哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第6話

モーツァルト紀行

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

1756年、ザルツブルクに生まれ、1791年、ウィーンにて死去。

中央墓地に眠る音楽家たち

ウィーンのリンクから南東へ路面電車71番に乗る。終点のひとつ手前で降りると、そこに中央墓地の正面入り口がある。映画「第三の男」でも有名な場所だ。9月21日の夕方、私が訪れたのは閉門の45分前だった。門からは、まっすぐな道がつづき、整然と区画されている。ぶらぶら歩く私に老女が声をかけてきた。「ほら、そこのあたりには、ブラームスや偉い音楽家たちの墓があるよ。もう見たのかい?」どうやら、案内を買って出てくれているらしい。私は彼女の親切を受けることにした。案内してくれたのはNazionalistたちの墓。命日が数日前だったらしく、捧げられた花が枯れかけていた。その女性にとっては、大事な人物なのだろう。私にはまったく初めての名前だが、しばらく、そこで冥福を祈った。おそらく祖国のために力をつくしたであろう人のために。

中央墓地

ここの32区Aには音楽家たちの墓碑が集まっている。ベートーヴェン、ブラームス、シューベルト、ヨハン・シュトラウス、そしてモーツァルト。ただし、モーツァルトの遺骨はここにはない。彼はザンクト・マルクス墓地に共同埋葬され、その正確な位置は不明。その代わりといってはなんだが、リンクのすぐ内側のブルク公園にト音記号が赤い花々で飾られたモーツァルト像がある。

モーツァルトへと運命の歩み

リンクに戻った時には夜の帳が降り始めていた。その日ウィーンに別れを告げるように歩いていた私は、この旅がモーツァルトに出会う旅になろうとは考えてもいなかった。しかし、運命は容赦なく私に降りかかってくることになる。

黄金のホールの響き

最初は、楽友協会大ホール(Musikverein, Grosser Saal)だった。「黄金の間(Goldener Saal)」とも言われるこのホールは、音響のよさで、ひときわ有名だ。ここでウィーンフィルやニューイヤーコンサートを聞けたらどんなにいいだろう。しかし、現実は厳しい。大相撲のマス席と同じように、あるいはそれ以上にチケットの入手は難しいので、はなからあきらめていた。その代わりに、ウィーン響を狙っていた。とにかく、黄金の間でオーケストラを聞きたかったのだ。

結局、スケジュールに合うのは20日のウィーン・モーツァルト・オーケストラだった。このオーケストラはモーツァルトを専門に演奏し、しかも5月から10月までの通常のクラシック音楽のオフシーズンにウィーンで活動するので、観光客に人気がある。が、なんと言っても特徴的なのは、18世紀風の衣装と鬘で舞台に登場し、当時の雰囲気を再現することでだ。そして、演目はその頃の「音楽的アカデミー」の伝統にしたがい、交響曲や協奏曲から個別に楽章を取り上げ、また人気のあるアリアやデュエットをプログラムにのせる。要するにおいしいところだけをつまみ食いしていくのだから、変わっている。19日、チケットを買った。490シリング(約5694円)。この時、私は内容にさして期待していなかった。要は、ホールの鳴りを聞きたいのだ。

ウィーン・モーツァルト・オーケストラ

20日当日。私は体調を崩し、2回もペンションに戻っていた。寒さのせいだ。開演は8時15分。しばらく横になる。さあ、時間だ。敢然と起きてネクタイを締め、買ったばかりの革のジャケットを着る。行く途中、観光局への道を聞かれた。「英語しゃべれるかい?」「ああ」「ウィーンに着いたばかりなんだ。観光案内所へはこの道でいいのかい? ここはリンクだろう?」「そうさ、まっすぐいくと、あそこにあるのがオペラ座だ。そこを右に曲がるとケルントナー通りで、真っ直ぐ行って左側に見つかるよ。気をつけて!」私もまだウィーンに着いて3日目だったが、それは言わずにおいた。開演17分前に席に着く。座席表示がわかりにくいので、いちいち係員に聞く。6列4番は1階の中央より前、やや右はじのところ。

ウィーン・モーツァルト・オーケストラ

疾走するモオツァルト

プログラムは交響曲35番「ハフナー」の第4楽章から始まった。つづいて「ドン・ジョヴァンニ」から独唱と重唱が合わせて4曲。バリトンはセバスチャン・ホレチェックで、元気がいい。ソプラノはロッテ・ライトナー、くらくらするほど可愛らしく、コロコロと高音をさえずるのは小鳥のようだ。楽しい遊びに満ちたモーツァルト。映画「アマデウス」での高笑いが響いてくるようだ。前半の最後はヴァイオリン協奏曲1番全3楽章で、独奏はマリア・クービツェック。このコンチェルトが圧巻だった。小林秀雄の「疾走するモオツアルト」の評言を思い出していた。休憩のあとは、「フィガロの結婚」から序曲とアリア2曲。交響曲40番の有名な第1楽章、つづいて「コシ・ファン・トゥッテ」からフィオルディリージのアリア、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の第1楽章。最後は「魔笛」からパパゲーノのアリアと、パパゲーノとパパゲーナの掛け合いが愉快な「パ-パ」で締めくくった。盛大な拍手と、2度のアンコール。2度目は「トルコ行進曲」で、観客の拍手で拍子をとらせる粋な演出。私のメモでは「fascinating, exciting, excellent! 軽快。豊かなハーモニー。」と絶賛している。事実、私はこの日、モーツァルトに酔ったのだ。10時50分、ペンションに着くとドアが閉まっていた。一瞬、動転したが、錠の穴をよく見ると、部屋の鍵が合いそうなので、試したら開いた。しかし、そこから部屋まで真っ暗な中を、記憶を頼りに4階分のぼらなくてはならない。とんでもないおまけがついたが、それでも私の興奮は続いていた。

横浜の合唱団をザルツブルクで

ザルツブルク、9月22日、日曜日。フロントに降りていって、今夜のおすすめコンサートはないかと聞いてみた。すると、壁に張り出してある表を見てみろ、と指さす。室内楽が2カ所であるが、どうも食指が動かない。すると、フロント氏は「君は日本人だろう、いいのがある」と渡してくれたチラシには、TAIYO NO KUNI - Choir Yokohamaとあった。演目はモーツァルトのレクイエム。なんの因果か、ここザルツブルクに来てまで日本からやってきた合唱を聞くことになるとは。運命的な縁を感じた私は、その勧めにしたがうことにした。モーツァルトの故郷で聞くレクイエム

レクイエムの祈り

ミラベル公園を回り、旧市街でお祭りを冷やかしたついでに会場を確認。Franziskanerkirche(聖フランシスコ教会)は大聖堂広場の西に接して建っている。いったんホテルに帰って着替えをして出直す。開演は8時30分。8時までミサがあるので、それが終わったら開場になる、という。思った通り、すべて自由席だから、早い者勝ちだ。チケットは250シリング(約2905円)。受け付けも日本人で、ドイツ語と日本語が交錯する。「いらっしゃいませ」が奇妙に響く。最前列の左端に席をとる。いきなり、頭上からオルガンが鳴り出した。モーツァルトのオルガン幻想曲だ。それから、合唱団の女声入場。なんだか、身内を応援しているような気分になる。最初は「さくらさくら」。緊張しないで、最後までしっかり、と心の中で応援する。教会堂にコーラスがきれいに響く。そしていよいよ、レクイエム。男声と独唱者が入場する。モーツァルトの絶筆といっていいだろうこの曲は、自身の死を予感したモーツァルトが、「魔笛」を間にはさみながら、途中の「ラクリモーサ(涙の日)」の8小節まで書いて、残りを弟子のジェスマイヤーが補筆完成させたものだ。そのせいか、曲がラクリモーサにさしかかると、目に涙がにじむ。死者を悼むと同時に神への祈りに満ちた曲だ。私は個人的にはこのモーツァルトと、ヴェルディとフォーレが三大レクイエムではないかと思っている。やがて、曲は「アニュス・ディ」になり、終わる。あたたかい拍手。花束。ザルツブルクで歌うモーツァルトは格別の想いだろう。ここは、おめでとうとねぎらうのがふさわしく思えた。

モーツァルトの家めぐり

翌23日、「ヒトラーの別荘ツアー」の帰途、モーツァルト・ハウスに立ち寄った。ここは、1996年に日本の保険会社などからの寄付で再建されたばかり。窓口でガイドホンをくれる。これを、好きな言語に合わせると、音声がガイドしてくれる。珍しく日本語があって、しかもオルガンや当時のクラヴィア(ピアノの原型)の音を聞かせてくれ、展示に合わせてモーツァルトのゆかりの曲が流れるサービスが嬉しい。「イドメネオ」の初演当時にヴォルフガングが父レオポルトに送った手紙もあり、ガイドホンから日本語訳が流れてくる。最後の部屋では旅に明け暮れ、故郷ザルツブルクからは冷たい仕打ちを受けたモーツァルト一家の一生が三面スクリーンで描かれていて、ついつい全部見てしまった。すぐ隣にはCDショップがあり、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の3&5を買う。指揮はやはりザルツブルク出身のカラヤン、独奏は彼のお気に入りだったムター。

このハウスとは別に、橋を渡った旧市街にモーツァルトの生家がある。ここには、実際にモーツァルトが使ったクラヴィアとヴァイオリンのオリジナルが展示してある。出口の手前では特別展として、「魔笛」の舞台装置のデッサンと模型の数々が公開されていた。しかし、印象的だったのはたくさんの種類のモーツァルト・チョコレートの山だった。ここでは、資本主義がモーツァルトを消費しつくそうとしていた。

またまたモーツァルト

そして、この日マリオネット劇場で「ドン・ジョヴァンニ」を観た。

翌日24日、ミュンヘンへ。開演直前に「イドメネオ」をもぐりこんで観た。

何か運命の大きな手が私をモーツァルトへ、モーツァルトへと誘っているかのようだった。

ベルリンでは「ジュピター」

ケルンを経てベルリンに着いたのは29日、日曜日だった。ツーリスト・インフォメーションでホテルを手配してもらい、地図と「ベルリン・プログラム」を買う。これはベルリンの「月刊ぴあ」のようなものなのだが、売っていたのは10月号で、今日と明日の分がわからない。しかし、地下鉄の駅にプログラムが張ってあり、それによれば、めぼしいオペラはない。10月1日のコーミッシュ・オーパーの「ファルスタッフ」(ヴェルディ)ぐらいだった。ドイッチュ・オーパー・ベルリンは「エフゲニー・オネーギン」(チャイコフスキー)。もうひとつのシュターツオーパー・ウンター・デン・リンデンはこの日は公演なし。しかし、ベルリンには「カラヤン・サーカス」と異名をとったフィルハーモニーがある。ここも音響のよさで有名で、ここでベルリンフィルを聞くのは楽友協会でウィーンフィルを聞くのと同じで、チケット入手はほぼ無理だ。どちらにしろ、9月30日から10月22日まで、アバドとベルリンフィルはニューヨークと日本への演奏旅行に旅立つというし。その時、だ。「ベルリン・プログラム」を丹念にチェックしていて、遂に見つけたのだ。フィルハーモニーで10月1日にベルリン交響楽団が演奏する。これに決めた。指揮者はTamas Gal。そして、曲目の最初がモーツァルトの41番「ジュピター」なのだ。ああ、ここでも。

30日、市内をまわるついでに、フィルハーモニーに寄ってみる。今日月曜日はMuseum Holidayで行くところがない。チケット発売は3時30分からということで、出直す。結局、チケットは無事買えた。40マルク(約3077円)。

「インデペンデンス・デイ」オリジナル・ヴァージョン

この日、暇をもてあました私は、ホテルからちょうど通りをはさんで真ん前に建っている映画館が気になっていた。「インデペンデンス・デイ」をやっていたのだ。日本公開は12月だから、2カ月先に見れる、ということだ。窓口には人がいない。上映30分前くらいから、売り出すのだろう。ようやくおじさんが売場を開けた。「Auf English?」と聞くと、「いやいや、ここはドイツ語吹き替えだ。英語なら、この通りをまっすぐ行ってすぐの角を右に曲がったところでやってるよ」と教えてくれた。言われた通りに、暗い道を進むと、小さな公園の西側に派手なイルミネーションがあった。7時40分開映。14マルク(約1077円)。なんと座席指定だ。始まるまで、公園のベンチで休む。13分前に入場、席へ。椅子は深くて快適。2階席が馬蹄形にめぐっているところがちょっと変わっている。そして、コマーシャルと予告を25分にわたってやったあと、明るくなってなんと、休憩時間になった。映画はもうみなさんご存じでしょう。細かいギャグがわからなかったものの、ストーリーは明快で、楽しめた。主人公の1人の父親らしいユダヤの老人がいい味を出していたように思った。

ベルリンフィルの本拠

そして、いよいよ、フィルハーモニーへ。1日はペルガモン美術館、エジプト美術館、ノイエ・ナショナルギャラリーをめぐって、さらに北のザクセンハウゼン収容所跡を訪れる予定だった。かなりのハードスケジュールだ。明日のフランクフルトは飛行機に乗るための一泊だから、実質的には今日が旅行の最終日だと思っていた。ベルリン響への期待は大きい。

実際には、ノイエ・ナショナルギャラリーが休館に入っていたため、時間に余裕ができた。夕方から雨になった。いったんホテルに戻ってネクタイを締める。このネクタイを締めるのも最後だ。バスを2本乗り継ぐ。開演は8時、その18分前に着く。入り口前ではヴァイオリンを弾く青年と、パン売りがいた。中へ。クロークで2マルクとられる。

ここが「サーカス」と呼ばれたのは、テントのような吊り構造の外観に因る。その内部は、オーケストラ席の横や後ろにも席があり、また複層化しているので、わかりにくいことこのうえない。日本のサントリーホールが模倣したと言われているが、果たしてこの構造でオーケストラがどう響くのか、興味津々だ。しかし、自分の席がどこかわからない。階段を上ったり降りたりして、ようやく見つけた。ブロックA、8列3番。正面やや前、右はじ寄り。やがて、楽団員が現れた。首席奏者が最後で、大きな拍手で迎えられる。調弦。第2ヴァイオリンの一人が楽器のトラブルらしく、控え室に戻っていく。やがてまた現れた時に拍手があって少し照れくさそうだった。そして、指揮者、Tamas Gal。

均整と抑揚

41番「ジュピター」この曲を聞くと、モーツァルトが神に祝福された作曲家であったということを改めて感じる。第1楽章を聞いて、背中にゾクゾクきた。均整と抑揚。ヘレニズム彫刻のような完成された美。休憩時間になった。ヨーロッパのホールも見て思うのは、ホール内以外のロビーや空間が広く、豊かなことだ。そこは一種の社交場でもあり、人々がお互いを眺めあう劇場でもある。低いドラのような音を合図に、席に戻り始める。後半はメンデルスゾーンのピアノ協奏曲1番からだ。メンデルスゾーンらしい、美しい表情のメロディ。彼は裕福な家庭に育ち(何しろ、子ども時代の誕生日のプレゼントが専属の弦楽カルテットだった)、逆境がなかった生涯のせいか、余り人気がないが、私は「イタリア」とか「スコットランド」とか、好きだ。このコンチェルトでもダイナミックなドラマを構成している。アンコールに応えてのピアノ独奏も色彩豊かで楽しめた。最後は、リヒャルト・シュトラウス「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快な悪戯」。短いが、これはなかなかの力業がいる曲だ。鳴らすこと、鳴らすこと。金管と打楽器が強烈な光と影を作り出している。スピードとパワー。そして表情をさまざまに変貌させる弦と木管。拍手の波。余韻がまだ、私の体の中でたゆたっている。

モーツァルト再発見

ベルリン最後の夜も更けた。思えば、最初から最後まで、モーツァルトに彩られた旅だった、私にとっては、まったく意図しなかった展開だったが、その結果モーツァルトを再発見できたのだから、運命に感謝しよう。

哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第6話 【モーツァルト紀行】 完

text & photography by Takashi Kaneyama 1997

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