越後三山の 1つ、中ノ岳に登ってきた。
越後三山というのは、この中ノ岳の他、越後駒ヶ岳、 八海山 からなっており、私は中ノ岳以外の 2山は既に登っているので、 今回の登山で、それぞれ単発ではあるものの一応越後三山全山に登ったことになる。
この中ノ岳に登ろうと思った理由は、既に山の雑記帳に書いた通りであるが、 実はもう一つ理由がある。
それは、現在完登を目指している深田久弥氏の 『日本百名山』 には 越後駒ヶ岳が挙がっているものの、 本文を読むと深田氏は必ずしも越後駒ヶ岳だけに特定しているのではなく、 敢えて一山と言われて越後駒ヶ岳にした風情が強く見られ、 従って他の 2山、特に中ノ岳を登らないのは百名山完登を目指す者として何だか申し訳ない気がしてならなかったからである。
そして、理想を言えば、八海山から中ノ岳、そして越後駒ヶ岳へと縦走するのが一番だが、 時間的に余裕のない我が身にとってそれは叶わず、従って細切れな形でも中ノ岳には登っておきたいという気持ちがあったのであった。尤もこのような想いは、心の奥底にあったものの、 実際には昨秋の平ヶ岳、 八海山に登らなければ意識の外には出てこなかったと思われる訳で、やはり八海山から見た中ノ岳のボリュームある姿に圧倒され、 登高意欲を大いに刺激されたことが登山のきっかけだったのは間違いない
さて、3連休の中日、八海山の時と同じように関越自動車道を飛ばし、六日町ICで降りた。
この日が晴天であることは前日後半の空模様、そして天気図における高気圧の張り出し具合、それを踏まえたテレビなどの天気予報のコメントなどから言って間違いないところであったが、 高速道を降りた時には六日町IC付近はガスの中、全くシチュエーションが八海山の時と同じであった。
但し、八海山の時もガスは徐々に晴れだし、最後は雲一つない晴天となった経験から、今回もまた同じ状況になるという確信があったため、 ガスが一面に立ちこめて視界が利かない状態であってもあまり慌てることはなかったのであった。
事実、車を登山口である十字峡に進めるうちにガスはすっかり晴れ、道路の周囲に見える山の稜線と青い空に心が弾む思いであった。十字峡に着いたのは 7時5分。
うまい具合に登山口向かい側の休憩所横に駐車スペースが見つかり、車を止めることができたのだが、 あまりないと聞いていた駐車スペースは他にもかなりあるようであった。
身支度を整え、まずはコンクリートで固められた階段を登る (7時12分発)。
登山口横に小さな祠があったので、登山の無事を祈るとともに、お賽銭は無事に下山したらお払いするとの身勝手な約束をする。
コンクリートの階段には鎖が付けられていたものの、この鎖は恐らくコンクリートで階段を作る前のものであって、 現状では全く鎖を使う必要はなく安全である。この階段もすぐに終わり、そこからは土がむき出しになった急斜面となって、 ほぼ直線的な登りが続くようになった。
赤土に朝露が降りた状態で滑りやすく、先に歩いた人々のスリップ跡がそこかしこに見られる。
この樹林帯の中の登りはこのままずっと続くのかと思ったら、意外や意外、嬉しいことにすぐに灌木帯となり、 見晴らしの良い場所を歩くことになったのであった。
ただ、道は所々急斜面があり、登る時は良いものの、下りもこの道を通るとなると、結構滑るので気をつける必要がありそうである。景色が開けたので、振り返れば、眼下にしゃくなげ湖が見える。
道は、暫くほぼ平らな道が続いたかと思うと、またまた厳しい登りが始まるといったように緩急がつけられており、こういう道は性に合っている。
また、節目節目には真新しい花崗岩 ? で作られた 『合目 (実際には 「合」 としか書かれていないが)』 を示す石柱が立てられていて励みになった。
ただ、登っている間、この 『合』 に過剰に頼ってしまうと結構ひどい目に遭う訳で、 今回も 『七合』 を過ぎた後、結果的に 『八合』 の石柱がなかった (下山時にも探したが見つからなかった) ことから、 登れども登れども 『八合』 に行き当たらないことに精神的にも肉体的にもかなり疲れてしまったのであった。さて、道は 『二合』 を過ぎて高みを乗り越すと再び平らな道が続くようになり、 周囲に松の木が見られるようになった。
この辺は千本松原と呼ばれているようで、見晴らしも良く、左手には八海山の最高峰入道岳がなかなか立派な姿を見せている。
さらにその左手に続く山並みは、どうやら位置的に阿寺山のようであるが、八海山から見た時とは全く印象の違う平凡な山並みで、 少々ガッカリであった。
『三合』 を過ぎてキツい登りを越すと、次の 『四合』 まではほぼ平らに近かい道が続いたものの、 『四合』 からはやがて再びキツい登りに変わり始めた。これが日向山への登りであるらしい。
上を見上げれば、日向山らしい山容が大きく立ちはだかり、その頂上付近には建物らしきものが見える。
どうやら雨量測定ロボットの建物らしいが、こんな山の中に人工物があるとやや興ざめである。この日向山への登りも長くきつい。灌木帯から再び樹林帯に入り、黙々と登っていく。
さすがにここまでほぼノンストップで登ってきているから、この辺になると疲れを感じる。
暫く登って上を見上げると、樹林の切れ間に青い空が覗いているので、もうそろそろ頂上かと思っても、 まだ先が続くということが何回かあり、意外とあるその距離に少々ウンザリ気味であった。
それでも、日向山頂上に着いたら 「飯」 だからと自分に言い聞かせながら頑張っていくと、 やがて樹林が切れて見晴らしの良い高みに飛び出し、そこには 『五合』 の石柱と、 日向山頂上と書かれた標柱が置かれていたのであった (9時23分着)。
ただ、ようやく着いた日向山だが、ここは登山道の一角にすぎず、実際の頂上は登山道よりはずれて少し登った所にある雨量測定ロボット用の建物のところのようである (建物脇に三角点があった)。この日向山に到達すると、嬉しいことに今まで姿が見えなかった中ノ岳を正面に見ることができるようになった。
しかし、登山道からでは上半身しか見えず、やはり、雨量測定ロボットの建物のある頂上まで登るべきで、 特に建物の階段から眺めるた中ノ岳の姿は豪快である。
日向山頂上で軽い食事を取り、先を急ぐ (9時34分発)。
ここからはぐっと下って池塘のある生姜畑へと入る。池塘はお隣の阿寺山にもあったが、こちらの池塘はそれに比べてあまり美しくない。
池はまるで水たまりのように濁っており、しかも水自体が死んでいるような感じがする。
また、草むらのそこかしこに穴が見られ、露に濡れた草がその穴に吸い込まれているように穂先を穴の中へと垂らしていたが、 その姿はまるで地中への入口を彷彿させるものであった。
後でガイドブックを良く読むと、この生姜畑という名の由来はこの辺で生姜の根っこのような形をした金が採れたからとのことが分かったが、 ということはあの穴は金を掘り返した穴だったのであろうか。ぬかるみの道を、池塘に滑り落ちないように注意しながら進むと、やがて道は再び登りにかかり、 目の前には中ノ岳の前衛峰のような高みが見えてきた。
その高みは結構登りがきついように見えたのだが、意外とすんなりと登ることができ、2つほどピークを越して登り着いた所には 『七合』 の標柱が置かれていた (10時17分着)。
ここが地図に書かれている小天上なのかもしれない。
目の前には中ノ岳が大きな山容を広げており、もう頂上まではひたすら登るだけである。中ノ岳の右手には兎岳、丹後山へと続く山並みが見え、その山腹はササに覆われているのであろうか、 くすんだ緑色をした山並みが太陽の光を浴びてキラキラ光っている。
空を見上げれば、雲一つない青空に太陽が輝き、日差しは秋と言うにはちょっと強い。
ここまでの登りは、確かにキツい所はあったものの、久々の登山にしては順調に来たのであったが、 この 『七合』 からの登りは本当に肉体的に厳しいものがあった。
久々に、少し進んでは止まって上を見上げるという行動が出るようになり、やはりほとんど休みなしに一直線に登ってきたツケが回ってきたようである。
しかし、嬉しいことに、左手を見ると今まで入道岳の意外とも言える立派な山容に隠されていた、 八海山のトレードマークである八ツ峰がその鋸状の姿を現してくれるようになり、 また右手後方には雲の波の遙か向こうに白い富士山の姿を認めることができたのであった。
富士山は、前日に初冠雪を記録しているだけに、その姿を見られたのはラッキーであったが、 不思議なことにこれだけ周囲に重畳する山々があるにも拘わらず、富士山と私との間には何も遮る物がないのであった。『八合』 はまだかと思いながら、一歩一歩足を進めて行くが、 なかなか 『八合』 に至らない。
これから、さらに 『九合』 もあるかと思うと、頂上までの距離が思いやられウンザリである。
しかし、まだかまだかと思いつつ、長い登りを登り切ると、そこは丹後山への分岐である 『九合』、 池ノ段であった (11時18分着)。
こういうのは本当に精神的にも肉体的にも疲れる。『八合』 はどこに行ってしまったのだろうか。
『九合』 からは道を左にとって中ノ岳頂上へと向かう。
右下には谷が見え、そこにはまだ雪が残っている。さすが豪雪地帯である。『九合』 を過ぎてからいくつかのピークを越えたが、なかなか頂上に至らない。
高みに登り着いて、ここが頂上かと思うとさらに先に高みが見え、落胆させられること数回、 人声が聞こえてきたかと思うと、ようやく中ノ岳頂上であった (11時36分着)。
頂上は南北に長くなっているものの狭く、そこに方位盤、祠、三角点、先ほどの 『合』 の最終を示す 『中ノ岳』 と書かれた石柱などがあり、 また登山者も 7人ほどいて、それでほぼ満杯状態であった。
それでも頂上の一角に場所を見つけ、腰を下ろしてじっくりと周囲を眺める。
先ほどバテ始めた身体を元気づけてくれた富士山はもとより、 懐かしの平ヶ岳、 その右手に燧ヶ岳も良く見える。
、 また、平ヶ岳の左には会津駒ヶ岳が見え、 今度は反対方向に目をやれば、越後駒ヶ岳がこれまた今までとは全く違うイメージで聳えている。
そして、越後駒ヶ岳の右手には、荒沢岳の鋭峰がなかなか魅力的な姿を見せていた。
八海山もここからは完全にその鋸状の山容が見えるようになり、その左の阿寺山を経て、 さらに左手には巻機山、 苗場山なども見ることができたのであった。なお、頂上の方位盤には佐渡島も示されていたが、その方向には長い丘の連なりしか見えず、 今日は佐渡は見えないのかと思っていたら、何とその丘が佐渡島だったのである。
他の登山者の指摘で分かったのだが、このように地形を良く知っている人がいると大変ありがたい。
私はこのまま引き返したのであったが、本来は中ノ岳避難小屋への行ってみるべきだったのだろう。
後でガイドブックを見ると、この中ノ岳には南峰と北峰があり、私の立ったのは南峰で、小屋があるのが北峰だったらしい。
下手をすると 「仁和寺の法師」 状態であり、やはりガイドブックを事前に良く読むべきであった。さて、時間を見るとまだ 12時前。
私はここで一瞬、下山は丹後山経由で行こうかという、今から思えば無謀なことを考えてしまったのであった。
しかし、地図でコースタイムを見ると、丹後山経由十字峡では何と 7時間もかかることになっており、 即あきらめて往路を戻ることにしたのであったが、私より 5分ほど早く頂上に着いた方が丹後山経由の日帰りを志すべく 丹後山方面から来た人たちに道の状態を聞いていたのであった。
私はそれを聞きつつ、誘惑を振り払うようにすぐ下山したのだが、あの人はどうしたのであろうか (12時5分発)。さて、下山路は往路と同じであるから、状況を書くことはほとんどないのであるが、 やはり登りの際に懸念した通り、滑りやすい急斜面をブレーキをかけながら下るのは足にかなりの負担を強いるようである。
しかも、かなりの早足で下山をしたことから、『二合』 を過ぎる頃には足はパンパン状態、 思うように足が上がらなくなり、踏ん張りも利かず、最後は急斜面を周囲の木々に掴まりながらの下山であった。
もうすぐコンクリートの階段のはずだと思っても、なかなか到達せず、道を生半可知っているということが却って精神的に疲れを増すような気がするのであった。
ようやく、樹林の間に車が見えるようになり、やがてコンクリート階段となったが、パンパンに張った足はもつれ気味で、 なかなか足が進まない状態であった。車の所に着いたのが、14時43分。
頂上から 2時間40分ほどで下ってきたことになる。疲れるはずである。
なお、約束通り、登山口にあった祠にお賽銭を上げたことを付記しておきたい。
中ノ岳登山データ
上記登山のデータ 登山日:2001.09.23 天候:快 晴 単独行 日帰り 登山路:十字峡−一合目−日向山(五合目)−七合目(小天上)−九合目(池ノ段)−中ノ岳−九合目−七合目−五合目−一合目−十字峡 交通往路:瀬谷−横浜IC−(東名高速道路)−用賀IC−(環状八号線)−練馬IC−(関越自動車道)−六日町IC−十字峡 (車にて) 交通復路十字峡−六日町IC−(関越自動車道)−練馬IC−(環状八号線)−用賀IC−(東名高速道路)−横浜IC−瀬谷 (車にて)