第1節 カストレル宮殿
1913年10月17日 金曜日
前回のあのお気の毒な女性─今は充分祝福を受けておられますが、─をお預けするホームへまだ到着しないうちから私はもう一つの使命を思い出しました。そこから遥か東方にある都市まで行く事になっていたのです。あなたはまた、“東”という文字を書き渋っているけど、私達はその方角を東と呼んでいるのです。
と言いますのは、此方へ来て初めてイエス様のお姿と十字架の像を拝見したのがその方角だったのです。その方角にある山の頂上は今も明るく輝いております。私にはそれが地上の日の出を象徴しているように思えてなりません。
さて私達五人はその山の向こう側にある都市を目指して出発いたしました。出発に先立って良く道順をお聞きしておきました。上の方のお話ではその都市の中央には黄金色のドームを頂いた大きい建物があり、その都市の中心街はコロネード(列柱)で囲まれているとの事でした。
始めは徒歩で行きましたが、後は空を飛んで行きました。歩くより飛ぶ方が難しいのですが、飛んだ方が早いし、それに場所を探すには空から観た方が判りやすいと言う事になりました。
やがてその都市の上空に来て目標のドームを見届けてから正面入り口めがけて着陸し、そこから本通りはその都市のど真ん中を一直線に横切っており、その反対の裏門から出るようになっています。其の幅広い通りを境にして両側にはとても敷地の広い、宮殿のような建物がずらりと並んで居ります。そこはその地域一帯を治められる高官が住んでおられ、そこが首都になります。
畑仕事に精を出している光景も見られます。又建物が沢山見えます。一見して住居ではなく別の目的を持っている事が判ります。やがてコルネ―ドで囲まれた中心街に出ました。さすがに建物も庭園もそれはそれは見事なものでした。
どの建物にも必ずその建物に相応しい色彩とデザインの庭園がついております。それらを見て歩きながら、この辺で待ち合わせて下さると聞いていた方からの合図を気にしておりました。こうした場合には連絡が先に届いて待ち受けて下さっているのです。
歩いて行くうちに、いつの間にか公園の様な所へ入りました。とても広い公園で、美しい樹木が程良く繁り、所々に噴水池が設けてあります。それ以外は一面緑の芝生です。其の噴水が水面に散る時の音はメロディと言えるほど快く、またそれぞれの噴水が異なったメロディを奏でており、それらが調和して公園全体を快い音楽で包んでおります。其の噴水にある細工を施すと、得も言われぬ霊妙な音楽が聴けるとの事です。
その細工を施すのは度々ではないのですが、時折行われますと、その都市に住む人は無論のこと、ずっと郊外や丘の牧草地帯に住んでいる人までが大勢集まってくるそうです。私達が行った時は素朴な音楽でしたが、それでもそのハーモニー、が其の快さは見事でした。
暫くその公園を散歩しました。とお御心の休まる美しいところです。芝生に腰をおろして休んでいますと、そこへ一人の男性が笑みを浮かべて近付いてきました。私達を迎えにこれらたのだと言う事はすぐに判ったのですが、お姿を拝見して、私達とは比較にならぬほど霊格の高い方で有る事が知れましたので、暫くは言葉が出ませんでした。
─どんな方ですか。出来れば名前も教えて下さい。
その内お教えしましょう。焦る事が一番いけません。こちらの世界では焦らぬようにと言う事が一番大切な戒めとされているほどです。焦ると判りかけていたものまで判らなくなります。
その天使様はとても背の高い方で、地上で言えば七フィート半は十分有ったでしょう。私は地上にいた時より背は高くなっていますが、その私より遥かに高い方でした。
その時の服装は膝まで垂れ下がったクリーム色のシャツを無造作に着ておられるだけで、腕も脚も丸出しで、足には何も履いておりませんでした。私は今あなたの心に浮かぶ疑問にお答えしているのですよ。
帽子?いえ無帽です。髪型ですか。ただ柔らかそうな茶色の巻き毛を真ん中で左右に分けておられるだけで、それが首の辺りまで垂れさがっておりました。頭には幅の広い鉢巻のような帯をしめておられましたが、その帯は金属で出来た帯(シンクチャー)をそめておられました。これらは全部その方の霊格の高さを示しておりました。
お顔は威厳に満ちていましたが、その固い表情の中にも言うに言われぬ優しい慈悲がにじみ出ており、それを見て私達の心に安心感と信頼心が湧いてきました。
又尊敬の念も自然に湧いてきました。やがて天使様は私達の波長に合わせている事がすぐに判るような、緩やかな口調でこう言われました。緩やかでも、その響きの中に心に沁みわたるものを感じ取る事が出来ました。「私の名前はカス…」いけません。
名前は私の弱点のようでして、地上へ降りてくるとどうも名前を思いだすのが苦手です。その内思い出すでしょう。とにかくご自分の名前をおっしゃってから、こんな事を言われました。
「私の事はすでにお聞きになっておられると思います。やっとお会いできましたね。では私の後に付いてきてください。早速あなた方をお呼びした目的をお話しいたしましょう。」私達は言われるままに天使様の後について行きましたが、其の道すがら気楽に話しかけられるので、いつの間にかすっかり気安さを覚えるようになりました。
天使さまと一緒に通った道は公園を出てすぐ左手にある並木道でしたが、やがて別の公園に入りました。入ってすぐに気付いたのですが、そこはつまり私有の公園つまり公園と言ってもいいほど広い庭園と言う事です。真ん中にはそれはそれは見事な御殿が建っていました。
一見ギリシャ風の寺院の様な格好をしており、四方に階段が付いております。よほど偉い方が住んでおられるのだろうと想像しながら天使様の後についてその建物のすぐそばまで近づきました。
近づいて観てその大きさに改めて驚きました。左右の幅のひろさもさることながら、アーチ形の高い門、巨大な柱廊玄関、そして全体を覆う大ドーム。私達五人はただただその豪華さに見とれてしました。
黄金のドームを頂いた大きな建物と聞いていたのはその建物の事でした。近づいてみるとドームの色は純粋の金色色でなく少し青みが掛っておりました。私は早速どんな方がお住みになっておられるのかお聞きしてみました。すると天使様はあっさりとこう言われました。
「いや何、これが私の住居ですよ。地方にも二つ私宅を持っております。良く地方にいる友を訪ねる事があるものですから。それではどうぞお入りください。遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」
天使様の言葉には少しもきどりと言うものがありません。“気取らない”と言う事が霊格の高さを示す一つの特徴で有る事を学びました。地上でしたらこんな時には前もって使いの者が案内して恭しく勿体ぶって拝謁するところでしょうが、この度はその必要もないので全部省略です。
最も必要な時はちゃんとした儀式も致します。行うとなれば盛大かつ厳粛なものとなりますが、行う意味のない時は行われません。
さてカストレル様や─やっと名前が出ましたね。詳しい事は明晩にでもお話いたしましょう。あなたもそろそろ寝なくてはならないでしょう。ではお休み。
第2節 死産児との面会
1913年10月18日 土曜日
カストレル様の御案内で建物の中に入って見ますと、その優雅さは又格別でした。入口のところは円形になっていて、そこからすぐに例のドームを見上げるようになっています。そこはまだ建物の中ではなく、ポーチの少し奥まったところになります。
大広間の敷石からは色とりどりの光輝が発し、絹に似た掛けものなど等は深紅色に輝いておりました。前方と両側に一つずつ出入口があります。見上げるとハトが飛びまわっております。ドームのどこかに出入口が有るのでしょう。其のドームは半透明の石で出来ており、それを通して柔らかい光が差し込みます。
それらを珍しげに眺めてから、ふと辺りを見回すといつの間にかカストレル様が居なくなっております。
やがて右側の出入り口の方から楽しそうな談笑の声が聞こえてきました。何事だろうとその方向へ目をやると、其の出入り口から子供を交えた女性ばかりの一団がぞろぞろと入ってきました。総勢二十人もおりましたでしょうか。
やがて私達のところまで来ると、めいめいに手を差し出してにこやかに握手を求め、頬に接吻までして歓迎してくれました。挨拶をすませると中の一人だけが残って、後の方は其のまま引き返して行きました。大勢で来られたのは私達に和やかな雰囲気を与えようと言う心遣いからではなかったろうかと思います。
さて後に残られた婦人が、こちらへおいでになりませんか、と言って私達を壁の奥まったところへ案内しました。五人が腰掛けると、婦人は私達一人一人の名前を言い当て、丁寧にあいさつし、やがてこんな風に話されました。
「さぞかし皆さんは、一体何のためにここへ遣わされたのかと思おいの事でしょう。また、ここがどんな土地で何と言う都市なのかと言った事もお知りになりたいでしょう。この建物はカストレル宮殿と申します。其の事は多分カストレル様から直々にお聞きになられた事でしょう。
カストレル様はこの地方一帯の統治者にあらせられ、仕事も研究もみなカストレル様のお指示に従って行われます。話によりますと皆様は既に“音楽の街”も“科学の街も”ご覧になったそうですが、そこでの日々の成果もちゃんと私どもの手元へ届くようになっているのです。届けられた情報はカストレル様と配下の方がいちいち検討され、しかるべき処理されます。この地方全体の調和という点から検討され処理されるのです。単に調和と申しますよりは協調的進化と言った方がよいかもしれません。
例えば音楽の街には音楽学校があり、そこには音楽的想像力の養成に勤めているのですが、そういった養成があらゆる部門に設置されており、その成果がひっきりなしに私達の手元に届けられます。届きますとすぐさま検討と分析を経て記録されます。必要のある場合はこの都市の付属実験所で綿密なテストを行います。実験所は沢山あります。
ここへおいでになるまでに幾つかご覧になられた筈です。かなりの範囲にわたって設置されております。しかし実はその実験所の道具や装置は必ずしも完全なものとは申せませんので、何処かの界で新しい装置が発明されたり改良されたりすると、すぐに使いを出してその製造方法を学んで来させ、新しいものを製造したり古いものに改良を加えたりします。
そんな次第ですから、その管理に当たる方は叡智に長けた方でないとなりませんし、また次から次へと送られてくる仕事を素早く且つ身体強く処理していく能力がなくてはなりません。実はあなた方をここへお呼びしたのはその仕事ぶりをお見せするためなのです。ここに御滞在中にどうか存分に御見学なさってください。
もちろん全部を理解して頂くのは無理でしょうし、特に科学的な面はなかなか難しい所が多かろうと思います。さ、それでは話はこれ位にして、これからこの建物を一通り案内して差し上げましょう。」
婦人の話が終わると私達は丁寧にお礼を述べて、さっそく建物の中の案内をお願いしました。全てが荘厳としか言いようがありません。何処を見てもたった一色と言うものがなく、必ず何色か混ざっています。ただ何色混ざっていても実に美しく調和しているので、ギラギラ輝くものでも、どこかしら慰められるような柔らかさを感じます。
宝石、装飾品、花瓶、台石、石柱、何でもがそうでした。石柱には飾りとして一本だけ建っているものと束になったものとがありました。それから通路には宝石箱で飾られた見事な掛けものが掛けてあります。帰りがけにそれが肩などに触れると、何とも言えない美しいメロディを奏でるのです。
庭に出ると噴水池がありました。魚も泳いでおりました。中庭には芝生と樹木と灌木とが地上と同じような具合に繁っておりましたが、其の色彩は地上の何処にも見られないものでした。
それから屋上へ案内されました。驚いた事にそこにもちゃんとした庭があり、芝生も果樹園も灌木も揃っておりました。噴水池もありました。この屋上は遠方の地域と連絡を交わすところです。時には見張所の様な役目を果たします。通信方法は強いて言えば無線電信に似たようなものですが、通信されたものが言語でなく影像(*)となって現れますから実際には地上の無線とも異なりましょう。
(この通信が書かれた頃はまだテレビジョンが発明されていなかった事、そして、地上の発明品はことごとく霊界にあるものの模造品であることを考え合わせると興味深い)
私たち女性グループは随分永い間其の宮殿に御厄介になりながら、近くの都市や郊外まで出ていろんなものを見学しました。その地域全体の直径は地上の尺度で何千マイルもありましょう。それほど広い地域でありながら全体と中心との関係が驚くほど緊密でした。其の中心に当たるのが今お話ししたカストレル宮殿と言う訳です。その全部を話しているといくら時間があってもたりません。
そこでそのうち幾つかをお伝えして、それによって他を推察して頂きましょう。もっとも、それもあなた方の想像の及ばないものばかりです。
第一に不思議に思った事はその都市に子供がいる事でした。何故不思議に思ったのかと言いますと、それまで子供には子供だけの世界があって、皆そこへ連れて行かれるのかと思い込んでいたからです。最後に居残ってお話をしてくれた婦人はそこの母親のような地位にあられる方で、その他の方々はその婦人の手助けをされているらしいのです。
私は其の中の一人に、そこの子供たちが皆幸福そうで愛らしく、こんな厳かな宮殿で如何にもくつろいでいる事は何か特別な理由けが有るのですかと尋ねたところ、おおよそ次の説明をしてくれました。
ここで生活している子はみな死産児で、地球の空気を吸ったことのある子供とは性格上は非常に違いがある。僅か二三分しか呼吸した事のない子供でも、全然呼吸していない死産児とはやはり違う。それ故に死産児には死産児なりの特別の養育が必要であるが、死産児は霊的知識の理解の上では地上生活を少しでも体験した子より速い。
まだ子供でありながらこうした高い世界で生活できるのはそのためである。が、ただ美しく純真であるだけでは十分とは言えない。ここで一応の清純さと叡智とを身につけたら、今度は地球と関係した仕事に従事している方の手に預けられ、その方の指導のもとに間接的ながら地上生活の体験を摂取する事になる…。
私は最初この話を興味本位で聞いておりました。ところが其の呑気な心の静寂を突き破って、この都市へ来たのは実は其の事を知るためだったと言う自覚が油然と湧いてきました。
私にも実は一度死産児を生んだ経験がるのです。それに気付くと同時に私の胸に其の子に会いたいと言う気持ちがとめどもなく湧いてきました。“あの子もきっとここに来ているに違いない〝そう思うや否や私の心の中に感激に渦が巻き起こり、しばしば感涙にむせびました。その時の気持ちはとても筆には尽くし得ません。
側に仲間がいる事も忘れて木陰の芝生にうずくまり、膝に顔を押しあてたまま、湧き出る感激に身を浸したのでした。親切なその仲間は私の気持ちを察して黙って私の肩を抱き、私が感激の渦から抜け出るのを待っておりました。
やがて少し落ち着くと、仲間の一人が優しくこう語ってくれました。「私もあなたと同じ身の上の母親です。生きた姿を見ずに逝ってしまった子を持つ母親です。ですから今のあなたのお気持がよく判るのです。私も同じ感激に浸ったものです。」
それを聞いて私はゆっくりと顔を上げ、涙にうるんだ目をその友に向けました。すると友は口に出せない私の願いを察してくれたのでしょう。すぐに腕を取って立ち上がり、肩を抱いたままの姿勢で木立の方へ歩を進めました。ふと我に返って見ると、その木立の茂みを通して子供たちの楽しそうなはしゃぎ声が聞こえてくるではありませんか。多分私はあまりの感激に失神したような状態になっていたのでしょう。
まだ実際には子供には会っていないのにそんな有様です。これで本当に会ったら一体どうなるだろうか。―私はそんな事を心配しながら木立に近づきました。
表現がまずいなどと言わないでおくれ。そう遠い昔の事ではありません。その時の光景と感激とが生き生きと蘇ってきて、上手な表現などとても考えておれないのです。地上にいた時の私は死産児にも霊魂があるなどと考えても見ませんでした。ですから、突如としてその事実を知らされた時は、私はもう……ああ、これ以上書けません。どうか後は適当に想像しておくれ。
兎に角この愚かな母親にも神はお情けを下さり、ちゃんと息子に会わせて下さったのです。私がもっとしっかりしておれば、もっと早く会わせていただけたでしょうにね。
最後に一つだけ大切な事を付け加えておきましょう。本当はもっと早く書くべきだったんでしょうに、つい感激にかまけてしまって……その大切な事と言うのは、子供がこちらへ来るとまずこちらの事情に慣れさせて、それから再び地上の事を勉強させます。地上生活が長ければ長いほど、こちらでの地上の勉強は少なくて済みます。死産児には全然地上の体験がない訳ですが、地上の子である事に変わりは有りませんから、やはり地球の子としての教育が必要です。
つまり地上へ近づいて間接的に地上生活の経験を摂取する必要があるのです。勿論地上へ近づくにはそれなりの準備が必要です。また、いよいよ近づく時は守護に当たる方が付いておられます。死産児には地上の体験がまるでないので地上生活を体験した子に較べて準備期間が長いようです。
やはり地上生活が長いほど、又その生活に苦難が多ければ多いほど、それだけこちらでの勉強が少なくて済み、次の勉強へ進むのが速いようです。
勿論これは大体の原則を述べたまでで、ここに適用される時は其の子の性格を考慮し、その特殊性に応じて変更され、順応されます。
ともかく全てが上手く出来あがっております。では神の祝福を。お休みなさい。
第3節 童子が手引きせん
1913年10月20日 月曜日
引き続きカストレル様の都市の見学旅行中の話です。中央通りを歩きながら私は何故この都市には方形の広場が多いのか、そしてその広い中央通りの両側にある塔の様に聳える建物が何のために建てられているのかを知りたいと思っていました。
その中央通りの反対側の入り口に到着してやっと判ったのは、その都市全体が平地に囲まれた非常に高い台地にあると言う事でした。案内の方のお話によりますと、そこに設けられている塔からなるべく遠くが見渡せるようにと言う事と、周りの平地の遠い住民からも其の塔が見えるようにと言う配慮があるとのことでした。
そこが其の界の首都で、全てがそこを焦点として治められているのでした。
帰途も幾つかの建物を訪れ、何処でも親切なおもてなしを受けました。その都市ではカストレル様のお住まいで見かけた以外に子供の姿はあまり見かけませんでした。ですが時折そこここの広場で子供の群れを見かけます。
そこには噴水があり、周りの池に流れ落ちて行きます。池の水はその都市を流れる大きな川につながり、無数の色彩と明るい輝きを放散しながら、下の平地へ滝となって落ちて行きます。その滝の流れはかなり大きな川となって平地をゆったりと流れて行きますが、其の川のあちこちで子供たちが水遊びをして遊んでいるのを見かけたのです。
しきりに自分の体に水を掛けております。私は其の時はあまり深く考えなかったのですが、そのうち案内の方から、あの子供達はあのような遊びをするように奨励されているとの話を聞かされました。と言うのは、そこの子供たちは死産児としてきたので体力が乏しく、あの様な遊び方によって生体電気を補充し体力を増強する必要があると言うのです。
それを聞いて私が思わず驚きの声を上げると、その方は「でも別に何の不思議もないでしょう。御存じのように、私達の身体には血も肉もないのにこうして肉体と同じように固くて実態が有ります。また現在の私達の身体が地上時代より遥かに正確に内部の魂の程度を反映している事もご存じの筈です。
その点あの子供達の大半がやっと成長し始めたばかりで、それを促進する為の身体的栄養が要るのです。別に不思議ではないと思いますが」とおっしゃいました。
別に不思議ではない―言われてみれば確かにその通りです。私は先に天界を“完成された地上の様な所”と表現しましたが其の本当の意味が今になってようやくわかってきました。多くの人間がこちらへ来て見て地上とあまりよく似ている事に驚く筈です。
もっとも、ずっと美しいですけど。大抵の人間は地上とは全く異なる薄ぼんやりとした影の様な世界を想像しがちです。
が、よく考えてごらんなさい。常識で考えてごらんなさい。そんな世界が一体何の意味がありますか。それは段階的進歩ではなく一足飛びの変化であって、それは自然の理に反します。
確かにこちらへ来てすぐから少し勝手が違いますが不思議さに呆然とするほどは違わないと言う事です。特に地上生活でこれと言って進歩のない生活を送った人間が落ち着く環境も地上とは見分けがつかない程物質性に富んでおります。
そういう人間が死んだ事に気づかない理由はそこにあります。低い界から高い界へと向上するにつれて物質性が薄れて行き環境が崇高さを増して行きます。しかし地上性を完全に払しょくした界、地上生活とまったく類似性を持たない界に到達する霊は稀です。特殊な例を除いてまずいないのではないかと思っております。が、
この問題について私は断片的な事を言う資格は有りません。何しろ地上生活と全く異なる界に到達していないどころか、訪れてみた事もないからです。
今居る場所はとても美しく、私はこの界の美と驚異を学ばねばなりません。学んでみると、実は地球はこの内的世界が外へ向けて顕現したものに他ならず、従って多くの細かい面に置いて私達および私達の環境と調和している事が判ります。もしそうでなかったら、今こうして通信している事もあり得ない筈です。
そして又、―私みたいな頭の良くない人間にはそう思えると言う事までの事ですが―もしもあなた方の世界と私達の世界に大きな隔たり、巨大な真空地帯のようなものがあるとしたら、地上生活を終えた後、どうやってこちらへやって来れるでしょう。
その真空地帯をどうやって横切るのでしょうか。でも、これはあくまでも私自身の考えです。そんな事はどうという事はないかもしれません。ただ確実に言える事は、神と神の王国はひとつしかない事、それは、死とは何か、その先はどうなっているのかについての理解が遥かに深くなるであろうと言う事です。
死後の世界にも固い家屋があり、歩く為の道があり、山あり谷あり樹木あり、動物や小鳥までいると言う事が全くばかばかしく思える人が多い事でしょう。その動物が単なる飾りものとして存在するのではなく、実際の用途を持っております。
馬は馬、牛は牛の仕事があり、その他の動物も然りです。が、動物達は見た目に微笑ましいほど楽しく働いております。私は一度有る通りで馬に乗ってやってくる人を見かけた事がありますが、なんとなく人間よりも馬の方が楽しんでいるように見えたものです。でも、こうした話は信じて頂けそうにありませんから課題を変えましょう。
その広い市街地の建物の一つに地方の各支部から送られてくる情報を保管する図書館がありました。又、新しいアイディアを実地にテストする為の研究所もありました。更には教授格の人が自分の研究成果を専門分野だけでなく他の分野の人を集めて発表する為の講座もありました。そしてもう一つ、風変わりな歴史を持つ建物がありました。
それは少し奥まった所に立っていて、木材で出来ておりました。マホガニー材をよく磨いたような感じで、木目には黄金の筋が入っております。随分古い建物でカストレル様がその領地の管理を引き継がれるずっと前に、当時の領主の為の会議室として建てられたものです。
かつては領主がそこに研究者たちを召集され、其々に実際的知識を発表する事に使用されておりました。こんな話を聞きました。その発表会でのことです。青年が立ちあがって講堂の中央へ進み出て学長すなわち領主に向かって両手を上げて立ちました。
建っているうちにその青年の姿が変化し始め、光線が増し、半透明の状態になり、ついに大きな光の輪に包まれました。そしてその光の輪の中に高級界からの天使の姿が無数に見えます。学長が意味ありげな頬笑みを浮かべておられますが、青年にはそれが読み取れません。
彼―首席代表であり、領主の後を継ぐべき王子の様な存在でもあります―が、何か言おうと口を開きかけた時です。入口から一人の童子が入って大勢の会衆に驚いた様子できょろきょろ見回しました。
その子は光の輪のそばまできて層をなして座っている天使の無数の顔を見つめて気恥ずかしそうにしました。そしてその場から逃げだしそうにしました。そしてその場から逃げ帰ろうとした時に、中央におられる学長の姿が目に留まりました。光と荘厳さに輝いておられます。瞬間、子供は一切を忘れて、両手を広げ満面の笑みを浮かべて学長めがけて走り寄りました。
すると先生は両手を上げ腰を屈めて其の子を抱き上げ、ご自分の肩に乗せ、青年のところへ歩み寄って其の子を青年の膝の上に置き、元の位置に戻られました。が、戻りかけた時から姿が薄れ始め、元の位置に来られた時は完全に姿が見えなくなり、その場には何もありませんでした。子供は青年の膝の上にいて青年の顔―実に美しい顔立ちでした。―を見上げてニッコリと致しました。
やがて青年が立ちあがり、其の子を左手で抱き、右手を其の頭部に当てて、こう言われました。
「みなさん聖書に“彼らを童子が手引きせん”と言う件(クダリ)があります(イザヤ書11・6)それを今やっと思い出しました。今我々が見たのは主イエス・キリストの“顕現”(*)であり、背所の言葉通り、この童子は主の御国から贈られた方です。」そう述べてから童子に向かい「坊や、さっき先生に抱かれて私に所まで連れて来られた時、先生は坊やに何とおっしゃいましたか」と尋ねました。
(これまでの顕現と種類が異なり、これは霊界に“変容現象”見るべきであろう。イエス自身、地上時代丘の頂上で変容した話がマタイ⑰・マルコ9に出ている)
すると子供は始めて口を開き、子供らしい言い方で、大勢の人の前で気恥ずかしそうにしながらこう言いました。
「僕が良い子としてお兄さんの言いつけを守っていたら、時々あの先生がこの都市(マチ)と領土(クニ)になる新しい事を教えて下さるそうです。でも僕には何の事だか良く判りません。」
それは青年も他の生徒たちも最初は判りませんでした。が、青年は閉会を宣し、其の子を自宅へ連れて帰ってその意味を吟味しました。その結果彼が辿りついた結論は、あれはエリとサムエルの物語(サムエル)書1・3と同じだと言う事でした。そして事実その結論は正しかったのです。
その後其の子は研究所やカレッジの中を自由に遊び回る事を許されました。少しも邪魔にならず、面倒な質問もせず、反対に時折厄介な問題が生じた時など其の子が何気なく口にした言葉が問題解決のカギになっている事があるのでした。
時がたつにつれて、其の事があの顕現そもそもの目的だった事が理解できました。つまり子どもの様な無邪気な単純さの大切さを研究生達は学んだのです。特殊な問題の解決策が単純であるほど全体としての解決策にも通じるものがあると言う事です。
他にも学生達がその“顕現”から学んだものはいろいろとありました。例えばキリスト神は常に彼らとともに存在する事、そして必要な時は何時でもお姿をお見せになる事。これは、あの時、学生の中から姿を現わされた事に象徴されておりました。又広げた両手は自己犠牲を意味しておられました。
あの後光が象徴したように、荘厳さに満ちたあのコロニーに置いてさえも自己犠牲が必要なのです。其の後、あの童子はどうなったか―彼は例の青年の叡智と霊格が成長するにつれて生育し青年が一段高い界へ赴いた後、青年の地位を引き継いだという事です。
さて以上の話は随分昔の事です。今でもそのルールは存在します。内側も外側も花で飾られて、常によく手入れされております。しかし講演や討論には使用されず、礼拝場として使用されております。その都市の画家の一人が例の“顕現”のシーンを絵画にして、地上でも見られるように祭壇の後ろに置いてありました。
そこにおいて主イエスを通しての父なる神への礼拝が良く行われます。それ以上に盛大に行われるのはあの顕現の時の青年が大天使として、今では指導者格となっている例の童子を従え、あの時以降青年の地位を引きついだ多くの霊とともに、そこに降臨する事があります。そこに召集されたものは何か大きな祝福と顕現がある事を察知します。
しかしそういう機会に出席できるのはそれに相応しい霊格を具えたものに限られます。一定の段階まで進化していない者にはその顕現が見えないのです。
神の王国は何処も光明と荘厳さに満ちあふれ、素晴らしいの一語に尽きますが、其の中でも驚異中の驚異と言うべきものは、そうやって無限の時と距離を超えて宇宙の大霊の存在が顕現されると言う事実です。神の愛は万物に至ります。あなたと私の二人にとっては、こうして神の御国の中の地上界と霊界と言う二つの間のベールを通して語り合えるようにして下さった神の配慮に其の愛を見る事が出来るのです。
第4節 炎の馬車
1913年10月21日 火曜日
カストレル様の都市についてはまだまだお話しようと思えば幾らでもあるのですが、他のも取り上げたい問題がありますので、あと一つだけ述べて、それから別の話題へ移りたいと思います。
宮殿のある地域に滞在していた時の事です。そこへよく子供達が遊びに来ました。その中には私の例の死産児も含まれておりました。他の子供たちは其の子の母親つまり私と仲間の四人と会うのが楽しみだったようです。そして私達がそれまで訪れた土地の話、特に子供の園や学校の話をすると、飽きることなく一心に聞き入るのでした。
来る時は良く花輪を編んでお土産に持ってきてくれたのですが、実はその裏にはゲームで一緒に遊んでもらおうと言う下心があったのです。もちろん良く一緒に遊んであげました。その静かで平和な土地で可愛い幼児とはしゃぎまわっている楽しい姿は容易に想像して頂けると思います。
ある時あなたも子供のころ遊んだ事のあるジョリーフーバーゲームに似た遊びで、子供たちと向かい合っている子供たちが突然歌うのを止めて立ちつくし、私達の頭越しに遠くを見つめているのです。振り向くと、その空地の端の並木道の入口のところに、他でもない、カストレル様のお姿がありました。
笑みを浮かべておられます。風采からは王者の威厳が感じられますが、其の雰囲気には力と叡智が渾然となった優しさと謙虚さが有る為に見た目には実に魅力があり、つい近づいてみたくなるものがあります。こちらへゆっくりと歩を進められ、それを見た子供たちが走り寄りました。すると一人一人の頭を易しくなでておられます。
やがて私達のところへ来られると「ご覧の通りガイドなしで一人でやってきましたよ。何処におられるのかはすぐ判りますから、ところで悪いのですが、遊びを中断して頂かねばならない用事が出来たのです。あなた方もぜひ出席していただきたい儀式がもうじき催されます。こちらにおられる“小さい子供さん”」はそのままゲームを続けなさい。
あなた方“大きい子供さん”は私と一緒に来てください。とユーモラスにおっしゃるのです。
すると子供達は私達の方へ駆け寄ってきて、嬉しそうに頬にキスをして、用事が終わったらまたゲームをしに来てね。と言うのでした。
それからカストレル様の後について、頭が届きそうなほど枝の垂れ下がったトンネル状の並木道を進み、やがてそこを通り過ぎると広い田園地帯が広がっていました。そこでカストレル様は足を止めてこうおっしゃいました。「さてずっと向こうを見て御覧なさい何が見えますか。」
私達五人は口をそろえて、広いうねった平野と数々の建物、そして向こうには長い山脈の様なものが幽かに見えます。と答えました。
「それだけですか。」とカストレル様が聞かれます。
私達は目立ったものとしてはそれだけですと答えると「そうでしょうね。それがあなた方の視力の限界なのでしょうね。いいですか。私の視力はあなた方より発達していますから、其の山脈のさらに遠くまで見えます」良く聞いて下さいよ。ここから私の視力に映っているものを述べて行きますから。
その山脈の向こうに一段と高い山脈が見え、さらにその向こうにそれより高い山頂が見えます。建物が建っているものもあれば何もないものもあります。私はあの地方にいた事があります。ですから、あそこにも、ここから見ると小さく見えますが、実はこの都市を中心とした私の領土全体と同じくらいのひろさの平野と田園地帯が有る事を知っております。
私はいまその中に一つの山の頂上近くのスロープを見つめております。地平線ではありません。あなた方の視力の範囲を超えたところに位置しており、そこにこの都市よりもはるかに広くて壮大な大都市が見えます。
その中央へ通じる道の入り口がちょうど我々の方を向いており、その前は広い平坦地になっております。今の通路を騎馬隊と四輪馬車の列が出てくるところです。集合し終わりました。いよいよ出発です。今その中からリーダーの乗った馬車が進み出て先頭に位置しました。命令を下しております。群衆が手を振って無事を祈っております。
リーダーの馬車が崖の淵まで来ました。そして今その崖を離れて宙を前進しております。それを先頭に残りの隊が付いてきます。さあ、此方へ向かっていますよ。私達も別な場所へ行って到着の様子を見ましょう。
何の為にやってくるのか、誰ひとり尋ねる者はいませんでした。畏れ多くて聞けなかったのではありません。お聞きしようと思えばどんな事でもお聞き出来たのですが、なぜか以心伝心で納得していたようです。ですがカストレル様は一応私達の心を察して「皆さんはあの一隊が何のためにやってくるのか知りたがっておられる様ですが、その内分かります。」とおっしゃって歩を進められ、私達も後についてその都市を囲む外壁のところまで至り、そこから平地の向こうの丘の方へ目をやりました。が、さっき述べたもの以外は相変わらず何も見えません。
「隊の姿を誰が一番見つけますかな」とカストレル様がおっしゃいます。そこで私達は目を凝らして一心に見詰めるのですが、一向に見えません。その内私の目に遥か山脈の上空に星が一つ輝いて見えたような気がしました。それと時同じくして仲間の一人が「先生、あそこに見える星はここに来た時には無かったように思います」と大きい声で言いました。
「いえ最初から有ったのですが、あなたには見えなかっただけです。では、あなたが最初ですか、見えたのは」と聞かれます。
わたしはどうも“私にも見えておりました”とは言いたくありませんでした。先に言えば良かったのでしょうけど。するとカストレル様は「私にはもう一人見える方がおるような気がするのですがね。違いますか」と言って私の方を向いてニッコリされました。私は赤くなって何だか訳の判らぬ事を口ごもりました。するとカストレル様が、
「宜しい良く見つめていてください。他の方もそのうち見え始めるでしょう。あの星が現時点では数界を隔てた位置に有ります。まさかあの界まで見える方がこの中におられるとは予想しませんでした」とおっしゃって、私達二人に向かれ、「ご成長を祝福申し上げます。お二人は急速に進歩を遂げておられますね。この調子でいけばきっと間もなく仕事の範囲も拡大されます」と言って下さいました。二人はそのお言葉を有難く拝聴しました。
さて気がついて見ますと、その星がさっきよりずっと明るく輝いて見え、みるみる大きく広くなって行きます。その様子を暫く見続けているうちに次第にそれが円盤状のものでなくて別の形のもので有る事が判り、やがてその形が明瞭になってきました。それは竪琴(リラ)の形をした光のハーブと言うべきもので、まるでダイヤモンドを散りばめた飾りのようでした。が、段々接近すると、それが騎馬と馬車と従者の一団で、その順序で私達の方角へ向けて虚空を疾走しているのでした。
やがて都市の別のところからも歓声が聞こえてきました。同じものを発見したのです。
「あの一隊がこの都市へやってくる目的がそろそろお判りでしょう。」とカストレル様はおっしゃるので、
「音楽です」と私が申し上げると、
「その通り。音楽と関係があります。とにかく音楽が主な目的です」とおっしゃいました。更に近づいたのを見ると、その数は総勢数百名の大集団でした。見るも美しい光景でした。騎馬と炎の馬車―古い伝説に出てくるあの炎の馬車は本当にあるのです。
―それが全身から光を放つ輝かしい騎手に操られて天界の道を疾走してきたのです。ああ、その美しいさ。数界も高い天界からの霊の美しさはとても私達には叙述出来ません。其の中の一番霊格の低い方でもカストレル様と並ぶほどの方でした。が実はカストレル様はその本来の光輝を抑え、霊格を御隠しになっておられました。
それはこの都市の最高霊で有ると同時に一人の住民でもあるとのご自覚をお持ちだからです。ですが、高級界からの一隊がいよいよ接近するにつれてカストレル様のお姿にも変化が生じ始めました。お顔と身体が輝きを増し、訪問者の中で一番光輝の弱い方と同じ程度にまで輝き始めました。
何故カストレル様が普段この天界の低地の環境に会わせる必要があるのか。私は後で考えて理解がいきました。それは、こうして普段より光輝をまされたお姿を目の前にしますと、まだまだ本来の全てをお出しになっておられないのに私達にはとても近づき難く、思わず後ずさりされられるほどだったのです。おっかないと言うのとは違います。意外さに思わず……と言うよりほかに表現のしようが有りません。
一隊はついに私達の領土の上空まで来ました。最初の丘陵地帯と私達の居る位置との中ほどまで来た時、速度を緩めて徐々に編隊を変えました。今度は……の形(*)を取りました。そして遂に都市の表面入口の前の広場に着陸しました。
カストレル様すでに私達から離れておられ一隊が着陸すると同時に表面入口からお付きの者を従えて歩みでられました。光に身を包まれて……と表現するのが其の時の印象に一番近いでしょう。王冠は嘗て見た事もないほど光輝を増しております。
腰につけられたシンクチャー(帯の一種)も同じです。隊長(リーダー)の近くまで来るとそこで跪かれました。カストレル様より遥かに明るい光輝を発しておられます。馬車から降りられるとカストレル様に急ぎ足で歩み寄られ、手を取って立ち上がらせ、抱き寄せられました。
その優雅さと愛に満ちた厳かな所作に、一瞬全体がシーンと静まり返りました。その抱擁が解かれ、私達に理解できない言語での挨拶が交わされてから、カストレル様が残りの隊へ向かってお辞儀をし、直立の姿勢で都市の外壁の方へ向かれ片手を挙げられました。
すると突如として音楽が鳴り渡り全市民による荘厳なる賛美歌が聞こえてきました。前に一度同じような大合唱のお話をした事がありますが、それとは比較にならない厳かさがありました。この界があの時より一界上だったからです。其の大合唱と鐘の音と楽器の演奏の中を二人を先頭に一隊から都市の中へ入って行きました。
こうして一隊はカストレル宮殿へ向かう通りを行進し、いよいよ例の並木道へ入る曲がり角で隊長が馬車をとめ、たちあがって四方を見回し、手を挙げて沿道の市民にその都市の言葉で祝福を述べ、それから並木道へと入り、やがて一隊とともに姿が見えなくなりました。
でも駄目ですね、私は。今回の出来ごとの荘厳さを万分の一でもお伝えしようと努力してみましたが、惨めな失敗に終わりました。実際に観たものは私が叙述したものより遥かに遥かに荘厳だったのです。私が主として到着の模様の叙述に時間を費やしたのは、今回の一隊の訪問については良く理解していなかったからです。
それは私ごとき低地の住民には理解の及ばない事で、その都市の指導的地位にある方や偉大な天使が関わる問題です。
せいぜい私が感じ取ったのは、あのコロニーの中で音楽の創造に関わっている人の中でも最高に進化した人々による研究に主に関連していると言う事だけです。それ以上の事は判りません。勿論私以上に語れる人が他にいるでしょうけど。
さっき出なかった言葉“惑星”です。編隊を変えた後の形の事です。いえ“惑星”ではありません。“惑星系組織”です。地球の属する太陽系なのかどうか―多分他の太陽系でしょうが、私にはよく判りません。
今夜はこれでお終いです。祝福の言葉をお待ちのようですね。では神の祝福を、目をまっすぐに見据えて理想を高く掲げる事です。そして私ども世界の本当の栄光に較べれば、地上で創造しうる限りの最高の栄光も、太陽に対するローソクの様なものでしかない事、それほど霊の世界の栄光は素晴らしいことをお忘れにならぬように。
第5節 “縁”は異なるもの
1913年10月22日 水曜日
もしも地球が一個のダイヤモンドか真珠の様なものであったら、太陽や星の光を反射して地球の周りがどんなにか明るく輝く事でしょう。勿論地球に輝きがない訳ではありません。少しは輝いております。ただ表面上にツヤがない為に至ってお粗末なものに見えます。その輝きと真珠の輝きとを比較して頂けば、地上生活と私達が今いる光と美の境涯、いわゆる“常夏の国”(*)との違いが想像して頂けると思います。
(*嘗ては“常夏の国”が天国とされていたが、近代の霊界通信によってそれがまだまだ霊界の入口あたりに過ぎない事が明らかになってきた。本通信でも“天界の低地”に属し、善と悪、暗黒界と光明界の二面性がある事が窺える)
この常夏の国の平野や渓谷に遠く目をやっておりますと、地上の大気による視覚への影響を殆ど忘れております。最も地上独特のものでこちらに存在しないものを幾つか思い出す事は出来ます。例えば距離です。
距離感覚はぼやけて行くのではなく、少しずつ消失していくのです。樹木や植物は地上のようにシーズンが来ると咲きシーズンが終わると枯れて行くと言うのではありません。何時も咲いております。
それを摘み取っても随分永い間は生き生きとしております。やがて萎れると思うとそうではなく、これもいつの間にか大気の中へ消滅して行くのです。大気は地上と同じような感じがしますが、必ずしも無色透明ではありません。カストレル様の都市は何処か黄金の太陽の光の様なものに包まれております。モヤではありません。
それが視力を妨げる事もありません。それどころか、他の様々な色彩を邪魔することなく一切を黄金の光輝の中に包み込んでいるのです。うっすらとしたピンク、あるいは青色をしている地方もあります。各地方に独自の色調又は感じがあって、それがそこの住民の本性と性向と仕事の特徴を表しているのです。
大気の色調はこの原理に基づいているようです。が同時に、其の色調が住民の言動に反映しています。他の地域を訪れるとそれが良く判ります。霊格が高くなると、その土地へ足を踏み入れるとすぐに、そこの住民の一般的性向と仕事の内容が判るようになります。
と同時にその人もすぐにその影響を受ける事になります。勿論根本的性格は変わりません。感覚的な面で影響を受け、それがすぐに衣服の変化となって表れます。
こちらでは地上での御縁が全て生かされております。ふとした縁、行きずりの縁も意味があるものです。人生におけるあらゆる出合いが何らかの影響を及ぼしております。たまたま隣り合わせに腰掛けた人と交わした会話、偶然の出会い、ふと買い求めた一冊の本、友人の紹介で握手を交わし、それきり生涯会う事のなかった人等々、全てが記憶され、考慮され、整合されて、必要に応じて利用されます。今回の私とS婦人との関係もその一つの例と言えましょう。
ですから、日常の行為の一つ、言葉の一つにも気をつけなくてはいけません。神経質になるのではなく、常に人の為を思いやる習慣を身につける事です。何時でも、何処でも親切の念を出し続ける習慣です。これは天界では大変重要なことで、それが衣服に明るさを、そして身体に光輝を与えるのです。
ではお休みなさい。この挨拶は“良い夜”をお過ごしくださいと言う意味ですから地上の方には意味がありますが、私達には意味がありません。こちらでは“善”を愛するものにとっては全てが“良い”事ばかりであり、絶対的な光に満ちておりますから“夜”が無いのです