登山NO.0083 燧ヶ岳( 燧ヶ岳:2,356m ) 1999.10.30 登山


 下田代十字路から見た燧ヶ岳( 1999.10.30 )
【燧ヶ岳登山記録】

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NO.83     燧ヶ岳登山記録

3週間ほど前の会津駒ヶ岳と同じ道筋を辿ったことから、 慣れもあり、尾瀬御池へのドライブは快調そのものであった。
また、東北自動車道の栃木IC付近では美しい日の出も拝むことができ、やや雲が出ているものの上空には青い空が広がり、 本日も前回の会津駒ヶ岳と同様の好天が期待できそうで、胸膨らむ思いであった。
しかしである、西那須野塩原ICで高速道を降りて塩原温泉街を抜けた後、長い尾頭トンネルを抜け出た途端、 周囲の様相は一変してしまう。
トンネルに入る前には周囲の紅葉を照らしていた明るい日差しは全く消えてしまい、 低い雲に覆われた空からは霧雨が降っており、道路や周辺の木々は完全に濡れていて、 つい先程まで激しい雨が降っていたことを思わせる状態になっていたのである。

天気予報では本日は晴れということであったので、 尾瀬御池に着くまでに天候が回復するのを期待していたのであるが、 期待むなしくこの状況は尾瀬御池まで変わることなく、ほとんど車の止まっていない御池の駐車場に降り立った時には、 霧雨に加えて思わず身震いする程の寒さが私を迎えてくれたのであった。
こんなはずでは という気持ちを押さえつつ、尾瀬御池ロッジで水筒に水を詰め、8時20分、 レインウェアーの上着だけを着て駐車場を出発した。
大きく広い駐車場を突っ切って登山道に入ると、すぐに燧ヶ岳への分岐を示す標識があり、 そこからは道を左にとることになった。まっすぐに続く木道は燧裏林道で、 予定ではこの林道を通って戻ってくることになっている。

燧ヶ岳への道は薄暗い樹林の中の登りで、ぬかるんだ場所が随所にあり、 また木の根や岩が多く露出しているので大変歩きにくい。
天候は霧雨が降ったり止んだりといった状態であったものの、空の明るさから大雨になるような気配がないのだけが心の支えであった。
周囲の景色はガスに囲まれてしまって全く見えず、従って黙々と、ただひたすら登って行くしかなく、それ故自然とペースも上がったのか、 登り始めてから 30分程経った 8時52分、意外と早く第一番目の湿原に到達することができた。広沢田代である。
本来なら広々とした湿原が目の前に広がり、心を和ませてくれるのであろうが、この日はガスに囲まれていてほとんど 20m位先しか視界が利かず、 ガスの中に延びる木道とその周辺に点在する池塘だけが見える状態であった。

広沢田代を抜けた先には再び樹林の中の悪路が待っており、噂通りの悪路に辟易しながらも黙々と登っていくと、 やがて小さなピークを越すことになり、その向こうには再び湿原の広がりが待っていた。
今度は熊沢田代である (9時32分)
普通、山はひたすら頂上に向かって登るだけのことが多いが、途中にこのような広々とした湿原があることに驚きを禁じ得ない。 最初にこの道を切り開いた人は、この湿原の発見に神の技を感じたのではなかろうかなどと思いながら木道を進んでいったが、 如何せんガスが視界を遮り、折角の神の為した技もその全容を見ることはできなかった。
この熊沢田代には木道を挟むようにして 2つの池があって、そこを通過する頃が一番霧雨が強く、これから先の天候がやや心配になったのだが、 幸いこの時を最悪時として徐々に天候は回復に向かっているようであった。

熊沢田代を後にすると再び樹林帯が待っており、やがて道はササの中を進むようになった。
この頃になるとようやく悪路から逃れられ、登山道らしき道となったという感じである。
やがて道は右に折れていき、その際、前方のササの中に道標がチラリと見えたのだが、 道はその道標の横は通らずに両側が削られた涸れた沢のようなところを一直線に登るようになっていた。
一瞬道を間違えたのではと不安になったのだが、少し登ると先程の道標がササの林の中にあるのが見え、 方向としては間違っていないようであった。
道標を置いた場所が悪いのだろうと勝手に納得した次第である。

涸れ沢のような道は、ガレた所を多く持ちながら一直線に上に伸びており、岩も雨に濡れて滑り易く、 一直線の登りが苦手な私にとってはこの日一番イヤな場所であった。
上の方を眺めては、いつまでこの登りが続くのかと思いつつ登っていくと、突然前に土の山が現れて道が塞がれたような状態になってしまった。
ハッと思ったら、そこから道は左の岸 ? に登るようになっていて、登り切った所には道を間違えないようにとの配慮からか、 地図と注意書きが書かれた表示板が置かれていた。
しかし、この地図が返って分かりにくく、よく理解できないまま前に進んでいくと、ガレ場が目の前に現れ、 一瞬どう進んで良いのか迷ってしまった。
先の地図が余計なことを考えさせたためなのであるが、木の土留めがガレ場を横切っていたのでそれに沿って進んでみるとこれが正解で、 ガレ場を横切った所に再び地図があり、そこからはササとハイマツの中の道へと変わったのであった。

周囲のササも低くなり、大きな岩も目に付くようになって、 辺りの様子はドンドン頂上が近いことを感じさせるようになってきたのだが、 時間を見ると駐車場からまだ 2時間ほどしか経っておらず、俎ー (マナイタグラ) がこんなに近いはずはない、 騙されてはいけないと言い聞かせながらの登りであった。
しかしである、大きな岩の間をすり抜けていくと、アッサリ小さな石の祠がいくつか置かれている俎ーの頂上に飛び出した訳で、 時間は 10時25分、駐車場から 2時間5分での到達であった。
贅沢な話ではあるが、こんなに簡単に頂上に着いてしまうと何か拍子抜けという感じである。

天候は回復基調にあるとはいえ、俎ーの頂上はガスに囲まれて視界が全く利かず、 本来なら見えるであろう尾瀬沼や尾瀬ヶ原、至仏山平ヶ岳会津駒ヶ岳などはどの方向にあるのかも全く分からない状態であった。
俎ー山頂には 10人弱の人たちが憩っており、私も食事にしようかと思ったのだが、風が吹いていて結構 寒さを感じたので、 記念写真を撮ってもらった後、直ぐさま最高峰の柴安ー (シバヤスグラ) へと向かうことにした (10時40分発)

柴安ーへは、岩に書かれている 矢印 + 『ハラ』 の文字に従って一旦岩場を下り、 やや小広い鞍部に出てから再び岩の間を登り返せばよく、俎ーから約 12分、頂上には誰もおらず、 カラスが 1羽迎えてくれただけであった (10時52分着)
頂上には立派な黒い石で作られた標柱が置かれており、尾瀬ヶ原を挟んでこの燧ヶ岳と対峙する至仏山頂上の白い石柱との対比が大変興味深い。

この柴安ーもガスに囲まれて視界は全く利かない状態であったことと、これから尾瀬ヶ原に下り、 そこから御池へ戻るまでの道程が長いことから、握り飯を 2つほど食べ、セルフタイマーで記念写真を撮った後、 直ぐさま下山することにした (11時7分発)
暫く岩とハイマツの中を下っていくと、道が 2つに分かれるようになったのだが、私は尾瀬ヶ原の全容が見られるであろう下田代十字路 (見晴) へ下る見晴新道を選ぶことにした (もう一方は、温泉小屋へと下る温泉小屋道)
この道も涸れた沢を下っていくような道で、静かで鳥の声も聞こえない中をただひたすら下り続けることになった。 ただ一つ心配なのは、熊が現れないかということで、ザックにくくりつけた熊よけのベルが鳴らすカランカランという音だけが頼りであった。

展望の利かない樹林帯の中をひたすら下り続けると、下の方になにやら金色をした雲のようなものが見えてきたのであった。
あれは何かと不思議に思っていたところ、何とそれは尾瀬ヶ原の広がりであった。
周囲がまだ雲に覆われている中、金色をした草原だけが浮き上がったように見えた訳なのだが、 目の悪い私にはそれが太陽の光を受けて金色に輝く雲のように見えたのである。
天候は間違いなく回復に向かっており、山を下りきり、あとは樹林の中に流れる沢沿い (というか、沢の中) の道を歩く頃には、 青い空も見え始め、太陽も顔を覗かせて暑く感じるくらいの光を差し始めたのであった。
これは喜ぶべきことなのだろうか、それとも 『今さら』 と残念に思うべきなのであろうか。

沢の中の道は枯れ葉に覆われていたため踏み跡も見えず、道を間違えたかと少し不安にさせられたが、 やがて水の流れる先に木道が現れ、そこからすぐ先で尾瀬ヶ原と尾瀬沼を結ぶ木道と合流したのであった (12時17分)
下田代十字路 (見晴) に着いた頃には完全に天候は回復しており、 目の前に広がる尾瀬ヶ原は太陽の光を受けて金色に輝き、振り向けば、青い空をバックに先程頂上を踏んだばかりの燧ヶ岳がクッキリとした姿を見せていたのであった。

温泉小屋へと向かう木道歩きも気分が良く、黄金色の原の先に見える景鶴山の特異な姿が印象的であった。
一方、燧ヶ岳と向かい合う至仏山の方は、山腹途中から上を雲に覆われており、 その姿を見ることができなかったのであった。
この尾瀬ヶ原周辺の小屋は皆閉めており、完全に尾瀬はシーズンオフであったものの、それだけに木道ですれ違う人もほとんどなく、 静かな尾瀬を堪能できたのは幸いであった。
温泉小屋からは段吉新道・燧裏林道を通って御池へと戻ったが、山の雑記帳にも書いたように その距離の長いのには些かウンザリさせられた。
しかし、この 7kmにも及ぶ道のほとんどに木道が敷かれており、 また途中の渋沢には土石流を防ぐために立派な橋まで架けられているなど、その整備に対する力の入れようには頭が下がる思いである。

西田代、横田代、上田代と続く湿原を通る頃には 再び太陽は雲に隠れてしまい、 周囲の山もガスに覆われてしまっていたが、晩秋の尾瀬をある程度楽しめたと言えよう。
惜しむらくは、燧ヶ岳の登山中には全く視界を得ることができなかったことで、 尾瀬沼の姿や 3週間前に登った会津駒ヶ岳の姿を見ることができなかったのは返す返すも残念である。
タイミングが少しズレていれば、天候の回復によって頂上からの展望を得ることもできたのであろうが、 これも所謂 " Such is 登山 " である。

御池の駐車場に着いたのは 14時51分、燧ヶ岳への登りよりはむしろ、 その後の木道歩きに結構くたびれた山行であった。


燧ヶ岳登山データ

上記登山のデータ 登山日:1999.10.30 天候:雨後曇り時々晴れ 単独行 日帰り
登山路:尾瀬御池−広沢田代−熊沢田代−俎ー−柴安ー−見晴新道分岐− 下田代十字路(見晴)−温泉小屋−段吉新道−燧裏林道−横田代−上田代−尾瀬御池
交通往路:瀬谷−横浜IC−(東名高速道)−用賀料金所−(首都高速)−川口JCT−浦和IC−(東北自動車道)− 西那須野塩原IC−塩原温泉−木賊温泉−檜枝岐村−尾瀬御池 (車にて)
交通復路:尾瀬御池−檜枝岐村−木賊温泉−塩原温泉−西那須野塩原IC−(東北自動車道)−浦和IC−(首都高速・第3京浜)−港北IC−瀬谷 (車にて)
その他の燧ヶ岳登山 尾瀬御池−広沢田代−熊沢田代−俎ー−柴安ー−俎ー (往路を戻る)
 (2004年11月6日 : 曇り時々晴れ)    こ こをクリック

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