北村透谷 きたむら・とうこく(1868—1894)                   


 

本名=北村門太郎(きたむら・もんたろう)
明治元年11月16日(新暦12月29日)—明治27年5月16日 
享年25歳(透谷院無門章賢居士)❖透谷忌 
神奈川県小田原市城山1丁目23–2 高長寺(曹洞宗)



詩人・評論家。相模国(神奈川県)生。東京専門学校(現・早稲田大学)中退。明治24年劇詩『蓬莱曲』を自費出版。25年『厭世詩家と女性』を発表、島崎藤村や木下尚江に衝撃を与えた。26年島崎藤村らと雑誌『文学界』を創刊。『人生に相渉るとは何の謂ぞ』『内部生命論』などの評論を発表した。







 是の如きもの我牢獄なり、是の如きもの我戀愛なり、世は我に對して害を加へず、我も世に對して害を加へざるに、我は斯く籠囚の身となれり。我は今無言なり、膝を折りて柱に憑れ、歯を咬み、眼を瞑しつゝあり。知覺我を離れんとす、死の刺は我が後に来りて機を覗へり。「死」は近づけり、然れどもこの時の死は、生よりもたのしきなり。我が生ける間の「明」よりも、今ま死する際の「薄闇」は我に取りてありがたし。暗黒!暗黒!我が行くところは關り知らず。死も亦眠りの一種なるかも、「眠り」ならば夢の一つも見ざる眠りにてあれよ。をさらばなり、をさらばなり。
                                  
(我牢獄)



 

 明治22年、日本最初の近代詩『楚囚之詩』を発表、その思想や文芸批評においても若い文学者たちに影響を与えた。
 『蓬莱曲』の柳田素雄に〈何をか恐れん、わが恐るゝところは世なりかし。死は歸へるなれ、死は歸へるなれ!おさらばよ!〉と言わせた透谷は、精神の変調をきたしていた明治26年12月28日、京橋区の実家で咽喉を刺し自殺を企てたが未遂、翌27年「我が事終れり」ともはや筆も執らず、5月16日払暁の月夜の下、芝公園地内の自宅庭で縊れて死んだ。
 透谷に縛された作家島崎藤村は、〈透谷の生涯は結局失敗に終わった戦いだった〉と、〈しかしその惨憺とした戦いの跡には拾っても拾っても盡きないような光った形見が残った〉と感慨している。



 

 小田原駅に近い小田急線沿いにある高長寺には、樹齢350年以上の大きな白木蓮の木があった。小田原市の天然記念物に指定されており、春には空に広げた枝々にびっしりと白い花を咲かせて艶やかな香りを本堂裏の塋域に運んでいくのだろう。
 はじめは港区白金台の瑞聖寺にあったのを、昭和29年5月、没後60年祭のときこの寺に移されたという「透谷北村門太郎墓」は、束株の水仙が植えられた北村家塋域の中央に、歳月を刻されて深閑としてあった。毎年、5月16日の命日の前の日曜日に墓前祭が行われると聞く。
 ——〈人の世に生るや、一の約束を抱きて来れり。人に愛せらるゝ事と、人を愛する事之なり〉。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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