原 阿佐緒 はら・あさお(1888—1969)


 

本名=原 浅尾(はら・あさお)
明治21年6月1日—昭和44年2月21日 
享年80歳(赤晃朗歌大姉位)
宮城県黒川郡大和町宮床字長倉48 龍岩寺(曹洞宗)



歌人。宮城県生。宮城県立高等女学校(現・宮城第一高等学校)中退。日本女子美術学校(現・都立忍岡高等学校)中退。高等女学校中退後、上京して日本画を学ぶ。明治40年新詩社に入り与謝野晶子に師事して『スバル』に歌を発表。のち『アララギ』に転じて石原純との恋愛事件をおこした。歌集に『涙痕』『白木槿』などがある。






 

生きながら針にぬかれし蝶のごと悶えつヽなほ飛ばむとそする

わが病めば子のおとなしくなるなれども寂しやあはれ相たよる身は

消ゆるまで見つつあらめとわが仰ぐ虹はもかなしたまゆらに消ゆ

黒髪もこの両乳もうつし身の人にはもはや触れざるならん

真裸のおのれをば見む日の来ぬといち念もゆる眼を空に向く

沢蟹をここだ袂に入れもちて耳によせきく生きのさやぎを

来しかたに深き悔もちありがてぬいのちよいまはながきを欲りせず

こころ深くひとりうなづき安らかにわれは生きなん今日をあしたを

捨てられて山にかくれて歌よみて泣きて子とのみ生くるわれはも

歌よみの阿佐緒は遂に忘られむか酒場女とのみ知らるるはかなし



 

 昭和22年1月19日、かつて世間いっさいの忠告や非難、中傷を退けてまで同棲した物理学者であり歌人の石原純が死んだ。北の山深い里には小雪が舞っている。郷里宮城県黒川郡大和町宮床で阿佐緒は何を想う。愛の遍歴は終わった。酒場女にもなった。女優として映画に出演をしたこともある。〈窮迫した境地にもがきながら、辛くも生きて〉いこう——。一首をも歌わぬ20年もあったが、俳優となった次男保美夫妻の住む真鶴でようやく安穏の日々を得た。〈いつもそこにないものにあこがれる、いまある現実には何か満ちたりない思いだけをいだいていた人〉と保美の妻桃子に回想された阿佐緒。昭和44年2月21日午後8時10分、老衰のため永遠の時を得て彼岸に向かった。



 

 仙台市の地下鉄泉中央駅から折りたたみ自転車で上ったり下ったりの道を15キロ、阿佐緒の通った宮床小学校への入口も、阿佐緒記念館として公開されている「白壁の家」も過ぎた。やがて、さして広くもない国道をそれて村道に。子らと沢蟹を捕った小さな川の橋をわたって行き着いたところ、30段ばかりの石段と簡素な山門が見える。〈父上のみ墓にゆくとのぼりゆく栗の落葉にうづもれし道〉と詠んだこの寺の塋域にある一族の墓々。さきの東日本大震災の際、うつぶせに倒れてしまったという楕円形の碑、嫁桃子の父中川一政画伯の筆になる「阿佐緒墓」は七ツ森の笹倉山を背に、雑木林に挟まれた青々としたわずかばかりの田畑を見下ろしている。あたかも竹林がざわめき始め、ポツッと雨が降り出した。蛙の声も一段と騒がしくなったようだ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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