◎池上俊一著『魔女狩りのヨーロッパ史』(岩波新書)
魔女信仰とは、少なくとも現代の先進諸国では、奥様という形態以外では存在していないように思える(何のこっちゃ?)。ただ個人的には、魔女信仰は近代になって別の信仰に取って代わられたと考えている。それはイデオロギー信仰のことね。イデオロギー信仰は、魔女や魔術のような実際には存在しないものに対する非理性的、非合理的な信仰とは異なり、きわめて理性的、合理的な思考様式であって、魔女信仰とはまったく似て非なるものだと思っている人もいるのかも。でも、それは理性や合理性とは何かを取り違えた見方であって、実際には魔女信仰とイデオロギー信仰には似たような側面があると考えている(この点に関しては最後に説明する)。
というような問題意識を持ってこの新書本を読んでみたわけね。そういう見方で読んでいると、早くも「はじめに」に実におもろい記述があった。次のようにある。「さらにナチス・ドイツが台頭すると、グリム兄弟らのロマン主義的な魔女像が一段と民族主義的に歪められて、魔女狩りとは、自由で栄光に満ちたゲルマン人の遺伝素質をもっともよく受け継ぐ人種的に優れた金髪碧眼の女性、ドイツ民族の母たるべき女性を、オリエント的・イタリア的なカトリック教会が中心になって{殲滅/せんめつ}しようとした蛮行だ、との考えが登場した。そこで親衛隊トップのハインリヒ・ヒムラーの先導で、一九三五〜四四年、ベルリンの国家安全本部において魔女関連の史料・情報を体系的に収集整理する一大プロジェクトが実施されたのである。¶こうしたナチスとの呪わしい関係から目を背けたいと思ったのか、ヨーロッパの魔女研究は、第二次世界大戦後長らくストップしていた。ようやく一九六五年頃から関連する古文書研究が兆し、その後一九八〇年代になっていっそう活発化して、各地の古文書館の写本を駆使した実証的地域史研究が花盛りとなったのである(B〜C頁)」。つまりナチスは、独自のイデオロギーをもとに中世や近世に行なわれていた魔女狩りを非難していたことになる。ナチズムと言えば、近代以降のイデオロギーのなかでは最悪の例の一つと言える。この件は、ナチスのイデオロギーによって魔女狩りが置き換えられたことを意味するように個人的には思える。ナチスはユダヤ人というスケープゴートを立てて、彼らをあたかも魔女であるかのように扱ったわけだしね。
ということで本論に参りましょう。著者の池上氏は「第1章 魔女の定義と時間的・空間的広がり」で、まずこの本における「魔女」の定義を次のようにかなり狭く取ることを宣言している。「「魔女」というのは、キリスト教的ヨーロッパにおいて、一五世紀〜一八世紀に「魔女狩り」の対象となった人たちのことと定義しよう(2〜3頁)」。おもろいことに「魔女」の定義のなかに、「魔女狩り」という形態で「魔女」という用語が含まれているわけで変に思う人がいるかもしれない。でも定義しようにも実際には「魔女」など存在しなかったことは明白なので、このように定義するしかなかったのだろうと思われる。要するに、「魔女」の問題は、魔女それ自体ではなく「魔女狩り」の問題だということがこの定義で言いたいのでしょう。だから著者も次のように述べている。「だが、もちろん現実にはそうした人間は実在しないから、彼女たちの存在は、さまざまな災厄を魔女の仕業だと思い込んだ人々の妄想の中にしかいない。だから私たちが相手にしなければならないのは、妄想によって濡れ衣を着せられた哀れな女性(一部男性)たちをめぐる出来事ということになる(3頁)」。あとで詳しく述べるけど、こうして見ると「魔女」の問題とは人々の認知の問題だということがよくわかる。だから「魔女」のような存在は、個人や集団の認知的な自我同一性を確保するための道具として利用したいのは山々であるにもかかわらず、近代、さらには20世紀や21世紀にもなって先進国で「魔女」を言い立てるわけにもいかないので、その穴をイデオロギーが埋めるようになったと個人的には考えているわけ。
では魔女狩りはどのような状況下で行なわれるようになったのか? ドイツを例に取ると次のような状況にあったらしい。「ヨーロッパでもとりわけ猖獗を極めたのは、ドイツ(神聖ローマ帝国)だった。ヨーロッパ全体の魔女の処刑のうち、約半分(二万五〇〇〇人)はここで起きた。人口的にはヨーロッパ全体の二割のみを構成するので、その集中ぶりが分かる。(…)安定した権力基盤で君主が大きな権力を振るうドイツ諸領邦、すなわちバイエルン、ヴュルテンベルク、ザクセン、ブランデンブルクなどでは魔女狩りは比較的微弱で、逆に政治的統合がもたついた中小の領邦たるトリーア選帝侯領、マインツ選帝侯領、ケルン選帝侯領、バンベルク司教領、ヴュルツブルク司教領、ロートリンゲン公領などでは、それは激烈で規模が拡大する傾向にあった(24頁)」。あるいは次のようにある。「他国に比してドイツ(神聖ローマ帝国)で魔女狩り熱が異様に高まったのは、中央集権的な政治秩序が貫徹せず、中小の領邦に分裂した権力分散状態が広がっていたり、あるいは共同統治領や飛び領地が含まれたりして支配が入り組み、法・権利関係が錯綜し複雑化したことが原因である。そうした所では、発動主体が領邦君主であろうと民衆であろうと、魔女狩りがいったん発生するやそれを止めることができなくなったのだ(26〜7頁)」。してみると中央集権的な仕組みが確立せず、権力が分散している状況のもとで魔女狩りは多く発生していたということになる。ついでに次の第2章からも、もう一箇所取り上げておきましょう。「いまだ自律性が顕著な農村や都市の共同体を内に多く抱える弱い領邦では、領邦君主権力の威信強化のために、あえて下から湧き出てくる魔女狩りへの熱意と在地の司法を利用して、臣民の欲求を満たしてやろうとした(49頁)」。
ところが、実はのちの章を読むと、今度は中央集権的な絶対主義体制が魔女狩りの主な熱源であったという記述があり、どちらがほんとうなのかよくわからなくなってもた。「第7章 「狂乱」はなぜ生じたのか」の「国家権力の発現としての魔女狩り」という節に次のようにある。「魔女迫害は、国王(君主)の権力強化と関連していた。中央集権の絶対主義体制構築のためには、常備軍を整えたり、主にブルジョワ階級から登用した官僚群を集めたり、税制を改善して安定的な収入を得たり、民衆反乱を徹底的に鎮圧したりすることも必要だが、それらすべてを正当化し価値付けるイデオロギーを国家が確立して、従順な臣民を創出することが不可欠だった(主権国家体制成立)。そしてヨーロッパ全土における魔女狩りの主な熱源のひとつは、そのイデオロギー形成に協力する司法官を中心とする世俗エリートと聖職者のエリートたちが、国王・領邦君主を戴き、厳格なキリスト教道徳の実践を特徴とする政治的共同体である神的国家を創造しようと決意したところにあった(184頁)」。うむむ、とするとここでは中央集権的な仕組みのほうが魔女狩りを推進したというように読める。どちらがほんとうなのだろうか? それとも時代によって魔女狩りが行なわれる状況や条件が変わったということなのか? 結局、その答えはよくわからなかったけど、ここで二つの用語に注目しておきたい。それは「イデオロギー」と「エリート」。「イデオロギー」については、すでに述べたように、近代以降は「イデオロギー」が「魔女狩り」の代わりをするようになったと個人的には考えている。この考えを基盤に解釈すれば、上記矛盾も解決できそうな気がする。つまり、地方分権的な中小領邦国家ではなく中央集権的な絶対主義国家が魔女狩りの原動力になったというのは、まさに「魔女狩り→イデオロギー」という推移の媒介をなしたのが中央集権的な国家であったことを示しているととらえるわけ。確かにちょっと牽強付会気味の解釈だけどね。それから「エリート」について言えば、これから見ていくように「魔女狩り」というと、迷信を信じる無知な民衆の仕業だと考えられやすいように思われるけど、むしろ「エリート」の所業であったことがこの記述によってもわかる。
さて、話を新書本の前半に戻すと、池上氏は「第2章 告発・裁判・処刑のプロセス」で、裁判、拷問、処刑などのエグいプロセスをかなり細かく描写している。それを読んで、ついついピンカーさんの『暴力の人類史』を思い出してもた。ちなみに私めは、ピンカーのこの本は原書で半分しか読んでいない。なぜ半分しか読まなかったかというとあざとさが目についたから。実はこの本には批判も多く、あちゃらの本で個人的に何度か見かけたことがある。たとえば有名どころの批判を一つあげておくと、ロバート・サポルスキーは、統計学的な処理のあざとさを指摘していた。一例をあげると、ピンカーは各時代の各戦争で死んだ死者の数をあげて現在より昔のほうが戦争による死者数が多かった、すなわちかつてのほうが戦争は残酷だったと主張しているものの、各戦争の継続年数がまったく考慮されていないとサポルスキーは批判していた。たとえば三〇年間続いた三〇年戦争と四年程度しか続かなかった第二次世界大戦をどちらも一つのデータ単位として扱っていると指摘しているわけ。「三〇年間続いた戦争と四年間しか続かなかった戦争の死者数を比べても無意味じゃん!」ってことね。確かに現代に近づくほうが兵器の殺傷能力が上がってくることは間違いないんだろうが、そのこと自体が人間の残虐性の激化を意味しているとも言えるからね。で確か、サポルスキーは、実際に死者数を戦争の継続年数で割った、一年当たりの死者数の一覧を提示していたけど、それによると今度は現代に近くなるほどおおむね戦争の死者数は増えるという、ピンカーの提示するデータとは逆の結果になっていたように覚えている。とはいえ私めが気になったのは、そこではなくて、全体的な扱いが「現代になるほど時代の暴力性が緩和されるようになった」という『暴力の人類史』の主張に都合よく合わせられているように見えた点にある。10年ほど前に(半分だけ)読んだ本なのでうろ覚えのところがあるけど、おおよそ次のような印象を受けたことを覚えている。ピンカーは最初のほうで、昔より現代のほうが暴力的であるように思えるのは、昔の時代になればなるほど、それだけその時代に関するデータの多くが失われていて具体的な全体像がつかみにくくなるのに対し、現代のほうが、具体的なデータが揃っていて全貌がつかみやすく、それだけに残虐さが浮き彫りにされやすいからだというような主旨の主張を繰り広げていた。ところが、ピンカーさんは途中からその逆をやり始めるのよね。つまり昔のできごとに関しては拷問の方法などに関して具体的な描写をこと細かく提示して、いかにも昔は残酷だったというイメージを読者に植え付けようとしているのに対し、現代のできごとに関しては抽象的な統計データを羅列して説明し、あまり残酷さが際立たないような書き方をしていた。確かに昔のできごとに関しては統計データがほとんど存在しないということもあるのだろうとしても、昔のできごとに関して具体的な拷問の描写を次々に提示するなら、現代の戦争などに関してもそれと同じレベルで具体的に細かく記述すべきであるように思えた(その資料は間違いなく存在するはずなのだから)。ただ先にも述べたように半分で読むのをやめたから、それよりあとにその種の記述があった可能性は捨てきれないけどね。
まあそれは蛇足なので新書本の話に戻ると、池上氏は「第3章 ヴォージュ山地のある村で」で、魔女狩りのケーススタディとも呼べる話を提示している。ただ人の名前や、甥だの姪だのといった家族関係がたくさん出てきて、その手の細かな記述がめっぽう苦手な私めは、途中から頭が混乱してしまった。
次の「第4章 魔女を作り上げた人々」は、いかなるタイプの人々が「魔女」という妄想をでっち上げたのかが述べられていて、個人的にはもっとも興味深かった。さっそく冒頭に次のようにある。「魔女を作ったのは誰か。裁判所での審理の後、有罪の判決が下ってはじめて正式な「魔女」が生まれるわけであるが、そもそも魔女の現実存在にお墨付きを与えた者たちがいなければ、魔女裁判も魔女迫害も生起しなかっただろう。その点で神学者や悪魔学者たち、そしてその教えを広め魔女狩りを煽る説教をした者たち、あるいは司法官や他の知識人が大きな責任を負う。本章では、こうした宗教エリートと世俗エリートたちの「役割」を調べよう(92頁)」。つまり魔女狩りには「エリート」が強く関わっていたのですね。先にも述べたように一般的には魔女狩りは、もっぱら無知な民衆が行なったと思われているのかもしれないけど、実のところ実際にはエリートが強く関与していたがゆえに広がったと考えられる。これは現代のイデオロギーにも当てはまることだが、それについてはあとで述べる。まず中世の神学者の役割について次のようにある。「魔女概念が誕生するためには、初期中世に悪魔の幻惑・妄想=異教的迷信と位置づけられていたものが反転して、現実に起きている悪行と見なされる必要があった。つまり悪魔が神から独立した強大な悪行能力を手に入れ、しかも霊的存在という制約を脱して、人間界において物理的・身体的に現存して行動するとの考えが登場したからこそ、サバトの実在、そこでの魔女と悪魔の物理的・肉体的交渉が可能になったのだ。また同時に、魔女が「自由意志」で悪魔と契約を結ぶ主体となり、ゆえに彼女は悪魔の幻惑の犠牲者どころか、悪の力の行使者としての責任を負い裁かれねばならない……という考え方への転換もあった。これが「悪魔学的転回」を経験した中世の神学者の貢献ないし責任である(95頁)」。ここには「自由意志」と中世神学という実に興味深いテーマが含まれているものの、その話は魔女狩りには直接関係がないので別の機会に取り上げたいと思う。神学者に次ぐ下手人としてやり玉に上げられているのは「説教師」で次のようにある。「悪魔学のエッセンスを誇大に宣伝し、魔女への不安を掻き立てるのに貢献した教会関係者として次に挙げるべきは「説教師」である。とくに一三世紀以降の托鉢修道士は、聖書や神学・教義の知識に欠けた教区司祭に取って替わって、町や村の広場や教会を舞台に説教し、教訓逸話を交えながら信徒たちの日々の生活における罪を呪い、信心の内面化を図っていた。そして一五世紀からは、彼らは悪魔学書や裁判事例を参考にして、魔女の危険な妖術やサバトについての話を、その説教の恰好の題材としたのである(98頁)」。悪魔学書や裁判事例に参照できるということは、彼らも宗教エリートであったことに間違いはない。
次に世俗エリートの下手人として取り上げられているのは大学関係者や法学者で、次のようにある。「大学の判決団にも大きな罪がある。とりわけドイツの大学である。ドイツでは、大半の魔女裁判は在地裁判所で行われたが、そこには学識ある職業裁判官がいなかったので、地方の裁判官らは自分たちの判決を下す合法性の根拠を得るために、諸大学の法学部に設定された判決団に鑑定を依頼して、それを得ることにしたのである。依頼される大学は各地に多数あり、判決団ごとに意見はさまざまだったが、害悪魔術の存在に懐疑的で断罪に慎重な大学よりも、有罪を支持して火刑を容認する大学(インゴルシュタットやトリーア)のほうが「人気」が出て仕事が絶えなかった。ドイツでは、大学に鑑定を依頼する前に、管区長からの照会に応じて鑑定する領邦君主の宮廷顧問会があった。彼らも学識法曹で――他に貴族も加わる――、大学でローマ法を、帝国裁判所で糺問手続きを学んだのであり、在地の魔女裁判を権威づけした点で、大学所属の法学者同様の責任があろう(100〜1頁)」。お次は悪魔学者で、次のようにある。「悪魔学者らは、法学、神学、医学などに通じ、しばしば異端審問官や世俗裁判官としての実際の魔女裁判の経験を元にして、著作をものしている。神の栄光とキリスト教世界の守護のため、魔女という仇敵を是が非でも殲滅せねばならないと信じた彼らは、魔女とその妖術の実在を証明し、読者にその害悪の重大さを示し、魔女を殲滅させる手段を詳解している。多くの著作で、魔女訴追のための具体的な法的手続き、問うべき質問、拷問はじめ自白をさせたり共犯者を密告させたりする効果的な取り調べ方法などが論じられていて、それが実際の裁判に携わる司法官に伝わり、地方ごとの慣習・伝統をも加味して共有されていった。こうして悪魔学の考えが普及することで農民世界の土着的・呪術的思考が「悪魔化」され、村や町の住民たちの間から魔女狩りが沸き起こっていくようになるのである(102頁)」。つまり一般ピープルが魔女狩りを実際に行なったのだとしても、その基盤にはエリートの煽りがあったことになる。なんか現代の大手メディアを思い出してしまうのは、私めだけかな?
「第5章 サバトとは何か」と「第6章 女ならざる“魔女”」は細かい話なので飛ばす。ただよく知られているように、魔女として扱われたのは女性だけではなく男性も含まれ、地域によっては男性のほうが多かった場所もあるらしい。さらには子どもが「魔女」にされることもあったらしい。まあ男の「魔女」は「魔男」になろうが、きっと読み方が「間男」と同じで格好がつかないから「魔男」とは言わないんだろうね。知らんけど。
「第7章 「狂乱」はなぜ生じたのか」は、おおむね第4章の内容をさらに敷衍しているように思えた。賢女と魔女に関する次の記述は興味深かった。「人々の日常の困難を除去して平和をもたらしていた女性は、ヨーロッパじゅうの村や町に古くからおり、「賢女」(…)と呼ばれていた。¶従来畏敬の念を抱かれていた賢女が魔女とされるには、後段で述べる社会的規律化と文化変容が関わっていたことだろう。つまり中世半ばから、医学的知識を独占しようとする都会の大学の男性たちが、民間療法の雄たる彼女らを医療行為から排除しようとし始めたからである。¶文献医学のみ重んじ、外科医学を軽んじた大学の医学部関係者は、当然、産婆術や民間療法の実践家を軽視し、都会においては大学出の医者の医療が、とりわけ上流市民たちのあいだでもてはやされた。賢女らの農村での活動領域が奪われたわけではないが、彼女らはエリート知識人たちの攻撃の犠牲になり、一六世紀後半以降にはそのイメージはグロテスクに歪曲されて、悪魔と結びつけられていくのである(174〜5頁)」。またまた大学人(ここでは医学部出身者)が魔女狩りの下手人の一つとして取り上げられている。それから魔女にされた賢女が、「人々の日常の困難を除去して平和をもたらしていた女性」とされていることに注目されたい。つまり彼女たちは、私めが言う中間粒度を支えていたアクターの一つであったことになる。大学人はその彼女たちを別の粒度から、現代で言えば利権争いのようなものを通じて潰そうとしたのですね。これをもってしても、エリートには現実を無視してより抽象的なレベルからものごとを捉えようとする破壊的な傾向が昔から見られていたことがよくわかる。そして私めが特に強調したいのは、その傾向、つまりエリート意識が無闇に高い人が特定のイデオロギーを信じ込んで、「国民はバカだ!」などと主張しつつ、一般ピープルを愚かな存在として指弾しようとする傾向は現在でもまったく変わっていないということ。今も昔も、実はその手の主張をしているエリートのほうがよほど愚かであるという点は、最後に説明する。
ところが農村のような伝統的な共同体、つまり中間粒度においても、その種のエリート的な見方が徐々に浸透していったらしい。たとえば次のようにある。「見逃してならないのは、こうした農村への悪魔および魔女観念の浸透には、一六〜一七世紀に都市エリートの薫陶を受けた新たなタイプの「農村エリート」というべき人々の働きがあったことである。これは(…)、近世農村における共同体解体、階級分化の「勝ち組」として現れた広い土地を所有する新領主らを中心に構成された。彼らは読み書きができ、キリスト教についてある程度の知識を有して、農村共同体の指導的立場にいた。また彼らは、近隣都市や宮廷に属する学識法曹、高度な法的知識を有する司法官とも接触したし、狂信的な説教師がやって来て魔女とその妖術の恐ろしさについて説けば、誰よりも敏感に反応したのであった。彼らは村での自分たちの権威と立場を固めるためにも魔女狩りに熱心で、自らが雇い入れ、使用する下の者たちに、自分が魔女だと疑う者らを告発するように{唆/そそのか}したのである(183〜4頁)」。「自分たちの権威と立場を固めるためにも魔女狩りに熱心」な人々は、現代のソーシャルメディアにも跳梁跋扈している。とりわけエリートを自称する人々にその傾向が見られるのは、昔も今も何も変わっていないと、この文章を読んで思ったのは私めだけかなと思わざるを得ない。モンテーニュは早くも一六世紀に、エリートに見られるこのような理性の欠陥を次のように指摘しているとのことだけど、これは実に卓見だと言えるように思う。「わたしの見るところ、人間というのは、なにかの事実が示されると、えてして真相を究明するよりも、その理由を探そうとするようである。(中略)理性を勝手に走らせてみるがいい。空虚の上にも、充満の上にも、材料があろうとなかろうと、[その理由を]ちゃんと建築して見せる(200頁)」。おもろいことに、これはたとえばジョナサン・ハイトがわが訳書『社会はなぜ左と右にわかれるのか』で、「理性はあとづけの理由を探す」という主旨のことを述べていたように、現代の心理学者が主張していることとも重なる。
「第8章 魔女狩りの終焉」では、章題どおり魔女狩りが終焉したいきさつが説明されている。ただ私めは先に述べたように魔女狩りの思考様式はイデオロギーという姿を借りて現在でも延々と続いていると考えている。イデオロギーという用語こそ使ってはいないものの、著者もそう考えているらしく次のように述べている。「デカルト主義がもとになって自然と世界の理性的な理解が広まり、自然科学の分野における神学の権威の{箍/たが}を大いに{弛/ゆる}める。さらに一八世紀になると理性尊重の啓蒙主義が、モンテスキュー、ヴォルテール、ディドロ、ダランベールらにより権威・因習・伝統打破のため推進され、それが論考、意見書、風刺文、そしてとりわけ都市のカフェー、サロン、クラブ、フリーメーソンの会所などでの談論を介して、広範な社会層に伝わって日常生活全般が「脱魔術化」する。すると人々は宗教的熱狂に陥ることはなくなり、悪魔の人間界の出来事への介入なども信じられなくなって魔女狩りは消滅した……というのは、分かりやすい道理かもしれないが、どこか現代人に心地よい進歩史観の物語にしてしまっているのではないか。合理的・機械論的宇宙観や理性尊重の懐疑主義が、そのまま人間の不条理な行動を抑制するわけではない。むしろ理性という認識の機械装置の根源的動力因は、人間の内部に潜む非合理な衝動なのであり、合理と非合理がたやすく入れ替わることは、二〇世紀の次なる蛮行――ナチス・ドイツ――を見れば明らかだろう(215〜6頁)」。私めがピンカーさんの最近の著書に賛同できないのは、まさに彼の立論が「現代人に心地よい進歩史観の物語」になっているように思えるからで、「啓蒙の弁証法」という側面が完全に忘れ去られているように思えるからなのですね。これについては、最後に述べるつもりだけど、現代人は理性や合理性という概念を完全に取り違えていると思う。だからイデオロギーという形態で魔女狩りが残存していることにも気づかない。その意味では、昔よりピンカーさんの言説を鵜呑みにする人々が大勢いる現代のほうが、症状は重いと言えるかもしれない。
その点で言えば、「おわりに」にある次のような文章には大いに同意できる。「人類は、どうしても対処・解決する手段がない異常な困難事象に遭遇したときに、絶望する替わりに魔術的儀式に頼って不安を解消してきたし、今でもしているのならば、姿形は変われど、魔女狩りに類した蛮行は今後も世界じゅうで起こりうるだろう。否、魔女狩り終息後の近現代においてもユダヤ人迫害や黒人差別を繰り返してきたヨーロッパは、そうした人類共通の暗い人間性・社会性の基層に、ヨーロッパ一流の形式合理主義を組み合わせており、いっそうたちが悪いように思われる(229〜30頁)」。率直に言って、ナチズムに関する言及はあっても、スターリンと毛沢東とポル・ポトの三人だけで中世や近世の魔女狩りより、三ケタは多いはずの死者数を出した共産主義というイデオロギーには、本書を通じてまったく言及がないのは、本書が左寄りの岩波書店から刊行されているからなのかと邪推したくなった。それはそれとして、「人類共通の暗い人間性・社会性の基層に、ヨーロッパの形式合理主義を組み合わせ」たものの一つがまさに「イデオロギー」なのだと個人的には思っている。だから現代においては、魔女狩りはイデオロギーで置き換えられていると何度か言ったわけ。著者も上記引用に続けて次のように述べている。「ヨーロッパ史の光と闇はいつも一体だ。ヨーロッパ精神の旅路をロマネスク期からずっと追っていくと、ヨーロッパ文明というのは、明るく光れば光るほど、隠された闇も深くなる。別の言葉で言えば、ヨーロッパ流の合理主義は、その裏に不合理をつねに隠しているのではないか。理性的・合理主義的でないから魔女狩りが起きたのではなく、理性が陥りやすい罠に深々とはまったからこそ起きたのだ。そのことは一六世紀のモラリスト、モンテーニュが{夙/つと}に洞察していた通りである(230頁)」。日本には「ヨーロッパでは・・・」と何かにつけてすぐに言いたがる出羽守が大勢いるけど、彼らはこういうヨーロッパの側面をきちんと見抜いているのだろうかと思わざるを得ない。
ではなぜ、理性的・合理主義的であるはずのヨーロッパで魔女狩りのようなことが起きたのか? しかもそれを煽動したのが理性や合理性を体現しているはずのエリートだったのはなぜか? また啓蒙化された近現代においても、共産主義者など、エリート、あるいはエリートを自称する人々が自分たちに都合の良いイデオロギーを信じ込んで社会を破壊し人々を殺しまくっているのはなぜか? 以上のような疑問が浮かんでくる。しかしこれは、典型的に「理性」や「合理性」という言葉を現代人が致命的に誤解しているからそう思えてくるのだと、個人的には思っている。本来合理性とは、生存や生活を確保するために進化の過程を通じて人間、あるいは人間の祖先の動物が獲得してきたものだと言える。だから通常は直観的に働くのですね。しかし現代人は、そのような能力を軽視して、理性的思考を重視する。ここにそもそも間違いがある。認知科学者のヒューゴ・メルシエとダン・スペルベルは、『The Enigma of Reason』で、合理的思考を直観的推論の一形態としてとらえている。これは二人が、進化論的な観点から合理的思考をとらえていることに基づく。魔女狩りを促した中世や近世の思考にしろ、近現代のイデオロギーにしろ、そのような意味では合理的思考などではまったくない。そもそも人々の生存や生活がかかる中間粒度を破壊しようとする思考が合理的であるはずはない。ところが現代人は、そのことに気づかない。メルシエはわが訳書『人は簡単には騙されない』で次のように述べている。「人びとは宗教的信念を受け入れ、それをあたかも自分で見たり実践したりしたかのごとく語るようになるが、忘れてはならないのは、あらゆる信念が認知的に同様なあり方で作用しているわけではないという点だ。宗教的信念は直観的であるより反省的である場合が多い。ここで思い出してほしいのだが、反省的な信念は推論メカニズムや行動を志向するメカニズムの一部と相互作用するにすぎない。ほとんど特定の心の部位に包摂され、直観的信念のように心の中を自由に徘徊することができない(同書233頁)」。ここでは宗教的信念についてのみ対象とされているけど、現代のイデオロギーにも同じことが当てはまると思う。反省的に保たれている信念は、メルシエが言うところの進化によって獲得された「開かれた警戒メカニズム」の対象にならないのですね。なぜなら、宗教的信念やイデオロギーは、せいぜいここ数千年のあいだに誕生したものであり、それに対処するためのメカニズムが人類に進化するのに必要な時間がまだ経過していないから。つまり直観にまったく依拠しない思考は、とりわけ人々の生存や生活に関わる問題に関して合理的にはなり得ない。そこを勘違いしている人はきわめて多い。
実はイデオロギーは、現代ではメディア(とりわけ大手メディア)の影響を通じて知らず知らずのうちに脳内に配線される。そしてそれによって、「開かれた警戒メカニズム」のような本来人間に備わっている、つまり進化によって獲得されたより安定したメカニズムの作用が上書きされて抹消されたり、あるいは以下の例にみるように圧倒されたりするようになる。だからイデオロギーは気づかないうちに、人の心を支配して、ものの見方を捻じ曲げる。SNSが広範に利用されるようになって、この現象はますます目につくようになってきたという個人的な印象がある。以前にもあげたことがあるけど、一例をあげましょう。たとえば東京オリンピックが開催されていたとき「政府は国民を殺しにきている」とか、かつて安倍氏が首相だった頃、「安倍はヒトラーだ」みたいなゴドウィンの法則を地で行く言説がネットで飛び交っていた。その内容の真偽はここでは関係ないので問わないとしても、彼らは直観的に自分の言ったことを信じていないからこそそんな発言ができたのだとは確実に言える。ヒトラー支配下のドイツや、現代の北朝鮮のような国家であれば、身元がバレるようなメディアで人々がそんな発言をするわけがない。なぜなら、ヒトラー政権下で生きていた人々は、「そんな発言をすれば、ほんとうにゲシュタポがやって来て拷問され命がなくなる」と直観的に信じていたはずだから。もしヒトラーの時代にツイが存在していたとして、それを使ってヒトラーを攻撃するようなツイをすれば、その人はレジスタンスの仲間から、「メンバー全員の命を危険にさらすようなアホは、出ていけ!」と確実に言われるだろうね。あるいはもっと悪くすると、あとでゲシュタポに捕まってペラペラとカナリアさんのように囀られても困るから、その場で仲間に銃殺されるということも十分に考えられる。また現代の北朝鮮で「金正恩はヒトラーだ」などと発言しようものなら、大砲に縛り付けられて吹っ飛ばされるのがオチだと、北朝鮮の人々は直観的に信じているだろうから、絶対にそんなことを公の場で発言したりはしないはず。
それに対して現代の日本で、政府や秘密警察などの権力機関がプロバイダーを脅して強引に介入し調査すれば身元がバレるような、ツイなどのメディアを使ってその手の発言を繰り返していた人々は、逆に「現代の日本では、そんな発言をしても、ゲシュタポのような悪魔の使いがやって来て拷問されることなど絶対にあり得ない」、つまり「政府が国民を殺しにくるはずはない」あるいは「安倍はヒトラーではない」と直観的に信じていたからこそそんな発言ができたというわけ。要するに、「政府は国民を殺しにきている」だとか「安倍はヒトラーだ」だとかいった左派イデオロギーに篭絡された発言は、メルシエ氏の言う「開かれた警戒メカニズム」、すなわち一種の合理性チェックを得て発言されたものではないということ、言い換えれば中世や近世の魔女狩りと大して変わらないレベルの非合理な言説が現代でも堂々とまかり通っていたということになる。実際にそのような発言をした人が殺されたり、拷問にかけられたりしたなどという話はとんと聞かないから、「政府は国民を殺しにきている」だとか、「安倍はヒトラーだ」とかいった「開かれた警戒メカニズム」のチェックを受けていない、イデオロギーに篭絡された発言よりも、「政府が国民を殺しにくるはずはない」「安倍はヒトラーではない」という「開かれた警戒メカニズム」のチェックを受けた直観のほうが正しかったことになる。ところが彼らは、イデオロギーに篭絡された発言のほうが正しいと信じていたわけ(恐らく今でもね)。これはいかにイデオロギーが人間の判断を狂わせるかを示している。まさに宗教的信念に基づく魔女狩りの思考様式と大して変わらない。つけ加えておくと、見たところエリート意識が強いにもかかわらず実際にはエリートたる資質が備わっていない人ほど、この罠にかかりやすいように思われる。というのも、かつて「自分たちの権威と立場を固めるためにも魔女狩りに熱心」だったエリートたちがいたように、現代におけるエリート意識の高い人たちも、自分たちの権威と立場を固めるために、さらに言えば脆弱な自我同一性を保つために、イデオロギーを振りかざして一般ピープルとの違いを見せつけなければ自我崩壊を起こすことが必定だから。誤解がないようつけ加えておくと、ここで私めが言いたいのは、「政府の言うことは常に正しい」ということではない。そうではなく、「政府は国民を殺しにきている」「安倍はヒトラーだ」などといった、身元がバレうるメディアで発言する(てか、そもそも本名で発言していた人もいるしね)という行動と一八〇度矛盾する発言内容は、間違いなく本人自身ですら直観的には信じていないということを自ら証明していると言いたかったわけ。もちろん批判するのは自由だけど、自分自身ですら直観的に信じていないことを言うと、一般ピープルはアホではないから、心にもないことを言っていることがすぐにバレて、かえって自分自身の信用を落とす結果になる。いやそんなことが一般ピープルにわかるはずはないと思うのなら、理性や合理性の働きについて完全に誤解しているからそう思えてくるのだということをよく理解したほうがよい。
もう一つ、ステマ、もといアカラサマを兼ねて指摘しておきたいのは、カーネマンらの行動経済学があまりにも浸透し過ぎたこともあってか、理性と直観を対立させる見方が最近特に際立ってきている感があるという点。しかしその考えに異を唱える興味深い見方が登場してきた。それはジョセフ・ルドゥー著『The Four Realms of Existence』(Belknap, 2023)で展開されている見方のこと。ルドゥーはカーネマン流のシステム1(無意識的、直観的)とシステム2(意識的、理性的)という二項区分では不十分であるとして、システム1(非認知的で無意識的)とシステム2(認知的で無意識的)とシステム3(認知的で意識的)という三項区分を提唱している。つまりルドゥーの考えによれば、システム2は認知領域に属しながら意識的な作用ではなく、認知には無意識的なもの(システム2)もあれば、意識的なもの(システム3)もあることになる。要するに、必ずしも理性とは述べられてないとしても、認知には無意識的、つまり直観的に作用するものもあるということ。なお、ルドゥーのこの最新刊は、来年の中頃に拙訳で刊行される予定なので、乞うご期待。ということで、『魔女狩りのヨーロッパ史』は現代にも通じる側面が取り上げられているというのが個人的な印象で、自分の思考様式を一度チェックして魔女狩り思考に陥っていないか確認してみるきっかけを与えてくれるという意味でもお勧めの本だと言える。
※2024年4月18日