズン)だったから、結構値引きしてくれたようだ。テレビ、電話、ラジオ、ランドリーサービスがある。もちろんシャワーも。ミニバーはないが、どうやら1階のロビーで飲み物を出すらしい。パンフレットによれば、家庭的サービスを標榜している。設備は新しいのだが、難点は、部屋が近代的にコンパクトというかマイクロ、つまり狭いのだった。まるで日本の中級ビジネスホテルのようだった。

少し休んで予定を立てる。フロントでおすすめのコンサートを聞いて情報を仕入れる。ミラベル広場に行って、ヒトラーの別荘見学ツアーの予約をする。その前に1日乗車券を買う。よしよし。なかなか計画的だと思ったのだが、落とし穴があった。

午後12時45分、フロントでコンサートのおすすめを聞く。そこにスケジュールが貼ってあるというのでしばし見ていたら、「日本人だったら、今日いいのがあるぞ」といって横浜の合唱団がモーツァルトのレクイエムをやると教えてくれた。なんでここまで来て日本のものを? とも思ったのだが、他にめぼしいのもなかった。

中央駅で1日乗車券Tagskarteを買おうと歩き出す。バスロータリーの自動販売機ではなぜか買えなかったが、駅構内で再チャレンジしてゲット。さっそく5番のバスに乗り、ミラベル広場で下車。やっぱり近かった。パノラマツアーの売場を見つけて、明日のヒトラーの別荘(イーグルズ・ネスト)見学ツアーを購入。550シリングが『地球の歩き方』を見せると500シリングにディスカウント。このツアーは『地球の歩き方』に詳しくレポートが載っていて、ついつい惹かれてしまったのだ。もともとザルツブルクでは予定がなかったし。

1時25分。広場に面している聖アンドレア教会を見る。ステンドグラスが新しい。道路を渡ってミラベル宮殿へ。天使の階段。庭園。川をへだてて旧市街が見えた。こびとの石像がかわいい(あるいは不気味)。ぼーっとしていたら、鐘が鳴った。

どこに行こうかと思案しているうちに、現金が残り少ないことに気づいた。あまりクレジットカードが万能でもなさそうだったし、コンサートや食事を考えると心もとない。しかし、今日は日曜日だった。旧市街で銀行を探すよりも中央駅だろうか。お腹も空いてきたぞ。

とりあえず、近くのマリオネット劇場へ行って場所を確認。明日の演目は「ドン・ジョヴァンニ」だった。そばにVISAのキャッシングマシーンがあったので試したが、ダメ。2番のバスで中央駅へ戻ってExchangeの窓口へ。円の現金はホテルに置いてきてしまったので、VISAで1000シリングをキャッシング。パスポートを求められたので、いつも財布に入れているコピーを提示したが、大丈夫だった。ふう。初めてこのコピーが役に立った。また5番のバスに乗って川を越えて旧市街へ。

結局、予定を立てたのがまったく無駄。移動してばっかりで全然だんどりが良くないぞ。2時45分。ゲトライデガッセという狭い通りは観光客でぎゅうぎゅうだった。ブラウエガンスという店でメニュー(定食)を食べる。もちろん、ビールも。スープはまたもレバークネーデルだった。ウィンナー・シュニッツェルにじゃがいも添え、デザートに杏のシロップ漬け。テレビではF1をやっている。そういえばセ・リーグはどうなったのだろうか? ザルツブルクにはもちろん、見るところはたくさんあるのだが、私にはあまり関心が生まれてこない。店内にはザルツブルガーノッケール(ザルツブルク名物の巨大なスフレ。2人以上でオーダーしないと危険)に挑むカップルや、日本から老いた両親を迎えた娘とそのオーストリア人の夫とその子どもという家族(以上は推定)がいた。トイレが見つからなかったり(我慢した)、カメラを忘れたり(すぐに気づいて戻った)、気持ちが弛緩している。

4時10分、どこということもなく、ぶらぶらする。カラヤン広場、馬洗いの池、祝祭劇場、フランツィスカーナー教会(聖フランシスコ教会)。広場に出てみれば、そこはお祭りだった。

この広場のそばにインフォメーションがあるのだが、日曜日の今日はお休み。ぐるっと回ってDom(司教座大聖堂)へ。ザルツブルクでは大司教が長年、塩の財で権力を握ってきたので、さすがに立派である。モーツァルトの父レオポルトの苦労がしのばれる。

疲れたのでホテルに帰ることにする。バス乗り場がわからず、またどのバスが駅方面かもわからず、しかし意地で乗り継いで帰る。時間はかかったけど。フロントで部屋番号321がなかなか通じなくてイライラする。やっと「Oh! Your room number!」とわかってくれる。だから、そう言ってるだろうが。どうやら、私が宿泊客だという認識がなかったようだ。家庭的ホテルを自認するだけあって、客は見たらわかるぞ、ということらしいが、ここはしくじったな。シャワーを浴びて横になる。

7時30分に部屋を出た。今晩のレクイエムは8時30分開演だが、教会だから自由席だろうと早めに行く。チケットを買い、ミサが終わるのを待って入場。当然ながら多数の日本人がいる。なんだか現地雇いの応援団のような気持ちになる。

終わって、さっき見つけたバス停から帰る。私は1日乗車券だから、そのまま乗る。日本人団体はひとりずつお札を出しておつりをもらっているので、時間がかかる。おつりを出してくれる市内バスというのには初めてお目にかかった。それはいいのだが、私にまるで「おまえキセルだろう」みたいな視線を送るのはやめてほしい。別に運転手に乗車券を見せなくてもいいの。

ホテルでは、私の顔を見るなり「Your room key, 321, right?」とキーを差し出してくれた。結構うれしい。ひさしぶりにテレビを見る。CNN。明日は雨。名古屋グランパスからアーセナルに移ったベンゲル監督が出ていた。日本代表の監督になってくれないかなあ。

1996年9月23日(月)

ザルツブルク滞在

6時5分、目が冴えてしかたがない。またテレビ。東京は23度だが、ローマもベルリンも10度は低い。寒いはずだ。7時30分に朝食。ウィーンの安ペンションとは違っていろいろなパンにチーズ、3種のジュースにりんごもある。いったん部屋に戻り、雨支度としてバンダナを頭に巻く。今日のヒトラーの別荘ツアーはドイツ領内なので、パスポートも携帯する。

すでになじみとなった中央駅で1日乗車券を買うが、機械から出てくるおつりが1シリング足りない。まあ、いいか。集合場所のミラベル広場には8時40分に着いた。パノラマツアーのおじさんが「まだ20分ある」(それはわかっとる)と言うので、教会の中で雨宿りする。8時55分に戻っても誰もいない。寄ってきた長身の人が「You, Eagles Nest Tour?」と聞くので「Yes.」と答えると小さなミニバンに連れていかれた。彼がガイド兼ドライバーだった。バンには、ツアーメンバーがすでに乗っていた。

そして、ツアーが始まった。何事もなく国境を通過。9時40分、ヒンターエック(Hintereck)でRVOバスに乗り換える。ここからは一方通行のため、このバスだけが運行されている。険しい山道、片側は崖。素晴らしい景色.....のはずが、霧と雨で視界は真っ白。

トンネルの入り口でバスを降りる。長いトンネルの先にある黄金のエレベーターに乗って、ついに着いた。山の頂にのっかった鷲の巣だ。45分間の自由時間で、山頂を散歩する。なんと、残雪があった。

10時50分、またエレベーターを下り、RVOバスでヒンターエックへ。雨がひどくなったので、アメリカ人の明るい女性が傘をさしかけてくれた。そこからベルヒテスガーテンに寄った。雨なのに散歩してコーヒーを飲んだ。初めてマルクを使った。ザルツブルクに帰った。同行のツアーメンバーに「Have a nice trip!」と声をかけると、「You too!」と明るい声が返って来た。午後1時5分になっていた。

橋を下りていったところで偶然モーツァルトハウスを見つけた。雨に降られていたこともあって、中に入った。モーツァルトの生家にも行けるチケットが割安だったので、それにした。早くホテルに戻って体を乾かした方がいいとは思いつつ。ここは最近、日本の保険会社などの寄付で改装され、きれいになっている。フォンガイドには日本語があり、展示品を見るポジションにつくとその解説が流れるという仕組み。ピアノ(の原型)の演奏された音も聞けて楽しい。ここにはCDショップもあって、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲3&5(ムター、カラヤン、ベルリンフィル)を買う。

2時45分、橋を渡って旧市街へ。モーツァルトの生家はすぐわかった。愛用のヴァイオリンのオリジナルがある。たくさんの日本人、たくさんのチョコレート。3時30分、バスで中央駅、そしてホテル。「Tag!」とあいさつすると、笑って321のルームキーを渡してくれる。とにかくシャワーを浴びてマルクのコインなどを整理する。ウィーンで聞いたヴァイオリン・コンチェルトは1番だった! ということで、もう少し探してみようと思う。雨の中で動き回ったせいか、いったん休むと出かける気にならない。レジデンツやホーエンザルツブルク城はあっさりあきらめることにした。もともとこだわっていないが。5時15分まで大休止。

5時35分、今度は傘を持って出かける。駅への途中で食料品店を発見。6時にはマリオネット劇場で今晩のチケットを買う。旧市街まで行って、昨日見つけたCDショップに入る。CDをウィンドーにディスプレイしているこの店は古いタイプで、店内では客が勝手に商品を引っぱり出してレジに持っていくのではなく、まず店員に「これこれを探している」と伝えて、奥から出してきてもらう方式。この手の店では、ドアを開けて「Guten Tag!」と元気よくあいさつしないといけない。すると、店員が出てきて応対してくれる。今回はモーツァルトのヴァイオリン・コンチェルトをたくさん出してもらう。ウィーンでのコンサートのソリストのマリア・クービツェックはなかったので、パールマン、レヴァイン、ウィーンフィルで5曲(つまり全曲)2枚組を買った。しかし、ここはクレジットカードが使えず、現金299シリングで払ったら、無一文になった。

夕食はカードOKでないとだめなので、選択の幅がない。ツム・モーレンはすでに満席。K+Kに行く。ちょっと気取った店で、テーブルにはローソクが煌めく。ターシェルというほうれんそう入りのラビオリにサラダがついている。それと白ワイン。最後にエスプレッソを頼む。カードで勘定を済ませた。

7時10分、マリオネット劇場へと急ぐ。前から2列目なのだが、目前に巨体がそびえて舞台が見えない。プログラムを買おうにも現金がまったくないので、無理。なぜか周囲にはフランス人の団体が多かった。「ドン・ジョヴァンニ」を堪能して劇場を出ると、雨はあがっていた。教会のファサードがライトアップされている。気分よくミラベル広場まで歩いてバスに乗って帰った。オーストリアシリングの残りはわずかに19シリングのみ。

1996年9月24日(火)

ザルツブルク→ミュンヘン

ゴミ収集車の音で目が覚めた。朝食からりんごを1個持ち帰る。8時20分、チェックアウト。「(Aufは省略して)Wiedersehen!」。食料品店の前を通ったが、まだ開店していなかった。どっちにしろ、現金はないのだが。駅で9時5分発の列車を待つ。ウィーン始発なので、混んでいるかもしれない。8時51分に入線。コンパートメントはやはり少し混んでいた。ミュンヘンまでは1時間30分。パスポートの表紙を見せるだけで、私はドイツに入国した。

(哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 【行動記録・ドイツ篇 その1】 につづく)

text by Takashi Kaneyama 1998

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