山の雑記帳 28

 越後三山 中ノ岳  2001.09.26 記

 未 だ 筋 肉 痛  2001.09.28 記

 紅葉の越後駒ヶ岳  2001.10.15 記


越後三山 中ノ岳  2001.09.26 記

もう既に 9月もあと 1週間を残すだけとなり、 残暑という言葉も意識しないままに気候は秋のそれになりつつある。
この 22日からの 3連休も、 初日である土曜日の午前中は 一気に晩秋の寒さがやって来たかと思うほどの気温で、 子供の運動会を見に行った私は あまりの寒さに打ち震えるばかりであった。
聞けば、この日は富士山も初冠雪を記録したとかで、 9月の4日 (だったと思う) に初降雪を記録してから、 20日足らずのうちに見事な雪化粧となった訳である。
また、北海道の大雪山に雪が降ったというニュースも記憶に新しく、 確実に夏は終わりを告げ、 秋そしてそれに続く冬が足を速めて近づいて来ているのだが、 私自身の夏 (山) を振り返ると、 8月2日の後方羊蹄山を最後に全くのご無沙汰状態で、 夏の山をほとんど楽しむことなく終わってしまった次第である。

実はこの数年こういう状況が続いているのであるが、これも混雑する小屋泊まりを避けたい気持ちが強く、かと言ってテント・重い食料を担いで山に登る気力も 昔ほどではなくなってしまっている状態では致し方なく、 さらに混雑する行き帰りの高速道路状況までも忌避したいということになっては、 この夏にどこかの山へ行こうとすること自体が無理な話で、 自分のパワーダウンを痛切に感じている。

さて、そうは言ってもこうして秋の気配を強く感じるようになっては、やはり焦りが出てくる訳で、22日 (土曜日) の午後、午前中とは打って変わって青空が広がりだしたのを見て、 急遽 山に行こうと決めたのであった。
行き先は、1年近く心に暖めていた越後三山の 1つ、中ノ岳 (これまでは中岳としていたが、 今後は地図に書かれていた名称 「中ノ岳」 を使う) である。
この山に登ろうと密かに心に決めたのは昨年の秋、八海山登山の際である。 屏風道コースを登り、 稜線上にある千本檜小屋にたどり着くと、 今まで見えなかった反対側の景色が飛び込んで来たのであったが、 そこに広がる越後駒ヶ岳と中ノ岳のボリュームある姿に 大いに圧倒されたのであった。

そして、八海山から五竜岳、阿寺山へと辿る道程で、五竜岳から阿寺山に下らずにそのまま尾根筋を進めば中ノ岳に至ることができるのを少々残念な気持ちで見送ったのであり、 また、阿寺山の尾根筋から見る中ノ岳の姿に、 何とか登りたいという気持ちを強く持ったのであった。
家に帰って中ノ岳の登山コースを地図で調べてみると、 さすがに八海山から中ノ岳へと至るコースを日帰りするのは無理であるものの、 十字峡から登ればピストン登山とは言え日帰り登山が可能であることが分かったのである。

しかし、その時は 11月の初旬、十字峡からのピストン登山によるコースタイムは 10時間30分 (昭文社 「越後三山」) となっていることから、日の長さからいって この時期に登るのはとても無理な訳で、 翌年のトライを密かに心に期した次第なのである。
そして、この夏、 登ろう登ろうと思っているうちにいつかズルズルと時は過ぎてしまい、 この 3連休にようやく実現したという訳なのである。

十字峡までのアプローチはいつも通りクルマ。 快調に関越自動車道を飛ばし、六日町ICで降りて、 国道17号線へと向かう。 以前の八海山の時もそうだったが、この辺はガスが良く出る地域らしく、 今回もガスが辺り一面に立ちこめて視界があまり利かない。

目指す中ノ岳の登山基地、十字峡に行くには、八海山と途中まで同じ道を辿るはずなのだが、八海山の時は17号線を左折してからその後右折したところを、 今回はガスで道が良く見えずに不安であったことから、 ガイドブックに書かれた通り17号線にぶつかってから右折し、 少し先で 鋭角に戻るような感じに左折して 291号線に入った。
結局、 二日町橋の手前で八海山の時に辿った道と合流し、 橋を渡ってからは十字峡まで一直線であった (八海山に行くには二日町橋を渡ったところで左折する)

いかにも豪雪地帯の町らしく、道路には地下水散水による消雪の設備がつけられており、ガスの中、狭い道に注意しながら車を進める。やがて、今までのガスが嘘のように消えたかと思うと、 道は 2つに分かれることになった。 地図で事前に調べたところ、 左右どちらを進んでも しゃくなげ湖の右岸、左岸を通る違いがあるだけで、 行き着く先は十字峡らしいのだが、 本来は右の道を進むのが筋らしい。
ところが、たまたま二股の手前で紅葉マークを付けた軽自動車が右に脇道から合流し、 ノタノタ走りながら右手の道に入っていったため、 私は左の道を選んだのであった。
というのは、 中ノ岳の登山口に車を止めるスペースがあまりないと聞いていたものであるから、 なるべく早く着いて場所を確保したいと少々焦り気味のところがあったからである。

結果、左の道を選んだのは大正解で、十字峡までの間で行き交った車はたった 1台、我が車の前方を走る車も皆無で、あっという間に十字峡に着くことができ、 しかも、最初に現れた休憩所が中ノ岳の登山口の目の前にあり、 ラッキーなことにその休憩所横の駐車スペースには 車を止められる場所が 2ヶ所ほど残っていたのであった。
休憩所の駐車スペースに車を止めたのだから料金を取られるのかと思ったが、 どうやら無料のようでこれはラッキー続きであった (下山してからそれが分かった)

しかし、それよりも何よりもラッキーだったのは、この日丸一日、雲 1つない晴天が続いたことで、青空と太陽のもと、気持ち良く登山できたことである。
これ以上のことは登山記録の方に記載する予定だが、 このコースの楽しかったことは、 樹林帯がそれほど長く続かず、稜線歩きが多くあり、 従って周囲のかなり景色を得られたこと。 しかも、その景色も登るにつれて大きく変化を見せてくれたことである。

例えば、昨年登った八海山を左手にずっと見ることができたのだが、八海山の最高峰である入道岳が意外と大きくてしかも立派に見え、また、その大きさに隠れてしまって 八海山の名の由来でもある鋸状の八ツ峰の岩峰群を見ることができたのは、 中ノ岳本体の登りになってからであったこと。
また、八海山から見た際には結構立派に見えた阿寺山が、 入道岳の立派さに霞んで結構貧相に見えたこと。 そして肝心の中ノ岳が、 コース途中にある日向山頂上に立って初めて見ることができたことなどである。

目を遠くにやれば、中ノ岳の稜線に続く御月山や丹後山、そして後ろを振り返れば巻機山が見え、中ノ岳頂上に立てば、越後駒ヶ岳や荒沢岳、会津駒ヶ岳平ヶ岳燧ヶ岳などの お馴染みの姿を見ることができ、 そして何よりも嬉しかったのは 前日に初冠雪を記録した富士山の姿を見ることができたことであった。

そういえば、佐渡島も見えたのであるが、日本海らしきものは見えず、横長に小さな丘のようなものが見えただけで、登山者の 1人が解説してくれねば それが佐渡島とは気づかなかったという程度であった。

こうした気持ちの良い状況に、 ついつい調子に乗って、中ノ岳頂上から同じ道を下山するのを止め、 兎岳、丹後山経由で下山しようかという、 恐ろしい考えが頭に浮かんだ。 中ノ岳頂上に着いた時間は 11時36分。 まだまだ時間的に余裕がある訳で、 飯を食いながら地図を眺めて可能性を探ってみたのだが、 地図上のコースタイムは何と中ノ岳頂上から 7時間。 さすがに無理とあきらめたのであったが、 私より 5分ほど早く頂上に着いた人が、 その日のうちに丹後山経由で十字峡に下山したいということで、 丹後山から来た人たちに道の様子を頻りに聞いていた。 私はその人より早く下山してしまったが、 実際その方はどうされたのだろうか。

どうもピストン登山というのは味気ない気がして、丹後山経由のコースに未練を持ちながら登りし道を戻ったのだが、今考えるとやはりとても無理だったようである。
というのは、 中ノ岳頂上を 12時5分に出発し、十字峡に戻ってきたのが 14時43分と、 一見順調そうに見える下りタイムであるが、 下りの急勾配に足の筋肉は悲鳴をあげ、 駐車場間際ではもう足が本当に棒のようになってしまったからである (実際、下山したから 2日経った今が筋肉痛のピークである)。
こういう状態であったから、 2倍近い距離を下山していたら結果は推して知るべし。 きっと後悔しきりであったであろう。
登りに比べて、下山は目的を果たした後だけにテンションも低く、 長い下りには本当にイライラさせられる。 その上、肉体的にも疲労がきたらどうなっていたことやら・・・。
馬鹿をやらないで良かったと思うが、 これも八海山登山の時に、阿寺山経由の下山で大変辛い思いをしたからセーブできた次第で、 もしそうでなかったらやってしまったかもしれない。
もうそろそろ無茶を止める年齢なのだから、くれぐれも自重である。


未だ筋肉痛  2001.09.28 記

山に登ってから既に 4日経つのに、未だに両太股の筋肉が痛い。
特に、通勤電車などで立ったまま同じ姿勢を続けた後、 階段を下ろうものなら、 そのあまりの足の硬直具合と、 それを無理して動かすためにきしむ筋肉に、 思わず悲鳴を上げてしまいたくなる。
と言うよりは、 どういう訳か笑い出したくなると言った方が的を得た表現なのだが、 いい年をした中年が階段をぎこちなく下りながら ニタニタ笑っていたら、 それこそ気持ちが悪い。

しかし、こう筋肉痛のため動作がぎこちなくなると、つい周りの者の目を惹く訳で、「山に登ってきたから」 と理由を告げると、「こんなに後になって痛みが出るのは 年をとった証拠」 と言われてしまうことが多い。
確かに、そうなのかもしれないが、 今回の越後三山 中ノ岳は、登りはそこそこ快調であったものの、 下りの急斜面は本当きつかったのである。 同じルートをピストン登山したのだから、 登りの方がきついはずなのだが、 中ノ岳頂上から七合目までの急斜面、 五合目である日向山から四合目までに至るこれまた急斜面、 そして三合目と二合目の中間くらいから登山口の十字峡までの斜面を下るのは本当に辛く、 最後は足が上がらず、 踏ん張りも利かずといった状態で、 赤土の滑りやすい斜面を登山道脇の木々に掴まりながらの下山であった。

頂上を出発したのが 12時5分、十字峡に着いたのが 14時43分と、地図上のコースタイムが 4時間10分のところを 2時間半ほどのハイペースで下った自分が悪いのではあるが、 これが私の頭と体に刻み込まれたペースであり、 もっと遅いペースだと 今度は体より頭の方がイライラと悲鳴をあげるに違いないのである。

さて、こうまで筋肉痛に悩まされると、 ついついその原因などについて調べたくなる。
かといって、専門書を調べるほどの余裕もないのだから、 インターネットの検索ページ Google「筋肉痛」 と入れて検索しただけなのであるが、 それなりに色々なことを知ることができた。

ところで、インターネットでの検索の利点は、瞬時に関連した情報が集められるということであるが、一方で、調べたい事項に諸説がある場合、どれが最新の説なのかが見分けにくいことと、 書かれていることが必ずしも正しいとは限らない という問題がある。 それでも、ほんの 数分ほどで、かなりの情報を知ることができ、 勉強になったのだからあまり文句は言えまい。 後はそれを読む側の解釈の力である。

さて、簡単に知り得た知識を私なりにまとめてみると、以下のようになる。
まず、『筋肉痛』 のメカニズムであるが、 3つの説があるようで、 1つは 「筋繊維の損傷 (筋繊維損傷説)」 もう 1つが 「局所的に筋痙縮が起こり、筋の血流が減少し老廃物が貯まって痛む (痙縮説)」 3つ目が 「過度の筋伸張運動により筋肉中の結合組織が損傷する (結合組織の損傷説)」 というものである。

インターネットで最初に私が知り得たのは、筋肉痛のメカニズムは 「機敏に体を動かしたり、踏ん張ったりするために筋肉が大量のエネルギーを燃やすことで、燃えかすともいうべき老廃物、 乳酸がたくさん作られる。 日常的な動作で作られる乳酸はそれほど多くないので、 血液が回収して最終的には体外へ排出してしまうが、 運動をすると大量の乳酸がつくられ、 血液による回収が間に合わなくなり、 筋肉に溜まって痛みや炎症を引き起こす。」 というものであった。
最初、これを読んで一応は納得したのであるが、 よく考えたら筋肉に溜まった老廃物、乳酸が、私のように 3日も 4日も体外に排出しない (だから痛い) のであるのなら、 それはどこか血液循環系統に問題がありそうな訳で、 どうも感覚に合わない気がしたのである。

そうなると、筋繊維や筋肉中の結合組織が損傷するという方がまだ感覚に合うのだが、「損傷」 などと言う言葉を使われるとやはり違和感を感じるし、例えば私のように 登山で筋肉痛になった場合、 それ程間をおかずに同じ登山コースを登り下りすると、 恐らく今回のような筋肉痛には陥らないであろう ということが説明つかないような気もするのである。
とはいえ、 私の言っているのは感覚的なことで、 実際、現在は 「筋繊維損傷説」 が有力とされているらしい。

さて、そうなると、「年を取ると筋肉痛が出るのが遅くなる」 とか、「回復が遅くなる」 ということについては実際はどうなのであろうか。
これも、ある程度説明がついていて 「筋肉の衰えにより筋がかなりのダメージを受けているから」 なのだそうであるが、 一方で 「筋肉痛のメカニズムを考えると、 決して年齢だけでは片づけられないことがいくつかある」 という意見もあって、 一概に年を取ったから 「筋肉痛になるのが遅い」 という訳でもないらしいのである。
「年を取ると筋肉痛が出るのが遅くなる」 というのは、 我々の経験則から来ているように思うが、 実際のところは 何人もの若者と老人が全く同じ運動をして比較したデータがある訳でもないようであるし、 例え同じ登山コースを歩いたにしても 私のようにペースが速い人とそうでない人との間では差が出るであろうし、 また歩き方の巧拙によっても違いが出るような気がする。 そして、何よりも人がそれぞれ有している筋肉の質に差があるはずなのである。
だから、必ずしも年齢だけの問題ではないということは肯けるし、 実際、「20歳と 60歳の人に同じ運動をしてもらって調べてみると、 筋肉痛の出る時期や回復の程度に違いが見られなかった」 ということも報告されているのだそうである。

Scientific Running というホームページには、「筋肉痛は年齢に関係なく、長い時間走り続けるランニング運動では早く出て、時間的に短く、負荷が大きくかかるダッシュや ウエイトトレーニングのような運動では、 遅く出る」 と書かれており、 また 「特に、慣れていない運動をしたりすると、筋肉痛が 8 〜 12時間で現れ、 1 〜 3日後に痛みのピークを迎える 【遅発性筋肉痛】 に襲われる」 のだそうである。
これは耳が痛い。 私は山に登っているなどといっても、 せいぜい 1ヶ月に 1回位のペースであるし、 今回の中ノ岳登山は 前回の 後方羊蹄山 から 1ヶ月半以上経っており、 しかも急な坂をかなり足に負担をかけながら早足で下りたのであるから・・・。

この 「筋肉痛」 についてもう少し詳しい話を引用すると、 筋肉の収縮様式に、エキセントリックという筋収縮があるのだそうである。 これは、腕相撲や綱引きで、相手の力のほうが強いために引っ張られてしまう状態、 あるいは下り坂でスピードが出ないようにブレーキをかけて走る時、 着地する足に体重がかかるために 筋が引っ張られる状態で起きる筋収縮なのだそうである。
そして、筋肉痛を引きおこすのは、 このエキセントリックな筋収縮を行った時のみなのだそうで、 つまり、筋肉痛はエキセントリックな筋の収縮によって起こる、 筋あるいは結合組織の損傷が原因であると考えられているのだそうである。

そうなると、山で急坂を登る場合は、激しい運動量に息が切れることはあっても、足の筋肉をエキセントリックな状態に追い込むことは希であろうから、 筋肉痛はあまり起こりえないのであるが、 急坂を下る際には、 滑らないように、あるいは勢いがつきすぎて転んでしまわないように 着地でブレーキをかけながら下ることが多く、 さらにそこに今回のコースのように赤土で滑りやすい状況があれば、 完全に足の筋肉はエキセントリック状態に追い込まれるという訳である。
なるほど納得である。 そして私が潜在的に下山を嫌う理由も少し分かったような気がする。
下山は、 登頂という第一の目的を果たしてしまって今 1つモチベーションが上がらないから嫌いだ とばかり信じてきたのだが、 実際は筋肉が感じるエキセントリック状況を避けたいという気持ちが 心の奥底に働いていたに違いないのである。
まあ、登ったら下りがある訳で、 下りだけロープウェイなどの文明の利器を使ったりするのも、 私としてはあまり潔しとしないものだから、 下山も山登りの大きな要素と心得て、 何とか楽しみを見い出したいものである。

さて、何となく分かった 「筋肉痛のメカニズム」 であるが、 いろいろなホームページを読んでいて、 私の登山に欠けている大事なものに気づかされた。
それは、登山前のウォームアップと下山後のクールダウンである。

私は、車などで登山口についたら、身支度をした後、すぐに山に取り付いてしまう。
緩やかな登りや林道歩きがまず用意されていれば問題ないのだが、 いきなりの急登の場合、 よほどの体調の良さがないとやはり苦しい。 準備運動は何をやるにしても重要だということは重々承知しているものの、 やはり早く頂上に着きたいという気持ちから 準備運動は省略してしまうのである。
しかし、今回 「筋肉痛」 を調べていて、 「筋肉痛」 対策としてウォーミングアップを十分に行うことが かなりの効果をもたらすことを知った訳で、 実際、主運動の前に主運動の動作と似たようなウォーミングアップをすれば、 明らかに筋肉痛が減少し、 筋肉障害の指標である血液中に逸脱してくる酵素の量が低下する との報告もあるそうなのである。

また、運動終了後に行うクールダウンも重要なのだそうで (こちらに至っては意識もしていなかった)、激しい運動後は急に休んだりせず、軽いランニングを行うなどして 血液の循環を急激に落とさないようにすることが重要であるし、 ウォームアップ時と同じように力を入れた腕や足などの筋肉に 再びストレッチングを行うことが大切なのだそうである。
後は言わずもがなのことであるが、 下山後はぬるま湯などに浸かったり、 負荷をかけた足などのマッサージを行うなどして、 体のケアを行うことが大切なようである。

今回の 「筋肉痛」 でかなりの勉強になったが、 少し自分の登山スタイルを考えねばと反省した次第である。

最後に 「筋肉痛」 について、内容を引用させて戴いたホームページは下記のとおりです。


セルフドクターネット

いきいき健康 NIKKEI NET

どうして筋肉痛になるの?

Scientific Running

Badminton Academy

ためしてガッテン

健康ネット小辞典

河瀬哲也のホームページ


紅葉の越後駒ヶ岳  2001.10.15 記

いささか古新聞ですがご容赦下さい。

9月末の 3連休に続いて 10月の 6日からも 3連休があり、 夏にほとんど山に行けなかった私としては、 こういうチャンスを逃すまじと、 早速、連休中日の 7日、山へ行って来た。
行き先は、少々書くのが恥ずかしいのだが、 先日登った中ノ岳のお隣、越後駒ヶ岳である。 書くのが恥ずかしいといったのは、 越後駒ヶ岳がどうのこうのというのではなく、 私の行動パターンがあまりにも単純であるからで、 私のホームページを読んで戴いている方の中にも 「その通り」 と思われる方がいることと思う。

少し言い訳をさせてもらえば、前回私が越後駒ヶ岳に登ったのは 11年前の 1990年で、その時は一応晴れてはいたものの、頂上からの展望はほとんど得られずという状況であった。 それに比べて、同じ越後三山でも、 昨年の八海山、先日の中ノ岳があまりにも天候に恵まれたことから、 当時の越後駒ヶ岳登山について少し残念に思う気持ちが湧いてきており、 チャンスあらばと思っていたのである。
しかしそうは言っても、 駒ヶ岳の登山口としてすぐ頭に浮かぶ枝折峠や駒ノ湯は、 横浜の自宅から見て駒ヶ岳の裏側に当たる訳で、 そこまでのアプローチを考えると日帰りはちょっと無理かなと思っていたのであった。 それに、前回、枝折峠から登り、駒ノ湯に下山しているので、 同じコースを辿るのも少し芸がない思える訳で、 結局、駒ヶ岳登山は残念だけれど断念かなと思い始めていたのである。

ところがある、中ノ岳の登山記録を書くにあたって越後三山の地図を良く眺めていたら、越後駒ヶ岳の登山コースとして、六日町IC側からのコースがあることを発見 (私にとっては本当に発見)したのであった。 水無渓谷からのコースである。
このコースなら、あまり好みではないピストン登山とはなるものの、 越後駒ヶ岳をグルッと回らずに済むし、 第一、初めてのコースだけに楽しみが大きい訳で、 しかも、水無渓谷までの道は慣れ親しんだ ? 八海山や中ノ岳に登る際に通った道の延長上にあるので 迷うこともなさそうなのである。 という訳で、これに気づいた時は本当にシメタと思ったのであった。

ただ、よくよくこのコースを見てみると、恐らく車を止めることになるであろう越後三山森林公園の駐車場から越後駒ヶ岳頂上までのコースタイムは 6時間40分、 下山時間が 5時間5分もあり、 往復合計 12時間近くもかかることになる訳で、 これは少々キツいかもしれないという不安が頭をよぎったのだった。 が、先般、日本一の富士山を日帰り再登山してきた という事実は私に大きな自信を持たせたようで、 その時の高度差 2,300m、 お鉢巡りを含む地図上の コースタイム 14時間を日帰りできたことを考えると、 これよりも苦しい山登りはないはずと思い、 越後駒ヶ岳水無渓谷ルートに向かうことにしたのであった。

ところで、3連休の中日を登山日に選んだのは、 今回の駒ヶ岳登山では晴天を期待すべく、 天気予報とじっくり相談したからで、 前日、インターネットで調べたところ、 この日は新潟県全域が快晴マークであったことによるものである。 ところがである、今回も天気予報に裏切られてしまったのであった。 朝、4時過ぎに横浜を出る時は空は曇っていて星が見ない状態で、 前回の中ノ岳登山の時に久々に満天の星を見て驚いたのとはエライ違いである。
それでも、 まだ国境の長いトンネルを抜けると快晴が待っていることが期待されたのだったが、 関越トンネルを抜けても空の状態は一向に変わらず 空一面が雲に覆われている状態で、 失望を抱きつつ登山口に向かったのであった。

道は、六日町ICで降り、八海山と同じように魚野川に架かる二日町橋を渡ってから左折し (中ノ岳へは直進)、やがて、八海山登山の時に右折した下原の十字路を通り過ぎ、 そのまままっすぐ進めば良い。 さらに 8kmほど道なりに進んだところで、 荒金入口と書かれた標識が出てくるので、 ここを右折して水無川を遡ることとなる。
道なりにドンドン進んでいくと、途中工事中の場所にぶつかり、 そのすぐ先で道は 2つに分かれることになったのであったが、 ここは事前にガイドブックを読んでいたので、 間違えることなく右の道を取った。 道幅はここからかなり狭くなり、 対向車が来たらすれ違えるスペースまで戻らねばならないという状況である。 この日は休日で、しかも早朝だったために問題なかったが、 普段、この狭い道を水無渓谷工事用の車両が行き来するようなので、 要注意である。
道は、目なしカーブが続き、 しかも道しるべがないので徐々に不安になってくるが、 かといって他に迷うような所もなかったので、とにかくまっすぐ進んでいくと、 やがて、ススキの中 左手に越後三山森林公園駐車場の看板が見え、 ようやくホッとしたのであった。

駐車場は結構広かったものの、止まっている車はわずか5台。この状況は下山した 16時でも変わらないのであった。空を見上げると、かすかに青空が覗いている所も見えるものの、 やはり一面を雲が覆っていて晴れそうもない。
ガッカリした気持ちで、通行止めと書かれた看板が括られた門をくぐって、 林道を 40分ほど歩いたのであったが、 林道周辺には通行止めの看板を無視した車が数台止められていた。 また、林道歩きの際にも2台の車が私を抜いていったし、 全くこれはどういうことであろう。 3連休だから護岸工事も休みということを見越しての違反であろうか、 何となく不愉快になる。

さて、これからのことは登山記録の方に譲るが、このコースはとにかくキツい登りの連続であった。
特に、越後駒ヶ岳手前にはクシガハナと呼ばれる鋭鋒があり、 稜線上に出た道はその頂上まで一気突き上げる感じで延びているのである。
稜線に立ってこの鋭鋒を見上げた時、 これは大変とかなりの難儀を覚悟したのであったが、 意外や意外。 一見大変そうに見えた登りも、 一歩一歩確実に足を運ぶうちに案外スンナリと登り切ることができたのであった。
これは恐らく、 この稜線が今や紅葉のまっただ中となっていたことが大きく、 息が切れて上や下を見る度に 赤、黄の鮮やかな色彩が目に入り、 心と身体を癒してくれたからに違いない。
そして、実際にキツかったのはこの登りの方ではなく、 同じ道の下りの方で、 露に濡れていたのか、滑り易い斜面を下るのは 本当に大変であった。

ところで、天候の方であるが、あれほど空一面を覆っていた雲は、登山口に辿り着く頃には、徐々に切れ始め、稜線を歩く頃にはほぼ晴天と化したのである。 本当に朝の状態から思えば、 奇跡としか言いようのない変わり様である。
従って、稜線を歩きながら振り返れば、 目の先には八海山が大きなボリュームを誇っており、 その山襞に流れる水が一筋の白糸になって見えるのも印象的であった。
右手には八海山から中ノ岳への稜線が存在感を示していたのだが、 肝心の中ノ岳は逆光の中、 ぼんやりとしか見えなかったのが残念である。

しかし、せっかく好天になったというのに、山の天気というものは変わりやすいものである。
あまり視界の利かない灌木の中をひたすら登り、 ようやくクシガハナの頂上に立った時は、 ガスが下から上がり出していて、 最早 八海山は全く見えず、 中ノ岳もその稜線がかすかに見える程度になっていたのであった。
この変わり様にはまたまたビックリであったが、 ありがたいことにこれから向かう駒ヶ岳にはまだガスがかかっておらず、 その山頂までの続く稜線をハッキリ見ることができたのであった。

しかし、これとて安心はできず、こちらも下のモチガハナ沢の方からガスが上がってきており、駒ヶ岳頂上で晴れているかどうかは、私とガスとの競争次第 という状況になったのである。
クシガハナから気持ちの良い稜線を歩き、 駒ヶ岳頂上まで 42分。 やはり自然のスピードには勝てるはずもなく、 駒ヶ岳頂上も一時はガスに囲まれてしまったのであったが、 運良く、頂上に着いた時にはガスは去り、 一応ある程度の視界は確保できたのであった。
けれど結局、水無渓谷は全く見えず、 八海山もガスの中にその鋸の歯が少し見えただけで、 これでは前回登った時とほとんど同じである。 こういうことは得てしてあるものである。 そういえば、両神山でもそうだったし、 鳳凰三山でもそうだった。

狭い駒ヶ岳頂上には大勢の人が憩っており、私もザックを置くスペースを確保するのがせいぜいであった。これだけの人が登ってきているからには、 それだけ登りやすいコースがあるのであろうが、 皆どこから登ってきたのであろう。 駒ノ湯、枝折峠からでも結構時間がかかるはずなのに、 大したものである。

ただ、こうした百名山の頂上にて会う人は地元の人ではなく、遠い地の人だという勝手な思いこみが私にはあった訳で、今回も頂上にいる人々は私のように遠路から来た人たちばかり と思っていたのだが、 頂上で飛び交う言葉は懐かしい越後弁 ? ばかりであった。
私は父と母が新潟出身なので、 祖父母のいる新潟 (長岡) には小さい頃良く連れて行ってもらったのだが、 この駒ヶ岳山頂ではその子供の頃良く聞いたその新潟なまりの言葉が多く飛び交っており、 ここが新潟の山であることを改めて認識するとともに、 地元の人たちが大勢登っているのだということに気づかされたのであった。
考えたら当たり前で、 地元の人が 「おらが山」 に登るのは当然なのだが、 百名山はその地元の人は既に登ってしまっており、 今は他の地域の人が百名山であることに惹かれて登っている などと考えていた私はいかにもアホであり、 どこか 「百名山かぶれ」 していたに違いない。反省である。 地元の人なら、この時間に頂上に大勢いても不思議ではないのである。

さて、頂上では居場所もないまま、およそ 8分居ただけで下山を開始した。 日本百名山の中では、最短の滞在時間であろう。 どうも混雑した山は苦手である。
帰りも登りと同じ道を下ったが、 途中出会った人は 2人ほど、 喧噪の駒ヶ岳山頂に比べて本当に静かなコースであった。
残念ながら期待した晴天の山は叶わなかったが、 紅葉真っ盛りの山に大変満足したのであった。

ところで、先に述べたように、通行止めの禁を破って車を林道に乗り入れていることに不快感を覚えたのだが、 その他に 2つほど不愉快に思ったことがある。
1つは、登山道途中の木々の幹に無惨にもナイフで名前などが刻まれている状況が見られたことで、 これは不愉快を通り越して犯罪である。 木々に残るのは古いナイフ跡であったから、 最近はこういう人はいないものと信じたいが、 こういう人たちが山に登っていると思うと怒りを覚える次第である。
もう 1つは、 本当に些細なことで気にする方がおかしいのかもしれないが、 頂上などの標柱、三角点、祠などを我がもの顔に使っている人たちが結構いることである。
今回も、 駒ヶ岳と書かれた丸太の標柱に自分の汗で濡れたシャツをかけて干している人がいたが、 折角登ってきた山頂であり、記念写真などを撮りたい人も多かろう、 公共のものとそうでないものをしっかり区別して欲しい気がする。
この他にも、 三角点に腰を下ろして飯を食べている人や、 標柱の下に荷物を置いてその場所を占領してしまっている人たちを見かけるが、 後から登ってきた人に配慮するのは登山者としての最低マナーという気がするので、 やはりもう少し気を遣って欲しい気がする。


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