◎慎改康之著『フーコーの言説』(筑摩選書)

 

 

実は五年以上前に刊行された本であり、すでに一回読んだことがあるんだけどもう一度読んでみた。もう一度読んでみた理由は次のとおり。前回取り上げた『日本群島文明史』で「群島文明」の独自性が論じられていて、西洋文明を含めた「大陸文明」との違いが説明されていた。そこで、ではその「日本群島文明」に対するものとしての西洋文明におけるエピステーメーの成立過程を詳細に論じたみんな大好きフーコーさんに関する本を読みたくなったので、地震で山体崩壊を起こして豪快に崩れたままになっている本の山を漁っていて、最初にめっけたのがこの本だったというわけ。あっと! 最初に断っておくべきことがあった。「エピステーメー」とは「知」あるいは「知識」という意味の用語でフーコーさんがよく使っていた用語。「それなら〈知〉などとわかりやすく書かんかごらあああ!」と怒られそうだけど、何しろフーコーさん関連の本なので、ここではインテリぶってフーコーさんスペシャルの「エピステーメー」という用語を使うことにした。ところで、「みんな大好きフーコーさん」というのは半ば冗談で、かつてはそうだったとしても、今ではデリダさんら他のポストモダンの思想家たちとともに、左派からですら「ポモ」という蔑称で揶揄されているように思える。でも、基本的に左派嫌いの私めでも(左派というより日本型リベラル、言い換えると自称リベラルという、脳ミソの一部が凍り付いているとしか思えない、「リベラル」の仮面をかぶったファシストを蛇蝎のごとく嫌っていると言ったほうが正確かも)、現代においてとかく誤って普遍的かつ自明なものとして捉えられやすい西洋のエピステーメーの形成過程を暴いたという点でポストモダン思想家、とりわけフーコーを非常に高く評価している。

 

※ここでついでなので、ウィキの「エピステーメー」の頁から「ミシェル・フーコー」の言うエピステーメーについて書かれた部分を抜粋しておきましょう。もちろんウィキをコピペしたのでそれを念頭に読んでね。

 

ミシェル・フーコーが提唱した哲学的概念としてのエピステーメーは、ある時代の社会や人々の生産する知識のあり方を特定付け、影響を与える、知の「枠組」といったように捉えられる。

 

トーマス・クーンの言う「パラダイム」概念との類似を(パラダイム概念への誤解にもとづいて)指摘されることがあるが、問題意識の上でも概念的射程の上でも大きく異なる。

 

基本的に知の「枠組」と捉えているが、その認識論については時代によって大きく異なる。それは、『言葉と物』と『知の考古学』において、特に顕著に見られる。

 

簡潔にまとめると、『言葉と物』において「エピステーメー」とは、人の思考はそれが持つ思考体系、メタ知識構造に従ってしまうという構造主義的見解を示す。 この考え方によれば、ある時代の社会を支配する「エピステーメー」から解放されるには「エピステーメー」の破壊でしか解決しない、という批判もあった。

 

『知の考古学』においては、フーコーは『言葉と物』の議論をベースにしつつも発展させた議論を展開する。ある時代の社会を支配するメタ知構造である「エピステーメー」は存在しつつも、それは社会を構成する人々の生産した知識によって、変化したり、増幅したり、破滅したり、様々に変化する、というものである。

 

メタ知識である「エピステーメー」も、多くの人々の生産する知識の総体が、発話(Discourse)される事により、促進もされ、変化し、それを破滅させて新しいエピステーメーを作る可能性も開く。

 

著者の慎改氏は「序章 フーコーのアクチュアリティ」の冒頭でフーコーのアクチュアリティに関して次のように述べているが、これはまさにその通りだと思う。≪では、フーコーの言説に今なお備わるアクチュアリティとは、いったいどのようなものであろうか。¶第一に挙げられるのはもちろん、その歴史研究によって彼が提起したいくつかの問題と、それらを提起する彼固有のやり方とが、我々の現在に対して訴えかける力を保ち続けているということであろう。かつては多様な仕方でとらえられていた狂気が、どのようにして精神の病という単一の形象に還元されてしまったのか。かつては身体の表面にとどまっていた医学の視線が、どのようにして身体の内部へと向けられるようになったのか。どのようにして人間は、至上の主体であると同時に認識すべき特権的な客体としての地位を獲得したのか。どういうわけで、監獄への閉じ込めという処罰形式は、当初から明らかであったその「失敗」にもかかわらず、いまだに存続しているのか。(…)以上のような問いを一つまた一つと提出することによってフーコーが試みたのは、今日において自明であるとされている事柄を、歴史への問いかけによって問題化することであったという。すなわち、現在そうであることがいつもそうであったわけではないことを示すこと、しかじかの形象が形成されたプロセスを明るみに出しつつそれを解体する可能性を手に入れること、これが、彼の歴史研究の目的であったということだ。フーコーの言説が現在の我々を今なお惹きつけるとしたら、それはおそらく、二十世紀後半に彼によって提出された問いのいくつかが、二十一世紀の我々においても依然として問われるべきものであり続けているということであろう(14〜5頁)≫。≪しかじかの形象が形成されたプロセスを明るみに出しつつそれを解体する可能性を手に入れること≫とは、もちろん大陸文明たる西洋近代のエピステーメーの形成過程を暴き出し、それを解体、あるいはポストモダン的用語を使えば脱構築することを意味する。

 

これがなぜ日本人にとっても重要かというと、明治維新以後日本人もこの大陸文明たる西洋のエピステーメーに完全に絡み取られているから。『日本群島文明史』の用語を借りて言えば、日本には日本独自の「群島文明」がかつて存在していた。今の日本を見ていると、政治家も自称知識人も、その多くが「大陸文明」の概念、すなわち西洋のエピステーメーにすぎない「多様性」とか「共生」などの用語を、意味もよく考えずに振り回して、まさにその「多様性」や「共生」のかけ声とともに「群島文明」それ自体を破壊しようとしている。そもそもそのような西洋のエピステーメーは「大陸文明」の申し子たるフーコー自身が、脱構築しようとしていた。『日本群島文明史』と『フーコーの言説』を続けて読んで、もしフーコーが日本語(しかも古文)を理解できて、かつての日本の作家や思想家の本を読めたとしたら、たとえば『日本群島文明史』で論じられていた「ことだま」とは異なるものとしての「ことのは」や、紫式部の「もののあはれ」の概念を知ったとしたら[ページ内検索キーワード:ことのは、もののあはれ]、西洋のエピステーメーと比較してそれらをどう捉えただろうかが妙に気になってきたのですね。おそらく彼は、それらのなかに西洋のエピステーメーを脱構築したあとに残りうる概念の一部としてそれらを捉えたのではないだろうか。というのも、「群島文明」は「ことのは」や「もののあはれ」のようなきわめて微分的で分散的な、言い換えればポストモダン的な発想を、な、な、なんと「大陸文明」の西洋でポストモダンが勃興する一〇〇〇年も前に展開していたのだから。現代の日本人は、その点をもっとしっかりと認識すべきだと思う。

 

ということで「第一章 フーコー前史」に参りましょう。この章では、一九六〇年代以後のフーコーとは正反対の思想を展開していた一九五〇年代のフーコーが論じられている。だから「フーコー前史」と題されているわけ。章の冒頭に次のようにある。≪フーコーの著作活動は、一九五四年に発表された二つのテクスト、すなわち、ビンスワンガー著『夢と実存』への序論と『精神疾患と心理学』と題された小著によって開始される。これに一九五七年の日付を持つ二つの小論を加えた五〇年代の彼の四つのテクストを、六〇年代から八〇年代にかけて発表された彼の主著と読み比べてみるとき、そこにはただちに、明らかな断絶、明らかな非両立性が見いだされる。つまりそれら四つのテクストにおいては、「考古学」以降のフーコー的と呼びうるような言説とは完全に異質であるように思われる言説が展開されているということだ(22頁)≫。ではどのように異なっていたのか? 著者の答えに参照する前に、まずここで私め自身の考えを『日本群島文明史』の言葉を用いて開帳しておくと、一九五〇年代のフーコーはむしろ「大陸文明」的な観点から西洋のエピステーメーを見ていたのに対し、一九六〇年代以後の彼は「大陸文明」的な観点をきっぱりと捨てることで(ただし「群島文明」的な観点から見始めたと言い切ることは避ける)まさにその西洋のエピステーメーを解体する方向に走ったというものになる。

 

ではそれに対する著者の見方はいかなるものか? 選書本ではまず「心理学の歴史」という小論が取り上げられているけど、それは飛ばして『夢と実存』への序論と『精神疾患とパーソナリティ』から始めましょう。これらの本に関して次のようにある。≪つまり、『夢と実存』への序論および『精神疾患とパーソナリティ』は、ともに、人間をその特殊な地位において扱う必要性、人間の還元不可能な主体性を特権化する必要性を、自らの出発点としているということだ。そして、「人間の学」ないし「主体の学」の重要性を強調しつつそうした探究に専心するというまさにこの点において、五〇年代のフーコーの言説は、当時の支配的な思潮への賛同を示すとともに、フーコー的なものとして知られる六〇年代以降の彼の言説と真っ向から対立するものとして現れる。一方において、人間存在の特権化は、主体性から出発しなければならないという標語のもとで一世を風靡したサルトルらの人間主義ないし人間学主義へと送り返される。そして他方、そのような人間学的思考への徹底した異議申し立てこそ、六〇年代以降のフーコーの研究活動を最も明白なやり方で特徴づけるものの一つに他ならない。「人間の終焉」というあのあまりにも有名な言葉を引き合いに出すまでもなく、後のフーコーにおいては、「人間的現実」ないし人間の主体性が、考察の絶対的出発点とすべきものではもはやなく、逆に、さまざまなやり方で抜本的に問い直すべき問題として扱われることになるのである。人間存在を特権的な研究対象として設定する五〇年代のフーコーのテクストには、後の彼自身の歴史的探究が標的そのものとすることになる思考の地平への全面的な帰属がしるしづけられているということ。後のフーコーによる人間主義ないし人間学主義の告発には、したがって、かつての自分自身との決別が含意されているのだ(27〜8頁)≫。要するに五〇年代のフーコーは、人間主義や主体性の概念を出発点としていたのに対し、六〇年代以後のフーコーはその痕跡を断ち切ろうとしたということになる。

 

次に『夢と実存』への序論が取り上げられている。基本的にはスキップするけど、五〇年代と六〇年代のフーコーが現象学的特権、つまり主体性をどのように捉えていたかがわかる次の箇所だけ、興味深いので引用しておきましょう。≪「現前」に与えられた現象学的特権に関しては、ジャック・デリダが、それを西洋の形而上学的伝統と関連づけながら根本的に問題化したことがよく知られている。そうすることによって彼は、「本質的区別」に依拠するものとしての現象学の可能性そのものを揺るがせようとしたのだった。一方、フーコーがその六〇年代の「考古学的」探究のなかで、現象学的ないし人間学的思考から身を引き離そうと企てる際、そこに見いだされることになるのは、終わりのない任務としての解釈の徹底した拒絶である。真理は我々から絶えず逃れ去ると同時に我々を呼び求めるものであるという想定のもとに、そうした真理を我が物とすべく際限なく努力するものとしての解釈が、人間学的思考にとっての特権的な道具であると同時に彼の「考古学的」方法の対極にあるものとして退けられることになるだろう。その解釈が、『夢と実存』への序論においては、まさしく人間を特権的対象として定める探究において要請されている。一九五四年のフーコーによる実存分析の企ては、このように、後の彼自身がそこから身を遠ざけようとする地点を正確に指し示しているのである(36〜7頁)≫。デリダの現前の形而上学批判とフーコーの「考古学」の違いは、この記述ではよくわからないよね。だから「ここでデリダをあえて出す必要があったのかな?」という気もしないではないが、主旨はよくわかる。

 

次は『精神疾患とパーソナリティ』について。それに関してはまず次の指摘を引用しておく。≪後に『言葉と物』においてフーコーは、マルクスは西洋の知にいかなる断層も生じさせることはなかったと、と言い放つことになるだろう。十九世紀の思考において、マルクス主義は、「水を得た魚のようなもの」だったのであり、ブルジョア経済学とマルクス主義の対立が煽り立てた波風は、子供の水遊びのようなものにすぎなかった、と。しかしその彼も、その青年時代においては、彼と同世代の知識人たちのほとんどがそうであったのと同様、一人のマルクス主義者だったのであり、一九五〇年から一九五二年まではフランス共産党にも所属していた。『精神疾患とパーソナリティ』は、そうした彼のマルクス主義への帰属、それも、アルチュセールによって告発されるものとしての人間主義的なマルクス主義への帰属を、端的に示している。精神の病の起源を社会的疎外のうちに標定しつつ、「人間そのものについての反省」に訴えていた一九五四年のフーコーは、いわば、当時支配的であった思潮のただなかを泳いでいたのである(43頁)≫。≪精神の病の起源を社会的疎外のうちに標定しつつ≫と言えば精神科医のR・D・レインを思い出す。というのも、かつて日本でも流行っていて、みすずちゃんから出ていた彼の本を熱心に読んでいたことがあるから。六〇年代以後は考えられないとしても、五〇年代のフーコーなら、レインと意外に近い側面があったのだろうなという気がした。

 

第二章の最期の節では、五〇年代のフーコーに関するまとめと、次章から取り上げられる六〇年代以後のフーコーに関する記述のスニークプレビューが提示されていて興味深い。まずは五〇年代のフーコーに関するまとめから。≪『精神疾患とパーソナリティ』を貫いているのは、したがって、一つの疎外論、「人間学ないし哲学的人間主義の全体」へと送り返されるものとしての疎外論である。人間が社会の矛盾のなかで「自らのうちの最も人間的なもの」を失うという経験を出発点としつつ、そのようにして失われてしまったものを取り戻そうと試みること。喪失したものの回収というこの任務は、(…)一九五四年のもう一つのテクストで提示された解釈の企図と重なり合うものである。すなわち、意味を奪われた記号、いわば疎外された記号としての「指標」から出発しつつ、そのように逃れ去る意味を再び我が物としようとする企てとして、『夢と実存』への序論において提示されている解釈もやはり、ある種の「脱疎外」を目標とするものであるということだ。社会において失われた人間の本質を回復しようとするにせよ、夢において失われた意味を回収しようとするにせよ、一九五四年の二つのテクストはいずれも、喪失というネガティヴな経験から出発しつつ、そこで失われたと想定されているものの復元を目指すという任務を提示しているのである。「人間的現実」に対して与えられた至上権という共通の出発点から分岐した二つの道は、こうして、喪失と回収の弁証法と名づけることのできるような図式において再び合流するのだ(43〜4頁)≫。

 

次にスニークプレビューの部分。≪晩年のいくつもの対談のなかで、フーコーは、若き日の自分自身が、マルクス主義、現象学、実存主義が支配する雰囲気のなかで思考していたことを、回顧的なやり方で語ることになる。五〇年代の彼のテクストは、そうした発言を明示的なやり方で裏づけるものであると言えるだろう。そして六〇年代の彼の「考古学的」探究は、かつての自分自身が囚われていた思考からの解放を第一の目標として設定することになる。人間の主体性に与えられた特権を引き受けつつ失われたものの回収という任務に身を委ねる代わりに、そうした特権、そうした任務がどのようにして歴史的に構成されたのかを明らかにしつつそこから身を引き離すこと、これが、フーコーの探究の企図そのものとなるのである(44〜5頁)≫。要するに五〇年代のフーコーは既存の西洋のエピステーメーに囚われてその内部で思考していたのに対し、六〇年代以後のフーコーはその枠から身を引き剥がして、むしろそのような西洋のエピステーメーがいかにして歴史的に形成されたのかを探究するようになったということ。フーコーが現代の日本でもきわめて有益であると私めが考えている理由もここにある。というのも、前述したように本来は「群島文明」に属しているはずの現代の日本人でさえ、フーコーが解体しようとした「大陸文明」の西洋のエピステーメーに完璧と言っていいほど絡み取られているのであり、まさにその解毒剤としてきわめて強力な効き目があるように思えるから。いずれにせよここまでは本来的とは言えない五〇年代のフーコーに関する説明だったので、次章からの説明に期待しましょう。

 

次は「第二章 狂気の真理、人間の真理」で、この章では『狂気の歴史』が取り上げられている。まず次のようにある。≪この一九六一年の著作のなかで、フーコーは、狂気が、監禁制度の歴史的変容を通じて実証的精神医学の対象として成立するプロセスを、三つの決定的な契機を挙げつつ以下のようなやり方で分析している(55頁)≫。次にこの≪三つの決定的な契機≫が順次説明されているけど、長くなるので、それぞれの説明の最初の一文だけ引用しておく。詳しい説明は本を買って読んでね。@まず、監禁空間が医学化される(55頁)≫。A≪次に、狂気に対する客観的視線が形成される(55頁)≫。B≪最後に、狂気が内面化される(56頁)≫。そのうえで著者は、次のように述べる。≪監禁空間の再編成のなかで、狂気が医学化され、客体化され、内面化されるということ。狂気は以後、{客観的/傍点}に把握可能な{精神の病/傍点}として自らを差し出すようになるということだ。狂気が一つの「科学的」対象として構成されるため、実証的精神医学がその可能性の条件を見いだすために、監禁の実践とその歴史的変容が大きな役割を果たしたのだということを、『狂気の歴史』は以上のようなやり方で示すのである。¶とはいえフーコーは、狂気が精神の病に還元されるに至る歴史的プロセスを、制度上の変化との関連のみによって説明しようとしているわけではない。監禁空間の再構成によってもたらされた帰結について詳述した後、彼は、狂気をめぐる新たな考え方が、実は、知に固有の領域における「一つの隠された整合性」を準拠としていることを示そうとする。そして、新たな狂気経験に含意されるものとして告発されるその整合性とはまさしく、「科学的定式化の多様性の下を流れそこに維持されている人間学的思考」の整合性である(56〜7頁)≫。要するに、『狂気の歴史』の六〇年代フーコーは、五〇年代フーコーが依拠していた≪人間学的思考≫を告発しようとしているのですね。

 

それに関して著者は次のように述べている。≪狂気と人間の真理との関係についてフーコーが暴き出す以上のような一連の考えは、明らかなやり方で、五〇年代の彼自身のテクストのうちに見いだされた思考の図式を指し示している。実際、『狂気の歴史』は、一九世紀以降の狂気経験が人間学的思考の整合性を準拠とするものであることを指摘しつつ、そうした思考が含意する公準を次のように定式化している。¶¶{人間存在は真理とのある種の関係によって特徴づけられるのではない。そうではなくて、人間存在は、一つの真理を、与えられると同時に隠されたかたちで、自らに固有に帰属するものとして保持する/傍点}。¶¶人間は、自らに固有の真理を確かに所持しているということ。ただしその真理は人間自身に対してポジティヴなやり方で差し出されてはいないということ。狂気というネガティヴな経験が人間に関する探究において固有の地位を獲得するのも、人間の真理がそのように自らを隠蔽しつつ与えられていると想定されているからなのだ。¶人間学的公準と新たな狂気経験とのある種の共犯関係をこのように告発することによって、『狂気の歴史』は、前フーコー的言説からの決定的な隔たりをしるしづけている(59〜60頁)≫。一点内容とはまったく関係ないことを指摘させていただくと、この著者、本書全体を通じて「〜こと。」という体言止めを多用している。体言止め自体が悪いとはいわんとしても(悪いと主張する人もいる)、文章がきちんと完結していない印象を与えてしまい、場合によっては論理が追いにくくなるので多用しないほうがよいのではないかと。実のところ、近代西洋のエピステーメーに依拠する言説では、至るところにこの手の公準が暗黙のうちに参照されている。だからこそ西洋のエピステーメーを文化、文明のまったく異なる日本に安易に持ち込むことは危険なのですね。つらつらと考えるに、フーコーはポストモダンに属する左派と見られているように思われるが(ただし現在では、ポストモダン自体が左右を問わず揶揄の対象になっているように思える)、実のところ彼の考えは、むしろ保守側に立つ人々にとって強力な武器になるような気がする。フーコーの一部の政治的言動のゆえか、保守言論人の多くは、彼を嫌っているように思えるが、それは保守主義にとって実にもったいないと個人的には思っている。

 

ということで『狂気の歴史』はその程度にして、次の「第三章 不可視なる可視」に参りましょう。この章では『レーモン・ルーセル』と『臨床医学の誕生』が取り上げられている。でもレーモン・ルーセルという作家自身があまりメジャーとは言えないので、フーコーの『レーモン・ルーセル』に関する前半の記述はスキップする。ということで『臨床医学の誕生』について。まず次のようにある。≪『臨床医学の誕生』においてフーコーがとくに強調するのは、十八世紀後半に登場する臨床医学と、それからまもなく現れる病理解剖学とのあいだに、甚大な差異があるということである。つまり彼は、もっぱら身体の表面に視線を注ぐものとしての臨床医学から、身体内部の探索をその本質的な任務とする病理解剖学への移行のうちに、実証的医学の誕生へと至る決定的な契機を見いだそうとするのである(97頁)≫。もう少し具体的に見ると、これは次のようなことを意味する。≪フーコーによれば、病理解剖学に先んじて形成された臨床医学は、病とは症状の集合にすぎない、という考えによって特徴づけられる。すなわちそこでは、身体の表面において観察される症状の展開それ自体が、病そのものとみなされたということだ。したがって、臨床医学の任務とは、目に見える表層において生起する現象を観察し、それをそのまま記述することであった。そしてその限りにおいて、死体を開いてその内部に視線を注ぐという作業は、臨床医学にとって必要なものではなかった。臨床医学的方法とは、確かに、身体そのものの直接的観察によって病の真理を明らかにしようとするものである。しかし、症状の総体こそが病そのものであると想定される限りにおいて、問題とされていたのはもっぱら、生ける身体の表面に展開される時間的事象であった。臨床医学は、「その構造によって、物言わぬ非時間的な身体の調査とは無縁のもの」だったのである(97〜8頁)≫。

 

ところがこの臨床医学的方法が病理解剖学的方法へと推移するにつれ次のような変化が生じる。重要なので少し長めに引用しませふ。≪身体内部の「病変」こそが病の真理とみなされるようになって以来、医学的視線は、症状が展開される表層から身体の厚みのなかへと赴く垂直の道、「表明されているものから隠されているものへと深く入り込む道」を踏破しなければならなくなる。(…)フーコーによれば、病が身体の表面において展開されるものとしてとらえられているあいだは、身体の深みのなかに隠されているものが医師の関心を惹くことはなかった。医師は、自分の目に直接現前するものを観察し、それを語ることで満足していた。病におけるすべては身体の表層にあったということ、直接的に目に見えるものこそが病であったということであり、病のうちには視線に対して隠されたものなど何もなかったのである。したがって、医学の刷新を、それまで病において不可視のままにとどまっていたものが医学の理論的ないし技術的な発達とともに目に見えるようになったこととしてとらえてはならない。実際は逆に、それまで見えないものなどなかったところに、見えないものが、見えるものの内的骨組のようなものとして、歴史的に構成されたのである。そしてそこから、深く隠された真理を明るみに出すこと、事実上見えないままにとどまっているものを見えるようにすることが、医学の本質的な役目とされることになるのだ。可視と不可視とのあいだに新たな関係が結ばれ、新たな構造が形成されたことによって、医学に対して新たな任務が課されるようになるということ。実証的医学の登場を可能にし、要請したされるこの構造、これが、フーコーによって「不可視なる可視性の構造」と呼ばれるものである。(…)宿命的に視線を逃れると同時にその視線を絶えず呼び求めるような何かがあるということ。逃れつつ呼び求めること、自らを隠しつつ示すことこそが、真理の本性のようなものであること。こうしたことを含意するものとしての「不可視なる可視性」の構造こそが、医学に対し、表層から深層へ、見えるものから見えないものへと向かうという任務を要請することになったのだ、というわけだ。(100〜2頁)≫。

 

≪それまで見えないものなどなかったところに、見えないものが、見えるものの内的骨組のようなものとして、歴史的に構成されたのである≫というくだりに注目しましょう。ここでは医学が対象になっているけど、実際にはこのようなあり方、つまりそもそも存在していなかったものを目に見えない本質としてあとから滑り込ませるというとってもとってもずる賢いやり方は、近代西洋のエピステーメーの根幹をなす、ある種の魔術、あるいは手品と言えるように思う。確かに本質主義的な発想は古代ギリシャの頃から存在するし、そもそも西洋文明のみならず東洋文明にも見られる。ただ西洋近代のエピステーメーは、見えるものを見えないものが支えると見なす本質主義を文化的な装置として非常に巧妙なあり方で埋め込む。医学ではあまりはっきりしないかもしれないが、そこには制度が行使する権力が深くかかわってくることになるわけで、その点はのちに取り上げられる『監獄の誕生』で明確になる。この点を深く認識せずに西洋のエピステーメーを単純に取り込むと、それにともなってフーコーが白日のもとに晒した本質主義的な文化装置やそれを担保する権力機構まで知らず知らずに取り込むことになる。そして今の日本はまさにそのような残念な状況下に置かれていると見ることができる。いずれにせよ、それについてはあとでもう一度検討する。ということで、第三章の最後のまとめの文章を引用することで、『臨床医学の誕生』についてはおしまいにしましょう。≪『レーモン・ルーセル』および『臨床医学の誕生』がともに根本的なやり方で問いに付したのは、実際、見えるものが見えないものを隠蔽しつつ示すという構造、ネガティヴなものがポジティヴなものを裏打ちしているという構造であった。すなわち、そうした構造が、決して存在の根源的な構造ではなく、隠蔽と暴露の戯れによって、あるいは可視性の形態の歴史的変化によって構成されたものにすぎないということを、それら二つの著作は示してみせたのである。(…)可視と不可視との関係を新たなやり方で思考し直すことで、フーコーは、五〇年代のテクストにおいて、そしてさらには『狂気の歴史』においてもなお自身が自らに引き受けていた喪失と回収の弁証法から、ついに自らを解き放すことになるのだ(107〜8頁)≫。

 

次は「第四章 有限性と人間学」。この章では『言葉と物』が取り上げられる。フーコーは『言葉と物』で、まず古典主義時代のエピステーメーについて検討する。次のようにある。≪フーコーは、この時代[古典主義時代]の思考に特有の任務、ルネサンス期の思考にも十九世紀以降の思考にも無縁のものであるというその任務を、「表象の分析」として特徴づける。表象を分析する、とは、目の前あるいは精神の前に現れる像としての表象に記号を与えつつ、それを同一性と差異にもとづいて秩序づけることである(120頁)≫。そしてこの任務に関して、言語における「一般文法」、自然に関する「博物学」、そして「富の分析」という三つの例をあげる。それらの例に関して次のようにある。≪一般文法にとっての言語とは、思考が思考自身を表象するようなやり方で思考を表象するもの、思考の網目のなかにすでに織り込まれたものであるし、博物学によって記述される自然とは、語によって表象可能なものに還元された自然であるし、富の分析にとって分析すべき富は、貨幣によって表象されて初めてそこにある。つまり、問題はあくまでも、表象に与えられたものから出発してそれを分析することなのだ。古典主義時代の思考が表象空間を超え出ることは決してなかったということ、表象空間はその全面的な自律性を保っていたということであり、そうした思考にとって、表象の「外」は存在しなかったのである(122頁)≫。してみると『臨床医学の誕生』で扱われていた「臨床医学」は、この古典主義的思考の個別の一ケースになるということなのかな。臨床医学は≪十八世紀後半に登場する(97頁)≫とあり、また120頁の記述によれば古典主義時代はルネサンス(十四〜十六世紀)と十九世紀のあいだの時代と取れるので、おそらく時代的にも整合しそう。

 

さらに著者は次のように述べる。≪フーコーは、古典主義時代の知に特有の整合性を見いだしつつ、[人間の]有限性にポジティヴな意味を付与する可能性がそうした整合性によってそもそもの最初から排除されていたことを示す。彼は、十九世紀以前に有限性が根源的なものとして思考されなかったことを、「意識化」の未完成ではなく、当時の認識論的付置における一つの必然的な帰結とみなすのである(123頁)≫。だからこそ≪人間における有限性が構成的なものとして地位を獲得し、人間にとって最も近しい関心の対象となりうるためには、したがって、古典主義時代のエピステーメーに根本的な変換が生じる必要があった(123頁)≫とのこと。そして≪フーコーによれば、そうした変換は、十八世紀の終わりに、二つの段階を経ることでなされたという(123頁)≫。その第一段階は「晦冥な垂直性」ということらしい。「さすがポストモダンらしい、晦冥な言い方やねえ」と思わず言いたくなるよね。「晦冥な垂直性」とは次のような意味らしい。≪表象の分析を可能にする条件が、「表象の外部、その直接的な可視性の彼方、表象そのものよりも深みにあってより厚みのある一種の背後の世界のなか」に見いだされるようになるということだ。こうして、表象空間はその至上の自律性を失い、それまで表象空間の内部に安らいでいた事物は、「自らに巻きつき、固有の嵩を自らに与え、我々の表象にとっては{外部に/傍点}あるような{内的/傍点}空間を自らに規定する」。したがって、以後、事物の秩序を打ち立てるためには、表象の後方に退いた事物そのもののうちに秘められたものを参照しなければならなくなるだろう。表象にとっては外的であるような事物のこの内的空間、還元不可能な力の貯蔵庫としての「深層(profondeur)」こそ、十八世紀末における最も重要な概念上の発明品の一つに他ならないとフーコーは言う(124頁)≫。ぐぬぬ! 「」内は『言葉と物』からの引用のようだけど、とりわけわけがわからん。ただ重要なのは≪したがって、以後≫よりあとの、最後の二文のように思われるので、そこだけでも理解しておきましょうね。

 

また次の指摘を引用しておきましょう。≪この発明とともに、真理は事実の不可視なる厚みのなかに後退し、その一方で、知覚可能な秩序の方は、「一つの深層の上の表面的なきらめき」にすぎないものとなる。可視と不可視との新たな関係を基礎づけるものとしての「晦冥な垂直性」が創設されるということだ。ところで、メルロ=ポンティ哲学への暗示を含むとも思われるこうした記述は、『臨床医学の誕生』において、十八世紀末における新たな可視性の形態の成立として語られていたことと正確に重なり合う。一九六三年の著作が実証的医学の誕生との関連で示唆していたのは、「あらゆる具体的な知にとって必要なもの」とされる可視と不可視との関係が変容し、真理が「事物の暗い核」に住まうようになるという出来事であった。この出来事が、今度は、表象空間からの事物の後退というかたちであらためてとり上げ直されているのである。要するに、『言葉と物』が明らかにしようとしているのは、ここでもやはり、「見えるものの潜勢力」としての見えないものが歴史的に構成されることによって初めて、表面において目に見えるものが「汲み尽くしえぬ深みの表面」として現れるということなのだ(125〜6頁)≫。ということは、やはり『臨床医学の誕生』と『言葉と物』のあいだには明確な並行性があることになる。で、変換の第二段階においては、≪古典主義時代に特有の任務としての表象の分析が完全に放棄されるとともに、新たな認識論的付置のもとで、言語、自然、富のそれぞれについて以前と根本的に異なる探究が開始されることにな(126頁)≫り、そして≪以後、問題は、表象に記号を与えつつそれを秩序づけることではなく、表象の外にあって表象を条件づけるものに問いかけることとなる。一般文法、博物学、富の分析に代わって、諸言語の文法構造を扱う比較文法、生命の機能を扱う生物学、労働と生産を扱う経済学が、ここに形成されるのである(127頁)≫。

 

さらにその結果、客体の形而上学が登場する。それについて次のようにある。したがって、十八世紀末の西洋に生じた一連の認識論的変動は、表象の自律性を基礎とする形而上学に終止符を打つ。しかしその一方で、そこに新たに開かれた領野には、もう一つ別の形而上学の可能性がもたらされることになるとフーコーは言う。事物は、表象空間から解放されるやいなや、今度は自身の謎めいた厚みのなかに囚われとなる。表象の外に措定され、認識に対して決して完全には与えられることのない事物は、まさにそのことによって、ありとあらゆる認識の可能性の条件として自らを差し出すことになる。言語の力、生命の力、労働の力が、客体の側における「超越論的なもの」として価値づけられるということであり、ここに、その「決して客体化できぬ客体」をめぐって、新たな形而上学的任務が登場するのである(128頁)。≪表象の外に措定され、認識に対して決して完全には与えられることのない事物は、まさにそのことによって、ありとあらゆる認識の可能性の条件として自らを差し出すことになる≫という一文に注目されたい。ここからしばらくは、私めの勝手な見立てを恐ろしく大胆に述べるので話半分くらいに聞いておくんなまし。個人的には、まさに現代の病理の一つはここにあるのではないかと考えている。認識に対して完全には与えられることのない事物が、認識の可能性の条件になるということは、認識それ自体が必ずや不透明なものにならざるを得ないことを意味する。ところで、スピノザが知を想像の知、理性の知、直観の知の三つの分け、想像の知が唯一の誤りの源泉であると見なしたことは吉田量彦著『スピノザ』と、國分巧一朗著『スピノザ』を取り上げた時に述べた。まさに想像の知には、この認識の不透明性が反映されていると見ることができる。そして近現代のイデオロギーはまさにこの想像の知の典型だと言える。それに対して、直観の知と理性の知は認識に対して明証的に、つまり何かを隠すことによって別の何かが現れるという「晦冥な垂直性」を介さずして直接的に現れるのだろうと思う。現代人の多くは、この罠に見事に引っ掛かって「晦冥な垂直性」に依拠する想像の知に囚われているのですね。何しろ認識それ自体には明証的に現れないので気づくことができず、簡単に想像の知に振り回される。認知科学者のヒューゴ・メルシエは『人は簡単には騙されない』で、≪個人的な関与の少ない反省的信念に関しては、開かれた警戒メカニズムの出番はそれほどないと考えるべきだろう。(…)私の考えでは、デマのほとんどは、反省的な信念としてのみ保持される。なぜなら、直観的な信念として保持されれば、個人的な影響がはるかに大きくなるからだ(同書二〇二頁)≫と述べている。なお「開かれた警戒メカニズム」については、そちらのページを参照されたい[ページ内検索ワード:開かれた警戒メカニズム]。引用文中の「反省的信念」とは「晦冥な垂直性」に依拠する想像の知を意味すると捉えればいいと思うが、そのような信念は開かれた警戒メカニズムのチェックにかからない。なぜなら、認識それ自体に対して不透明な部分があるからなのですね。それに対して直観の知は認識に対して明証的に現れるから、それを対象に「開かれた警戒メカニズム」が作用しうる。冒頭で「脳ミソの一部が凍り付いている」と比喩的に言ったけど、メルシエらの見解に鑑みれば彼らは脳の認知機能の一部が機能不全を起こしていることに間違いはない。その典型例が、アホな発言を繰り返している、どこぞの国の首相の石なんちゃらだと言えるかもしれない。

 

と、いつものようにえらく脱線してしまったので、選書本に戻りましょう。さて著者は次にこの話とすでに何度も出てきた「人間学的思考」との関係について次のように述べている。≪すでに見てきたとおり、表象空間の内部で思考が全面的に展開されている限り、その空間を自らのために構成する者についての問いが提出されることはなかった。これに対し、事物が自らの厚みのなかに退き、表象がもはや事物の単なる表面上の効果にすぎないものとなって以来、そうした効果を受け取る者、事物に対する外在的関係から出発して表象を自らに与える者の存在が要請されることになる。表象空間の崩壊によって事物と表象とのあいだに穿たれた隔たりのなかに、それらを結びつける者としての「人間」が登場することになるのだ(130頁)≫。さらに第四章の最後のほうに次のようにある。≪ハイデガーは、「批判」におけるカントの三つの問いが人間に固有の有限性への関心に集約しうるということを示しつつ、この有限性に対してどのように問いかければよいかということを考察していた。これに対しフーコーは、一九六一年のカント論ですでに、そうした有限性をめぐる人間学的問いかけを、経験の限界を超え出ようという前批判的企てを客体の側から主体の側へと滑り込ませたものとして告発していた。そして『言葉と物』は、その構成的有限性を、表象と事物とのあいだに隙間が穿たれたことの帰結としてもたらされた形象とみなしつつ、それを経験的なレヴェルにおいて示される有限性から出発して明るみに出そうとする思考を「人間学の眠り」と断ずる。「人間」およびその根源的有限性が歴史的に構成されるその過程を跡づけながら、フーコーは、人間が自らに固有の有限性をどのようにしてついに「意識化」したのかと問う代わりに、人間の根源的有限性なるものがどのようにして知の特権的な対象となり、それに対して問いかけようとする「終わりのない任務」がどのようにして思考に課されることになったのかを示してみせるのである(135〜6頁)≫。「有限性」という言葉が何度も出てきて「何のこっちゃ?」と思われるかもしれない。実は130頁の引用箇所に続いて4頁くらいかけて説明されているんだけど、一箇所だけ引用しておく。本を持っている人は、その部分(131〜5頁)を読んでくださいませませ。次のようにある。≪認識の基礎にあるものとして見いだされることで、人間の有限性は、それ自体、人間理性にとっての大きな関心事となる。というのも、事物の後退とともに、真理はもはや表象に直接与えられることはなく、自らを隠しつつ見せるというかたちでしか姿を現さなくなるわけだが、そうした真理の存在様態を可能にするものこそまさしく、人間固有の有限性に他ならないとされるからだ。人間が真理を失うと同時に真理によって絶えず呼び求められるという動きに対して一歩退いたところに、そうした動きの起源にあるものとして、人間における有限性が見いだされるということ。根源的に有限なる存在としての人間に関する問いが、いわば、「あらゆる真理の真理」に関する問いとしての価値を得ることになるのである(131〜2頁)≫。細かいことは置くとしても、要するに近代西洋の知のエピステーメーの根底には、大きな欺瞞、魔術、手品が存在していると見てもいいのでしょうね。

 

ということで「第五章 新たなポジティヴィズムへ」に参りましょう。この章では『知の考古学』が取り上げられている。実はこの本にはちょっとした思い出がある。河出書房から出ていた邦訳の『知の考古学』を勇んで買って来て読み始めたら、10頁も読まないうちに頭が「?????」のオンパレードになって放り出してしまった。たぶん私めのドタマが悪いのだろうとずっと思っていた。でもそれからかなりの年月が経ってから、もしかしてと思って英訳を読んでみたら、邦訳よりはわかりやすくて少なくとも最後まで読み通すことができた。あとでググってみると邦訳は中村雄二郎の訳とはなっているものの、彼が明治大学の大学院生に訳させたのではないかという噂があることがわかった。私めには事実はようわからんが、邦訳が悪訳であることに間違いはないらしく、私めのドタマが悪いわけではないことを知って安心したというわけ。

 

まずは次の指摘を取り上げましょう。≪実際、もし、あらゆる科学のなかに、時間のなかで損なわれることの決してないような根本的統一性を認めることが可能であるとしたら、歴史一般の連続性を信じる根拠が得られることになりもしよう。そのとき、それぞれの科学が時間のなかで身にまとった多様な形態は、人間の進歩の深い動きによってもたらされた表面上の効果にすぎないと考えられることにもなるだろうし、そこから、人間理性の目的論にかかわるテーマに生が吹き込まれることにもなるだろう。ところで、『知の考古学』において、思考の歴史をそれが囚われとなっている連続性のテーマから解放するためにフーコーがまず着手するのは、まさしく、「医学{なるもの/傍点}、文法{なるもの/傍点}、政治経済学{なるもの/傍点}(…)」などうちに通常見いだされる統一性を問い直すことである。つまり彼は、六〇年代に行われた自身の一連の歴史研究の成果を踏まえつつ、対象の恒常性やテーマの同一性などといった、一般に歴史を貫く科学の統一性の支えとみなされているものが、実は決してそのようなものではないことを示すのである。科学的言説の統一性は、「一度で決定的に設立された形式が、至上の権威のもとで時間を貫いて発達したもの」ではないということ、「普遍的歴史性」に到達するための出発点として役立つようなものではないということだ。¶一つの科学のあらかじめの統一性から出発して歴史を構成する原理に到達し、そこから歴史性一般と人間の主体性との根本的関係を打ち立てようとするのではなく、逆に、主体の創設的活動に送り返すことのできないような出来事の数々を記述するとともに、通常統一性が想定されているところに不連続性や差異を暴き出すこと。これが、フーコーの「考古学的」探究の任務であり、六〇年代の具体的研究のなかで実際に着手された企てに他ならない(150頁)≫。近代西洋のエピステーメーを代表する知の一つが「科学的な知」だと言えるわけだが、それが普遍的、統一的なものではないということを暴き出したということかな? 現代には、科学至上主義者がごまんといるわけだけど、その根底には、やはり近代西洋のエピステーメーに基づく「ああ! とんだ勘違い!」があるということになるのでしょう。

 

それに関連して、その次にある、科学の連続性、普遍性に依拠する「歴史的アプリオリ」に対する批判は興味深い。フーコーの言う「考古学」の何たるかがよくわかる箇所でもあるので、ちょっと長めに引用しましょう。≪一つの科学の連続性を歴史の主体としての人間へと送り返しつつ、そこから「理性の普遍的目的論」に到達しようと企てるフッサールにとって、問題は、外的な歴史から出発して内的な歴史に達すること、事実の歴史から出発して歴史の本質的で普遍的な構造に達することであった。事実の歴史によっては何事も本当の意味では理解可能とはならない、いかなる問題であれそれを理解へともたらすためには、あらゆる理解可能性の普遍的源泉としての「歴史的アプリオリ」に訴えなければならない、というわけだ。¶現象学者によって用いられたこの「歴史的アプリオリ」という用語を、フーコーは自らの研究のなかでとり上げ直すことになる。ただしそれはもちろん、「理性の普遍的目的論」に賛同するためなどではない。そうではなくて、それは、この用語の意味を逆転させることによってそうした目的論を根絶するためである。フーコーの言う「歴史的アプリオリ」は、歴史のあらゆる事実がそれに従わねばならぬような普遍的形象ではなく、「純粋に経験的な形象」である。すなわちそれは、言説実践を特徴づける諸規則の総体として、それ自身歴史的に構成されたものであり、ある特定の時代の知の形成にとって一種のアプリオリとして機能するとはいえ、時間のなかで変形可能なものであるということだ。したがって「考古学」にとっての問題は、この「歴史的アプリオリ」についての批判的検討を行うことになるだろう。事実の歴史から、その普遍的構造としての「内的な歴史」へと向かおうとするのではなく、あくまでも具体的な言説的事実のレヴェルにとどまりながら、そうした事実を特徴づける可変的な諸規則を記述することが目指されるのである。¶「意識の至上権」にとっての「特権的な避難所」とされていた連続的歴史。人間学的思考の「最後の場所」であり、主体にとっての安らぎの地であったその「古い砦」から決定的に立ち去りつつ、フーコーは、人間学的隷属から解放された歴史研究の道筋を示す。連続性や主体性が、普遍的な価値を持つものとして聖別される代わりに、それ自体、検討すべき問題として掲げられるのである(151〜3頁)≫。その後も興味深い指摘が続くんだけど、またしても長々と引用しなければならないので、また『臨床医学の誕生』や『言葉と物』の延長線上にあるような議論が繰り広げられているという印象も無きにしもあらずであることもあって、『知の考古学』に関しては以上二つの長い引用だけでジ・エンドにする。

 

次の「第六章 「魂」の系譜学」では、『監獄の誕生』が取り上げられている。ご存じのとおり、一九七〇年代に書かれた『監獄の誕生』からは、「権力」の概念が大きくクローズアップされてくる。これは単なる個人的な印象にすぎないのかもだけど、新書本や選書本、あるいは私めが読んでいる英書などでフーコーに対する言及があった場合、一番多いのはこの『監獄の誕生』への言及であるような気がする。その理由はたぶん、権力というテーマが強く前面に現れた本だからではないかと思われる。さて著者はまず、『監獄の誕生』が刊行される以前の一九七〇年代の業績を紹介している。でもここでは、その部分はカットする。

 

『監獄の誕生』に関しては、まず次のように述べられている。『監獄の誕生』が明らかにしようとするのは、身体刑から監獄へという処罰形式の変化が、一八世紀末の西洋においてどのようにして起こったのかということである。公衆の面前で身体に苦痛を与える刑罰から、個人を閉じ込めつつ矯正することを目指すシステムへという、この移行については、もっぱら、文明の勝利や人間性の進歩などといった観点からの説明がなされてきた。つまり、無駄な残虐さを誇示していた野蛮で非人間的な刑罰に、生命や人権を尊重する合理的で穏やかな刑罰が取って代わったのだ、と。これに対しフーコーは、刑罰制度の変化を全く別のやり方で説明しようとする。すなわち彼は、処罰形式のそうした転換を、権力のメカニズムの歴史的変容にもとづくものとして解明しようとするのである(175〜6頁)≫。そして一七世紀から一八世紀にかけて、それまでの君主権的権力(その詳細についてはここでは説明しない)とは異なるタイプの規律的な権力が発展したことについて次のように説明する。≪以上のような君主権的権力に対し、一七世紀から一八世紀にかけて、それとは全く異なるタイプの権力が発達し、西洋社会のなかで大きな広がりを獲得することになるとフーコーは言う。「規律的(disciplinaire)」と呼ばれるその権力は、「個々人の身体に明確なやり方ではたらきかけることによって、個々人を従順かつ有用にする」ことを目指す。この権力は、自らの過剰な力を誇示する代わりに、すべての人々を一様に監視し管理しようとするものである。つまりそれは、非対称的な力関係を人々に見させることで自らを維持し強化しようとする権力ではなく、一人ひとりに対して連続的で注意深い視線を注ぎつつはたらきかけることによって人々を「躾ける(discipliner)」ことを目指す権力なのだ。この規律権力が社会全体を覆うようになり、学校、軍隊、工場などといったさまざまな場所において有用かつ従順な個人を作り上げるためのさまざまな技術が練り上げられていく、そんななかで、監獄への閉じ込めが、処罰のための自明な手段として急速に広がることになる(177頁)≫。とすると、現在になっても「権力闘争」という言葉を喜んで使う人がいるけど、結局そういう輩が言う「権力」とは、むしろ君主権的権力(たとえ君主そのものには言及していなかったとしても)に近いものがあるように思える。しかしフーコーによれば、近代に新たに成立した「規律的権力」は、それほどわかりやすいものではなく、非常に隠微なもので、巧みに世の中に権力の網の目を張り巡らせているのですね。しかもそれは、外向きには非統治者によかれという口実によってオブラートに包まれていたりする。つまり、そんな権力を相手に、あたかも君主的権力に抵抗するかのように「権力闘争」をブチ上げても空振りするだけだよね。それだけ権力は巧妙だということ。

 

さらに権力と知の関係が次のように説明されている。≪フーコーが権力の生産的機能を強調するのは、知の客体としての個人の出現を、規律権力によってもたらされた効果として語るときである。規律は個人を「製造する」ということ。すでに見てきたとおり、君主権的権力においては、支配する側の個人性のみが自らの可視性を誇示していた。そこでは、圧倒的な威光に満ちた君主の個人性こそが、そしてそれだけが、万人によって見られるべきものとされていたのである。これに対し、規律権力の登場によって、「個人化の政治的軸の反転」と呼びうるような事態が生じる。つまり、従順かつ有用な個人を作り上げることが問題となるとともに、権力関係の上方ではなく下方に位置する人々こそが、絶え間のない視線を注ぐべき対象になるということだ。そうした人々の一人ひとりが、観察や分類、記録や検査に委ねられて「個人化」されるということであり、こうして、躾けるべき個人が、同時に、知るべき客体として構成されるのである。¶権力は知の客体を生み出すということ。端的に言うなら、権力は知を生み出すということ。(…)権力が留保される場合にのみ知は存在しうる、あるいは、知は禁止や利害から離れる場合にのみ発展しうる、などといった、西洋を古くから支配してきた先入見を捨てて、「権力はなにがしかの知を生み出す」ということを承認しなければならないのだ、と(178〜9頁)≫。フーコーのこの見立てが正しいのであれば、近代西洋のエピステーメー(知)は、つねに権力と共犯関係にあると言えるのかもしれない。だからこそ、群島文明の日本に、軽々しく近代西洋のエピステーメーを持ち込んではならない。なぜなら、そこには権力装置というおまけまでついてくるから。しかもこの「規律的権力」は、≪一人ひとりに対して連続的で注意深い視線を注ぎつつはたらきかけることによって人々を「躾ける」≫のですね。そして権力に従順な人々ができあがるというわけ。現代の日本にも、権力に抵抗しているようなフリをしていながら権力に篭絡されているとしか思えない人々が大勢いる。実は抵抗しているつもりになっているのは君主権的権力(たとえ実際に君主に言及しているわけではなかったとしても)に対してであって、そうすることで逆に規律的権力に篭絡されてその片棒をかついでいることに気づいていないのですね。

 

実は章題に「魂」とあり、ここから先の「身体の監獄としての魂」という節ではこの「魂」とは何なのかが説明されている。でも、『監獄の誕生』に関して私めが特に取り上げたかったのは、権力と知の関係についてなので、「魂」に関する説明が書かれている第六章の残りの部分は省略する。

 

次の「第七章 セクシュアリティの装置」では、『性の歴史』第一巻『知への意志』が取り上げられている。個人的な話をすれば、実はここまで取り上げられていたフーコーの著書は、一九五〇年代の本を除けば、すべて少なくとも一度は読んでいるはずだが、この『性の歴史』はまったく読んだことがない。近代西洋のエピステーメーにおけるセクシュアリティは、群島文明日本で発展してきたセクシュアリティと比較するととってもとってもおもしろそうな気はする。でも、そんな大それたことは無理であることに気づいたので、誰かがそれについて書いてくれることを期待するだけにしておく。ということで、セクシュアリティに関してはここでは次の箇所のみ引用しておく。≪セクシュアリティが、権力にとってどのように役立つのかということについても、フーコーは次のように明確に述べている。すなわち、権力の拡張によってセクシュアリティが増殖する、その一方で、セクシュアリティの方は自らを「介入の表面」として差し出すことによって権力の増大をもたらすのだ、と。実際、「倒錯的」セクシュアリティが特異な本性ないし特殊な個人性として打ち立てられることによって、それに関する知は、個人を識別して分類することを可能にするだろうし、治療、差別、排除といった措置に根拠を与えることにもなるだろう(207頁)≫。要するにセクシャリティも権力と共犯関係にあるということになる。だからLGBT法などといった法の施行は、実のところ権力を強化する装置に成り下がる可能性がある。≪治療、差別、排除といった措置に根拠を与える≫というくだりは、まさに『群島日本文明史』を取り上げたときに、私めが「LGBTはあとで見るように日本では古来より普通のことだったのに、キリスト教に強く縛られた欧米で発達した大陸文明的な概念を上辺だけ捉えて無理に輸入して法制化するというばかげたことを政治家が平気でやっている。大きな問題ではなかったものをあえて法制化すれば、結局LGBTとそれ以外の人々の境界を際立たせ、LGBTが有徴項と化してしまう結果になる、すなわちまったくの逆効果になってしまうのですね。するとかえって差別が助長されてしまう。政治家を含め、エリートを自称する現代日本人の多くは、そんなことすらわからないほど知性が退化してしまっているとしか思えない」と言ったこととも符合する。

 

それからもう一点、第七章でよく知られたフーコーの「生権力」の概念が説明されているのでそれを取り上げておく。次のようにある。≪フーコーによれば、かつての君主権的権力は、人々の生に対して消極的なやり方でしかはたらきかけていなかったという。君主は、臣民の生に関して自らが保持する権利を、命を奪ったり奪わなかったりすることによってのみ行使していたということ。つまり、生に権力が介入するのは、生に終止符を打つときに限られていたということだ。これに対し、古典主義時代になると、人間におけるさまざまな力を増大させるために、「生を運営し、増大させ、増殖させて、生に対する厳密な管理と総体的な調整を行おうと企てる」権力が登場するのであり、これが、フーコーによって「生権力」と呼ばれるものである。そして、生に対して積極的にはたらきかけるものとして出現したこの権力は、十七世紀以来、何をその標的として定めるかに従って、二つの主要な形態において発展してきたとされる。一方には、「機械としての身体」に照準を定める「規律」ないし「解剖政治」。これは、すでに見てきたとおり、『監獄の誕生』で詳細に分析されていた権力形態であり、身体を調教して従順かつ有用なものに作り変えたり、その力を強奪して効果的な管理システムに組み込もうとしたりするものである。そして他方には、やや遅れて十八世紀半ばに形成されたものとしての「調整」ないし「生政治」。こちらが標的とするのは、個々の身体ではなく、「人口(population)」である。(…)フーコーは(…)、「人口」という語を、生物学的法則によって貫かれているものとしての人間集団という意味で使用する。(…)身体をめぐる規律と人口をめぐる調整を両極として、生を隈なく攻囲することを目指す権力が組織化されるということ。そして、そのようにして身体の従属化と人口の管理のために形成されるさまざまな技術、さまざまな具体的装置のなかで、最も重要なものの一つとしてフーコーによって挙げられるのが、セクシュアリティの装置なのである(218〜20頁)≫。

 

そう言えば、以前にも取り上げたことがあるけど、東京オリンピックが開催されていた頃に、左派イデオロギーに絡み取られたと思しき女性翻訳者が「政府は私たちを殺しにきている」というような主旨のツイをしていてあきれ返ったことがある。そもそもこの言明は自分の直観的に信じていることと行動がまったく矛盾するダブスタでしかないが、それについてはすでにすでに『魔女狩りのヨーロッパ史』(岩波新書)[ページ内検索キーワード]:東京オリンピック]で説明したのでそれをここでもう一度繰り返すことはしない。ここで指摘したいのはそうではなくて、「政府は私たちを殺しにきている」などという言明は、フーコーの用語で言えば君主権的権力を権力の前提と見なしているからこそ出て来る発言だという点。ところが現代における「権力」がそんな単純なものではないことはフーコーのとりわけ一九七〇年代以後の著作を読めばすぐにわかる。もちろんフーコーの見立てを鵜呑みにする必要性は毛頭ないとしても、少なくとも現代の権力が「殺すか殺さないか」などといった君主権的権力のレベルで作用しているわけではないことは、それこそ右派や保守派より左派のほうがよく知っているはずではないのかとそのとき思ってもたというわけ。要するにその手のツイやリツイを何の疑問も感じずに平然とする人々は、自称リベラルではあっても本来のリベラルや左派ではまったくないのですね。もしかして朝日新聞以外、左派の本も含めて何も読んでいないのではないかと疑わせるほど知的レベルが低いと言わざるを得ない。

 

とまたまた脱線してもたので、選書本に戻りましょう。次に著者は「人口」の概念に関して次のように述べている。≪一九七七−一九七八年度講義『安全・領土・人口』では、そのタイトルが示唆しているとおり、全面的に人口に狙いを定めた探究が展開されることになる。すなわちそこでは、人口という概念をめぐる、そして人口を調整するためのメカニズムをめぐる政治的な知がどのように形成されたのかということが問われるのであり、そのなかで、人口を主要な目標として定める「統治」の技法が、キリスト教的「司牧制」をモデルとしつつ誕生し、それが「国家理性」と呼ばれるものの出現とその確立を西洋にもたらすことになるというプロセスが描き出されるのである(221頁)≫。なお「生政治」に関しては、『国家はなぜ存在するのか』(NHKブックス)でも少しだけ言及されていたのでよければそちらも参照してね[ページ内検索キーワード:生政治]。あとは「第八章 自己の技術」「終章 主体性の問題化と自分自身からの離脱」が残っているけど、特に取り上げたい箇所はなかったので省略する。ということで、すでに述べたように個人的には保守派こそフーコーを読むべきだと思っている。というのも現代の日本を支配しているフランス革命以後の左派思想は、近代西洋のエピステーメーの落とし子であり、フーコーはこのエピステーメーがいかに形成されたのかを、またそれが絶対的なものではあり得ない、いやそれどころか欺瞞に満ちたものであることを暴露しているからなのよね。確かにフーコーは保守派が許容できないような政治的発言をしたのかもしれないが(あるいは彼がゲイであったことも保守派には受けが悪い要因になっているのかもだけど)、だからと言って彼を無視することは、強力な武器をみすみす捨てることになると思う。また現代ではポストモダンが本来の左派からも批判されているとしたら(ほんとうにそうなのかはよくわからんが)、それはポストモダンにはこのフーコーのように左派自体の基盤を掘り崩す可能性があることに気づいているからなのかもしれない。まあでも、自称リベラルはそんなことにすら気づかないだろうけどね。

 

 

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※2025年7月15日