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がんを明るく生きる-前立腺癌の末期から生還した伊藤勇のサイトのホーム

末期癌より生還した伊藤勇への相談の手紙とその返信

その2
HPからもらった言葉を紙に書いて貼り励みにしました

Kさんより
私は20代です。私の父は、3ヶ月前にがんで亡くなりました。50代でした。数年前からあった肺がんが、骨や脳など全身に転移し、最後は見ているのも可哀想なくらいの状態でした。でも、たくさんの友人に恵まれ、最期は我が家で家族に看取られて決して長くはなかったけど、幸せな人生だったと思います。

私は父のがんがかなり進行していると電話で報告を受けた時、パニック、戸惑い、恐怖、絶望感などで頭の中が混乱してしまい、何をするにも手付かずの状態になってしまいました。気がつくとボーっとしていたり、恐怖で胸が締め付けられるような感じでした。なんとか気持ちを落ち着かせられる方法はないかとパソコンで検索していたら最初に出会ったのが伊藤さんのHPだったのです。

読み進めていくうちに、心が穏やかになっていくのを感じました。そして、だんだん勇気が沸いてきました。それから2〜3日後に実家へ発つ予定だったので、必要だと思われる箇所をすべてメモして、両親のもとへ行きました。

父はがんに対してかなり動揺しており、性格はというとちょっと頑固で口数も少ないタイプなのですが、伊藤さんの話をしてから「ありがとう」という言葉を口にするようになりました。決してそんな感謝の言葉を家族に述べるような人ではなかったのに!母も驚いていましたが、嬉しそうでした。そして、父に時々笑顔も見られるようになりました。笑いや感謝の気持ち、前向きな精神は一番簡単にできる免疫力アップの方法なのだと信じてくれてたんだと思います。

伊藤さんの言葉で素敵だなと思った言葉をいくつか選び、私が大きな紙にマジックで書いて、父のベッドの目の前に貼っておいたりもしました。父に頼まれてしたことなのですが、毎日呪文のように唱えていたのかもしれません。
「がんは外から侵入してきた敵なのではなく、自分の身体の細胞が変化しただけのもの。だから、がんちゃんと共存していこう!」というくだりが、父にとっては”がんも含めて自分”と、一番心が救われた言葉のようでした。 実家にパソコンが設置されてからは、伊藤さんのHPを両親に見てもらったりもしました。

父は亡くなってしまいましたが、伊藤さんのHPに出会わなかったら私自身、両親を励ますこともできなかったでしょうし、両親ももっともっと恐怖や絶望感に打ちひしがれていたでしょう。希望となるフレーズがいくつもあったから、家族みんなでがんばれました。伊藤さんがこのHPを作ってくださっていたこと、そして私がそのHPに運良く出会えたことに心から感謝しています。

まだまだ遺族としては、悲しみに暮れる日々を過ごしていますが、父がずっとそばで見ていてくれると信じて、母を支えながら私の人生、これからもがんばっていきたいと思います。今度また身近な人ががんになったりしたときは、伊藤さんのHPを教えてあげたいと思います。私自身ががんになったりしたときは、伊藤さんのように、他のがん患者さんのように、そして父のように努力してみます!

その2
伊藤勇 より

Kさんへ
あまりにも早いお父さんとのお別れでした。心から、お悔やみを申し上げます。
お父さんは団塊の世代といわれる年代ですね。大変なサバイバルの中を生き抜いて来られ、定年を目前にして力尽きた企業戦士の典型と私は感じ、それを思うと残念に思います。
まだ、悲しみの整理が付かないこの時期にも関わらず、ご丁重なお便りにこちらこそ恐縮しております。
徐々に現実を受け止めて、今なすべき事を選択され、心尽くされた経緯を文面で拝見し、なかなかしっかりしたお嬢さんだな、と感心致しました。同時に、ご両親の教育がしっかりなされていた事が伺われ、お父さんに対し「あなたは立派な子孫を残されましたね」と敬意の言葉をお送り申し上げます。

まだまだ、心身ともに休まらない中で、今回の我が身に降り注いだ悲劇をも尊い体験として、他を思う心にまで発展されつつあるあなたの感性や優しさ、に胸を打たれました。
ここ暫らくは、何かとまだ、用事に振り回される事も多いでしょうが、諸事が片付くにつれて悲しみが襲って来る時に、そんな時、心身の疲れがどっと出て自律神経の失調で、病気を引き起こす例が数多い事も念頭に入れてお母さんのお身体も気を付けてあげて下さい。
しかし、あまり頑張らないで、ご両親から受けた愛情に報いる為にも、何よりも健康で居て下さいね。

あなたからのメールで、私たちスタッフは、何だか凄い震えるような感動を全身に受け、HPを続ける上で大変な力を頂いたような嬉しさがあります。これを励みに、もっともっと充実したサイトを目指して勉強して行きたいと思っております。ありがとうございました。

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