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劇団後援会の設立総会
 2011年11月26日、市民ミュージカル劇団『希望』後援会の設立総会が開催された。「山口にミュージカル劇団を創ろう」という有志の取組みの到達点のひとつだった。北六甲台在住の劇団JMA(日本ミュージカル研究会)主宰者・高井良純さんを中心に大それた挑戦を始めて以来約9カ月、仲間7人でようやくこぎつけたものだ。総会後、JMAの俳優さんたちに音楽ショーで花を添えてもらった。

伝統文化の町の新たな息吹
 日本最古の有馬温泉の街道筋の町として山口は孝徳天皇行幸以来の歴史を重ねてきた。豊かな自然に恵まれ独自の風土が育くまれている。そうした土壌のもとに公智神社の秋祭りに代表される伝統的な行事が、町の中心的なお祭りとして定着している。
  他方で山口は、住民の半数以上を新興住宅街の住人で占められる新旧住民の共存する町でもある。もちろん新興住宅の住民も秋祭りの壇尻を見物し、旧地区の盆踊りで伝統の「袖下踊り」を見物する。とはいえそうした伝統的行事は新住民にはどこか融け込めないものがあるのも現実である。
 そんな中で12年ほど前から新旧住民共同のイベントである「さくらまつり」が始まり定着した。また4年前には船坂の新旧住民が一体となってビエンナーレが始まった。今回のミュージカル劇団の立上げはそうした新たなカルチャーの創造の延長線上にある。ミュージカル劇団立上げという発想はいかにも新住民のものだった。
 新旧住民が共存する町に、それぞれの土壌に根差した行事やイベントが継承され、新たに立ちあげられ、定着していく土壌こそが貴重だと思う。
劇団旗揚げ公演の盛況
 後援会づくりと並行して続けられた劇団員募集も地元住民を中心に約40人の団員を得た。2カ月半のレッスンを経て11月26日にいよいよ劇団旗揚げ公演「第9で踊ろう!」を迎えた。
 後援会役員の不安をよそに、会場の山口ホールには2回公演合わせて400人を超える観客が詰めかけ、ホールの観客動員数の記録を塗り替える盛況ぶりだった。舞台の方も、小学生から年配者まで驚くほど幅広い年代層の団員たちが懸命に歌い、踊り、演じた。ご近所のオジサン、オバサン、子供たちといった親近感あふれる団員たちの懸命な演技は、まさしく市民ミュージカル劇団の真骨頂だった。
劇市民ミュージカル劇団『希望』の定着
 旗揚げ公演以降、市民ミュージカル劇団『希望』は、着実に地域に定着してきた。2012年7月の「ヘンゼルとグレーテル」、12月の「第9で踊ろう!PART2」と山口ホールでの定期公演を成功裏に終えた。9月には西宮まちたび博オープニングセレモニーに出演した他、地元幼稚園やボランティアイベントでミュージカルショーなども行った。2013年1月の「宮っ子 1・2月号」でも公智神社境内で劇団員たちのパワフルな写真が表紙を飾った。 
創作ミュージカル有間皇子物語の公演決定
 旗揚げ公演が盛況の内に終了した頃、井劇団代表は早くも地元ゆかりの古代の人物をテーマにした創作ミュージカルの構想に着手した。地元長老からの情報も得て有間皇子が取り上げられることになり、「創作ミュージカル有間皇子物語」の構想が固まった。
 山口の歴史に最初に固有名詞で登場する人物は孝徳天皇である。
大化元年(645年)から白雉5年(654年)年に渡って在位された第36代天皇だ。日本書紀には、647年の孝徳天皇の有馬温泉行幸の記述があり、山口の氏神である公智神社のお旅所には「孝徳天皇行在所祉」の石碑があります。有間皇子は、孝徳天皇の唯一の皇子で、中大兄皇子の謀略にかかり紀州で処刑され、わずか19歳という短い生涯を終えた悲劇の皇子である。

 劇団後援会としても構想実現に向けた支援態勢が必要だ。昨年と今年の二回の後援会定期総会後に「有間皇子を語る会」を開催した。今年4月の「語る会」では西宮文化協会の山下会長に講演をお願いし、「悲劇の有間皇子今ふたたび」と題し60分余り熱弁を振って頂いた。講演では冒頭、大化改新に至る古代日本の国のなりたちが説き起こされた。続いて大化改新の主役が中大兄皇子と中臣鎌足とされる通説の疑問点が指摘され、有間皇子の父である孝徳天皇こそが主役だったという説が紹介された。その後メインテーマの有間皇子の悲劇が解説された。蘇我赤兄に騙されて謀反の罪を着せられ、中大兄皇子の命で藤白坂で絞殺されたという一連の経過である。ミュージカル有間皇子物語の時代背景と史実を学ぶ上で分かりやすく説得力のある講演だった。

有間皇子公演のオール山口での支援体制
 創作ミュージカル有間皇子物語は、来年夏の公演を予定している。創作ミュージカルだけに過去3回の既存作品の上演とは比較にならない多額の費用と労力を必要とする。脚本、作曲、音響、照明、舞台、衣装等のすべてを一から作成しなければならないからだ。必要資金の調達や観客動員に向けたオール山口での支援態勢づくりが不可欠である。
 ミュージカルというどちらかといえば新興住宅街向けの表現形式だが、テーマは旧来の山口ゆかりの古代人物である有間皇子の物語だ。ミュージカル有間皇子物語は、新旧住民が共存する山口で双方の架け橋となる格好のカルチャーではないかと確信している。