橘曙覧 たちばなのあけみ 文化九〜慶応四(1812-1868)

文化九年五月、福井で紙商を営んでいた正玄(しょうげん)家に生れる。橘諸兄三十九世の末裔と伝わる裕福な旧家であった。父は五郎右衛門、母は都留子。幼名は五三郎、のち尚事(なおこと)。四十三歳の時、大病を患い一命を取り留めたのを機に、曙覧に改名した。本姓橘に因み、橘の木に生る赤い実に由来する名である。
二歳で母を、十五歳で父を失う。父の死後仏道に心を向け、日蓮宗妙泰寺の住職明導に経典や漢文を学ぶ。やがて学問に志し、京に出て頼山陽門下の児玉旗山の儒学塾に入ったが、まもなく国へ呼び戻された。天保三年(1832)、三国港の富商酒井氏の次女奈於(直子)と入籍。翌年、父の死後家業を見ていた伯父が亡くなり、正式に家業を継いだ。しかしこの頃から文学にのめり込むようになり、やがて家督を弟に譲って足羽山に隠居した(足羽山隠居の年については二十五歳説、二十八歳説、三十五歳説がある)。
足羽山中腹の草庵を黄金舎(こがねのや)と名づけ、和歌と国学に打ち込む。本居宣長に私淑し、天保十五年(1844)、宣長門の国学者田中大秀を飛騨高山に訪ねて入門の許しを得た。弘化三年(1846)、長男今滋が生れる(曙覧の死後、父の伝記を書き、歌集を編纂出版することになる)。嘉永元年(1848)、三十七歳の時、門弟の援助で建てた福井三橋町の新居に移り住む。ここを藁屋と称し、半農生活を送り、歌文や筆耕で僅かな収入を得つつ、妻、男児三人と共につましい暮らしを送った。
安政六年(1859)、盟友富田礼彦(いやひこ)を飛騨高山に訪ね、文久元年(1861)、五十となった年には、念願の伊勢参拝と宣長の墓の参詣を果たし、文通のあった大田垣蓮月を京に訪ねて親交を暖めた。元治元年(1865)の春、前福井藩主松平春嶽の訪問を受け、「忍ぶの屋」の屋号を賜った。曙覧の人柄と歌を尊んだ春嶽は禄を申し出たが、曙覧は固辞したという。王政復古の翌年、慶応四年(1868)八月二十八日、没。五十七歳。大安寺村の万松山に葬られる。明治改元は翌月八日のことである。
自撰家集『志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集』(子の今滋が補遺、編纂)のほか、『藁屋詠草』『藁屋文集』『沽哉(うらんかな)集』『榊の薫』『囲炉裡譚(いろりがたり)』『花廼沙久等(はなのさくら)』などの著がある。

橘曙覧像
橘曙覧像 慶応四年越智通兄写

「其の歌、古今新古今の陳套に堕ちず、真淵景樹の窠臼に陥らず、万葉を学んで万葉を脱し、瑣事俗事を捕へ来りて、縦横に馳駆する処、却つて高雅蒼老些の俗気を帯びず」(正岡子規「曙覧の話」)。
 
「『しのぶの舎歌集』は、すぐれた歌の多くを持つてゐて、挙げるに堪へないほどであります。そのすぐれてゐるといふのは、今日からいふと個性をきはやかにあらはしえてゐるといふ意味に於いてです。その点では曙覧は、江戸時代を通じて第一人者ともいへませう。個性の発揮は、誠といふものに徹底しないとあらはせません。誠の伴はない個性は、単なる性癖に過ぎません。曙覧の個性は、古代精神を体得することによつて誠を徹底させ、誠を徹底させたことによつて、おのづから発揮することを得た個性です。即ち個性の発揮などいふことは思はずに成しえたものです」(窪田空穂『江戸時代名歌選釈』)。

以下には『志濃夫廼舎歌集』と拾遺歌より百首を抄出した。テキストは主として井手今滋編輯『橘曙覧全集』(岩波書店刊)に拠ったが、読みやすさを考慮して濁点・送り仮名等を加え、難読字にはルビを振り、また一部平仮名を漢字に改めるなどした。但し曙覧の癖のある用字法(草を「艸」、花びらを「葩」と書くなど)はなるべくそのまま残すようにした。新編国歌大観、水島直文・橋本政宣編注『橘曙覧全歌集』(岩波文庫)なども参考とした。歌は四季・悲傷・題画・雑に分類し、雑部のみは『志濃夫廼舎歌集』の歌順に従った。歌の末尾に「松籟艸」「春明艸」など同集の巻名と新編国歌大観番号を付した。

  7首  7首  6首  4首 悲傷 6首 題画 7首  63首 計100首

正月ついたちの日、古事記をとりて

春にあけて()づ看る(ふみ)天地(あめつち)の始めの時と読みいづるかな(春明艸454)

【通釈】春になり年が明けて、真っ先にひらいて見る書も、「天地の始めの時…」と読み出すのであるよ。

【語釈】◇春にあけて 春になり年が明けて。「あけて」は「書」の縁により「開けて」の意を帯びる。◇先づ看る書も 新年は天地が改まる時であるので、「書」と言っている。◇天地の始めの時 古事記の冒頭には「天地(あめつち)初発之時(はじめてひらけしとき)」とある。

【補記】年が明け天地が改まる正月にあって、古事記冒頭の天地初発の時を読み始める心の高まりが感じられる。曙覧は毎年の読書始めに古事記を読むことを恒例としたという。作者の代表作として知られる歌であるが、縁語・掛詞を用い、「春」「書」「時」といった助詞の使い方も用意周到で、相当に複雑な内容を持ちながら、滞りなく流れるような調べである。上代を尊ぶ心を詠みつつ、歌は万葉調でなく、むしろ王朝和歌を受け継ぐ艶を具えている。曙覧が新古今集を重んじた鈴屋派(本居宣長を祖とする流派)の流れを汲む歌人であったことを思い知らされる。なお制作年は不詳、『志濃夫廼舎歌集』の排列からすれば元治二年(1865)以前の作。

壬子(じんし)元日

物ごとに清めつくして神習(かむなら)国風(くにぶり)しるき春は来にけり(松籟艸40)

【通釈】物という物はすっかり清めて、何ごとも神の御所業にならう我が国の風習がはっきりとする新春になったのであった。

【語釈】◇壬子元日 嘉永五年(1852)正月元日。◇神習ふ 神の行いを模倣する。古事記中巻に「我御世之事 能許曾神習(我が御世の事、よくこそ神習はめ)」とある。

【補記】曙覧四十一歳の作。迎春にあって国風(くにぶり)があらわれるめでたさを詠み、前歌と共に国学者としての作者の面目がよくあらわれている。

【参考歌】本居宣長「鈴屋集」
から国の人ならはめや神国の人はまなほに神ならふべし

今滋が近きわたりなる友どちの許に行きける帰るさ、福寿艸の有りけるを買ひて、おのれに家づとにせむとてもてかへり、机上にすゑて、これ見給へといひける時

正月(むつき)立つすなはち華のさきはひを受けて今歳(ことし)も笑ひあふ宿(福寿艸787)

【通釈】正月になる、するとすぐ花の祝福を受けて、今年も皆で笑い合っている家。

福寿草 鎌倉市二階堂にて
福寿草

【語釈】◇今滋(いましげ) 曙覧の長男。◇福寿艸 キンポウゲ科の多年草。旧暦正月頃咲くため、めでたい花とされた。

【補記】『志濃夫廼舎歌集』の第六集「福寿艸(さきはひぐさ)」冒頭の一首。この集は、曙覧の死後、子の今滋が補遺として編んだもの。

【参考歌】大伴家持「万葉集」巻十八
正月たつ春の始めにかくしつつ逢ひし笑みてば時じけめやも

初午詣(はつうままうで)

稲荷坂見あぐる(あけ)の大鳥居ゆり動して人のぼり来る(君来艸670)

【通釈】稲荷坂では、見上げるような朱の大鳥居を揺り動かすようにして大勢の人が登ってくる。

伏見稲荷
伏見稲荷大社の大鳥居

【語釈】◇初午詣 二月の最初の午の日に稲荷社に詣でること。◇稲荷坂 稲荷神社へ向かう坂道。日本各地にこの名で呼ばれる坂があるが、掲出歌は「大鳥居」と大変な人の賑わいを詠むので、京都伏見稲荷大社の坂を思うべきところだろう。

【補記】「君来艸(きみきぐさ)」は『志濃夫廼舎歌集』の第四集で、慶応元年(1865)以降の歌を集める。掲出歌は題詠の体裁をとるが、若き日の京都遊学中、あるいは文久元年(1861)の旅行中、伏見稲荷を実際に拝しての印象が基になっているのだろう。但し曙覧が初午詣を実際に見たことがあるかどうかは判らない。

【鑑賞】「『ゆり動かして』は無論誇張だが、その誇張が面白いものになつてゐます。根本を写生にして、不自然でない限り、感を誇張するのは、曙覧の好んでしてゐることです」(窪田空穂『江戸時代名歌選釈』)。

【参考歌】源兼昌「永久百首」「歌枕名寄」「夫木和歌抄」
おそくとも宿をいでつつ稲荷坂のぼればくだる都人かな

帰雁

春かけて門田の(おも)に群れし雁一つも見えずなる日さびしも(松籟艸41)

【通釈】秋から春にかけて門田のおもてに群れていた雁――それが一羽も見えなくなる日は寂しいことである。

【補記】雁はシベリア・カムチャッカ半島方面より秋の中頃に飛来し、春の盛り、ちょうど桜の咲く頃に帰って行く。かつて門田に群れていた雁を想起しつつ(「群れし」の「し」は過去回想の助動詞)、その姿が全く見えなくなった春の日の淋しさを歌っている。

雲雀

(のぼ)りおりいつ事ゆくといふこともあら野のひばり春すぐすらむ(君来艸640)

【通釈】空へ昇り、また降りて来ることを繰り返し、いつ天まで届くこともない荒野のひばりは、こんな風にしてひと春を過ごすのであろう。

【語釈】◇升り 升の字は昇に通用される。◇事ゆく 事がうまくゆく。事を成し遂げる。◇あら野のひばり 前句からのつながりで「あら」には「あらぬ」の意が響く。

【補記】雲雀はさえずりながら空高く舞い上がる。それを繰り返すさまを、雲雀が目的を果たせずに何度も挑戦し直していると見ての詠。

春よみける歌の中に

すくすくと生ひたつ麦に腹すりて燕飛びくる春の山畑(やまばた)(松籟艸105)

【通釈】すくすくと成長して立っている麦に腹をこするようにして燕が飛んで来る、春の山畑よ。

【補記】燕の低く素速く飛ぶさまを的確に生き生きと捉えている。燕の腹の白と麦の青という色の対比も鮮やかである。「すくすくと」は古事記にも見える古い詞であるが、和歌での用例は稀。

首夏

若葉さすころはいづこの山見ても何の木見ても麗しきかな(春明艸524)

【通釈】若葉が萌え出る頃は、どの山を見ても、何の木を見ても、美しいことよ。

【補記】素直な詠みぶりが平凡に陥らず、かえって清新さをもたらし得たのは、口語調を取り入れた調べの活きの良さゆえであろう。

五月(さつき)

梅子(うめのみ)のうみて昼さへ寝まほしく思ふさ月にはや成りにけり(松籟艸78)

【通釈】梅の実が熟(う)む季節――雨に倦(う)んで、昼でさえ寝ていたいと思う五月に早なってしまったのだ。

【補記】旧暦五月は梅雨の季節。「梅雨」の名に因む梅の実が「熟む」に「倦む」を掛けて、この季節の倦怠感を巧みに歌い上げた。

雨いみじう降りつづきて人皆わびにわびたりけるころ、めづらしうはれそめたる空を見やりて

天地(あめつち)もひろさ加はるここちして先づあふがるる青雲のそら(松籟艸79)

【通釈】天地のあいだの空間も広さが増えたような気持ちがして、真っ先に仰ぎ見られる、青雲の空よ。

【語釈】◇天地 天と地の間に広がる、万物を包容する空間。◇青雲 厚みのある白雲に対して、空の色が透けて見える薄雲。あるいは灰色を帯びた雲などを言う。

【補記】梅雨の頃、珍しく晴れた空を見ての即興詠。長雨の後の青空に快さを感じない人はあるまいが、誰もが感じつつ言い得なかったことを「ひろさ加はるここち」と絶妙に言い現わした。

薔薇

羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲く薔薇(さうび)かな(襁褓艸308)

【通釈】羽を鳴らす蜂の姿が暖かげに見なされる窓辺――そこを埋めるように咲く薔薇であるよ。

【語釈】◇薔薇(さうび) 西洋渡来のバラでなく、唐土から渡来した薔薇(そうび/しょうび)。日本に最も古く伝わったのは庚申薔薇という紅い薔薇であったという。

【補記】初夏の光が溢れる窓辺の薔薇。羽を鳴らす蜂を「あたたかに見なさるる」と言ったところに作者独特の感じ方が出ている。

楳子(ばいし)

(あま)つつみ日を経てあみ戸あけ見れば()ちて梅ありその実()()(襁褓艸310)

【通釈】雨を憚って家に籠るうち何日も経って、久しぶりに網戸を開けて見ると、庭に梅の実が三つ四つ落ちている。

【語釈】◇楳子 梅の実。◇雨つつみ 雨を憚って家に籠っていること。万葉集に見える語。

【補記】「摽ちて梅ありその実…」は『詩経』国風篇の詩に由る。梅の実に言寄せて少女が男たちに求愛せよと呼びかける内容の詩である。曙覧は漢詩風の言い回しを好んで和歌に取り入れ、しばしば調べに新鮮味を与えている。

【本説】「詩経・摽有梅」(→資料編
摽有梅 其実七兮 求我庶士 迨其吉兮(摽ちて梅あり 其の実七つ 我を求むる庶士よ 其の吉に迨(およ)べ)

砂月(さげつ)(すずし)

外の浜千里(ちさと)目路(めぢ)に塵をなみすずしさ広き砂の上の月(襁褓艸284)

【通釈】外の浜は千里の遥かまで目に見える限り塵ひとつなく、砂浜の上を照らす月の光の涼しさは広大である。

【語釈】◇外の浜 陸奥国津軽郡の歌枕。本州の北の果て。

【補記】想像裡に作った題詠歌。「すずしさ広き」は鮮やかな印象を与えるが、このような共感覚的な表現は二条派の和歌にも見られるもので、和歌史の上では決して新しいものではない。むしろ「目路に塵をなみ」「砂の上の月」といった簡潔な描写に曙覧らしい風格が出ている。

蓮含露(はすつゆをふくむ)

たたまりて(しべ)まだ見せぬ(はなびら)のぬれ色きよし蓮のあさ露(襁褓艸285)

【通釈】畳まっていて、蕊をまだ見せない花びら――その濡れたような色が清らかである、朝露のついた蓮の花は。

秋田家(あきのでんか)

蚱(いなごまろ)うるさく出でてとぶ秋の日和よろこび人豆を打つ(松籟艸44)

ショウリョウバッタ 写真素材[フォトライブラリー]
いなごまろ(ショウリョウバッタ)

【通釈】稲子麻呂がうるさく現われて飛ぶ秋の日――その天候を喜んで、農夫が豆の莢を打っている。

【語釈】蚱 精霊蝗虫(ショウリョウバッタ)の異称という。旧盆(陰暦八月)の頃になると現われるとされる。飛ぶ時の羽音からキチキチバッタとも。但しイナゴ類全般の古称とする説もある。◇うるさく出でて 「うるさく」は「厭になるほど多く」の意と「羽音がうるさく」の意を兼ねよう。◇日和(ひより)よろこび 晴れた日には豆の莢も乾いて弾けやすいので「よろこび」と言う。◇豆を打つ 豆の莢を打って実を取る。

【補記】題「秋田家」は「秋の田舎」の意。秋日和の一日、虫の大群と豆打ちの農夫の取り合わせが画趣を生んでいる。

【主な派生歌】
秋の日の日和よろこび打つ畑のくまみに咲ける唐藍の花(長塚節)

秋訪田家

余所人(よそびと)は見なれぬ里の一くるわ稲こきやめて我をゆびさす(松籟艸184)

【通釈】よそ人を見慣れない里の一角では、稲扱きをする手をやすめて、あれは何者かと私を指差している。

【補記】「秋に田家(田舎)を訪れる」という意味の題が付いているが、前例のない歌題である。あるいは後付けか。閉鎖的な田舎ではよくある光景であろうが、収穫期には村人の警戒感がいっそう強まる。田舎の世態風俗を描くとともに、季節感もよく出ている歌である。

人は皆見さして寝たる小夜中(さよなか)の月を静かに入るる窓かな(松籟艸121)

【通釈】人は皆見るのを途中でやめて寝てしまった夜中の月――その月明かりを窓に入れて独りひそかに眺めるのである。

【補記】深夜、独り起きて眺める窓の月。「静かに入るる」に孤独の充実感が漲っている。「月を十分に鑑賞しない人をなじっている」(辻森秀英『橘曙覧家集評釈』)わけではあるまい。

敗荷(はいか)

茎折れて水にうつぶす枯蓮の葉うらたたきて秋の雨ふる(春明艸470)

【通釈】茎が折れて水面にうつ伏している枯蓮――その葉裏を叩いて秋雨が降っている。

【補記】題の「敗荷」は漢詩に見える語で、破れた蓮の葉のこと。例えば李商隠の詩「夜冷詩」に「西亭の翠(みどり)(ひら)くも余香薄く、一夜まさに愁へむとして敗荷に向ふ」とある。夏には美しい花を咲かせていた蓮ゆえに、晩秋の枯れた姿はひときわ哀れに眺められる。

飛騨国にて白雲居の会に、初雁

(いも)()るとこよ離れて此のあさけ鳴きて来つらむ初かりの声(松籟艸4)

【通釈】妻と寝る床――常世を離れて、この明け方、鳴いてやって来たのだろう初雁の声よ。

【語釈】◇妹と寝る 「床(とこ)」から「常世(とこよ)」を導く枕詞的な用法。◇とこよ 「床」「常世」の掛詞。常世は古人が海の遥か彼方にあると想像した国で、雁の故郷もそこであるとされた。

【補記】天保十五年(1844)、飛騨に国学者田中大秀を訪ねた時、歌会での題詠。はるかに故郷福井を思いつつ、師の前で国学と歌道に賭ける自身の決意を籠めた歌であろう。万葉調を模倣しているのではないが、万葉の格調を備えており、折口信夫は次の一首と共に「興奮と感激が、如何にも高い風格に包まれて現われてゐる」と激賞している(『橘曙覧評伝』)。

【参考歌】九条良経「秋篠月清集・南海漁父百首」
はるかなる常世はなれて鳴く雁の雲の衣に秋風ぞ吹く

同国(おなじくに)なる千種園にて、甲斐国のりくら山に雪のふりけるを見て

旅ごろもうべこそさゆれ乗る駒の鞍の高嶺にみ雪つもれり(松籟艸5)

【通釈】旅中の衣服が道理で冷えたはずだ。乗鞍の高嶺に雪が積もっている。

乗鞍岳 花・鳥・風・穴
乗鞍岳 写真提供:花・鳥・風・穴

【語釈】◇千種園(ちぐさえん) 田中大秀が飛騨で経営していた薬草園。◇のりくら山 乗鞍岳。飛騨・信濃国境、飛騨山脈(俗称北アルプス)南部の山。主峰は剣が峰。詞書の「甲斐国」は曙覧の勘違い。◇うべこそさゆれ 「うべ」は「本当に」「なるほど」といった意。「さゆれ」は下二段動詞「さゆ」が係助詞「こそ」の係り結びで已然形をとったもの。

【補記】「乗る駒の鞍の高嶺」は、乗鞍岳の山容(馬の背に似ていると言われる)をあらわすと共に、話者が馬に乗って旅する者であることも暗示して興趣を添えている。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
夕されば衣手さむしみよしのの吉野の山にみ雪ふるらし
  本居宣長「鈴屋集」
朝たちて比良の高根の雪見ればきぞの夜床はうべさえにけり

寒艸(かんさう)

枯れのこる茎うす赤き(いぬたで)の腹ばふ庭に霜ふりにける(襁褓艸348)

犬蓼
犬蓼の花

【通釈】犬蓼の枯れ残っている薄赤い茎が腹ばうように生えている庭に霜が降りているのだった。

【語釈】◇ 犬蓼。タデ科の一年草。夏から秋、紅紫色の穂状の花が咲く。アカマンマの俗名がある。

【補記】題「寒艸」は冬枯れした草のこと。花はとうに散ってしまったのだろう、茎ばかり薄赤い犬蓼が、地を這うように生え、霜に遭っている。色彩の乏しい冬の庭に、犬蓼の茎の薄紅さと霜の白さという色の対照を発見している。

【参考】「白氏文集」巻十三、「和漢朗詠集」巻上
水蓼残花寂寞紅(水蓼の残花は寂寞として紅なり)

雪朝行人(せつてうのかうじん)

ふたりとはまだ人も見ず雪しづれ朝日におつる杉のした道(松籟艸215)

【通釈】歩いている人はまだ二人と見かけない。雪が融けて朝日の中を落ちる、杉の下をゆく道では。

【語釈】◇雪しづれ 半ば融けて枝から落ちる雪。「しづる」は「したたり落ちる」意。杉の枝は幹の上方にのみ出ているので、雪はかなりの高さから落ちて来ることになる。

【補記】上句は当時としては口語的で、やや散文的でもあるが、そこに新味があったとも言える。下句では「朝日に融けて」などと説明的に言わず、「朝日におつる」と雪を朝日の中に見せてイメージが鮮やかになった。また、雪の明るさと杉林の暗さの対比も印象を強めている。

侠家雪(けふけのゆき)(二首)

真荒男(ますらを)が手どりにしつる虎の血のたばしり赤し門のしら雪(襁褓艸304)

【通釈】勇ましい侠士が捕えた虎――その血の飛び散ったのが門前の雪を赤く染めている。

【語釈】◇侠家 侠客の家ということだが、ここでは勇猛な猟師の家という程の意味で用いたものか。続く一首からもそのことが窺われる。◇手どり 格闘して捕獲すること。

【補記】前例を見ない主題の歌。あるいは題画か。野生の虎は日本に存在しないが、唐絵の影響で画題としては古来好まれた。

 

まれ人を屋所(やど)にのこして鳥うちに我は出でゆく黄昏の雪(襁褓艸305)

【通釈】客人を家に残して、饗応のために俺は鳥射ちに出かけてゆく、黄昏の雪の中を。

【補記】一首目が侠士の所業を第三者の目で詠んだのに対し、二首目は侠士の立場に立って一人称で詠んでいる。曙覧の意識的な連作法である。

悲傷

むすめ健女(たけぢよ)今年四歳になりにければ、やうやう物がたりなどしてたのもしきものに思へりしを、二月十二日より痘瘡をわづらひていとあつしくなりもてゆき、二十一日の暁みまかりたりける歎きにしづみて

きのふまで吾が衣手にとりすがり父よ父よといひてしものを(松籟艸20)

【通釈】つい昨日まで私の着物の袖に取り付いて離れず、父よ父よと言っていたのに。

【補記】足羽山の黄金舎に住んでいた天保十五年(1844)春、四歳の一人娘健女を痘瘡で亡くした時の歌。

父の十七年忌に(二首)

今も世にいまされざらむ(よはひ)にもあらざるものをあはれ親なし(松籟艸24)

【通釈】今でも生きておられないような年齢でもないのに、ああ父はこの世になく、私には親がない。

【補記】天保十三年(1842)年の作。父正玄五郎右衛門は文政九年(1826)、四十四歳で死去した。曙覧十五の年である。

【参考歌】聖徳太子「拾遺集」
しなてるや片岡山にいひにうゑてふせる旅人あはれ親なし

 

髪しろくなりても親のある人もおほかるものをわれは親なし(松籟艸25)

【通釈】髪が白くなっても親のいる人も多いものであるのに、私には親がない。

【補記】父の十七回忌の年、曙覧はまだ三十一歳の若さであった。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻七
さきはひの如何なる人か黒髪の白くなるまで妹が声を聞く

墓にまうでて

慕ひあまるこころ(ひたひ)にあつまりてうちつけらるる(つち)の上かな(松籟艸26)

【通釈】慕っても慕い切れない心が我が額に集まって、自然と地面に額を打ち付けてしまうのである。

【補記】「誰の墓か言っていないが恐らく父のであろう。前の十七年忌に続くものであろう。父の墓は初め菩提寺の妙歓寺にあったが曙覧の墓ができてからその傍らに移されて山腹にある」(辻森前掲書)。

【鑑賞】折口信夫は掲出歌に曙覧の歌の弱点を指摘している。「局所風に感情が尖鋭に出て来る人である。と言ふより、殆さう言つて間違ひのないほど、技工が部分として徹底せられて来る。唯、其部分が輝き過ぎて、他の力の行き渉らぬ処が白けて見え、軽はずみに見えたりするのである」(折口信夫『橘曙覧評伝』)。

越智通世が妻のみまかりけるとぶらひに

亡き母をしたひよわりて寝たる児の顔見るばかり憂きことはあらじ(松籟艸53)

【通釈】亡き母を慕うあまり疲れ切って寝た子――その顔を見る時ほど辛いことはあるまい。

【補記】同国の漢学者であり親友であった越智通世の妻が亡くなった時、弔問しての詠。相手の境遇・心情に想像をめぐらし、真心のこもった哀悼の歌。因みに曙覧自身、幼時に母を喪っている。母の三十七年忌に彼が詠んだ歌は「はふ児にてわかれまつりし身のうさは面(おも)だに母を知らぬなりけり」。

笠原元直のみまかりけるを悲しみて

今日のこのなげきさせむと同じ世に(たま)さへあひて生れきにけむ(松籟艸59)

【通釈】今日のこの嘆きをさせようと、同じ時代に、魂さえ同じくして、あなたは生まれてきたのだろうか。

【語釈】◇魂さへあひて 万葉集に「魂(たま)合ふ」という語が見え、「互いの心が一致する」「心を同じくする」といった意味。

【補記】笠原元直は曙覧の後援者であった藩医笠原白翁の息子。曙覧のもとで和歌・国学を学んだが、二十一歳で夭折した。その時の詠。

題画

美人撲蝶図

うつくしき蝶ほしがりて華園(はなぞの)の花に少女(をとめ)の汗こぼすかな(春明艸467)

【通釈】美しい蝶をほしがって追いかけまわし、花園の花に少女が汗をこぼしているよ。

【語釈】◇美人撲蝶図 美人、蝶を撲(う)つ図。「撲つ」は捕えようとして手などを差し伸べること。「鳥を網でうつ」などと言う場合の「うつ」に同じ。

【補記】絵を題にして詠んだ歌。題画歌では、画に描かれていないことを歌によって添えるのが常で、少女の「汗」を出したのがこの歌の見どころであろう。露ならぬ汗が花にこぼれる、という面白みもある。三首連作の最初の一首。他の二首は「蝶うつとせし手はづれて御園生(みそのふ)の花うちこぼし立つ少女かな」「人妬(ねた)くおもふ心を花ぞのの蝶にうつして臂は張るらむ」。

青松白鶴(二首)

香青なる松の末葉に白妙の羽うちつけて鶴舞ひめぐる(春明艸478)

【通釈】青い松の枝先の葉に真白な羽を打ちあてて鶴が舞い巡る。

【語釈】◇香青(かあを)なる 「か」は形容詞の上に付き、見た目にそう感じられるといった意味を添える接頭語。「かあを」は万葉集に見える語。「熟田津(にきたづ)の ありそのうへに かあをくおふる 玉藻沖つ藻」(万葉集巻二、柿本人麻呂)。

【補記】題画歌か。松の青、鶴の白という色の対比だけなら常套に過ぎないが、同時に鶴の飛ぶさまを活写して精彩ある一首となった。

 

白きはね青葉がくれに打ちたたみよそにうつらぬ松の上の鶴(春明艸479)

【通釈】白い翼を青葉隠れにさっと畳み、そのまま余所の木には移ろうとしない、松の上の鶴よ。

【補記】前歌の動に対し、こちらは静を描いた。二首セットで鑑賞すべき作であろう。

万竹図

ありとある竹に風もつ谷の奥水の響をそへて鳴りくる(春明艸480)

【通釈】あらゆる竹に風をはらんで鳴り響く谷の奥――その音が、流れる水の響きを添えて届いて来る。

【補記】これも題画。四首連作の最初の一首。続く三首はやや説明調に陥ったものの、簡潔な描写力はみごとである。「河隈の巌に根はふ竹と竹なびきぞ回る水を狭めて」「澗(たに)めぐり流るる水をはるばると靡きおくりてつづく竹かな」「滑らかに露もつ苔路風ありて下陰くらき竹の奥かな」。

疎竹(そちく)三禽(さんきん)

竹の霜とけて雀の睡るかな()つ一枝に羽をまろめて(春明艸488)

【通釈】竹の霜が融け、気も緩んで雀が眠っているのだな。三羽が一つの枝に羽をまるめて。

【語釈】◇とけて 「霜が融けて」「とけて(気を緩めて)眠る」両義を掛ける。

【補記】疎らな竹に三羽の鳥が描かれている絵を題にして詠んだ歌。連作四首より締めの一首のみ掲げたが、他の三首も愛らしい佳品である。「茂からぬ一もと竹の細き枝に乗りて親まつ雀の児三つ」「山がらと雀と二つ今一つ何鳥なれか竹くぐりをる」「竹の霜うちとけ顔に頭三つ集めてかたる友すずめかな」。

六鶴(ろつかく)図 唳天(るゐてん)

真名鶴の立つる一声鳴きやみて後も響をのこす大空(白蛇艸750)

【通釈】真鶴の立てる一声が鳴きやんでのちも、大空はその響きを残している。

【語釈】◇真名鶴(まなづる) 真鶴に同じ。顔が赤く、首は白、他は青みがかった灰色。

【補記】鶴を描いた六つの絵のそれぞれに添えた歌。掲出歌は第三首。「唳天」は天に鳴く意。

舞風(ぶふう)

あるかぎりひろげし(つばさ)あさ風にながしやりたる鶴いづこまで(白蛇艸751)

【通釈】ありったけ広げた翼を朝風に流しやって飛ぶ鶴はどこまでゆくのだろう。

【補記】「六鶴図」の第四首、「風に舞ふ」。風を朝風と見なして鶴の飛翔の爽快さを強調している。

阿須波(あすは)山にすみけるころ

あるじはと人もし問はば軒の松あらしといひて吹きかへしてよ(松籟艸1)

【通釈】主人はいるかと人がもし問うたなら、軒の松よ、おまえに吹きつける「あらし」ではないが、「あらじ(いないでしょう)」と言ってその客を吹き帰してくれよ。

【補記】家業の紙商を辞め、家督を弟に譲って福井市南西の阿須波山(足羽山)に隠棲していた頃の歌。「あらし」に「あらじ」を掛けている。『志濃夫廼舎歌集』巻頭歌。第一集の集名「松籟艸(まつあらしぐさ)」はこの歌の詞「松あらし」に由来する。

【参考歌】鴨長明「長明集」
あるじはととふ人あらば女郎花やどのけしきをみよとこたへよ
  本居宣長「鈴屋集」
軒の松あらしはたゆむ梢よりひかりも寒き冬の夜の月

述懐

なかなかに思へばやすき身なりけり世にひろはれぬ峰のおち栗(松籟艸17)

【通釈】考えてみると、かえって気安い身であった。世間から捨てて顧みられない、峰の落栗のような我が身は。

【補記】不遇の身をかこつという「述懐歌」の古来のルールに則りつつ、効果的な比喩を用いて印象あざやかな一首となった。斎藤茂吉晩年の歌「あたらしき時代(ときよ)に老いて生きむとす山に落ちたる栗の如くに」は明らかに曙覧の歌の影響を受けている。

【参考歌】荒木田長延「新古今集」
つくづくと思へばやすき世の中を心となげくわが身なりけり

人の刀くれけるとき

抜くからに身をさむくする秋の霜こころにしみてうれしかりけり(松籟艸22)

【通釈】抜くやいなや、身の毛もよだつような刀――そんな刀をもらって、心に浸み透るばかりに嬉しいのだった。

【補記】「秋の霜」は剣、ことによく切れる剣の異称。曙覧は町人の身分であったが、藩士などとも交流があったので、刀を貰うこともあったのだろうか。曙覧に刀を詠んだ歌は少なくない。ここに採らなかった歌では「国汚す奴あらばと太刀抜きて仇(あだ)にもあらぬ壁に物いふ」も著名な一首。

【参考】源順「和漢朗詠集」
雄剣在腰 抜則秋霜三尺(雄剣、腰に在り。抜けば則ち秋の霜三尺)

人に傘貸したりけるに、久しう返さざりければ、(わらは)して取りにやりけるに、持たせやりたる

山吹のみのひとつだに無き宿はかさも二つはもたぬなりけり(松籟艸33)

【通釈】山吹の実がないように、蓑ひとつ無い我が家は、傘も二つは持たないのでした。

【補記】兼明親王の名高い一首を本歌とする。本歌は、八重山吹が実をなさないことに掛けて、人に貸せる「蓑」がないことを侘びた歌。それを受けて、傘も二つ持たない貧しい家ゆえ、貸した傘を返してほしいと人に言い遣ったのである。作者の暮らしぶりと人柄がほのぼのと偲ばれる。

【本歌】兼明親王「後拾遺集」
七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき

山家

白雲の行きかひのみを見おくりて今日もさしけり蓬生(よもぎふ)(かど)(松籟艸62)

【通釈】白い雲が行き来するのばかりを見送って過ごし、今日も粗末な我が家の門を鎖(さ)すのであった。

【語釈】◇蓬生の門 蓬などが生い茂って荒れ果てた家の門。

【補記】人の訪れがない侘び住まいを詠むのは題「山家」の本意であるが、人のことを言わず「白雲の行きかひのみを見おくりて」と言ったことで孤愁の余韻が深くなっている。

(たてがみ)をとらへまたがり裸うまを吾嬬男子(あづまをのこ)のあらなづけする(松籟艸80)

【通釈】たてがみをつかんで背にまたがり、裸馬を東国男子が一まず乗り馴らしている。

【語釈】◇あらなづけ 粗懐け。引き取ったばかりの馬を、まず一通りなつけること。◇吾嬬男子 古来勇猛とされた東国の男。万葉集に「あづまをとこ」の語が見える。

【補記】題材がそうだというだけでなく、一首の調べも躍動的で野性的である。曙覧の一面をよく代表する歌。

詠十二時内六首 酉

夕貌の花しらじらと咲きめぐる(しづ)が伏屋に馬洗ひをり(松籟艸85)

【通釈】夕顔の花が周りを白々と咲きめぐる粗末な百姓家の庭先で馬を洗っている。

【補記】十二支に割り振られた十二の時を詠んだ連作(『志濃夫廼舎歌集』は六首のみ採録している)より。酉(とり)は今の午後六時頃。

【鑑賞】「情景躍動。信綱氏云、作者得意の叙景詩、蕪村の画を観るに似たらずや」(新田寛『近世名歌三千首新釈』)。

(三首)

着る物の縫ひめ縫ひめに子をひりてしらみの神世始まりにけり(松籟艸93)

【通釈】着物の縫い目ごとに卵を産んで、蝨の天地開闢(かいびゃく)の時代が始まったのだ。

【補記】「蝨」の題の連作三首。

【鑑賞】「蝨と人間とを、同じ天地のあひだの生物と見る心と、蝨の世界の始めに、尊くも尊いものにしてゐる神世といふ譬喩を用ひる心とが、やがて彼の心である。彼の古学がいかに実際化されてゐたかを思はせられる」(窪田空穂『近世和歌研究』)。

 

綿いりの縫目に(かしら)さしいれてちぢむ蝨よわがおもふどち(松籟艸94)

【通釈】綿入りの着物の縫い目に頭を差し入れて、縮こまっている蝨よ、おまえたちは私の仲間だ。

【補記】「おもふどち」は「思いを共有する仲間」ほどの意。万葉集に用例が少なくない。例えば「さかづきに梅の花浮かべ思ふどち飲みてののちは散りぬともよし」(巻八、坂上郎女)など。

 

やをら出でてころものくびを匍匐(はひあり)き我に恥見する蝨どもかな(松籟艸95)

【通釈】おもむろに出て来て、着物の襟を這い歩き、私に恥をかかせる蝨どもよ。

【補記】古事記上巻に伊邪那美命が「吾に恥見せつ」と言う場面があり、第四句はそれを踏まえているのだろう。

松戸(まつのと)にて口よりいづるままに

こぼれ糸(さで)につくりて魚とると二郎(じろ)太郎(たろ)三郎(さぶろ)川に日くらす(松籟艸111)

【通釈】駄目になった糸をつなぎ合わせて網に作り、魚を取ろうと、二郎、太郎、三郎は一日中川で遊び暮らす。

【語釈】◇松戸(まつのと) 藁屋の別称。曙覧三十七歳以後の住居。 叉手(さで)網。掬い網の一種。

【補記】曙覧には実際三人の男の子がいた。「二郎、太郎、三郎」は調べを整えるためわざと順序を入れ替えたもの。「じろたろさぶろ」のルビは私(水垣)の独断で付した。諸刊行本のテキストはルビを付していないが、ここは七音に収めないと歌の調べが間延びするからである。

酒人(二首)

とくとくと垂りくる酒のなりひさごうれしき音をさするものかな(松籟艸123)

【通釈】とくとくと酒が流れ落ちて来る瓢箪、嬉しい音をたてるものである。

【語釈】◇なりひさご 生り瓢。ひょうたん。「なり」は「生り」「鳴り」の掛詞。

【補記】酒飲みの人情の機微を捉えた二首連作。題「酒人」は見慣れない語であるが、酒飲み或いは酒好きのことであろう。

 

(あたた)むる酒のにほひにほだされて今日も家路を黄昏にしつ(松籟艸124)

【通釈】暖める酒の匂いに心惹かれて、今日も家への帰り道を夕暮にしてしまった。

【補記】「家路を黄昏にしつ」のような漢文訓読調は曙覧の歌に特徴的な文体。

人あまたありて此わざ物しをるところ見めぐりありきて(六首)

日のひかりいたらぬ山の(ほら)のうちに火ともし入りてかね堀り出だす(松籟艸168)

【通釈】日光が届かない山の洞穴の中へ、灯し火をつけて入り込んで、鉱(あらがね)を掘り出す。

【補記】『志濃夫廼舎歌集』ではこの歌の直前の歌群の詞書に、越前国の堀名(ほりめ)に銀山奉行として赴任した同門の知友富田礼彦(いやひこ)のもとを訪ねた由ある。その際、鉱石を掘り、銀を作って役所に送るまでの一連の作業を巡覧し、八首の連作にまとめたもの。鉱山労働を主題とした歌は和歌史上前例を見ない。因みに曙覧が銀山を訪れたのは万延元年(1860)三月。

【鑑賞】「採鉱溶鉱より運搬に至るまでの光景仔細に写し出して目覩(み)るが如し。啻(ただ)に題目の新奇なるのみならず、その叙述の巧(たくみ)なる、実に万葉以後の手際なり」(正岡子規「曙覧の歌」)。

 

赤裸(まはだか)男子(をのこ)むれゐて(あらがね)のまろがり砕く鎚うち()りて(松籟艸169)

【通釈】素裸の男が群らがっていて、鉱石の丸いかたまりを砕く。槌をふるって。

【補記】掘り出した銀の鉱石を小さく砕く作業。「赤裸」に「すはだか」のルビを付しているテキストもある。

 

さひづるや(からうす)たててきらきらとひかる(つちくれ)つきて()にする(松籟艸170)

【通釈】唐臼を立てて、きらきらと光る塊を舂(つ)いて粉にする。

【語釈】◇さひづるや 外国のことばは鳥のさえずりに喩えられたので、「から(唐)」と同音を持つ「からうす」の枕詞とした。万葉集巻十六に「さひづるや からうすにつき」とあるのに由る。

【補記】細かく砕いた鉱石をさらに臼で舂いて粉にする作業。ここで初めて銀が現われる。

 

(かけひ)かけとる谷水にうち浸しゆれば白露手にこぼれくる(松籟艸171)

【通釈】筧を懸けて引いた谷水の中に、粉にした鉱石を浸し、揺すると、白露が手にこぼれるように、銀の小さなかたまりが残る。

【補記】鉱石の粉を取り去り、銀を分離する作業。

 

黒けぶり群がりたたせ手もすまに吹き(とろ)かせばなだれ落つるかね(松籟艸172)

【通釈】黒い煙を群がり立たせ、手でひまもなく鞴(ふいご)を押して吹きとろかすと、銀は流れ落ちて来る。

【語釈】◇手もすまに 手を休めずに。万葉集に見える語。

【補記】銀を鎔かす作業。

 

(とろ)くれば灰とわかれてきはやかにかたまり残る白銀(しろがね)の玉(松籟艸173)

【通釈】鎔けると灰と分離して、くっきりと固まって白銀の玉が残る。

【補記】前首で詠んだ、鎔けて流れ落ちた銀が、冷え固まって玉となる。製品としての銀の完成である。連作はさらに二首、荷造りの歌と締めくくりの歌を添えて終わる。「銀(しろがね)の玉をあまたに筥(はこ)に収れ荷の緒かためて馬馳らする」「しろがねの荷負へる馬を牽きたてて御貢(みつぎ)つかふる御世のみさかえ」。

山家老松

眉白き翁()で来て千とせ()(かど)の山まつ撫でほむるかな(松籟艸187)

【通釈】眉の白い老人が家から出て来ると、千年も経つような門先の山松の木を撫でつつ褒めることよ。

【補記】山中で遭遇した事件として詠む。体裁は題詠(題を先に決めて作った虚構の歌)であるが、旧来の型には当てはまらない闊達な詠みぶりである。曙覧は題詠についてかなり自由な考え方を持っており、例えば「歌だによからば、題は其の歌にかなへらむやうに、あらためなほさむも、なでふ事かはあらむ」(『囲炉裏譚』)、すなわち歌が出来た後で歌に合わせて題を改めても構わないという態度であった。

をりにふれてよみつづけける(二首)

起臥(おきふし)もやすからなくに花がたみ目ならびいます神の目おもへば(襁褓艸264)

【通釈】日常の起居も気安いわざではないことよ。多くの目で見守っておられる神の眼差しを思えば。

【語釈】◇起臥 日常坐臥。日々のふるまい。◇花がたみ 竹などで編んだ花籠のことであるが、ここでは「目ならぶ」の枕詞として用いている。

【補記】八百万(やおよろず)の神と言うくらい我が国には神が多いので、「目ならびいます」と言っている。曙覧の日ごろの生活信条を知るには「松籟艸」の「口そそぎ手あらひ神を先づ拝む朝のこころを一日わするな」なども参考になる。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
花がたみ目ならぶ人のあまたあれば忘られぬらむ数ならぬ身は

 

吹く風の目にこそ見えね神々はこの天地(あめつち)にかむづまります(襁褓艸264)

【通釈】吹く風のように目にこそ見えないけれども、神々はこの天地に留まっておられる。

【語釈】◇かむづまり 神留り。神が神として留まる。祝詞や万葉集に見える語。

【補記】神への思いを詠んだ三首より二首を抄出した。次の一首は「いかで我きたなき心さりさりて神とも神と身をなしとげむ」。

【参考歌】山上憶良「万葉集」巻五(長歌より一部引用)
海原の 辺にも沖にも 神づまり 領(うしは)きいます 諸々の 大御神(おほみかみ)たち
  藤原敏行「古今集」
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
  藤原秀能「新古今集」
吹く風の色こそ見えね高砂の尾上の松に秋は来にけり

岡部君の江戸へゆき給ふによみてたてまつれる

み出でたちつづく小笠のはるばるとかくれゆくまでうち眺めをり(襁褓艸279)

【通釈】出発なさる御一行の、長く続く笠の列が、遥々と隠れてゆくまで、私はずっと眺めているのである。

【語釈】◇み出でたち 旅のご出発。

【補記】詞書の「岡部君」は不詳。福井藩士であろう。

今とし父の三十七年母の五十年のみたままつりつかうまつる

なにをして白髪おひつつ老いけむとかひなき我をいかりたまはむ(襁褓艸293)

【通釈】何をして白髪が生えるまで年老いたのかと、父母は腑甲斐ない私を怒っておられるだろう。

【補記】父の三十七年忌と母の五十年忌を執り行った年の感慨。曙覧五十二歳。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
なにをして身のいたづらに老いぬらむ年の思はむことぞ恥(やさ)しき

ひた土に莚しきて、つねに机すゑおくちひさき伏屋のうちに、竹生ひいでて長うのびたりけるを、其のままにしおきて(二首)

壁くぐる竹に肩()る窓のうち身じろぐたびに彼も枝振る(襁褓艸328)

【通釈】壁の下をくぐり抜けて生えた竹に、肩が擦れ合うほど狭い部屋の中、自分が身動きするたびに竹も枝を振る。

【補記】曙覧の家には実際土間敷きの一室があり、そこに机を据えて書斎としていた。壁の下を潜り抜けて根を延ばした竹が、家の中に生え出たのを、そのままにしておいた、という。曙覧の暮らしぶりと人柄がよく窺える一首。

 

膝いるるばかりもあらぬ(くさ)の屋を竹にとられて身をすぼめをり(襁褓艸329)

【通釈】膝を容れるほどもない草庵を竹に占領されて、主人である自分は身をすぼめている。

【補記】連作の二首目。ほぼ同じ内容を、今度はやや誇張して歌い直している。

府中の松井耕雪が大きなる黒木もてつくりたる火桶くれけるを、膝のへにすゑおき、肱もたせ頬づゑつき、朝夕の友とす(二首)

撫でやまぬ火桶のいろにならひもてみがきをゆかむ歌の上をも(襁褓艸341)

【通釈】いつも撫でて離さない火桶――その艶光りする色に見習って、私の歌についても弛まず磨きをかけてゆこう。

【補記】松井耕雪は福井の富商。私財を投じて藩校を創設するなどして、幕末の福井藩史に大きな足跡を残した。その人が黒木で作った火桶(木製の火鉢)をくれて、曙覧は常に傍に置いて離さなかったという。耕雪に対する敬愛のゆえでもあろうか。掲出歌は連作四首の第一首で、愛着する火桶に言寄せて歌の修練にかける思いを詠んでいる。

 

よそありきしつつ帰ればさびしげになりて火桶のすわりをるかな(襁褓艸342)

【通釈】外をあちこち出歩いて家に帰ると、寂しげな様子になって火桶が座っていることよ。

【補記】草木などの自然物のみならず道具などの加工物にも霊が宿ると考えた古人にとって、家の調度品が「座って」主人を待っていたという感じ方は、いわゆる擬人法といったものでなく、ごく自然な感情であろう。火桶の火が消えてしまったさまを「さびしげになりて」と言ったところには作者の風格が出ている。

銭乏しかりける時

米の(ぜに)なほたらずけり歌をよみ(ふみ)を作りて売りありけども(襁褓艸351)

【通釈】米を買う銭がまだ足りないのだった。歌を詠み、文章を作って売る歩くけれども。

【補記】貧しくとも誇り高い曙覧が本当に歌文を「売り歩」いたかどうかは疑わしい。歌において「誠の根ざしより出できたる」誇張は良しとした曙覧である(『藁屋文集』)。

ある時

水車(みづぐるま)ころも縫ふ世となりにけり岩根木根立(きねだち)物言ひいでむ(襁褓艸410)

【通釈】水車が衣服を縫う時代となってしまった。やがて岩や木立が物を言い始めるだろう。

【語釈】◇岩根木根立 祝詞の「大殿祭」に見える語。「岩根」は大地に食い込んだ大岩、「木根立」は木立に同じ。

【補記】機械化の時代趨勢に対する反感を詠んでいる。下句は、天孫降臨以前の草木が妖言を発していた時代(言わば箍の外れた世界)に逆戻りするだろうということ。曙覧の思いが無知ゆえの杞憂であれば幸いだった。

人にしめす

眼前(まのあたり)いまも神代ぞ神無くは艸木(くさき)()ひじ人もうまれじ(襁褓艸453)

【通釈】眼前にしている今現在も神代にほかならない。神がなくては草木も生えまい、人も生まれまい。

夜山

影垂るる星にせまりて薄黒き色たたなはるおぼろ夜の山(春明艸471)

【通釈】光が垂れる星にぎりぎりまで近づくようにして、薄黒い色が重なり連なる、薄暗い夜の山よ。

【補記】迫力ある夜の山の叙景。「影垂るる」と言い、山が「星に迫り」と言い、見る側に強い気概なくして成し得ない描写であろう。

山中

樵歌(きこりうた)鳥のさひづり水の音ぬれたる小艸(をぐさ)雲かかる松(春明艸490)

【通釈】樵の歌う歌、鳥のさえずり、流れる水の音、濡れた草、雲がかかる高嶺の松。

【補記】印象的な風物をただ羅列しているのでなく、耳に聞こえるもの(樵歌、鳥のさひづり、水の音)から目に見えるもの(草、雲、松)へ、高所(山)から低所(水)へ、また低所(草)から高所(雲かかる松)へと、細心の配列をしている。そうすることで、山中の清々しい感じを全体として捉えようとしている。

戯れに(三首)

吾が歌をよろこび涙こぼすらむ鬼のなく声する夜の窓(春明艸517)

【通釈】私の歌を喜んで涙をこぼしているのだろう。鬼の泣く声が夜の窓に聞こえる。

【補記】「戯れに」の題のもと、自身の歌に対する矜持を詠んだ四首連作の第一首。

 

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼我がひめ歌の限りきかせむ(春明艸518)

【通釈】灯し火のもとに毎夜毎夜来るがよい、鬼よ。私が秘め隠している歌のある限りを聞かせよう。

【補記】連作の第二首。第三首は「人臭き人に聞かする歌ならず鬼の夜ふけて来ばつげもせむ」(大意:私の歌は俗世間に染まった人に聞かせる歌ではない。鬼が夜更けにやって来たなら、聞かせもしよう)。

 

凡人(ただびと)の耳にはいらじ天地のこころを(たへ)に洩らすわがうた(春明艸520)

【通釈】凡人の耳は受け付けまい。天地自然の心を霊妙なばかりに言い表している私の歌は。

【鑑賞】「何らの不平ぞ。何らの気焔ぞ。彼はこの歌に題して『戯れに』といひしといへども『戯れ』の戯れに非ざるは、これを読む者誰かこれを知らざらん。しかるをなほ強ひて『戯れに』と題せざるべからざる者、その裏面には実に万斛の涕涙を湛ふるを見るなり」(正岡子規「曙覧の歌」)。

独楽吟(五首)

たのしみは(くさ)のいほりの(むしろ)敷きひとりこころを静めをるとき(春明艸553)

【通釈】楽しみは、草庵に茣蓙を敷いて、独りで心を静めている時である。

【補記】「たのしみは」に始まり、「とき」で終わる歌を五十二首つらねた連作の冒頭。『志濃夫廼舎歌集』の排列からすると、文久三年(1863)以後の作か。「独楽」は独り楽しむことであるが、実際には家族団欒の楽しみなども含んでいる。曙覧が楽しみとして挙げたのは、読書、執筆、食事、銭、散歩、子の成長、家族の健康といった、ごく身近なことばかりであった。参考:独楽吟全首

【鑑賞】「或特殊な場合の喜びを詠んだ歌は古来少なくない。しかし実際生活の上の楽しみをこれほどまでに詠んだものは例がない。彼は貧窮のうちに豊富なる楽しみを味ひえた人である。趣好と古学とが彼をそこまで到らせたのである」(窪田空穂『近世和歌研究』)。

 

たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ(かしら)ならべて物をくふ時(春明艸558)

【通釈】楽しみは、妻と子と仲良く集まって、頭を並べて食事をする時である。

【補記】「独楽吟」には食い物に関する歌が殊に多いが、掲出歌は中でも出色の一首。「たのしみはまれに魚烹(に)て児等皆がうましうましといひて食ふ時」も捨て難い。魚のほか、饅頭、焼豆腐、茶漬けなどを詠んでいる。

 

たのしみは物をかかせて善き(あたひ)惜しみげもなく人のくれし時(春明艸559)

【通釈】楽しみは、人が私に物を書かせて、高い代金を惜しげもなく呉れた時である。

【補記】銭のことを詠んだ歌はもう一首ある。「たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来りて銭くれし時」。

【鑑賞】「曙覧は欺かざるなり。彼は銭を糞の如しとは言はず、あどけなくも彼は銭を貰(もら)ひし時のうれしさを歌ひ出だせり。なほ正直にも彼は銭を多く貰ひし時の、思ひがけなきうれしさをも白状せり。仙人の如き、仏の如き、子供の如き、神の如き、曙覧は余は理想界においてこれを見る、現実界の人間として殆ど承認する能はず。彼の心や無垢清浄、彼の歌や玲瀧透徹」(正岡子規「曙覧の歌」)。

 

たのしみは昼寝せしまに庭ぬらしふりたる雨をさめてしる時(春明艸577)

【通釈】楽しみは、昼寝していた間に庭を濡らして降った雨を、目が覚めて知った時である。

【補記】次の一首も昼寝から目覚めた時を詠んでいる。「たのしみは昼寝目ざむる枕べにことことと湯の煮えてある時」。

 

たのしみはわらは墨するかたはらに筆の運びを思ひをる時(春明艸594)

【通釈】楽しみは、子供が墨を磨る傍らで、筆の運びを思い巡らしている時である。

【補記】「筆の運びを思ひをる」の主語は我(話し手)。曙覧は書を大変愛し、書家としても後世の評価は高い。独楽吟には書道に関する歌が他に二首ある。「たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時」「たのしみは好き筆をえて先づ水にひたしねぶりて試みる時」。

山室山にのぼりて鈴屋先生の御墳拝みて

おくれても生れし我か同じ世にあらば(くつ)をもとらまし翁に(春明艸612)

【通釈】遅れて生まれた私である。もし同じ世に生きていたら、沓を捧げ持って行くだろう先生に――。

【補記】文久元年(1861)九月、伊勢松坂の本居宣長の墓に参詣した際の手向の歌。この時の紀行文『榊の薫』には三首の歌を載せるが、そのうちの二首を曙覧は自身の家集に採った。掲出歌はその二首目で、第一首は「宿しめて風もしられぬ華を今も見つつますらむやまむろの山」。

みやこにのぼりてありけるころ、山紫水明処といふはなれやにやどりをりて

むらさきに匂へる山よ透きとほる水の流れよ見あく時無き(春明艸613)

【通釈】紫色に染まっている山よ。透き通る水の流れよ。いつまで眺めていても見飽きる時がない。

【補記】詞書の「山紫水明処」は頼山陽の京都の旧居。文久元年(1861)の旅行の際の詠。因みに曙覧は若い頃上洛して頼山陽の門人に漢学を学んだことがある。

聚蟻

(つち)の上に()ちて朽ちけむ(くだもの)(なかご)くろめて蟻のむらがる(君来艸688)

【通釈】土の上に落ちて、もう腐ったであろう果物の中子(なかご)、それを真っ黒にして蟻が群がっている。

【語釈】 瓜などの種子を含んだ柔らかい部分。

【補記】「聚(あつ)まる蟻」を題に詠んだ連作九首の第四首。いずれも蟻の生態を飽きず観察し活写した歌で、第五首は「群よびにひとつ奔(はし)ると見るがうちに長々しくもつくる蟻みち」、第八首は「蟻と蟻うなづきあひて何か事ありげに奔る西へ東へ」。

ひとりごとに(二首)

幽世(かくりよ)に入るとも吾は現世(うつしよ)に在るとひとしく歌をよむのみ(君来艸701)

【通釈】幽冥界に入ろうとも、私は現実界にある時と変わらずに歌を詠むだけである。

【語釈】◇幽世 隠り世。現(うつ)し世の反対語。神々の住む世界であり、人の魂が死後に赴くところ。

【補記】「ひとりごとに」「戯れに」のようなさりげない詞書のもとで、ひそかに真情を吐露している歌が曙覧には少なくない。

 

歌よみて游ぶ(ほか)なし吾はただ(あめ)にありとも(つち)にありとも(君来艸702)

【通釈】私はただ歌を詠んで遊ぶよりほかすることはない。天にあろうとも、地にあろうとも。

そぞろによみいでたりける(四首)

人臭き世にはおかざる我がこころすみかを問はば山のしら雲(君来艸717)

【通釈】人間臭いこの世には置かない私の心――住処を問うならば、山の白雲と答えよう。

【補記】身体は俗世間にあっても、心は山の白雲にある、と言う。ふとした時に思いついた歌というが、曙覧の死生観が最も明確にあらわれている連作である。掲出歌は九首あるうち冒頭の歌。

 

天地(あめつち)(あひだ)に隔てなき(たま)をしばらく(たい)のつつみをるなり(君来艸721)

【通釈】現世の人の命とは、この宇宙との間に何の隔てもない魂を、しばらく体が包んでいるだけなのである。

【語釈】◇天地 万物を包容する空間。すなわち宇宙と同じ意味で用いている。

【補記】第二句以下「まにへだてなき たましひを」とも読める。また「体」は原文「體」。ここでは「たい」と音読したが、「から」と訓読しているテキストもある。九首のうち第五首。直前の一首「体といふ宅(いへ)はなるれば天地と我の間に垣一重なし」もほぼ同じ内容である。

 

物皆を立つ雲霧と思へれば見る目嗅ぐ鼻幽世(かくりよ)と同じ(君来艸722)

【通釈】万物をすべて雲や霧のようなものと思っていると、物を見る自分の目も、物を嗅ぐ自分の鼻も、死後の世にあるのと同じことである。

【語釈】◇立つ雲霧 現出する雲や霧。常にうつろい、やがて消え去るもの。◇思へれば 思っていると。思っているので。「れ」は存続・完了の助動詞「り」の已然形。◇幽世 既出

【補記】第六首。幽世は神の住む清らかな世界であるから、善きものとして捉えている。

 

美豆(みづ)山の青垣山の神樹葉(さかきば)の茂みが奥に吾が魂こもる(君来艸724)

【通釈】瑞々しい緑の山が垣根のように巡っている山の榊葉の繁み――その奧に私の魂が籠っている。

【語釈】◇美豆山 瑞山を万葉仮名風に書いた。木々が繁るみずみずしい山。◇青垣山 緑の垣根をめぐらしたような山。◇神樹葉 榊(さかき)の葉。榊は神事に用いられた常緑樹。

【補記】第八首。続く締めくくりの一首は「厳凝(いつごり)と神習ゆく斯の吾が魂いよよますます厳凝してむ」。「厳凝(いつごり)」とは魂が強く凝集すること。

【参考歌】倭建命「古事記」「日本書紀」
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

失題

何わざも吾が国体(くにがら)にあひあはず痛く重みし物すべきなり(君来艸729)

【通釈】外国から採り入れるいかなる事柄も、我が国の国柄に合う合わないを、甚だ慎重に考えてとりおこなうべきである。

【語釈】◇あひあはず 適合する、適合しないを。◇痛く重みし きわめて慎重にして。

【補記】『志濃夫廼舎歌集』の排列によれば慶応年間(1865〜1867)の作と思われる。既に欧米諸国との通商条約が成り、開国の気運は止め難かった。そのような時期に、外国の文化・技術等の採用について憂慮を述べた連作である(掲出歌は七首のうちの冒頭)。曙覧は海外文化の採り入れを全否定していたわけではなく、「事により彼が善き事もちふとも心さへにはうちかたぶくな」(大意:事によっては外国の良いところを用いるとしても、心までもあちらへ傾けるな)という歌も詠んでいる。「其のわざを取り用ふれば自ら心もそれにうつる恐れあり」「目のまへの事いふならず禍ひの遺らむ末の世を思ふなり」と、将来日本が独自の国ぶりを失うことを何より憂えていたのである。

詠剣

肝冷す腰の白蛇(しろへみ)吾が(たま)はうづみ(しづ)めつ山松の根に(白蛇艸740)

【通釈】心肝を寒からしめる、腰の剣よ――私の魂は、山の松の根元に埋め鎮めてしまった。

【語釈】◇白蛇 剣の暗喩。単なる形状の類似による比喩でなく、蛇を神として崇めた古い信仰が根底にある。因みに「襁褓艸」には同じ比喩を用いた歌がある。「水奔(はし)る白蛇(しろへみ)なしてきらめける焼太刀見れば独りゑまれつ」。◇鎮めつ 「鎮む」とは、乱れやすい魂を一定の場所に収め、落ち着かせること。

【補記】『志濃夫廼舎歌集』の第五集「白蛇艸」の冒頭歌であり、同集の命名の由来となった一首。

大御政(おほみまつりごと)、古き大御世のすがたに立ちかへりゆくべき御いきほひと成りぬるを、賤夫(しづのを)の何わきまへぬものから、いさましう思ひまつりて(二首)

百千歳(ももちとせ)との曇りのみしつる空きよく晴れゆく時片まけぬ(福寿艸800)

【通釈】百年も千年もの間、我が国はさながら曇天続きであったが、ようやく空が晴れてゆく気運になったのであった。

 

あたらしくなる天地(あめつち)を思ひきや吾が目(くら)まぬうちに見んとは(福寿艸801)

【通釈】一新されるこの世を予想しただろうか。私の目が暗くならないうちに、その様を見ようとは。

【補記】以上二首は、慶応三年(1876)、大政奉還・王政復古が成り、政道が天皇親政へと移り変わってゆくのを「いさましう」思って詠んだ歌。

ある時(二首)

友ほしく何おもひけむ歌といひ(ふみ)といふ友ある我にして(福寿艸805)

【通釈】友がほしいと何を思ったのだろう。歌といい書物という友がある私であるのに。

【補記】曙覧には友のない寂しさを詠んだ歌が幾つかある。「友無きはさびしかりけり然りとて心うちあはぬ友もほしなし」「ほしかるは語りあはるる友一人見べき山水ただ一ところ」。曙覧は周囲の人に愛され、知己は少なからず、たびたび書簡を交わす親友も何人かいたけれども、やはり福井の片田舎にあって、胸襟を開いて語り合うに足る隣人は少なかったのであろう。独楽吟には「たのしみは物識人(ものしりびと)に稀にあひて古(いに)しへ今を語りあふとき」という歌もある。知識もあり詩心も深い人が無知無風流な人々の間で暮らしてゆくのは大変辛いことであったろう。王朝和歌では歌われることの無かった類の孤独感である。

 

(くさ)(いほ)さひづりめぐる朝すずめ寝耳に聞きて時うつすかな(福寿艸806)

【通釈】草庵のまわりを囀って飛び廻る朝の雀――まだ眠っている耳にその声を聞きながら、しばらく時を過ごすことであるよ。

【補記】目は醒めていないが、鳥の声は聴こえる。朝床の物憂いような心地良いような気分を捉えている。

天使のはろばろ下り給へりける、あやしきしはぶるひ人どもあつまりゐる中にうちまじりつつ御けしきをがみ見まつる

天皇(すめらぎ)大御使(おほみつかひ)と聞くからにはるかにをがむ膝をり伏せて(福寿艸815)

【通釈】天皇のご使者と聞くので、遥かに拝見する、膝を折り伏せて。

【補記】慶応四年(1866)二月、北陸道総鎮撫使が福井を通過した時の歌。詞書の大意は「天皇のお使いが遥々お下りになるので、賤しい咳き込む老人たちが集まっている中に混じって、ご様子を拝見した」。

示人(ひとにしめす)

(あめ)の下清く払ひて上古(かみつよ)の御まつりごとに(かへ)るよろこべ(福寿艸844)

【通釈】天下を清らかに一掃して、上古の御政道に復帰することを喜びなさい。

【語釈】◇上古の御まつりごと 遠い昔の御政道。天皇が自らとりおこなった政治。

【補記】四首連作の第三首。先頭の一首「天皇(すめらぎ)は神にしますぞ天皇の勅(ちよく)としいはばかしこみまつれ」も秀歌として名高い。

五月二十八日より病床にありけるままに、野山のけしきも見がたく臥してのみありけるにより、つれづれなぐさむため、大きなるうつはものに水いれ、小さき魚放ちおきて、朝夕うちながむ(四首)

(たた)へつる器の水に(ひれ)ふらせ海川見ざる目をよろこばす(福寿艸847)

【通釈】器に満たした水の中で魚は鰭を振らせて泳ぎ、海や川を見ない私の目を喜ばせてくれる。

【補記】慶応四年(1868)、最晩年の歌。病床にあって、野山の景色も見られないので、水を入れた大きな器に小さな魚を放ち、朝夕眺めてつれづれを慰めたという。以下、連作の全四首を採った。

 

顔のうへに水はじかせて飛ぶ魚を見かへるだにも眉たゆきなり(福寿艸848)

【通釈】私の顔の上にまで水を弾かせて跳ぶ魚――それを振り向いて見るだけでも、眉のあたりがだるく感じられるのである。

 

窓の月浮べる水に魚躍るわが枕辺の広沢の池(福寿艸849)

【通釈】窓から差し込む月の光を浮かべる水に魚が躍る。私の枕のほとりの広沢の池で。

【語釈】◇広沢の池 京都市右京区、北嵯峨の地に古くからある灌漑用水。月の名所とされ、池のほとりに遍照寺があり、月見堂があった。

 

ひれはねて小さき魚のとぶ音に()るともなくて()る目あけらる(福寿艸850)

【通釈】鰭をはねて小さい魚の跳ぶ音に、眠るともなく眠っている目が自然と開けられる。

(肖像自賛)

雲ならで通はぬ峰の石かげに神世のにほひ吐く草の華(拾遺歌)

【通釈】雲以外には通うもののない高嶺の石の陰で、神代の匂いを吐いている草の花よ。

【補記】「志濃夫廼舎歌集板本の巻頭に曙覧の肖像画があり、裏面に万葉仮名で短歌一首が記されている。これは嗣子今滋が上梓に当たって加えたものであろうが、歌の筆蹟は曙覧によると思われる」(新編国歌大観解題)。

【鑑賞】「『神代のにほひ吐く草の花』といへる歌は彼の神明的理想を現したるものにて、この種の思想が日本の歌人に乏しかりしは論を竢(ま)たず。(曙覧の理想も常にこの極処に触れしにあらず)」(子規前掲書)。
「俗塵を超絶した白雲の底に咲いて、神代さながらの姿に寂しく嘯く一茎の花は、まさに孤高な彼の生涯の象徴でなくてはならぬ」(藤井乙男『橘曙覧歌集』解説)。


公開日:平成20年03月12日
最終更新日:平成22年09月26日

thanks!