哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇

【行動記録・ドイツ篇 その1 】

1996年9月24日(火)

ザルツブルク→ミュンヘン つづき

10時35分、ミュンヘン到着。駅構内に行き先別の時刻表カードを差した棚があったので、ケルン行きをもらう。駅周辺には、ホテルの看板が多い。ロカルノではシングルがなく、ツイン140マルクを120でどうか? と言われたがパスした。心配した通り、オクトーバーフェストにぶつかって相場が上がっていた。ハーバーストックでもダメ。長期戦を覚悟する。隣のヘルヴェティアでシャワー・トイレ共同、2泊だと部屋が途中で変わるけどいいか? というのにOKする。1泊70マルク。「東京はなんでも高いんだろう?」とフロントのお兄さんは気さくだった。

11時、駅でインフォメーションを探すが見つからない。とりあえず、1日乗車券を買う。よくわからないが、地下鉄に乗ってマリエン広場をめざす。U4でカールスプラッツへ、そこでS1に乗り換えるのだが、このホームで正しいのかわからない。逆方向に乗ったら引き返せばいい、確率50%だと開き直ってやってきた電車に乗ったら、正解だった。まあ、歩いてもたいしたことはない距離だけど、地下鉄に乗ってみたかったので。

新市庁舎前のオープンカフェでコーヒーを飲む。12時を待った。有名な仕掛け時計を見る。まあ、こんなものか。バイエルン州立劇場に行ってチケットオフィスを探す。人に尋ねること2回、ようやく見つけた。行列に並んでやっと順番がきたら、明日の「アイーダ」はここではない、そこに電話しろと張り紙を指した。その主催団体に電話で話が通じる自信がないので、その住所にタクシーで向かう。しかし、応答なく、駅まで歩いてタクシーを拾う。どうも今日はうまくいかない。

ノイエ・ピナコテークに着いたのは午後1時13分だった。まずは、改修中のアルテ・ピナコテークの所蔵品の展示をゆっくり見る。主な作品だけなのに、1時間半もかかった。充実している。ここで、作戦を変更し、今日見ようと思っていたいろいろを明日にする。今日は「アイーダ」のチケットを何とか手配することを最大の目標にしよう。余裕があったら、今晩の「イドメネオ」の当日券も狙ってみよう。明日はせっかくなので、オクトーバーフェストにも行こう。というわけで、ノイシュヴァンシュタイン城は、またの機会にした。ここから日帰りで行けるんだけどね、あんまり気が乗らないし。

ノイエの展示を見ているあいだに、強烈にお腹が空いてきた。最後にポストカードを買って、電話を探す。きれいな電話でしかも英語で使い方が書いてあった。さっそくさっきの「アイーダ」の主催団体に電話して、チケットの確保に成功。ラッキー! これで安心。外に出たところで、ベトナムから来たという青年に話しかけられた。なんか、目的がはっきりしないので、ちょっと話して別れた。3時35分、レーンバッハ・ギャラリーめざして南下開始。途中で適当に食事できそうなところを見つけようと思ったのだが、この通りには店が見あたらないのだった。いきなり「ペンを貸して!」というアジア系の若い女の子2人に会ったりしたが、ラフというかぶしつけというか、マナーの乱れを感じてしまった。

4時10分、空腹を抱えたままレーンバッハ・ギャラリーに着いてしまった。「青騎士」グループやカンディンスキーなど。けっこう面白い。1時間弱いて、オデオン広場まで歩いて右に折れた。バイエルン州立劇場そばのツム・フランツィスカーナーという居酒屋に入る。白ソーセージと白ビール。ストラスブールから来た老夫婦と同席になったが、フランス語とドイツ語だったので、あまり会話できなかった。アプフェルシュテーデル(りんごのパイ)にアイスクリームを載せたものとエスプレッソまで頼んでしまった。6時10分。ところが、ツァーレン(勘定)を頼んでからが遅い。7時には「イドメネオ」が開演してしまう。

ようやく精算して劇場裏のAbend Kasseに急ぐ。6時45分。並んで、順番が来たら隣と言われ、席はあったがはじっこで「60% view」ということだったが、とにかく買った。座席はどこか、階段を駆け上がっては聞き、聞いては走り、しかも教えてくれた制服のおじさん(係員だと思う)が間違えてくれたりして、「シュネル!(急げ!)」というドイツ語を覚えてしまった。そういう中でもクロークに革ジャケットを預け、プログラムを買って席に着いた。7時4分。汗をかいていた。

「イドメネオ」はモーツァルトが若い頃の作品で、ミュンヘンで初演されている。そう、ザルツブルクのモーツァルトハウスでは書いてあった。それ以上は知らなかったので、慌てて英語のあらすじを読む。ストーリーは分かったが、舞台は前衛的というか、抽象的というか、装置や美術がほとんどなく、三方の移動する壁と照明の切り替えで転換していくのであった。モノトーンで、なんだかつまらない。

9時55分に終わって、マリエン広場から地下鉄で帰る。ミュンヘン駅は大きいのだが、とにかく地上に出て、HERTEというデパートを目印にすると、位置がつかめる。ホテルへの道筋でインフォメーションを見つけた。さっきはどうしてわからなかったんだろう? 部屋についてストレッチングで筋を伸ばす。りんごを食べて寝る。シャワーは午後10時までらしい。

1996年9月25日(水)

ミュンヘン滞在

朝食に行ったら、フロントでやっぱりルーム・チェンジなので荷物をまとめておいてくれと言われた。別にたいした荷物ではないので、あっと言う間に荷造りを終わる。今日はゆっくりなので、1時間朝寝する。実は今日は誕生日なのであった。

9時6分、出かける。インフォメーションはまるでbox office(チケット予約)みたいで、いろいろなイベントの情報があった。駅でまたまた1日乗車券を買い、またまたマリエン広場をめざす。もはや慣れた道筋。

ペーター教会(ザンクトペテルスキルッヘ)とフラウエン教会を回る。塔に登る気力も体力もない。しばし休養し、レジデンツへ向かう。

ひまにまかせてゆっくり歩いた。10時22分にレジデンツに着いた。レザージャケットをクロークに預けようとしたら、「very cold.」と言って受け取ってくれなかった。ここは大戦の爆撃で崩壊したものを修復したことを誇りにしているようだ。11時12分に出て、また歩く。ここまでは、一応ガイドブックにある中心部の見所なのだが、思った通り、あんまり面白くなかった。

11時40分、Haus Der Kunst(芸術の家)。西翼が現代美術ギャラリーになっている。20世紀の大家が揃っていて、なかなか楽しい。1時間いて、外に出ると陽が射して暖かい。バスでオデオン広場に出て地下鉄に乗り換え、テレジアン・ヴィーゼで降りて人の波についていくと、そこがオクトーバーフェストの会場だった。午後1時12分。

大きい。広い。あとから聞いたところによればいろいろアトラクションがあるらしいのだが、何も知らなかった私は1リットルのビールを2杯(少し残した)とソーセージで満腹して帰ってしまった。バヴァリアの女神も見つけられなかった(というか、真面目に探さなかった)。

3時10分になっていた。それから散歩すること40分。駅まで地下鉄に乗ってホテルに戻った。部屋は変わっている。シャワーを浴びて「アイーダ」まで2時間寝る。

6時10分、ウィーンで買ったネクタイを締めて駅からマリエン広場まで地下鉄で。劇場裏で昨日予約したチケットを無事入手。今日はなかなかいい席だ。「アイーダ」は以前、ローマのカラカラ浴場の野外ステージで見ているし、CDでも聞いているのでゆっくり舞台を味わう。肩もあらわなドレス姿の観客もいて、社交場の雰囲気も味わった。

悲劇的ラストは盛り上がってスタンディング・オベーション。10時40分、ミュンヘンも最後の夜だなあ、と思いつつ、ホテルに帰った。明日はケルンまで長距離移動(5時間以上!)なので、早起きだ。

1996年9月26日(木)

ミュンヘン→ケルン

6時37分に朝食へ、いったん部屋に戻って荷造りして7時7分にチェックアウト。駅で16番線と確認してフランクフルト行きの列車を探す。一等車は3両あったが、予約席が意外に多い。やっと空いているコンパートメントに落ち着く。髭のおじさんがいた。7時42分、発車。ユーレイルパスには乗車地と降車地を書く欄があって、前もってそこに記入しておくと、検札でそこにスタンプしてくれる。

うとうとしたら首が痛くなった。マンハイム着。さあ、乗り換えだ。降りたホームの反対側にケルン行きが止まっていた。ここは5分しか乗り換え時間がなく、もっとも心配していたのだが、うまくいった。やはり予約席が多く、結局さっきの髭のおじさんとまた同室になった。

ここからは線路はライン川沿いに走っている。マンハイム、マインツ、ゴブレンツなど、ライン下りなのだが、船と違って列車は速い。それでも、川面、山々、古城なんかが見える。私にはこれで十分だ。

午後1時3分、ケルン到着。駅を出るか出ないかのうちに大聖堂が目に入る。ホテルを探して駅の裏手に回ると、たくさんのホテルの看板があった。ブランデンブルク・ハウプトバーンホフというホテルに決める。1泊80マルク、シャワー付き、3泊。テレビもあったが、トイレと電話はない。机はあるが、ソファはない。中庭に面していて、静かそうなのでよしとする。トイレはこのフロアに2つあるのだが、なぜか鍵がしまらない。いったん外に出て鍵の回し方を研究する。

1時30分、駅構内を抜けてツーリスト・インフォメーションに行き、地図を入手。といっても、棚にたくさん差してあったのを抜いてきただけ。インフォメーションは千差万別だが、ここは公務員的高姿勢に見えた。大聖堂の目の前のカフェで昼食にする。ケルシュビールがおいしい。大道芸人のクラリネットが聞こえる。サラエボから来たという物乞いの少女もいた。ここはケルン観光のまさに中心なのだった。

2時52分、いよいよケルン大聖堂へと向かう。路上にチョークで絵を描いている人や、広島アピールへの署名、マイケル・ジャクソン風の踊り、リコーダー吹きなど、にぎわっている。大聖堂は典型的なゴシックの傑作だった。高いことと、均整がとれていることでは一級品だろう。しばらくぼーっとする。

近くのヴァルラフ・リヒャルツ美術館に行ってみたら、午後4時閉館だったので、また今度にする。土曜日は閉館時間が遅くなるようだし。目抜き通りらしいホーエ通りを南下する。仕掛けオルガンもいた。しばらくすると、東西に伸びた大きな道路にぶつかった。市電が通っている。急に腹が差し込んできた。トイレを探してKaufhofという巨大なデパートをさまよう。4時20分、発見、潜入。おなかが冷えているうえに、頭痛までする。寒いせいだろうか。

このデパートの1階にチケット売場があった。1FCケルンのポスターもある。ここで明日のサッカーの試合のチケットを買うことが出来た。ついでにスタジアムへの行き方を聞くと、route trainの終点ということだった。よしよし。

元気になったので、散歩を再開。シュヌットゲン美術館を見つけたが、ここも4時までだった。市電と地下鉄はNeumarkt(新市場)という駅で乗り換えられることがわかる。ここにあった路線図でスタジアムの位置を確かめる。地下鉄でDom/Hbf(大聖堂/鉄道駅)へ。5時20分。ホテルに帰って休もう。

もともとケルンでは日程調整と折り返しの休憩として、ゆったりとしたスケジュールにしていたので、あせることはない。疲れたら、休む。とりあえず、寝た。11時ごろ起きて、シャワーを浴び、洗濯をした。トマス・クックの時刻表で明日のアーヘン往復を調べる。テレビはドイツ語放送を楽しんだ。TVCFにもいろいろあるものだ。

1996年9月27日(金)

ケルン→アーヘン→ケルン

8時に朝食。おなじみのもの以外には、ハム、チーズ、ゆで卵がついている。8時40分には9番線のホームに立っていたのだが、50分発の列車は15分遅れでやってきた。小雨模様、足が冷たい。オール2階建ての車両だった。

9時58分、アーヘン着。駅からまず西へ、ついで北上。歩くこと20分で大聖堂に着いた。西正面に回ると、扉口には2人の男がいた。ミサの最中か? 聞いてみたら、やはりそうで、5〜10分で終わるから待っていろと言う。やがてミサが終わり、中に入った。ナルテックス(玄関廊)を過ぎると八角形・二層式の堂内だ。みごとな大理石、モザイク。

11時5分、近くのSchaftkammer(宝物館)へ。シャルルマーニュ(カロルス、またはカルロス)大帝の遺品が残っている。フランク王国の首都だったアーヘンが偲ばれる。ここでポストカードを買ったあと、もう1回大聖堂の中に入って記憶の層を掘り起こした。

12時50分、駅へ向かう。途中にあった門構えの立派なKINK LON(金龍飯店)という中華料理店で昼食にした。甘いビールに酸辛湯(サンラータン)、焼きそばという変な取り合わせながらなかなか満足、しかも安かった。店を出ると雨が激しくなっていた。バンダナを頭に巻いて歩き続ける。午後1時50分に駅に着き、2時12分発の列車に乗ってケルンに戻った。

3時17分にはホテルに帰ってまず濡れたシャツを脱ぎ、シャワーを浴びて温まる。ストレッチングとテレビ、2時間の睡眠。サッカーは8時キックオフだ。

6時32分にホテルを出てDom/Hbfから地下鉄、Neumarktで市電に乗り換える。ちなみに、ケルンでは1日乗車券が10.50マルクと高い上にあまり交通機関を使わない予定だったので、その都度切符を買うかキセルした。市電はスタジアム行きの臨時便も運行していて、1FCケルンの赤いマフラーを振り回す連中の蛮声が響いている。危ない感じはしなかったが、車両を揺らすは、やかましいはで閉口する。しかしまあ、こいつらについていけば、スタジアムまで迷わないということだ。7時26分、席につく。赤いマフラーも買って、ファン気分。ゴール裏は立ち席で、盛り上がっている。

8時にキックオフ。2-0でケルンが勝ってめでたし、めでたし。どこで買えるかわからなかったメンバー表も拾うことができたし。帰りの市電はますますテンションの高い若者たちで大揺れ。駅の自動販売機でチョコバーを試しに買ってみたら、ちゃんと機械は機能して、チョコバーを吐き出した。10時55分にホテルにたどり着いた。「Abend.(こんばんは)」「Zwolf, bitte.(20号室をお願いします)」「Guten Nacht!(おやすみなさい)」という程度は素直に言えるようになった。

1996年9月28日(土)

ケルン→メンヒェングラートバッハ→ケルン

今日も8時に朝食。ゆで卵とヨーグルトを持ち帰る。さあ、出かけようとしたらフロントで「Are you leaving today?」と呼び止められた。違うよ、3泊って言ったじゃない。どうやら、私は2泊ということになっていて、今の部屋はもう予約が入っているらしい。部屋が変わるけどいいか? 構わないけど、荷物はまとめなくていいのかい? いいわ、こっちでやるから。15号室にチェンジよ。ということで、ちょっとゴタゴタした。明らかに先方のミスだと思うが、こういう場合、向こうが謝ることはめったにない。実害もないし、事を荒立てずにおくことにした。はたしてこれでよかったのだろうか?

8時45分、駅構内で200マルクをVISAカードキャッシングで引き出した。もう1回ぐらい、現金を作る必要があるかもしれない。さて、9時17分発に乗るのだが、なんと3本もある。 メンヒェングラートバッハへ行くのはアイントホーフェン(オランダのPSVアイントホーフェンのホームタウンだ!)行きだと突き止めて9番線のホームに行ったが、なかなかホームに表示が出ない。9時10分に表示が出て、15分に列車が入線した。駅員に「Zur Eindhoven?」と確認して乗り込んだ。

9時56分、メンヒェングラートバッハに到着。西へまっすぐ歩く。公園があって、坂をのぼっていくとアプタイベルク美術館があった。10時15分、5マルクの入場料に50マルク札を出したらブーイングされた。このくらいでくじけてはいけない。入場拒否されなくてよかった。ヨーゼフ・ボイスをはじめ、現代美術がゆったりと配置されている。外は階段庭園になっていて、ぼーっとするには好適。

12時、腰を上げて駅へ向かう。シーフード専門のファーストフード店ノルトゼーは混んでいたのでパス。駅に着いて電話を探す。横浜の姉に連絡する日だ。ここにはカード式しかなかったので、あきらめてホームへ。12時39分発を待つ。少し遅れてケルンに着いたのは午後1時20分だった。いかにも正確に運行していそうなドイツ鉄道(DB)だが、5分や10分の遅れはよくあるようだった。ケルン駅で電話するが、つながらない。どうしてだろう? 今日はおととい見逃した2つの美術館を回るつもりだったので、ゆっくりしていられない。構内のレストランで食事をとった。そのあと、また電話にトライするがダメ。仕方ない、明日ベルリンから試してみよう。

地下鉄でNeumarktまで、シュヌットゲン美術館には2時45分に着いた。小さいが中世美術、とくにゴシック後期の木彫が多い。30分でゆっくり回れる。また地下鉄で大聖堂に戻り、ヴァルラフ・リヒャルツ美術館へ。ここにはいくつかの美術館やギャラリーが集まっているようだ。「Special exhibition or permanent?(特別展、それとも常設展示?)」と聞かれたのだが、とにかく「Warlaf-Richarts Museum.」と言うと、8マルクだった。現代美術も中世も。広いし、いい作品もあるのだが、展示の流れが一貫せず、疲れる。セクションを分けるとかすればいいのに。5時10分に一周した時には足がジーンとしびれていた。今日は3館も回ったしな。大聖堂前では、南米から来たようなパンフルート吹きがいて、これがなかなかよかった。また大聖堂の中に入ってゴシックを体で感じる。

6時15分、駅を抜ける途中でチョコバーを2本買う。明日のベルリン行きの時刻とホームを確認。ホテルでは、今朝言われたように15号室のキーをフロントでもらって部屋に行ったら、なんと別人の部屋だった。慌ててフロントに戻って確認すると、私は1号室だという。そこは、フロントの向かいで、往来に面した部屋だった。荷物はたしかにサンダルも含めて全部揃っている。トイレ、シャワーは2階。そして道行く人の声や自動車の音がよく聞こえる。ああ、なんて部屋だ。これには参った。今朝、やっぱり厳しく言うべきだった、水かけ論にしても。

とりあえず、テレビを見る。フランス語チャンネルもある。古いサッカーで西ドイツ対スペインをやっていた。ウヴェ・ゼーラーが出ている。ゆで卵やチョコバーで空腹をまぎらわす。アメリカのカレッジ・フットボールでノートルダム対オハイオ州立をやっていて、つい見てしまう。明日は7時10分発でベルリンまで5時間半の長旅だ。

1996年9月29日(日)

ケルン→ベルリン

6時過ぎ、起き抜けにヨーグルトを食べた。7時前では朝食は出るまいと思っていた。フロントでチェックアウトすると、朝食はどうする? と聞かれた。ええっ! いいの? これはラッキーと食べた。ゆで卵とヨーグルトをバッグにしまう。結局、昨晩の部屋は65マルクだった。カードでなく現金(「no card」とフロントに掲示してあった)だったので、現金がまた足りなくなった。

7時前にはホームに立った。まだ暗い。列車が入線。ドアが開かない。渾身の力でやっと開いた。コンパートメントに席を確保。7時10分、時間通りに発車、すぐに検札。1人だけだったので、これ幸いと寝入る。いまや現金は札では110マルクしかなく、400マルクくらいは入手したいのだが、今日は日曜日だ。

10時過ぎにハノーファー、11時29分にマグデブルク。12時25分、ポツダム。そろそろだ。

(哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 【行動記録・ドイツ篇 その2】 につづく)

text by Takashi Kaneyama 1998

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