本名=小木貞孝(こぎ・さだたか)
昭和4年4月22日—令和5年1月12日
享年93歳(ルカ)
石川県金沢市東山2丁目11―35 西養寺(天台宗)
小説家・精神科医。東京府生。東京大学卒。上智大学教授などをつとめ、昭和54年から執筆に専念。『フランドルの冬』で芸術選奨新人賞、『帰らざる夏』で谷崎潤一郎賞、『宣告』で日本文学大賞受賞。『湿原』などで犯罪や凶器を追求し続ける。ほかに『永遠の都』『雲の都』などがある。

「神父様、悪とは何ですか」
「悪とは善の欠如した状態です」
「悪とは、そうすると、善に対して二義的なのですか。善がなければ悪はない」
「その通りだ、わが子よ」
「しかし、わたしたちの 上に現に強く悪の力がはたらいています。それは何なのですか」
「そんなことを考えるより、お祈りをなさい」
「しかし神父様、神が悪を許し給うは、その悪より善を導き出すほどに全能だからであると聖アウグスチヌスが言ってますが、本当でしょうか」
「…………」
悪がなければ善はない。
イエスは悪魔との対話から出発したのではなかったか。
闇がなければ光はない。
この世はわずかな光にすぎぬ。この世の外側には広大な闇がある。光が消えれば闇が来るの だ。
『自然の中の人間の位置』をおれは思う。百万年前か二百万年前か、正確には分りませんが、大 分の昔、地球上に人類が発生しました。その時人類は闇の彼方より来てこの世に光る存在となっ たのです。そして一人一人がこの世を照らす小さな光でした。一人一人は死んで小さな光は消えましたが、人類という光の帯は残ったのです。しかし、それに初めがあったということは終りがあることです。いつか人類は亡び、光は消えねばなりません。
(宣告)
精神科医としてつとめながら、創作によって、本質的な人間存在の問題に正面から取り組み、現代社会の狂気、戦争責任の所在、死刑制度の問題点などに積極的にかかわった加賀乙彦は昭和62年9月、58歳の時、信州追分で門脇神父と4日間にわたって受洗のための質疑応答を行い、12月、クリスマスイヴに遠藤周作夫妻を代父母としてあや子夫人と共にカトリックの洗礼を受けた。洗礼名は「ルカ」。平成20年にあや子夫人を亡くし、23年1月には心房粗動で倒れ、入院。3月には肝障害で再入院。死が迫ってくるのを感じたが、〈生まれる前はどこにいたんだ?死というのは生まれる前の状態に帰るだけで、そんなことを恐れてどうするんだ〉と達観、令和5年1月12日、老衰のため93年の生涯を閉じた。
浅野川に架かる橋をわたり、茶屋街を抜けて緩やかな坂を上っていくと寺町の様相を呈する地区に行き着く。その中のひとつ天台宗の寺院西養寺の墓に加賀乙彦は埋骨された。クリスチャンであったあや子夫人が亡くなった時に、それまで菩提寺としていた文京区向丘の曹洞宗高林寺は宗教上の違いによって納骨ができないため、徳川時代の小木家先祖墓が9基ある金沢のこの寺に墓地を定めた。数十段の階段を上った先、枯れ落葉の道を左にたどっていくと、先祖の墓の近く、桜の大樹が若葉を繁らせ、樹葉の間から霞む金沢の街が望める。平成21年5月、東京の高林寺から運んできた古色とした「小木家之墓」が設置された傍らに黒御影の墓誌があり、あや子夫人の洗礼名にならんでルカ・加賀乙彦の名が刻されている。
|