歌枕紀行 近江国
―おうみのくに―
逢坂の関・琵琶湖・志賀の唐崎・信楽・比叡山・日吉大社・三井寺
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近江国の主な歌枕(五十音順)
あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行
あ
朝妻 坂田郡米原町の天野川河口南岸。古代から湖東の港として栄えた。
恋ひ恋ひて夜はあふみの朝妻に君もなぎさといふはまことか(藤原為忠「新続古今集」)
安曇 高島郡安曇川町。琵琶湖に注ぐ安曇川の河口は三角州をなし、湊として栄えた。
高島の安曇白波は騒けども我は家思ふ廬り悲しみ(「万葉集」巻七)
粟津 大津市膳所(ぜぜ)から瀬田橋付近。東国へ向かう交通の要地。
関越えて粟津の杜のあはずとも清水に見えし影を忘るな(読人不知「後撰集」)
伊香山 伊香郡の賤が岳の南嶺かと言う。余呉湖に臨む。
いかご山野べにさきたる萩みれば君が宿なる尾花しぞ思ふ(笠金村「万葉集」)
不知哉川 大堀川(芹川)の古名かという。犬上郡の霊仙(りやうぜん)山に発し、正法寺山の南西を流れ、彦根市で琵琶湖に注ぐ。「いさや」と掛詞になることが多い。
犬上の鳥籠の山なる不知哉川いさとを聞こせ我が名のらすな(「万葉集」巻十一)
石山 滋賀県大津市。観音信仰で名高い石山寺がある。
都にも人や待つらん石山の峰にのこれる秋の夜の月(藤原長能「新古今集」)
伊吹山 岐阜県との県境をなす伊吹山地の主峰。標高1377メートル。古生代石灰岩よりなり、全山が草原をなして特異な山容を見せる。艾(もぐさ)の名産地。また倭建命の伝説などでも名高い。
かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを(藤原実方「後拾遺集」)
打出の浜 大津市松本・馬場(ばんば)あたりの浜の古名。
近江なる打出の浜のうちいでつつ恨みやせまし人の心を(読人不知「拾遺集」)
老蘇の森 蒲生郡安土町老蘇の奧石(おいそ)神社の森。時鳥を詠み込むことが多く、また「老い」と掛詞になって老年述懐の歌がよく詠まれた。
東路の思ひ出にせんほととぎす老蘇の森の夜半の一声(大江公資「後拾遺集」)
逢坂 現代仮名遣いでは「おうさか」となる。相坂・合坂などとも書く。山城・近江国境の峠道。畿内の北限とされ、関が設けられていた。ここを越えれば東国であった。
これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも相坂の関(蝉丸「後撰集」)
夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ(清少納言「後拾遺集」)
近江 旧国名。淡水湖を意味する淡海(あはうみ→あふみ)に由来する。現在の滋賀県。「逢ふ」「逢ふ身」と掛詞になることが多い。
けふ別れあすはあふみと思へども夜やふけぬらん袖のつゆけき(紀利貞「古今集」)
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり(河野裕子)
近江の海 「淡海の海」とも書かれる。琵琶湖の古称。単に淡海とも言い、また浜名湖を「とほつあふみ」と呼ぶのに対し「ちかつあふみ」(京から近い淡水湖、の意)とも言った。別名「鳰(にお)の海」。
淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(人麻呂「万葉集」)
大津 大津市。琵琶湖南岸の港として賑わった。天智天皇は天智六年(667)、この地に遷都した。
我が命ま幸くあらばまたも見む志賀の大津に寄する白波(穂積老「万葉集」)
息長川 天野川の古名。伊吹山麓に発し、米原町の北、朝妻筑摩の地で琵琶湖に注ぐ。
にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも(馬国人「万葉集」)
陪膳の浜 大津市膳所の湖浜の古称。大津宮に都があった時、この地に御厨(みくりや)が置かれたことに由来する地名。
とどこほる時もあらじな近江なる陪膳の浜の海人のひつぎは(平兼盛「拾遺集」)
か
鏡山 蒲生郡竜王町と野洲郡野洲町の境にある山。鏡神社が鎮座し、古来信仰の対象であった。鏡に見立てて歌が詠まれることが多い。
近江のや鏡の山をたてたればかねてぞ見ゆる君が千歳は(大伴黒主「古今集」)
堅田 大津市本堅田町・今堅田町・衣川町のあたり。平安時代には「堅田の渡し」があった。今は琵琶湖大橋が架かる。
さざ波やよるべも知らずなりにけり逢ふはかたたのあまの捨舟(道玄「新続古今集」)
蒲生野 歴史的仮名遣いでは「がまふの」。近江八幡市東部・蒲生郡安土町・八日市市西部にわたる野。万葉集の額田王の名歌「あかねさす紫野ゆき…」はこの地で催された薬狩の際に詠まれた。
蒲生野の標野の原のをみなへし野守に見すな妹が袖ふる(大江匡房)
唐崎 「辛崎」「辛前」「韓崎」とも書かれる。大津市唐崎。琵琶湖の西岸で、港があった。夏越祓(なごしのはらえ)や賀茂斎院退下の際の禊(みそぎ)の地。松と月の名所。
楽浪の志賀の唐崎さきくあれど大宮人の舟待ちかねつ(人麻呂「万葉集」)
氷りゐし志賀の唐崎うちとけてさざ波よする春風ぞ吹く(大江匡房「詞花集」)
朽木の杣 『歌枕名寄(なよせ)』によれば、近江国甲賀郡の歌枕。京都への木材の供給地であったらしい。
花咲かでいく世の春にあふみなる朽木の杣の谷の埋れ木(藤原雅経「新勅撰集」)
こだかみ山 己高山・小高見山などと書く。伊香郡木之本町木之本の東にある山。山岳仏教の霊場として栄えた。
ころも手に余呉の浦風さえさえてこだかみ山に雪降りにけり(源頼綱「金葉集」)
さ
醒井 坂田郡米原町醒ケ井の清水。古事記の倭建命の伝説に因む名。動詞「醒め」と掛詞になる場合が多い。
わくらばに行きて見てしか醒が井の古き清水にやどる月影(源実朝)
塩津山 琵琶湖最北部にあたる塩津湾の奧にある港、塩津から、福井県敦賀市へ越える塩津越えの山。
塩津山打ち越えゆけば我が乗れる馬ぞつまづく家恋ふらしも(笠金村「万葉集」)
志賀 琵琶湖西南岸、南志賀地方。西に比叡山を望む。三井寺・日吉大社など多数の寺社があり、都からの参拝で賑わった。「志賀の都」は大津京を指す。桜の花園があり、よく歌に詠まれた。
楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも(人麻呂「万葉集」)
明日よりは志賀の花園まれにだに誰かはとはむ春のふるさと(藤原良経「新古今集」)
信楽 甲賀郡信楽町。天平時代、聖武天皇により紫香楽宮(しがらきのみや)が営まれた。平安時代以後は物寂しい山里として冬や浅春の景が詠まれることが多い。
きのふかも霰降りしは信楽の外山の霞春めきにけり(藤原惟成「詞花集」)
篠原 野洲郡野洲町大篠原あたり。旅の歌として「野路(のぢ)の篠原」が詠まれることが多い。
うちしぐれふる里思ふ袖ぬれて行くさき遠き野路の篠原(阿仏尼「十六夜日記」)
瀬田 大津市瀬田。この地で琵琶湖に架かる橋は「瀬田の長橋」「瀬田の唐橋」と呼ばれた。交通の要衝で、古来たびたび戦乱の舞台となった。
望月の駒ひきわたす音すなり瀬田の長道橋もとどろに(平兼盛)
た
高島 高島郡。琵琶湖西岸。
いづくにか我は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば(高市黒人「万葉集」)
田上 大津市田上町。田上山は、奈良時代、宮殿の建築用材の産出地であった。また瀬田川に合流する田上川は網代(あじろ)の名所。
月影の田上川にきよければ網代に氷魚のよるもみえけり(清原元輔「拾遺集」)
筑摩 坂田郡米原町。古く、御厨(みくりや)があり、宮廷に神饌の料を貢進した。筑摩神社は四月八日の鍋冠(なべかむり)祭で名高い。近在の女は関係を結んだ男の数だけ土鍋を奉納し、偽ると祟りがあるとされた。
いつしかも筑摩の祭はやせなむつれなき人の鍋の数見む(読人不知「拾遺集」)
鳥籠山 彦根市西方の丘陵。正法寺町の正法寺山とする説がある。
淡海道の鳥籠の山なる不知哉川日のこのごろは恋ひつつもあらむ(斉明天皇「万葉集」)
な
長等山 大津市。山麓に三井寺がある。桜の名所。助詞「ながら」と掛詞になることが多い。
さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな(読人不知「千載集」)
鳰の海 現代仮名遣いでは「におのうみ」。琵琶湖の古称。鳰はカイツブリのこと。
鳰の海や霞のうちにこぐ船のまほにも春のけしきなるかな(式子内親王「新勅撰集」)
野路の玉川 六玉川(むたまがわ)の一つ。草津市を流れ琵琶湖に注ぐ十禅寺川かと言う。
明日も来む野路の玉川萩越えて色なる波に月やどりけり(源俊頼)
は
比叡山 京都市と大津市の境を南北に連なる山。叡山とも。天台宗総本山延暦寺がある。延暦年間、最澄がこの山に一乗止観院を建立したのがその始まりであった。
大比叡やをひえの山も秋くれば遠目も見えず霧のまがきに(曾禰好忠)
日吉大社 大津市坂本にある古社。比叡山延暦寺の鎮守。古くは日枝(ひえ)の社とも言った。
やはらぐる光さやかに照らし見よ頼む日吉の七のみやしろ(藤原定家)
比良 滋賀郡志賀町北比良・南比良あたりの地。琵琶湖西岸。古く舒明天皇の宮があった。西方の山々を「比良の山」と総称する。
我が船は比良の湊に榜ぎ泊てむ沖へな離りさ夜更けにけり(高市黒人「万葉集」)
花さそふ比良の山風吹きにけりこぎゆく舟の跡見ゆるまで(宮内卿「新古今集」)
ま
真野 大津市真野町。琵琶湖西岸。今堅田で琵琶湖に注ぐ真野川の下流にあたる。入江をなし、尾花(薄)の名所。
うづら鳴く真野の入江のはま風に尾花なみよる秋の夕暮(源俊頼「金葉集」)
三井寺 園城寺(おんじょうじ)とも。天安二年(858)、円珍により延暦寺別院として発足したが、その後対立して分離した。延暦寺を山門と呼ぶのに対し、寺門と呼ぶ。
三井寺焼けて後、住み侍りける坊を思ひやりてよめる
住みなれし我が古郷はこの頃や浅茅が原に鶉なくらむ(行尊「新古今集」)
三尾 水尾とも書く。高島郡。
思ひつつ来れど来かねて三尾の崎真長の浦をまたかへりみつ(碁師「万葉集」)
三上山 野洲郡野洲町にある山。三神山・御神山・御上山などとも書く。近江富士とも呼ばれる美しい山容。
浅みどり三上の山の春霞たつや千歳のはじめなるらん(大江匡房)
水茎の岡 近江八幡市水茎(すいけい)町にある岡。上代、「水茎の」は「岡」に掛かる枕詞で、古今集などに見える「水茎の岡」が地名かどうかは疑わしいが、『八雲御抄』は「水茎岡」を近江国の歌枕としている。
水茎の岡の葛原吹きかへしころも手うすき秋の初風(藤原定家)
三津 大津市下坂本町あたりの琵琶湖岸。
ほととぎす三津の浜辺に待つ声を比良のたかねに鳴き過ぐべしや(俊恵)
守山 守山(もりやま)市。東山道の宿。動詞「守る・漏る」と掛詞になることが多い。
白露もしぐれもいたくもる山は下葉のこらず色づきにけり(紀貫之「古今集」)
や
野洲川 三重県境の御在所山に発し、三上山麓を流れて琵琶湖に注ぐ川。
うち渡る野洲の河原になく千鳥さやかにみえず明けがたの空(源頼政)
ゆるぎの森 「万木の森」などと書かれる。高島郡安曇川町。与呂伎(よろぎ)神社あたりを中心とした森。
高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを(「古今六帖」)
余呉の湖 琵琶湖の北、伊香(いか)郡余呉町にある湖。「伊香(いかご)の小江(おうみ)」「伊香の海」とも呼んだ。天の羽衣伝説がある。
雲晴るる比良山風に余呉の海の沖かけてすむ夜半の月影(藤原公重)
©水垣 久 最終更新日:平成15-07-14