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足立美術館
Adachi Museum of Art
35 22 48.03,133 11 39.02

 そろそろ雨が上がった庭園。間の集落や道路を隠し、遠景の山と一体とさせる見事さ。

 旅の最後は足立美術館まで足を伸ばします。美保関の宿からご主人に境港まで送ってもらい、水木しげるロードをちょっと見てから境港線で米子へ。さらに山陰本線で安来まで行き、そこから美術館の送迎バスを利用して足立美術館に着きます。JRも本数が少なく苦労しますが、それでも朝ゆっくり宿を出ればお昼には美術館に着くことが出来ます。昼食を門前で取ってからいざ美術館へ。

 日本で個人コレクションの美術館というのもあちこちにあります。企業名を冠している出光、ブリジストン、山種、サントリー、安宅、そして個人名が入ったものとなると、大倉集古、五島美術館、松岡美術館・・・忘れてはいけない大原美術館、異色の原美術館、また川村美術館も個人名ですねかどれも一企業を発展させる過程で経営者が美術品を収集し、それを展示するというプロセスを辿っています。間違えると安宅やのようになり、その安宅コレクションを引き継いだ山種美術館も本業の証券会社は吸収され名前が無くなったりしていますが、他は大体経営と収拾とのバランスは取れていたと言えるでしょう。
 
 ここ足立美術館も殆どそのパターンです。足立全康氏が炭の小売りから始め、繊維、不動産等の事業の傍ら、美術品、特に横山大観の作品を精力的に収集し、昭和45年に生まれ故郷の地に美術館を作ったとのこと。まさしく立身出世伝説でしょう。これだけのコレクション、これだけの庭園。それを観に訪れる多くの観光客。ひっきりなしに入ってくる観光バス。正に彼は故郷に錦を飾りました。
 で、よく分からないのは本業はどうしたかということです。炭の小売りの後大阪に出て繊維業、そして不動産業と拡大、特に新大阪周辺で一山いやいくつもの山を当てたようです。その後不動産投資から美術品投資に転換し、更に拡大路線を辿った所に洋画投資がバブル崩壊に重なって失敗したとか。ということは本業はもはや無く、この財団が本業になっているということなのでしょうか。
 
 そんな俗世間の荒波の末の美術館なのですが、入ってしまえば正に世間から隔絶された安寧がここにはあります。一般の美術館とは違い、観光団体客が過半のため、その人たちの行動パターンが忙しいといったことはありますが、それを気にしなければ、結構良くできた美術館です。戦略を持って運営している気がするのがその庭です。足立氏が本当に庭好きだったというのもあるのでしょうが、実に手間暇かけて手入れされているのは感心。更に敷地外の山の借景を維持すると共に、そこに滝まで作ってしまうという大胆さ。で、これに追い打ちをかけるようなものが「庭園日本一」というキャッチフレーズです。「ジャーナルオブジャパニーズガーデニング」という雑誌が6年連続で日本一に選出したとか。で2位が桂離宮、3位養浩館(福井)4位山本亭(東京)と続きます。何で日本庭園の格付けを外国の雑誌がするのかよく分かりませんが、また寺院系が無く、個人邸宅のみというのも分かりませんが、そうやって箔をつけています。このスケール感がどちらかというと外人向けかもしれません。
 
 そして管理の良さは一品です。それを支えるだけの入場者の列がここにはありますから。ディズニーランドが常に綺麗なように、ここも多くの入場者の払う料金によって十分な維持管理が成されているのでした。
 コレクションも充実でしょう。横山大観は好き嫌いがあるかもしれませんが、その時期の日本を代表した画家であることは間違いありません。そういう訳で最終の送迎バスの時間まで、コレクションを、そして庭園を堪能したのでした。

庭の向こうの滝は道路を挟んだ山に設けられています。というのが随分有名になったような。当然人工です。
こちらは反対側の茶室方面。池も綺麗ですね。
茶室では掛け軸の代わりに、自然の情景を楽しむ仕掛け。 ありました銅像が。このポーズ、札幌のクラーク博士のものとよく似ています。大志を抱け!
再びの中央庭園。毎朝ゴミを拾い、白砂を清め、庭木の手入れをしているとか。昼間立ち入れるのは小鳥だけでした。

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