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がんを明るく生きる-前立腺癌の末期から生還した伊藤勇のサイトのホーム

末期癌より生還した伊藤勇の闘病と生き方の物語

(2)余命告知を受け入れる…死ぬまでにはまだ時間がある

頭の中は大混乱でした。とにかく頭を冷やさないといけないと思い、病院の近くにあった公園に行き、ベンチに寝転びました。
さてこれからどうしよう。今日は会社で幹部会がある日、検査結果を聞きに私が病院に行っていることは幹部社員は皆知っている、そんな中で社長の私が頭の中真っ白で帰るわけには行きません。とにかく、頭を冷そう。
暖かい日でした。空を眺めていたら、名古屋空港に着陸する飛行機が何機も通って行きます。アメリカやヨーロッパからの長旅を終えて、車輪を出し、着陸態勢に入っているのが見えるのです。 あと数分で名古屋空港、自分の人生も長いことやって来たけれど同じだなあー、早かったら3ヶ月か、いよいよ終わりかあーと思ったら、涙がボロボロ出てきて、思わず新聞で顔を隠しました。

どれくらい時間が経ったでしょうか、少しづつ冷静さを取り戻し周りを見回すと、横のベンチでお祖母ちゃん がベビーカーで赤ちゃんを子守している姿が目に飛び込んで来ました。赤ちゃんは幸せそうにお祖母ちゃんに見守られながらスヤスヤ眠っています。上を向くと、カラスや鳩が仲良く飛び交っています。

こんな光景を見ていると、以前NHKテレビの「生き物地球紀行」で見た鮭の一生の映像が鮮やかによみがえってきました。すべての生き物は、子孫を次代に残し死んで行く。そして、それは地球が始まって以来、延々と続いている作業なんだ。
ベビーカーを押しながら赤ちゃんを寝かせているお祖母ちゃんも、子供から母となり、孫を授かり、その孫がまた子供を産んで・・と、その営みを繰り返してきたのです。この地球がある限り繰り返される「循環の法則」を、この時はっきりと認識させられました。
生あるものは死ぬのは当たり前。100歳で元気な人もいれば、僅かな命を生きて召される子供、やりたいことをいっぱい残してある日突然の死を迎える人もいる。「それぞれの決められた寿命」だとしたら素直に観念して受け入れるしかない。私は、私の余命告知をこの時初めて心から受容することができました。

がんと共生して行こう。まだ時間はある。長い年月をかけて私の身体の中に住みついたがんちゃん。外から飛んで来てひっついたものでもなく、自分の細胞が変化しただけで、私の身体の一部でもあるのです。手術ができないからと言って、毛虫を振り払うようにがんを摘まんで捨てる訳にはいかないのです。
がんは心臓麻痺や脳出血のように、話す間もなく逝ってしまうのとは違うのです。3ヶ月でも時間があるのはありがたいことです。

身辺整理も充分にできるのです。その時間を与えてもらったのです。こりゃ喜ばないとあかんと思いました。でも急がねばなりません。「がんさん、これ以上あばれんといてや。おとなししとってや。冷凍庫の中でも入ってゆっくり眠っていてや」。心の中で話しかけ、そっとお腹に手を当てました。

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