歌枕紀行 信楽
―しがらき―
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甲賀寺趾 |
滋賀県甲賀郡信楽町。深い山に囲まれた狭小な盆地であるが、天平時代、聖武天皇により紫香楽宮(しがらきのみや)が営まれた。有名な大仏建立の詔は天平十五年(743)、この地で発布されたものである。甲賀寺での盧舎那仏(るしゃなぶつ)造立に情熱を傾けた聖武天皇は十七年正月、ここに都を移す。しかし遷都直後から山火事や地震など災異が続出し、同じ年の五月には奈良に還都した。わずか四ヶ月ばかりの短命な都に終わったのである。
万葉集にこの地を詠んだ歌はないが、平安時代以後、物寂しい山里として冬や浅春の景が好んで詠まれるようになった。
春たちて程は経ぬらし信楽の山は霞にうづもれにけり(源重之)
きのふかも霰降りしは信楽の外山の霞春めきにけり(藤原惟成「詞花集」)
むら雲のと山の峰にかかるかと見ればしぐるる信楽の里(平経正「新勅撰集」)
春浅みすずの籬に風さえてまだ雪消えぬ信楽の里(西行)
甲賀寺趾
信楽町は今では信楽焼で全国にその名を知られている。信楽高原鉄道の駅を降りれば、狸の置物などを並べた陶器店が櫛比(しっぴ)する。この地での陶器製造が考古学的に確認できるのは中世以降とされ、信楽焼が注目されるのは、茶道が興隆した室町時代以降のことである
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©水垣 久 最終更新日:平成13-08-18