哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第5話

オペラ大好き

伝統のオペラ座

リンクに面して旧市街の内側にウィーン国立オペラ座(Staatsoper)はある。1897年にはグスタフ・マーラーが指揮者、そして監督に任ぜられている。その西側の通りに入っていって左に回り込むような形で中庭に出る。9月19日。目の前に国立劇場切符売場(Bundestheater-kassen)はあった。ここでは、国立オペラ座の他に、フォルクスオーパー、ブルク劇場、アカデミー劇場の一ヶ月前から当日までのチケットを発売している。発券はコンピュータ化されている。事前にオーストリア観光局からもらった情報では、今日19日が「スペードの女王」、明日20日が「ラ・ボエーム」だったが、ラ・ボエームは限定発売のため、チケット売り切れの可能性が高かった。案の定、切符売場の上演プログラムの20日は「AUS(売り切れ)」だったが、今日の分はあるようだ。窓口で、「Tonight, Staatsoper, bitte!」と言うと、「いくらの席にしますか?」と尋ねられた。迷わず、2000シリング(約23240円)の最高の席を指定した。これは予定されていた贅沢である。ウィーンに来て、オペラも見ずに帰るものか、と気迫で何とかするつもりだったので、ほっとした。楽友協会のウィーンフィルは夢だが、ほとんどの席が定期会員で占められ、チケット入手は非常に困難なので、オペラ座は何とかいい席を確保したかった。3時間立ち見席で頑張る若さはもうない。

盛装の社交場

その日、夕方グラーベン通りとケルントナー通りを散歩して、大道の音楽家たちのパフォーマンスを聞いて過ごした。6時45分、いよいよオペラ座へ。私も一応ジャケットにネクタイを締めていった。とくに初日でもなかったので、正装の人はあまりいなかったが、さすがに社交パーティと見まがうばかりに盛装しているカップルが結構いた。日本人では着物をお召しになって気合いの入った人がいた。ちょっと緊張する。私の席は、Parterre Loge Links, Loge 10, Platz 1。1階平戸間を囲んで馬蹄形に上方に広がっているボックスの列の一番前、左寄りで、その中の最前列席だ。

スペードの女王の秘密

7時開演。チャイコフスキー「スペードの女王(Pique Dame/Pikovaya Dama)」はプーシキンの原作をチャイコフスキー自身とその弟が脚色している。もちろんロシア語。今回の配役ではほとんどがスラヴ語系の名前だったので、おそらくロシアかウクライナのソリストが起用されているのだろう。

第1幕は、ザンクト・ペテルブルクの公園からはじまる。ポーカーに異様な情熱を燃やす貧しい青年士官Hermannが、恋をした相手は友人のいいなづけLisaだった。そして、そのLisaの祖母は、かつて美貌で名前を馳せ、パリでポーカーの大勝負に勝ったことから、「スペードの女王」のあだなのある伯爵夫人だった。伯爵夫人は、無一文になりかけたところを、3枚のカードの秘密によって救われていた。Hermannは、その秘密と恋の勝利をなんとしても手に入れようとする。

劇は進んで、Lisaは、Hermannに恋心を感じるようになる。夜になって忍び込むHermann。しかし、彼は3枚のカードの秘密を知りたくてしょうがない。ついに伯爵夫人をピストルで脅す。しかし伯爵夫人は秘密をあかすことなく事切れてしまう。この伯爵夫人の寝室のシーンは、見る者の目を釘付けにする高揚と劇的緊張に満ちている。Lisaは、自分よりも賭博をとったHermannを追い出すが、もう一度「運河に来てほしい」と手紙を出す。Hermannは幻覚にとらわれ、伯爵夫人の亡霊が現れて「Lisaと結婚しなさい、そのためにカードの秘密を教えよう」と告げる。秘密を手に入れたHermannは、運河に行かず、賭博場で大勝負に臨む。そこで出たカードは.......

原作とは筋が違い、プーシキンではHermannを賭に勝って財産をつくることしか念頭にない冷酷な男だが、チャイコフスキーのオペラでは、恋とポーカーへの情熱の間で揺れる青年に変わっている。途中の休憩では、ロビーの贅を尽くした内装と、歴代の指揮者の胸像を鑑賞した。

運命的悲劇の感動

そして、感想を簡単に言えば、この日オペラを見て、世界観が変わってしまったのだ。この世の中にこんなに感動を与える総合芸術があったのに、気づかずに人生を何となく過ごしてしまった。たしかに、ローマのカラカラ浴場で「アイーダ」を見たが、その時とは比べものにならない。この日の舞台は素晴らしかった。背筋がふるえた。幕間ごとに拍手がなりやまない。カーテンコールの連続。舞台装置もよかった。何より、伯爵夫人の亡霊の出現するシーンと、ラストの運命的な悲劇の盛り上がりはすごかった。

ああ、この日から私のオペラ狂いは始まった。

マリオネットの「ドン・ジョヴァンニ」

ザルツブルクでは、マリオネット劇場の「ドン・ジョヴァンニ」を見た。9月23日。400シリング(約4648円)で、前から2列目、左端から2つめ。午後7時30分開演。ところが、ちょうど前に巨漢が座ったので、舞台が見えない。苦労しながらも、モーツァルトのアリアを歌う人形たちの演技を見つめた。もちろん、人形が歌うわけではないのだが、そう思わせるほど表情やしぐさが絶妙なのだ。世紀の蕩児ドン・ファンの物語は決闘で幕を開ける。主な登場人物だけで、男声5人、女声3人、しかも男声のうち4人はバリトンとバス、女声は3人ともソプラノなのだが、モーツァルトはそれぞれに性格を書き分けている。モーツァルト最高の傑作と言われる所以である。最後、ドン・ジョヴァンニが地獄に落ちるシーンでは、大音響とともにテーブルがまっぷたつに割れ、奈落へと落ちていく。マリオネットとは思えない繊細な表現とユーモアに、客席からはすごい拍手と歓声があがった。カーテンコールでは、マリオネットたちが、ていねいに頭を下げ、拍手を受け、投げキッスを返す。まるで、オペラ座のようだ。また、味な仕掛けがしてあって、カーテンコールの最後では、舞台の上からあやつっている人形師たちが鏡で舞台上に登場し、人形たちから拍手を受ける。粋な演出だった。

ミュンヘンで予約に走り回る

翌日、ミュンヘンでもさっそくバイエルン州立劇場(Bayerische Staatsoper Nationaltheater)へ行った。守衛らしき人に聞いてチケット売場を探す。目標は明日25日の「アイーダ」だ。ところが、せっかく並んだのに、そのチケットはそこでは扱っていないという。別に主催団体があり、そこで一括しているので、そこに電話しろ、ということだった。実は25日は誕生日だったので、この席はなんとしても取りたかった。タクシーをつかまえてその団体のアドレスに行ってもらう。ところが、ドアベルに誰も応答しない。そこに若い女性がやってきて、キーで扉を開けてくれたので、事務所まで案内を頼んだ。しかし、やはり留守だった。昼休みなのかもしれない。いったんあきらめて、ノイエ・ピナコテークに向かう。一回りしたところで、電話ボックスを探す。幸い、英語で電話のかけ方が出ている。小銭もある。電話は通じた。ようやく予約がとれた。一安心。

「イドメネオ」に間に合う

レーンバッハ・ギャラリーを回って、夕食をどこで食べるか探し始める。劇場の近くに気楽そうな居酒屋があった。ソーセージにパン、それにもちろんビール。途中からストラスブールから来たという壮年の夫婦と相席になった。ドイツ国境に近いフランス領なので、フランス語とドイツ語はわかるが、英語はわからないと言う。仕方なく、片言のフランス語で会話する。やはり、オクトーバーフェストに来たそうだ。デザートとエスプレッソで終わりにして6時10分。何とか今日の「イドメネオ」7時開演の当日券に間に合いそうだ。開演1時間前に当日券を売り出すということが、さっきチケット売場でもらったパンフに書いてあった。ところが、勘定を頼んでも、なかなかこない。35分、ようやく勘定。劇場裏に走り、売場に並ぶ。順番が来たのは45分。もう、はじっこの席しかない。舞台の60パーセントしか見えない。30マルク(約2308円)。階段を駆け上がる。係員にチケットを見せて場所を聞く。まだ上だ。馬蹄形に囲むボックスの一番はじ、一番上だ。途中、係員が席を間違えて教えて右往左往する。「シュネル!(急げ!)」とまた上を指さす。ようやく着いたのは7時4分。クロークにジャケットを預け、プログラムを買う。息が荒い。汗が止まらない。さらに問題は、私がイドメネオを初めて聞く・見るということだ。あらすじが頭の中に入っていない。原語はドン・ジョヴァンニと同じくイタリア語だ。大急ぎでプログラムの最後の方に独英仏で書いてあるストーリーを(もちろん英語を)読む。要するにクレタ王イドメネオが、トロイ戦争の帰りに嵐にあい、海神ネプチューンに「上陸して最初に会った人間を生け贄にする」と誓うが、最初に出会ったのが息子のイダマンテだった。一方、敗れて捕虜になっていたトロイ王女イーリアはイダマンテと愛し合うようになっていた。しかし、アガメムノンの娘エレクトラもイダマンテに恋心を寄せている。結局はイーリアの愛情の強さに負けて神から「イドメネオが退位し、イダマンテが王位を継ぎ、イーリアと結婚するように」との神託がくだる。

ミュンヘンゆかりのオペラ

この初演は1781年にミュンヘンで行われている。モーツァルトの手紙によれば、アリアごとに拍手が起こり、「Viva Maestro!」の声があがったというから、相当好評で迎えられたらしい。しかし、第二次大戦前はまったく人気がなく、再評価されだしたのは、1950年代後半からということだ。ゆかりのミュンヘンで見るのも一興と思ったのだが、舞台は簡素というか素気なく、のっぺらぼーの壁が三方に立ち、出演者がやたらに舞台に寝そべる変な演出だった。壁の移動と合唱隊の登場、それに照明で舞台が転換する。よくいえば現代的解釈かも知れないが、抽象的過ぎてあまり伝わってくるものがなかった。私にとっては「ハズレ」だった。

満を持して「アイーダ」へ

翌5日はいよいよヴェルディの「アイーダ」の日だ。オクトーバーフェストから早めにホテルに帰ってシャワーを浴び、ひと休みしてから出かけた。チケットは137マルク(約10538円)。客席を馬蹄形にめぐるボックスの2階、やや右の最前列。いい席だ。アイーダなら、2回目だ。ゆっくりと味わおう。

エチオピアへの遠征軍の大将となったラダメス。ラダメスを慕う捕虜のエチオピア王女のアイーダ、エジプトの王女のアムネリスの3人がそれぞれの想いを歌う三重唱。鋭く響く。勝って帰ってきたエジプト軍の凱旋。金管が祝祭的気分を盛り上げる。しかし、なんといっても、圧巻はラストだ。ラダメスは祖国を裏切った罪で捕らえられる。「私の愛を受け入れるなら罪を許そう」というアムネリスの言葉をラダメスは拒否して死を選ぶ。第4幕第1場のアムネリスのアリアは慨嘆と呪いに満ちて聞く者の心を揺さぶる。ラダメスは、地下牢に生きながら閉じこめられる。その牢には逃げたはずのアイーダがいた。二人は永遠の愛を誓って息絶える。地上ではアムネリスが悲痛な面もちで祭壇に跪く。

アムネリスの悲劇

舞台の転換といい、合唱の鋭さといい、スペクタクルに走らずに、人間のドラマを表現しようとする意図がよくわかる。バレエも、群衆も、力強さを感じさせた。私の手帳をそのまま写すと、「ナイルのほとり。絶唱に向かって。囚われのラダメス。嘆くアムネリス。白い群衆の土に包まれて二人。死の道行き。奈落へ。押しかかる石の上にアムネリス。自由なのはどちらか」。観衆はスタンディング・オベーションで応えた。もちろん私も。気がつくと、もうクロークには私の革のジャケットしか残っていなかった。最後の一人。最後のミュンヘンの夜。

もはや私はオペラの虜になっていた。

哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第5話 【オペラ大好き】 完

text by Takashi Kaneyama 1997