The Beatles
Wings,George,Ringo
,& ... Pete
1974年12月に出版されたビートルズ事典

を1975年に買ってもらい、白黒で掲載されたレコードのジャケットとそこに記載された文章を読みながらあれこれ想像していた日々を思い出します。

私の音楽好きはビートルズに始まり、ビートルズで終わる。
そう確信する今日この頃です。
The Beatles
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2024年 3月13日(水)
ムック本「ザ・ビートルズ アルバム・バイブル」
新版 オリジナルアルバム全14作品完全ガイド


今はザ・ビートルズが解散した1970年からまだ半世紀。
1995年頃、PCがWindows3.1からWindows95などに変わり、パソコン通信が流行っていた頃。
22世紀か23世紀の音楽の教科書には

ロックとは20世紀後半に欧米の若者を中心に流行った音楽。
代表的な音楽家として1960年代、レノン&マッカトニーを中心に自ら曲を作り自ら演奏するザ・ビートルズが大衆の流行音楽を芸術の域にまで開花させた。
1970年代にはレッド・ゼッペリンなどハードロック、キング・クリムゾンなどプログレッシブロックなど表現もより多岐に広がっていった。

という旨で掲載されると思ったのですが、ザ・ビートルズは既に歴史に刻まれ初めています。

1960年代、1970年代当時の少年少女たち子供たちも今では70歳台、60歳台の大人。
昨今の少子高齢化で消費の中心は老人、中高年。
私も老人のドアを叩く大人の一人。
昔を振り返りながら今も生きるその大人に、良い商品を提供してくれます。

 

読書をしながらそのアルバムを聴く至福の時。
アルバムを聴きながらそのページを読書する至福の時。

あえて何か違和感を覚えることを述べるならば本の題名にある「バイブル」でしょうか。
これから先、何度も繰り返し手にするであろう一冊ではあるけど、やはり私は聖書の連想が止まってしまいました。

P25のFor Saleの内ジャケットの説明「モノラル盤ジャケット見開き・・・を取り出す仕様。」という文章が写真に被っているのはご愛敬。

たまりません。
「をー、そういうことだったのか。」
「えっ、マジ!?」
の連発。
凄く素敵な一冊です。

やはり本、紙の本は情報量、読みやすさ、わかりやすさ、媒体として大好きです。

(余談)
本を読みながら、初めて「1962-1966 2023 Edition」(赤盤)と「1967-1970 2023 Edition」(青盤)をスピーカーからでなくイヤフォンで聴聴きました。
スピーカーから流れる「2023 Edition」に違和感を覚える曲、
  • "Roll Over Beethoven"の手拍子
  • "A Hard Days Night"のイントロ
     など
    少しあったのですが、イヤフォンで聴くとそれを覚えないのが不思議です。







  • 2023年11月10日(金) The Beatles CD「1962-1966」、「1967-1970」、そして"Now And Then"

    の感想。




    2022年 6月18日(土)
    書籍「Paul McCartney THE LYRICS」


    昨年秋、英国で発売された時、読めもしないのに買ってしまおうかと思ったこの本。
    やはり思いとどまったのは正解で、ポールの80歳の誕生日6月18日に日本語版が発売され、ボクも安心して読めています。
    上下巻で900ページ以上の文章はもちろんのこと、数々の写真と共に語られる154曲。
     

    読書をしながらその曲を聴く至福の時。
    たまりません。
    凄く素敵な一冊です。
     

    曲を発売日順ではなくあえてアルファベット順に並べてあるその編集。






    2021年12月30日(木)
    ドキュメンタリー「McCartney 3, 2, 1」
    を観た感想。




    2021年11月25日(木)
    映画「Get Back」
    を観た感想。

     





    2016年 9月24日(土)
    映画「Eight Days A Week - The Touring Years」

    を観た直後の感想。

     





    お勧め本

  • 書名  :ザ・ ビートルズ・サウンド最後の真実
    著者名  :ジェフ・エメリック/著 , ハワード・マッセイ/著 , 奥田祐士/訳
    出版者  :白夜書房
    出版年  :2006.12
    ISBN :4-86191-221-0

  • 書名  :パティ・ボイド自伝
    副書名  :ワンダフル・トゥディ
    シリーズ :−
    著者名  :パティ・ボイド/著 , ペニー・ジュノー/著 , 前むつみ/訳
    出版者  :シンコーミュージック・エンタテイメント
    出版年  :2008.9
    ISBN :978-4-401-63228-2
  • 書名  :ビートルズ売り出し中!
    副書名  :PRマンが見た4人の素顔
    シリーズ :
    著者名  :トニー・バーロウ/著 , 高見展/〔ほか〕訳
    出版者  :河出書房新社
    出版年  :2007.1
    ISBN :978-4-309-20472-7
  • 書名  :ザ・ ビートルズ リメンバー
    副書名  :親友クラウス・フォアマンが語る本当のビートルズ
    シリーズ :ノーウエア ザ・ビートルズ決定版シリーズ
    著者名  :クラウス・フォアマン/文・絵 , 斉藤早苗/監修
    出版者  :プロデュース・センター出版局
    出版年  :2007.10
    ISBN :978-4-938456-75-7
  • 書名  :ビートルズが愛した女
    副書名  :アストリット・Kの存在
    シリーズ :幻冬舎文庫 こ−9−2
    著者名  :小松成美/〔著〕
    出版者  :幻冬舎
    出版年  :2001.02
    ISBN :4-344-40066-6
  • 書名  :ミュージック・ライフが見たビートルズ
    副書名  :
    シリーズ :
    著者名  :
    出版者  :シンコーミュージック・エンタテイメント
    出版年  :2010.11
    ISBN :978-4-401-63477-4



    自己満足Beatles
    64年オーストラリア
    シドニー公演聴き比べ
    その後
    自己満足Beatles
    '64年北米ツアー
    ライヴ音源聴き比べ
    Paul McCartney & Wings
    George Harrison
    72年 イギリス・ツアー
    72年 ヨーロッパ・ツアー
    73.3.18 CarityFor"Release"
    73年 "James Paul McCartney"
    73年 イギリス・ツアー
    74年 "One Hand Claping"
    75年 イギリス・ツアー
    75年 オーストラリア・ツアー
    76年 ヨーロッパ・ツアー
    76年 アメリカ・ツアー
    76年 ヨーロッパ・ツアー 2
    76年 ロンドン凱旋公演
    78年 ロケストラ・セッション
    79年 イギリス・ツアー
    80年 日本滞在記

    89年 ワールド・ツアー
    01年5月12日 アメリカABCテレビ「WINGSPAN」放送
    74年 北米・ツアー

    84.12.13. Deep Purple
    Live at Sydney, Australia


    91年 日本・ツアー

    Guitar Gallery
     Ringo Starr 

    最終更新日
    99年1月14日
      Pete Best  

    最終更新日
    97年1月27日


    The Ballad Of John and Yoko

    66年11月9日にロンドンの画廊で開かれていた彼女の個展のオープニング前日にJohnが現れたのをきっかけに69年3月20日に結婚した。 書籍"ビートルズ / レコーディング・セッション"(マーク・ルイソン著 90年7月20日初版 シンコー・ミュージック)68年5月30日の記録にヨーコ・オノが登場する。
    ところが書籍"ビートルズ・ロッキュメンタリー 太陽を追いかけて"(星加ルミ子著 96年6月29日初版 TOKYO FM出版)の「第3章 エプスタインの死とアップル・コーの船出と難破」の節「初めて見たレコーディング風景」に"The Fool On The Hill"レコーディング初日(67年9月25日であろう)の記述がある。そして次節「オノ・ヨーコと初めて会った日」にそのスタジオの片隅に東洋人の姿を確認していることを記述している。そしてその年末にロンドンから送られてきた写真でその東洋人がオノ・ヨーコでJohnと近々結婚するらしいと記述している。その後、星加さんがオノ・ヨーコに次に会ったのは68年12月23日にアップルで行われたクリスマス・パーティ、そして72年の来日コンサートの時とのこと。67年末の写真は68年末の記憶違いだとしても67年9月25日に訪問した"The Fool On The Hill"のレコーディング時にヨーコ・オノがスタジオにいた事実は間違いないであろう。
    さてJohnとヨーコがSEXをしたのは68年5月19日にケンウッドのJohnの自宅のスタジオで"TWO VIRGINS"をレコーディングを終えた明け方が通説である。さて67年秋頃にはヨーコはスタジオに頻繁に出入りしていた(セッションに参加し始めたのは68年春以降)のか、友人の一人として偶然招かれていただけなのか、どなたか真実を教えてください。


    ザ・ドリフターズ at 武道館 66年6月30日と7月1日

    日本テレビの朝の番組"波瀾万丈"。96年8月18日は「加藤茶・・・幻ビートルズ前座丸秘映像公開!」でゲストの加藤茶さんの半生にあやかり、保管庫からその映像を探し許可を得てビートルズの来日公演で彼らが唯一前座として出演した66年6月30日(テロップで画面に表示される)の演奏映像が日の目をみた。

    当初の出演時間は20分であったがそれが6分に、6分が2分にどんどん削られていったようである。そして迎えた66年6月30日の当日に「40秒になりませんか」。さてその映像では登場しセッティングに5秒。演奏に60秒。撤退に5秒。の計70秒の内容であった。

    長さんの「ワン、ツ−、ワン、ツー、スリー、フォー」ではじまる"のっぽのサリー"。まだその時は高木ブーさんは今ストラップをかけてコードをギターにつなげるところ。荒井注さんのギターにはコードがつながっていない・・・ワイヤレスで飛ばしているのか・・・わけがない。アレ〜、この一際目立つギターの音って誰の音なんだろう・・・ジャズというかロカベリーの加藤茶さんのドラムにいかりや長介さんのベース。ステージ上には3本のギター。でもね〜、この音は???・・・さて彼らは実際に演奏していたのでしょうか?。ステージ裏にサポート・メンバーがいて演奏していたのでしょうか?

    その立ち位置はPaulとGeorgeのギター・アンプの前にあるマイク・スタンドで、いかりや長介さんのカウントそして仲本工事さんのボーカル。その下手側後方に高木ブーさん,そして荒井注さん。Johnのギター・アンプの前にあるマイク・スタンド位置にいかりや長介さん。間奏では高木ブーさんと荒井注さんがギター抱えてステージ下手から一往復。親指で弾き飛ばし続ける長身の長さんのベース姿ってなかなかカッコイイ。サビにあるアクセント位置のタイコのポーンで喉を前に突き出すように頭を後ろへ振り重心を左足にのっけながら右足を左足の前へ出し右足・左足と軽やかなステップで左斜め後ろへよろける。
    お決まりのコケのあと、ステージ一段下のドラム位置からステージに上がった加藤ちゃんが「バカみたい」の後に、いかりや長介さんの「解散!」でステージを降りていく彼ら。


    ところでブート・レーベルMaster Diskの"THE BEATLES JAPAN 1966"(MDCD 010/011)に6月30日のクレジットで前座の音源が収録されている。そこにあるドリフターズの最後は"解散!"ではなく"逃げろ!"版が収録されている。この音源と先のテレビで放送されたのでは、いかりや長介さんのセリフが違う。ブートのクレジットを信じるべきか、テレビでの案内を信じるべきか。


    そのテレビ番組で気になった会話である。

    福留氏「映像ごらんになりました?」
    加藤氏「見たのですけど、全部カットされていました。」
    福留氏「放送では、ビートルズの特集の中では出てこなかったのです。放送されなかったのです。」

    という感じで66年当時の番組ではドリフのシーンは全部カットされ放送されなかった旨を言っている。

    ドリフの映像は一瞬観客席が映る。ステージ向かって左側「ライオン」と書かれている場所が。その「ン」の字の上に白い服が並んでいる・・・その下には頭がなさそうでありそうでなさそう。6月30日の映像だと"If I Needed Someone"当たりがわかりやすい。7月1日の映像で"Nowhere Man"当たりであろうか。どちらかと言うと6月30日の方がよく似ている。観客の顔つき。ただしその上段に座っている人が白い上着を着ている・着ていないの差がある。「ン」の字の上2列目には、ドリフの映像は横に3人並んでいる。二人しかハッキリ見えないが高木ブーさん、仲本工事さんが微妙に立ち位置がズレた時に更に左側に一人、白い服が確認出来る。ところが6月30日のBeatles映像は横に二人である。一番左の人が上着を着た?のであろうか。またその白服の3人の一番右側のその上に白いジャケットを着た人がいる。しかしBeatlesの時は白くない。いずれにしても髪の毛の雰囲気、男女の区別などで6月30日かなというレベルである。注目するべき点にドリフの時もマイク・ホルダーがグラグラでズレていく。

    その日にちは忘れたがNHK番組「日本を変えた来訪者ビートルズ」でいかりや長介さんは「ビートルズが出てこなくてじれている客が恐くて思わず「逃げろ!」と叫んでしまったと回想している。

    加藤茶:「チョーさんが言ってましたね。"解散"って。"逃げろ"じゃなかったのですね。ボクはあの時、"逃げろ"って聞こえたのですけどね。」

    日本テレビの放送内容を信じると6月30日が「解散!」、7月1日が「逃げろ」ということであろうか。6月30日のステージの後の反省会で
    メンバー:「長さん、"解散"は難しいよ、言葉として」
    いかりや:「そうか、ではストレートに"逃げろ"にしようか」
    という会話があったのであろうか。

    ところが雑誌"THE DIG"の96年2/3月号のビートルズ特集にある仲本工事さんのインタビューで「前座を勤めたのは1回だけだ」と断言している。

    最後に当時のテレビ放送、Beatlesは7月1日の演奏であるが、前座はどうだったのか。6月30日の映像だったのか、Beatlesに合わせて7月1日に録り直したのか。ブライアンは前座の部分も持ち帰ったのか。はたまたドリフターズは1回だけの出演でブートかテレビのどちらかが嘘をついているのか、私の疑問は深まるばかりです。66年6月30日と7月1日のビートルズの前座で武道館で演奏した時のことを。

    (疑問1)
    ドリフは66年6月30日と7月1日(午前の部)の2回出演したのでしょうか?
     => どうやら2回出演したみたいですね。

    (疑問2)
    ステージ上のドリフは演奏していたのでしょうか?