哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第7話

ヒトラーの別荘

ザルツブルク到着

9月22日、月曜日。正午前に列車はザルツブルクに着いた。さっそくホテルを当たる。最初のところでは一泊しか空いていない、と言われ、近くの別のホテルを紹介してもらう。ホテル・ホーヘンシュタウフェンは、こじんまりとした家庭的なホテルだった。三ツ星で一泊990シリングのところを710シリング(約8250円)にしてもらう。私にしては贅沢の部類に入る。テレビ、電話、ラジオがあり、ランドリー・サービスもある。ミニバーがない代わりに、1階に飲み物をサービスするスペースがあった。フロントで、おすすめのコンサートを聞くと、「日本から来た合唱団がモーツァルトのレクイエムをやるよ」という。これも縁だ。

ホテル・ホーヘンシュタウフェンホテル・ホーヘンシュタウフェン

ミステリーファンならば

中央駅で1日乗車券を買い、ミラベル広場にバスで行く。あしたの「ヒトラーの別荘見学ツアー」に申し込む。550シリングのところを、「地球の歩き方」を見せて500シリングにディスカウント。Eagle's Nest(鷲の巣)とも呼ばれるヒトラーの別荘(Kehlsteinhaus)は、ミステリーファンには垂涎の場所だ。いかに多くの戦争・スパイ・サスペンス・冒険小説がここ、イーグルズ・ネストを舞台にしてきたことか。

湖と山々が織りなす自然

ザルツブルクからのツアーはたくさんあり、「サウンド・オブ・ミュージックツアー」や「バイエルンの山と岩塩坑」など、ほかに数種のツアーが出ている。実際、周辺の見所には噴水の仕掛けが楽しいヘルブルン宮殿や、氷の洞窟、そしてザルツカンマーグートがある。ザルツカンマーグートは、ザルツブルクの南東一帯の湖群と丘陵が織りなす自然で、そう、「サウンド・オブ・ミュージック」のオープニングのあの大自然のことだ。ザルツブルクに来たら、ザンクト・ギルゲンやモントゼー、バート・イシュルといった列車で1時間ほどの郊外で数日を過ごすのがいい。絵のようにきれいな湖、おとぎ話のように可愛らしい街並み。しかし、今回はその願いはかなわない。せめて、山頂から雄大な自然を見ようというのが、「ヒトラーの別荘ツアー」の狙いだった。

寒い朝

翌23日。朝から雨だった。CNNテレビによれば、日本は台風と洪水に見舞われているらしい。東京、最高気温23度、雨。しかし、パリ、ベルリン、ローマはそれより10度以上低い。寒いはずだ。

朝食はビュッフェ形式で、種々のパン、チーズ、ハム、3種類のジュース、シリアル、ジャム、りんごやぶどうのフルーツにコーヒーか紅茶。ウィーンのペンションのパン、バター、コーヒーとは大違いだ。

出発

パスポートを携帯して出発。傘は最後まで迷ったが、小雨のままでいることを期待して持っていかず、代わりにバンダナを頭に巻くことにする。ツアー出発は9時。20分前に集合予定のミラベル広場に着く。しばし、教会で雨宿り。8時55分。中年の背の高い男性が、「You, Eagle's Nest Tour?」と聞くので、「Yes.」と答えると、彼がガイドだった。

待っていたのは、最大9人乗りのミニバンだった。私が最後らしい。助手席なので、前がよく見える。陽気なガイド兼ドライバーが会話をリードする。乗客はアメリカ人4人、日本人が私の他に女性2人、ブラジルから1人。アメリカ人のグループはオハイオからで、期待を裏切らずに明るい。私も含めて日本人3人が全部、東京からだったので、「Is anybody left in Tokyo?」と軽口を飛ばす。

国境を越える

やがて、オーストリア・ドイツ国境に近づく。一応パスポートを出しておくように言われるが、結局ノー・チェックで通過。9時40分、山を上ってヒンターエック(Hintereck)に着く。ここは、かつてゲーリンクの別荘やSSの兵舎があったところ、という説明だが、それを感じさせるものは土産物屋のビデオだけだ。あらかたは連合軍の爆撃で壊滅したという。ここからの道が細く、急でヘアピンカーブが続く。ために、RVOバスという乗合バスに乗り換えていく。なにしろ一方通行しかできない道なのだ。天気が良ければ、すばらしい眺望だろうに、窓の外は霧雨に覆われたままだ。

トンネルとエレベーターの先には

やがて、トンネルの入り口に着いた。結構長いトンネルの先にエレベーターがある。このエレベーターは内部が黄金で、鏡とソファがある。これは、オリジナルのままだそうだ。

黄金のエレベーター黄金のエレベーター

ここから、124メートル上昇する。すると、そこが、山頂に取り付くように作られた「Eagle's Nest(鷲の巣)」だ。現在はレストランになっている。空から見た写真によれば、まさに鷲の巣のように、山上に孤高の屋敷が建っている。

ムッソリーニのプレゼント

大理石の大きな暖炉は、ヒトラーの50歳の誕生日にムッソリーニが贈ったものだが、戦後に接収した米軍の兵士が、帰国する際の記念に削って持って帰ったので、大きく欠けている。それでも、現在もまだ、薪をくべて火を燃やして暖炉として使われている。私たちが行った時は、ちょうど火を付けるところで、段ボールや新聞紙で火種をつくっていた。実際、火がなければ、ものすごく寒かったので、炎の暖かさが心地良かった。隣接する小部屋は、エヴァ・ブラウンの部屋と呼ばれ、眺めがいいらしいのだが、外は真っ白で何にも見えない。窓の下に山容の概観図があったがので、それで想像力をたくましくするしかない。

山頂へ

10時50分まで、自由時間になった。外に出てみた。なんと、が残っている。

残雪

寒いはずだ。少し登ったところに、十字架が立っている。山頂1834mを示す印だ。眼下には山も街も見えない。一面、白い霧だ。

山頂の十字架

半世紀前の夢の跡

早々に内部に戻る。暖炉の火でぬくみながら、ナチスがここで過ごした事歴を綴るビデオを眺める。夢の跡。第三帝国がもたらした傷跡に比べ、ここはなんと贅沢なことか。いま、人々は静かに憩い、コーヒーを飲んでいる。およそ半世紀前、戦争とナチスがもたらした苦難を考えると、こうして平和に生きていることが不思議に思えてくる。私が生まれる前、それは現実にあったのだ。そのことに思いを馳せることができただけでも、来た甲斐があったというものだ。

ベルヒテスガーテンをひと回り

また、黄金のエレベーターで降りる。トンネルをくぐり、RVOバスに乗る。途中、アメリカ人の女性が傘をさしかけてくれた。好意を甘んじて受ける。またまたヘアピンの連続、ただし、窓外はどこまでもつづく白い霧。ヒンターエックの土産物屋を冷やかしたあと、ミニバンはベルヒテスガーテンで40分ほど小休止した。ここは、ドイツの登山基地になっている街で、日本でいえば、上高地のようなところだろうか。雨のなか、散歩する。よく考えれば酔狂なものだ。カフェでゆっくり暖まればいいものを、行くあてもないのに歩き回る。悪い癖だ。八百屋、肉屋、ホテル、教会。10分もあれば一通り回れそうな小さな街だ。いつかまた来ることがあるだろうか。この小さな半日の旅も終わろうとしている。

帰途

帰りは席を交代して、最後部に座る。音楽はリヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」。前の方では、英語の会話が続く。リスニングに疲れてうとうとしかけたら、「Are you still there? Too much english?」とさっきの女性が話しかけてきた。「Don't worry, we are still here, alive!」。

午後1時5分、旧市街と新市街を分ける橋のたもとでみんな降りる。ガイドには「Thank you!」、そして道連れだったアメリカ人のグループには「Have a nice trip!」と声をかけると、「You too!」と明るい声が返って来た。

お互い、これから、いい旅でありますように。

哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第7話 【ヒトラーの別荘】 完

text & photography by Takashi Kaneyama 1997

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