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有間皇子神社の慰霊祭
 2013年11月10日、和歌山県海南市の藤白神社まで出かけた。11月11日に亡くなったとされる有間皇子を偲んで、毎年この時期に藤白神社で催される有間皇子まつりに参列するためだった。
 2014年夏に市民ミュージカル劇団『希望』が創作ミュージカル「有間皇子物語」を上演する。劇団後援会役員としても一度はこのおまつりを見ておきたいと思っていた。公演を前に参列するという劇団員たちに同行した。
 総勢12名で紀州路快速で海南駅を下車し、徒歩15分の藤白神社に向かった。藤白神社境内の一角にこじんまりした有間皇子神社がある。神社前で50名余りの参拝者が見守る中1時から慰霊祭が始まった。

藤白神社宮司さんの解説
 約15分の神事の後、井劇団代表と面識のある藤白神社の宮司さんに隣接する藤白王子権現本堂に案内された。本堂の祭壇横にネット上の写真でよく目にした有間皇子の肖像画と木像が飾られていた。宮司さんからの説明があった。木像が三田市の金心寺の住職から寄贈されたものだと初めて知った。金心寺は有間皇子の実弟である定慧上人が開祖である。また有馬皇子の生誕の地といわれる有馬温泉と終焉の地・藤白坂が南北に一直線上にあるという興味深い説明を聴いた。お話の後、早速、肖像画と木像をカメラに納めた。
藤白坂の有間皇子遺跡
 境内の案内板を見てすぐ近くの有間皇子遺跡を訪ねた。神社から熊野古道を南西に200mばかり辿ったところの三叉路に遺跡があった。更に西に向かって緩やかな坂道が延びている。有間皇子が処刑されたという藤白坂である。小さな公園のような敷地に「有間皇子墓」と「歌碑」が建てられている。歌碑は有間皇子が牟婁の湯に護送される途中で詠んだとされる一首で、佐々木信綱博士の筆で刻まれている。『家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る』
万葉歌の朗誦と地元劇団の歌と踊り
 藤白神社に戻った。境内の一角に設置された舞台で万葉風の衣装に身を包んだご婦人が万葉歌の朗誦中だった。この前にあった筈の万葉集研究などで知られる村瀬憲夫近畿大名誉教授のお話しは既に終わっていたようだ。万葉朗誦会メンバーの朗誦の後、劇団KCM(かいなん市民劇団)による歌と踊りが演じられた。総勢12名の劇団員たちの優雅な古代衣装をまとったミュージカル風のパフォーマンスはなかなか見応えがあった。若手から中年の幅広い層の8人の女性陣に4人のイケメンたちを加えた劇団員たちだった。それぞれの特性を活かした巧みな構成で愉しませてもらった。終演後は舞台上で、我が劇団員(飛び入りの私も加わった)とKCMの劇団員一緒の記念写真を撮った。
藤白神社の由緒と格式
 3時前におまつりが終了した後、藤白神社境内をあらためて巡った。有間皇子の叔母に当たる斉明天皇の行幸の際に創建されたと伝わる由緒ある神社である。境内には楠の大木が聳え、後鳥羽上皇や芭蕉ゆかりの碑が建っている。藤白王子権現本堂内の祭壇には県指定文化財の木造熊野三所権現本地仏坐像が祀られている。境内一角には全国の鈴木氏の総本家の屋敷跡である鈴木屋敷がある。さすがに万葉の時代から熊野詣の要所として繁栄した神社である。その格式の高さと由緒の深さをあらためて実感させられた。