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松江市内あちこち
In Matsue

 島根城の北、八雲記念館、旧居、田部美術館、八雲庵、武家屋敷の並び。
電柱がないだけで、こうも美しいし、江戸と現代が合体したような不思議な風景です。

 塩見縄手・・小泉八雲旧居他(35 28 42.04,133 03 00.99)


 さて、市内も松江城以外に見所はありますが、集中しているのは小泉八雲旧居付近と、中心部のカラコロ工房付近でしょうか。美しかったのは塩見縄手といわれる通りで、小泉八雲旧居や公開されている武家屋敷、そしてしっかり観光客を集めている出雲そば屋などが並んでいるエリアです。城の緑、濠の水辺、そこに面する江戸期の武家屋敷群。山口の萩も残っているのでしょうが、これだけ連続してかつての町並みが残っているのも珍しい。それも県庁所在地で。小泉八雲は日本に来てから10箇所に住んだそうですが、その中で残っているのはここだけとのこと。東京も神戸も熊本もすっかり様相が変わっていく中、松江だけが明治期、いや江戸期の風情を残しています。

 東京にいるとあまり感じませんが、都市の変貌のスピードは東京が非常に速く、地方に行くに従って徐々に緩やかになります。大阪でさえも東京との速度の差を感じますから、それが松江まで来ると本当にゆったりとした都市のうつろいを目にすることが出来ます。
 それが商業地というか中心になるとなかなか難しい。商売が成り立たなければ変わっていくし、地価が相応だと何かと活用したくなっていく。京都の町屋の危機はここにその遠因があります。カラコロから泊まった旅館の周囲はその商売替えに苦しんでいる様が見受けられますが、八雲旧居周辺はそういう心配の無く、また保存と観光がしっかりとマッチしているエリアでした。

八雲旧居。彼は武家屋敷を住むことを所望し、この場所を得ることが出来ました。ちょっとプレート類を整理してくれればと思ってしまいましたが、いいアプローチです。
八雲旧居の庭。枯山水といわれればなるほどそうです。実に居心地のいい縁側でした。
武家屋敷の側面です。落ち着いたたたずまいのいい建物でした。白壁がいいですね。南北に結構長いため、屋根はご覧のような処理をしています。 武家屋敷の庭。八雲旧居より規模が大きなため、植えられている木々も豪快です。

 古墳の丘古曽志公園(35 28 51.64,132 59 25.66)


 2泊3日の松江最後に行ったのは古曽志公園です。ここまで足を伸ばすような観光客も滅多にいないと思いますが、ガイドブックで見つけ、何より空が広そうという思いから、郊外まで足を伸ばしてきました。3日目になると勝って知ったる宿から最も近いバス停大橋南詰から、1時間に1本も無いバスをつかまえ、西に向かいます。約30分で着いた所が旭が丘南。その山の上に古曽志公園があります。
 
 宅地開発で発見された古墳。それを現況保存することは出来なかったけれど、その代わり多分元から計画されていたと思われる公園の一角に、大々的にというか、原寸大で復元したのがこの古墳の丘古曽志公園です。復元なので年代を経た重みは無くなりましたが、創建当時の姿を再現した迫力が感じられるなかなかのものでした。

 古墳というと、緑に覆われた小山という印象がありますが、それは何世紀も経ったからそうなる訳で、建設当初は全面石張り、いや石積みだし、頂上端部には埴輪が並べられていたというのが、発掘して判明したとか。従って再現古墳は下の写真のような全面石積みの姿になっています。それを改めて見ると結構大陸的な印象を受けます。実際のところも大陸の人々がどんどんこの地をはじめとする各地を訪れ、集落を、そして国家を形成していったのでしょう。

 縄文人と弥生人の攻防、狩猟民族と農耕民族との攻防、それは例えば征夷大将軍の「征夷」の字は弓する人を表現する「夷」を「征」することから来ているとか、様々な論説が飛び交う中、この再現古墳は宍道湖をしっかりと見下ろす大地の上で、その存在感を示していました。当然観光客はおらず、時々地元の子供が遊びに来るだけの公園ですが、いやなかなか面白かったのです。

再現された古曽志大谷一号墳。左も丸くなく角張っているため全方後方墳になります。これだけの石、そして埴輪を並べると存在感ありますね。全長46mあるそうです。
公園の見取り図。薄茶色が公園エリア、赤色が見つかった遺跡の場所です。左の住宅地の中にある赤い前方後方墳が造成で無くなり、その代わりに右下の公園内に同縮尺で再現したのが上の写真になります。公園には現況保存された姥ガ谷古墳群(四角が三つ並んでいる)や大きな円墳である古曽志大塚1号墳を取り込んでその区域が設定されたのでしょう。いや充実の公園でした。
方墳が綺麗に三つ並んでいる古曽志姥ガヶ谷古墳群。現況の上に保護のための土盛りをしています。ここも開放的だった。
古曽志大谷一号墳から見た開発された住宅地、そして宍道湖を見ています。元々はあの住宅地の中にあったのですね。それを一段と高い場所に復元した訳だ。
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