第1部 生前の生き方が、死後の行き先を決める
――天国霊・地獄霊の人生ケーススタディー

第4章 自殺後の試練を受ける霊
(1) 婚約者の不実に激して自殺した男性――ルイと縫い子
七、八カ月前から、ルイ・Gという靴(くつ)職人が、ヴィクトリーヌ・Rという縫い子に言い寄っていた。そして、すでに結婚の告示がなされたことから分かるように、ごく近いうちに二人は結婚することになっていた。事態がここまで進み、二人はもう結婚したも同然の気分になっていたし、また、節約の意味もあって、ルイは毎日、彼女のところに食事をしに来ていた。

ある日、いつものようにルイがヴィクトリーヌのところで夕食をとっているときに、二人のあいだに些細(ささい)なことから口論が持ち上がった。二人とも譲らず、ついにルイが怒って椅子(いす)から立ち上がり、「もう二度と来るものか! 」と捨て台詞を吐(は)いて出ていった。

翌日になると、それでもルイは謝りに来た。夜のあいだに頭を冷やしたのだ。しかし、すっかり頑なになっていたヴィクトリーヌは、ルイが抗議しても、泣いても、絶望してみせても、頑(がん)としてはねつけた。何をしても説得に応じなかったのである。

仲たがいから数日たった。ルイは、ヴィクトリーヌの気持ちもそろそろ治まっただろうと思い、これが最後のつもりで彼女を説得しに行った。彼女の家に着き、二人のあいだで決めていたやり方でドアを叩(たた)いた。しかし、ドアは開けられなかった。そこでルイは、ドア越しに、また新たに懇願(こんがん)し、新たに抗議した。だが、何をしても、すっかりかたくなになってしまったヴィクトリーヌは心を開かなかった。

「そうか、そんなに意地を張るなら、もういい。分かったよ。これでおしまいさ! 永久にお別れだ。俺以上におまえを愛してくれる別の男を見つけるんだな! それじゃあな! 」

それと同時に、ヴィクトリーヌは押し殺されたうめき声のようなものを聞いた。それから、ドアを激しくこするような音がして、その後、完全に静かになった。

ヴィクトリーヌは、ルイはドアの前で待つつもりなのだと思い、ルイがそこにいるかぎり、絶対に外には出まいと思った。

十五分ほどしたとき、借家人の一人が明かりを持って踊り場を通りかかった。そして、びっくりした声を上げ、「誰か来てくれ! 」と叫んだ。隣人たちが駆けつけ、ヴィクトリーヌもドアを開けて出ていったが、そこにルイが青ざめて倒れているのを見て恐怖の叫びを上げた。

みんなが何とか助けようと試みたが、やがてそれが無駄であることを悟(さと)った。すでにルイはこときれていたのである。ナイフは心臓まで達していた。

一八五八年八月、パリ霊実在主義協会にて。

――(聖ルイの霊に対して)ヴィクトリーヌは、図らずも恋人を死に至らしめることになったわけですが、彼女に責任はあるのでしょうか。

「あります。彼女はルイを愛していなかったからです」

――では、悲劇を避けるためだったら、嫌気のさした男とでも結婚しなければならなかったのでしょうか?

「彼女はルイと別れられるよう、機会をずっとうかがっていたのですが、実は二人の関係が始まった時点からそうだったのです」

――ということは、「彼女はルイのことを愛してもいないのに、関係を続けた」ということですか? それではルイを弄(もて)んだことになり、そのためにルイは死んだのですか?

「まさしくそのとおりです」

――彼女の責任は、この場合、彼女の過ちの度合いに比例して大きくなると思うのです。意図的にルイを死なせたという場合に比べれば、まだ責任は小さいのではないでしょか?

「それはまったく明らかです」

――「ヴィクトリーヌのかたくなさを前にして錯乱した結果、自殺した」ということですから、ルイの罪はそれほど深くないと思えるのですが。

「そうですね。ルイの自殺は、愛ゆえの自殺ですから、卑怯(ひきょう)であるがゆえに人生から逃げようとして自殺したケースに比べれば、神の目からして、それほど罪深いものとはされないでしょう」

次に、ルイの霊を呼んで、いろいろと聞いてみた。

――自分のしたことをどう思っていますか?

「ヴィクトリーヌは不実な女です。彼女のために自殺するなんて完全な間違いでした。あれはそんなことに値しない女です」

――つまり、彼女はあなたを愛していなかったのですか?

「はい、愛していませんでした。最初は、愛していると思い込んでいたようですが。でも、それは錯覚だったのです。私が騒ぎ立てたことで、彼女はそのことに気がつきました。そこで、それを理由にして私をお払い箱にしようとしたわけです」

――で、あなたはどうなのですか? 彼女を本当に愛していたのですか?

「むしろ『彼女を欲していた』ということではないでしょうか。もし、本当に彼女を愛していたのなら、彼女に苦痛を与えたいとは思わなかったはずですから」

――あなたが本当に死ぬ気でいたと知っていた場合でも、彼女は拒みつづけていたでしょうか?

「分かりません。しかし、そうは思いたくはありません。というのも、根は優しい女だからです。もし、知っていてそうしていたら、彼女はきっとものすごく不幸になっていたでしょう。かえってあんなふうになったほうが、彼女にとってはいいことだったのです」

――彼女の家のドアの前に行ったとき、もし拒まれたら死んでやろうと思っていましたか?

「いいえ思っていませんでした。あれほど強情を張るとは思っていなかったからです。彼女がかたくなになったために、私の感情が激したのです」

――あなたが自殺を悔やんでいるのは、「ヴィクトリーヌがそれに値しない女だったから」というだけの理由によるようですが、それ以外に感じていることはないのですか?

「現時点では、ありません。まだ気持ちが混乱しているのです。ドアのそばにいるように思われるのです。他のことはうまく考えられません」

――そのうち、分かるようになるでしょうか?

「たぶん、混乱が治まれば分かるようになると思います。

私がしたことはよくないことです。彼女はそっとしておいてやる必要があると思います。私が弱かったのです。それを思うとつらいです――。男は、情熱にとらわれて盲目(もうもく)になると、ばかなことをしでかすものです。あとになってみないと、それがどれほどばかげているかが分からないのです」

――あなたは「つらい」とおっしゃいましたが、どんな感じなのですか?

「命を縮めたのは間違いだったのです。あんなことはすべきではありませんでした。まだ死ぬべき時期ではなかったので、すべてを耐える必要があったのです。

いまは不幸を感じています。苦しいのです。いまだに彼女のせいで苦しんでいるような気がします。いまだに、あの、つれない女の家のドアの前にいるような気がするのです。

もうその話はやめてください。そのことは考えたくないのです。苦しくて、そのことはもうこれ以上考えられません。さようなら」

ここには、またしても、新たな配分的正義の例が見られるように思う。すなわち「罪を犯した者は、その罪の程度に応じて罰せられる」ということである。

この例では、まず悪いと思われるのは娘のほうである。自分が愛していない男が自分を愛しているのを見て、その愛を弄(もてあそ)んだ。したがって、その責任はほとんど彼女のほうにあると言えよう。

男に関して言えば、彼は自分がつくり出した苦しみによって罰せられた。しかし、苦しみといっても、それほどひどい苦しみではない。というのも、彼は、一時的な興奮に身を任せて、軽率に行動してしまっただけであり、じっくりと考えて、人生の試練から逃れるために自殺したのではないからである。

(2) 自殺した高学歴の無神論者の霊の苦しみ――J・D氏
J・D氏は高い教育を受けていたが、骨の髄まで唯物主義が染み込んでおり、神も魂も全く信じていなかった。

死後二年経ってから、義理の息子の依頼で、パリ霊実在主義協会において招霊された。

――招霊します――
「ああ、苦しい! 俺は神から見放された」

――あなたはその後を心配されているご家族からの依頼で、こうして招霊させて頂きましたが、こうして招霊することは、あなたに苦痛を与えることになったのでしょうか?

「そうだ。辛い」

――あなたは、自ら死を選ばれたのですか?
「その通りだ」

この霊の書く文字は、恐ろしく乱れており(霊媒に憑依させて書かせているので)、大きく、不規則で、痙攣しており、ほとんど読み取りがたいものであった。最初は、怒りのあまり、鉛筆を折り、紙を破ったほどであった。

――落ち着いてください。我々は全員であなたのために祈りましょう。
「なんだと? 俺に神を信じさせるつもりなのか?」

――どうして自殺などしたのですか?
「希望のない人生がほとほと嫌になったからだ」

人生に希望が無くなった時、我々人間は自殺したくなる。あらゆる手段を講じて不幸から逃れようとするのである。

だが、霊実在論を知れば、未来が開け、希望が戻ってくる。自殺はもはや選択肢の中には入らなくなる。そもそも、自殺によっては苦しみから逃れることは出来ず、かえって百倍も厳しい苦しみの中に落ち込むだけだということが分かるからである。そういうわけで、霊実在論によって自殺の危機から救われた人々の数は大変多い。

科学或いは理性の名によって、「死ねばすべて終わりである」という“信仰”を蔓延させた者達の罪は大きいと言えよう。この絶望的な信仰によって、どれほど多くの悪と犯罪が引き起こされたことであろうか。この信仰を広めた者達は、自分自身の過ちに責任があるだけではなくて、その過った信仰が蔓延することによって生じたあらゆる悪に対しても責任が生じるのである。

――あなたは人生のもろもろの不幸から逃れようと思って自殺したわけですが、それで何か得るところはありましたか? 生前よりも幸福になりましたか?

「死んだ後に、どうして虚無が存在しないのだ?」

――どうぞ、可能なかぎり、あなたの今の状態を教えて下さい。

「かつて否定していたことを全て信じなければならないために、酷く苦しんでいる。俺の魂は、まるで燃え盛る火の中に投げ込まれたみたいだ。本当に恐ろしい苦しみだ」

――どうして、生前、唯物主義者だったのですか?

「それよりも以前の人生で、俺は意地の悪い人間だったのだ。そのために、今回の人生で、俺は一生の間、疑いに苛まれることになったのだ。そのために自殺した訳だが」

このくだりを読むと、考えがたいへんよく整理できる。「霊界から生まれ変わって来たのだから、直感的に霊界があることが分かりそうなものなのに、それでも、なおかつ唯物主義者になるのは、なぜなのだろうか?」という疑問があるわけなのだが、その理由がここではっきりする。

つまり、こういうことだ。

前世からの傲慢さを引きずっている者、自らの過ちをしっかり悔い改めていない者には、まさしく、この直観が禁じられているということなのだ。彼等は、肉体生活の間、絶えず目の前に示されている、神の存在と死後の生命の存続を、直観によってではなく、彼等自身の理性によって把握しなければならないのである。

しかし、思い上がりが激しいために、自分を超える存在を認めることが出来ず、再び傲慢の罪を犯すことになる。そして、酷く苦しむわけだが、その苦しみは、彼等が傲慢さを捨て去って、摂理の前にひざまずくまで続くのである。

――水中に沈んで、いよいよ死にそうになった時、一体自分はどうなると思いましたか? その瞬間に、どんなことを考えましたか?

「何も考えなかった。何しろ、死後は虚無だと思っていたからな。あとになって、まだまだこれから苦しむのだということを知った」

――今では、「神も魂も、あの世もある」ということが分かったのではありませんか?
「ああ! あまりにも苦しくて、そういったことはよく分からない! 」

――お兄さんにはもう会いましたか?
「いや、会っていない」

――どうしてでしょう?

「どうして苦しみを足し合わせる必要があるのだ? 兄も俺も今は不幸なのだぞ。再会するのは、幸福になってからでよい――。ああ、何ということだ! 」

――あなたのそばにお兄さんを呼んでさしあげましょうか?
「とんでもない! 」

――どうして呼んでほしくないのですか?
「兄も幸福ではないからだ」

――お兄さんを見るのが怖いのですね。辛くなることはないと思いますよ。
「いや、結構だ。もっと後にしてくれ」

――ご両親に何か言いたいことはありますか?
「『俺のために祈ってくれ』と伝えてほしい」

――あなたが生前属していた団体には、生前のあなたと同じような考えをしている人々が多いようですが、彼等に何か伝えたいことはありますか?

「ああ、なんと不幸な人達だろう! 彼等があの世を信じられるようになるといいのだが。それが、俺が望む最大のことだ。今俺がどうなっているかを彼等が知ることが出来れば、きっと考えも変わるだろうと思う」


J・D氏の兄。J・D氏と同じ考え方をしていたが、自殺したわけではなかった。不幸ではあったが、弟よりも落ち着いていた。文字もはっきりしており、読み易かった。

――招霊します――

「我々の苦しんでいる姿が、あなた方にとって教訓になりますように。そして、あなた方が、あの世の存在を確信しますように。あの世では、我々は、過ち、そして不信仰の償いをします」

――先ほど我々が招霊していたあなたの弟さんと会いましたか?

「いいえ。弟は、私を避けているようですので」

「霊界には、物質的な障害物も、隠れる場所もないのに、どうして霊は他の霊から姿を隠せるのだろうか」と不思議に思うかもしれない。

霊界では、すべてが相対的であり、そこに住む者の、エーテル体の性質によって現実が決まってくるのである。高級霊のみが、無限の知覚能力を持っている。低級霊の知覚能力は限定されており、彼等にとっては、エーテル体で出来た障害物は、実際の障害物のような作用をするのである。霊達は、意思によって、自らのエーテル体に働きかけることが出来、その結果、他の霊からの身を隠すことも可能なのである。

しかし、親が子供を見守るように、全ての霊を見守っておられる神は、それぞれの霊の心境に応じて、その能力を自由に使わせたり、限定したりされる。そして、状況に応じて、それがその霊への罰にも、報いにもなるのである。

――あなたは弟さんよりも落ち着いているようですね。あなたがどのように苦しんでおられるのか、詳しく教えて頂けますか?

「地上においても、あなた方が自分の過ちを認めざるをえなくなった時、思い上がりや慢心のゆえに苦しむことはありませんか? 『あなたは間違っている』とはっきり指摘してくる人の前で、身を低くしなければならない時、反発を感じるのではないですか?

一生の間、『死後には何も存在しない』と思い続けてきた人間、しかも、『誰が何と言おうと絶対に自分が正しい』と思っていた人間が、『死後にも命がある』と知った時、どのように驚愕し、また苦しむと思いますか?

突然、輝かしい真理の前に投げ出され、自分が無であると感じるのです。恥ずかしくて消え入りたくなります。しかも、その恥ずかしさに、かくも善で、かくも寛大な神の存在を、かくも長い間忘れ果てていたことに対する後悔が付け加わるのです。これは実に耐え難い苦しみです。安らぎどころではありません。平安どころではありません。そして、恩寵、すなわち神の愛がその身に及ぶまでは、決して心安らぐことがないのです。

霊体全体が傲慢の衣にぴったり包まれているので、それを完全に脱ぐまでには、恐ろしい程の時間がかかります。あなた方のお祈りがなければ、到底この傲慢の衣を脱ぐことは出来ません」

――我々があなたの弟さんと話している間に、ここにいらっしゃる、ある方が、弟さんのために祈ってくださいました。その祈りには効果はあったのでしょうか?

「仮に、弟が、今のお祈りを拒んだとしても、その効果が失われる訳ではありません。そのお祈りの効果は生き続けます。そして、弟が、受け入れる用意が出来た時に、それは神聖なる万能薬として必ず弟を癒すことになるでしょう」

ここには、また別種の懲罰が見られた。すべての無神論者が同じような懲罰を受けるわけではない。この霊にとっては、生前、自分が否定してきた真理を認めることが必要だったのである。未だに神を否定し続けている他の霊に比べれば、この霊の心境はかなり進んでいると言えよう。自分が間違っていたと認めることが出来るのだから、大分謙虚になってきていると考えられる。

おそらく、次の転生では、多分生まれつき信仰を持った人間となることであろう。

この二人の霊人の招霊を我々に依頼した人に、招霊の結果得られたメッセージを送ったところ、次のような返事を頂いた。

私の義父と叔父の招霊によって、私達にどれほど素晴らしい贈り物がもたらされたか、とてもあなた方には想像出来ないでしょう。私達はあの二人が義父と叔父であることを完全に認めることが出来ました。

義父の文字は、生前のそれと驚くほど似ておりました。特に、私達と過ごした最後の数ヶ月の間、義父の字は、ぐちゃぐちゃでほとんど読み取れないくらいだったのです。今回のメッセージの中にも、生前とよく似た特徴的な縦の線、署名、ある種の文字などがありました。また、語り口、表現の仕方、文体などは、さらに似ており、我々はみんなで驚嘆したものです。完全に生前と同じだったからです。

違っていたのは、生前、義父があれほど否定していた神、魂、永遠について、異なる考え方をし始めていた点だけでした。したがって、あれが義父であることに間違いはありません。

私達は霊実在主義の理論をさらに確信するようになりました。神に栄光あれ! 霊実在論のおかげで、地上にいる者も、霊界にいる者も、これまで以上の進化が望めます。

叔父についても、無神論者から、神を信ずる者になっているという違いはありますが、性格、話しぶり、言葉遣いの癖に至るまで、あれは完全に叔父であります。特に、[万能薬]という言葉が我々を驚かせました。あの言葉は、叔父が、生前、誰に対しても、繰り返し使っていた言葉なのです。

私は、あの二つのメッセージを何人かの人に見せましたが、どの人も、その迫真性に打たれていました。

しかし、私の両親も含め、神を信じていない人々は、もっと決定的な証拠が欲しいようでした。例えば、義父が埋葬された場所や、『具体的にどこで、どのようにして溺れ死んだか』ということについての情報などです。それを霊人達にはっきり言ってもらいたかったと言うのです。

再び義父を招霊して、ぜひとも、以下の質問をしてください。
① どこで、どのようにして自殺したのか?
② どれくらいの期間、発見されずにいたのか?
③ 遺体はどこで発見されたのか?
④ どこに埋葬されたのか?
⑤ どのようにして埋葬されたのか?

どうか、疑いを捨てきれない人々のために、以上の質問にはっきりと答えてもらってください。その効果は計り知れないものがあると確信しております。

このお手紙が、明日の金曜日にあなた方の所に届くように投函いたします。明日は、あなた方が交霊会を催す日であることを知っておりますので――」

この手紙を引用したのは、親族によって二人の霊人の身元確認がしっかりなされたことを知ってもらうためである。

また、次に、この手紙に対する私からの返信の一部を引用する。霊界通信がどのようなものであるのかをまだよく知らない人々のために、少しでも参考になれば、との思いからである。

「お義父様に対して、もう一度聞いてみてほしいということであなたが書かれた質問は、『神を信じない人々を説得するため』という確かな意図に基づいていることはよく分かりました。というのも、そこには、疑いの気持や単なる好奇心は全く見られなかったからです。

しかしながら、もしあなたが、霊実在主義についてもっと深くご存知であれば、そうした質問が無益であるということを、多分理解されていたでありましょう。

まず最初に言いたいのは、あなたはお義父様に対して『はっきりした答えを言ってもらいたい』と思っていらっしゃいますが、我々には霊を強制することは出来ない、ということです。霊達は、自分が望む時に、自分が望むやり方で、自分に出来る範囲でしか、答えてくれません。彼等は、生前以上に自由意志を行為しますし、生前以上に精神的な強制から逃れる術を知っているのです。

最もよい身元確認の証拠は、彼等が、自らの意志で、自発的に与えてくれたものなのです。或いは、自然の成り行きから彼等が与えてくれたものです。それらをこちらの意思で引き出そうとしても、まず上手くいったためしがありません。

あなたのお義父様は、あなたにとっては疑問の余地のないやり方で身元証明をされました。したがって、お義父様にとってはどうでもよい人々の単なる好奇心を満たすことは、当然、無用のこととして拒否なさるでしょう。

こうした場合にはよくあることですが、お義父様も、他の霊にならって、きっと次のように言われるはずです。

『自分達が既に知っていることを私に聞いてどうするつもりかね?』

それに、現在、彼が身を置いている混乱と苦悩の状態からして、この種のことを詮索されるのは、大変辛いことだと思います。それは、口も利けない程苦しんでいる病人に、自分のこれまでの人生について細々と喋るように要求するのと同じことだからです。明らかに思いやりに欠けた行為だと言わざるを得ません。

という訳で、あなたがお望みのことは、おそらく期待外れとなるでしょう。

身元確認のためのああした証拠は、自発的に与えられたからこそ、そして何者にも強制されなかったからこそ、大きな価値を持っているのです。

疑い深い人々があれだけの証拠を見ても納得しないのだとしたら、件の質問に対する答えを見たところで、それ以上に納得するということはないでしょう。おそらく、彼等は、あなたと我々が共謀して書いたに違いないと言うはずです。世の中には、どのような証拠を見ても納得しない人々がいるのです。仮に、彼等が自分自身の目でお義父様の霊視を見たとしても、おそらく、『単なる幻覚だ』と言うに違いありません。

招霊を、あなたのお手紙が届いた日に直ちに行ってほしいとのあなたの要望に関して、さらに一言付け加えさせて頂きますが、招霊は、そんなに簡単に意のままに行えるものではありません。霊達がいつも招霊に応じるとは限らないのです。

そのためには、『彼等にとってそれが可能である』、或いは『彼等がそれを望んでいる』ということが必要なのです。しかも、彼等にぱったり合った霊媒がいる必要もあります。また、その霊媒がちょうどその時間に空いていなければなりません。さらに、交霊会の出席者が霊に対して共感を抱いている必要もあります。そうした条件が全て揃わない限り、しかるべき招霊は出来ないのです。
以上、どうかご理解くださいますようお願い申し上げます」

(3) 破産が原因で自殺した男性の霊――フェリシアン氏
フェリシアン氏は、裕福で、教養があり、善良な性格の、霊感の強い詩人であった。親切で思いやりに満ちあふれており、人々からたいへん尊敬されていた。

しかし、ある時、投機に失敗し、財産を全て失った。既に年を取っていたので、財産を築き直す気力も湧かず、一八六四年一二月に、自分の寝室で首を吊って自殺した。唯物論者でも無神論者でもなかったが、少しばかり軽薄なところがあり、死後のことは気にしていなかった。

彼とは個人的に親しかったので、死後4ヶ月程経った頃に、招霊を試みることにした。

――招霊します――

「ああ、地上が懐かしい。地上でも落胆を味わいましたが、こちらほどではなかったですから。こちらはもっと素晴らしいところかと期待していたのですが、思っていたほどではなかったですね。

霊界はごちゃ混ぜの世界なので、快適に生きるためには、そこから抜け出す必要があるかもしれません。いやはや、本当に驚きました。霊界の様子を描写したら、すごいことになるでしょう。バルザックにでもお願いしなければならないでしょうが、それにしても大変な仕事になりそうです。

ところで、バルザックを見かけませんでしたね。人間の悪徳を直視して描き出したあの巨匠は、今、一体どこにいるのでしょう? 私と同じように、ここにしばらく滞在してから、上の世界に行くはずなのですが。

ここは、あらゆる悪が集まった腐敗の場所です。非常に面白いので、暫く留まって観察することにします」

この霊は、「ごちゃ混ぜの世界にいる」と言っている。ごちゃ混ぜだということは、つまり、低級霊の世界だということである。

しかし、自分の死に方に何の言及もしないのは奇妙である。もっとも、生前の性格を反映しているのかもしれない。
いずれにしても、この霊が本人であるのかどうか、多少の疑いが持たれた。

――恐れ入りますが、亡くなった時の様子を教えて頂けますか?

「どんな風に死んだかですって? 勿論自分で死ぬことを選んだのです。あの死に方は気に入っています。人生からおさらばするのに、どのような死に方をすべきか、随分長い間考えましたからね。

しかし、あんなふうに死んだところで、結局のところ、大したことはありませんでした。物質的な心配からは解放されたものの、霊界で、それ以上の、深刻な、辛い状況に陥ることになったのですから。しかも、それがいつ終るのか見当もつかないのです」

――(霊媒の指導霊に対して)これは本当にフェリシアン氏の霊なのですか? この能天気な話しぶりは、到底自殺した人の言葉とは思われませんが。

「確かに本人です。しかし、今彼がおかれている状況からすれば、あのように調子に乗った話し方をするのも無理はないのです。彼が、最初、空疎な言葉を連ねていたのは、自分がどうやって死んだか言いたくなかったからです。あなたに、直接、質問されたために、答えざるをえなかったようですが、随分辛い思いをしているのは事実です。彼は、自殺したことでたいへん苦しんでおり、出来るだけ、その不幸な最後を思い出したくないのです」

――(フェリシアン氏の霊に対して)あなたの死が、あなたにとってどのような重大な結果を引き起こすのかを知っていただけに、あなたの死は我々にとって非常に痛ましいものでした。また、あなたを尊敬し、あなたに愛着を覚えていただけに、あなたの死は我々には本当に辛いものでした。個人的には、たいへん良くして頂き、そのことは決して忘れておりませんし、たいへん感謝申し上げております。もし何らかのかたちでお役に立つことが出来れば、嬉しいのですが。

「ああした形をとらなければ、財政的な危機的状況から逃れることは出来なかったのです。

現在、必要としているのは、お祈りのみです。もしお願い出来るのであれば、私に付きまとっている恐ろしい者達、私を嘲笑し、罵り、バカにする者達から解放されるように祈ってください。彼等は私を『卑怯者』と罵りますが、確かにその通りなのです。人生から逃げるというのは、卑怯者以外の何者でもないからです。

私は今までの転生で、固く誓ったはずだったのですが――。ああ、何という宿命だろう。

どうか、どうか、祈ってください。何という拷問だろう。ああ、苦しい! どうか私の為に祈ってください。そうすれば、私が地上に居た時に皆さんにしてさしあげた以上のことを、私にしてくださることになります。

しかし、私がこんなに何度も敗れた試練が、目の前にどうしようもなく立ちはだかっています。いずれ、また、同じ試練に直面しなければならないのです。そんな力があるでしょうか? ああ、どうしてこんなに何度も同じような人生をやり直さなくてはいけないのでしょうか? どうしてこんなに長い間戦い続けた挙句、事件に巻き込まれて、意に反して敗北しなくてはならないのでしょうか? ああ、絶望的な気持になります。

だから、力が必要なのです。お祈りは力を与えてくれるということですので、どうか、皆さん、私のために祈ってください。私もまた祈ります」

この自殺は、どこにでもあるような極めて平凡な状況においてなされたが、背後には特別な事情が潜んでいた。つまり、自殺したこの者の霊は、過去世において、何度も同じような状況で自殺していたのである。そして、これからも、そうした状況に抵抗できなければ、やはり何度でも自殺することになるだろう。

我々が地上に転生するのは、あくまでも向上するためなのであって、その目的が果たせなければ、何のために転生したのか分からなくなる。戦いに勝利を収めるためには、何度でも転生して挑戦する以外にないのである。

――(フェリシアン氏の霊に対して)いいですか、私がこれから言うことを、注意深く聞いてくださいね。そして、私の言葉についてよく考えて下さい。

あなたが宿命と呼んだものは、あなたの弱さ以外の何ものでもありません。宿命などは存在しないのです。というのも、宿命が存在するとしたら、人間は自分の行為に責任が取れないからです。

人間には自由意志があり、そして、それこそが、人間の最も大切な特権なのです。神は、人間をロボットとして創ったのではありません。この自由意志があるからこそ、失敗もすれば、成功もするのです。そして、成功を続けていって完成された時、人間は最高の幸せに到達出来るのです。

慢心している者だけが、自分の地上の不幸を運命のせいにします。実際には、自分の怠慢のせいで不幸になっているに過ぎないのですが。まさに、あなたの今回の生き方がその好例でした。

あなたは、世俗的には、幸福になるための条件をすべて揃えていました。機知、才能、財産、世評などなど。致命的な悪徳は持っていませんでした、というよりも、むしろ、尊敬に値する美徳を沢山備えていたのです。どうして、そうした状況が突然危ういものになったのでしょう? それは、あなたが無用心だったからに外なりません。

不必要に財産を増やそうとせず、もっと慎重に振舞ってさえいれば、そして、既に持っていたもので満足してさえすれば、あなたが破産することなどあり得なかったのです。あれは、宿命でも何でもありません。なぜなら、避けようと思えば避けられたことだからです。

あなたの試練は、自殺への誘惑をあなたに与える一連の状況を克服することにあったのです。残念ながら、あなたは、生き生きとした精神を持ち、高い教育を受けていたにも関わらず、そうした状況を乗り越えることが出来ませんでした。ですから、未だにその弱さを引き摺っているのです。この試練は、あなたも既に予感しているように、これからの転生で繰り返されるはずです。次の転生でも、おそらく、自殺したいという思いにあなたを駆り立てる一連の出来事と戦う必要が出てくることでしょう。そして、それは、あなたがついにそれらに勝利を収めるまで続くのです。

あなた自身が作り出した運命を非難したところで仕方がありません。それよりも、たった一度、過ちを犯しただけで、否応無く罰するのではなくて、何度でも立ち直る機会を与えて下さる神の善意を讃えましょう。あなたは永遠に苦しむわけではないのです。しっかり償いさえ果たせば、苦しみはそこで終るのです。

霊界において強く強く決意し、神に対して誠実に悔い改め、高級諸霊に心からお願いするのです。そうすれば、地上においてあらゆる誘惑を跳ね返す力が与えられるはずです。

この試練に勝利を収めさえすれば、あなたはどんどん進化して、素晴らしい幸福を手に入れることが出来るでしょう。というのも、他の面では、あなたは既に相当進化しているからです。ですから、もう一歩、前進しさえすればよいのです。

私達もお祈りによって支援いたしましょう。しかし、あなたご自身がまずその気にならなければ、我々の祈りも効果を発揮しません。

「ありがとうございます。ご忠告、本当にありがとうございます。私にはどうしても必要な忠告でした。私は、精一杯、無理をして、不幸だと思われないように振舞っていたのです。

私は、今後、あなたの忠告を大いにいかし、次の転生に備えたいと思います。今度こそ、勝利を収めるようにいたしましょう。ああ、早く、この忌むべき状態から抜け出したいものです」

(4) 前世で犯した罪の記憶に苛まれて自殺した男の霊――アントワーヌ・ベル
カナダ銀行の支店の会計係であったアントワーヌ・ベルは、一八六五年二月二八日に自殺した。同じ街に住む、医学博士でもあり薬学博士でもある我々の知人が、ベル氏に関して次のような情報を寄せてくれた。

「私はベルとは20年来の知り合いです。彼は、おとなしい男で、また子沢山の家族の父親でもありました。

しばらく前から、彼は、自分が私の店で毒物を購入し、それを使って誰かを毒殺した、という妄想を抱くようになっていました。やがて、私のところにやって来て、私が彼にいつその毒薬を売ったのかを教えてくれ、と言うようになりました。そして、激しく落ち込むのです。やがて眠れなくなり、自分を責め、胸を手で打つようにさえなりました。

毎日、夕方の四時から翌朝の九時まで、彼は銀行で極めて几帳面に帳簿をつけていたのですが――今迄一度たりとも間違いを犯したことはありません――、その間、家族は気が気ではありませんでした。

彼の内部には、ある存在がいて、その存在が、規則正しく彼に帳簿をつけさせるのだ、と彼はよく言っていました。

ところが、理不尽な考えに完全に支配されるようになると、彼はこう言ったものです。

『いいえ、あなたは私を騙そうとしているのです。私は覚えているのですから。私が[あれ]を買ったのは事実なのです』」

アントワーヌ・ベルは、一八六五年四月一七日、パリで、友人の要請に基づいて招霊された。

――招霊します――

「私に何をせよというのですか? 私を尋問するつもりなのですか? よろしい! 結構です、すべてを告白しましょう! 」

――ちょっと待ってください。ぶしつけな質問をしてあなたを苦しめようなどと思っているわけではありません。ただ、現在、霊界においてどのような境涯におられるのかを知りたいと思っているだけなのです。もしかすると、お役に立てるかもしれません。

「もし、助けて頂けるのでしたら、こんなに有難いことはありません! 私は自分の犯した罪が恐ろしいのです。ああ、私はなんてことをしてしまったんだ! 」

――私達のお祈りによって、必ず、あなたの苦しみが和らぐものと確信しております。

それにしても、あなたは、大分良い条件にあるように思われます。悔い改めておられるようですし、回復が始まっているように感じられるからです。無限の慈悲を持っておられる神は、悔悟を始めた罪人に対して、常に哀れみをかけてくださいます。さあ、一緒に祈りましょう。

「――――」

――さて、どのような罪を犯したと思っていらっしゃるのですか? 謹んで罪を告白なされば、神はそれを斟酌してくださいますよ。

「それよりもまず、私の心の中に希望の光を入れてくださったことに、感謝しなければなりません。

ああ、もうはるか昔のことになります。今回の転生の直前に転生した時のことです。私は南フランスの、地中海のすぐそばに立つ家に住んでおりました。

私はかわいい女の子と付き合っており、彼女は私の愛に応えてくれていました。しかし、私は貧しかったので、彼女の家から疎んじられていたのです。ある日、彼女は、海外にまで商売の手を広げている、とても羽振りの良い仲買人の息子と結婚することにした、と私に告げました。こうして私はお払い箱になったのです。

気も狂わんばかりに苦しんだ私は、憎くてたまらぬ競争相手を殺して復讐を果たし、自分も死のう、と決心しました。しかし、暴力的なやり方は嫌でした。人を殺そうなどと考える自分に戦慄しましたが、嫉妬の念が勝利を収めました。その男は、私が愛していた娘と結婚する日の前日に、私が注意深く盛った毒のせいで死んだのです。

以上が、かすかな記憶による私の古い過去の再現です。

ええ、私は既に霊界で大分時間を過ごしましたので、そろそろ地上に転生する時期が来たようです。

神よ、私の弱さ、そして涙を哀れみたまえ! 」

――あなたの進化を遅らせたこの不幸な事件に同情申し上げます。また、あなたを本当に気の毒に存じます。しかし、あなたは悔い改めているのですから、神は哀れみをかけてくださることと思います。

ところで、あなたは、その時の自殺の決意を実行に移したのですか?

「いいえ、恥を忍んで言えば、自殺はしませんでした。希望が再び戻ってきたからです。つまり、その娘と結婚出来る可能性が再び生じてきたのです。私は自分の犯罪の結果を密かに享受しようと思いました。

しかしながら、後悔には勝てず、ついに自首しました。こうして、私は自分の錯乱の瞬間を死刑によって贖ったわけです。私は絞首刑となりました」

――今回の転生においては、その過去世における悪しき行為の記憶はあったのですか?

「それを意識したのは、最後の数年間だけです。つまり、こういうことだったのです。私はもともと善良な人間で、件の殺人を犯した転生においてもそうでした。そして、これは、殺人者にはよく見られることですが、犠牲者の最後の姿がしょっちゅう心に蘇ってきてたいへん苦しかったので、私は、何年もの間、悔い改め、そして必死に祈り続けたのです。

さて、その後、私はまた生まれ変わって別の人生を歩み始めました。つまり、それが今回の転生になります。私は、平穏に、しかし、なぜかおどおどして人生を過ごしていました。生まれつきの自分の弱さと、過去世での過ちを漠然と意識していたのでしょう。潜在意識に記憶があったからです。

しかし、私が殺した男の父親が、復讐心に満ちた憑依霊となった私にとりつき、私の心の中に、過去世の記憶を走馬灯のように蘇らせることに成功したのです。

憑依霊の影響を強く受けている時は、私は毒殺をした殺人鬼であり、指導霊の影響が強い時には、私は子供達のために一生懸命パン代を稼ぐ健気な父親でした。しかし、ついに憑依霊に負けて自殺を図りました。

確かに私には罪があります。でも、自分自身の意志だけで自殺を決行したのではない分だけ罪は軽いのです。このタイプの自殺者は、憑依霊に抵抗できないという点では弱いといえますが、しかし、完全な自由意志で自殺を決行したわけではない分だけ罪は軽いと言えるのです。

どうか、私に悪しき影響を与えた霊が早く復讐の念を捨てられるように、私と一緒に祈ってください。そして、私が力とエネルギーを得て、次の転生で、自由意志によって自殺の誘惑に打ち勝つことが出来るように祈ってください。というのも、次の転生では、私は、再び自殺をしたくなるような状況に置かれることになっているからです」

――(霊媒の指導霊に対して)憑依霊によって自殺に追い込まれるということが、実際にあり得るのですか?

「勿論あり得ます。憑依というのも、一種の試練であり、あらゆる形態をとるのです。しかし、そのことは言い訳にはなりません。人間は常に自由意志を行使できるようになっており、したがって、憑依霊の声に従うことも、それを拒否することも出来るからです。もし、憑依霊の唆しに従ったとしたら、それは彼の自由意志によってそうしたと見なされるのです。

確かに、他の者の教唆によって悪を犯した場合、自分自身の意志のみで悪を犯した場合よりも、その罪は軽いと言えるでしょう。しかし、まったく罪が無いわけではないのです。正しい道から逸れていったということ自体、彼の中に善が強く根付いていなかったということの証明だからです」

――祈りと悔い改めによって、犠牲者を見続ける苦しみから解放されたこの霊が、次に転生した時、復讐心を持った憑依霊に付きまとわれた、というのはどういうことなのですか?

「あなたもご存知のように、悔い改めというのは、あくまでも予備的な段階に過ぎず、それによって全ての苦しみから解放されるわけではないのです。

神は、単なる口先の約束だけでは満足しません。実際の行為によって、善に戻ったということをきちんと証明しなければならないのです。そのために、この霊は新たなる試練に晒されたのであり、この試練を乗り越えてこそ、より強くなることが出来たわけであり、また、勝利の意味も大きくなるのです。

彼は憑依霊に付きまとわれましたが、彼が十分に強くなりさえすれば、憑依霊も離れていったはずなのです。憑依霊の言う事に耳を貸さなければ、唆しがもう意味を持たなくなるからです」

この最後の二例(一つはフェリシアン氏)によって、「試練は、それを乗り越えることが出来るまで、何度も繰り返し与えられる」ということが分かる。

アントワーヌ・ベルの例は、さらに、過去世で犯した罪の記憶が、警告として、または悔悟の思いとして、人に付きまとうことがあるという事実を明らかにしている。つまり、全ての転生が関連しているということなのである。

人間には徐々に向上していく能力があり、過ちを贖う為の門が閉ざされることは決してない、という点に、神の善意と正義が歴然と示されている。罪を犯した者は、まさにその罪によって罰されるのだが、それは神が復讐を好むからでなく、その人間に最も適切な向上の手段を与えようとされるからなのである。