K12.温暖化は進んでいるか(3)
著者:近藤純正
12.1 はじめに
12.2 古い観測資料の解析方法
12.3 露場近傍の環境変化に伴なう気温変化
(1)網走の気温上昇
(2)高知の気温上昇
12.4 都市と田舎観測所における気温の経年変化
(3)札幌(管区気象台)と北海道農研センター
(4)
Q&A
文献と資料
近年、「地球温暖化問題」が注目されるようになった。
二酸化炭素の排出量がこのまま増加し続けると、地上気温の世界
平均値は今世紀末には数℃も上昇すると予想されている。
観測された気温データによれば確かに上昇傾向が見られるが、100年間以上
にわたって気温が観測されてきた観測所の多くは都市に設置されており、
いわゆる都市化の影響を含んでいるとみなさなければならない。
そこで、都市化の影響の少ない田舎の観測所のデータを解析して、地球温暖化
の実態を知ることが緊急の課題となっている。
本章は4章「温暖化は進んでいるか?」、11章「温暖化は進んでいるか(2)」
の続きである。(2006年5月10日完成)
この地球温暖化に関する一連の研究の最終的結果は
「K40.基準34地点による日本の温暖化量」および
「K41.都市温暖化の評価(1)」と、
その続きに掲載されている。データの利用に際しては、それらから引用して
ください。
12.1 はじめに
12.2 古い観測資料の解析方法
最高・最低気温の平均値の補正
昔の区内観測所(現在のアメダスの前身)その他では、毎日の最高気温と
最低気温の観測が行なわれていた。最高・最低の平均値は近似的に日平均
気温に近似的に等しいが、正確なデータを求めるには若干の補正が必要である。
日平均気温は最高・最低の平均値よりも高めの地点と低めの地点がある。
年平均気温=最高・最低気温の平均値+補正量
と定義し、各観測所に対する補正量を観測データから求めると、
次表のようになった。
表12.1 最高・最低気温から年平均気温を推定する際の補正量
*北海道農研は北海道農業研究センター(札幌市羊ケ丘)の略称
観測データ 比較期間(年) 補 正 量 採用する補正量 適用観測所
斜里アメダス 1979~1988 +0.32℃ +0.3℃ 斜里
常呂アメダス 1979~1988 +0.23℃ +0.2℃ 常呂
佐呂間アメダス 1979~1988 +0.22℃ +0.2℃ 佐呂間
北海道農研* 1981~2000 +0.16℃ +0.16℃ 北海道農研
以下で示す年平均気温の経年変化の図の作成にあたっては、気象庁図書室、
各地方気象台等で入手したデータのほか、気象庁編集「気象庁年報2003年度
版」CD-ROMに記載のデータ、および気象庁ホームページの「気象統計情報」
の「気象観測(電子閲覧室)」に掲載されたデータを使用した。
北海道農業研究センター(略称:北海道農研)における経年変化の図は、
同所のホームページに掲載されているセンター気象観測露場における観測値
をもとに作成したものである。
12.3 露場近傍の環境変化に伴なう気温変化
気象観測所の露場近傍の建物の建て替えや、再開発による道路の
拡幅・舗装に伴ない、年平均気温は変化(上昇または下降)すると
考えられる。この節では網走地方気象台と高知地方気象台について解析を行う。
(1)網走の気温上昇
本ホームページの「研究の指針」の
「K10. 都市化の判定基準」において、
網走における年平均風速が1950年から2000年にかけて87%に変化している
ことを指摘した。この減少傾向は網走において(1)観測所周辺の数10m~
数km範囲の粗度が増加したことに相当し、建築物が増えてきたと考えられる。
一方、(2)観測所、特に露場のごく近傍の10m~100m程度が建てこんで
くると、いわゆる「陽だまり効果」によって平均気温が上昇する。
この(1)と(2)を確かめるために、網走と周辺の3アメダス
(海岸部の斜里:しゃり、海岸部の常呂:ところ、やや内陸の佐呂間:さろま)
の周辺環境を視察した。その詳細は本ホームページの「写真の記録」の
「52.網走と周辺アメダスの観測所」
を参照のこと。
網走と、これら3アメダスにおける年平均気温の差を図12.1に示した。
ただし、佐呂間はやや内陸の標高59mのところにあり、他のアメダスに比べて
年平均気温が約0.6℃低いので、これを加えた値との差を示してある。
丸印で示す佐呂間について、1965年以前のプロットにばらつきがあるのは、
1966年5月31日まで中佐呂間役場における区内観測(甲種)の時代のもので
ある。
赤の実線は、海岸に近いところに設置されている常呂のデータに重みをおいて
描いた長期的な傾向である。次の図12.2に示すように、1950~1970年代に
かけて網走の年平均風速が減少傾向にあることを考慮して、図12.1の赤の
実線は長期的な気温上昇の傾向である。
図12.1 年平均気温の差、(網走)-(各観測点)、の経年変化。
△:斜里(しゃり)、□:常呂(ところ)、○:佐呂間(さろま、年平均気温
に0.6℃を加えてある)。赤の実線は長期的傾向を示す。
網走との気温の差の図12.1によれば、1960年代から1990年頃にかけて、
網走の年平均気温は相対的に0.5℃上昇している。この図から、
次の4問題点について検討したい。
(問題点1)1970年前後の約10年の期間にわたる上昇と下降
(問題点2)1978年の急上昇(約0.5℃)
(問題点3)1998年以後の上昇(約0.1~0.2℃)
(問題点4)上記(2)の0.5℃の急上昇は正しいか
1970年前後に生じた奇妙な変動のうちの最初の上昇は、網走の観測露場の
周辺が建てこんできて、露場の高度1m程度における風速が弱まったと
想像する。いわゆる「陽だまり効果」によるものと思う。
測風塔で観測される風速は気温よりも広範囲(観測所周辺数10m~
数km範囲)の環境を表すパラメータであることに注意して図12.1と
風速の経年変化の図12.2と見比べながら考察しよう。
図12.2 網走における風速の経年変化(図10.20と同じ)。
赤の線は現在使用されているプロペラ型パルス式風速計が以前から継続して
使用されてきたと仮定したときの風速経年変化の傾向である。4杯式風速計
は回転部の慣性能率が大きく実際の野外風速に対して強めに観測し、
また風車型(プロペラ式)発電式風速計は微風で回転し難く実際の平均風速
よりも弱めに観測することを考慮して赤の線を描いてある
(「研究の指針」の「9.風で環境を観る」を
参照のこと)。
1950~1970年代にかけて、年平均風速は減少傾向にある。これは網走の
年平均気温の上昇傾向と対応している。また、1970年前後に起きた、最初の
気温の一時的な上昇は風速の減少と対応し、続く気温の下降と風速の増加が
対応している。
一方、1980年以後の年平均風速はほぼ一定のまま推移しており、1998年以後を
除外すれば、気温もほぼ一定である。
「網走気象百年史」によれば、庁舎の建坪や解体・新築の状況は次の通り
である。
表12.2 網走地方気象台庁舎の変遷
年月 記 事 庁舎の建坪 庁舎延べ面積
1890.5 新築の木造平屋建に移転 78m2 78m2
(網走の戸数=122戸、人口=631人)
1936.4 老朽のため新築、木造一部2階建 155 168
1953.11 大改築、木造一部2階建
鉄筋コンクリート3階建の測風塔増設 218 281
1963.8 地震計室の増設
1971.10~12 通信室と測器室の増設 292 428
1973.12 現・会議室の建設(仮庁舎、平屋建)
1977.6 旧庁舎の解体(地震計室は残存)
1977.12 現・新庁舎完成
鉄筋コンクリート一部3階建 455 925
図12.3 網走地方気象台建物配置図、赤色は敷地内の建物、緑色は観測露場。
(左)1951年頃、(右)1988年(庁舎北側の官舎は、現在は解体されて駐車場
になっている。
(網走気象百年史の図2と図3より転載)
表12.2と図12.3によれば、旧庁舎は露場に対して北西側にあり、規模が小さ
かったが、1977年末に完成した現庁舎は規模が大きくなり、露場に対して
南北方向の風と北西寄りの風を弱めるようになった。測風塔での風速は
強くても露場の風速は弱められ、陽だまり効果を生む可能性がある。
新庁舎の東端の建物(会議室)と露場の気温受感部間の距離は
16.8mである。
1960年代から1978年にかけて庁舎の増設・解体・新築、またこれに伴なう
工事資材の置場などが測風塔における風速と露場付近の風速に影響を及ぼした
のではなかろうか。そのほか、気象台敷地外における環境変化も考えられる。
これら気象台敷地の内外における環境変化が問題点1と
2の原因であろう。
1998年以後の気温上昇(問題点3)の原因
1998年以後、測風塔における風速は変化していないのに、
気温が約0.1~0.2℃上昇した原因として、次の可能性がある。
(その1)露場の西側フェンスに接した植栽の生長が露場に対して東西方向の
風を弱め、陽だまり効果を一層顕著にした?
(その2)庁舎の北側に建てられていた官舎は、その後解体し、跡地は舗装
された広い駐車場となり、これが平均気温を上昇させた?
庁舎北側の官舎の解体等は次の通りである(防災業務課調査官・高橋
敏彦さんによる)。
1995年12月26日:図12.3右図にて官舎東列一番奥の棟と、西列3棟を解体
2001年2月27日:庁舎の北側に東西に並んでいた2本の無線鉄塔の解体
2003年3月20日:図12.3右図にて官舎東列の手前2棟の解体
官舎の解体と気温上昇の開始(1998年)は厳密には一致しないが、解体や
植栽など、さらに気象台の近隣の周辺整備を含む地表面近くにおける環境変化
が1998年以後の気温上昇をもたらしたのではあるまいか。
後述の高知地方気象台の露場近傍における環境変化が気温上昇に及ぼした
影響が参考になる。
雄武測候所データによる解析(網走の1978年の気温急上昇の確認)
網走から約120kmの北西方向、オホーツク沿岸にある雄武(おうむ)測候所
と、それに隣接する興部(おこっぺ)アメダスの資料からも検討してみよう。
網走地方気象台防災業務課調査官・高橋敏彦さんによれば、
雄武測候所は2004年10月1日から無人化されて特別地域気象観測所となるが、
庁舎・宿舎は2005年11月現在、そのままである。宿舎の増築・解体の状況は、
1980年3月27日以降は変化していない。1999年4月に国道238号の拡幅計画の
ため、測候所敷地の一部(露場の反対側)を返還した。露場の南南東側に
2階建ての町営住宅(古くはない、6世帯用)がある。
雄武町の住民に電話で尋ねたところ、1車線の国道238号は拡幅に伴ない、
両側に幅3m程度の歩道と自転車道が造られ、測候所近くでは高架になった。
町の状況は昔とほとんど変わりはないが、家屋の建て替えなどは行われて
いる。
建て替えにともない、平屋から2階建てへと大型化の傾向がある。役場は
3階建だが他の大部分は2階建てである。町のホームページによれば、
1948年に現在の町政が施行され今に至り、1975年の世帯数は2,201(人口は
7490人、3.4人 / 世帯)、2004年の世帯数は2,249(人口は5,583人、
2.5人 / 世帯)である。
図12.4 雄武における年平均風速の経年変化。
赤の線は現在使用されているプロペラ型パルス式風速計が以前から継続して
使用されてきたと仮定したときの風速経年変化の傾向である。
風車型(プロペラ式)発電式風速計は微風で回転し難く実際の平均風速
よりも弱めに観測することを考慮して赤の線を描いてある
(「研究の指針」の「9.風で環境を観る」を
参照のこと)。
図12.4は雄武における年平均風速の経年変化である。高架道路の建設以外
には測候所とその周辺の町の状況はほとんど変化はないとのことであるが、
長期にわたる住宅などの平屋から2階建てへの建て替えが風速の経年変化を
もたらしたのではないか?
図12.5の青の実線は雄武(町中に設置)と興部アメダス(田舎に設置)に
おける年平均気温の差であり、興部に比べて雄武は最近の20年間に約0.4℃
の気温上昇である。これは風速の減少傾向と矛盾しない。
ここで思い起こすのは富山県の伏木測候所のことである。
伏木測候所は古くから開設されており、周辺の門前町も古くからあり、
その家々は建て替えられ2階建てが多くなったことで伏木の風速が
減少し、年平均気温が上昇した。雄武はこれに似ていると考える。
伏木のことについては、本ホームページの「研究の指針」の
「K11. 温暖化は進んでいるか(2)」の
図11.14(下)、および「写真の記録」の
「47. 富山と荘川流域の観測所」の
(2)伏木測候所(伏木特別地域気象観測所)の項を参照のこと。
1960年代以後、雄武における年平均風速が減少傾向にあることを考慮して、
年平均気温の差(網走-雄武)の経年変化を見てみよう。
図12.5 年平均気温の差(網走-雄武)の経年変化(丸印)、気温差(雄武-
興部アメダス)の経年変化(四角印)。赤線および青線はそれぞれの
長期的な変化傾向。
網走よりも雄武における年平均風速の減少率が大きいことを考慮して、
図12.5の赤線は長期的には気温差縮小の傾向になるように描いてある。
つまり、雄武の気温上昇は風速の減少によって網走におけるそれよりも
大きいと考えられるので、図12.5の縦軸の大きさは時代とともに小さく
なる。
この気温差の長期的な縮小の中で、1970年前後の上昇・下降の波は図12.1で
見た上昇・下降の波と同じもので、網走の露場周辺の環境変化で生じたもの
である。
さらに網走の旧庁舎が現庁舎に建て替えられた時に生じた1978年の気温の
急上昇がこの図にも見られる。
備考:紋別測候所のデータからも、網走における1978年の気温急上昇
量について検討はできるのだが、風速計の地上高度がしばしば変更されて
いるために、雄武のような風速の経年変化を考慮した検討は困難である。
1978年の気温の急上昇は、
図12.1で約0.5℃に対し、図12.5では約0.2℃であり、一致しない。
しかし図12.1において
1950~1975年頃にかけてのプロットのばらつきが大きいことに注目したい。
ばらつきが大きいことは、斜里と佐呂間アメダスの前身時代の観測の
精度が低かったのではないか?
図12.1と図12.5による不一致の原因と、このアメダス前身時代の精度について、
別の資料から検討しよう。
図12.6は、網走の年平均気温と同じくオホーツク海沿岸にある3気象官署
(稚内、北見枝幸、雄武)の平均気温の差の経年変化である。これら
3気象官署は網走から北西にそれぞれ260km、180km、120kmも離れて
いるので、数年以内の短期間の気温変動の相関関係は小さいが10年程度の
長期間では大きいと考えられる。これを考慮して図12.6に赤い線で長期傾向
を描くと、網走の新庁舎完成の1978年に約0.1℃の気温上昇がありそうである。
図12.6 網走と3気象官署(稚内、北見枝幸、雄武)における年平均気温の差
の経年変化。赤の線は経年変化の傾向。
以上の検討により、庁舎の改築に伴なう
1978年の網走における年平均気温の上昇量=0.1~0.2℃(陽だまり効果)
とみなすことにしよう(暫定値)。
また、図12.1に見える大きな気温ジャンプは網走周辺の3アメダスの1977年
以前のデータ品質が悪く、年平均気温が約0.3℃
(常呂アメダス)~約0.5℃(斜里アメダス)高めに観測されていた
可能性がある。
気温の長期変動
網走における長期の気温経年変化を図12.7(a)に、アメダスにおける
経年変化を図12.7(b)に示した。図(b)の緑の線は、うえで説明した
1970年前後の波状変動、1977年以前の高めに観測されたアメダス気温
のことを考慮して描いた長期変化の傾向である。
図(b)において、内陸に位置する佐呂間は別にして、斜里、網走、常呂は
オホーツク沿岸に並んでいる。斜里は網走の南東方向に約30km、常呂は網走
の北西方向に約20kmにある。従って、斜里、網走、常呂の3地点については
補正せずに観測値はそのままプロットしてある。
図12.7(a) 網走における気温の経年変化。赤の線は経年変化の傾向。
図12.7(b) 網走周辺の3アメダス(斜里、常呂、佐呂間)における気温の
経年変化。1978年以前の網走における気温はプラス印でプロットしてある。
緑の線は経年変化の傾向。
注:
斜里、常呂、佐呂間の3アメダスの1950年以前のデータについて品質を
調べてみると、(1)年平均気温が4~9℃の範囲で大きく変動している、
(2)1950年までの平均気温と1950年以後の平均気温が不連続的である。
(3)さらに、網走地方気象台の調査官・高橋敏彦さんによれば、
区内観測所時代のデータには疑問のあるものがある。最低気温が氷点下と
推定されるデータにマイナス記号がついていない。例えば1902(明治35)
年12月には最低気温が氷点下の日がない。筆者も網走地方気象台訪問時に
これら不確かなデータが記載されていることを確認した。これらのことから
3アメダスについて1950年以前のデータは利用しないこととした。
この100年間当たりの気温上昇率は、網走で約0.7℃、
田舎観測所(3アメダス)では約0.2℃である。
(2)高知の気温上昇
高知地方気象台の観測露場の周辺は時代とともに変化してきた。
その前身・高知測候所は1882年に創立し、当初は現在地の南方の
高知市若松町にあったが、1888年~1939年の期間は高知城二の丸(標高は
現在地より約30m高い)にあった。その後、1940年以後は現在地(高知市
比島町、標高=1m)にあるので、この期間について解析する。
最近、2001年以後の気温上昇
高知市では1970年8月の台風10号による高潮に遭い、気象台も浸水して
庁舎は本町の合同庁舎に移転することになった。それまでの観測露場は
1977年まで使用されたが、1978年から約40m東に移動した。
庁舎の移転後、気象台の露場以外の敷地は江ノ口東公園となった。
この公園の大半は露場の西側、一部は北側に広がる形である。
最近の高知市東部の再開発にともなって、露場周辺の古い住宅・道路が整備
されることになった。その事業の一環として、2001~2005年にかけて
周辺住宅の解体が始まり、東のほうから新住宅の建設と道路の拡幅・舗装が
行われた。それに伴ない江ノ口東公園の西半分が切り取られ、露場の南側に
移動した形となった。
図12.8(図4.10に同じ) 高知地方気象台観測露場、右に見える大きな電柱
から向こうが露場の敷地、その手前が小公園に整備中(2004年9月20日撮影)。
図12.8 は高知地方気象台観測露場の周辺が再開発され、密集住宅から新しい
住宅団地に変わりつつある状態の写真である。以前の古い密集住宅と比べれば、
住宅内道路も拡幅・舗装されて広々となった。
2005年11月に再び訪ねてみると、観測露場の公園整備はほとんど完了に
近い状態となっていた。
周辺一帯のこれまでの変遷についての詳細は「写真の記録」の
「53. 高知と室戸岬の観測所」の
高知地方気象台周辺の地図(a)(b)(c)を参照のこと。
この再開発に伴なって、露場における年平均気温の変化が予想される。
その原因として次の(1)~(7)が考えられる。これは、すでに
「8. 温暖化問題Q&A」で言及した。
(1)舗装などによって地表面近くの地中層の熱容量が大きくなることに
よって、地温日変化の振幅は小さくなる。これは日平均
地温には無関係である(水環境の気象学、p.157、表6.1、熱物理
係数に対する敏感度)。同時に地上の平均気温も地中層の熱容量と無関係に
なる。
(2)再開発された新住宅団地は広々となり、露場付近の風の通りが
よくなる。露場に接して南側に東西に並んでいた住宅がなくなることで
風通りは一層よくなる。蒸発量が小さい条件で考えると、日平均地表面温度
は下がる(水環境の気象学、p.137、図6.2)。
(3)付近一帯の顕熱輸送量が大きくなり、最下層(気温の観測
高度付近を含む)から上空へ熱が輸送され、地温も最下層の気温も低下する
(水環境の気象学、p.137、図6.2;地表面に近い大気の科学、p.155、参考5.5)。
(4)他方、広い舗装道路ができると周辺平均の蒸発効率が小となり、
日平均地表面温度(気温も)が高くなる(水環境の気象学、p.157、表6.1、
蒸発効率に対する敏感度)。
(5)もとの公園の西半分がなくなり2~3階建ての住宅が建てられ、
風通しが悪化し、陽だまり効果によって平均気温は上昇する。
(6)2005年秋以降に露場の西側に接して子供用のサッカー練習場ができ、
その周囲に高いフェンスが張り巡らされ、露場に対して風通りは悪化し、
平均気温は上昇する。
(7)露場の南側に接して、東西に並んでいた2階建て住宅が露場に日影を
つくっていたが、これがなくなることで平均気温は上昇する。
(2)(3)は風通しによる陽だまり効果の減少(マイナスの冷却効果)
である。(4)は舗装道路による直接加熱(プラスの昇温効果)、
(5)(6)は陽だまり効果の増加(プラスの昇温効果)である。
(2)~(7)によるプラスとマイナスの差引きとして、気温が上昇したか
下降したか、観測データから確かめてみよう。
図12.9 年平均気温の差、(高知)-(各観測点)、の経年変化。
○:清水、△:窪川、四角:後免(ごめん)、五角印:安芸、ダイヤ印:
室戸岬、赤×印:5地点の平均値。
ただし、2001~2004年の高知地方気象台露場の周辺再開発前の
1990年代の気温差がほぼゼロになるように各地点の気温は+1.3℃(清水)、
-2.0℃(窪川)、-0.6℃(後免)、+0.3℃(安芸)、-0.2℃(室戸岬)
ずらしてある。赤の実線は長期的傾向を示す。
図12.9 は年平均気温の差の経年変化である。高知の年平均気温と県内5観測所
(測候所、アメダス)における年平均気温の差を表している。
まず、最近の1990年代から2000年代の変化に注目しよう。
露場の周辺一帯の再開発によって高知の年平均気温は
0.3℃上昇した。これは、露場の南側の風通りによる冷却作用よりも、
道路の拡幅・舗装による周辺一帯の加熱作用と西側に出来た建物と子供用
サッカー練習場フェンスによる風通りの悪化による陽だまり効果が強く
影響したことになる。
図12.9 において、2005年以後、高知における相対的な
昇温は当分続くかどうか?
次の理由によって、昇温傾向は続くものと予想される。露場の周辺にできた
新しい住宅団地は2~3階建てであるが、(1)空き地が10~20%程度
あり、今後空き地は無くなる可能性があること、(2)露場の西側に接して
造られた子供用のサッカー練習場の周りに張り巡らされた背丈の高いフェンス
には蔓が植えられ、生長とともに葉が次第に繁茂してきて、露場
に対する風通りを悪化させる可能性があること。
これらはいずれも陽だまり効果を強め、平均気温を上昇させるのではなかろ
うか。今後、注意しよう。
高知の露場周辺の環境変化に伴なって、昇温
傾向が2005年以後も続くだろうということを気象庁観測部に話してあった
ところ、上記(2)蔓の繁茂に関して気象庁から高知地方気象台へ連絡
が行き、さらに高知市役所高知駅周辺都市整備課へと伝えられたようである。
後日、高知市役所に確認したところ、背の高いフェンスに植えられている
蔓は2006年中に他所へ移植することになっているとのことである。
この蔓の繁茂は、露場に対して風通りが悪化し気象観測値が数km~数十
kmの範囲を代表しなくなってしまうことのほかに、
公園内の子供用サッカー練習場の防犯上、周辺からの監視の邪魔になり、
子供が誘拐されやすくなるとも限らない。この2点から蔓がなくなること
に賛意を表したい。
終戦(1945年)~1970年までの気温上昇
高知測候所に3回勤務されていた島村稔さんから伺った話によれば、
1954~1957年、周辺には田畑もあり、特に南側は開けて鉄道が見えた
1962~1971年、住宅が建て混み密集化(1970年8月に高潮で浸水)
1979~1987年、周辺の旧住宅地は安定状態になっていた
1954~1957年のころ、周辺の大きな建物は赤十字病院のみであった。
その沿革から周辺の発展状況が推測できる。
1928年:赤十字病院の前身が測候所の北方向に開院
1957年:鉄筋4階建本館新築
1969年:同病院の北館病棟鉄筋5階建増設
1985年:本館(地下1階、地上7階建)増改築
これらを参考にして1950年代から1980年代の気温差の経年変化を眺めて
みよう。
日本の他の大中都市と同様に、高知でも終戦(1945年)から間も
なく戦災で焼失した都市の復興につれて近代化が進んだ。高知地方気象台
の観測露場のまわりが一般住宅で取り囲まれてしまった1980年ころまで
年平均気温は上昇したが、1980年以後は周辺の安定と一致して年平均気温
(田舎との気温差)も一定の状態が続くことになった。
注意:
図12.9を注意深く見ると、1940年代と1950年代の清水(足摺岬、丸印)と
室戸岬(ひし形印)を比べてみると、清水が上のほうにプロットされて
いる。つまりこの時代に、すでに高知と清水の気温差が高知と室戸岬の気温差
に比べて小さくなっていたことである。清水測候所が足摺岬小学校付近の
住宅地に近く、すでに小規模の都市化の影響を受けていた可能性がある。
この図において、都市化・陽だまり効果がもっとも少ないと信頼できる
データは室戸岬、次いで清水とみなすならば、
1966~1971年の窪川(三角印)が0.3℃低め、1972~1977年の安芸
(ペンタゴン印)が0.4℃低めであるのは、この期間の年平均が
窪川で0.3℃高め、安芸で0.4℃高め
に観測されていた可能性がある。
12.4 都市と田舎観測所の比較
(3)札幌(管区気象台)と北海道農研センター(羊ケ丘、北海道農業研究センター)
北海道農研センターは札幌市豊平区羊ケ丘1番地にある。1966年からの気象
観測資料が同センターのホームページに掲載されている。1980年までは
毎日の最高・最低気温のみである。1981~2000年までは旧露場、2000年以後
は新露場における毎日の多要素の観測値が掲載されている。
1981~2000年の20年間について計算してみると、日平均気温の平均値は
最高・最低気温の平均値よりも0.16℃高い。従って、1980年以前の年平均
気温は、最高・最低気温の平均値に0.16℃を加えた値とした(表12.1参照)。
旧露場の近くには建物があるが、2001年に新設された新露場は開けた場所ある。
2001年1月~10月に並行して行われた新旧露場のデータを比較してみると、
旧露場では「陽だまり効果」があったと見なされる。
表12.3 2001年1月~10月の北海道農研センター新旧露場における観測値の比較
同所ホームページに掲載の観測データに基づく
気象要素 新露場 旧露場 差
日最低気温 2.88℃ 3.21℃ -0.33℃
日最高気温 12.82℃ 13.11℃ -0.29℃
日平均気温 8.14℃ 8.31℃ -0.17℃
10ヶ月間の平均であるが、風通しのよくなった新露場では、いずれも気温が
下降し、最高気温と最低気温はともに0.3℃程度、日平均気温は0.17℃低くなった。
これは「陽だまり効果」によるものと考える。小数点以下2桁目は器差も
含むとみなす。
表12.3に示す10ヶ月間の比較観測から、年平均気温に
及ぼす「陽だまり効果」は0.17℃と見なすことにしよう。
2006年現在の敷地内の露場と建物の配置図(同所提供)によれば、
旧露場中心から北東側の建物までの距離は約22m、南側の温室群までの
距離は約45mである。この距離よりは大きいが東から南方向にかけて存在する
庁舎などが旧露場の温度センサーの高度の風速を弱め、0.17℃(器差を
考慮すれば0.1~0.2℃程度)の陽だまり効果を起こしたと考えられる。
「研究の指針」の
「K11. 温暖化は進んでいるか(2)」の表11.1には他の観測所における
陽だまり効果一覧が掲載されている。
陽だまり効果の値(0.17℃)は、旧露場の周りの状況によって変わるので、
何年からの値なのか、過去の状況を調べてみる必要がある。
図12.10 北海道農研(羊ケ丘)と札幌(管区気象台)における気温の経年変化。
緑線は羊ケ丘、赤線は札幌における経年変化の傾向、だだし札幌の1945年
以前の傾向を表す赤線は、図が見づらくなるので、描いていない。
寿都の気温は、1890~1930年期間の札幌と寿都の平均値がほぼ一致するように
1.1℃引き算し補正してある。1890~1930年の札幌では都市化の影響が
小さく、寿都における補正値の傾向とほぼ同じ経年変化をしていたと仮定
し羊ケ丘の気温を外挿して緑の線で描いてある。
図12.10は羊ケ丘(緑線)と札幌(赤線)における年平均気温の経年
変化の比較である。羊ケ丘の1966年以前についての詳細説明は以下で示す
こととし、まず、結果を見ておこう。
羊ケ丘における気温の傾向は、札幌が現在のように都市化されなかったとした
場合と見なすことができる。10年間程度にわたる低温時代が1910年前後と
1976~1988年にあり、ジャンプとみなされる3回の急上昇が1914年、1945年、
1989年にある。100年余にわたる気温の滑らかな上昇傾向は見えない。
しかし、1次直線にあてはめると、100年間当たりの
上昇率は0.3℃程度である。
一方、市街域にある札幌(管区気象台)における気温上昇は1950年頃から顕著
で2次曲線状となり、この100年間当たりの上昇率は
2.1℃程度である。
この 2.1℃/100yr はすでに、「研究の指針」の
「7. 都市気温上昇と風速の関係」の表7.1で他の都市の数値とともに
示した。
1976~1988年期間の低温傾向への落ち込みは、田舎の羊ケ丘で大きいのに
対し、都市の札幌(管区気象台)で小さいという傾向は、田舎の江丹別と
都市の旭川の対比においても同様である。この理由の一つは、この期間
の日本の大・中都市における都市化が急速に進んだことに起因するのかも
しれない。
以上のとおり、札幌(管区気象台)と羊ケ丘における年平均気温の経年変化
について結論を先に述べたが、羊ケ丘における1966年以前の平均気温の経年
変化の推定は次のようにして行った。
①1890~1930年ころの札幌(管区気象台)は、日本の多くの都市と同様に、
都市化の影響はほとんど無視できると仮定した。
②観測データの比較から、札幌より緯度で15分南方の日本海沿岸
にある寿都では、1890~1930年代の平均気温から1.1℃引き算した値は、
札幌の同時代の平均気温に等しいとみなされる。
③海岸にある寿都とやや内陸に位置する札幌では、海洋の影響が異なり、
年平均気温の年々変動は違うが、長期間(1890~1930年)の平均では一致
するように見える。
④1976~1989年の異常な低温期間には、海岸の寿都では羊ケ丘における
よりも高温に経過した(図12.9のプロット参照)。
この④の傾向は鳥取県の下市(海岸域、図11.9b)と智頭(内陸、図11.9c)
の比較においても見える(「研究の指針」の
「K11. 温暖化は進んでいるか(2)」の図11.9を参照)。
ここで寿都の状況を調べておこう。
「研究の指針」の「K10.都市化の判定基準」の
10.3節(図10.21)で示したように、1950~1989年の39年間に風速は100%から
92%に変化した(図10.2の緑線、減少率は8%)。その後、寿都測候所は
1989年に海岸から山手の合同庁舎に移転し、風速は約54%(図10.21の赤線)
に変化した。そのうちの1970年以前の風速の減少率は数%と見なされる。
⑤寿都は北海道の日本海沿岸にあり風速の強いところであるので、1970年
以前については都市化による気温上昇はほとんど無視できると考える。
以上①~⑤より、羊け丘の年平均気温の経年変化の推定について、
1930年以前については札幌(管区気象台)と寿都(-1.1℃補正)における
経年変化の傾向を参考にし、1930~1966年は寿都における経年変化の傾向を
参考とする。
寿都における風速の経年変化に関連して、都市化による年平均風速の変化量
と減少率を次表にまとめた。この表には「研究の指針」の
「K11.温暖化は進んでいるか(2)」の11.4
節で求めた結果も含めてある。
表12.4 年平均風速の変化量と減少率
変化量=期間の初めの風速を100%として、その後の風速を%で表示
減少率=100%-変化量
* 21年間の最初の7年間平均を基準とし、最後の7年間の変化量
気象官署:気象台と旧測候所(特別地域気象観測所)
観 測 所 期 間 (年) 変化量 減少率
網 走 1950~2000 87% 13%
雄 武 1965~2000 82% 18%
寿 都 1950~1989 92% 8%
富 山 1973~2000 86% 14%
伏 木 1973~1981 83% 17%
境 1950~2000 81% 19%
多度津 1960~1982 63% 37%
アメダス
滝宮アメダス 1984~2004 85%* 15%
三 角 1979~2004 100% 0%
伊原間 1995~2004 90% 10%
表12.4によれば、気象官署では寿都で8%を最小として、網走、富山、伏木、
境、多度津では、年平均風速の減少率はいずこも10%以上もある。
これまで見てきたように、これらの地点では都市化および「陽だまり効果」
による平均気温の上昇が明瞭であった。
このことから都市化の判定基準は風速の減少率で
5%以上が一つの目安とみてよいだろう。
注意:
「K10. 都市化の判定基準」の図10.17に関係する
判定1において、
”・・・図の原点付近に注目し、太い実線(平均的な関係の線)が縦軸を
切る点、または点線(1対1の関係)と交わる縦軸の値は、都市化して
いない地域における地球温暖化による気温上昇率の第一近似値・・・・・・・”
と述べておいたが、実際の地球温暖化量はそれよりも小さい値と考えられる
場合がある。これは網走や多度津などの解析から得られたものであり、
結論的な結果については、さらなる解析が必要となる。
文献と資料
近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学、朝倉書店、pp.350.
近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学、東京大学出版会、pp.324.
資料
網走地方気象台、1989:網走気象百年史、pp.57+付録9ページ
各地の気象台・測候所:気象年報、気象月報.
気象庁、1953~1964:全国気象旬報別冊.
気象庁、1965:気象庁観測技術資料第29号、全国気象年報.
気象庁、1966~:観測所気象年報.
ワールド航空事業(株)、1976:昭和51年度版高知市街航空写真地図、
1225分の1、全102枚.