北村太郎 きたむら・たろう(1922—1992)                   


 

本名=松村文雄(まつむら・ふみお)
大正11年11月17日—平成4年10月26日 
享年69歳 
東京都世田谷区北烏山4丁目16–1 妙祐寺(浄土真宗)



詩人。東京府生。東京大学卒。戦前から「LE BAL」に参加。昭和26年田村隆一、鮎川信夫らと『荒地』を創刊。41年第一詩集『北村太郎詩集』を刊行。『犬の時代』で芸術選奨文部大臣賞、『港の人』で読売文学賞を受賞。詩集『冬の当直』『笑いの成功』などがある。







春はすべての重たい窓に街の影をうつす。
街に雨はふりやまず、
われわれの死のやがてくるあたりも煙っている。
丘のうえの共同墓地。

墓はわれわれ一人ずつの眼の底まで十字架を焼きつけ、

われわれの快楽を量りつくそうとする。
雨が墓地と窓のあいだに、
ゼラニウムの飾られた小さな街をぼかす。

車輪のまわる音はしずかな雨のなかに、
雨はきしる車輪のなかに消える。
われわれは墓地をながめ、

死のかすれたよび声を石のしたにもとめる。
すべてはそこにあり、

すべての喜びと苦しみはたちまちわれわれをそこに繋ぐ。
丘のうえの共同墓地。
煉瓦づくりのパン焼き工場から、
われわれの屈辱のためにこげ臭い匂いがながれ、
街をやすらかな幻影でみたす。
  
幻影はわれわれに何をあたえるのか。
  
何によって、
  
何のためにわれわれは管のごとき存在であるのか。
  
橋のしたのブロンドのながれ、
  
すべてはながれ、
  
われわれの腸に死はながれる。
  
午前十一時。
  
雨はきしる車輪のなかに、
  
車輪のまわる音はしずかな雨のなかに消える。
  
街に雨はふりやまず、
  
われわれは重たいガラスのうしろにいて、
  
横たえた手足をうごかす。
                                   
( 雨 )



 

 北村太郎の詩には共通した言葉が良く現れてくる。「墓地」、「街」、「冬」、「鳥」、「雨」、そしてなんといっても「死」だ。それぞれメタファーによって成り立っているのだが、「死」はそれ自体が確定的な言葉であった。〈朝の水が一滴、ほそい剃刀の 刃のうえに光って、落ちる——それが 一生というものか。不思議だ〉と詩人は観想する。
 詩人は最初の妻や子を不慮の事故で失い、晩年は府立第三商業高校以来の友人田村隆一の妻を巡って地獄の葛藤、大病など、「死」はいつも身近に寄り添っていた。
 〈いつもどこかの街角でポケットにパンと葡萄酒をさぐりながら、 死者の棲む大いなる境に近づきつつある。〉、平成4年10月26日午後2時27分、虎の門病院で腎不全により亡くなった。



 

 〈街をあるき 地上を遍歴し、いつも渇き、いつも飢え〉ていた北村太郎。墓地が好きだった彼は、晩年も横浜・南京墓地の近くに住んだ。「ある墓碑銘」という詩にこう書いている。〈ここに一人の男が眠る。(中略)彼の いちばんきらいなことばは、音、であり すきなことばは、水、でした〉と。
 世田谷区北烏山の寺町通りにあるこの寺の本堂前庭、数人の植木職人が植栽の手入れをしている。右奥の墓地中程、苔の生えた土庭に小振りの墓石が建つ。「松村家之墓」、左側面に建之北村太郎の本名松村文雄とある。墓碑銘はない。供え花もない。寺犬の鳴き声がキャンキャンと墓石の間を跳ね飛んでいく。秋晴れの空はどこまでも高かった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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