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がんを明るく生きる-前立腺癌の末期から生還した伊藤勇のサイトのホーム

末期癌より生還した伊藤勇の闘病と生き方の物語

(7) 心臓病で二度目の余命告知…弁膜症の大手術

がん細胞消滅の逆転ホームランから10ヵ月後。心からほっとしたのもつかの間でした。がんが自然退縮したあとも、定期検査はきちんと受け、日々の生活には注意を払い、いつも感謝の気持で暮らしてきました。そんながん患者を返上した私に、今度は心臓弁膜症で手術をしなければあと1、2ヶ月の命と、2度目の余命宣告です。このままでは新年は迎えられないかもしれないのです。
近親者とも充分に話し合った結果、手術に賭けようと決断し、心臓の弁を取り替えるという大手術を受けることになりました。前立腺がん末期の余命告知から8年が過ぎていました。実は、前立腺がんの告知を受けた同じ頃に、心臓弁膜症であるとの診断も下されておりました。時と共に私の心臓は悪化し悲鳴をあげていたようです。

2003年10月2日、病院で手術を受けました。人口弁置換えには、二つの方法があります。カーボンの人工心肺を使う方法と、牛の生体弁を入れる方法です。一長一短ある中で、二つの弁を用意してもらったのですが、結局私の身体には牛さんの生体弁を使わせてもらいました。手術は肋骨を電動ノコギリで中心から切断、心臓を人工心肺に切り替え、「大動脈弁を牛の生体しんのう弁と置き換える」という大手術です。
手術後に心臓の動きが悪ければ脳に血液が行かなくなって植物人間になることもあり得ますし、また一旦は生還しても、異質なものが入る訳ですから拒絶反応が起きてどうなるわかりません。
でも、手術をしなければ、その年一杯持つかどうかの命だと言われましたので、前夜には家族全員を呼んで、ハンコから書類から一切を渡しました。「生き返ったらまた返すんだよ」と、ネアカの私は冗談ぽく言っておりました。「生き返ればオマケの人生がまた始まるし駄目ならご永眠」。私の心はおだやかでした。

そして手術。優れた先生方のおかげで再び命をいただきました。生死の境を乗り越えて生還した感激は何ものにも勝るものがあります。その後も、現状を素直に受け止め、運命に身を委ねて行こうと思う心境で過ごしておりました。ところが半年後、また病院に舞い戻る運命が私を待ち受けておりました。

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