第1部 生前の生き方が、死後の行き先を決める
――天国霊・地獄霊の人生ケーススタディー

第6章 みずからの怠慢と強情に苦しむ霊
(1) 怠惰な人生に対する「退屈」という罰――無為に生きた霊
一八六二年、ボルドーにて。

この霊は、自発的にコンタクトをとってきて、「お祈りをしてほしい」と言ってきた。

――どうしてお祈りが必要なのですか?
「迷っていて、どうしたらいいか分からないんです」

――もうずいぶん長いあいだ迷っているのですか?
「百八十年くらいになると思います」

――地上にいたときは何をしていたのですか?
「よいことは何もしませんでした」

――霊界ではどんな境涯にいるのですか?
「退屈している霊たちと一緒にいます」

――それは境涯とは言えないように思われますが。

「そんなことはありません。どんな心境の霊も、似た者、共感する者を見つけることができ、そうして彼らと一緒に暮らすのです」

――もし、苦しみという罰を受けていないなら、どうして、長いあいだ、向上もせずに迷っているのですか?

「私は、いわば、退屈という罰を受けているのです。これも立派な苦しみなのです。喜びでないものは、すべて苦しみではないですか?」

――ということは、自分の意志に反して、迷いの世界に置かれているのですか?

「こうしたことは非常に微妙なので、あなたがたの物質界における粗雑な知性では、とうてい理解できないでしょう」

――私に分かるように説明してくださいませんか? そうすることで、何かの役に立つことになるかもしれませんよ。

「できません。どのように言ったらいいのか――。ふさわしい言葉が見つからないのです。

地上で、生命の火を心ゆくまでしっかり燃やさなかったために、何か不全感のようなものが残っているのです。紙がちゃんと燃えないと、しっかり灰にならずに、何か滓(かす)のようなものが残るでしょう? あんな感じです。霊に、肉体の滓のようなものが付着しており、完全なエーテル体に戻れないわけです。純粋なエーテル体に戻ってこそ、初めて向上を願うことができるというのに」

――何が原因で、退屈が生じているのですか?

「地上での生き方の影響がまだ消えていないのです。退屈とは、無為が生み出すものです。私は、地上で過ごした長い年月を、有効に使いませんでした。その帰結(きけつ)をいま霊界で引き受けている、ということなのです」

――あなたのように、退屈にとらわれている霊たちは、やめようと思えば、その状態から抜け出られるのではないですか?

「いつもそうできるとは限りません。というのも、退屈が、われわれの意志を麻痺(まひ)させているからです。

われわれは地上での生き方の結果を引き受けているのです。われわれは、無用な存在として人生を過ごし、『主体的に何かに取り込む』ということをしませんでした。だから、いま霊界で、退屈しながら、みんなばらばらに生きているのです。退屈に飽き飽きして、自分で『本当に何とかしなくては』と思いはじめるまで、この状態で放っておかれるのです。われわれの中に、ほんの少しでも意志が芽生えれば、助けがやってきて、よき忠告をしてくれ、努力を支援してくれるのです。そうすれば、われわれも何とかやりつづけられるのですが」

――地上でどんなことをしたのか、ほんの少しでもいいですから、教えていただけませんか?

「ああ、それは勘弁してください。本当に大したことはしていないんです。退屈、無用、無為はぜんぶ怠惰(たいだ)から生じるのです。怠惰はまた無知も生み出します」

――過去世での修行で向上しなかったのですか?

「しましたよ。でも、大した向上はしていません。転生(てんしょう)は、だいたい、どれも似たようなものになるからです。それぞれの転生で向上します。しかし、それは実にわずかなものです。でも、われわれにとってはそれで充分なのです」

――次に転生するまで、ここに頻繁(ひんぱん)に来ていただくことはできますか?
「呼ばれたら、来ざるを得ないでしょう。でも、私にはありがたいことです」

――あなたの書体はしょっちゅう変わりますが、それはどうしてですか?

「それは、あなたが質問しすぎるからですよ。疲れるので、他の霊に助けてもらっているのです」

霊媒の指導霊からのメッセージ:「『考える』という作業が、この霊を疲れさせるのです。そこで、彼が答えられるように、われわれが協力せざるを得ないのです。この霊は、地上でもそうだったように、霊界でも無為に過ごしています。われわれは、この霊をあなたのところに連れてくることで、何とか無気力状態から救い出そうと考えたわけです。

退屈に由来する、この無気力状態は、ある意味では、激しい苦しみよりももっとつらい、真の意味での苦しみだと言えるかもしれません。というのも、いつまでも、無限に続く可能性があるからです。決して終わることのない退屈がいかに恐ろしいものであるか、あなたがたには想像できますか?

この類(たぐい)の霊にとっては、地上への転生は単なる気晴らしでしかないのです。彼らにとっては、霊界での耐えがたい単調さを破る唯一の機会が、地上に生まれ変わることなのです。したがって、善をなそうという決意もせずに、地上に生まれ変わることがあるのです。そして、また同じことを繰り返すわけです。
『本当に向上したい』という気持ちが、いつか芽生えてくるのを待つほかないでしょう」

(2) 地獄の拷問で苦しんでいる男の霊――クシュメーヌ
一八六二年、ボルドーにて。

クシュメールと名乗る霊が、ある時、自発的にメッセージを送ってきた。霊媒は、こうした霊示を受け取ることに慣れていた。霊媒の指導霊が、しばしばこのような低級霊を連れて来ていたからである。霊媒自身が教訓を学ぶこと、そして、当該霊に向上の機会を与えること、この二つがその目的である。

――あなたはどなたですか? お名前を聞いた限りでは、男性なのか女性なのか分かりませんが。

「男だ。これ以上考えられないほど不幸な男の霊だ。地獄のあらゆる拷問で苦しんでいるのだから」

――伝統的なカトリックが主張するような地獄というのは実は存在しないのですよ。従って、いわゆる地獄の拷問というものもありません。

「何をたわけたことを言っているんだ! 」

――あなたが置かれた状況を説明して頂けませんか?
「そんなことをする気は毛頭ない」

――もしかして、あなたが苦しんでいる原因の中には、エゴイズムが入っているのではありませんか?

「ふん――そうかもしれん」

もし楽になりたいのであれば、あなたのそういった悪しき傾向性を捨てる必要があります。

「そんなことは心配してくれなくて結構。お前には関係ない。それよりも、俺の為、そして他の霊達の為に、とにかく祈ってくれんかね。話はその後だ」

――しかし、まず悔い改めをしないと、お祈りの効果は殆どありません。

「祈りをせずに、そんなふうにべらべら喋っていても、俺はちっとも向上出来ないぞ」

――本当に向上したいのですか?

「多分な。だが、よく分からん。祈りが効くかどうか試してみよう。それが一番大事なことだ」

――では、安らぎを強く願って、私と一緒にお祈りをしてください。
「俺はいいから、とにかくお前がやってみてくれ」

――(祈った後で)いかがですか?
「俺が思っていたみたいにはなってないぞ」

――長い間病気をしている人に、一度、薬を与えたからといって、直ぐに治るわけではありません。

「ふん、そうかもしれん」

――また来てくださいますか?
「ああ、呼んでくれればな」

霊媒の指導霊からのメッセージ:「我が娘よ、あなたは、これから、この強情な霊には手を焼くでしょう。しかし、深い迷いの中にいない霊を救ったところで、何程のことがありましょうか。

勇気を出しなさい! 根気強く続ければ、必ずやり遂げられます。お手本を見せ、時間をかけて説得すれば、どんな罪深い霊であっても、最後には必ず立ち直ることが出来るでしょう。どんなに邪悪な霊であっても、やがては自己改善に取り組むものです。

仮に、すぐ成功しなくても、その為に費やした時間と労力は、決して無駄になることはありません。彼らに投げかけられた、よき言葉、よき考えは、必ず彼らを動かし、考えさせるからです。種を蒔いておきさえすれば、それがいつかは芽を出すのです。そして、やがては果物をならせます。ツルハシを一度打ち込んだだけでは、頑丈な岩は割れないでしょう?

このことは、よいですか、我が娘よ、生きている人間にも当てはまるのです。どんなに強く霊実在論を信じている人でも、あっという間に完璧になれるわけではないということを覚えておきなさい。信ずることは、最初の一歩に過ぎないのです。次に、本物の信仰がやってきます。そして、ようやく自己変革が可能となるのですよ。しかし、多くの人達にとっては、まず、何よりも、霊界に実際に触れてみることが大切なのです」