埴谷雄高 はにや・ゆたか(1909—1997)


 

本名=般若 豊(はんにゃ・ゆたか)
明治42年12月19日(戸籍上は明治43年1月1日)—平成9年2月19日 
享年87歳 ❖アンドロメダ忌 
東京都港区南青山2丁目32–2 青山霊園1種イ7号4側6番甲 



小説家・評論家。台湾生。日本大学中退。昭和6年日本共産党に入党。翌年検挙、投獄され転向。昭和21年平野謙らと雑誌『近代文学』を創刊。『闇のなかの黒い馬』で谷崎潤一郎賞。『死霊』全五章で日本文学大賞を受賞。『幻視のなかの政治』『虚空』『不合理なゆえに吾信ず』などがある。






 

 ---ふむ、お前は人間の過誤の歴史をこれまでこれほど長く長く支えてきたものはいったい何だと思うかね。いいか。それは、さらにまたいってみれば、二つあるのだ。そのひとつは、自分が思っていることへの驚くほど執拗な固執だ。自己への固執---これこそ、生の最大の秘密だ。そして、つぎに、これまで誰にも触れられずにつづいてきた人間の過誤の第二を挙げるとなると、俺ははっきりいうが、それは、俺達の自由意志の重さについてついに思い及ぶこともないままに一生振舞ったあげくぼんやりと子供をつくってしまうことにあるのだ。
                             
(死霊・五章)



 

 私などにはいくら読んでも理解できないほど、難解このうえない厄介な観念小説だが、悲哀(三輪与志)・悪(三輪高志)・喜び(首猛夫)・狂気(矢場徹吾)を体現する4人の主人公が問答する壮大な実験小説『死霊』は、昭和21年『近代文学』創刊号に連載開始以来、病気中断をはさみ4章から5章まで書き継ぐのに26年かかった。この頃には、すでに神格化されていたほどであったが、さらに10年、6、7、8章とつづいた。平成2年に胃のポリープを摘出、年末には心臓病で入院した。どうにかこうにか9章が発表されたのは平成7年、15章構想をいっきに12章に縮小、しかしそれも叶わぬまま、埴谷は平成9年2月19日、脳梗塞のため永遠に宇宙そのものとなった。



 

 〈人間に出来る意識的行為には、自殺すること、子供を作らないことの二つがある〉と断言した埴谷雄高、自殺はともかく一方の子供に関しては間違いなく実践している。そして〈自身は生と存在の意味を考えるために生きている〉という主張は真だった。しかしその探求は未完に終わり、無限の空間の包み込むところに「般若家代々之墓」は存在する。父母、妻と共に納まった石塊の下で〈自分は根源までさかのぼれば生の単細胞に、あるいは宇宙の鉄にまでたどりつくけれど、死ねばそれっきり、あとはなにも続かない〉などと、森羅万象、いかなるものをも完璧に透過してしまうのではないかと思えるほどの、あの深く憂いを持った眼を瞬かせて呟いていることであろう。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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