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美保関
Mihonoseki

(美保神社)35 33 44.36,133 18 23.77

 美保神社拝殿。この堂々とした造りがさすが神の国を彷彿とさせます。

 松江の宿の近く、大橋南詰のバス停から今度は美保関行きのバスに乗り、松江を離れます。終点の美保関ターミナルまで約40分乗ると、よく使ったパーフェクトチケットもいよいよおしまい。そこからはコミュニティバスという町が運営しているマイクロバスに乗り換え、これまた終点の美保関まで約20分。ようやく目的地に着くことが出来ました。とにかく我々の旅はひたすら公共交通機関を活用するものですから、事前のリサーチ、現地の確認が欠かせません。地方でのバス便がどんどん減らされる中、最後の頼りが町営バスになります。おばあちゃんはこれに乗って買い物、そして病院通いするのでしょうね。

 美保関は宿の所で触れたように、絵に描いたような漁港の集落です。貴重な南面の入り江を最大限活用して、古くは北前船の基地として、今は漁港として活動しています。また磯釣りのベースにもなっていますし、観光客も足を運ぶスポットです。残念ながら高度成長期にその観光客目当てに旅館が建設されたのが今ひとつぱっとしない建物で、それが集落の景観を壊していますが、それでもまだまだ雰囲気をたたえた集落です。
 
 びっくりするのはやはり美保神社でしょう。神の国では何処に行っても神社が立派なのですが、ここまで来てこんなに大きなものがあるとはやはり驚きです。集落の大きさと神社の規模とを比べると、尋常ではないというのが正直な所。この集落の人たちで造り、維持してきたのでしょうか。いや、ここは全国のゑびす様の総本社だそうですから、全国から上納というか様々な奉納、そして勤労奉仕などがあったのでしょう。
 また本殿が直ぐ後に建てられ、それも横に2棟連なっているにという珍しい造り・・美保造というそうです・・祭神が三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)の二神を祀っているからそうなっているとか。誰が何処で編み出し、形にしたのでしょうか。神社の奥もかなり深そうです。
 
 また集落の中を歩くのも楽しい。漁村は何処もそうですが、平地が少ないため、密集して人家が建てられているのです。平らな所は精一杯使う。広い道路なんか必要ない。風雨を避けるためにも寄り添っていた方がいい。そんな考えからか、車が通れる道がごく限られるのがここでも見られます。こういう景観を大事にして欲しいなんて一見の人は気軽に言いますが、維持するのは当然大変なこと。昔の家より今の家の方が快適に決まっていますから、資金があればどんどん建て替わっていくのが世の常です。今までそれが残っていた所は、殆ど建て替えるという意志決定に行かなかったからでしょう。消去法としての建物保存が殆どの状況です。そこから結果豊後高田のように開き直りとも言える町おこしも生まれてきた昨今。ここも新たな動きが起きてくれば素晴らしいことだとは思いますが。さあ、この集落はこれからどう変容していくのでしょうか。

宿の主人、福間さんがこれから磯釣り客のピックアップに行くので、よかったら乗らないかと誘って頂き、美保関灯台付近まで行って来ました。いや外洋のうねりたるやものすごく、子供が気持ち悪くなってしまった。カンガルー島への船以来の大揺れでした。
港の中はいつもこんなに静かなのでしょうか。高い建物は大体旅館です。泊まった浜延舎の前からの1枚です。
保神社本殿を裏から撮りました。男千木と女千木とが並んでいるのが分かります。考えてみると、神社というのは寺よりよっぽど人間くさいものなのですね。
港から一つ中に並行に走っている小径。ここいらは石畳にしています。確かに風情ありますね。
その続きにあった多分商家だったのでしょう。全面開放となる造りと、真ん中にある唐破風が面白い。 もっと歩いていくと、こんなに狭くなりました。でもよく残っています。インターロッキングになっていた。
港の向こうに薄く大山が見えています。ハッキリ見えなかった点が逆にその大きさを際だたせていました。

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