52. 網走と周辺アメダス観測所
近藤 純正
北海道の網走地方気象台と周辺アメダス(斜里、常呂、佐呂間)の周辺環境を
2005年10月19日~21日にかけて視察した。
(2005年10月25日完成)
もくじ
(1)網走地方気象台
(2)斜里アメダス
(3)常呂アメダス
(4)佐呂間アメダス
(1)網走地方気象台
今回の訪問の主な目的は、(1)網走地方気象台の年平均気温が1978年から
急激に高くなった原因について探ること、(2)現アメダスの古い観測所
(区内観測所、農業気象観測所)時代のデータ上に怪しげな記載がある
ことを目で確かめること、の2点である。
アメダス以前の古いデータは、訪問前に防災業務課調査官・高橋敏彦
さんから入手できており、予備解析によって、年平均気温における年々変動
の振れ幅が異常に大きいことがわかっていた。
10月19日昼前に網走地方気象台に到着した。気象台長・下道正則さんに案内
されて測風塔に登り周辺環境を眺めると、気象台は標高38mの高台にあり、
北側の眼下に網走港が見えた。気象台周辺はあまりごみごみしてなく、
他の気象台と比べれば広々としたところにあった。
網走地方気象台測風塔からの眺め。左から順番に北方向(眼下は
駐車場:元の官舎跡地、遠方は網走港)、東、南、西方向
測風塔から見下ろした観測露場
網走地方気象台露場の西側から見た露場、向いは裁判所
(合成写真)
手前左の低木(アジサイ)と、右側の繁茂した高木が露場の風通りを悪化
させている。
南東方向から見た露場、庁舎は外装工事中、右方の白色平屋建は会議室
(合成写真)
現庁舎の建設後、露場における南北方向の風通りと北西寄りの風通りが悪く
なったと思われる。
(左)露場の南から撮影、会議室(白い平屋建)と
露場の気温受感部間の距離は16.8m
である。
(右)北側の駐車場からの撮影した庁舎。
気象台隣地の東側にある裁判所には南側に駐車場がある。
台長から「網走気象百年史」(網走地方気象台、
1989年8月1日発行、pp.57、付録9ページ)を見せていただくと、網走二等
測候所時代(1890~1919年)の写真では、周辺には他の建物などは存在して
いない。
1890年5月1日に現在地に庁舎を新築して以来、一度もその位置を移して
いない。
昔の網走測候所。(左)網走二等測候所(1890~1918年の期間、撮影
年不明)、(右)1951年8月13日撮影
(網走地方気象台提供)
昔の網走測候所(続き)。(左)1954年5月26日撮影、(
右)1958年8月26日撮影
(網走地方気象台提供)
1936年4月に建てかえられた旧庁舎から1977年12月7日に現在の鉄筋
コンクリート一部3階建の庁舎が新築されるまでの40年余の期間、庁舎は
露場の北西側に位置していたため、露場は東西、南北の風に対して風通りが
よかったと考えられる。
旧庁舎の解体と現庁舎が新築されるまでの期間、1973年12月21日に仮・現業
庁舎(現在の平屋建の会議室)が露場の北側に増設されている。
1977年12月7日に現庁舎が完成し、現在の会議室とつながったために露場に
対して南北方向の風および北西風の風通りが悪くなったと考えられる。
その結果として気象台露場は陽だまり効果を受けることになる。年平均気温
が1978年に0.5℃程度上昇したのはこの陽だまり効果によるものでは
なかろうか。
さらに網走では1998年から年平均気温が0.4℃程度上昇する傾向にあるのは、
露場の西側のフェンスに接した植栽が生長し、風通りを一層悪化している
ためではないだろうか?
庁舎の建坪は1971年に292平方m(延べ面積=428平方m)、現庁舎となった
1977年に455平方m(延べ面積=925平方m)に1.6倍(延べ面積は2.2倍)
に大きくなった。
1978年と1998年以後に生じた気温上昇の詳細については「研究の指針」の
「K12. 温暖化は進んでいるか(2)」
の12.3節の(1)網走と周辺アメダスの項を参照のこと。
(2)斜里アメダス
アメダスの前身・区内観測所は1903~1946年に斜里役場にあった。
1951年に以久科小中学校にて観測を再開。1974年からアメダス(雨)運用
開始。1978年1月1日からアメダス四要素正式運用開始、現在に至っている。
アメダスの東側は防風林と小学校の物置などがあり、風通りはよくないが、
場所は1951年以来移転していないので、利用価値はある。ただし、樹木の
生長に伴なって風通りが時代と共に悪化する可能性がある。今後の資料解析
では注意が必要となる。
1978年以降のアメダスにおける年平均風速の経年変化を調べてみると、
現在までのところ顕著な変化は認められない。
南西方向から見た斜里アメダス(合成写真)
東側にある以久科小学校側から見た斜里アメダス(合成写真)
昔の斜里観測所。(左)1970年前後(昭和40年代)、(右)1986年
5月30日、北東側から(網走地方気象台提供)
(3)常呂アメダス
アメダスの前身は1936年に常呂役場で観測開始、1946年廃止。
1966年に家畜種場にて農業気象観測開始、1977年10月21日から四要素の
観測開始、1978年1月1日から四要素正式運用開始となっている。
現在、家畜種場、家畜センターの建物は無くなっていた。1990年前後のころ造られた
と想像される2つ山の土盛りがあった。アメダスの北側の土盛りに登ると
風速計(地上高度=6.5m)を見下ろすことができるので、土盛り頂上の
高さは8m程度である。
年平均風速の経年変化を調べてみると、1983年以後は2.5~2.9m/s程度の
範囲内で変動しており、盛り土の風速に及ぼす影響は認められない。
その理由は、常呂における主風向が北西~南西の範囲にあり、
北側の土盛りの影響を受け難いためであろうか。
北側の盛り土頂上から見下ろした常呂アメダス(合成写真)
西方向からの常呂アメダス、2つの盛り土の間にアメダスが
見える(合成写真)
昔の常呂観測所。(左)1970年前後(昭和40年代)、(右)1986年
5月13日、北西側から(網走地方気象台提供)
しかしながら、周辺状況を見渡すと、広大な畑作地域の中に大きな土盛り
があり、そのすぐ脇にアメダスが設置されていて、だれが見ても気象観測所
としては不適当と思うだろう。
気象庁は自己の土地を持たず、借地にアメダスを設置しているので、その
周辺に土盛りが造られても意見を言うことができないし、移転するための
予算も自由に使えない。そこでいっそのこと、アメダスは原則として市町村
に移管してはどうか。市町村は「私たちの気象観測所」「おらが町の大事な
施設」として守ってもらってはいかがか、と思った。試験的に各県で数箇所
のアメダスを市町村に移管して10年間ほど様子を見てはどうだろうか。
(4)佐呂間アメダス
佐呂間アメダスの前身は1938年1月1日~1966年5月31日の期間、
中佐呂間役場において観測。
1978年1月1日からアメダス四要素の正式運用開始。1988年に積雪深計を
若佐小学校敷地内に設置し、1993年に四要素観測を積雪深計設置場所
(若佐小学校敷地内)に移転・併設している。
佐呂間アメダスに行ってみると、若佐小学校の建物から約100m離れた
平坦地にあり、草刈りがされて周辺は綺麗になっていた。北東側50~70m
にある横畑宅で聞くと、時には草刈り作業を依頼されたこともあるという。
南東方向からの佐呂間アメダス、左の遠方は若佐小学校
(合成写真)
北西側(若佐小学校側)からの佐呂間アメダス(写真中央のタクシー
の手前)
昔の佐呂間アメダス。(左)1970年前後(昭和40年代)、
(右)1986年7月1日、西側から(網走地方気象台提供)
佐呂間アメダスにおける年平均風速の経年変化を調べてみると、1982~1993年
には1.8~1.9m/s、1994~2004年には2.2~2.4m/sとなり、
およそ20%の増加である。これは四要素の観測場所の
移転に伴なうものと考えられる。
まとめ
今回調査した網走周辺の3アメダス(斜里、常呂、佐呂間)は周辺環境と
移転状況から見て、必ずしも理想的な場所には設置されていなかった。
それゆえ、今後のデータ解析ではこれら3アメダスを一地点とみなして利用
することを勧めたい。つまり、3アメダスのデータを並列して見比べ、異常
と思われるデータが見つかった時には注意しよう。