私たちは年をとり、やがて死にます。これはあたり前のことで避けることのできない宿命ですが、でもよく考えてみると、何故、私たち生き物は、老いて死ぬのでしょうか?
そして死とはどのような現象なのでしょうか?
又、「死んだ個体」と「生きている個体」の違いとは何でしょうか?
スピリチュアリズムでは、死とは「霊体と肉体」をつないでいるシルバーコードが切れることです。
そして肉体は崩壊して土に還り、霊(魂)は肉体から切り離された霊体とともに別の世界に向かいますが、死を自覚できない場合には地縛霊として彷徨うことになります。

「死んだ個体」と「生きている個体」の違いとは、シルバーコードが切れて霊(生命素)が肉体から抜け出た状態が「死んだ個体」(肉体の死)と言うことです。
死とは、命がなくなること、生命がなくなること、生命が存在しない状態のことですが、霊体と切り離されて肉体が崩壊するだけのことです。
生命は肉体ではありません。生命は霊(魂)です、がスピリチュアリズムの見解(解答)です。
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シルバーバーチの霊訓から、
「死の過程は生命の糸(シルバーコード)が切れて霊体が肉体を離れた瞬間をもって終了します。その時初めて〝死んだ〟と言えるのです。いったんその分離がすすんだら最後、いかなる医師も肉体を蘇生させることは出来ません。」
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アラン・カルデック「霊媒の書」から、
「“魂(ソウル)”と“霊(スピリット)”の区別であるが、結論から言えば同じものを指すことになる。
ただ、肉体をまとっている我々人間は“魂を所有している”というように表現し、肉体を捨て去ったあとに生き続けるものを“霊”と呼ぶ。同じものを在世中と死後とで言い分けているだけである。
もしも霊が人間と本質的に異なるものだとしたら、その存在は意味がないことになる。人間に魂があって、それが霊として死後に生き続けるのであるから、魂がなければ霊も存在しないことになり、霊が存在しなければ魂も存在しないことになる。」
これは「魂と霊」の用語の定義ですので、他にも色々あると思いますがとても分かり易く感じます。
「...ここで霊というものについて、まず肉体との結合という観点から見てみよう。両者の関係において、霊は中心的存在であり、肉体はその道具にすぎない。霊は肉体を道具として思考し、物的生活を営み、肉体が衰えて使えなくなればこれを捨てて次の生活の場へ赴く。
厳密に言うと“両者”という言い方は正しくない。肉体が物質的衣服であるとすれば、その肉体と霊とをつなぐための半物質的衣服として“ダブル(ペリスピリット)”というのが存在する。
ダブルは肉体とそっくりの形をしていて、通常の状態では肉眼に映じないが、ある程度まで物質と同じ性質を備えている。このように霊というのは数理のような抽象的な存在ではなく、客観性のある実在であり、ただ人間の五感では認知できないというに過ぎない。...」
霊体が出てきませんが、ダブルとは「肉体と霊体」をつなぐ為の半物質のことを指します(ようです)。
まだ「霊体・肉体・結合体・流動体...などなど」の整理ができていない(不完全な)ようです。ペリスピリットで一括りにされているようですからね。
その後の研究によって、「霊体やエクトプラズムなど」の用語が出てくるのは2・30年後のことになります。
――それは流動体を凝縮して使うのですか。
「...別に凝縮させるわけではありません。流動体を幾種類か集めて化合させると、特殊な合成物ができます。これが人間の目に映じるようにするのですが、地上にはこれに類するものは存在しません」
上記の「特殊な合成物」、これをエクトプラズムと呼んでいます。
「...霊は、肉体をまとっている時も、その肉体を脱ぎ捨てた後も、半物質体でできたダブルという媒体に包まれており、それが条件次第で一時的に可視性と触知性とをそなえることができる。...」
上記の「半物質体でできたダブル」、これは「霊体(非物質)と結合体(半物質)」に分けられますが、まだいっしょくたになっているようです。