さて、私の同志であり、友であり、私が守護を託されている貴殿に、最後に申し置きたいことがある。別れの挨拶ではない。これよりのちも私は常に貴殿と共にあり、貴殿の望みに耳を傾け、そして答えるであろう。いついかなる時もすぐ側に居ると思うがよい、たとえ私の本来の住処が人間の距離感では遥か彼方であっても、吾らにとってはすぐ側に居るのも同然であり、貴殿の考えること望むことそして行うことにおいて、常に接触を保ち続けている。
なぜなら、私はその全てについて評価を下す責務があるからである。それ故、もしも私が友として援助者として貴殿に何らかの役に立ってきたとすれば、私が下した評価において貴殿が喜ぶように私も貴殿のことを喜んでいるものと心得るがよい。
七つの教会の七人の天使のこと(七章2)を思い出し、私の立場に思いを馳せてほしい。更に又、何れの日か貴殿も今の私と同じように、自分の責任において保護し指導し監視し援助し、あるいは人生問題に対処し、正しい生き方を教唆すべき人間を託されることになることを知りおくが良い。
では祝福を、もしかして私は再び貴殿と語る手段と許しを授かることになるかもしれない。同じ手段によるかもしれないし、別の簡単な手段となるかもしれない。それは私も今は何とも言えない。貴殿の選択に任されるところが多いであろう。ともあれ、何事が起ころうと常に心を強く持ち、辛抱強く、あどけない無邪気さと謙虚さと祈りの心を持ってことに当たることである。
神の御恵みのあらんことを。私はこれをもって終わりとするに忍びないが、これも致し方ないことであろう。
主イエスキリストの御名のもとに、その僕として私は常にすぐ側に居ることをつゆ忘れぬでないぞ。アーメン†