第31章 野望の結末
月がこうこうと照りわたる頃、イエスとシモンはエリコに向かって出発した。こんな穏やかな月光のもとであっても、荒野の夜は恐怖にみちていた。ジャッカルやハイエナがうろついており、周囲は無気味な陰影をうつしだしていた。そそり立つ崖の下では、今にも人間をおしつぶしてしまうような脅威におそわれた。
イエスとシモンは、まるで牢獄の中に閉じ込められているような気がして、心が沈んでいた。もうこれ以上進めないと知り、地上に横になった。飢えきったハイエナがうろうろしていることを承知の上で、安らかな眠りについた。守護天使があらゆる危険から守っているように見えた。
次の朝、目が覚めると、身も心もすっかり爽やかになっていた。そこからエリコはそう遠くなかった。エリコは、ちょうど窪地のど真ん中に在り、エメラルドのように美しい緑地帯であった。しかし、周囲は茶褐色の砂漠に囲まれており、うっかりさまようものなら、渇きがこうじて気が狂ってしまう程であった。イエスはつぶやいて言った。
「ここは実に不思議な所ですね」
「でもエリコへ入れば天国ですよ」
二人は山岳地帯から平地へ降りて行き、オレンジ、メロンを栽培している所を歩いていった。途中で大きな棕梠(しゅろ)の木陰で休んだが、できるだけ急いで先に進んだ。
エリコの町の中には熱心党の寄り合う家があった。それはザカリヤという男の家である。二人はそこでローマの手先から逃がれてきた者の情報を知り、久しぶりに食物にありついた。逃げてきた唯一の党員は、イスカリオテのユダであることを知った。彼は憎悪と怒りにたけり狂っていたそうである。目の前で首領の兄が殺されたからである。
ユダは真夜中にやってきて三時間ほど眠ると、またでかけて行ったそうである。他の仲間にローマ軍の手入れがあることを知らせるためである。このようなことをザカリヤは話してからは、ユダは昼頃ここに戻ってくると言った。これを聞いたイエスは、すっくと立ち上がりシモンに言った。
「私の後についていらっしゃい」
二人はその家の主人に別れを告げると、一気に棕梠の木立の所へやってきた。そこは、町から見えにくい所にあった。棕梠の木立はヘロデ王の宮殿に近く、王宮の庭をかこむように繁っていた。真昼どきであったので、王宮の者はみんな昼寝をしていて、そこには誰一人見当たらなかった。イエスは、シモンに初めて自分の心を打ち明けた。
イエスは、人間が悪い夢を見ると、ろくでもないことばかりが起こり、苦しみ、殺人、暴力などの原因となることを多く語った。イエスは続けて言った。
「このような人間のあわれな生きざまを見て、昔の預言者は次のようなことを言っております。『空の空、すべて空しい』てね。ですから昨夜の出来事を見てつくづくと思いましたよ。何といってもこの世からあのような悲劇を無くすためには、日ごろから霊性を磨き、神の道を歩く努力をしなければならないんですよ。
私は、かつて人里はなれた山で暮らしながら神の道を求めている預言者と話したことがあるのです。私も一人きりになって真理を見いだしたいのです。今は、アサフの死によって深い悲しみにひたっています。
正直に言って、彼は私の成長を妨げておりました。でも彼にとって私が言ったことは、生命の糧になっていたのです。
あんなに喜びの生活を送れるように導いても、一瞬にして暴力によって吹き飛んでしまうものなんですからね。私は本当にアサフのことを思うと、実に悲しくなります。そんな訳ですから、もうあなたともここでお別れしましょう。私はもっと確実な答えを見いだすために、遠い国に行かねばならないんです」
シモンは大声で叫んだ。
「先生! 私は地の果てまで、あなたの後に従っていきたいのです」
「それはいけません。ユダがあなたを必要としているのがよく分かっているからです。ここが本当に友情を示すときであると思います。考えてもごらんなさい。ユダのような誇り高い男が、夢を破られ、かたなしになってしまったではありませんか。みんな憎しみと欲望のなせる業なのです」
シモンは言うことを聞かず、しつこくイエスに迫った。ついにイエスは命令するように、厳格な態度をとったので、シモンも仕方なく引き下がったのである。
二人は、しばらく祈りをした後、シモンは言った。
「ザカリヤの家に行くことにします。ユダに何か伝えることはありませんか?」
「そうそう、彼にこう伝えて下さい。人の子は、生命を滅ぼすためではなく、それを救うためにきたのです、とね」
「それだけですか?」
「それだけで充分ですとも。世の造られる始めの頃より、人はこれと正反対なことをやってきました。このことに気づくまでは、決して天の王国は、人々の心に宿ることはないでしょう。残念ながら、人々の心は、目の前の欲と権力に目がくらみ、心配事で身動きができなくなっているのです」
イエスはこう言ってからシモンに命令するように言った。
「昨日のことは誰にも言ってはなりません。この荒野で熱心党の者が集会を開き、イスカリオテのユダが権力に憧れていたために、罪のない者までも死なせてしまったことをね」
ずっと後になって、この二人が(ユダとシモン)イエスの弟子となってからも、この約束はきちんと守られていたのである。シモンとユダは、このことで深くかかわりあっていたのである。
そんな訳で、イエスの他の十人の弟子たちは、このことについて全く知るよしもなかった。〝海の道〟という荒野で、ローマ軍による虐殺があったこと、しかもイエスがイスラエルの王になり、ユダが総理大臣になるという大それた計画をユダが持っていたことを。
イエス自身も、このことについては一言もふれなかった。ユダとシモンを怒らせたくなかったからである。しかし、生涯の最後の一瞬に、ユダはサタンに襲われ、不幸な預言が的中してしまったのである。
第32章 失意の旅立ち
安息日の翌日、一日の仕事を終えたクローパス家の息子たちは、山へ出掛けて行った。マリヤはただ一人、その日の疲れをいやすために入り口の所で座っていた。どろまみれになった一人の男が彼女の方へ近づいてきた。
近くまできたとき、その顔を見ただけで、かなり衰弱していることが分った。それで彼女は、何も言わずに家の中へ入れ、水がめを持ってきて足を洗ってやり、黙って彼の前にパンとぶどう酒を準備した。ほかの女なら、きっと何も言わないこの男を責めるに違いない。
しかしマリヤ・クローパスは、疲れきった彼の顔を見て、実際の年齢よりも十年以上ふけこんでいるように思った。何か訳がありそうであったが、彼女はたずねることを遠慮していた。男は悲しみにうちひしがれたイエスであった。
イエスが再び旅行用の杖を手にとり、靴をはこうとすると、マリヤはもう我慢ができず、彼のもとに掛け寄って叫んだ。
「待ちなさい! イエスよ! 私が食糧を袋に詰め、靴のひもを修繕するまで待ちなさい!」
彼女はエリコへの危険な旅がどうであったのか知りたかったけれども、なにも聞かず黙々と旅立ちの支度を始めていた。それがかえってイエスの閉ざされていた心を慰めた。イエスは後ろを振り返って言った。
「こんなによくして下さったことを感謝しています。特になんにも聞かないで私の痛みにふれようとされなかったことを嬉しく思います。私の悲しみが余りにも深すぎて何も語れないのです。本当にごめんなさいね」
後になって彼女は、夫クローパスに語ったことによれば、このとき彼が味わった虐殺の光景は、彼が生まれてはじめて体験したもので、この時から彼の性格が変わってしまったという。いままでの明るい性格が、彼の青春と共にすっかり消されてしまったのである。
人間不信に陥ったイエスは、二度と熱心党のやからに巻き込まれないようにエジプトへ行き、『伝道の書』(旧約聖書)の冒頭に記されている言葉、〝伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である〟という意味を知るために旅立って行った。もしもこの世がこの言葉どおりならば、彼は世を捨て、先の隠者のようになり、神との交わりだけに専念し、二度と人間とは接触しないことを心に決めていた。
叔母にあたるマリヤ・クローパスにとって、イエスは自分の子供よりも大切な存在であった。彼女は暖かい言葉でイエスを包み、かいがいしく旅の支度をして、頬に接吻した。旅の安全を祈りながら。
イエスは月の出る頃に旅立って行った。マリヤは長い間イエスの後姿を見送っていた。その後、主人のクローパスがナザレから帰って来た。マリヤはイエスがエジプトへ行ったことを話した。虐殺事件に巻き込まれるよりは、いち早くガリラヤから出ていく方がよいと語りあった。
第33章 エッセネ派での修行
パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派の人々は、それぞれの流儀で神を拝んでいた。イエスがガリラヤにいた頃は、エッセネ派はおおよそ三千人から四千人もの修道者が属していた。
ある者は町に住んでいながら、外部の人々とは全く接しなかった。ある特定の場所に共同生活を営む者もいた。
少数の者が荒野に生活し、神を見いだそうとしていた。エッセネ派の人々が余りも純粋で気高い生活をしているので、パリサイ派やサドカイ派の人々は、面目を失っていた。エッセネ派の人々は、一切外部のひととは口をきかなかったが、パリサイ派やサドカイ派のやり方の中で、一つだけ非難の対象となるものがあった。
それは神殿の祭壇の上で、動物を犠牲に供していたことである。しかも仰々しい儀式や規則づくめで行われることであった。エッセネ派では、一切の儀式や規則などは、神が望まれるものではないと信じていたからである。
彼らにとって唯一の実践は、祈りと断食であり、これを最も大切に考えていた。彼らは毎日何度も沐浴(体をきれいに洗う)した。内的清純の象徴として常に体をきれいに洗うことを怠らなかった。沐浴をしていれば、死後、西方浄土へ行けるとも信じていた。エッセネ派の人は、日の出を迎えるまでは、一切口をきかなかった。
日の出を寸前に迎えようとしている時は、どこにいても、その場にひざまずき、瞑想を続け、日の出の瞬間には一斉に〝永遠の光〟という聖歌を歌うのである。光は神からやってきて、万物を養うという意味である。
この善良な人々にとって、日の出のひとときは、まさに聖なる瞬間であった。この世を旅している者に対して、神がこの瞬間に肉体と悪から解きはなってくれる瞬間でもあった。
パリサイ派とサドカイ派は、光の子らを極端に嫌っていた。かといって、彼らには、人々を感服させるような実践力はなにもなかった。余りにも世俗的であったので、エッセネ派を公然と責めることができなかった。
エリコから余り遠くない山ぎわに、隠者たちの住居があった。ずいぶん昔のこと、シャンマイとエノクという若い隠者が数人の仲間と一緒に修行をつんでいた。彼らは砂漠や荒野をさまよい、しばしば飢えと渇きに悩まされた。
しかしモーセとアロンの故事にあったように、彼らはついにエホバの神が示した場所を発見することができた。
不毛な土地のど真ん中に洞穴があって、そこから水が湧き出ていたのである。彼らはそれを〝生命の水〟と名付けた。その周辺にぶどうやいちじくを植えると、見事に実り、緑地となった。彼らは苦労を惜しまず、徐々に仕事を進め、ついにその地に〝信仰の家〟を打ち建てることができた。
次第にその名が知られるようになり、当代髄一の修道会にまで成長していった。
シャンマイとエノクは、思想と実践に関する正しい規則をつくり、弟子たちに守らせた。非のうちどころのない生活をすることによって、他の教団の模範となった。彼らは富を嫌い、すべてのものを平等にわけあった。
イエスは幼いときからエッセネ派のことをよく知っていたので、マリヤ・クローバスには、いつか自分もそこに行って、エッセネ派のことを深く学びたいと言っていた。
ある夏の日が暮れようとしている頃、ぶどう畑の中で仕事の指示をしていたシャンマイは、谷間の方からこちらにやってくる旅人の姿を見た。旅人は疲れきっていて、その場に倒れてしまった。急いで二人の若い修道者を走らせて、館の中に運び込ませた。しばらくして、ひんやりとした大きな部屋に寝かされていた旅人は目をあけた。
体をきれいに洗ってもらい、薬草を飲んだので、すっかり元気を取り戻した。旅人は自分からナザレ人イエスであると名乗った。そのときシャンマイは、この若者の言動に不思議な感動を覚えたと、後になってエノクに語ったそうである。
シャンマイは威厳と風格のある隠者であったので、イエスは彼に心を開き、実はエジプトへ行く途中であると語った。シャンマイは言った。
「平和もなく、神の祝福から遥か遠くにある異郷の地に行かれるとは、どうしたことでしょう。若いお方よ、私が察するに、どうやら、あなたの魂は、この世の雑事に疲れ果てているように思えるのですが。・・・私もね、若い頃には、あなたのようにひどい人間たちによる暴力などを目撃してからは、荒野にやってきて、やっと平和になれたことを覚えています。私もずいぶんローマ軍に苦しめられたり、殺されたりした人々を見たものです。
しかもパリサイ派の連中が、ただ口先だけで、ローマに媚びているのも聞きました。ですから、自分の魂を保つためには、世俗から離れ、世俗を我が物顔に牛耳っている悪霊から離れて暮らさなければなりません。少なくともメシヤが到来するまではね」
イエスはシャイマンに尋ねた。
「では私のことをあなたの仲間に加えていただけるのでしょうか。私もあなたのおっしゃるように、自分の魂を安らかに、天の王国で過ごしたいのです」
シャンマイはじっとイエスの顔を見詰めてから答えた。
「どうやら、あなたの中に妙な力が働いているような感じが致します。その力が働いて、あなたはここから出ていかれるような予感がするのです。我々の教団にはどうしてもなじめないものをもっておられるようですね。
何かとても数奇な、物凄いことがあなたの将来に待ちうけているような予感も致します。そんなあなたを迎えると、我々の平和まで脅かされるのではないかと心配でなりません。ですから、どうぞとは言えないのです」
イエスはとても悲しかった。シャンマイはイエスが苦しんでいることを感じながらも、自分が予知したことを言わずにはおられなかった。そして、とりあえず、ここで三日三晩留まることを許し、その後正式な返事をすると言った。そんな訳で、イエスはエッセネ派の人々と三日間過ごすことになった。
日の出の前に起床し日の出の光が差し込むまで祈り、共に歌い、神を礼拝した。一日に四回も小川のほとりで身を清め、大きな部屋で食卓を囲み、エノクが朗読する聖書の言葉を聞きながら食事をした。
昼間は、ぶどう畑で労働を続け、夕方になると汚れた白い衣服を洗濯した。祈りの時間には、熱心に祈るのであるが猛暑の中での労働の疲れで、居眠りをする者もいた。
間もなくイエスは、熱心な態度と彼の不思議な霊の輝きに魅せられて、修道者たちから〝忠実な信仰者〟という最高の評価を受けるようになった。ついに四日目の朝がやってきた。
エノクは他の修道者の願いをシャンマイに話していた。イエスを仲間に加えてほしいこと、それが駄目ならば、少なくとも三年間の猶予期間を与え、その間に彼が本当に教団になじめるかどうかを調べようという提案であった。シャンマイは言った。
「私は賛成できません。でもそれがみんなの意思であれば、しかたありません。それに従いましょう」
エッセネ派の修道者は、みんな喜んだ。それで一同の前で、イエスは誓約の宣誓をした。
「私は、ここにおられるすべての方々に対して、真実と忠誠を尽くします。そして神の定められた権威に従います」
それから祈りが続き、修道者たちはイエスに白い衣服を着せ、ついにイエスはノビス(見習い修道者)となった。
その夜エノクはシャンマイと庭を歩きながら、どうしてイエスを責めるのかと尋ねた。シャンマイは言った。
「私はイエスを責めているのではありません。恐れているのです。どうも私の霊が騒ぐのです。彼は平和ではなく、剣をもたらすという霊示を受けているのです。
私が入神すると、決まってイエスが群集の真っ只中におかれ、騒乱と暴力のすさまじい光景が浮かぶのです。何ということでしょう! 私の心は深く傷つけられ、その残酷な光景に痛むのです。ですからイエスがここにいる間は、私の心が痛み続けることになるでしょう」
エノクには返す言葉がなかった。エノクはありのままのことをイエスに伝えた。『イエスは、平和ではなく、剣をもたらす』というシャイマンの言葉は、とても信じられないものであった。イエスは頭を横に振って言った。
「私の将来については全く知るよしもありません。ただ、過去においては、たしかに他の人々と強調できなかったのは事実です。時として人々を怒らせ、妬みを抱かせ、こともあろうに、イスカリオテのユダの場合には、凄惨な虐殺にまで発展したのです。だからこそ私は世俗から離れ、平和を見いだしたいのです。
エッセネ派こそ、平和の使節であり、永遠にそれを保つ教団であると聞いておりました」
イエスが苦しんでいることを察知したエノクは、イエスを懸命に慰めた。エノクは、一生ここに留まって教団の規則を守っていけば、必ず神と共に平和に過ごせると言った。
イエスは教団の規則を忠実に守る生活を始めた。朝はまだ暗いうちに起き、日の出まで瞑想し、小川で沐浴し、ぶどう畑で働き、最も大切な規律である祈りと断食を徹底的に守り抜いた。シャンマイは、イエスに何一つ非難できるものをみいだせなかった。エノクはイエスが一つでも過ちをおかせば、シャンマイは直ちに教団を去らせようと虎視たんたんとしていることを知っていた。
エッセネ派で作られたぶどう酒は、エルサレムで商人に買い取ってもらうことになっていた。その金で、冬じゅう教団にとって必要な食糧を買い入れるのである。その年の秋がやって来た。シャンマイはイエスを呼んで言った。
「イエスよ、今回はあなたがエルサレムに行って、ぶどう酒を商人に渡すのです。その商人はハガイと言って、あなたが行けばお金を手渡してくれることになっています」
イエスは、この役目だけはずしてもらいたいと懇願した。イエスは言った。
「あなたもご存じの通り私は世俗を離れる決心をしています。他のことなら、どんな辛いことでも喜んでいたしますので、これだけは勘弁してください」
シャンマイは言った。
「それはなりません! 私には訳があってこのことを命令しているのです。ここにいる修道者は、みな自分の弱点を克服しなければならないのです。あなたは世俗を恐れています。だからこそ、それに打ち勝つためにあなたをエルサレムに行かせるのです」
「わたしは世俗を恐れてはいません。人間を怒らせてしまうのだけなのです」
イエスはここまで話しているうちに、これ以上話すことを止めてしまった。シャイマンに逆らえば、教団から追い出す口実を与えることに気づいたからである。それでイエスは、シャイマンの前にひざまづいて言った。
「道中の旅路の安全をお祈りください」
第34章 良きサマリア人
夜明けにイエスは旅立つ支度をした。二日分のパンと水を用意した。旅にでかけるときは、お金も下着も靴も何も持っていかないのがエッセネ派のきまりであった。旅先の町々には、彼らの同志が住んでいて、エッセネ派に属しているものが尋ねてくれば、何くれとなく世話をしてくれるのであった。
イエスはエルサレムで、このような同志の家に滞在し、商人から約束の財布を受け取った。この旅では、同志のヨエルという兄弟と一緒であった。エリコに向かって帰る途中、彼らは岩だらけの荒野にさしかかると、刃物を持った男たちが現れ、夕暮れの静けさを破った。
ヨエルはすっかり震え上がり、どこかへ逃げてしまった。四人の荒くれ男はイエスを引き倒し、着物を剥ぎ取り、半殺しにしたままで路上に放り出した。盗賊たちは財布を抜き取り、山の方へ引き上げていった。
そこにレビ人(訳者註-神殿で神に仕えている祭司を助ける補助者で、名門の出身者)がイエスのそばを通り掛かった。イエスは虫のような声でレビ人に助けを求めた。しかし彼はイエスの方をチラリと見ただけで、通り過ぎて行った。
次に権力も金もある神殿勤めの祭司がロバに乗ってやってきた。祭司は一瞬立ち止り、哀れな眼でイエスを見下ろしていたが、通り過ぎて行った。こんな者とかかわったら、どんなひどい目にあうか分からないと思ったからである。
イエスはもうこれで最後かもしれないと諦めていた。暗闇があたりを覆い、飢えた野獣が洞穴から出てきて、食い物をあさっていた。
しばらくすると、一人のサマリヤ人(訳者註-同じ民族でありながら、歴史的事情によってユダヤ人と敵対関係にあった者)がやってきた。サマリヤ人はユダヤ人から虫けらのように軽蔑されていた。同じ先祖でありながら、モーセの律法を捨ててしまったからである。このサマリヤ人は、ロバから降りてきて、イエスのもとに駆け寄った。
全身傷だらけで、意識を失っていることを知ると、彼は自分のロバにイエスを載せ、谷間の宿屋まで運び、傷の手当てをした。寝かされたイエスは高熱を発し、苦しみもだえていた。サマリヤ人が宿屋を出ていく時に、宿屋の主人にお金を渡しながら言った。
「これであの方の必要なものをまかなってくれませんか。もしこれで足らなければ、この次に立ち寄る時に支払いますから」
四日ほどたってからイエスの熱は下がり、順調に傷が治っていった。宿屋の主人は、サマリヤ人のことをイエスに詳しく話してくれた。
「わしらはここで長い間、たくさんの人を知っているが、この人みたいな方ははじめてですよ。右手のしていることを左手に知らせようとしないのですからね。あの方は私にこう言うんです。
自分の名前は絶対に言わないように、そして、もう一度ここにきて、まだあなたがおられる時は、顔を合わせないようにする、とね。あのサマリヤ人がそんなことを言うんですからね」
「私が倒れていたとき、実はレビ人と祭司が通り掛かったんです」
「ああ、あの方たちなら、私も知っていますよ。なにしろモーセの律法をよく守っている聖人ですからね」
イエスはすかさず尋ねた。
「三人のうちで、どなたが一番神様の目に叶ったでしょうね。あのサマリヤ人ではないでしょうか」
「とんでもない! サマリヤ人は大酒のみで、断食なんかやらないんだ! 奴らは人間ではないからね!」
後になって、イエスの弟子がこの話を聞いてから、お互いに顔を見あわせながら言った。
「なるほど! うちの先生が我々に断食させない理由がよくわかったよ。あのサマリヤ人のことが、良い手本になっているんだよ」
実はそれよりも、もっと大きな理由があった。イエスが弟子たちに断食を止めさせた本当の理由は、エッセネ派の指導者シャイマンの忠実な弟子アスラとの出会いにあったのだ。
この男は、斎日(断食をする日)でもないのに、断食をまめにやって、自分の肉体をこらしめていた。みんなは、彼の崇高な生き方を誉めたたえた。イエスがこの教団へ入るまでは、アスラの名は、尊敬の別名で通っていた。
日の出に彼らはアスラのまわりに集まり、彼が聖書を読み、読んだ個所について説教をした。ところがイエスが入ってきてからはイエスの寓話の方が面白く、しかも神のことをよく理解できるので、次第にアスラの周りから修道者が去っていった。最後には二人の老人だけが残ることになってしまった。それでアスラは腹を立て、イエスは教団のルールを破るものであるとシャイマンに抗議した。イエスはシャイマンに呼び出された。
その頃のシャイマンは、一同からはなれ、瞑想ざんまいの生活をしていた。彼は来たるべきメシヤの幻が与えられるまで、断食と祈りを続け、肉体が弱りきっていたので、とげとげしくイエスに言った。
「我々は、肉体の感覚を喜ばせるようなことをやってはならないことを知っているだろう。アスラが言うには、おまえは、修道者たちに汚らわしい物語を話しているそうではないか。なんでも、一輪の花を摘み取ってきて、花の生命のことを語り、最後には〔野のユリの栄光を見よ〕などと言ったそうではないか」
「はい、そのとおりです」
「それはよくない。もし修道者が、ゆりの花の美しさを見たら、心がdき乱され、段々と女性のことを連想し、大きな誘惑となるかもしれない。アスラが言うには、更に、ランプの火にまつわる賢い女と愚かな女の話をしたそうだな。
なんと汚らわしいことよ! もう二度と女性のことを連想させるような話をしてはならんぞ! 我々はそのような世俗から全く離れていることを知りなさい!」
「何をおっしゃいますか! 女性は私たちの母ではありませんか」
シャイマンは、このことでかんかんに怒りだし、明日にでも教団を出ていくように命じた。イエスの顔をじっと見つめているうちに、自分が全く理不尽な理由でイエスを追放する訳にはいかないことに気づき、シャイマンは新たに、四週間同志から離れて暮らすように命じた。
イエスは忠実に彼の命令に従ったので、再びもとの生活に帰ることができたのであるが、もう二度と寓話を話すことはしなかった。そのかわり、「はい」と「いいえ」だけを口にするように決心した。
これも後に弟子のヨハネに語ったことであるが、それからのイエスは、労働のときは、歌を歌うように努め、大いに同志の慰めと喜びになったそうである。再び腹を立てたアスラはこれには抗議できなかったという。この歌はすべて神をたたえる歌だったからである。
春がきて、夏も過ぎ去った。ぶどうの収穫も終わった頃、イエスとアスラは再びエリコへ行った。例年のように、商人から金を受け取り、その金で穀物を買うためである。二人がぶどう酒を商人に渡してから一時間ほど待つように言われた。
それでアスラは近くの棕梠の木の下で腰をおろし、瞑想を始めた。ふと森の中を見ると、三人の子供が一人の子供をいじめているので、イエスは近寄り、彼らの仲裁をした。イエスは子供に様々な話を聞かせてやった。子どもの母親たちもやってきて、イエスの話を熱心に聞いていた。ついにアスラも瞑想を止め、イエスの話に聴き入った。
さて二人は帰ってきてシャンマイに金を渡すや否や、アスラはイエスが棕梠の木の下で行ったことをすべて報告した。このナザレ人は又規則を破り、ろくでもないことを子供に話して聞かせたと言った。シャンマイはイエスに言った。
「我々エッセネ派の者は世俗を捨てているのだ。二つの世界を生きることはできないんだよ。神のみに仕え、神のみと交わるのだ」
「幼子は違います」
「彼らも人の子だ。この世に属するもの者だ」
「幼子が私のところに近づくのを止めないで下さい。天国は彼らのような者がいるところだからです」
この言葉を聞いたシャンマイは怒りだし、耳を覆いながらウロウロと歩き回った。平静さを取り戻そうと努力している様子であった。シャンマイはアスラを見て、席を外すようにうながした。アスラは悲しそうに出ていった。シャンマイは自己の醜さを悟り、イエスと二人きりで話したいと思ったからである。シャンマイは沈痛の思いで語りだした。
「あなたの話を耳にして古傷が痛み出したのです。実は、私にも子供がいて、みんな暴力沙汰で殺されてしまったのです。そのときから私は世俗にいることが厭になり、逃げてきたのです。
私の心の中に憎しみを抱き続けてきたのです。しばらくの間、憎しみの心が眠っていましたが、今また目を覚まし、烈しく私をおそうのです。あなたの言葉は本当に正しいのです。私の子供たちは天国にいるのです」
シャンマイは泣き伏し、衣で涙を濡らした。イエスの言葉によって慰められたシャンマイは言った。
「隠者の生活はあなたには適していません。あなたの光を桝の下に置いてはなりません。(マタイ伝・5の15)過去の経験を活かす使命が待っておられます」
「清い生活を保つために世俗を捨てたのではないですか?」
「私の場合はあなたと全く違います。世を捨てなければ、再び悪霊が襲いかかり憎しみの心にむしばまれてしまうでしょう。荒野に逃れ、教団を形成してから、やっと平和がやってきたのです。しかし、あなたは違います。
あなたそのものが光なのです。ですからそれをここで隠してしまうのは、神の御心に反することです。あなたの光を人々の前で輝かすのです。さあ! これから世に出ていくのです! それで世が受け入れない時は、再びここに帰っていらっしゃい」
このときのシャイマンは、実に賢者そのものであり、イエスは彼の知恵に驚嘆した。イエスは天の御父と共にあることを身近に感じ、ナザレに向かった。
第35章 使命にもえる
マリヤ・クローパスはイエスを暖かく迎え入れた。ナザレでの生活は、一層明るく、よろこびに満ちていた。イエスの歌声は鳥よりも美しく響き、笑い声は子供たちよりも無邪気であった。
ある晩のこと、マリヤ・クローパスが山にでかけていたので、イエスが夕食の支度をした。イエスはとても料理が下手で、おまけに塩を入れ忘れたので、とても食べられたものではなかった。マリヤはカラカラと笑いながら言った。
「あなたのこしらえたこの世の食物はとてもまずいけど、昔私たちに食べさせてくれた天の食物はとてもおいしかったわ」
食事をすませてから、イエスはその日の詩篇(訳者註-旧約聖書に収められている百五十編の宗教誌)を歌った。
喜びに満たされたマリヤは、目を閉じて聞いていたが、まだ日が暮れてもいないのに、あたりが真っ暗になったように感じた。マリヤの耳にすすり泣く女の声が聞こえてきたが、その姿は見えなかった。
更に女の声は、〔イエスは木に吊るされる〕と三度も言うのであった。マリヤは急に立ち上がり、大きな声で叫んだ。
「あなたは聞きませんでしたか? 三度もですよ!」
「いいえ、なにも聞こえませんよ」
「私の耳がどうかしたのかね。どうしたというんでしょう」
「そのとうりですよ」
イエスは何度も尋ねたが、マリヤは恐ろしさのあまり答えなかった。そのかわり彼女は、アザレにいた預言者が、だいぶ前に語っていたことを口にした。
「彼は荒野からヨルダン川にやって来る。そして人々に悔い改めを呼びかける。人々は彼を神の使者といい、ある者はメシヤだと言っていた。多くの人々がエルサレムから、そしてユダヤ全国からやってきて罪を告白した。ヨハネという聖者が川で洗礼を施す。それは悔い改めの洗礼と呼ばれている」
イエスはつぶやいた。
「それは本当ですか? 私が待ちに待っていたことなのですが」
マリヤはなおも続けて言った。
「彼は荒野の洞穴の中で生活している隠者である。一人の旅人が彼のもとにやってきたが、ヨハネは野生の動物のように、押し黙っていた。彼は沈黙の誓いを立てていたからである」
「えっ! 沈黙の誓いですって!」
「彼はラクダの毛皮を身につけ蜜といなごを食べていた」
イエスは立ち上がり、大きな溜め息をつきながら言った。
「やっぱり天の御父は私をこの世に遣わそうとしておられたのだ! ぐずぐずしてはいられない明日にでも出発することにしよう」
「あなたは帰ってきたと思ったら、また直ぐ旅立って行くのね。鳥に定まった木がないように、あなたには寝ぐらがないのよ」
「私はその聖者を知っています。彼こそ私の使命をはっきりさせてくださるお方です」
イエスの顔は光り輝いていた。彼はマリヤを通して与えられた神の御告げに感謝した。
旅立ちの朝がやってきた。イエスとマリヤ・クローパスは、別れを惜しんだ。イエスにとっては、いよいよ手ごわいパリサイ人や律法学者たちとの戦いが始まるのである。
頭がすっかり白くなってしまったマリヤ・クローパスは、なにも言うこともなく、ただイエスの旅に祝福を祈るしかなかった。イエスが去ってから彼女はさめざめと泣いた。心から愛していた者が行ってしまったからである。
第36章 イエスの受洗
ここ数年間、荒野にひきこもって沈黙を続けてきたヨハネは、ついに民衆の前に顕れ、多くの言葉を雄弁に語りだしたので、たくさんの人々がヨハネのもとに集まってきた。そこはヨルダン川のほとりで、旅の途中に足を止どめる人が多かった。
新しい預言者が現れたという評判がユダヤ全土に広がり、もしかしたら本当のメシヤかもしれないというので、ユダヤ中から大勢の人が押し寄せてきた。彼らは、暑さも空腹も忘れてしまうくらい霊的に満たされ、大いなる光に包まれていた。ギラギラと照りつける太陽も、少しも苦にならなかった。彼らはすべてのものを忘れて聞き惚れていた。
ヨハネは確信をもって叫んだ。
『長いあいだ待ち続けてきたキリストが、聖霊にて洗礼をほどこすために、近いうちにやってくる』
群集の中に、パリサイ人の姿を見るや否や、烈しい口調で叫んだ。
「まむしの子孫たちよ! おまえたちに臨(のぞ)もうとしている神の怒りから逃れられるとでも思っているのか!」
ヨハネは律法の権威者であると自任しているやからに痛烈な非難をあびせかけた。それは、まるで天空を駆け巡る稲妻のように鋭く、あるいは神の正義の剣のような恐ろしい響きをもっていた。この様子を見ていた善良な民衆は、心ひそかに喝采を送っていた。
ヨハネはヨルダン川で多くの人に洗礼をほどこした。彼らはまず自分の罪を告白し、悔い改めの心をあらわし、これからは全く新しい人間として生きることを約束した。
ヨハネは言った。
「私は、あなた方に洗礼をほどこしたが、私の後からおいでになる方は、私ですらその方の靴の紐を解く値打もないほど偉大なお方である。そのお方は、小麦の殻を振り分けて、不滅の火でやきつくすように、偽善者どもを滅ぼしてしまうのだ」
一同はシーンと静まりかえり、誰一人として身動きする者もいなかった。よく見ると、ヨハネの顔から光を発し、まばゆいばかりに変容していた。悪意のかたまりのようなパリサイ人やサドカイ人は怒りにふるえていた。
ふとヨハネの前に不思議な人物が立っている姿が映った。幼な子のようなうるわしい目付きをしていた。神の使者であったヨハネの心が大きく動いた。民衆の目も彼のほうに注がれた。ヨハネは突然彼の前へ行き、地上にひれ伏した。
何を願っているのか民衆には分からなかった。この静けさを破るように、一人のパリサイ人がヨハネにつめよった。
「あなたはキリストでもなくエリヤの再来でもないというのでしたら、一体何の権威を以て洗礼をほどこしておられるのですか?」
「見よ! ここに立っておられる方こそ、私が預言したお方である」
ヨハネはこれだけ言ってから何も言わず、民衆の前から立ち去っていった。民衆の信仰は、柳のように揺れやすく、わずかな風でいとも簡単にゆらいでしまうのであった。民衆は口々に罵って言った。
「奴はエリヤでもなく、キリストでもないんだ、おれたちはなにしにここにやってきたんだろう!」
居合わせたパリサイ人やサドカイ人は、ずるがしこく民衆を扇動した。
次の日、朝早くヨハネは川のほとりに立っていると、そこへイエスが洗礼を受けにやってきた。ヨハネはイエスの不思議な力と清らかな威厳を思いだしながら言った。
「私の方こそあなたから洗礼を受けさせて下さい!」
「今回だけは、私を困らせないでください。これもすべて神の正義を実現させるためなのですから」
イエスと共にヨルダン川の中に入っていった。民衆はヨハネの身の上に何か起こるのではないかと目を注いでいた。ある者はその場にひざまずき、顔を伏せた。しばらくすると、不思議な変化がイエスの上に現れた。水の中から出てくると、イエスはまるで太陽のように輝いていた。不思議な霊の光がイエスを包み込んでいた。
彼は霊体そのものであった。その瞬間に民衆の心から疑いが去っていった。彼らの魂は歓喜に躍り、身を震わせた。しかしその理由は知るよしもなかった。ただヨハネがキリストの先駆者の役割を果たす人物であることを知った。
彼らは洗礼の場面を見ているうちに名もない一人のナザレ人の姿が変容している事実を目撃したからである。しかし彼らは、このときに起こった奇跡のすべてを見たわけではなかった。それでも彼らにとって一生忘れることのできない鮮明な光景であった。ヨハネだけが天空が開け、神の聖霊が鳩のように降り、イエスの頭上で輝いているのを見たのである。
さらにヨハネは、天から響いてきた声を聞いた。
『これは我が愛する子、わが喜びである』
霊の光と共に、イエスは民衆の方へ向かった。民衆は彼のために道をあけた。ある者にはイエスの光が見えなかったけれども、彼の話はすべての人の心をひきつけた。イエスが人垣をわけながら歩いていると、イエスの話に驚嘆した者が頭を下げて挨拶をした。彼らは、まるでそびえ立つ木の前にいるような思いで彼の説教を聞いていた。
物音一つたてる者はいなかった。彼はゆっくりと、やさしく話した。その言葉には聖霊の知恵がふんだんに盛り込まれていた。彼は疲れを知らない者のように話し続けた。
日が沈んでから民衆はやっと解散した。イエスはそこで数人の名を呼び、弟子として自分についてくるように言った。民衆はイエスの弟子のことを〝ナザレ派〟と呼ぶようになった。弟子の中には、イスカリオテのユダもいた。彼は、この集団を新しきイスラエルの秘密結社にしてほしいと要求した。
洗礼者ヨハネはイエスの弟子となった者がお互いに同志であることを表すサインを考えてほしいとイエスに言った。イエスは手にしていた杖で地上に十字架の形を描いてみせた。
「このサインにいたしましょう」
ヨハネはびっくりして叫んだ。
「この印は、弟殺しのカインのものではありませんか! 実の弟を殺し、その額に十字架の形をしるした、悪のレッテルではありませんか!」
「そのとおりです。だからこそ、そのサインを採用したいのです。私の弟子たる者は、各々十字架の印を身につけて私に従ってきてほしいのです。世の罪をみんなで担ぐのです」
「なんとおっしゃいますか、よく分からないのですが」
イエスは丁寧に答えた。
「カインは、実の弟を手にかけて殺した。人類最初の殺人者です。彼にそうさせたのは、人間の飽くことのないどん欲です。人類はこれによって、お互いに争い、みにくい闘争を繰り返しているのです。しかも手段を選ばないのです。
神の平和は、人々の心から遥か彼方に遠のいてしまったのです。だからこそ、私たちの手で、流血の印であった十字架を、人類救済の印に変えてしまうのです。あがないの印にしてしまうのです」
「えっ! どうしてそんなことができるんですか?」
「実際、この印ほど最悪の出来事を連想させるものはないでしょう。エバが神に背いた罪などは較べようもありません」
「では、どうしたらよいのでしょうか?」
「平和の道を歩むのです! 隣人を愛することによってローマに打ち勝つのです! 新しきイスラエルよ! 聖霊の与えたもう知恵によって、アベルの血をほうむり去ってしまいなさい!」
ヨハネはイエスの言ったとおり、これしかサタンの強力な武器を粉砕する方法はないことを悟った。このようないきさつで、イエスの弟子たちは十字架の印を使うようになった。ついに殺人を表す十字架の印は、キリストを表すものとなった。
第37章 洗礼者ヨハネの死
イエスは独りで荒野へ行った。そこで四十日四十夜断食を行った。彼はそこであらゆる誘惑によく耐えぬいた。サタンを征服し、地獄から襲ってくる悪霊の集団をことごとく蹴散らした。この戦いの間に、彼は神の使命を明確の悟り、心の準備を終え、聖霊に満たされてガリラヤに戻ってきた。イエスの名声は次第に広がっていった。
イエスは会堂(ユダヤ教の礼拝所)で教えを説き、ヨハネから洗礼を受けたナザレ派の人々から崇められるようになった。イエスの選んだ弟子のうち、十一人までは忠実であったが、イスカリオテのユダだけが孤立していた。
妬みが強かったからである。イエスはつとめてヨハネ、ヤコブ、ペテロの三人と親しく話さないようにした。
イエスが荒野でサタンに試みられていた頃、洗礼者ヨハネは投獄されていた。ヨルダン川のほとりで教えを説いていたヨハネは、昔活躍した預言者エリヤの再来であると噂されていたので、ユダヤの王ヘロデはヨハネに会いたいと願っていた。世なれた人々に取り巻かれていたヘロデは、聖者の話を聞いて心に喜びを感じていた。
悔い改めの説教に感動したヘロデは、従来の生活態度を改め、ぜい沢な暮らし方を止めて、貧乏人たちのために食物や衣服などを与えるようになった。宮廷の貴族たちは不満をつのらせ、〝浮浪者ヨハネ〟のせいだと、ひそかにささやきあっていた。
ヘロデの変身のお陰で、派手な宴会は取りやめになり、悪行にふけることができなくなったからであろう。彼らはただ王の変身を恨むばかりであった。再び王の前に呼び出されたヨハネは言った。
「おおむね順調にはこんでおられるようですが、まだ神のお許しがいただけるところまでは至っておりません」
ヘロデはその理由を熱心に尋ねた。ヨハネは大胆に答えた。
「兄弟の妻を自分のものにすることは、明らかに神の律法に背くことです」
ヘロデは怒り、そして悲しんだ。まわりにいた家臣たちの手前もあり、ヘロデは即刻ヨハネを投獄した。それからヘロデの心は悲しみと苦しみに襲われた。宮中の者もみんな渋い顔をしていた。ヘロデはヨハネをとても恐れていた。
ヨハネは正しい人であることを知っていたからである。だからこそ、神の預言者から新しく生きる道を求めようとしたのである。ついにヘロデは兄弟の妻ヘロデヤを遠ざけてしまった。
ヨハネが牢獄にいる頃、二人の弟子が訪ねてきた。二人は新しきイスラエルを目指すグループが次第に大きくなっていく様子を話した。しかしヨハネは少しも興味を示さず、黙って聞いているだけであった。二人の話が終わってから、ヨハネは複雑な心境を訴えた。
「イエスに洗礼をほどこしているとき、天から響いてきた言葉は、確かに神の御声であったのか、『これは我が愛する子、我が喜ぶ者である』とな。これが本当であればイエスは確かにキリスト(救世主)であるはずだ。
しかし荒野で生活していた頃には、サタンの誘惑によくひっかかり、神の御声と取り違えたものだ。あれは本当に神の御声であったのだろうか。心配でならんのだ」
二人の弟子は、イエスが行っている様々な奇跡について語り、ガリラヤじゅうにイエスの名が行き渡っていることを力説した。それでもヨハネは、かつて洞窟に訪ねてきたときの若いイエスのことを思いうかべ、満足できなかった。それで二人の弟子を通じてイエスに質問をさせることとなった。
<あなたは本当に来たるべきお方なのですか、それとも他の方を待つべきなのでしょうか>と。
その頃イエスは、多くの病人を癒していたので、多くの人々がイエスのもとにやってきた。それでイエスは、二人のヨハネの弟子に自分たちの目で実際に目撃したことをヨハネに伝えなさいと言った。彼らは自ら体験したことをヨハネに告げた。
「私たちは、おどろくべき真理、神の愛する子としての権威を見てまいりました。ただただ目を見張るばかりでありました」
ヨハネは大いに喜んで言った。
「ユダヤ中の人々に伝えなさい! イエスこそまことのキリストであると!」
その夜からヨハネには、もう心の平和をdき乱すものはなくなっていた。
蒸し暑いある日の午後、ヘロデは昼寝をしていた。ヨハネを憎んでいたヘロデヤ(兄ピリポの妻)が宮中の守衛を買収し、ヘロデヤの娘をヘロデの寝室に忍び込ませた。ヘロデはいつものように夢でうなされていた。目をあけると、美しい少女が立っているのが見えた。彼女はヘロデのまわりをしなやかに歩き回った。そして次第に遠ざかっていった。
完全に目を覚ましたときには、少女の姿はなかった。ヘロデの目に、この美しい少女の姿が焼き付いてはなれなかった。彼の肉体は、ヨハネの教えとの間に板ばさみになって、もだえ苦しみ、ついに自制できなくなっていた。そんなときにヘロデの誕生日がやってきて、久しぶりに貴族や家臣を集めて宴会を催した。
ヘロデの命令で、ヘロデヤの娘に舞を踊らせた。ヘロデは大いに喜び、満足した。側近のものも、彼女の美しさを褒めたたえた。興奮したヘロデは少女に言った。
「何でも欲しいものがあったら言いなさい。私の国の半分をやってもよいのだぞ」
しかし彼女はその場では答えず、一旦母親のところへ行き、なんと答えたらよいかと聞いた。ヘロデヤはすかさず娘に言わせた。
「大皿の上にヨハネの首をのせて渡してください」
ヘロデは驚き、その場でうなってしまった。しかしガリラヤ中から招待された客人や家臣の手前をはばかり、王としての約束を破るわけにもいかないので、即刻死刑執行人を獄につかわすことにした。そのときは、すでにヨハネに平和が訪れてから三日がたっていた。
死刑執行人は斧でヨハネの首をはね、大皿の上にのせ、少女の手に渡した。少女はそれを母親に渡した。
ヘロデにとって楽しい日々は長続きしなかった。ヨハネは昔の偉い預言者エリヤであると思われていたので、その噂を耳にするたびに、ヘロデは苦しんだ。ヘロデは衣服を裂き、大声をあげてわめきちらした。
「わたしがヨハネの首をはねてしまった。やつが化けて出てくるにちがいない」
彼は、昼も夜も恐怖におびえていた。彼は一番尊敬していた人物を殺してしまったからである。
第38章 ユダの正体
イスカリオテのユダは、どうしても自分の夢を捨てきれなかった。彼はローマと戦うことによって平和な王国ができると思っていた。彼はいつも父がローマ兵に殺されたことを憎んでいた。しかし、そのことを他人には話そうとはしなかった。シーザーの大軍と闘うためには、ナザレ派にもっと大勢の若者を加えなければならないと考えていた。
イエスは山の上で教え始えた。
『義のために迫害される者は幸いである。天国は彼らのものである。平和をつくりだす者は幸いである。彼らは神の子とよばれるであろう』
そのほか、様々な教えを説いて聞かせていた。ユダは、いつか祈りを見て、自分の企てをイエスに打ち明けようとチャンスを狙っていた。
イエスはまた、金銭に対して全く執着しなかった。金銭は当時の権力者(シーザー)をあらわすものであったからである。それでイエスは、一銭も持とうとはしなかった。明日のことは全然心配しなかった。
ユダは例外であった。彼は会計係を受けもち、イエスを慕ってくる者が差し出す金を預かっていた。ピリポという弟子が注意深くユダを監視していた。
献金の半分がどこかに消えていることを弟子たちは知らなかった。ユダは、ひそかに武器を買ってエルサレムの近くに隠していた。このことは、ユダが死んでから分かったことであるが、彼はこのために一人の若者を雇い、必死になって新しきイスラエル実現のために軍団を用意していたのである。
ある日の夕方、例によって大勢の人々が山の上でイエスの話を聞いていた。みんなは空腹であったが、食べ物が手に入るようなところではなかったので、イエスはそのことを心配していたピリポに尋ねた。
「この人々に食べさせるパンはどこで手に入れようか?」
ピリポは頭を抱えこんでしまった。彼はかぼそい声を出しながら、二百デナリの大金をつんでだとしても焼け石に水であると答えた。
ある者が五つのパンと二匹の魚を持ってきたので、イエスはそれを分配するように弟子たちに命ずると、何と、五千人の人々にゆきわたり、みんな満腹した。弟子たちがパンくずを拾い集めると十二の籠に一杯になった。ユダはこの光景を見て、度肝を抜かれてしまった。
自分の目で実際に見たことを疑うことはできなかった。世俗の力しか信じられなかったユダの心は激しく揺れた。
次の日イエスは弟子たちを集め、イエスが抱いている抱負について語った。それは、新しきイスラエルの民を新天地に導いていくという話であった。そこでは、ローマに税金を納める必要もなく、金、武器、宮殿、ぜいたくな着物などは必要でなく、みんなで働いて得たものは、みんなで分け合う王国であると言った。
これはユダの心を試すために語られたのである。イエスはユダの顔をじっと見つめながら言った。
「私は、おまえの魂のことを思うと今でも心が痛むのだ。いつになったらおまえは目が覚めるのか?」
ユダは心の中をすべて読み取られていることを恐れた。彼はイエスの顔をまともに見られなかった。彼は一人で寂しいところに行き、はげしく泣いた。
シモンが心配になり、ユダの後を追い、彼を慰めようとした。ユダはシモンに言った。
「おれはもうお手上げだ。おれは一体どうしたらいいのだ」
シモンはこのことをイエスに報告した。イエスは言った。
「そうなんだ。剣を鞘におさめるしかないのだ。きっとそのうち聖霊によって悪夢から目を覚ます時がくるだろうよ」
シモンは、イエスの言った言葉を理解することができなかった。
イエスはひそかにユダを呼んで話をした。金も武器もいらない新天地のことを詳しく説明して聞かせた。そしてユダが光の道を歩むことによって、決して悲惨な結末を招かないようにと説得するのであった。
神の子としてイエスの霊眼には、始めからユダは裏切る者と映っていたのである。しかし同じ人間としてユダの魂のために天の御父に祈り、もし神の御心であるならば、イエスの説得によってユダの心が変わるように願い続けるのであった。
第39章 聖都エルサレムへ向かう
数箇月が流れた。イエスの霊力は日ごとに増していった。イエスは神よりの真理を語ったので、多くの人は彼を憎んだ。多くの信奉者も次第にイエスから離れていった。それでイエスを殺害しようとする動きが大きくなってきた。
十二人の弟子たちは早速このことついて協議した。彼らは即刻ユダヤから離れないとみんな殺されてしまうとイエスに言った。彼らはまるで狼の前で震えている羊のようであった。ユダは武器をとって立ちあがるときはまだきていないけれど、とりあえずガリラヤのどこかに身を隠すことが必要であると説得した。
弟子たちの恐怖心が絶頂に達すると、彼らはみんな逃げ腰になり、イエス一人をその場に残してもどこかに行こうと主張した。長い沈黙が続き、恐怖心があたり一面をおおっていた。ついにイエスは口を開いて言った。
「おまえたちも行ってしまうのか!」
そのときからイエスは全く孤独であることを感じた。彼はすでに喜びを失い、人間の深い悲しみを味わっていた。イエスは言った。
「世は決してあなた方を憎みはしない。私を憎んでいるのだ。私が悪の正体をあばいているからだ」
弟子たちはまだ聖霊の力を受けていなかったので、根は善良であっても恐怖心から抜け出すことはできなかった。
ユダがひそかに進めていた反乱計画は、エルサレムで思う通りに若者が集まらず、おまけにイエスに手のうちを読まれてしまったので、ただ悶々としていた。
さて、イエスはいよいよガリラヤを出発し、サマリヤを通ってエルサレムに行く決心をしていた。彼はエルサレムで教えを説くためであった。イエスは七十人の弟子団を構成して、神の国についての概要を広めさせた。
ユダはまた、ひそかに武器の番をさせていたヨエルという男に、いつでも反乱をおこせるように準備するように伝えた。ユダは性懲りもなく、もしかしたら自分の反乱計画が成功するかもしれないと思っていた。イエスが、きっと、奇跡を起こすに違いないと考えていたからである。
第40章 初日のエルサレム
生涯の最後の一週間は、エルサレムの神殿を中心に、いたるところで教えを説き、神の子の栄光を余すことなくあらわすことができた。その時イエスが語った教えについては、多くの記録があるので、ここでは実際に起った出来事だけを伝えることにする。
イエスの教えを聞いて大勢の信奉者が押しかけてきた。彼らは地の果てにまでイエスの後について行きたいと言った。この動きを見てユダは面白くなかった。彼は、早速待機させていた若者たちに武器を配り、彼の戦闘計画を話して聞かせた。
にわか仕立ての反乱分子は相談して、ユダを隠れた指導者とし、バラバという男を表向きの指導者に仕立てた。
言ってみればバラバはユダの操り人形であった。彼らは、まずアントニアの砦と、シロアムの塔を占拠しようということになった。ちょうどローマの総督ピラトは不在で、ローマ軍は手薄になっていた。ユダにしてみれば、これぞ神の与えたもうた絶好のチャンスと思い込み、これで自分の計画は成功すると考えた。
イエスは、その夜、天の御父との交わりを持ち、明け方までぐっすりと眠った。夜が明けて陽が登ると、あたり一面には一本の木もなく、はるか後方まで見通せる場所であった。イエスは子ロバにまたがり、オリーブ山からエルサレムに向かって出発した。イエスが通る沿道には、多くの人々が群がり、盛んに歓迎した。
ある者は上着を脱いで子ロバの前に敷き、ある者は木の枝を切ってきて道端にばらまいた。群衆は声をからして叫んだ。
「ダビデの子よ! 万歳! 万歳! 主の御名によりてくる者に祝福あれ! いと高きところにホザナ!」(訳者註-〝ホザナ〟とは神またはキリストを賛美する言葉)
ユダはこの光景を見て、反乱分子の若者に鼻高々と宣言した。彼こそローマに打ち勝つ勝利者であると。
イエスがいよいよエルサレムに入ってくると、町中の人々が言った。
「この方はいったいどなたなのですか?」
ある者が言った。
「ナザレの預言者だそうだ」
イエスが神殿の広場につくと、イナゴのようにイエスのまわりに群がってきた。イエスが両手を挙げて彼らを祝福した。彼が口を開くと、水をうったように静かになった。
「私は、穏やかな心とへりくだった気持ちを表すために、子ロバに乗って参りました」
イエスはみんなが待ち望んでいた神の国について話し出した。この国に入るためには、地上のエルサレムなどに憧れていないで、即刻、霊的に目覚めるように忠告した。そこで、先頃ユダに話したのと全く同じ王国のことを話した。
即ち、神の国には税金の心配もなく、戦う武器も要らず、お金も宮殿も必要ではない。そしてみんなで働いて得たものを、みんなで分け合う生活をすると話した。現在のローマもパリサイ人による行政も全く想像もできないような社会であることを強調した。
指導者は選挙によって決められ、男も女もすべて平等であること、協議会を構成して、衣食住に関する指示を行わせ、子供の必要を優先させる。人間を襲う最大の誘惑はお金であるから金銭の使用をやめ、愛を以てすべてのものが運営されるようにする、などを語った。そして最後にこうつけ加えた。
「真理があなたがたを自由にしてくれるでしょう」
初日のエルサレムでは、神殿の前でこのような話をした後で、門前で商売をしていた商人に向かって激しい怒りを発した。
「私の家は祈りの家と言われていたのに、おまえたちは、よくもまあ、盗人の住み家にしてくれたもんだ!」
民衆は固唾をのんでイエスの顔を見まもっていた。イエスは武装した守衛にはおかまいなく、長い鞭を振り回し,両替屋の台を片っ端からひっくり返していった。
その日の後半は、神の家から、神殿をだしにして金儲けをしている商人を追い払い、神殿清めをするのに終始した。ユダと若者もここぞとばかりに飛び込んできて、商人をなぎたおし、武装したローマ兵までもやっつけてしまった。
神殿の前がきれいになってから、大勢の障害者たちがイエスのもとに集まってきた。視力を失った人、手足の不自由な人、老人たちであった。イエスは心から同情し、これらの人々をすべて癒してやった。彼らは口々に神を褒めたたえ、
『ダビデの子に万歳』と叫んだ。
この様子を見ていた祭司長や律法学者はイエスに怒りを覚えたが、民衆の力を恐れ、全く手も足も出すことができなかった。ただ次のようにぼやくだけであった。
「馬鹿どものあの声はどうだ。うんざりだ!」
イエスは彼らに浴びせるように言った。
「あなたがたは、聖書に書いてあることを読まなかったのか! 幼な子と乳飲み子の口に、神を賛美させると」
それからイエスは弟子と一緒にベタニヤの町へ行き、そこで宿泊した。