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神魂神社、八重垣神社
Kamosu Shrine, Yaegaki Shrine

 神魂神社本殿。この高床の堂々とした様。また屋根の上の千木が水平に切られているのが女千木です。
ここまで本殿に近づけるのが素晴らしい。

 神魂神社(35 25 31.85,133 05 02.72)

 神の国の見所は出雲大社だけではありません。あちこちに神社があるのがこの地方の大きな特色なのですから。その中で外せないのが神魂神社でしょう。大社造りとして最古の建築、そしてここで買った絵はがきには日本最古の建築様式と書かれています。日本最古の建築様式と言い切っていいかどうかは分かりませんが、伊勢神宮の神明作とこちらの大社作が神社建築の最も古い形式であることは間違いない所です。

 寺院建築は大陸からの輸入物であり、日本古来からの様式に基づいた建築は神社建築にある。こちらこそ日本の伝統なのだ、なんて神社本庁が言っているかどうかは知りませんが、実際そんな所なのでしょう。どう見ても古代の高床式家屋がベースになっているこの様式は、銅鐸などに描かれたいにしえの家屋の形を今に伝えています。
 
 でも前に触れたとおり、仮設建築から出発した神社は、式年造替という制度を天武天皇の昔から正式に定め、結果あまり古い建物は残されていません。そして伊勢神宮は造替を忠実に守り今に至っています。その点ここ神魂神社は正平元年(1346)、出雲大社は延亨元年(1744)の造替が最後であり、財力の差が古さの差になったという所でしょうか。そして結果国宝になっています。(伊勢神宮は国宝ではない)しかし天武天皇時代に式年造替定められたというのも凄い話で、殆ど日本の体制が形成された時から定まっていたことになるのですね。
 
 大社造は切妻妻入ですが、新明造は切妻平入で、あまり高さを表現しないのが特徴です。大社造の方が高床式住居の形をより濃く写していると言っていいでしょう。ウィキペディアでは新明造が高床式倉庫から発展したと記述していますが、大社造の方がより高床式住居に近いと思います。倉庫というのも俗説で、住居を模したものでしょう。

そして、その大社作も出雲とここでは微妙に違うのです。大国主を祀る男造の出雲大社は男千木だし、上座は左を向いていますが、こちら神魂神社は伊奘冊(いざなみ)尊を祀る女造であり、女千木であり、上座は右を向いています。(建物が西向きのため、結果北向きです)誰がそういう差を考案し、形にしてきたのでしょうか。神話を元にした繊細な日本の形がここにもあります。
 
 神魂神社には長い参道はないし、ましてや鉄筋の会館がある訳ではない。訪れる人もまばらで、本当にひっそりとたたずんでいますが、その素朴さ、均整の取れた本殿の神々しさ、静けさ、どれをとっても出雲大社より惹かれるものがありました。後陣の山の迫力は出雲大社に敵わないけれど、境内の神聖さは明らかに勝っています。去りがたい空間がここに確かにありました。

拝殿内部。そうか畳なんだ。正面には鏡があります。神紋の「有」は神在月である十月を変形させたとか。なるほど確かに月に十を加えると有の字になる。
下の貴布裲稲荷両神社のもう一つ隣にあった一角。これが神社の原型と言えるのかもしれません。
神魂神社脇にある小さな貴布裲稲荷両神社。重文です。しかし二間というのは非常に珍しい。とにかく中央に柱を持ってくるとは異例中の異例なのです。室町時代だとか。因みに、四間の例は奈良法隆寺の中門があり、これも珍しい。

八重垣神社(35 25 44.59,133 04 24.37)

 神魂神社から里山の道を1kmちょっと歩くと、八重垣神社に出ることが出来ます。辺りは古墳群があったり、横穴墓群があったりと、正に史跡が集積している一帯です。そんな道をのんびりと歩いていくとやがて着くのが八重垣神社。ここで有名なのは鏡の池、別名縁結び占いの池です。占い用紙にコインを乗せ、池に浮かべてお祈りをする。早く沈めば良縁が早く来るし、遅いと縁が遠いとか。娘がこういうのを喜んでやるような歳になったということか。しかし古墳群といい神社といい、何でこんなに密集しているのでしょうか。

 

神魂神社から八重垣神社へのルートがマップで張り出されていました。古墳群がこんなにあるのですね。 八重垣神社本殿。神魂神社と比べるとずっと可愛くなりました。

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