K45.気温観測の補正と正しい地球温暖化量


著者:近藤 純正
気象観測資料には、時代による観測の方法や器械の変更による誤差のほか、 観測所のごく近傍の風通りの悪化による日だまり効果など、様々な誤差が 含まれる。それらを補正して得た正しい地球温暖化量(バックグラウンド温暖化量) は、100年当たり 0.67℃/100yである(1881~2007年の127年間)。
この100年余には、気温が急上昇するジャンプが4回あり、ジャンプ量は 高緯度ほど大きい。気温は太陽黒点数や大規模火山噴火とも関係している。 昔の日本の大規模災害は主に干ばつによるものであったが、近年300年間の 努力によって克服されてきた。しかし、冷害の可能性は未だに残っている。
二酸化炭素の増加にともなう地球温暖化とは別に、多くの大・中都市 では都市化による気温上昇(熱汚染量)は、この100年間の地球温暖化量 よりも大きい。(完成:2009年9月4日)

本章は、筆者によるこれまでの温暖化に関する内容の取りまとめであり、 雑誌「アリーナ」(発行:中部大学国際人間学研究所、発売:風媒社)第7号、 2009年特集号(2009年12月10日発行)に掲載の内容である。 詳細は「身近な気象」、「研究の指針」、「写真の記録」の各章に説明され ている。

本ホームページに掲載の内容は著作物であるので、 引用・利用に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを 明記のこと



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  目次
        45.1 はじめに
        45.2 気温観測の補正
		(1)観測方法の変更
		(2)都市化の影響
		(3)日だまり効果
        45.3 日本のバックグラウンド温暖化量
		(1) 100年間当たりの気温上昇率
		(2) 気温ジャンプ
		(3) 太陽黒点数と気温の関係
		(4) 火山噴火と気温の関係
		(5) 海洋変動との関係
        45.4 気象災害の時代変遷
        45.5 都市の熱汚染量
        45.7 まとめ
	参考文献


45.1 はじめに

温暖化などの気候変化が大きな関心ごととなっている。気候の将来予測を より正しく行うには、その検証となる過去から現在までの正しい気候変化 の資料が必要である。しかし、気象資料には様々な誤差が含まれている。

気候変化は確実に生じており、その実態が各機関から公表されている。 例えば気象庁は、この100年余にわたる観測データから、平均的な気温は 100年間当たり1.1℃~1.2℃ 程度の割合で上昇しているとしている。 しかし、気象庁の温暖化解析に用いている17地点のうち山形、水戸、長野、 彦根、多度津、宮崎、石垣島などの気温データには都市化の影響が含まれて おり、気象庁の公表値は過大評価になっている。

気象観測は時代によって観測の機器や方法が変更されているので、そのまま データを並べても正しい地球温暖化の実態は示さない。

ここに、既存のデータから誤った結論を出した実例を示しておこう。 図45.1は函館における1935年以降70年間にわたる年平均風速の経年変化である。 この図から、ある人は、「風速は約50年の周期変動をしている」と読み 取った。また他の観測所の例であるが、破線で囲む期間(1)に示される ように風速が時代とともに減少することから、「こうした風速減少の傾向は アジア域における大気循環場が近年変わってきていることを表している。 それは温暖化の影響でアジア・モンスーンが弱くなったからである」という ような発表があり、また国際誌にも掲載されている。一方、実線(2)で 示す範囲に示されるように、風速が近年増加していることから、「温暖化に よって台風が大型化する傾向になった」という発表もある。

函館の風速
図45.1 1935年以降の70年間の風速経年変化(函館)、図中の(1)、(2)の 説明は本文を参照。

真実はそうではない。函館における図45.1では風速は見かけ上の変動であり、 時代によって観測所が移転したこと(1940年)、風速計の検定定数が変更 されたこと(1950年)、風速計の種類が変更されたこと(1961年、1975年、 1982年)、観測所の周辺に建物が多くなり風速が弱まったこと(1960~ 1990年代)、風速計の設置高度が高くなり(1992年以降)風速が強く観測 されるようになったことによるのである。

最近では、測候所の無人化が進み、管理不十分となり環境が悪化し、 正しいデータが得られ難くなってきている。筆者は2004年以来、各地の 気象観測所を見て回り、昔からの環境変化について聞き取り調査なども 行ってきた。 その結果、気温を観測する露場の風通りの悪化による平均 気温の上昇も無視できないことがわかった。これを「日だまり効果」に よる昇温と名づけた。

  本論に入る前に、気候変動の原因について考えておこう。表45.1は地球の 有効温度(大気と地表面を含む平均温度、正確には宇宙から放射温度計で 観測される地球の温度)と地球の反射能の関係である。反射ゼロの地球とは、 雲がなく、地球がすべて海洋で覆われている、あるいは密な森林で覆われ ている場合がこれに近い。現在の地球には雲があり反射の大きい砂漠や 氷雪域も広がっているので、地球は平均として太陽光の30%を反射し、有効 温度は-18.7℃である。世界平均の地表面付近の気温は15℃程度、上空では -50℃ほどであり、すべて平均すると-18.7℃になるという意味である。

表45.1 地球の温度(大気と地表面を含む平均温度:有効温度)。
地球の有効温度

表45.1によれば、反射がわずか1%増加して31%になった場合、地球の有効 温度は現在値より0.9℃下がり、-19.6℃となる。反射がわずか1%変化 するのは簡単に起こりえることであり、CO2問題と並んで気候変動を生む 重要なファクターである(「身近な気象の科学」第1章の1.5を参照)。

気候変動を生む主な原因として次の3つがある。
(a)二酸化炭素COなど温室効果気体の急速な増加による地球温暖化: これが、 今日の温暖化問題である。
(b)地球が受ける太陽放射量の変化による気候変動: 太陽放射量の変化 (10年周期、10万年周期、・・・・・)、および地球の反射能の変化 (海洋汚染や地表面の改変など)がある。大規模火山噴火もこれに 含まれる。
(c)エネルギー使用量の増加による直接的温暖化: 都市の熱汚染が地球 規模に広がる状態だと考えてよい。CO2を削減する代わりに大規模太陽光 発電所を建設するために、たとえば広大な太陽光パネル群を砂漠に広げれば、 地表は人為的に改変され、太陽エネルギーを余分に吸収することになる。 その結果として地球はより多くの長波放射(熱放射)を宇宙に向けて放出 しなければならず、そのために地球の平均温度が上昇することになる。 この(c)を筆者は「第2の地球温暖化問題」と名づけた。いまのところ第2の 地球温暖化問題は生じないが、人類がより多くのエネルギーを使用する ようになれば、おそらく50年ほど先には問題となる可能性がある (「身近な気象」の「M43.原子力エネルギーと熱汚染 (対談)」を参照)。

今日の国際的な政治・社会問題となっているのは上記の(a)ではあるが、 気候変動の主な原因として(b)と(c)もあることに注意しよう。気候変動 は気温、湿度、風速、降水量、日射量などが相互の関係をもって変化する ことである。これらの要素のうち気温は他に比べて変動が少なく観測精度も 高く、長期のデータが蓄積されているので、本論では年平均気温を中心に 説明する。

参考:
本章は、これまでの温暖化に関する内容の取りまとめであり、各地で 開催された講演・セミナーで出された質問にも答えた内容である。各論の 詳細は本ホームページの「身近な気象」、「研究の指針」、「写真の記録」 に説明されている。それらの主なものは、「身近な気象」の
「3.気候変動と人々の暮らしー 歴史に学ぶー」
「M41.日本のバックグラウンド温暖化量 と都市昇温」
「M43.原子力エネルギーと熱汚染(対談)」
「M44.温暖化の監視が危うい」にある。

また、「研究の指針」の
「K39.気温の日だまり効果の補正(2)」
「K40.基準34地点による日本の温暖化量」
「K41.都市の温暖化量、91都市」
に掲載されている。

45.2 気温観測の補正

気温の観測には次の(1)(2)(3)が影響し誤差となるので、 補正を施さなければ正しい地球温暖化量は求められない。

(1)観測方法の変更
 観測時刻、器械、1日の区切り(日界)が時代によって変更されてきた。 図45.2(a)は観測露場に設置された百葉箱と通風筒の写真、図(b)は 百葉箱と通風筒を近くから撮影した写真である。 気象台や測候所など気象官署では(測候所の大部分は無人化された)、 気温や湿度などの観測は芝生の生えた露場で行われる。露場の広さは600平方 メートル(20m×30m)を標準とし、その周りには背の高い建物や樹木がなく、 日照と風通しがよいこととされている。

寿都観測露場
図45.2(a) 北海道の寿都測候所の観測露場。ほぼ中央に使用しなくなった 百葉箱(白色塗装)、その右方に気温・湿度測定用の通風筒がある。 露場内には手入れされた芝生が生えている(「身近な気象」の 「M21.温暖化と都市緑化(Q&A)」の図21.5に 同じ)。

百葉箱と通風筒
図45.2(b) 気温センサーを入れる百葉箱(左)と通風筒(右) (「身近な気象」の 「M21.温暖化と都市緑化(Q&A)」の図21.6に同じ)。

1970年代の半ば以前には、白塗りされた百葉箱の中に気温や湿度のセンサー が取り付けられていた。晴天微風の日中には、百葉箱の中は自然よりも 高温な空気がよどみ、かつ百葉箱自体の温度も高温になり、最高気温は 1℃ほども高く観測される。

この欠点を除くために、最近では強制的に空気を吸引する通風筒が使用 されるようになり、自然の気温がより正確に測られるようになった。

一方、気温センサーは水銀温度計から、白金抵抗温度計に変更された。 しかし温度そのものの観測精度は、白金抵抗温度計が水銀温度計よりも 向上したわけではない。 その理由は、水銀温度計の時代は5~10℃間隔で0.1℃の精度で検定が行われ 観測時に器差補正が行われていたが、最近の抵抗温度計では0℃と30℃の 2か所のみで検定され、0.2℃以内の狂いであれば合格とされ、観測に使用 されているからである。

現在の観測時刻は毎正時24回であり、24回平均値が日平均気温とされて いるが、時代によって観測時刻と回数は変更され、1日に3回、4回、6回、 8回の時代があり、観測所ごとに異なっている。たとえば、3回観測 (6時、14時、22時)による日平均気温は24回観測に比べて0.1~0.3℃ 低めに観測され、4回観測(3時、9時、15時、21時)では逆に 高めに観測される。この違いを観測の誤差とすれば、いずれも太陽の 南中時刻(経度)の関数となる(「K20.1日数回 観測の平均と平均気温」、及び「K23.観測法変更 による気温の不連続」の表23.4を参照)。

現存する統計データは1種類ではなく、 3回観測など直接観測した値で統計されたもの、自記記録紙から読み取った 値も入れて統計されたものがある。

1日の区切りの時刻(日界)も時代によって変更された。1日の最低・最高 気温を決める日界は現在では24時であるが、9時、10時、22時の 時代もあった。図45.3は、日界が9時と24時によって生じる最低気温の 違いを説明したものである。緑小丸印は日界が9時の場合の最低気温である。 日界が24時(1964年以後)に変更された場合の最低気温を大きい赤丸印で 示した。第2日目の最低気温は日界によって変わることがわかる。日界の変更 による最低気温の年平均値は全国平均で0.35℃の差があり、地点により 0.2~0.7℃の幅がある。現在の日界24時のほうが低温として統計 される(「K23.観測法変更 による気温の不連続」の23.2節と表23.3、23.4を参照)。

日界による最低気温
図45.3 1日の区切り(日界)によって最低気温が変わる説明図 (「身近な気象」の 「M42.正しく知ろう地球温暖化(講演)」の図42.5に同じ)

気候変動の解析では、これら様々な誤差を補正しなければ正しい温暖化の 実態はつかめない。

(2)都市化の影響
都市では、緑地の減少により蒸発散量が少なくなり昇温、降雨後の排水が よくなり土壌水分は減少し蒸発散量が少なくなり昇温、人工排熱の増加に よる直接的な昇温、ビルの高層化(天空率の減少)にともない 正味吸収量の増加による昇温、森林など植生地の黒さに比べて都市構造物 で反射率が増加することによる低温化、地表面の構造物(積雪など含む)の熱的性質 が変化することで気温日変化の振幅の変化や、夜間の放射冷却の弱化による 年平均気温の上昇が生じている。放射冷却の弱化の影響について、典型的な 例が後掲の図45.18で示される。

多くの気象台が設置されている都市では、これら要因を総合した結果として 気温の上昇が著しい。これはCO2増加とは異なる原因による、都市化による 気温上昇であり「熱汚染」と呼ばれる。大・中都市の気象台では、もはや 地球温暖化の観測は不可能となった。しかし、都市には多くの人々が 生活しているので、生活環境(都市気候)を知る観点から気象観測は 行わなければならない。

(3)日だまり効果
筆者は全国を巡回し、地球温暖化など広域の気候変動を監視するにふさわ しい気候観測所を探していて、「日だまり効果」に気づいた。これは、 観測所の周辺に新しく建物ができた場合や、樹木が成長して風通りが悪化し、 観測所のごく狭い範囲に日だまりが形成されて、平均気温や地温が上がる 現象である。

図45.4は伊豆半島の旧石廊崎測候所(現在無人、石廊崎特別地域気象観測所) の航空写真である。この場所は地形が窪み、主な風は左右(東西)方向で ある。左方(西)に無線塔があり右方(東)に測風塔がある。無線塔は 1966年に建てられ、2001年3月に撤去された。

石廊崎測候所1986年
図45.4 伊豆の石廊崎測候所(標高55m)、上が北、1986年撮影 (石廊崎測候所提供、「石廊崎の気象」より転載)。 (「写真の記録」の「62.石廊崎測候所 (現・特別地域気象観測所)の写真7;「身近な気象」の「M42.正しく 知ろう地球温暖化(講演)」の図42.7に同じ。)

無線塔と測風塔間の距離は23mあるが、無線塔のほうから風(西風)が吹く 時、平均風速は無線塔が無い時に比べて約15%も減速する。

この航空写真は1986年に撮影されたものであり、露場外の左(西)方には 裸地も見え、樹木は現在ほど伸びてはおらず、庁舎の窓から東の海に設置 してあった波高観測用の標柱が見えたという。観測所周辺の樹木は、 日本各地の里山と同じように、10~20年のサイクルで伐採され家庭用の 燃料として木炭や薪として利用されていた。ところが1960年代のいわゆる 「燃料革命」により、家庭用の燃料はしだいに灯油などに切り替えられる こととなり、その後の樹木は伐採されることなく自然のままとなった。 その結果、現在では庁舎の窓から東の海はまったく見えなくなった。

このようにして周辺の樹木が伸び繁茂することによって、年平均風速は時代 とともに弱まり、2005年前後(年平均風速=4.7m/s)には1960年前後 (6.2m/s)に比べて24%も減少している。測風塔で観測される風速の 弱まりは、気温を観測する露場の風通りも悪化させ、日だまり効果によって 年平均気温は0.25度も上昇した。

なお、観測所の自然環境保全の観点からすれば、石廊崎観測所の周辺は原生林 に向かいつつあるので、樹木の伐採等は行わないほうがよい。ただし、 露場のすぐ近傍は樹木の枝が伸びてこないように管理しなければならない。

 図45.5は岡山県内陸の旧津山測候所(現在無人、津山特別地域気象観測所) の庁舎跡から西側を撮影した写真である。この観測所の周囲には桜並木が 植えられた。年平均風速は、1970年以前に比べると、2000年代には33%も 弱くなった。同時に、風速10m/s以上の強風日数は、1961~65年には年間平均 51日もあったが、2002~06年には平均2日に激減している。これは 防災上からも問題である。気温などを観測する露場も風通しが悪化し、 周辺の観測所と比べて「日だまり効果」による年平均気温の上昇量は0.4℃ に達している( 「K39.気温の日だまり効果の補正(1)」の図38.2(a)参照)。

津山西方向
図45.5 津山観測所露場の北側から撮影した西方向の写真、 写真2枚を横に合成したため多少の歪みがある。左端に新測風塔(風速計の 設置高度=11.7m)が写っている。 正面に写っている桜(樹高の露場面からの高さ=10m)の10本余りが従来の 卓越風(西~北西の風)を弱めている。 左に見えるフェンスの中に気温観測用の露場がある。フェンスの右 側の舗装された広場は、旧庁舎と宿舎の跡地である (「写真の記録」の「66.岡山県の 津山測候所」の図66.3、「身近な気象」の 「日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温」の図41.4;「M42.正しく知ろう 地球温暖化(講演)」の図42.10に同じ)。

石廊崎や津山と同様に、風速の弱化に伴う日だまり効果による年平均気温 の上昇量を28地点について評価し、その関係を図45.6に示した。横軸の定義 は次式による。

 風速の増加率=(環境変化前の風速-環境変化後の風速)/ 環境変化前の風速

日だまり効果による気温上昇には、都市化による昇温量も含まれており、 それらは分離することができない。しかし、おもな昇温の原因により記号 分けしてある。日だまり効果による昇温が、樹木の成長によって生じた 7地点(室蘭、深浦、藪川、網代、石廊崎、洲本、および日光2000年庁舎 宿舎の解体)は四角印でプロットした。それらに最少自乗法をあてはめた 関係が直線である。

風速と日だまり効果
図45.6 風速の変化と日だまり効果による気温上昇の関係、四角印:樹木の成長 により日だまり効果が生じたと考えられる地点、小丸印は都市化による昇温 を含む可能性がある地点。

小丸印は中小都市の21地点(寿都、津山、多度津、伏木、境、勝浦、日光、 石巻、御前崎、土佐清水、石垣島、根室、網走、稚内、潮岬、飯田、平戸、 浜田)で得た関係であり、都市化の影響を一部含んでいる可能性がある。 津山(横軸=-0.34、縦軸=0.4℃)のプロットはこの図では小丸印グループ に入れてある。津山では観測所西側の眼下に広がる麓の住宅・都市域による 影響を僅かながら含む可能性があるからである。

全28地点に最小自乗法で当てはめた関係を破線で表した。横軸の風速の 増加率は大部分の観測所でマイナス(つまり、風速の減少)である。 日だまり効果は気温を観測する露場面上の高度1~2m高度の風速と相関 関係が大きいと考えられるが、露場面上での風速は観測されていないので、 ここでは測風塔高度(10~20m)において観測された風速との関係を示し、 プロットは大きくばらついている。全プロットを平均的に見ると、 風速10%の減少につき気温は約0.1℃上昇する効果がある。

重要な気候観測所
図45.7 重要な気候観測所(「身近な気象」の 「M44.温暖化の監視が危うい」の図44.6に同じ)

図45.7は重要な気候観測所の分布図である。解析によれば、地球温暖化 など長期的な気候変動は地域によって異なることがわかったので、広域に わたる気候変動の実態と、それをもとにして評価される都市の熱汚染量 (最後の5章に掲載)を求めるには、日本では日だまり効果などが少ない 気候観測所が20か所ほど必要である。そのうちの特に重要な地点が示され ている。

寿都、宮古、室戸岬、屋久島、与那国島の5地点では、日だまり効果が 0.1℃以下である。「0.1℃以下」の意味は、これら5地点ではその周辺に、 より好環境の理想的な観測所がなく、日だまり効果の正しい見積もりは 不可能であり、0.1℃以下と推定された地点である。

45.3 日本のバックグラウンド温暖化量

前節で説明した、観測法の変更や都市化の影響、さらに日だまり効果などの 補正を施すことにより、正しい地球温暖化量 「バックグラウンド温暖化量」 を求めることができた。

この節の後半の2つの項(「3.4 火山噴火と気温の関係」と「3.5 海洋変動と の関係」)は、今回求めたバックグラウンド温暖化量から直接導かれた結果 ではないが、すでに筆者が20年余前に発表したものであり(参考文献を参照)、 今回のバックグラウンド温暖化量の中に含まれる数十年サイクルの変動と 密接に関連する内容であるので、本節に入れたものである。

3.1 100年間当りの気温上昇率
日本の34地点平均のバックグラウンドの気温変化を図8に示した。 この図では、長期的な気温上昇が見られるほか、急激に上昇する気温 ジャンプが4回あること、約10年の周期的な変動があることに気づく。 ジャンプからジャンプまでの期間は、気温が時代とともに下降する傾向 にある。ただし1913~1946年の期間の気温はほぼ一定で、約10年 周期の変動が卓越する。

日本のバックグラウンド温暖化量
図45.8 日本におけるバックグラウンド温暖化量の長期変化 (「身近な気象」の 「M44.温暖化の監視が危うい」の図44.16に同じ)。

直線近似したときの、100年間当たりの気温上昇率は次の通りである。

 平均の気温上昇率=0.67℃/100y・・・・・・・1881~2007年(127年間、日本の平均)

これは気象庁の公表値の60%の上昇率である。気象庁の公表値は諸々の誤差 を補正しておらず、過大評価となっている。現在、世界平均の気温上昇率 も公表されているが、今回のような補正は施されていないので、今後見直す 必要がある。

3.2 気温ジャンプ
100年余の期間に、気温ジャンプは4回あり、筆者はそれらを順番に 1887年、1913年、1946年、1988年ジャンプと名づけた。最初の1887年 ジャンプはその前の年数が短く、当時(明治20年)の気象観測所の数も 少なかったので、これ以外のジャンプについて気温上昇量(ジャンプ量) と緯度の関係を求めた(図45.9)。ただしジャンプ量は、ジャンプ年を 挟んで前の7年間と後の7年間の気温差として定義した。

ジャンプ量と緯度の関係
図45.9 気温ジャンプ量の緯度依存性(「研究の指針」の 「K40.基準34地点による日本の温暖化量」の図40.9(カラーの図)に 同じ)。

ジャンプ量の緯度変化は、1946年ジャンプ(四角印)では顕著ではないが、 他の1913年ジャンプと1888年ジャンプでは大きく、高緯度の北海道では 1.1~1.2℃の大きさである。

4回のジャンプのうち、1946年ジャンプを例外(後述)とするならば、 ジャンプの数年前から10年余前に世界的な大規模噴火が頻発している。 それら噴火年は1875年、1883年(1887年ジャンプ)、1902年、1907年、 1912年(1913年ジャンプ)、1980年、1982年(1988年ジャンプ)である。

噴煙域の拡大による気温低下が生じたのち、気温の回復は緩やかにではなくて、 「ジャンプ」という不連続的な回復の物理過程が存在するのだろうか。 長期的な気候変動からすると、近代的な気象観測の歴史はわずか100年余 であり、統計期間が短く断言できないが、地球温暖化という緩やかな気温 上昇の過程では、顕著な気温下降の「ダウン」の現象は存在せず、 「ジャンプ」だけが卓越するのかも知れない。

3.3 太陽黒点数と気温の関係
図45.10の下図は太陽の黒点相対数(ヴォルフ黒点数)の経年変化、 上図は気温の経年変化である。上図では北海道6地点平均と、西日本12地点 平均の2つのグループに分けてプロットした。この図にプロットしていない 他のグループ(北日本、東北、関東越後、中部近畿)における気温変動の 傾向は、プロットされている北海道グループと西日本グループの中間に入る。

下図の黒点数と対比すると、黒点数が多いときに気温上昇の傾向、つまり 正の相関関係にある年代に上向き矢印を付けた。逆に、逆相関の傾向にある 年代に×印を付けた。

  黒点数との関係
図45.10 太陽の相対黒点数の変動(下図)と気温変動(上図)。気温の縦軸 の基準は1915~1940年の平均をゼロとして表し、5年移動平均値、青印は 北海道6地点平均、赤印は西日本12地点平均、上向き矢印 は黒点周期と気温がよく対応する期間、×印は逆相関の期間 を示す(「身近な気象」の 「M42.正しく知ろう地球温暖化(講演)」の図42.15に 同じ;「研究の指針」の「K45. 気温観測の補正と正しい 地球温暖化量」の図45.10に同じ)。

北海道(6地点平均)について、黒点数と気温変動がよく対応する時代 (1910~1955年)の45年間を選び、相関関係を図45.11に示した。その図では、 図45.8の破線で示した長期変動の直線的トレンドを差し引いた値に対する関係 が示されている。相関係数は0.69と高い。 赤色で塗りつぶした記号は黒点数の極大期の3年間の値である。 この図は5年移動平均値について見たものであり、3年移動平均値 についてもほとんど同じである。

黒点数と気温の関係
図45.11 太陽黒点数と気温の関係(北海道6地点平均)(「研究の指針」の 「K40.基準34地点による日本の温暖化量」の 図40.7(b)の下図に同じ)。

黒点数の極大から極小までの気温変動幅の平均は 約0.6℃(3年または5年 移動平均値)である。この変動幅は大きく、長期予報に活かすことがで きよう。 ただし、3年または5年移動平均の気温であり、年ごとという よりは数年程度の期間について高温期~低温期の予知に役立つであろう。

注意すべきは、約10年周期の太陽黒点数と気温が正の相関関係にある時代と、 逆相関の時代があることである。黒点数による太陽エネルギーの変化はごく 微小であり、地球大気に直接熱的な影響を及ぼしているとは考え難い。 しかし、大気現象は諸々の過程が複雑に絡み合い、微小なエネルギー変化 が引き金となって複雑な大気循環場に影響を及ぼしているのだろう。 同じように、「北極振動」や「北大西洋振動」と呼ばれる現象もこれと 相互に関係していると思われる。

3.4 火山噴火と気温の関係
世界的な大規模火山噴火があると、噴煙は成層圏に吹き上げられて 約3か月で世界中に広がり、世界の気候に影響を及ぼす。特に日本で 影響が大きく現れる。東北地方では大規模噴火の翌年または翌々年の夏 の3か月平均気温が1~3℃も低温となり、大飢饉・大凶作が95%ほどの 確率で発生している(「身近な気象の科学」第9章;「地表面に近い大気の 科学」第9章;Kondo, 1988)。

大規模噴火では、地球・大気系が受け取る太陽エネルギーは世界平均で 約0.8%減少し、地球の放射平衡温度は理論上約0.5℃下降、地上の 平均気温は現実には0.2℃前後低下する。しかし、地域的には低温域と 高温域がまだら模様に形成される。日本ではいつも低温域に入り世界平均 の約10倍の気温低下となる(「身近な気象の科学」第9章;「地表面に 近い大気の科学」第9章;Kondo, 1988)。

大噴火地図
図45.12 東北地方の大飢饉・大凶作の直前に起こった火山の大噴火。 (「地表面に近い大気の科学」 (東京大学出版会)、図9.2 より転載;「身近な気象」の「3.気候変動と 人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.5に同じ)

図45.12は東北地方の飢饉・凶作の直前におこった火山の大規模噴火である。 1883年8月26日にはインドネシアのクラカトア火山が噴火し、その翌年の 1884(明治17)年には東北地方では大凶作となり、不況がもっとも強まり、 明治維新来、農民一揆数が最大の170件も発生した。また、1991年6月15日、 フリッピンのピナツボ火山が噴火し、その2年後の大冷夏により、平成の 大凶作が生じた。

冷夏の気圧配置
図45.13 低温域と高温域がまだら模様に形成される模式図。

図45.13は、大規模火山噴火後に地球上では低温域と高温域がまだら模様 にできることを説明した模式図である。火山の噴煙が気温を変える過程 として、次のことが考えられる。すなわち、成層圏に吹き上げられた噴煙 ガスにより地球上に注ぐ日射が妨げられ、 地球の熱収支関係がわずか 変化する。この新しい熱収支関係を保つために、それまでの平均的な大気 大循環パターンが特に中緯度で変化し、地球上のある地域では平年に比して 北よりの冷たい風が、また別の地域では南よりの暖かい風が吹きやすくなる。

これを日本付近に当てはめると、冷夏の年には、 オホーツク海高気圧が 北海道東方に停滞することが多くなる。 その結果、北海道や東北地方では 冷たい偏東風「やませ」が吹く日数が多くなる。一方、シベリヤでは、 平年よりも南よりの風が吹くことが多くなり、高温域ができる。

3.5 海洋変動との関係
世界的な大噴火がないのに大冷夏による凶作が頻発した例外的な時代がある。 それは昭和初期の1931、1934、1935、1941、1945年に凶作が頻発した時代で ある。この時代について、日本の気温と関係が深い海水温度に異変がなかった かを調べてみた。

水温ジャンプ
図45.14 昭和初期の三陸沿岸で起きた水温ジャンプ。

三陸沖の海水温度には数十年間続く低温時代と高温時代がある。大正時代 から昭和初期に低温だった水温が、1946年に1.4℃も大きくジャンプした (図45.14)。三陸沖には暖流の黒潮と寒流の親潮とで潮境ができている。 この潮境は数十年のサイクルで南北に変動しており、それにともない岩手県、 宮城県、 福島県沿岸の海水温度が変動する。この変動は北方の北海道や南方 の八丈島では起きていない(図45.15)。

暖流と寒流の潮境
図45.15 水温ジャンプが起きる模式図。

世界の漁獲の豊凶の波
図45.16 マイワシとニシンの大漁期間(横線)。参考のために最上段には 東北地方における1670年以降の大冷害凶作頻発時代を示した。 (「身近な気象の科学」 (東京大学出版会)、図13.5 より転載;「身近な気象」の「3.気候変動と 人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.10に同じ)

図45.16は過去500年間にわたる、東北地方の冷夏頻発時代、および世界の マイワシとニシンの大漁時代である。漁獲の豊凶が数十年のサイクルで 繰り返していることがわかる。特に興味あることは、隣国同士のスウェーデン とノルウェーでは、一方で豊漁の時代は他方で凶漁である。この豊凶は、 海洋変動と連動して起きる現象であろう。

気候変動は、太陽黒点数や火山噴火、そのほか大気・海洋中で生じる さまざまな過程と絡み合って生じており、それらと二酸化炭素の増加 による気温上昇が混ざっている。

45.4 気象災害の時代変遷

現在、温暖化の肯定論と否定論があり、両者間で論争が生じている。 さらに、この100年間ほどを見ると、冷害など大災害は気温が低いときに 発生し、高温年には大規模な農業災害などは発生していないことから、 「寒冷化は困るが、温暖化してもかまわない」という意見もある。 この意見は正しいのだろうか? 歴史を見ておこう。

 図45.17は、1300年以降におこった凶作の気象原因比率の変遷である。 江戸時代以前の資料数は少ないので、最上段のみ300年間の統計、それ以後 は100年間ごとの統計である。古文書による記録数には時代によって多寡が あるので、凶作全体に対する各原因の比率で示した。

凶作原因の変遷
図45.17 1300年以後におこった凶作の気象原因比率の変遷。 (「地表面に近い大気の科学」 (東京大学出版会)、図9.7 より転載;「身近な気象」の 「3.気候変動と人々の暮らしー歴史に学ぶ」の図3.11に同じ)

江戸時代以前には高温年に発生しやすい干ばつと、多雨による洪水が 繰り返されており、これは現代の発展途上国の姿に似ている。日本では 1600年以後の平和な幕藩体制下において、各藩は自国の安定と発展のために 河川の改修、灌漑、森林保護策によって、干ばつと洪水は時代とともに 克服されていった。干ばつと洪水を克服するのに、300年の長い年月を 要したのである。

いま、地球温暖化による異常な気候状態が起きることが 予想されている。その対策には短期間では不可能で、長い年月が掛かる ことを歴史が教えている。重要なことは平和な社会と教育である。

45.5 都市の熱汚染量

都市化の影響がもっとも顕著に現れるのは年最低気温(極値)である。 それを北海道の旭川を例に図45.18に示した。この100年余における最低気温 の極値は1902(明治35)年1月25日に記録した -41℃である。この記録は 日本の気象官署(気象台、測候所)の極値であり、その後、記録は破られて いない。最近の旭川における最低気温は 1990年の-28℃であり、約100年間 に10℃以上も上昇している。

旭川の最低気温
図45.18 旭川における最低気温の極値の経年変化。

この最低気温の上昇傾向は都市独特のものであって、旭川周辺の田舎では今で も -36~-38℃の低温が観測されている。極低温は50cm以上の積雪があり、 微風晴天の夜間の放射冷却によって生じる。都市では、近年、機械によって 除雪するようになり、極端な最低気温は起き難くなった。その理由は、 積雪は断熱性が高く地中からの伝導熱を遮断して夜間の積雪表面温度を 著しく下降させるが、この積雪を少なくすると地中からの伝導熱が多くなり 放射冷却が弱められるからである。
その他、都市では人工排熱量の増加なども最低気温を極端に下げなくなった。

極低温がなくなったので、都市で暮らす人々は楽になったようだが、他方 では悪影響も生じる可能性がある。寒さに弱い病原菌や害虫は、これまで 死滅していたのだが、越冬可能となるからである。

県庁所在都市の都市温暖化
図45.19 都道府県庁所在都市(34都市)平均の都市温暖化量の経年変化、 ただし、1950年頃以後の移転による気温の不連続が大きい都市と、 観測所創設が遅れた都市は除く( 「K41.都市の温暖化量、全国91都市」の図41.8に同じ)。

図45.19は都道府県庁所在の34都市平均の都市温暖化量(熱汚染量)の経年 変化である。これらの多くの都市では、1950年以後に都市化が進み、とくに 経済の高度成長期(1960~1980年)に上昇量は急激になり、その後、 緩やかな傾斜で上昇が続いている。2000年時点における都市温暖化量の 34都市平均値は1.0℃である。この1.0℃はバックグラウンド 温暖化量よりも大きい。つまり、県庁所在都市では、バックグラウンド 温暖化量の2倍以上の昇温が生じていることになる。

表45.2 大都市における10年ごとの熱汚染量( 「K41.都市の温暖化量、全国91都市」の表41.2の一部を抜粋)。
大都市の熱汚染

表45.2は代表的な大都市における都市化による昇温(熱汚染量)の比較である。 東京では2000年時点における熱汚染量は1.96℃であり、これに加えて 地球温暖化量0.67℃があり、明治時代から2.9℃も昇温したことに なる。

45.6 まとめ

(1)気象観測資料には、時代による観測の方法や器械の変更による誤差の ほか、観測所のごく近傍の風通りの悪化による日だまり効果など、様々な 誤差が含まれる。
日だまり効果による年平均気温の上昇量と風速の減少率との関係を18地点 について評価すると、平均的には風速の10%の減少が気温0.1℃の上昇に 相当する。

(2)上記の様々な誤差を補正して正しい地球温暖化量(バックグラウンド 温暖化量)を求め、100年間当たり0.67℃の上昇率を得た。ただし1881~2007年 の127年間の値である。
大気中の二酸化炭素濃度の増加によっておきる、この地球温暖化は単調な 気温上昇ではなく、約10年周期と数十年サイクルの気候変動が混ざっている。

(3)この100年余には、気温が急上昇するジャンプが4回あり、ジャンプ量 は高緯度ほど大きく、北海道では1℃を超える。年平均気温の1℃の変化は 大きな気候変化である。特に1988年のジャンプは大きく、それ以後の日本の 気候を大きく変えた。今後の正しい気候監視が重要である。

(4)約10年周期の太陽黒点数と気温変動はよく対応している。高緯度ほど 相関係数が大きい。しかし、正の相関関係にある時代と、逆相関の時代が ある。1915~1955年の45年間は正の相関関係にあり、北海道 では相関係数は0.69と高く、気温変動幅は0.6℃前後の大きさである。 それゆえ、正・逆相関の時代に注意すれば10年程度先の気候予測に利用できる。

(5)世界的な大規模火山噴火があると、その数年後には、特に東北地方で 夏の気温低下は著しく、凶作が高い確率で頻発する。

(6)大規模火山噴火が無かったのに凶作が頻発した昭和初期は、海水 の低温時代であった。これは黒潮と親潮の潮境が数10年のサイクルで南北 に変動することと関係している。
世界の海洋における過去500年間についてみると、漁獲量の豊凶の時代が 数十年のサイクルで生じていた。漁獲量変動のサイクルは海洋・大気変動 と密接に関係するものと思われる。

(7)江戸の幕藩体制が確立される以前の日本では、大規模災害の大部分は 干ばつと洪水によるものであった。しかし、幕藩体制下の平和な時代に、 これらの大規模災害は300年の長い歳月を掛けて克服された。

(8)二酸化炭素の増加にともなう地球温暖化とは別に、多くの大・中都市 では緑地の減少や人工排熱の増加による、いわゆる都市化による気温上昇 (熱汚染量)が大きく、この100年間の地球温暖化量を上回っている。 地球温暖化対策(二酸化炭素排出削減)とは別の熱汚染軽減策が必要である。

参考文献

近藤純正、1987:身近な気象の科学.東京大学出版会、189pp.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学.東京大学出版会、324pp.

近藤純正、2009:気温観測の補正と正しい地球温暖化量.中部大学「アリーナ」、 第7号、144-161.

Kondo, J., 1988: Volcanic eruptions, cool summers, and famines in the northeastern part of Japan. J.Climate., 1, 775-788.



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