第5章 天使の支配
第1節 罪の報い
1913年10月23日 木曜日

天界における進化向上の仕組みは実に細かく入り組んでおり、いかに些細な要素も見逃さないようになっておりますから、それを細かく説明していったらおそらくうんざりなさる事でしょう。

ですが、ここで一つだけ実例を挙げて昨晩の通信の終わりで述べた事を補足説明しておきたいと思います。

最近の事ですが、又一人の女性が暗黒街から例の“橋”に到着するという連絡を受け、私ともう一人の仲間が迎えに行かされた事がありました。急いで行ってみますと、件の女性がすでに待っておりました。

一人ぼっちです。実はそこまで連れてきた人達が其の女性に瞑想と反省の時を与える為にわざと一人にしておいたのです。これからの向上にとってそれが大切なのです。

一本の樹木の下の芝生の坂にしゃがみこんでおり、その木の枝が天蓋のようにその方を蔽っております。見ると目を閉じておられます。私達はその前に立って静かに待っておりました。やがて眼を開けると怪訝そうな顔で私達を見つめました。

でも何もしゃべらないので、私が「お姉さま!」と呼びかけてみました。女性は戸惑った表情で私達を見つめていましたが、そのうち目に涙をいっぱい浮かべ、両手で頬を蔽い、膝に押し当ててさめざめと泣くのでした。

そこで私が近づいて頭の上に手を置き「あなたは私達と姉妹になられたのですよ。私達は泣かないですから、あなたも泣いてはいけません」といいました。

「私が誰でどんな人間か、どうしてお判りになるのでしょう」―その方は頭を上げてそう言い、しきりに涙をこらえようとしておりましたが、その言葉の響きにはまだ何処か、ちょっぴり私達に対する反発心が有りました。

「どなたかは存じませんが、どんなお方であるか存じ上げております。あなたはずっと父なる神の一人でいらっしゃるし、従って私達と姉妹でもありました。

今ではもっと広い意味で私達と姉妹になったのです。それ以外の事はあなたの心掛け一つに掛っております。

つまり父なる神の光の方へ向かう人となるか、それともそれが辛くて再びあの“橋”を渡って戻って行く人となるかは、あなたご自身で決断を下される事です」と私が述べると、暫く黙って考えてから、

「決断する勇気がありません。何処もここも怖いのです」と言いました。

「でもどちらかを選ばなくてはなりません。このままここに留る訳にはいきません。私達と一緒に向上への道を歩みましょう。そうしましょうね、私達が姉妹としての援助の手をお貸しして道中ずっと付き添いますから。」

「ああ。あなたはこの先がどんな所なのか何処までご存じなのでしょう」―其の声には苦悶の響きがありました。「今まで居た所でも私の事を皆姉妹のように呼んでくれました。

私を侮っていたのです。姉妹どころか、反対に汚名と苦痛の限りを私に浴びせました。

ああ、思い出したく有りません。思い出すだけで気が狂いそうです。と言って、この私が向上の道を選ぶなんて、これからどうしてよいか判りません。私はもう汚れ切り、堕落しきった駄目な女です」

その様子を見て私は容易ならざるものを感じ、その方法を断念しました。そして彼女にこう言う趣旨の事を言いました。―当分はそうした苦しい体験を忘れる事に専念しなさい。

その後、私達も協力して新しい仕事と真剣に取り組めるようになるまで頑張りましょう、と。彼女にとってそれが大変辛く厳しい修行となるであろう事は容易に想像できました。

でも向上の道は一つしかないのです。何一つ繕う事が出来ないのです。全ての事―現在までの一つ一つの行為、一つ一つの言葉が、有るがままに映し出され評価されるのです。

神の公正と愛が成就されるのです。それが向上の道であり、それしかないのです。がその婦人の場合はそれに耐えうる力が付くまで休息を与えなければならないと判断し、私達は彼女を励ましてその場から連れ出しました。

さて道すがら彼女はしきりに辺りを見回しては、あれは何かとか、この先にどんな所があるのかとか、これから行くホームはどんな所かとか、いろいろと尋ねました。

私達は彼女が理解できる範囲の事を教えてあげました。その地方一帯を治めておられる女性天使のこと、そしてその配下で働いている霊団の事等を話して聞かせました。

その話の途中の事です。彼女は急に足を止めて、これ以上先に行けそうにないと言いだしました。“何故?お疲れになりましたか”と聞くと“いえ、怖いのです”と答えます。

私達は婦人の心に何かがあると感じました。しかし実際にはそれが何であるかは良く判りません。何か私達に掴みどころのないものがあるのです。

そこで私達は婦人にもっと身の上について話してくれるようにお願いしたところ、ついに秘密を引きだす事に成功しました。それはこう言う事だったようです。

“橋”の向こう側の遠い暗闇の中で助けを求める叫び声を聞いた時、待機していた男性の天使がその方角へ霊の光を向け、すぐに援助の者を差し向けました。行ってみると、悪臭を放ち汚れた熱い小川の岸に其の女性が気を失って倒れておりました。

それを抱きかかえて橋のたもとの門楼まで連れてきました。そこで手厚く介抱し、意識を取り戻してから、橋を渡って、私達が迎えに出た場所まで連れて来たという訳です。

さて援助に赴いた方が岸辺に彼女を発見した時の事です。気がついた彼女は辺りに誰かが要る気配を感じましたが、姿が見えません。

とっさに彼女はそれまで彼女を苛めに苛めていた悪の仲間と思い込み大声で「触らないで!こん畜生!」と罵りました。

が、次に気がついた時は門楼の中にいたと言うのです。彼女が私たちと歩いている最中に急に足を止めたのは、ふとその事が蘇ったからでした。彼女は神の使者に呪いの言葉を浴びせた訳です。

自分の言葉が余りに醜かったので光を見るのが怖くなったのです。実際には誰に向かって罵ったか自分でも判りません。しかし誰に向けようと呪いは呪いです。そしてそれが彼女の心に重くのし掛かっていたのです。

私達は相談した結果これはすぐにでも引き返すべきだという結論に達しました。つまりこの女性には他にも数々の罪は有るにしても、それは後回しに出来る。それよりも今回の罪はこの光と愛の世界の聖霊に対する罪であり、それが償われない限り本人の心が休まらないであろうし、私達がどう努力しても効果はないと見たのです。そこで私達は彼女を連れて引きかえし“橋”を渡って門楼の所まで来ました。

彼女を救出に行かれた件の天使に会うと、彼女は赦しを乞い、そして赦されました。実は其の天使は私達がこうして引き返してくるのを待っておられたのです。

私達より遥かに進化された霊格の高い方で、従って叡智に長け、彼女がいずれ戻って来ずに居られなくなる事を洞察しておられたのです。

ですから私達が来るのをずっと門楼から見ておられ、到着するとすぐでてこられました。その優しいお顔付きと笑顔を見て、この女性もすぐにこの方だと直感し、膝まずいて祝福を頂いたのでした。

今夜の話はドラマチックな処は無いかも知れませんが、この話を持ち出したのは、此方では一見何でもなさそうに思える事でもきちんと片づけなければならないようになっていることを明らかにしたかったからです。

実際私には何か私達の理解を超えた偉大な知性が四六時中私達を支配しているように思えるのです。

あのお気の毒な罪深い女性が向上して行く上に置いて、あんな些細な事でもきちんと償わなければならなかったという話がそれを証明しております。“橋”通って門楼まで行くのは実は大変な道のりで、彼女もくたくたに疲れ切っておりました。

ですが、自分が毒づいた天使様のお顔を拝見し、その優しい愛と寛恕の言葉を頂いた時に始めて、辛さを耐え忍んでこそ安らぎが与えられるものである事、為すべき事を為せばきっと恵みを得る事を悟ったのでした。

その確信は、彼女のように散々神の愛に背を向けてきた罪をこれから後悔と恥辱の中で償って行かねばならない者にとっては、掛けがいのない心の支えとなります。

―その方はいまどうされていますか。

あれからまだ時間が経っておりませんので目立って進歩しておりません。進歩を阻害するものがまだ色々とあるのです。ですが、間違い無く進歩しておられます。

私達のホームにおられますが、まだまだ人の為の仕事を頂くまでには至っておりません。いずれはそうなるでしょうが、当分は無理です。

罪悪と言うのは本質的には否定的性格を帯びておりますが、それは神の愛と父性(*)を否定することであり、単に戒律を破ったということとは比較にならない罪深い行為です。

魂の本性つまり内的生命の泉を汚し、宇宙の大霊の神殿に不敬を働く他なりません。其の汚れた神殿の掃除は普通の家屋を掃除するのとは訳が違います。

強烈なる神の光がいかに些細な汚点をも照らし出してしまうのです。それだけに又、それを清らかに保つ者の幸せは特別です。何となれば神の御心のままに生き、人を愛すると言う事の素晴らしさを味わうからです。

(*民族的性向の違いにより神を“父なる存在”とみなす民族と“母なる存在”とみなす民族とがる。哲学的には老子の如く“無”と表現する場合もあるが、いずれにせよ顕幽にまたがる全宇宙の絶対的根源であり、神道流に言えばアメノミナカヌシノカミである)

第2節 最後の審判
1913年10月27日 月曜日

今夜もまた天界の生活を取り上げて、此方の境涯で体験する神の愛と恵みについてもう少しお伝えできればと思います。私達のホームは樹木の良く繁った丘の中腹に広がる空地に建っております。

私がお世話している患者―ほんとに患者なのです。―は明かりの乏しい、いわば闇が魂に忍び込むような低地での苦しい体験の後にここに連れて来られ、安らぎと静けさの介抱されております。

きた時は大なり小なり疲労し衰弱しておりますので、ここから向上して行けるようになるのは、余ほど体力を回復してからの事です。

あなたはここでの介抱の仕方を知りたいのではないかと思いますので申し上げましょう。これを煎じつめれば“愛”の一語に付きましょう。それが私達の指導原理なのです。

と言う事は私達は罪を裁かず、罰せず、ただ愛を持って導いてあげると言う事なのですから、その事実を知った患者の中にはとても有難く思う人がいます。ところが実はそう思う事が原因となって、去ってそこにいたたまれなくなるものなのです。

例えばこんな話があります。最近の事ですが、患者の一人が庭を歩いている時に、私達霊団の最高指導霊であられる女性天使を見かけました。

その人はつい目をそらして脇の方へ折れようとしました。怖いのではありません。畏れ多い気がしたのです。すると天使様の方から近づいてきて優しく声をかけられました。

話をしてみると以外に気楽に話せるものですから、それまで疑問に思っていた事を尋ねる気になりました。

「審判官は何処におられるのでしょうか。そして最後の審判はいつ行われるのでしょうか。其の事を思うと何時も身震いがするのです。私の様な人間はさぞ酷い罰を言いつけられるに決まっているからです。どうせなら早く知って覚悟を決めたいと思うのです」

この問いに天使様はこうおっしゃいました。

「良くお聞きになられました。あなたの審判はあなたが審判を望まれた時に始まるのです。今のあなたのお言葉から察するにもうそれは始まっております。ご自分の過去が罰を受けるに値すると白状されたからです。

それが審判の第一歩なのです。それから、審判官は何処にいるのかとお尋ねですが、それ、そこにおられます。あなたご自身ですよ。あなた自身が罰を与えるのです。これまでの生活を総点検して、自分の自由意思によってそれを行うのです。

一つ一つ勇気を持って懺悔する毎に向上してゆきます。ここにおいでになるまでのあの暗黒街での生活によって、あなたは既に多くの罰を受けておられます。

確かにあれは恐ろしいものでした。しかしそれも過去のものとなり、これからの辛抱にはあんな恐ろしさは伴いません。もう恐怖心とはおさらばなさらなければなりません。但し苦痛は伴うでしょう。

大変辛い思いをなさる事と思います。ですがその苦痛の中にあっても神の導きを感じるようになり、正しい道を進めば進むほど一層それを強く感じるようになるでしょう」

「でも報酬を与えたり、罰したりする大審判者つまりキリスト神の玉座が見当たらないのはおかしいと思うのです」

「なるほど玉座ですか。それならいずれご覧になる日が来るでしょう。でもまだまだです。審判と言うのはあなたがお考えになっているものとは大分違います。でも怖がる必要は有りません。進歩するにつれて神の偉大な愛に気づき、より深く理解して行かれます」

これは実は此方へ来る人の多くを戸惑わせる問題のようです。悪い事しているので、どうせ神のお叱りを受けて拷問に掛けられるものと思い込んでいるので、そんな気配がない事に却って戸惑いを感じるのです。

また、自分は立派な事をしてきたと思い込んでいる人が、置かれた環境の低さ―時には惨めなほど低い環境に落胆する事が良くあります。内心では一気にキリスト教の御前に召されて“よくぞやってくれた”とお褒めの言葉でも頂戴するものと思い込んで居たからです。もうそれはそれは、此方へ来てからは意外な事ばかりです。喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる訳です。

最近こんな人も見かけました。この方は地上では大変な博学な文筆家で、何冊もの書物を出版した人ですが、地上でガス工場のカマタキをしていた青年には為しかけ、いろいろと教わっているところでした。楽しそうな様子なのです。

と言うのも、その人は謙虚さを少しずつ学んでいるところだったのです。ですが、この人のいけないところは、そんな行きずりの若造を相手に教えを乞うのは苦にならないのに、すでにこちらへ来ている筈の嘗ての知人の所へ赴いて地上での過ちや知的な自惚れを告白することはしたくないのです。しかし、いずれはしなければならない事です。青年との関係はその為の準備段階なのです。

しかし同時に、私達の目には其の人の過去も現在も丸見えであり、特に現在の環境が非常に低いことが明白なのに、本人は相変わらず内心の自惚れは他人に知られたくないと思い続けているのが哀れに思えてなりません。

こう言う人には指導霊も大変な根気が要ります。が、それが又指導霊にとっての修行でもあるのです。

ここで地上の神霊家を悩ます問題を説明しておきましょう。問題と言うのは、心霊上の問題点について何故霊界からもっと情報を提供してくれないかと言う事です。

これにはぜひ理解して頂かねばならない事情があるのです。こうして地上圏まで降りてきますと、私達は既に本来の私達ではなく地上特有の条件による制約を受けます。

その制約が私達にはすでに馴染めなくなっております。例えば地上を支配している各種の法則に従って仕事を進めざるを得ません。

そうしないとメッセージを伝える事も物理的に演出して見せてあげる事も出来ません。実演会では出席者が有る特定の霊の姿を見せてほしいとか話を交わしたいとか、あるいは死に霊にまつわる証拠について質問したいと思っている事は判っても、それに応じるのは私達は非常に制約された条件下におかれています。

例えば其の出席者の有する特殊な霊力を活用しなければならないのですが、此方が必要とする肝心なものは閉じられたままで結局その人が提供してくれるものだけで間に合わせなくてはならない事になりますが、それが往々にして十分ではないのです。

更にその人の意念と私達の意念とが言わば空中衝突をして混乱を生じたり、完全に実験が台無しになったりする事もあります。なるべくなら私達を信頼して私達の思い通りにやらせてほしいのです。

その後で私達が何を伝えんとしているかを批判的態度で検討して下さればいいのです。もし特別に情報が欲しいと思われる問題があれば、それを日常生活におけるのと同じように、時折心の中に宿していただけばそれで宜しい。

私達がそれを察知し検討し、もし可能性があり有益でもあり筋が通っていると判断すれば、チャンスと手段を見つけて、遅かれ速かれ、それに応じて差し上げます。

実験その他、何らか居形で私達が側に来ている時に要求をお出しになるのであれば、強要せずに単に想念を抱くだけで宜しい。

後は私達に任せて下さい。出来るだけの事をして差し上げます。しつこく要求してはいけません。私達はお役に立ちたいと言う意図しかないのですから、あなたの為になる事なら出来る限りの事をしていると信じて下さい。

ちょうどそのよい例があります。あなたはずっとルビーの事を知りたいと思っておられました。それをあなたがしつこく要求する事がなかったので、私達は存分の用意する事が出来たのです。これからその様子をお伝えしましょう。

ルビーは今とても幸せです。そして与えられた仕事も上手にこなせるようになりました。つい最近会ったばかりで、もうすぐあなたやローズにお話をしに行けそうだと言っておりました。

何故今夜来れないのかと思っておられるようですが、あの子には他にする事がありますし、私達は私達で計画に沿って果たさねばならない事があります。

そう、こんな事も言っておりました。―「お父さんに伝えてちょうだい。

お父さんが教会でお説教をしている時の言葉があたしの所まで届けられて、其の中の幾つかを取り上げて皆で討論し合う事があるって。地上で学べなかった事についてのお話が入っているからなの」と。

―ちょっと考えられない事ですね。本当ですか。

おやおやこれは又異なことを。本当ですか、とは一体あなたはこちらの子供をどんな風に考えておいでですか。

いいですか。幼くしてこちらへ来たものはまず、この新しい世界の生活と環境について学び、それが終わってから今度は地球と地上生活について少しずつ勉強することを許されます。

そしていずれは完全なる知識を身につけないといけないのです。その為に、慎重を期しつつあらゆる手段を活用する事になります。

父親の説教を聞いて学ぶ事以上に素晴らしい方法が有るでしょうか。これ以上申しません。これだけ言えば十分の筈です。常識的にお考えになる事です。少しは精神的構造が啓発されるでしょう。

―でも、もしもあなたのおっしゃる通りだと、人間はうっかり他人にお説教などできなくなります。それと、どうか気を悪くなさらないでください。
ご心配なく、機嫌を損ねてなんかいませんよ。実はあなたの精神に少なくとも死後の環境とその自然さについて、かなりの理解が得られるようになって有難く思っていたのです。ところが、愚かしい漠然として死後の観念をさらけ出すような、あのような考えを突如として出されたので驚いたのです。

でも他人に説教する際には良く良く慎重であらねばならないと思われたのは誠に結構な事です。でも、この事はあなた一人に限った事ではありません。全ての人間がそうあらねばならない事ですし、すべの人間が自分の思念と言葉と行為に慎重であらねばなりません。

こちらではそれが悉く知れてしまうのです。でも一つだけ安心して頂ける事があります。万が一良からぬ事、品のない事をうっかり考えたり口に出したりした時は、そういうものはルビーが居る様な境涯へは届かないように配慮されております。

ですからそちらではどうぞ気楽に考えて下さい。思いのまま遠慮なくおしゃべりになる事です。こちらの世界では誠意さえあれば、たとえその教えが間違っていても、間違いを恐れて黙っているよりは歓迎されるのです。

さ、お寝みなさい。皆さんによろしく、神の祝福を。そして神が常にあなたの勇気と忠誠心をお与えくださいますように。

第3節 使節団を迎える
1913年10月28日 火曜日

これまで私達が伝えたメッセージはすべてあなたの精神(マインド*)に私達の思念や言葉を印象つける方法で行われております。

この為に私達はあなたの精神に宿されているもの、を出来るだけ多く取り出し、活用して、少しでも楽に伝わるように工夫します。ですが、それがうまく行かなくて、やむをえずあなたの霊を地上環境から連れ出して、私達が伝えんとしている内容を影像の形で見せ、それをあなたに綴らせると言う手段を取る事が良くあります。

(*霊側から観た精神には実態があり、そこに宿された想念や記憶が具体的に手に取るように見える。いわゆる潜在意識をもこれに含まれる)

いいえ、あなたの身体から連れ出すと言う意味ではありません。だってあなたはその間ずっとそこにいて意識を持ち続けておるのですから。

私達が行うのは言わばあなたの内的視野―霊力の視力―に霊力を注ぎ込む為に一時的にあなたの注意力を私達が吸収してしまうのです。するとその間あなたは環境をほとんど意識しなくなります。

つまり周囲の事を忘れ、気を取られなくなります。その瞬間をねらって今述べた霊界の影像を伝達して、それに私達が実際に見た出来事の叙述を添えると言う事をする訳です。

例えばカストレル様の都市へ音楽の使節団が光のハーブの編隊を組んで到着するシーンそのものは実際のものをお見せして、それに群がる群集や表面入口での挨拶の様子、その他、伝えたいと思った事を後で私達が復元して添えたものです。

そういう次第だったのです。具体的にどういう風にするかは、いずれこちらへおいでになれば判ります。

さてこれから私達はもう一つの光景をお見せしてみようかと思います。“みよう”と言う言い方をしたのは、大事な事については私達はそう滅多にしくじる事はありませんが、所詮私達も全能ではありません。いろいろと邪魔が入り、思うに任せない事もあるからです。

それではこれから暫くあなたの注意力をお貸し頂いて、私達のホームへ使節団が見学に訪れた時の様子を叙述してみましょう。私達は良くお互いに使節団を派遣し合って、他のホームでの仕事ぶりを学び合う事を致します。

私達はホームの裏手に有る丘の頂上近くに立って使節団の到着を待っておりました。やがて広々とした平野の上空遥か彼方にその姿が見え始めました。其の辺りの空は深紅と黄金と緑の筋が水平に重なって見えます。

それを見て私達は其の使節団がどの地域からのもので、どんな仕事に携わっている人達で有るかが判断できます。その施設は主に儀式と式典の正しいあり方を研究している人達で、非常に遠方のコロニーからお出でになられたのでした。

虚空を翔ける様子を見つめておりますと、平地で待機していた私達のホームの出迎えの代表団が空中へ舞い上がりました。大空での出迎えの様子を見るのも又一興でした。遥か上空でお互いが接近し、いよいよ距離が狭まると、此方の一団の何人かが音色もポストホルン(*)に似たものを吹奏し、それに応じて他のグループが別の楽器を取り出し、演奏を始めると同時に更に別のグループが歓迎の合唱を始めました。

(*昔の易馬車や郵便馬車の到着を知らせる為に御者が用いた二三フィートの真鍮のラッパ)

やがて歓迎の儀式が終わりました。後方に一台の二頭立ての馬車が用意してあります。昔の馬車にそっくりです。近代風の馬車を使用しても良いのですが、こちらでは天蓋は不要なのです。

それで古代の馬車がずっと使われている訳です。使節団は更に近づいて、此方の一団と向かいあって並びました。そのシーンを想像して下さい。

あなたには不思議に思える事でしょうが、私たちの世界では至って自然な事である事がそのうちにあなたにもお判りになる日が来るでしょう。

更に向上すると空中に立つだけでなく地上とまったく同じように跪いたり、横になったり、歩いたりする事が出来るようになります。

さて私達のお迎えのリーダーと使節団のリーダーとが進み出ました。そして両手を握りあい、互いに額と頬に口づけをしました。

それからお迎えのリーダーが右手で相手の左手を取って馬車まで案内し、迎えの残りの者が間を開け、恭しくお辞儀をしてお通ししました。お二人が馬車に乗ると、今度は双方の残りの人々が両手を広げて近づき合い、同じように額と頬に口づけをし合いました。

それから全員が私達の方角を向き、ゆっくりとした足取りで降りてきて、ついに丘の麓まで来られました。

空中を行くとどんな感じがするのか―これはあなたにはちょっと判って頂けないでしょう。私も一度ならず試してみた事があります。が、その感じはあなたの想像を超えたものです。

ですからそれを述べるよりも、見た目に実に美しいものだと言うに留めておきましょう。カストレル様やアーノル様の様な霊格の高い天使になると、地面を歩かれる時の姿は単に気品があると言うに留らず、その落ち着いた姿勢や動作にうっとりとさせられる美しさが有るのです。

空中になるとそれが一層美しさが増します。静かで穏やかな威厳と力に溢れた、柔らかい優雅な動きは、まさしく王者の風格と神々しさに満ち満ちております。今目の前にしたお二人はまさにその通りでした。

一行は曲がりくねった小道を歩いて私達のリーダーの住居に至りました。ここにおいて私達の指導霊である女性天使と共にこの領土を支配しておられます。

私にはお二人の間に霊格とか地位とかの差は無いように思われます。全く同じでは無いにしても、どちらが上でどちらが下かは直接お聞きしてみないと判らない程で、それはちょっとお聞きしかねる事です。

お互いの愛と調和性はとても程度が高く、命令と服従との関係が優雅で晴れ晴れとした没我性の中で行われる為に、お二人の霊的な差を見分ける事が出来ないのです。

そのお住まいをご覧になればきっと中世の城を思い出される事でしょう。山の中腹の岩の上に建てられており、周りは緑と赤と茶と黄色の樹木と、無数の花々と芝生に囲まれております。

使節団は玄関を通って中へ入り、そこで私達からは見えなくなりました。が中へ入った一行の光輝によって、あたかも一度に何千もの電灯が灯されたように、窓を明るく照らしだしました。

其の色彩豊かな光輝は何とも言えない美しさでした。一つに融合してしまわずに、それぞれの色調を保ちつつ、渾然と混ざり合い、あたかも虹の如く窓を通して輝くのでした。

これまでの私の叙述に“出入口”がしばしば出てきましたが“門”については特に述べていない事にお気づきと思います。実は私はこれまで出入口に至る門を見た事が無いのです。

“ヨハネ黙示録”の中には天界の聖都とその門についての叙述があります(21章)。私はヨハネが霊視したと思われる都市の門を思い出していろいろと考えたのですが、どうも今いる都市には出入口に通じる門は見当たらないように思います。

で、私が思うにヨハネが、“聖都の門は終日(ヒネモス)閉じる事なし”と述べておいて、その後すぐ地上の都市では昼間は闘いでもない限り門は閉じられる事は無く夜はずっと閉じられている事を思い出して―“此処に夜有る事なきが故なり”とカッコして釈明を付け加えたのは、本当は地上と同じ門は無かったからではないかと思うのです。これは私個人の考えです。間違っているかもしれませんが、ぜひあなたも改めて黙示録を読み返し、私の意見を思い出して、あなた自身で判断してみてください。

お城の中のフェスティバルの事は私自身出席しておらず、出席した方からお聞きしただけですので、ここでは述べない事にします。それよりも私が目撃したものを述べておきましょう。

その方が生き生きと表現できますから。しかし、あれだけ多くの高級霊が一堂に会したのですから、それはそれは荘厳なフェスティバルであったろう事は容易に想像できます。

そうね。あなたやあなたの家族もこの神の愛と祝福が草原の露のように降りて、辺り一面に芳香を漂わせる神の御国へおいでになれば、こうした事が全部目の当たりにする事が出来ます。

授かるよりは授ける方が遥かに幸いである事を何かにつけて学ばされている私達が、その素敵な芳香を私達の言葉を通じて地上の方にも味わって頂き、いかに神の愛が有難く優しいものであり、神を信じるものがいかに幸せであるかを判って頂きたいと思うのでは少しも不思議でない事が、これでお判りでしょう。

幾久しく神の祝福のあらんことを。アーメン

第4節 強情と虚栄心
1913年10月30日 木曜日

その手をご自分の頭部へ当ててみてください。そうすると通信が伝わり易くなり、あなたも理解しやすくなります。

―こうですか。

そうです。あなたと私たち双方にとって都合がいいのです。

―どう言う具合に。

私からあなたへ向けて一本の磁気の流れがあります。今言ったとおりにして下されば、その磁気の散逸が妨げられるのです。

―さっぱり判りません。

そうかもしれません。あなたにはまだまだ知って頂かねばならない事が沢山あります。今述べた事もその一つです。それ一つを取り上げれば些細なことかもしれませんが、それなりに大切なのです。

成功を支えるのは往々にしてそうした些細なことの積み重ねである事があります。ところで、私達がこうした通信で採用する方法については所詮あなたに完全な理解を期待するのは無理ですから、あまり細かい事は言うつもりはありません。

でも、この事だけは述べておきたいのです。つまり私達が使用するエネルギーはやはり、“磁気”と呼ぶ事が一番適切である事、そしてその磁気に乗って私達のバイブレーションがあなたの精神に伝わると言う事です。

そうやって手をあてがって下さると、それが磁石と貯蔵庫の二つの役目をしてくれて、私達は助かるのです。でも、この問題はこの位にして、もっと判り易い問題に移りましょう。

この“常夏の国”では私達は死んでこちらへやってくる人と後に残された人の双方の面倒をみるように努力しております。これは本当に切り離せない密接な関係にあります。と言うのも、こちらへ来た人は後に残した者の事で悩み、背後霊がちゃんと面倒を見てくれている事を知るまで進歩が阻害されるケースが多いのです。そこで私達は度々地上圏まで出かける事になるのです。

先週も私達のもとに三人の幼い子供を残して死亡した女性をお預かりしました。そしてぜひ地上へ行って四人のその後の様子を見たいとせがむのです。

あまりせがまれるので、やむを得ず私達は婦人を連れて地上へ案内しました。ついた時は夕方で、これから夕食が始まる所でした。御主人は仕事から帰って来たばかりで、これからお子さんに食事をさせて寝かせようと忙しそうにしておりました。

いよいよ四人が感じの良い台所のテーブルを囲み、お父さんが長女にお祈りをさせています。其の子はこう祈りました。“私達とお母さんの為に食事を用意して下さった事をキリストの御名において感謝します”と。

その様子を見ていた婦人は思わずその子のところへ近づき頭髪に手を当てて呼びかけましたが、何の反応も有りません。

当惑するのを見て私達は婦人を引きとめ、少し待つように申しました。しばらく沈黙が続きました。その間、長女と父親の脳裏に婦人の事が去来しています。

すると長女の方が口を開いてこう言いました。―「お父さん、母さんは私達が今こうしているのを知っているかしら?それからリズおばさんの事も」

「さあ良く判らないけど、きっと知っていると思うよ。この二三日、母さんがとても心配しているような、なんだか悲しい気がしてならないからね。リズおばさんの念かもしれないけれどね。」

「だったら私達をおばさんとこに届けないで頂戴。○○婦人が赤ちゃんの面倒を見てくれるし、私だって学校から帰ったら家事のお手伝いをするわ。そしたら行かなくって済むでしょう」

「行きたくないのだね?」

「行きたくないわ。赤ちゃんとシッシーは行くでしょうけど。私は嫌よ」

「なるほど父さんも良く考えておこう。だから心配しないで。皆で何とかうまくやっていけそうだね。」

「それに母さんだってあの世から助けてくれるわ。それに天使様も。だって母さんはもう天使様とお話が出来るでしょう。お願いしたらきっと助けてくれるわ」

父親はそれ以上何もしゃべりませんでしたが、私達にはその心の中が見えます。そしてこんなことを考えているのが読み取れました。―“こんな小さい子供がそれほどの信仰を持っているからには自分もせめて同じくらいの信念は持つべきだと”。

それから次第に考えが固まり、とにかく今のままでやって見ようと決心しました。もともと子供を手離すのは父親も本意ではなく、引きとめる為のいい訳ならいくらでも有るじゃないか、と思ったのでした。

こうした様子を見ただけで母親が慰めを得たとはとても言いきれません。が地上を後にしながら私達はその婦人に、あの子の信仰が父親の信念によって増強されたら私達が援助していく上で強力な手掛かりになりますよ。と言ってあげました。そうでも言っておかないと、今回の私達のとった手段が間違っていた事になるのです。

帰るとその経過を女性天使に報告しました。すると即座に家族が別れ別れにならないように処置が取られ、その母親には、これから一心に向上を心掛け、早く家族の背後霊として働けるようになりなさいとのお達しがありました。

それからと言うもの、其の婦人に変化が見られるようになりました。与えられた仕事に一心に励むようになったのです。私達の霊団に加わって一緒に地上に赴き、彼女なりの仕事ができるようになる日もそう遠くは無いでしょう。

この話はこの位にして、もう一つ別のケースを紹介してみましょう。先ごろ私達のコロニーへ一人の男性がやってきました。この方も最近地上を去ったばかりです。

自分の気に入った土地を求めて彷徨あるき、私達の所がどうやら気に入ったらしいのです。ずっと一人ぼっちだったのではありません。少し離れた所から何時も指導霊が見守っていて、何時でも指導する用意をしていたのです。

この男性も私達が時折見かける複雑な性格の持ち主で、非常に多くの善性と明るい面を持ち合わせていながら、自分でもどうにもならない歪んだ性格のために、それが発達を阻害されているのでした。

その男性がある時私達のホームのある丘からかなり離れた土地で別のホームの方に呼び止められました。その顔に複雑な表情を見てとったからです。

実は出会った時点ですぐに、少し離れた位置にいた指導霊から、合図によってその男性の問題点についての情報が伝わり、その方は即座にそれを心得て優しく話しかけました。

「この土地にはあまり馴染みが無い方のようにお見受けしますが、何かお困りですか。」

「お言葉は有難いのですが、別に困ってはおりません」

「あなたが抱えておられる悩みはこの土地で解決できるかもしれませんよ。全部と言う訳にはいかないでしょうけど」

「私がどんな悩みを抱えているか御存じないでしょう」

「いや、少しわかりますよ。こちらで一人も知り合いに会わない事で変に思っておられるのでしょう。そして何故だろうと」

「確かにその通りです」

「でもちゃんとお会いになっているのですよ」

「会った事は一度もありません。一体どこにいるのだろうと思っているのです。実に不思議なのです。あの世へ行けば真っ先に知人が迎えてくれるものと思っておりました。どうも納得がいきません」

「でもお会いになっていますよ」

「知った人間には一人も会っておりませんけど」

「確かにあなたはお会いになっていませんが、相手はちゃんとあなたにお会いしています。あなたは気づかないだけ、いや、気づこうとなさらないだけです」

「何に事だかよく判りませんね。」

「こう言う事です。実はあなたが地上からこちらへ来てから、あなたの知人が面倒をみているのです。

所があなたの心は一面なかなか良いところもあり開かれた面もあるのですが、他方、非常に頑なで無闇の強情な処があります。あなたの目に知人の姿が映らないのはそこに原因があるのです」

男は暫くその方を疑い深い目でじっと見つめておりました。そしてついに、どもりながらもこう言いました。

「じゃ私の何処がいけないのでしょう、会う人はみな優しく幸せそうに見えるのに、私はどの人とも深いお付き合いが出来ないし落ち着ける場所もありません。私の何処がいけないのでしょう。」

「まず、第一に反省しなくてはいけないのは、あなたの考える事が必ずしも正しくないと言う事です。因みに一つ二つあなたの誤った考えを指摘してみましょう。

一つは、この世界を善人だけの世界か、さもなくば悪人だけの世界と考えたがりますが、それは間違いです。地上と似たり寄ったりで、善性もあれば邪悪性も秘めているものです。

それからもう一つ、数年前に他界された奥さんは、あなたがこれから事情を正しく理解した暁には落ち着かれる界よりも、もっと高い界におられます。地上時代は知的にあなたに敵いませんでしたし、いまでも敵わないでしょう。

所が総合的に評価すると霊格はあなたの方が低いのです。これがあなたが認めなければならない第二の点です。心底から認めなくては駄目です。あなたのお顔を拝見していると、まだ認めていないようですね。でも、まずそれを認めないと向上は望めません。

認められるようになったら、その時は多分奥さんと連絡が取れるようになるでしょう。今のところそれは不可能です」

男の目が涙で曇ってきました。でも笑顔を作りながら、何処か寂しげに言いました。

「どうやらあなたは予言者でいらっしゃるようですね」

「まさしくその通り。そこで、あなたが認めなければならない三つ目の事を申し上げましょう。それはこう言う事です。あなたのすぐ近くのあなたをずっと見守り救いの手を差し伸べようと待機している方がいると言う事です。

その方は私と同じく予言者です。先覚者と言った方が良いかもしれません。さっき申しあげた事は全部その方が私に伝達してくれて、それを私が述べたに過ぎません。」

それを聞いて男の顔に深刻な表情が見えてきました。何かを得ようとしきりに思い詰めておりましたが、やがてこう聞きました。

「結局私は虚栄心が強いと言う事でしょうか」

「その通り。それもいささか厄介なタチの虚栄心です。あなたには優しい面もあり謙虚でもあり、愛念が無い訳ではありません。この愛こそ何にも勝る力です。

ところがその心とは裏腹にあなたの精神構造の中に一種の強情さがあり、それは是非とも柔げなくてはなりません。いってみれば精神的轍の中にはまり込んだようなもので、一刻も早くそこから抜け出して、もっと拘りを棄て、自由に見渡さなくてはいけません。

そうしないと何時までも“見えているのに見えない”と言う矛盾と逆説の状態が続きます。つまり、あるものは良く見えるのに有るものはさっぱり見えないと言う状態です。

証拠を突きつけられて自説を改めると言う事は決して人間的弱さの証明でもなく堕落でもなく、それこそ正直の証明である事を知らなくてはいけません。

もうひとつ更け加えておきましょう。今言ったように、其の強情さはあなたの精神構造に巣食っているのであって、もしそれが霊的本質つまり魂そのものがそうであったら、こんなに明るい境涯には居れず、あの丘の向こう側―ずっと向こうにある薄暗い世界に落ち着くところでした。以上、私なりにあなたの問題点を指摘して差し上げました。後は別の人にお任せしましょう」

「どなたです?」

「さっきお話した方ですよ。あなたの面倒を見ておられる方」

「何処におられるのですか」

「ちょっとお待ちなさい。すぐに来られますから」

そこで合図が送られ、次の瞬間にはもうすぐ側に立っていたのですが、その男には目えません。

「さあ、お出でになられましたよ。何でもお尋ねしなさい。」

男は疑念と不安の表情で言いました。―「どうか教えてください。此処におられるのであれば、何故私に見えないのでしょうか」

「さっきも言った通りあなたの精神構造に見えなくさせるものが潜んでいるからです。あなたがある面において盲目であると言う私の言葉を信じますか。」

「私は物が良く見えています。非常にはっきり見えますし、田園風景も極めて自然で美しいです。その点で私は盲目ではありません。ですが、同じく実質的なもので私に見えないものが他にもあるかもしれないと考え始めております。多分それもそのうち見えるようになるでしょうでも…」

「お待ちなさい、其の“でも”は止めなさい。さあ、ここをよく見なさい。あなたの指導霊の手を私が握って見せますよ。」

そういって指導霊の右手を取り「さ、良く見なさい。何か見えますか」と聞きましたが、男にはまだ見えません。ただ何やら透明なものが見えるような気がするだけで、実態があるのか無いのか良く判りませんでした。

「じゃ、ご自分の手で握って見なさい。さ、私の手から取ってご覧なさい」

そう言われて男は手を差し出し、指導霊の手を取りました。そしてその瞬間、どっと泣き崩れました。
男にそうした行為が出来たと言う事は、男がその段階まで進化した人間であった事を意味します。手を出しなさいと言われた時は既に、それまでのやりとりの間に男がそれが出来るまで向上していたと言う事で、さっそくその報いが得られた訳です。

指導霊は暫くの間男の手をしっかりと握りしめておりましたが、そのうち男の目に指導霊の姿がだんだん見え始め、かつ、手の感蝕も強くなって行きました。

それまで相手にされた方はそれを見てその場を去りました。男は間もなく指導霊が見えるだけでなく語り合う事も出来るようになった事でしょう。そして今はきっと着々と霊力を身につけて行きつつある事でしょう。

ルビーがあなた方両親にこんなメッセージを伝えて欲しいとの事です。―「お父さん、お母さん、地上の親しい人が良い行いや親切な事をしたり、良い事を考えたりお話したりすることが全部影像となってこちらへ伝わってくるのは本当です。
私達はそれを使って部屋を美しく飾ったりします。リーンちゃんがあのお花で部屋を飾るのと一緒よ」と。

では神の祝福を。お寝すみなさい。

<原著者ノート>最後のルビー殻のメッセージの中の“あのお花”と言うのは、学校で寮生活をしている姉のリーンに私達が時折送り届けている花の事の様である。以上で母からのメッセージは全部終了し、この後の通信は私の守護霊であるザブディエルに引き継がれる。それが第二巻「天界の高地」篇である。」