◎荒谷大輔著『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)
二〇一九年八月に刊行された本で読むのは二度目になる。著者の荒谷氏の本としては、講談社選書メチエの『ラカンの哲学』と同『使える哲学』を読んだことがある。まあラカンはわからんけど(う! このオヤジギャグは言わないつもりだったのに)。「序 社会って、こういうもの?」で、本書の主旨が述べられているので、まずそれを引用しておきましょう。次のようにある。「[われわれが生きている]この社会の「当たり前」は歴史の中で作られたものですが、振り返って見てみると、これを「当たり前」とする根拠は、実はほとんど存在しないことが見えてきます。(…)「私的所有権」や「自由」「平等」などといった、いまの世の中でしばしば水戸黄門的に絶対正義とされる概念でさえ、ひどく恣意的な議論から導き出されていることがお分かりになると思います。(…)本書が提案する「新しい社会」では、それらの「自由」「平等」という概念の再定義を試みます。「この社会」で使われている「自由」「平等」の概念を否定したいのではなく、むしろ、それがいかにポンコツな理論の上に成立しているかを見ようというわけです。問題も含めてきちんと事柄を見定めて、真摯に修正すべき点を確認するところから始めたいと思います(6〜7頁)」。ぬぬぬ、「ポンコツな理論」ですか。確かに現在では「自由」や「平等」が声高に叫ばれすぎて、その価値が随分と希釈されてしまっているという印象を受けるよね。そもそも「自由」と「平等」が、互いに対立しうることは、新自由主義が格差を生み出し、格差を是正しようとして政府による再分配が行なわれれば、国民の「自由」がある程度規制されざるを得ないことを考えてみればすぐにわかる。だから「自由」を声高に叫ぶときにはそれによって「平等」が毀損されることを無視し、「平等」を声高に叫ぶときには「自由」が毀損されることを無視して、議論の体裁が保たれているわけ。当然現実世界では、そうは問屋が卸さないから、空想的、理念的、非現実的な議論が跳梁跋扈することになる。
また、ここが重要なのだが、「この本では「この社会」の構造を見通しよく提示するために、一八世紀から二一世紀に至る{すべて/傍点}の社会思想の展開を、ロックとルソーという二人の思想家の対立で描き切ることにしました(7頁)」とある。うぬぬ、「すべての」に傍点を打って自信満々のようだけど、ロックとルソーの思想的対立でもって社会思想を切るという発想はなかなかおもしろそう。アマページに「ロック/ルソーという対立軸で近代を語るという図式自体に目新しさは感じない」というコメが入っているが、少なくとも私めには興味深く思える。ロックとルソーの思想的対立で近代を語ることに関して、さらに次のようにある。「先に見た「自由」「平等」という概念も、「この社会」であまりに神格化されているために、いろんな意味をごちゃ混ぜにして恣意的に使われています。ですが、ロックとルソーの対立で見ると、「自由」も「平等」も、互いにまったく相容れない二つの意味をもっていることが分かります。ロックとルソーはともに「この社会」のルールの設定に深く関係する思想家ですが、二人はまったく違う意味で(それどころか完全に対立する)「自由」と「平等」という概念を使っているのです。「この社会」における様々な混乱の原因は、そうしたところにも見出されます(7頁)」。なお、本書で私めがもっとも興味を感じたのは、ロックとルソーの思想対立もそうだけど、とりわけルソーに関する記述は目からうどん粉というやつだった。その理由は徐々に述べていくが、そのようなわけで本編では、ルソーに関する記述をメインに取り上げることにする。
ということで「第一章 この社会はどんな社会なのか――「右/左」の対立の本質」に参りましょう。「この社会」とは「序」にあったように「われわれが生きている社会」を指している。まず政治的に右か左かの話が出て来る。「「社会」というよく分からないものの情勢をさぐるために、従来「右/左」あるいは「保守/リベラル」という概念対が用いられてきました。「右」「左」「保守」「リベラル」というそれぞれの言葉の中身は、話し手の立場や文脈によってその都度、微妙に異なったりします。しかしまずは一般的に、「保守」あるいは「右」を「伝統や歴史を守って急激な社会変化を好まない傾向性」、「リベラル」あるいは「左」を「平等な社会を目指して社会を(ときに急進的に)改革しようとする方向性」と理解するところから話をはじめましょう(18頁)」。ここに書かれているのはもちろん一般的な見方であって、「序」にあったように「ロック対ルソー」という対立軸によって近代社会を捉えようとする著者の見方ではない点に注意されたい。
著者と同様に私めも、ジョナサン・ハイト著『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を訳しているとはいえ、この一般的な区別は現実をまったく反映していないと思っている。そのように区別するより、基本的にはほとんどの人が保守(もちろんその範囲内である程度の左右のスペクトルが存在することは認めるとしても)に属し、それ以外に(極)右と(極)左が少数存在するというのがほんとうのところだろうと思っている。極右と極左の特徴は、どちらも理想的、理念的な社会を過去(極右の場合)、もしくは未来(極左の場合)に求めて現在を軽視する。つまり極右の国粋主義と極左のユートピア思想はベクトルが互いに逆を向いているだけで基本は同じなのですね。だからあえて二項分割するなら、「保守対極右+極左」と捉えるべきだというのが私めの考え。実は、これと同じ見方は本書にも見られる。ただし極右と極左の共通性をルソー主義に見出している点は、目からうどん粉というやつだった。というのもフランス革命やその後の革命思想に大きな影響を与えたルソーの思想は、極左のみに影響を及ぼしたのだとこれまでは考えていたから。いずれにせよ、その点についてはあとで詳しく取り上げる。その極右や極左に対して「保守」は現在に焦点を絞って、たった今の人々の生活(私めが言う中間粒度)を重視する。だからそのような中間粒度が破壊されるような革命は望まないとしても、中間粒度の安寧を維持したままでも可能な漸進的進歩を否定したりはしない。それからもう一点重要な指摘をしておくと、保守の「伝統」を重視する傾向は、極右の「国粋主義」「復古主義」とはまったく異なる。これを混同している人は世の中にたくさんいる。「伝統」とは、現代では観光資源にしかならないような過去の遺物や廃れた習慣を指すのではなく、現在の人々の生活において意味を持つ継続性が担保されていなければ伝統とは呼べない。それに対して極右が標榜する「国粋主義」や「復古主義」は、現在とは直接関係のない過去の文化、習慣、思想を現在に復活させようとする試みをいう。私めが「美しい国」という安倍氏の言葉に危険性を感じるのは、そこには保守主義的な響きより国粋主義的な響きが色濃く認められるから。いずれにせよ、そのような「保守主義」と「国粋/復古主義」の違いをきっちり整理しておかないと、大手メディアがよく印象操作しているように、「伝統」を重視する保守主義を極右と同一視するような誤謬にたちまち陥ってしまうのですね(左に大きく傾いた大手メディアはわかっていて故意にやっている可能性もあるけどね)。特殊な問題にはなるが、移民問題をめぐって、印象操作に余念のない大手メディアが、(不法)移民に対する保守的な反応を極右として扱っていることが、真の問題をまったく見えなくしてしまっていることについては、バチャ・メスキータ著『文化はいかに情動をつくるのか』の訳者あとがきを参照されたい。このように分類した場合、多くの人々は「保守」(あるいは「中道」)に属していると見たほうが正確だと個人的には思っている。ところが極右と極左は、声がやたらにでかいは(ツイであばれている人のほとんどは、極右か極左のどちらかであるように思われる)、ときに暴力に訴えるはで、必要以上に目立つからもっとたくさんいるのではないかという錯覚を一般の人々に与えてしまう。
ここまでは私め個人の見方を開帳したにすぎないわけだが、著者は左右の区別をめぐって次のように述べている。「しかし、そうした一般的な理解から、もう少し掘り下げようとするとすぐに壁にぶつかります。まず社会はなぜ、「右」と「左」に分けられるのでしょう。単純に形式的に考えると、社会というのは様々な人の集まりなわけですから、必ずしも二つに分けられるものでもないように思います。(…)そもそもなぜ「右/左」の対立軸が社会を考える上で重要なのか、その点をきちんと説明する議論は意外にも少ない気がします(18〜9頁)」。その理由を独自の道徳基盤理論を用いて説明しようとしているのが、前述の『社会はなぜ左と右にわかれるのか』だというわけ。著者はさらに一九八〇年代に入って新自由主義が登場してから、左右の区別をすることが困難になったと述べている。ハイト氏も『社会はなぜ左と右にわかれるのか』で新自由主義者、すなわちリバタリアンの扱いに非常に苦労している。ただ、それはおもに経済面の話なので、経済という特殊な領域に限定されるようにも思える。まあ「資本主義に出口はあるか」というタイトルなので、当然と言えば当然なのかもしれないが。とはいえ、日本では憲法改正を保守が主張して、護憲を(自称)リベラルが主張するなど、保守のほうが改革に前向きであるとも確かに言えるでしょうね。そこで著者が主張するのが、左右ではなくロック対ルソーの対立軸を通して社会を捉える見方で、それについて次のようにある。「では、「右/左」に代わって社会の見通しをよくする概念図式は存在しないのでしょうか。そんなことはありません。「右/左」に代えて「ロック/ルソー」という新しい対立軸を使うことで、今日に至る近代社会の構造を一望できるようになります。「右(Right)」に当たるのが「ロック(Locke)」で、「左(Left)」が「ルソー(Rousseau)」という対応になります。それぞれの頭文字のLとRの対応がちょうど逆になってしまうのは非常に残念です(23〜4頁)」。これだと単に右をロックに、左をルソーに読み替えただけのようにも思えるけど、もちろん実際にはそうでないことは、先を読めば徐々に明らかになってくる。
次に著者は、左右の言葉の起源が、フランス革命議会の席次に基づくものであるというほぼ誰もが知る事実を紹介したうえで、次のように指摘する。「つまり、「左」という言葉が、平等を求めて急進的な改革を求める一派という意味を担うに至ったのはロベスピエールを原型とするものだったのです。それに対して、「右」は、王制への回帰も視野に入れながら、革命の穏当な着地を求める人々を指して使われる言葉でした。「右/左」という対立によって政治勢力の分布を見る図式は、こうして生まれたわけです。¶その最初の「右/左」の構図の中で、ロベスピエールは、ルソーのように生きることを誓ってフランス革命を「テロリズム」へと導いた人でした。対してより穏健な改革を求めた人々はロックの名誉革命を範にブルジョワジーの権利を代表していました。詳しくは後に見ますが、「右/左」が問題になる最初の場面で対立の軸となっていたのは、ロックとルソーという二人の社会契約論の著者の思想的な対決だったわけです(24〜5頁)」。保守派はより穏健な改革を求める人々なので、この図式では「右」に入ることになりそう。でも個人的には、その見方、すなわち保守派を右と見る見方はとらないことはすでに述べた。ただそれは左右という従来的な言い方をした場合であって、保守派=ロック的とする見方に異議を唱えたいわけではない。次のジョン・ロックの社会契約論の説明に関しては、「ロックの描いた「社会」の像が資本主義的な社会システムの成立へと繋がっていった(38頁)」という結論的な記述を引用するに留めておく。
それより興味深いのはルソーに関する記述で、次のようにある。「私的所有を核とする近代社会の構想に明確な反旗を翻したのが、ジャン=ジャック・ルソーでした。同じく社会契約論を展開し、革命を介して近代社会の形成に実際に影響力をもったルソーですが、その議論は明示的にロックを敵と認定したものでした。舞台は絶対王政下のフランス、一足先に近代化したイギリスが急速に経済発展を進める中で、当時のフランスの知識階級はロックの思想を取り入れようとしていました。そこに燦然と脚光を浴びて登場したのがルソーだったのです(38頁)」。また少しあとに次のようにある。「学問と芸術の復興は習俗の純化に寄与したか」という懸賞論文の問いに対してルソーは、「否。学問と芸術は習俗を腐敗させた」と答えてみせました。理性的な分別は人為的な技巧であって、真理は感性の誠実さに宿る。(…)人類を啓蒙し理性の光で照らすことは欺瞞のはじまりでしかないという主張は、啓蒙主義者たちの中にあって感じていたルソーの孤独をそのまま示すものだったのです(39頁)」。次にルソーの社会契約論が次のように大雑把に説明されている。「(1)社会契約をしてルソーが示す共同体の一員になろうとする者はまず、自らの財産のすべてを全面的に譲渡しなければならないといわれます。(…)(2)全面的な譲渡が完了した後に求められるのは、共同体のそれぞれの成員が、「人民の一般意志」と呼ばれるものを自分の意志にするということです。(…)(3)そして、この約束ができた人は(1)のステップで投げ出した自分の財産のすべてを元通り手元に戻してよいということになります(43〜4頁)」。
さらにロックの社会契約論とルソーの社会契約論の違いが説明されている。まず「平等」に関して。ロックの平等の概念は次のようなものだったとのこと。「ロックの社会契約論は、自然状態のあり方を社会のルールを設定する際の範型と見るものでした。そうして「平等」が、「大差ない」という事実の認定から進んで「同じスタートラインに立つ」という意味で解されるようになります。人間は王でも貴族でも結局作りは同じというところから出発して「平等」という概念が「門地・差別の禁止」という法律的な表現を得ることになったわけです。つまり、生まれや出自によって人間を差別しちゃいけませんよというのが、ロックにおける「平等」ということになるわけです(46〜7頁)」。つまり「機会の平等」を意味していたことになるのかな。では他方のルソーはどうか? 「それに対してルソーの「平等」には、必要に応じて結果の不平等を調整すべきという考え方が含まれています。(…)ルソーは、社会契約における最後のステップ、つまり、一度投げ出された財を再配分するにあたって、共同体の成員に不当な偏りが生じないよう配慮することが求められると考えたのでした。今日の法学で認められる「結果の平等」という考え方は、ルソーの社会契約論から導かれるものだったのです(47〜8頁)」。最後の一文にあるように、こちらは「結果の平等」ということらしい。そしてロックとルソーの平等に関する考え方の違いが次のようにまとめられている。「「平等」という言葉は同じですが、ロックとルソーではまったく異なる意味をもちます。両者はそもそも構想において異なる「社会」を考えているのですから、その違いはある意味で当たり前です。ロックの考えに従えば、人間の能力の差は「たかが知れている」ので、結果として生じる貧富の差は、その人がどれだけ頑張ったかを示すことになるでしょう。だとすれば、共同体を維持するために払うべき税金も、必要最小限に止められるべきで、そのお金が「頑張らなかった人」にまで与えられるのはおかしいと考えられることになります。いわゆる「小さな政府」論と呼ばれるものが、そこから出てくることになるわけです。¶それに対してルソーの「平等」は、著しい貧富の格差を是正し、政府が回収した税金を「一般意志」の決定に即して再配分することを含意します。ルソーの社会契約論でも完全な結果の平等、つまり各人が何をしても同じような配分を得るとまでは考えられていませんが、それでも全体を鑑みた不平等の是正が行われます。ロックとルソーの「社会」の構想は、このように異なる「平等」の概念を基礎にして鋭利な対立を含むものになっているわけです(48頁)」。
お次は「自由」に関して。まずはルソーから。「ルソーによれば「真の自由」とは、共同体の一員として法を忠実に守り、そのことで他者と協力し合うことを意味するとされました。¶法を守ることが「自由」だというのは、奇妙な話に聞こえるかもしれません。しかし、実はこのような意味での「自由」は、カントなどの思想家にも引き継がれ、それ以降の「自由」の考え方のひとつの典型になっています。それでも奇妙といえばやはり奇妙なことかもしれませんので、簡単に解説しましょう。¶ルソーにおいて「自由」は、他人によらず自分で決めること、つまり「自律」を意味します。自分で自分を律するということです。時々の欲望に左右される人間は、その欲望によって動かされていることになるので「自由」とはいえません。「真の自由」が実現するためには、自分が自分だけで決めることが必要とされるのでした。¶そしていま、共同体の一員になった人間は、先ほど見たように、人民の一般意志を自分の意志にした者と見なされます。つまり、人民の一般意志によって制定される法に従うことは、自分の意志に従うことにほかならないと考えられるのです。しかもそのときの自分とは、勝手気ままに振る舞う特殊な個人ではなく、すべての共同体の成員が分かち持つ自分です。広く共同体全体に通用するような「自分」に従って行為すること、つまりは共同体の法に従うことこそが「真の自由」だといわれるのは、およそこのような理屈によるのでした(49〜50頁)」。実はこの記述は、私めには意外に思えた。というのは後半で述べられていることは個人より共同体を重視するという意味での共和主義的な発想に近いように思えるが、『アメリカ革命』を取り上げたときに述べたように、もとよりルソーの思想に大きな影響を受けているフランス革命には、その意味での共和主義的色彩はあまり見られないはずだと勝手に考えていたからですね。
それに対してロックの「自由」の考えはいかがなものだったのか? ただしここでは、著者はロック本人ではなく、彼の考えを受け継いだアイザイア・バーリンの思想を取り上げつつ次のように論じている。「バーリンによれば「自由」といわれるものの中身は二種類あり、しばしばそれが混同されてきたといわれます。すなわち、「積極的自由(〜への自由)」と「消極的自由(〜からの自由)」と呼ばれるものです。(…)「積極的自由(〜への自由)」というのは、まさにルソーがいうような自由です。何かの規範へと自分を当てはめることこそが「真の自由」なのだという考え方は、結局「自由」といいながら人間を規範に拘束してしまう、というのがバーリンの批判のポイントでした。(…)バーリンが直接批判の対象としているのは、三章で見るような「ニュー・リベラリズム」の潮流です。ニュー・リベラリズムの思想家は、イギリスにおいてルソーやカントをあらためて取り入れ、「新しい自由主義」を作ろうとした人々でした。¶バーリンは、そのような積極的自由はダメで、「消極的自由(〜からの自由)」を考えなければならないといいます。「消極的自由(〜からの自由)」というのは、何らかの束縛から人間を解放するような「自由」を指します。そしてそれがロック以来、近代社会の中で真に重要な意味をもって機能してきたのだとバーリンはいうわけです(51〜2頁)」。『サンデルの政治哲学』のなかで、著者の小林氏はバーリンを取り上げたうえで、「「自己統治」の自由に注目するか、「個々人の行動が妨害されない」という意味の自由に注目するか。これが、「共和主義の自由」と「リベラリズムの自由」との決定的な違いとなるのである(同書167頁)」と述べている。荒谷氏と小林氏の見解を合わせると、ルソーの言う自由は「共和主義の自由」で、ロックの言う自由は「リベラリズムの自由」であったということになる。となると、そのルソーの影響を受けたフランス革命は、実のところ共和主義的だったということになり、これは私めの当初の印象とは逆だったのでちょっと意外に感じたてしまったわけ。
ならば個人主義が跋扈する現代においては、リベラリズム的な「消極的自由」を重視し「名誉革命後のイギリスの産業社会の発展を支えた(54頁)」ロックの思想より、共和主義的な「積極的自由」を重視し「フランス革命に直接的な影響を与え(54頁)」たルソーの思想に従うべきなのか? しかし実際の歴史を眺めてみると、必ずしもそうとは言えない。著者もそれについて次のように述べている。「ここまでの議論を見て本書が、ロックの議論に対しては若干辛めで、対するルソーをある種の理想のように書いていると思われたかもしれません。しかし、そうではありません。単純にロックをルソーに代えるのではすまないということが、われわれが生きる「この社会」の{隘路/あいろ}を作ってきたのでした。人々を魅了するルソーの理想はむしろ、どう見ても「悪」としかいえない結果を繰り返しもたらしました(54頁)」。そのあとルソーの影響を受けたロベスピエールの恐怖政治について述べられている。でもそれはよく知られた話なのでここではスキップする。
ということで次の「第二章 いまはどんな時代なのか――「ロック/ルソー」で辿る近現代史」に参りましょう。この章と次の第三章は、一九世紀から現代にかけてのロック的思想潮流とルソー的思想潮流の流れが四つのフェーズに分けて解説されている。ただ個人的な関心としては積極的自由に基づく共和主義的な思想を構築したにもかかわらず、共和主義が保護すべき共同体を徹底的に破壊することになる左翼革命のみならず、これから述べるように右翼的なナチズムまでもたらしてしまったルソーの思想のほうに興味があるので、誠に勝手ながらルソーに関する記述のみを取り上げることとする。第二章ではそのうちのフェーズT(一八〇〇年〜一八五〇年)とフェーズU(一八五〇年〜一九五〇年)が取り上げられている。
まずはフェーズTから。フェーズTで取り上げられているのは「ロマン主義」と「教養主義」で、その説明が非常に興味深い。まず「ロマン主義」の説明として次のようにある。「ルソーの著作がドイツに伝わると、ルソーは「ドイツ民族の統一」の礎をなすものと見なされました。(…)ルソーの思想は、すでに見たように、かつてあったはずの自然状態の幸福を取り戻すための社会契約を示すものでした。それはつまり一言でいえば、過去の理想を理想的な未来とする考え方だったわけです。ルソーの著作が、失われた「ドイツ民族の統一」を志す人々の心を揺り動かした理由はもうお分かりでしょう。ルソーの社会契約論は、ドイツでは、かつてあったはずの理想的な共同体を、新たに「近代社会」として取り戻すものと見なされたのです(86〜7頁)」。冒頭で、極右は現在とはまったく関係のない過去を賛美する国粋主義の立場を取るのであって、現在を重視する保守主義とはまったく異なるという私めの考えを開陳した。まさに国粋主義や復古主義のような思想を支持する思想的基盤がルソーによって与えられたことを示唆するこの著者の指摘は、実に興味深い。このような思想が、ゲルマン民族やアーリア民族を称揚し「第三帝国」を標榜するナチズムにつながったことになる。とするとロベスピエールの恐怖政治や、ロシア、中国における二〇世紀の左派革命思想に加えて、右派のナチズムもルソーにそのルーツを見出すことができるということになろう。うぬぬ! 共和主義を表明するルソーの思想のどこがまずかったのだろうか? 「ロマン主義」に関してさらに次のようにある。「ロマン主義が描く「かつてあった(はずの)もの」は、常に仮想的であることをひとつの大きな特徴とします。(…)そこでは「かつてあった(はずの)共同性」が「失われたもの」と想定されることではじめて成立しているのです。実際に存在したかは別の問題というのが、ロマン主義的感性の大きな特徴になっています(91頁)」。「仮想的」は「理念的」と置き換えてもよいように思える。また、「「失われたもの」と想定される」というくだりは、「現在との連関を断ち切ったうえで」と読み替えられると思う。こうしてみるとロマン主義は右派の潮流だとしても、未来に焦点を絞るという点だけを除けば左派的ユートピア主義にもまったくそれと同じことが当てはまることがわかる。だから極右も極左もその思想的ルーツがルソーに求められるという見方は、個人的には非常によく理解できるのですね。
「教養主義」については次のようにある。「教養主義において「教養=文化(culture)」は「文明(civilization)」と対比されます。その図式において「文明」は、産業の発展をもたらしたものの結局諸個人をバラバラに分断したものと見なされます。競争することによってしか他人と関わることができない「文明」を乗り越えるために「教養=文化」を求めるというのが教養主義の目的となっているわけです。つまり、ここにも明確にロック的な社会を乗り越えようとする企図が設定されていることが分かります。教養主義とは、人間が失った「自然」を高いレベルの教養として再び取り戻すことを目指すものだったのです。ルソーにおいて「自由」とは、一般意志を自分自身の意志とすることにほかならないとされていましたが、教養主義における「自由」もまた「教養」を身につけることによってはじめて獲得されるものとされます。「自由」とはそこでは人々が好き勝手に行動することを意味するのではなく、感性的なレベルでの文化の共有をもとに共同体の一員として振る舞うことを意味するのでした。「教養を身につけること」は、目の前の仕事に追われるだけの労働者を超え、人々が真に「自由」な立場で文化的な共同体を構築するための手段と見なされたのです(96頁)」。ナチスの高官が、たとえばクラシック音楽を愛好する(ワグナーに限られるわけではない)などといった教養主義的態度を身につけていたことはよく知られているよね。つまりその態度は、「自由」な立場で文化的な共同体、すなわち第三帝国を構築するための手段と見なされていたのでしょう。「野蛮なナチスがなぜ?」とも思えるけど、むしろ「野蛮なナチスだからこそ」というのがほんとうのところなのかもしれない。私めはシンフォニー好きなので、ドイツのシンフォニーもたまに聴く。ユダヤ人のマーラーとは異なりブルックナーなどは、まさに聴き手を陶酔に浸らせるし(え? ブルックナーはオーストリア出身だってか? ヒトラーもそうだべさ)、マイナーではあるがリヒャルト・ヴェッツなどといったドイツ後期ロマン派のシンフォニストのなかには、「やべええええ!」と感じさせる陶酔的なシンフォニーを作曲する御仁がいる。それもやはりルソー的な世界の一つの特徴として見ることができるのかも。
ということでフェーズUに参りましょう。フェーズUでは、まずロバート・オウエンが取り上げられる。次のようにある。「そうした現状[労働者が自分の子どもを働かせるような現状]を前にオウエンは、労働者の子どもたちに対する幼児教育の必要性を訴えます。その訴えは、産業資本家としてイギリス経済を活性化させていくという視点を離れて、その先に理想的な共同体の実現を目指すものでした(『新社会観』)。人々が目の前の利害に左右されて生活する社会は、オウエンにとって望ましいものとは考えられません。子どもの本性に即した教育によってオウエンが目指したのは、利己的な考え方を捨て、何よりも共同体の利益を第一に生きる人間を育てることだったのです。個々人の幸福は、そこでは、その共同性の上にはじめて可能になると考えられました。オウエンの教育思想は、つまり、ロック的な社会における労働者の生産性の向上を目指すものではなく、その先の理想社会の実現を目指すものだったのです。オウエンのそうした考え方の根幹にはルソーからの強い影響がありました(108〜9頁)」。まさに未来のユートピアを理想化する左派的ユートピア思想と言えるでしょうね。ちなみに『社会主義前夜』によれば、のちになってフリードリヒ・エンゲルスに「空想的社会主義者」というレッテルを貼られることになるアンリ・ド・サン=シモン、ロバート・オウエン(そちらではオーウェンと記されている)、シャルル・フーリエの三人のうちオウエン以外のフランスの二人は、ルソー的な完全平等な共産主義的共同体を目指していたわけではなかったのだそうな。
オウエンは、実際にアメリカで共産主義的な共同体を作ろうとしたものの結局みごとに失敗しているが、その原因を著者の荒谷氏は次のように述べている。「一般意志の共有の徹底という主題は、後に見るように、ルソー的な社会を作ろうとする試みの中で常に大きな問題になります。理念として考える限り、ルソーでは一般意志を自分自身の意志にすることは契約の条件なのですから、原理的に分派が成立することはないと想定されます。共同体内の様々な利害対立は、十分な議論によって解消され、最終的に民主主義的な投票によって共同体が進むべき方向が明らかになるとルソーは考えていたのです。¶しかし、現実の社会運営においては、共同体内部での対立は大きな問題になります。同じ理念が共有されてもなお、具体的な政策や運営の場面で、対立はときに不可避となることもあるでしょう。オウエンの場合には、その対立が結局、共同体を解体するに至りました。しかしそれとは反対に、共同体を維持する目的で無理にでも「一般意志」を共有させる方法もありえます。議論が平行線を辿る中で反対派を一般意志の名のもとに「粛清」するような事例も後に見ることになります。一度締結された契約は神聖であって、共同体の成員はたとえ死んでも一般意志に服従すべしというルソーの理念を徹底させなければならないというわけです(111〜2頁)」。理念や一般意志に合わせて現実を裁断するというこのやり方は、思想の左右を問わず、のちの理想主義者がやがてファシストに転じてしまう第一の要因になってきたのですね。それどころか、現在でもそういう傾向を持った人々は少なからずいる。このように考えてくると、個人より共同体を重視する共和主義それ自体が問題なのではなく(そもそも進化的な観点からしても、人々の生存や生活を守る共同体、つまり私めの言葉で言えば中間粒度は必要不可欠の存在だと言える)、一般意志を強調する特殊ルソー的な社会契約論に基づく共和主義が問題なのではないかという気がしてくる。
ここでこの点に関して、ルソー自身ではないものの、ロベスピエールをめぐって最近読んだ『ロベスピエール』(新潮選書)に一つのヒントになりそうな記述があったのでそれを紹介しておきましょう。まずロベスピエールがルソー主義者であったことは、さっそく「プロローグ 「独裁者」からのメッセージ」に書かれている。次のようにある。「実際、革命期には市民同士、また市民と政府との熱狂的な一体化、《透明》への執着が信仰になった。なかでも、恐怖政治の「独裁者」と呼ばれるマクシミリアン・ロベスピエール(一七五八〜九四年)は、お互いの意思が一致した透明性を徹底して求めた。「私は人民の一員である」。そう言い続けたロベスピエールは、元祖〈ポピュリスト〉だったともいえる。¶確かにフランス革命といえば、〈支配階級を打倒し人民の声に従えば良い〉というようなジャコバン主義のイメージが強いだろう。とはいえ、ロベスピエールは代表者(議員)の役割を重視し、彼らが一般的な利益を示すことで人民との透明な関係性を作るべきだと考えたことはあまり知られていない。そこで代表者に必要となるのは、{個別の/傍点}利害関係にとらわれない《美徳》である。ロベスピエール自身、同時代人に「清廉の人」(=腐敗していない人)と呼ばれていた。¶こうした発想には、「公共の利益」を考慮した意思(=一般意思)による政治を構想したジャン=ジャック・ルソー(一七一二〜七八年)の影響が見られる。ただ、人びとに法そして社会が向かうべき一般的な方向性を一回だけ指し示すとルソーが考えた伝説的な〈立法者〉に着想を得ながらも、ロベスピエールの場合は代表者(議員)たちが普段の政治を通じて人民との間で透明な関係性を構築すべきだと考えた。結果、不純な(=腐敗した)人物は糾弾や排除の対象になりえる。実際、彼の意図はともかく、それが革命の時代には粛清という激烈な効果を生んだことは周知の通りである(同書5〜6頁)」。「代表者に必要となるのは、{個別の/傍点}利害関係にとらわれない《美徳》である」というくだりはまさに共和主義的な発想だと言えるでしょうね。この引用文中で「透明(な関係性)」という用語が四ケ所用いられていてこれはロベスピエールの思想の鍵の一つをなしているのであろうことがわかる。それとともに最後にある「美徳」という用語も気になる。実際、『ロベスピエール』には、「透明性」とともにこの「美徳」という言葉が全編にわたって散りばめられているのですね。
同書にその「美徳」に関して、ロベスピエールが若い頃にアカデミーに入会したときの演説に言及しつつ次のように述べられている。「主にモンテスキューの『法の精神』(一七四八年)を引き合いに出しながら語られるその入会演説は、未来の政治指導者にとって事実上のデビュー作といえる。その理由は、政治・社会の基礎には《美徳》がなければならないという、彼の根本思想が語られているからにほかならない。これに対して批判されるのは、モンテスキューが君主政の原理と規定した「名誉」である(35頁)」。つまりロベスピエールは、若い頃から「美徳」を重視していたことになる。そのような御仁がなぜ、やがて恐怖政治を敷くに至るのかきわめて興味深い問いではある。彼が批判する「名誉」が外面的な価値であるのに対して、称揚する「美徳」は次に述べるように内面的な価値だと考えられているようなので、そのあたりにも何か原因があるのかもしれない。さらに次のようにある。「君主政では不可避的に地位や身分が必要とされ、生まれによって人を評価するような慣習があるが、その場合に評価の基準となるのは外面である。ロベスピエールはこれを他人の意見ないし「世論(l’opinion publique)」の評価とみなし、「偏見」と深く結びついていることを問題にする。これに対して、「真の共和政」は{哲学的/傍点}名誉(=美徳)と呼ばれる内面から湧き上がる感情、良心にもとづく政治であり、またそうでなければならない(同書37頁)」。「内面から湧き上がる感情」の重視というくだりは、少し気になる。というのも、美徳を「内面から湧き上がる感情」や内面的な良心に依拠するものとして、つまり社会的な側面を捨象して捉えるのであれば、そのような美徳は何らかの外的な尺度に照らす必要のある「名誉」とは違って、個人の内部で完結するものと見なされることになるから。これは個人より社会を重視する共和主義的発想からしても異端に思える。というか、そもそも他人の意見が偏見に深く結びつくと言うのであれば、自分も他者にとっては他人なのだから、自己の内面から湧き上がる感情や自分の良心(と自分自身が思っているもの)も偏見に深く結びついていることにならないのだろうか? それとも、内面から湧き上がる感情や良心には偏見をはねつける何か特別な性質があると言いたいのだろうか? でも、詳細は述べないけど現在の脳科学や認知科学の知見からすれば、情動や感情も認知的な作用を必要とするのであって、ならばイデオロギーなどの概念的な偏見の影響を受けざるを得ないはずはないのですね(良心に関してはその意味が明確に規定されていないので何とも言えないが)。
社会的側面を捨象して美徳を捉える必然性はないはずだけど、ロベスピエールがほんとうにこの引用にあるようにもっぱら内面的な性質として美徳を捉えていたのなら、そこにはどうしても論理的な矛盾を感じてしまうのですね。その点については、『ロベスピエール』の著者も「あとがき」で次のように述べている。「ロベスピエールという人は、人民への信頼と不信が相半ばする中、一般意思の一致を求めて「最高存在の祭典」を挙行する一方で、人民の代表者により多くの《美徳》を求めたのだった。¶そうした人間は集団の中で、しかもリーダー格となると、なかなか厄介である。歴史的には残酷な粛清に加担することになったように、利害調整の場である政治の中で《透明=純潔》を徹底して求めることは、そもそも証明ができない「犯人」探しのような様相を呈し、しばしば多大な危険を伴う(同書282頁)」。「政治とは利害調整の場である」とは私めが繰り返し述べてきたこと。理念の追求の場ではないのですね。「《透明=純潔》を徹底して求めることは、そもそも証明ができない「犯人」探しのような様相を呈し」た理由は、おそらくはロベスピエールの言う《透明=純潔》が、あくまでも社会的側面が捨象された内面の性質に関するものだからなのでしょう。このあたりにも本来あるべき共和主義とは異なるルソー主義的共和主義の歪みが見られるのかもしれない。
ということで、かなり長く別の本へと脱線してしまったので、このあたりで『資本主義に出口はあるか』に戻りましょう。次にスピリチュアリズムが取り上げられているけど、それについては次の指摘を引用するに留めておく。「理性による啓蒙の果てに見出された不平等な産業社会を乗り越え、互いに慈しみ合いながら生きる理想的な共同体を作るために、一九世紀の社会運動家は理性の限界の先にあるユートピアを目指しました。スピリチュアリズムは、その中で理想の社会を夢見るルソー的な感性と強く共鳴します。それはオウエンに限らず、ロック的な社会に違和感を感じる人々の心を捉えました。そうした「隠されたもの」に真理を見出す感性は、一九世紀[に]「フランケンシュタイン」や「ドラキュラ」を生み出したオカルト文学へと繋がっただけでなく、新宗教として「新しい世界」の創造を目指す動きへも連なります。(…)啓蒙的な理性が浸透した社会だからこそ宗教に真理が求められるという道筋は、カントが見たルソーの中にすでに記されていたことだったのです(117〜8頁)」。これも一種の啓蒙の弁証法と言えるのかも。
次は「マルクス主義」が取り上げられている。ただマルクス主義それ自体の説明をここで取り上げてもあまり意味はないので、ルソーとの関連が述べられている箇所だけを引用しておく。次のようにある。「オウエンの失敗に見られるように、共同体内部で一般意志の共有を貫徹することはルソー的な意味での「平等」な社会を実現するためには不可欠のことといえます。もし一般意志が複数に分裂してしまえば、共同体の存続自体が危ぶまれることになるでしょう。それはオウエンが演じてみせたことであり、ルソーがあらかじめ理論として指摘していたことでもありました。それゆえ、マルクスが共産主義社会の実現のために「プロレタリアート独裁」の必要性を訴えたことには、一定の理路があったといえます。しかしながら、まさにそうした同じ「一般意志」の共有のためには、反対者の排除が必要になります。真の「平等」を実現するために、独裁体制において決められた事柄を共同体の隅々まで貫徹させることが求められたのです。ルソー的社会の悲劇は、マルクス主義を例外とするものではありませんでした(129〜30頁)」。のちに起こるロシア革命や中国革命は、まさしく「ルソー的社会の悲劇」と見ることができそうだよね。
それからロマン主義と教養主義のその後について解説されている。ここでは結論の部分だけを引用しておきましょう。「ロマン主義化のために、教養主義はこの後台頭してくるナチズムやファシズムと十分な距離をとることができませんでした。それらの運動はまさに、「文化」や「民族」を仮構して共同性を確保しようとするものにほかならなかったからです。実際、ロマン主義化した教養主義は、その基本的な構図において、ファシズム/ナチズムとの共通点を多くもっていました。日本で「教養主義」の中核を担った京都学派の戦争協力の問題、ドイツではハイデガーのナチズム協力の問題がしばしば俎上にのぼります(141頁)」。そのあとで教養主義とナチズムの結びつきが具体的に説明されているけど、細かくなるので割愛する。
お次は日本のファシズムについて。冒頭に次のようにある。「ナチズムがそうであったように、日本の軍国主義による戦争もまた、少なくともその理念において、ロック的な近代社会の乗り越えを目指すものでした(152頁)」。ここにもロックとルソーの対立を見て取ることができるということ。著者はその具体例として、天皇制とアジア主義(「大東亜共栄圏」)をあげている。まず天皇制に関して次のようにある。「明治政府はロック的な近代社会の構想の中で「日本」をひとつの枠組みに束ねる役割を天皇制に与えました。しかし、日本の「ファシズム」が信奉した天皇制は、明治維新の天皇制とは、またさらに異なる「天皇制」でした。それはこういってよければ、ルソー的な理想社会における天皇制です。軍部の青年将校たちは、ロック的な社会を乗り越える目的で、新しい「天皇制」を目指したのです(155頁)」。「二・二六事件」の首謀者とされる北一輝は、極左にも極右にも見える人物だったという印象を個人的に持っているが、その理由がわかったような気がする。つまり彼は、言ってみればルソー主義者だったのですね(極左から極右に振れたように見える赤尾敏などもその範疇に入るのかも)。その北一輝の影響を受けた青年将校たちに関して次のようにある。「明治維新の天皇制が「天皇の国民」を作ることが目的だったとすれば、青年将校たちの天皇制は「国民の天皇」を目指すものだったというのは久野収による整理ですが、これは事柄の本質を突いたうまい言い方だと思います。つまり、青年将校たちは、天皇を利用して国民を支配する体制から天皇を救い出し、真に「平等」な社会を実現するための象徴として位置づけ直そうとしたのです(156頁)」。
次に「アジア主義」が取り上げられている。最初に次のような注意書きがある。「今日、太平洋戦争にはアジア諸国を植民地から解放しようとする側面があったというと強い非難にさらされます。実際しばしば、そうした論理は戦争責任を回避するために使われるので怒りたくなる気持ちは分かります。しかし、日本のファシズムの問題点を明らかにするためにも、彼らの企図を正確に見積もることは重要なことだと思われます。実際、日本のファシストたちにとって、ロック的な社会の乗り越えのために「植民地解放」は非常に重要な主題でした。彼らがやろうとしたことが、実質的には「満州国」のような傀儡政権を作りアジアの覇権を得ることだったとしても「植民地解放」は、彼らの試みにとって、重要な意味をもっていたのです(158頁)」。「植民地解放のため」などと言うと、「歴史修正主義者」のレッテルを貼られるのは確かでしょうね。そのようなレッテルをやたらに貼りたがる人は、そもそも歴史自体が(とりわけ勝者による)歴史修正主義の産物であって、ゆえに現在広く流布している歴史的言説であっても、つねに(新たに発見された歴史的)事実に基づく検証が必要であることを理解していないと言わざるを得ない。当初の「大東亜共栄圏」の思想に植民地解放的な意図が実際にあったことは、『大東亜共栄圏』などを読んでもわかる。でも当初の理想は、結局のところ徐々にファシズムへと転化してしまったのですね。そこでも書いたように、広域主義的、普遍主義的な理念、言い換えるとルソー主義的な思想は、人々の生活が関わらざるを得ないインプリメンテーションの段階で必ずや挫折すると個人的には思っていて、その好例が「大東亜共栄圏」の思想だと考えている。しかし「日本のファシズムは、(…)責任の所在が不明確なまま、「理想の社会」を目指した戦争に突入していったのです。その後の展開はご存知の通り、日本は戦争に負け、アメリカの占領下に入ることになりました(164頁)」とあるように、結局ルソー主義的な理想世界「大東亜共栄圏」の確立を目指したアジア主義は失敗の巻に終わるのですね。
以上を総括しつつ著者はファシズムに関して次のように述べている。「ナチズムやファシズムの民族主義が「かつてあった(はずの)もの」を求めるロマン主義的要素をもつことは明らかです。ルソー的な感性に基づいてロック的な社会を乗り越えようとする点において、ナチズムやファシズムは明確にロベスピエールと同じ立ち位置をとっているといえるのです。¶つまり、ファシズムやナチズムは「右」あるいは「保守」と呼ばれるべき運動ではなく、いわば「民族主義的急進派」と呼ばれるべきものだと思われます。つまり、それらはルソー的社会を目指すことにおいて「左」というべき運動でした。(…)マルクス主義的なルソーが社会進化論の果ての未来を目指すものだとすれば、民族主義的なルソーはかつてあったはずの過去を目指しました。しかし、それでも両者は、現在のロック的な社会を乗り越えようとする点において、同じ立ち位置をとっていたということができるのです(166〜7頁)」。「右」という概念は「ロック主義的な保守を名指すためにとっておきたい(167頁)」という理由にしろ、ファシズムやナチズムを「左」と呼んだら左派が発狂しそうだよね。ただ個人的には、ベクトルが未来を向いているユートピア主義的、マルクス主義的ルソーが「極左」の、また、ベクトルが過去を向いている国粋主義的、民族主義的なルソーは「極右」の思想基盤になったのだと考えている。もちろん、現在を重視する保守はそれらのどちらにも属さない。いずれにせよ、私めが冒頭で述べた極右と極左の近さは、ともにルソーに淵源がある点にその要因が求められるということがこの文章によってよくわかる。その点では、著者の議論には大いに納得できる。
実はこの本に関して私めが強調したかったことのほとんどはこれで出尽くした感がある。なので残りの章は簡単に紹介することにする。次は「第三章 いま社会で何が起きているのか――ネオ・リベラリズムの「必然性」」で、フェーズV(一九五〇年〜二〇〇〇年)とフェーズW(二〇〇〇年〜)について、第二章のようにロック的思想潮流とルソー的思想潮流が特に分けられることなく説明されている。初めにアメリカのモンロー主義には、セオドア・ルーズベルトの「モンロー主義」と、ウッドロー・ウィルソンの「モンロー主義」があると述べられる。前者がロック的で、後者がルソー的になる。それについて著者は次のように述べている。「このように見れば、アメリカにおける「リベラル」と「保守」の対立が、原理的に対立する二つのモンロー主義の両翼を表すものであることがお分かりになると思います。(…)そしてその対立は、ロックとルソーという異なる二つの社会の理想を反映しています。彼らは異なる意味で「自由」という言葉を使い、異なる意味で「平等」を語っているのです。近代の歴史の軸となった対立は、こうして現代まで続く戦後秩序のなかで同居し、内在的な矛盾となりました(186〜7頁)」。またJ・S・ミル、ケインズらのニュー・リベラリズム(いわゆるネオリベのことではない)を取り上げ、「ニュー・リベラリズムの思想家は、まさにロック的な自由主義を乗り越えるために、ルソー的な自由主義を唱えたのです(184頁)」と論じている。フェーズWに関しては、新自由主義に基づく金融の規制緩和の話が大きな部分を占めている。もちろんこれはロック的な思想潮流の流れを汲むもので、それによってLTCMの破綻、リーマン・ショックなどの大きな問題が噴出したのは誰もが知るところだよね。ただ経済・金融音痴の私めは、それ以上余計なことは言わんことにしておく。
ここまで見てきたように、ロック的な思想潮流に従おうが、ルソー的な思想潮流に従おうが、どの道大きな問題が次々と噴出してきたことに変わりはない。では、どうすればよいのか? その答え、ならびに本のタイトルにある「資本主義に出口はあるのか?」という問いに対する答えは、「第四章 資本主義社会の「マトリックス」を超えて」で検討されているらしい。「らしい」と余計なひとことをつけ加えたのは、正直なところ私めにはここまでの議論と違って、文章の意味は明白でも、全体的にあまりにも望洋としていて要領を得ないという印象を強く受けたからですね。これはわが脳が腐っているからなのかもしれないので、各人で実際に読んで判断してみてくださいな。ただ個人的な感想を言えば、前述したように第二章までのロック対ルソーの議論だけでも、十分に元は取れたと思っているので、そこだけでも絶対的に推薦できる本だと言っておしまいにしますら。
※2025年1月16日